三島町「早戸駅付近 撮影ポイント」 2018年 紅葉

早戸駅から近い撮影ポイントで列車を撮ろうと、JR只見線を利用し、三島町に向かった。

早戸駅はそれ自体が撮影対象となる“秘境駅”であるが、近くに風景と列車のよい構図の写真を撮ることができるポイントがある。今日は、そのうちの三ヵ所を巡った。

 

一つは徒歩圏内でもある「細越拱橋」(めがね橋)。所在は金山町になるが、国道252号線を1kmほど北西に進むとある。

二つ目は「早戸俯瞰」呼ばれる、滝原トンネルと早戸トンネル間の明かり区間を走る列車を崖上から撮影できる場所。国道252号線の早戸第二兼用スノーシェッドの外側になる。早戸駅からは南東に1.8km離れている。

三つ目は「第三只見川橋梁」を北から撮影できる、高清水スノーシェッド内の場所。「早戸俯瞰」から2kmほど東に進むと着くことができる。

   

今日の旅程。只見線の会津若松~会津川口間を走る列車は一日6本しかなく、9時20分を過ぎると12時49分まで早戸駅を通過する列車は無いため、寄り道をしながら撮影に臨んだ。

・郡山を磐越西線の始発列車に乗り出発

・早戸駅到着後に金山町に入り、“沼沢登山”をして沼沢湖畔を巡る

・町道を通り福沢集落経由で水沼地区の国道252号線に入る

・「細越拱橋」を通過する列車を撮影

・国道を進み、再び三島町に入り宮下方面に向かい、「早戸俯瞰」と高清水スノーシェッド内で列車を撮影

・途中、3軒のカフェに立ち寄り、最後は宮下温泉の日帰り入浴に浸かる

・会津宮下駅から会津若松行きの最終列車に乗り、郡山に戻る

 

今日も、移動が広範囲になるため、輪行し、折り畳み自転車を使う事にした。

*参考:

・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の撮影スポットー / ー只見線の秋

 

 


 

 

早朝、郡山駅に向かう。日に日に夜明けが遅くなっていると感じた。

 

駅頭で自転車を折り畳み、輪行バッグに入れる。構内に入り切符を購入し、改札を通り1番線に停車中の列車に乗り込んだ。

  

切符は日曜日ということもあり「小さな旅ホリデーパス」を利用した。

 

列車は郡山富田、喜久田、安子ヶ島、磐梯熱海、中山宿を経て、沼上トンネルを抜け、会津地方に入る。 

上空の雲は多く、猪苗代を過ぎて見えるはずの「磐梯山」にはガスが掛かり、頂上付近は見えなかった。

  

 

 

7:09、会津若松に定刻に到着。改札を抜け、駅頭に行く。ここでも青空は見えなかった。今日は日曜日ということで、「TRAIN SUITE 四季島」が会津若松に乗り入れるため、朝食会場などに乗客を運ぶ専用観光バスが二台付けられていた。

  

7:30、只見線のホームに移動し待っていると「四季島」が入線し、まもなくエントランスとなっている5号車の扉が開き、乗客が駅長などが迎えるホームに降り立った。少しだけこの様子を眺めてから只見線のキハ40形に乗り込んだ。

7:37、会津川口行きの列車が会津若松を出発。列車は2両編成だったが、乗る客が少なく、私が座った後部車両は10名に満たなかった。

  

 

七日町西若松に高校生を中心とする数名の客を乗せ、大川(阿賀川)を渡り、田園地区に入る。

 

紅葉前線が平地まで下りてきたようで、会津本郷会津高田根岸までの沿線には綺麗に色づいた木々が見えた。 

 

新鶴では廃ホームの木の葉が鮮やかだった。

  

若宮を過ぎてから会津平野を見通すが、全体的に雲に覆われていた。

 

そして、会津坂下に到着する手前で、前触れもなく『只見線の列車に大幅な遅れが生じています。当列車はしばらく会津坂下駅に停車します』とのアナウンスがあった。

  

8:20、列車が会津坂下に停車すると車掌が車内を回り、各乗客に状況を説明し行き先を確認した。

どうやら、先行する列車(会津若松発6時00分)が七折峠で落ち葉により車輪が空転して立ち往生しているという。運転再開まで最低1時間30分ということだった。“犯人”は杉の枯葉で、油分を含んでいるためにそれを踏んだ車輪が空転したという。

私は高校時代まで実家で薪で風呂を沸かしていたが、着火材にこの杉の枯葉をよく使っていた。燃える時のあのパチパチをいう音と強い火力は、この油分が杉の葉にあるからだと聞いた事があったが、まさか1両30トンを超える列車の車輪を空転させるまでとは思っていなかった。

   

私は停車時間が長くなるということで、コンビニで買い物をしようと列車を降りた。改札には張り紙が出され、待合室には乗客の姿もあった。

  

買い物を済ませ駅に戻ると、会津若松行きの中型バスが駅頭に付けられていた。列車内に戻ると、車掌が再び現れ、今後の列車の運行が不明なため会津若松に戻るかどうか聞いて回っていた。そして、会津若松に戻ると決めた乗客はさきほどのバスに乗るために列車を降りて行った。

結局、9時20分過ぎ、列車は運行取り止めとなり、タクシーによる振替輸送となった。

  

9:43、振替輸送用のタクシーが3台到着。私を含め7名の客が分乗した。

図らずも国道を進むことになってしまい、「滝谷川橋梁」「第一只見川橋梁」「第二只見川橋梁」「大谷川橋梁」「第三只見川橋梁」、それぞれの橋の上からの紅葉の風景を車窓から見ることができなかった。

 

しかし、柳津町の「福満虚空藏菩薩 圓藏寺」など、列車からは見ることはできない景色などを見ることができ、悪くはなかった。

  

タクシーは3台とも“各駅”に停車し、その都度、ドライバーが降りてホームや待合室などに居るかもしれない客を確認していった。唯一、滝谷駅で3名の客が列車を待っていて、タクシーに乗り込んだ。

  

 

 

11:10、三島町にある早戸駅に到着。予定より1時間50分遅れた。

私がタクシーを降りた際、メーターは¥13,280となっていた。かなりの割増料金だが、急に呼び出され3台の車両と3人のドライバーを駆り出された地元のタクシー会社にとっては、当然の請求額であろうと思った。他方、振替輸送の“終点”である会津川口駅まで3台合計でどれだけの金額になるかは分からないが、JR東日本にとっては僅かな損金だとしても、“100円の収入に6,700円のコストが必要”(2009年度実績より)な只見線にとっては、大きすぎる代償だ。

今回の列車運行取止めの原因となった落ち葉(杉の枯葉)だが、以前も車輪の空転事故があったと私は記憶している。この時期は落ち葉がレールに載ることは想定されることであろうが、点検にかけるコストよりも、今回のような振替輸送のコストの方が少ないという判断がJRにあるのであれば、改めて欲しいと思う。只見線にとって紅葉シーズンは“稼ぎ時”であり、ここを体験した乗客の良い思い出の積み重ねが、只見線の集客や沿線の経済効果の基礎となると思うからだ。

今回の車輪空転現場である七折峠は、会津坂下~塔寺~会津坂本の8.1kmもの区間となり、点検作業は容易ではないかもしれないが、ドローンとAIによる画像解析などの新技術を導入すれば、落ち葉という単一要因の確認は不可能ではないと思う。

乗客は雪崩や落石などで列車が運休することはやむを得ないと思うが、落ち葉で列車が止まってしまうなどとは思いの外で、納得できないだろう。

観光鉄道“山の只見線”として利活用事業に中心となって取り組む福島県は、この事態を認識し、JR東日本に申し入れ、来秋の紅葉シーズンには同様の運行取止めが起こらないようにして欲しいと思った。


  

早戸駅のホームに行き、周囲の景色を見てから、自転車の旅を開始した。

  

駅前の坂を上り、旧道の早戸スノーシェッドの前から早戸駅を見る。よいロケーションだと改めて思った。

賛否はあるだろうが、私は駅と只見川の間にある草木を除いた方が良いと思う。木の根に代わりにアンカー打設などの対策をすれ路盤の流出は防げるだろう。貴重な草木が無いのであれば、ホーム上の無電線化を含めて検討して欲しいと思っている。

  

国道252号線を進み、早戸温泉「竹のや旅館」の先を右折し町道を進む。早三橋を渡り、金山町に入り、坂を上ってゆく。自転車だが、“沼沢登山”の開始だ。

  

平坦な場所に出ると、右手に当時東洋一の揚水水力発電所だった東北電力㈱沼沢沼発電所の水圧鉄管が敷かれていた構造物がある。上部の木々は綺麗に色づいていた。*参考:水力ドットコム「東北電力株式会社 沼沢沼発電所 跡」URL: http://www.suiryoku.com/gallery/fukusima/numazawa/numazawa.html

  

沼沢川を渡り、県道237号(小栗山宮下)線にぶつかり右折。6つのヘアピンカーブを上る。すると、右側が開け、私がたどってきた道を包む、紅葉の見頃を迎えた山々が見えた。この眺めがあるから、“沼沢登山”は頑張れる。

  

早戸駅から30分で、沼沢湖水浴場への分岐点に着く。前回(今年10月6日)にソロキャンプに訪れた時には、道具を抱え1時間19分歩いた。やはり自転車は早かった。

  

分岐を過ぎ、沼沢集落の中を進む。途中、真っ赤なモミジが道一面に落葉している場所があった。曲家の青い屋根と対比が美しいと思った。

  

沼沢湖に注ぐ前ノ沢が見えなくなる場所まで行き、引き返し、目的の場所に着く。「ヒメマス魚道」が設置された堀の内橋の下流側だ。

ヒメマスは、海へと下るベニザケと同種で、湖に留まった(陸封型)個体を指す。沼沢湖は福島県で唯一のヒメマスの生息地で、稚魚の放流事業も行われている。*参考:地方独立行政法人 北海道総合研究機構「ベニザケ(ヒメマス)」(PDF)

  

私はこの魚道の事を福島県会津若松建設事務所のホームページにある資料で知った。*下図出処:福島県会津若松建設事務所「事務所概要(平成30年度)」p66

この魚道は今年、“産卵可能範囲拡大”のために設けられたもので、産卵のための遡上期(10月中旬~下旬)は過ぎていたが、是非見たいと思い訪れた。 

 

この施設には無線機(Wi-Fi)付きのカメラが水中に置かれていて、ここで通信しヒメマスの様子をリアルタイムに見ることができるという。私は直接見たいと思い試さなかった。

  

“密漁禁止”の看板もあった。

 

川床に下りて、下流から魚道を見る。手前の木製のものはベンチなのか、形状から何か分からなかった。

 

魚道の側面は観察しやすいようにアクリル板がはめ込まれていた。この魚道が観光施設の面を持っていることが分かった。

 

内部をよく見ると、ヒメマスが泳いでいた。

 

魚道の下流にも居た。

 

こちらは、その姿をはっきり見ることができた。成魚は初めて見た。

 

魚道の上にも居た。

 

縄張り争いをしているのか、3匹は激しく泳ぎ回っていた。

  

上流を見ると、螺旋状の暗渠管が置かれていた。実証実験で用いられた、もう一つの魚道のようだ。

魚道実証実験の様子は、福島県宮下土木事務所の菅野陽氏が書いたレポートに詳しい。*国土交通省 東北地方整備局「ヒメマス産卵遡上のための魚道実証実験」(PDF)

テレビ報道によると、この魚道には約1,000万円の予算がかけられ、今後さらに3カ所設けられるという。安くはなく内訳を知りたいところだが、漁業資源の維持と観光客の誘致という2つの目的と、ヒメマスが貴重な魚種であることを考えると、仕掛け次第で費用対効果は期待できると思う。「沼沢湖ヒメマスの活用による地域活性化を考える会」を中心とした今後の活動が楽しみだ。

  

魚道より下流には“河川内遊歩道”がつくられ、歩きやすくなっていた。川床も玉砂利敷均しがされ、その中をヒメマスが泳ぐ姿も見ることができた。

 

沼沢湖に注ぐ、河口の様子。古い施工で、川床が用水路のようになっていた。ここをヒメマスが遡上するのだろうが、不思議に思った。

  

 

この魚道から沼沢湖に至る前ノ沢と並ぶようにマコモダケ畑が続いていた。町の新たな特産品にしようと、金山町の農業法人「奥会津彩の里」が栽培しているという。

マコモダケはイネ科の植物で、高さ2mのうち根元の25cmの白い部分を用いるクセがない独特の食感の食材で中華料理によく用いられるという。天ぷらや煮物などの和食でも美味しらしいが、私はまだ食べたことがない。

「ヒメマス」の刺身に、「マコモダケ」の天ぷらと会津の地酒。これらを只見線を走る専用観光列車で楽しめれば、一番良いと思った。

   

沼沢湖畔に出て、サイクリングロードを進んだ。沼御前神社の前にある祠付近は、良い色合いの風景となっていた。

 

湖水浴場の砂浜に着き、先月ソロキャンプを行った場所から沼沢湖を眺めた。冷え込むだろうが、この時期のキャンプも良いのではと思ったが...

 

管理センターに行くと『今シーズンの営業は終了致しました。来シーズンもよろしくお願い致します。』という文言の貼紙がシャッターに掲げられ、ご丁寧な事に自動販売機も『営業終了』となっていた。

沼沢湖畔キャンプ場は11月の第一日曜日が年内の最終営業日で、今年は11月4日に終了していたようだ。管理上の問題だろうが、この沼沢湖畔のロケーションは通年キャンプでも集客できる魅力があると思う。管理コストと利用客の損益を調査し、必要な集客を得る策を研究する価値はあるのではないだろうか。

   

さらに湖畔にそって自転車を進める。藤ヶ崎を超えると景観ポイントがあるが、この時間、陽射しが一部しか差さず、鮮やかな紅葉とはいかなかった。

 

去年は、とてもよく見えた。

  

 

沼沢湖と別れ、「惣山・前山 登山道入口」の前を通り過ぎ、福沢集落の中を駆け抜けた。

 

水沼地区に向かう林の中の道を進んだ。

 

途中、所沢ナンバーの車が停車していた。ドライバーはおらず、あたりを見渡すと林の向こうに人影が見られた。

只見線の列車を撮る人で、おそらく下大牧集落の中を通る列車を収めるのだろう。

しかし、今朝の“落ち葉車輪空転”事故で、列車の再開は不明だった。おそらく私の乗ってきた列車は会津坂下から会津若松に引き返し、会津宮下で待機していた上り列車は会津川口に引き返しただろうから、午後から通常ダイヤに戻るのではないかと私は期待していた。

この先にも“撮る人”が見られたが、彼らは不確実な列車の運行情報を得ながらも、この機会を逃すまいと待ち続けるのだろう。列車の運行が再開して欲しいと思った。

  

さらに先にも県外ナンバーの車が路上駐車されていた。“撮る人”に違いないと思った。

  

 

まもなく町道はヘアピンカーブを3つもつ、急で長い下り坂となった。前方には沼越峠から国士山(858m)、高陽山(897m)と続く“会越国境”の越後山脈の一部が見えた。

 

この下り坂は、とても気持ちが良かった。沢の急斜面に這わされた道を自転車で進む事で、体を通り過ぎる風と空気感でその地形を実感でき、目の前の山々の稜線から視覚的にも自分が大自然の只中に居ることを認識させられた。*下掲載地図出処:国土地理院 電子地形図 *一部文字入れ等加工

早戸駅から県道237号線で“沼沢登山”をした後、沼沢湖畔で時間を過ごし、この坂を下って早戸駅に戻るという周回サイクリングコースは、なかなか良いのではないだろうか。また一つ、“観光鉄道「山の只見線」”のアクティビティが見つかったと思った。

  

 

水沼地区の集落に入り坂を下りきり、国道252号線の水沼橋上から上流方向に目をやり、「第四只見川橋梁」を眺めた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館歴史的鋼橋集覧

  

下路式曲弦ワーレントラス橋で車内からは鋼材が視界を悪くしているが、外から見ると自然の中の建造美が感じられた。

今後、運休区間の「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」は開放的な上路式から「第四只見川橋梁」と同じ下路式に変更される。私は車窓からの風景を楽しめた方が只見線や沿線自治体にとっては良いと思うが、外から見ることで“自然と人工の共存”を楽しめ、集客と沿線への経済波及効果が見込まれるのならば上路式でも構わないと思う。観光客への見せ方の工夫と、そこでの滞在時間を延ばす仕掛けを研究してみてはどうだろうか。

  

水沼橋上から、これから向かう「細越拱橋」方面を見る。見頃はやや過ぎた感はあったが、杉の緑がアクセントとなる独特の色合いの山並みだった。

 

 

国道を進み、只見川が南に大きくカーブする場所で木立の中に入り、“不動沢トンネルの上の社”に立ち寄った。この構図が私は好きだ。*参考:拙著「金山町「不動沢トンネル上の社」 2017年 晩夏」(2017年9月8日)

   

国道に戻り、先に進んだ。

下大牧と中久保の集落を過ぎ、前方に細越拱橋が見える場所に着くと、ここにも“撮る人”が居た。一人は狭い路側帯に三脚を構えて、もう一人はガードレールの中に入りカメラを調整していた。

 

細越拱橋に到着。8径間連続アーチ橋で「無筋C充腹アーチ」として福島県近代化遺産に登録されている。

通常のダイヤであれば12時45分過ぎに、会津若松行きの列車が細越拱橋を通過予定だったが、12時55分のこの時間でも、列車が来る気配は無く、“細越拱橋+列車”の写真をあきらめようとしていた...。

その矢先、背後で汽笛が聞こえた。 

すると、レールを蹴る音がして、キハ40形2両編成がやってきた。私は急ぎ細越拱橋を見上げ、カメラを構え列車が通るのを待ち構えた。  

 

12:57、期待していなかった一枚を撮ることができた。

8つの“めがね”を収めることはできなかったが、咄嗟の撮影の割には、満足できる一枚になった。今回は10分遅れで列車が通過した事から、この先も多少の遅れで、列車が運行されるかもしれないと期待した。

  

13:03、早戸駅に戻り、景色を眺めながらおにぎりで昼食。少し待合室で休んでから、次の行動を開始した。

 

  

早戸温泉「つるの湯」に到着。

 

目的地は、「つるの湯」入口の脇から見下ろせる、「つるのIORIカフェ」。地元の建築会社が地元材使用のモデルルームを建て、2015(平成27)年5月からカフェとして利用している。*参考:一般社団法人IORI倶楽部


外階段を上り、靴を脱いで中に入る。机と椅子ばかりで無く床から壁まで木で作られ、室内は木の香りで満たされていた。また、薪ストーブは室内を柔らかく温めていて、素晴らしく心地よい空間となっていた。

 

外の眺めも申し分なく、只見川(宮下ダム湖)の静かな流れとそれを包み込む緑、そしてひっそりと佇む対岸上部の家々が、時間の流れを忘れさせてくれた。

 

メニューも手書きで温もりがあった。私はコーヒーとパウンドケーキを頂くことにした。室内には私の他に客が3人とご主人。静かな時間が流れた。

 

やがて注文の品が運ばれてきた。

コーヒーはしっかりと香りが立ち、何より温度が良かった。ケーキは“梅蜜煮と白あん”とあったが、それぞれが程よく味を出し、まとまりが感じられ美味しかった。

 

このカフェは隣接する「つるの湯」とともに早戸駅の秘境感を更に高める、ホスピタリティを持つ施設だと思った。次に利用する時は、名物の三島町産のそば粉を使ったガレットを食べたい。

  

 

列車がどれだけの遅れで運行されているか分からなかったが、予定通り「つるのIORIカフェ」を出で、次の撮影ポイントに向かった。

国道252号線を進み、早戸トンネル(625m)に入る。内部は暗く、一段高くなった歩道も狭く、車がトンネルに入るたびに響き渡る轟音に怖い思いをしながら自転車を進めた。

  

緩やかな上り坂を進むと、前方が明るくなり、早戸第二兼用スノーシェッド(417m)に入る。歩道は途切れ、反対側に設けられた歩道に行くため、国道を横切った。

   

 

少し進むと、スノーシェッドの外側に踏み固められた“展望所”が見えた。「早戸俯瞰」のようだった。

 

この先でスノーシェッドの柱が無くなり、車が出入りできる場所があった。待避所のようで、ゆうに10台は停められるであろう広さで、その端には「早戸俯瞰」に通じる道ができていた。

   

 

踏み跡を進み、「早戸俯瞰」に到着。野趣味ある、素晴らしい景色を見下ろす事が出来た。見える主な人工物は高圧電線の他、前方に只見川に掛かる早三橋、右手の山の斜面には早戸本村に行く町道のガードレールだけだった。しばらく、眺め続けた。

  

14:40、予定していた通過時刻をわずかに過ぎて、列車の走行音が小さく聞こえた。私はカメラを構えて、滝原トンネルを出て、明かり区間に顔を出す会津川口行きの列車を待った。

そして、最後尾車両の正面が見えた瞬間にシャッターを切った。逆光で紅葉の鮮やかさが失われたが、想定通りの構図の一枚が撮れた。

    

「早戸俯瞰」から、国道を少し引き返し早戸本村に向かった。

 

緩やかな上り坂の町道の下には国道252号線の旧道が見えた。崖に沿って作られた狭く見通しの悪い状況から、当時の交通事情を想像する。

 

5分ほどで早戸本村(三島町早戸居平)に入り、目的地である「清匠庵」に到着。先ほど訪れた「つるのIORIカフェ」や、「つるの湯」を手掛けた地元の建設会社が古民家再生プロジェクトとして築150年の物件を改修した社会実験のモデルハウスだ。

 

手がけた佐久間建設工業は「第1回ふくしま産業賞」で銀賞を受賞し、当時地元紙でも取り上げられていた。*記事出処:福島民報 2016年1月31日付け紙面より

 

この「清匠庵」にはビッグデータを扱うITベンチャー企業が、社長自らが三島町に住民票を移し、本社を移転している(東京・赤坂に東京事業所)。今年4月には二日にわたって地元紙の一面で、この社長が取り上げられていた。 *記事出処:福島民報 2018年4月29日、30日付け第一面より

通信環境が整えば、パソコン一台で作業はでき、会議やミーティングもテレビ電話などの技術で対応可能で、何より創造性の必要なソフト開発には東京の雑踏より自然に囲まれた静かな環境が相応しい。これを実現させた社長の決断と行動力に感心した。

私と同年代の社長、高枝氏の今後の活躍と、古民家オフィスが奥会津の只見線沿線に広がり好影響を与えることを期待したい。

  

 

早戸本村を後にして国道252号線に戻り、宮下方面に進み次の撮影ポイントに向かった。早戸第二兼用スノーシェッドを抜け坂を上りきると、滝原集落が現れた。

    

集落を過ぎると下り坂となり、高清水橋の手前まで下りが続いた。自転車にはありがたかった。 

国道の路側帯には、またも県外ナンバーの車が停車されていた。この付近にも「第三只見川橋梁」の撮影ポイントがある。

  

滝原スノーシェッド(141m)を抜け、高清水スノーシェッド(631m)に入った。


 

15:14、退避スペースに車と人影が見え、「第三只見川橋梁」の撮影ポイントに到着した。

 

2台の車はどちらも県外ナンバーで、男性2人が三脚を置き、「第三只見川橋梁」に向けてレンズを向けていた。

 

この先には5人の“撮る人”が居た。先の退避スペースにも車が2台。うち1台は、今日見た唯一の福島ナンバーだった。

  

私は、この集団から離れた場所で撮ることにした。

 

歩道に立ち、柱の間から「第三只見川橋梁」を眺めた。西陽を浴び輝いた紅葉の中にあった。橋梁は正面よりやや右に見えたが、悪くはないと思った。おそらく隣りの集団の位置からは正面に橋梁を捉えられるのだろう。

 

この撮影ポイントは、只見線の景観創出事業でスノーシェッド前の崖の草木が伐採された場所だ。

 

只見線の列車から見ると、この場所は不自然に“ハゲ”ている。“乗る人”を優先すれば伐採は行われるべきでなかったと私は思っている。

 

事業は、福島県会津若松建設事務所によって行われ、今後も他の橋梁の撮影ポイントで行われるという。*下図出処:福島県会津若松建設事務所「事務所概要(平成30年度)」p67

この撮影ポイントに、只見線乗車後に早戸駅(もしくは会津宮下駅)から徒歩で訪れるのは難しい。距離もあるが、トンネルは暗く歩道は整備されておらず、平日などは大型車の往来があり、気軽に歩くことはできないだろう。明らかに、この伐採事業は車で訪れる“撮る人”に向けたものだ。

税金を投入し行った事業が、沿線の経済や只見線の乗客増に効果を上げるには、車利用の“撮る人”に『奥会津で宿泊を!買い物を!』と訴えなければならない。ここ「第三只見川橋梁」などで撮られた写真はネット上に数多くあり、この事業後に撮られた写真による誘客効果は少ないと思われ、また車で移動する場合、日帰り移動で買い物はコンビニという“撮る人”は少なくないと思うからだ。

今日、私はここを訪れて、広範にわたり「第三橋梁」の視界が確保され伐採事業の効果を感じたが、同時にこの事業が“撮る人”の趣味の利益だけにとどまってしまうのではないかと危惧した。

この事業の発注者である福島県は、「只見線利活用計画」の司令塔でもある。限られた財源を振り向ける以上、只見線の利用者増や沿線経済効果に確実につなげるよう、福島県には動いてもらいたいと思う。

  

 

15:49、ほぼダイヤ通り、会津若松行きの列車が滝原トンネルを抜け「第三只見川橋梁」を渡った。西陽が強く、露出が心配だったが、何とか撮れた。このような状況だと、高機能のカメラが欲しくなるが、負担無く直ぐに撮ることができる、この122gのコンデジもすてがたいと思った。

 

列車の撮影は、ここで終了。列車が運行中止になった時はどうなることかと思ったが、予定の三箇所で列車と風景を撮る事ができた。

  

 

撮影の後は、コーヒーを飲み、夕食を摂ろうとカフェに向かった。

高清水第2スノーシェッド(280m)、名入スノーシェッド(355m)を抜け、国道脇の退避スペースから東北電力㈱宮下発電所を見下ろした。只見川上にある唯一のダム水路式発電所で、運転開始は最も古い1946(昭和21)年だ。

     

坂を下りきると、カフェ「ハシノハシ」がある。

 

が、なんと“CLOSED”だった。

日曜日も営業、ということで訪れたが、店のTwitterを見ると『宴席準備のため臨時休業』ということだった。これで、二度目の空振りとなってしまった。次、三度目には入ることができるか。

  

気を取り直し、次のカフェに向かう事にした。

「ハシノハシ」の先に行くと、店名の由来となった高清水橋がある(店が“橋の端の位置にある”という)。中路式ローゼ橋で曲弦鋼材が低く感じる、独特の構造だ。*参考:福島県道路整備課:道路整備のはなし「高清水橋

  

橋を渡り、交差点を左折し県道237号線に入り、町役場もある宮下地区の中心部に進んで行くと、まもなく「SampSon」に到着。夕食を摂りたいとやってきたが、引き戸を開け、厨房に居たスタッフに確認すると営業終了ということだった。

事前に只見川電源流域振興協議会のホームページ「歳時記の郷 奥会津」で確認したところ「営業時間11:00~18:00/定休日:木曜日」だったので、『あれっ』と思った。

 

その後、「SampSon」の先にある三島町観光交流館「からんころん」に行って、町内飲食店のパンプレットを見て、理由が分かった。

「SampSon」の日祝日の営業時間は15時までとなっていたのだ。最終確認をせずに訪れた自分が悪いのだが、今後観光客を増やしてゆくためには、特に店舗の営業日時の情報は、ネット・紙媒体問わず統一する必要がある、と思った。   

予定していた2軒に“ふられ”、空いた時間をどうしようと思った。この「からんころん」ではこの時期新そばを提供しているが、14時までとの事。 仕方なく、予定を前倒しして日帰り温泉に行くことにした。

 

県道を進み、県立宮下病院が面する町道に入り坂を下る。真っ赤な三島大橋で只見川を渡ると右手に目的地が見えた。

  

16:30、宮下温泉「ふるさと荘」に到着。旅館だが、浴場を日帰り温泉として開放している。受付で430円の入湯料を払い、浴室に向かった。

源泉かけ流しで、赤褐色の濁り湯は適温で、温泉の新鮮な香りを楽しみながら、ゆっくりと浸かった。

 【宮下温泉「ふるさと荘」温泉分析】 *脱衣室内の掲示板より
 ・源泉名:赤谷温泉(三島町大字名入字上赤谷2428)
 ・泉 質:塩化物泉(ナトリウムー塩化物・硫黄塩・炭酸水素塩泉)
 ・泉 温:55℃

この「ふるさと荘」は台湾の歌姫だったテレサ・テンさんが訪れた場所で、ロビーには写真などの資料が掲げられていた。列車には乗らなかったようだが、会津宮下駅にも訪れたという。この事実は、台湾からの観光客の増加に影響を与えているとも言われている。*記事出処:福島民報 2018年4月27日付け紙面より

   

温泉から上がると、すっかり陽が落ちていた。自転車にまたがり、会津宮下駅に向かった。

  

 

途中、19時まで空いているコンビニで夕食を調達し、会津宮下駅に到着。駅頭で自転車を折り畳み、輪行バッグに入れた。

  

構内に入ると、待合室のベンチ脇に“Youはどこから”ボードが置かれていた。台湾からの訪問者が圧倒的だった。テレサ・テンさんの訪問も影響しているのだろうか。

待合室で夕食を摂り、パンフレットなどを見ながら2時間ほど過ごした。

  

19:36、会津若松行きの最終列車が入線する。

後部車両に乗り込むと、まもなく列車は会津宮下を出発した。 


今朝の事故のせいか、ロングシートのみの2両編成の車両で、乗客は一人も居なかった。

  

列車は順調に進み、七折峠も難なく通り過ぎた。


 

20:58、定刻に会津若松に到着。すぐに連絡橋を渡り、3分後に出発する郡山行きに乗り換えた。

 


22:13、今回は鹿によるトラブルもなく、無事に郡山に到着。再び、自転車を組み立て、帰宅の途についた。

  

今日も天候に恵まれ、紅葉の最盛期となっていた三島町を中心に巡ることができ、充実した旅となった。 

只見線沿線に列車の撮影ポイントは数多いが、早戸駅は近くに好適地が点在し周辺に民家も少ないことから、一日中“観光鉄道「山の只見線」”の撮影を堪能できる場所だと思った。今回訪れた三ヵ所は、特徴があり、列車の通過時刻もちょうどよかった。温泉やカフェがあるのも大きいと感じた。

 

大きな問題は二次交通。

やはり自転車がベストだと思う。もちろん、軽量なロードバイクか電動アシスト付きMTBが良い。国道252号線の交通量を考えると、道路状況(歩道無し、路側帯狭隘、トンネル暗し)の改良が必要だ。例えば、道路の端に蛍光塗料で自転車走行帯を設けるなどはどうだろう。下り坂が多いことを考慮し、今回と同じ早戸駅から会津宮下駅方面に向けた上り車線だけでも試験的に行う。

但し、この施策は只見線全体で行うのが良いと思う。“只見線の二次交通は自転車”という共通認識を沿線自治体が共有し、住民や企業関係者が『只見線に載ってきた乗客が自転車に乗って道を走っているので注意しよう』という意識を持ってもらう事が必要だと思うからだ。沿線で住民が自転車に乗っている姿をほとんど見ることは無い。自動車と自転車の共存文化を作らない事には、観光客に自転車は勧められない。

地元の理解が進んだ後は、観光客に“只見線の二次交通は自転車”とアナウンスして、モニターツアーを何度か行い、問題点を収集してゆく。そして課題をクリアしたのち、自転車を必要数揃え本格導入すれば、軌道に乗るのではないだろうか。

このモニターツアーには、今回の早戸駅からのコースも含まれてくると思う。 

 

 

只見線沿線は観光資源にあふれているが、歩いてたどりつける場所はその一部で、観光客の多様な期待や嗜好に応えられる分量ではない。そのため、各自治体とも二次交通に悩まされているが、私は行動の自由度が高まる自転車に統一して、沿線で協業して取り組んだ方が良いと思う。

自転車は、いわゆる“ママチャリ”は避け、軽量なロードバイクか電動アシスト付きMTB、近郊ならば小径のお洒落なものを用意する。日常感たっぷりの“ママチャリ”は、非日常を求めてやってくる旅人には相応しくないと思うからだ。

これら自転車は“ママチャリ”より高額になり、調達コストも割高になる。だから、沿線自治体が窓口を一つにして共同購入すれば、費用も抑えられるだろう。また、デザインやカラーリングを共通にすれば、“観光鉄道「山の只見線」”の一体感が生まれ、観光客を次の沿線観光地へ誘うことにもつながるかもしれない。

  

私は、今後もできるだけ“只見線+自転車”の旅を行い、その可能性と問題点を考えてゆきたいと思う。

 

 

(了)

 

 

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*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」  

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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