“只見線百山”の検証登山。新潟県側の最初の山は、終点・小出駅頭に切り立つ「藤権現」(233.5m)を選び、JR只見線の列車に乗って魚沼市に向かった。
“只見線百山”は、“観光鉄道「山の只見線」”の魅力を高めるため、沿線でのアクティビティーを増やしたいと個人的に筆者が選定した山々。候補153座を挙げて、検証登山を通して“只見線百山”を確定したいと考えている。
新潟県側の“只見線百山”候補は25座で、「新潟百名山」を中心に、「八海山」以外は魚沼市内や魚沼市に境界を接する山を選んでいる。
「藤権現」は、只見線の終点・小出駅の目の前に切り立つ三等三角点峰で、直線距離で南西に350mにある。列車が小出駅に到着する直前、魚野川橋梁を渡る際、前方に「藤権現」は見える。*「藤権現」:三等三角点「杉山」、基準点コード:TR35538677601 *出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)
また、「藤権現」は小出駅を出ると眼前に切り立つ、斜面の頂となっている。
「藤権現」は、「日本山名事典」(三省堂)に次のように記載されている。ちなみに「藤権現山」は、同じ新潟県の佐渡市にあるという。
ふじごんげん 藤権現 (高)234m
新潟県魚沼市。上越線小出駅の南西側。山頂には富士浅間神社の石塔がたち、直下まで車道が通じる。「お藤」の悲恋物語がある。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p897 )
私選“只見線百山”では、「藤権現」と その南西に位置する「御嶽山」(305.7m)をセットにし候補として挙げている。今回、列車の時間に間に合えば、「藤権現」登頂後に「御嶽山」にも登りたいと山行を計画した。
今日の旅程は、以下の通り。
・会津若松駅から小出行きの始発列車の乗車
・小出駅から「藤権現」を目指す
・「藤権現」から「御嶽山」を目指す
・帰りは、只見線を使用せず、新津経由で、今日全線再運転再開した磐越西線の列車に乗る。
天気予報は晴れ。小出駅の駅頭から何度も見上げた「藤権現」からどんな景色が見られるのかを楽しみにして、魚沼市に向かった。
*参考:
・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線
・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線」
・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」
・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)- / -只見線の春-
今朝、宿を出て会津若松駅に向かった。
駅舎に入ると、自動改札の脇にあり受験生を勇気づけたであろう“ぽぽべぇ神社”は仕舞われ、代わりに、“祝 磐越西線 全線運転再開”と記された横断幕が掲げられていた。そして、改札正面の列車案内の電光掲示板の喜多方・新津方面には「普通 6:46 新津」と表示されていた。
磐越西線は、昨年8月3日から降り続いた“記録的大雨”(令和4年8月豪雨 *激甚災害指定)で12か所で被害を受け、喜多方~山都間の濁川橋梁では橋桁落下・橋脚傾斜などが発生し長期運休を余儀なくされた。*下掲載記事:福島民報 2022年8月5日付け 第一面
当該区間は赤字区間ということもあって、JR東日本は“即復旧”という意志表示をしなかったが、翌月末に「磐越西線 復旧の見通しについて」が報道発表され、翌日には地元紙に“来春復旧”との記事が掲載された。*下掲:東日本旅客鉄道㈱「磐越西線 復旧の見通しについて」(2022年9月29日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20220929_s02.pdf
*下掲載記事:福島民友新聞、福島民報 ともに2022年9月30日付け紙面より
そして、今日2023年4月1日、磐越西線は全線運転再開となった。今朝の地元紙では、一面の見出しに“磐越西線きょう全線再開”と記され、第二社会面(30面)に復旧工事が行われた濁川橋梁を走る試運転列車の写真とともに記事が掲載されていた。さらに20面は“本日4/1 水害乗り越え、地域をつなぐ (祝)JR磐越西線 全線運転再開”と銘打ち全面広告になっていた。*下掲記事:福島民報 2023年4月1日付け紙面
有人改札に入り、切符(青春18きっぷ)に検印してもらい只見線のホームに向かった。連絡橋から4-5番ホームを見下ろすと、すでに客が列を作っていた。
春休みの土曜日、しかも青春18きっぷの使用可能期間で列車は単行(1両編成)が予想され、希望する座席を確保するため早めに駅に来たが、遅かったようだ。
ホームに下りて車庫の方を見ると、只見線の始発と思われるキハ110形東北地域本社色の列車がライトを点け待機していた。やはり単行(1両編成)で、私の前には3人の客が並んでいたため、希望の席(進行方向左側の1×1BOX席)には座れないことを覚悟した。
5:41、始発列車(キハ110形東北地域本社色の単行)が入線し、席を確保したが、進行方向右側の2×2BOX席だった。
入線時、前後のドア前に10名ほどの客が並んでいて、発車時刻までに徐々に席が埋まっていった。
6:08、只見線の下り始発列車、小出行きが会津若松を出発。客は24名にまで増え、盛況だった。
列車は七日町、西若松の市街地の駅を経て、阿賀川(大川)を渡った。上流に聳える「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)の山塊は春霞に覆われていた。
列車は、会津高田を出ると“高田 大カーブ”で進路を西から真北に変えた。
根岸、新鶴を経て若宮手前で会津坂下町に入り、列車は会津坂下に停車。上りの始発列車(会津川口発)のキハE120形2両編成とすれ違いを行った。
会津坂下を出発すると、七折峠に向かって列車は登坂を始めた。単行のためか、ディーゼルエンジンの音は思ったより高くはならなかった。
登坂途上、木々の切れ間から会津平野(会津盆地)を見下ろした。雲は広がっていたが、天気予報通り晴れるのだろうと思った。
塔寺を経たのち、“七折登坂”を終えて会津坂本に停車。列車が出発すると貨車駅舎の「キハちゃん」は変わらぬ笑顔で見送ってくれた。おはよう! *参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日)
会津坂本出発直後に柳津町に入り、会津柳津を経て、列車は“Myビューポイント”を通過。青空の下、「飯谷山」(783m、同86座)の山容が良く見えた。
列車は郷戸に停車。駅舎を包み込むように咲く桜は、まだ固いつぼみだった。
会津桧原を出て、桧の原トンネルを潜り抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。車内放送による案内は無かったが、列車はスピードを落とし、“観光徐行”をしてくれたようだった。以後、8つの橋梁で“観光徐行”が行われた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・柳津ダムのダム湖
反対側の窓からカメラをズームにすると、上流側の「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上部Dポイントには、“撮る人”が一人いた。
会津西方を出ると、前方に、先日登った「高陣場」山(813m)と「洞厳山」(1,012.9m、“只見線百山”候補)の山塊が見えた。
その後、列車は「第二只見川橋梁」を渡った。上流側には「三坂山」(831.9m、同82座)が良く見えた。*只見川は柳津ダムのダム湖
列車は減速し、アーチ3橋(兄)弟の長男・大谷川橋梁を次男・宮下橋を見下ろしながら渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5
会津宮下に停車した列車は、上り列車とすれ違いを行った。ホームに降りた多く客がカメラを構える中、旧国鉄色のキハE120形の単行がやってきた。
只見川(宮下ダム湖)沿いを走った列車は、「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖
早戸を経て金山町に入り、会津水沼を出ると東北電力㈱上田発電所・ダムの下流直近に架かる「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖
その後、列車は国道252号線と並んで進んだ。線形改良工事(水沼工区)に合わせて電柱・電線が地中化されたようで、車内から開放感のある眺望が得られた。“観光鉄道「山の只見線」”を目指すには地中埋設を中心とする無電柱・無電線化が欠かせないと確信できる眺めだった。
列車は会津中川を出た後、大志集落の背部を進んだのち、只見川(上田ダム湖) に再び近づき、緩やかな右カーブを曲がった。振り返り、只見川に突き出る大志集落を包む山間の景色を眺めた。水鏡はまずまずの冴え具合で、良い眺めだった。
ちなみに、この大志集落の背後に聳える山塊の中心にある「岳山」(941.7m)は、“只見線百山”の候補に挙げている。
8:05、会津川口に到着。ここでは、小出始発の会津若松行1番列車(キハE120形2両編成)とすれ違いを行った。
会津川口を出ると、列車は11年2カ月ぶりの運転再開日(2022年10月1日)から半年が過ぎた復旧区間を進んだ。
西谷信号場跡の広い空間を過ぎ、2間の橋桁が架け替えられた「第五只見川橋梁」を渡った。
本名を出発すると、東北電力㈱本名発電所・ダムの直下に架かる“新”「第六只見川橋梁」を渡った。本名ダムも、宮下ダム同様1門のゲートが開放され、真っ白な激流が落水していた。
本名トンネルを潜り抜け、民宿「橋立」の裏を通過。振り返って、駐車場の端に立つ“こ こ が、只見線の真ん中だ!”看板を見た。
この付近が、只見線135.2kmの中間点で、周辺には民宿「橋立」の他、只見川の対岸(左岸)には、旅館「鶴亀荘」と「共同浴場 湯倉温泉」があり、“遷座三峰”の「御神楽岳」(1,386.5m、新潟百名山) ー「本名御神楽」(1,266m、会津百名山49座)の登山口に向かう「林道 本名室谷線(峰越林道)」が近い。単式ホームだけのシンプルなもので良いので、駅(会津橋立)が新設されて欲しいと個人的には思っている。
この後、列車は緩やかな坂を上り、会津越川手前で只見川を見下ろす区間を走行。只見川は本名ダム湖になっていて、両岸は岩盤がむき出しになっているため、景観整備(枝木打ち、電線・電柱地中化)をすればビューポイントになり得る場所になっている。
会津横田を出ると、“新”「第七只見川橋梁」を渡った。前方には、今月10日に登る予定の「似蕪山」(963.2m、“只見線百山”候補)の山頂付近が見えた。
会津塩沢を出ると、「第八只見川橋梁」を渡った。只見川(電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖)側の窓は、前後扉も含め全てに客がいたため、自席でシャッターを切ったが、なんとかそれらしい写真を撮る事ができた。
会津蒲生では、ホームの向かいにある雪原に、無数の雪塊が並んでいた。ここでは、これが何か分からなかった。
会津蒲生を出て、蒲生川橋梁を渡った。蒲生川には雪融け水が勢いよく流れ、水の色はエメラルドグリーンだった。早春の美しい眺めだった。
9:07、只見に到着し、復旧区間の走行を終えた。ホームから見える空には、雲一つ無かった。
停車時間が23分あるため、多くの客がホームに降り、駅舎に向かっていた。
私も降りて、駅頭に出た。駅の西側で開催された「只見ふるさとの雪まつり」会場に残っていた雪塊が、複数の重機で崩されていた。そのはるか後方には、荒々しい山肌の猿倉山(1,455m)と横山(1,416.7m)が見え、稜線の“寝観音”様も現れていた。
9:30、列車は新たな客を数名乗せて、只見を出発。客の中にはインバウンドと思われる2名の外国人の姿があり、新型コロナウィルスによる入国制限が緩和された事を実感した。
田子倉トンネル(3,712m)を抜けて、列車は「只見ユネスコエコパーク」内の短い明り区間を進んだ。余韻沢橋梁からは、電源開発㈱田子倉発電所・ダムのダム湖の中心部が見えた。
スノーシェッド内の田子倉駅跡を過ぎて只見沢橋梁を渡り、列車は会越国界(福島ー新潟県境)を貫く六十里越トンネル(6,359m)に突入。直前に見えた奥に屹立する「浅草岳」は、青空に浮かび上がり美しかった。
雪量は前回乗車時(先月3日)よりだいぶ減っていて、積雪期通行止めになっている国道252号線上は1mほどになっていた。
積雪期通行止め区間の魚沼市側の始点付近には重機が置かれ、今後除雪が行われるように思われた。
列車は減速し、末沢川が合流する破間川を眼下に「第五平石川橋梁」を渡った。*破間川(
あぶるまがわ)は、黒又川合流点まで、かつては平石川と呼ばれていた。
大白川に到着。ホームと並行して流れる破間川の水は、川床にならぶ石にぶつかり、無数の白い筋を作っていた。
只見駅から大白川駅間は、先月3日の会津若松発小出行最終から22日の小出発会津若松行の始発列車まで、気温上昇による落雪の可能性があるため運休していた。*下掲記事:福島民報 2023年3月2日付け紙面、同2023年3月19日付け紙面
約20日間の運休だったが、「鉄道開業150年記念ファイナル JR東日本パス」や「青春18きっぷ」などを使って只見線を乗り通す計画を立てていた旅行者にとっては、残念な運休となったとようだ。
「只見線利活用計画」を進める福島県は、管轄外の区間とはいえ、早春の会越国界(只見~大白川)の景色を多くの旅行者に見てもらえるよう、JR東日本や新潟県、国土交通省などと協力し運休期間をできるだけ短くできるようにして欲しい、と個人的には思っている。*参考:拙著「気温上昇→落雪恐れ→当面運休(只見~大白川) 2023年 冬」(2023年3月3日)
大白川を出た列車は、一の橋トンネルを抜け「第四平石川橋梁」を渡った。破間川のエメラルドグリーンの水面と、国道252号線柿ノ木スノーシェッドの赤が映え、早春の山間の景色は見ごたえがあった。
柿ノ木駅跡を通り過ぎ、入広瀬手前では、「守門岳」(1,537.3m、新潟百名山)の登山ルート(大池登山口)上にある「藤平山」(1,144m)の山塊が見えた。
上条手前では、重機(ユンボ)がバケットを雪原に入れて雪塊を作り、次から次に並べていた。只見町内でもみられたものだが、受光面を増やし雪融けを早める対策ではないかと思った。
越後須原付近では、「鳥屋ガ峰」(681.2m)の山塊の全景が見えた。低い山だが、存在感のあると感じた。
10:41、会津若松発の始発列車は、定刻に終点・小出に到着。新潟県側の駅で10名ほどが乗り込んだ満席状態の列車から、次々と客がホームに降りて連絡橋に向かっていった。
ホームから周囲を風景を眺めた後、私も連絡橋を渡り、駅舎を抜けて駅頭に立った。見上げると、これから登る「藤権現」の鋭角な山頂が見えた。標高は233.5mで、私が選んだ“只見線百山”の中では最も低いが、建物の密集地から切り立っていると、高さを感じ、存在感がある。
11:00、駅頭で準備をして、「藤権現」山頂を目指してトレッキングを開始した。
まずは、低い位置から小出地区を囲む山々を見ようと、魚野川に架かる県道371号(堀之内小出)線の小出橋に向かった。
南東には、“只見線百山”の候補に挙げている「笠倉山」(907m)の山塊、
そして、少し南に目向けると、「越後三山」(写真の左から「越後駒ヶ岳」(2,002.7m)、「中ノ岳」(2,085.1m)、「八海山」(1,778m))が、春霞の中ぼんやりと見えた。
小出橋から引き返し、小出スキー場に向かうと、5分ほどでゲレンデが見えてきた。
ゲレンデに到着すると、念のため、熊鈴を付ける事にした。そして、残雪面も見られることから、ストックも用意した。
ゲレンデ登坂を開始。前方に「藤権現」につづく稜線を見上げながら、まずはゲレンデを蛇行し延びる舗装面を進んだ。
少し進んで振り返ると、市街地を取り囲むような山々の様子が見え始めた。『この高度で、この眺望ならば、この先はもっと良いものが見られるのでは!』と思い、登坂を進めた。
残雪の表面は融けて緩かったが、スキー場ということで下層が固いため、ワカンが必要なほど靴は沈み込まなかった。
小出駅から20分ほどで、リフトの第3のりばを通過。
第3のりばから少し進んで南に開けた場所に立つと、「越後三山」が見えた。山容の構図が良く、すっきり晴れた日に見てみたいと思った。
登坂を再開。舗装道からゲレンデの直登に切り替えて進むと、前方に淡い紫の花群が見えた。カタクリの花か、と思い近づき良く見ると、キクザキイチゲだった。
舗装道は移動距離が長くゲレンデ直登にしたが、かなりの急坂で息をきらし、休み休み進んだ。
だが、直登は振り返る度に背後の景色が変わっていて、ゲレンデということで見晴らしが良く、良い眺めに元気をもらえた。
小出駅頭から35分でゲレンデ登坂を終え、北にある「藤権現」に続く尾根に乗った。舗装と未舗装の作業道と、木製蹴上の階段が上方に続く遊歩道があった。遊歩道を進むと、木々に囲まれたスペースにベンチが見えた。
11:38、「木陰の休憩所 見晴らし広場」に到着。
ベンチからは、魚沼市(小出地区)市街地を囲む、美しい山々が見えた。
「見晴らし広場」の先にも踏み跡が続き、遊歩道は尾根に作られたもののようだった。
遊歩道は、終始見晴らしが良く、歩いては立ち止まり、立ち止まっては歩くを繰り返した。
また、遊歩道は歩き易く、鐘が取り付けられた「見晴らし台」もあり、よく整備されていると感じた。
途中、北北東の破間川の谷底平野を眺めると、春霞の中、「守門岳」山塊の真っ白に冠雪した「大岳」(1,432.4m)が見えた。“東洋一の大雪庇”は、今年も多くの登山者を楽しませたのだろうかと思った。
階段を下って、ゲレンデから延びてきた作業道に合流すると、“ようこそ 藤権現へ”と記された案内が立っていた。
緩やかな階段を登って行くと、まもなく上方が開け、祠と鐘が見えた。
11:49、「藤権現」山頂に到着。小出駅頭から1時間未満だが、ゲレンデ登坂途中から景色を楽しめたので、中味の濃いトレッキングだった。
広場の縁から覗くと、直下に小出駅が見えた。
まずは、三角点に触れて登頂を祝った。
石標には、三等三角點の文字がはっきりと見えた。
「藤権現」山頂からの眺望。
富士浅間神社の祠越しに見える、小出駅方面の東に開けた180度近い眺望は、素晴らしかった。
正面奥には、福島ー新潟県境を作る「大鳥岳」(1,348m)などの山々と、電源開発㈱奥只見発電所・ダムの北西に聳える「未丈ヶ岳」(1,552.8m、新潟百名山)が、うっすらと見えた。
南南東には、「笠倉山」山塊や「越後三山」などの山々が、小出橋上からとは違った姿を見せていた。
北東の“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m))は、存在感があった。
標高230mほどの低山で、駅(小出)から1時間ほど歩いてこの眺望が得られるのは素晴らしく、「藤権現」は“只見線百山”に外せない山であるばかりか、“観光鉄道「山の只見線」”屈指のコンテンツだと思った。
11:55、「藤権現」山頂に15分ほど滞在し、次は「御嶽山」に向かった。時間的に厳しいが、行けるところまで行こうと思った。
林道上に下りて“駒見山見晴らし新道”と記された看板の裏を見ると、“2022・10・吉日 山好きの仲間”と焼き印されていた。
遊歩道には、この“山好きの仲間”の看板も立っていた。“山好きの仲間”は、この遊歩道を整備しているボランティア団体のようで、このような民間団体がこの遊歩道の素晴らしい環境を整備し、これからも内容を充実させようとしている事に感心した。
“観光鉄道「山の只見線」”を確立して列車内と沿線に集客してゆくためには、このような民間団体の活動も不可欠で、行政はそれら団体を生み育てる枠組み作りや継続的なサポートをして欲しいと思った。
遊歩道を歩き鞍部に着くと、右に延びる作業道(林道)を進む事にした。
作業道は、所々残雪があり、雪面がかなり緩かったのでワカンとストックを取り出して使用した。
小出スキー場のリフトが立つ「駒見山」(262m)を仰ぎ見ながら、引き続き雪に覆われた作業道を進んだ。
作業道は「駒見山」をトラバースするように延び、やがて沢沿いを南に向うようになった。残雪がなく無くなった区間では、ワカンを登山靴から取り外して歩いた。
右(西)に目を向けると、小高い山があり、その頂には案内板のような人工物があった。地理院地図を見ると四等三角点「大石新田」(275.37m)で、丸太階段もあることから、遊歩道が整備されているようだった。
沢の突端に着くと、作業道が分岐した。地理院地図を見て右に入り、残雪の沢の対岸の道を北に進んだ。まもなく、道は車が通行できないような幅になり、切通しの先に延びた。
切通しの先で、一部雪が融けて地面が見えたが、踏み跡がはっきりしていて、刈り払いもされているようなので遊歩道だと思った。
しばらく進むと、道は鋭角に曲がり、その先に舗装道(市道堀之内27号線)が見えた。
市道に入り、緩やかな坂を下ってゆくと、まもなく地名が入った案内板が見えた。月岡方面に進んだ。
この辺りの市道は除雪されないようで、自然融雪で路面が見えている場所と残雪がまだらに続いた。
市道堀之内27号線が終わり、直進し、市道堀之内26号線を進んだ。
黙々と歩き、ヘアピンカーブを2箇所抜け左カーブで市道が南東に進路を変えると、前方の低山の稜線からひょっこり飛び出た「八海山」が見えた。
また、左(北東)の雪原越しには、真っ白な「守門岳」山塊と、“権現堂山”山塊が見えた。良い眺めだった。
市道が西に向きを変えると大和澤橋が見え、その先の左側に白い杭標があった。
13:03、白い杭標の案内が両脇に立つ「御嶽山」六花園登山口に到着。「藤権現」山頂から4.2kmを、約1時間で歩いた。
登山道は除雪され、無数の足跡が見えた。また、月岡公園方面から2名の登山者がやってくるのが見え、「御嶽山」は人気の山であることを実感した。
国土地理院地図を見ると、登山口から「御嶽山」山頂までは900mで、標高差約150mだが、残雪の状況は不明で、往復に1時間30分~2時間。そして、登山口から小出駅まで県道を経由して約4kmということで1時間、とそれぞれ見積もった。列車の出発時刻は14時58分なので時間的に間に合わず、「御嶽山」登山は断念した。
13:08、「御嶽山」六花園登山口を後にして、小出駅に向かった。
大石地区に入り、県道418号(大石吉水)線に合流する手前にあった「地福山 天宗寺」(曹洞宗、魚沼三十三観音霊場 6番札所)の御地蔵様の背後には、キクザキイチゲの群生があり綺麗だった。
右折し県道に入りしばらく進むと、正面に“権現堂山”がドォ~ンと見えた。1,000mに満たない“双子山”ながら、街から堂々とした山塊が見られるのは福島県側とも共通するもので、“観光鉄道「山の只見線」”の可能性を改めて感じた。*参考:拙著「魚沼市「権現堂山」登山 2020年 盛夏」(2020年8月13日)
13:52、小出駅に到着。
駅頭に立ち、正面に聳える「藤権現」を見上げた。
「御嶽山」に登られなかったのは残念だったが、小出スキー場から尾根の遊歩道を歩き「藤権現」に達し、魚沼丘陵北端のなだらかな斜面を歩けたのは良かった。
「藤権現」山頂からの眺望は素晴らしかったが、この山単独で“只見線百山”とするのは物足りない思いもしたので、やはり「御嶽山」登山と組み合わせるのが良いと思った。
今回の「藤権現」から「御嶽山」登山口へのトレッキングを経験して、この二つの山に登るのであれば、小出駅を起点とする周回ルートではなく、小出駅から上越線に乗って一つ目の越後堀之内駅を起点とし、小出駅に至るルートが良いと思った。*参考:魚沼市観光協会「月岡御岳遊歩道」
【「御嶽山」・「藤権現」トレッキング 推奨ルート】
越後堀之内駅(上越線)~(2.5km)~「御嶽山」六花園登山口~[遊歩道]~「御嶽山」~[遊歩道]~(三等三角点「五箇」の東)~[遊歩道]~「駒見山」~[遊歩道]~「藤権現」~[遊歩道/舗装道]~小出駅
この推奨ルートは、「御嶽山」から「藤権現」に至る遊歩道の状態や眺望は不明だが、距離や起伏から只見線を利用したトレッキングとして程良いのではないかと思う。
今後、新緑か紅葉期にこの推奨ルートを歩き、「御嶽山」・「藤権現」トレッキングを検証したい。
小出駅到着後、日本酒を購入した。今回は、駅の目の前にある、地酒「緑川」の特約店・「富士屋」に立ち寄った。店に立っていた女将に聞くと、15年前にこの地に移転開業したという。「緑川」の他、南魚沼市の「八海山」「高千代」、長岡市の「久保田」などの銘酒が充実していた。
「富士屋」を後にして、小出駅に戻り、ホームのベンチで休憩をした。只見線のホームには、今朝私が乗ってきたキハ110形東北地域本社色の単行が、会津若松行きの最終列車となるため停車していて、その向こうには“権現堂山”が見えた。
ベンチでは、遅い昼食を摂った。まずは、ビールを呑んで「藤権現」トレッキングの終了を祝った。
14:58、上越線の列車(長岡行き)に乗って、小出を後にした。
長岡で新潟行きの列車に乗り換え、磐越西線が分岐する新津で下車。列車案内には“普通 17:37 会津若松”との表示があり、改札内の窓には、“4月1日磐越西線全線運転再開”との筆書が掲げられていた。
新津駅の構内外でしばらく時間をつぶし、ホームで待っていると5番線に列車が入線してきた。GV-E400系の3両編成だった。
行先表示には、会津若松の文字が表示され、磐越西線がつながったことを実感した。
17:37、磐越西線の下り会津若松行きが新津を出発。新潟市の近郊ということで、車内は混雑した。
車内では“会越の酒”を呑んだ。新潟県側は、「富士屋」で購入した「八海山 しぼりたて原酒 越後で候」。さわやかな香りながら、吞み口が濃厚芳醇だった。
つまみは、地元・亀田製菓の「サラダホープ」。新潟県限定販売の米製菓だ。
19:10、豊実を過ぎ徳沢手前で、列車は福島県に入った。県境を越える客は思いの外少なく、私の乗る先頭が3人、中間が3人、後部が5人だった。全線運転再開の“記念乗車”を計画した方は、明るい時間帯の列車に乗ったのだろうと思った。
福島の酒は、会津若松市の「花春 濃醇純米酒」を呑んだ。純米酒でありながら、吟醸酒のような濃厚さや香りを楽しめ、しっかりと冷やして呑みたいと思える酒だった。
20:11、列車は、終点の会津若松に到着。復旧工事がなされた濁川橋梁は暗闇の中で見えず、橋梁を渡る列車の音を聞くにとどまった。
この後は、郡山行きの列車に乗り換えて、帰宅した。
磐越西線の復旧は、只見線にとっても大きく、待ちに待ったものだった。
只見線全線運転再開の公表後、JR東日本が発表した「「佐渡島の金山」「みなとまち新潟」 佐渡市・新潟市 秋の観光キャンペーン」で、新潟駅を起・終点とする周遊旅行として、只見線全線を走行する「Shu*Kura」号と「海里」号が運行予定だった。
*上図出処:佐渡市・新潟市・東日本旅客鉄道株式会社新潟支社・(一社)佐渡観光交流機構・(公財)新潟観光コンベンション協会「「佐渡島の金山」「みなとまち新潟」 佐渡市・新潟市 秋の観光キャンペーン」(2022年7月28日) URL:https://www.jreast.co.jp/press/2022/niigata/20220728_ni02.pdf
結局、この“周遊列車”は磐越西線が“令和4年8月豪雨”により区間運休となったため運行されなかったが、只見線ー(会津若松)ー磐越西線を経由するルートに“観光力”があり、今後もツアーなどが企画される可能性があると私は思っている。
この企画はJR東日本の新潟支社によるものだが、福島県の大部分を管轄する東北本部も、会津若松や郡山を発着駅とする周遊列車を企画し、両線の観光力を周知し、乗客や沿線観光客の増加に貢献して欲しいと思う。
(了)
(追記)2023年4月2日(日)
磐越西線全線運転再開について。
今朝の地元紙・福島民報では一面と第一社会面で、この話題を取り上げていた。一面には、豪雨で被害を受けた濁川橋梁を渡る一番列車に横断幕を掲げ手を振って見送る地元の方の写真が掲載されていた。
磐越西線全線運転再開に要した復旧費用は約13億円と言われ、1/4の3億円余りが福島県を中心とする地元負担となっている。只見線のように“上下分離”や“維持管理費負担”という手法とはならなかったが、今後“磐越西線 活性化対策協議会”を設立し。乗客増などの利活用策を策定し実行するという。
磐越西線は、東日本大震災で緊急石油輸送の迂回路線として大きな役割を果たしたことは良く知られているが、東北第二の都市郡山市と100万都市で日本海側最大の新潟市を結ぶ“主要鉄路”だ。この路線の維持管理は国土形成、地政学的に重要であるため、国が前面に出て行うべきだと私は思っている。*参考:東京新聞「3.11 被災地に石油を輸送せよ 11年前 緊迫の挑戦 真貝康一・JR貨物社長に聞く」URL:https://www.tokyo-np.co.jp/article/164942
“赤字路線は全て、地元で利活用・存廃に責任を!”ではなく、まずは磐越西線のように国が中心となって関与すべき基幹路線と、地元管理が妥当な地域交通路線を区分し、鉄路の在り方を議論して欲しい。
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*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法
*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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