沿線冬景色 2018年 厳冬

例年より雪が多いと言われている福島県内。日本有数の豪雪地帯を走る沿線の景色を見てみたいと、JR只見線を利用し7市町の沿線を巡った。

 

今年の冬は、私の住む中通りの郡山市も雪の日が多かった。 

街が雪化粧をする度に、只見線は運行しているのだろうかと心配になっていた。沿線に民家が無く利用者が少ない豪雪地帯の只見(福島県)~大白川(新潟県)間は運休が多く、地元紙でそれを知らせる記事が社会面を賑わせていた。*以下記事出処:福島民報 2018年1月27日付け、2月13日付け、2月18日付け紙面(一部、筆者加工)

福島県側の会津若松~会津川口間も運転見合わせや大幅な遅延はあったものの、連日運休することはなかった。

  

 

私はこの多雪の時期にどれほどの雪が沿線にあるのかが気になり、また雪深い季節の沿線の景色を確認したいと、今回は運休区間(会津川口~只見)を含めた現場を訪れる事にした。

運休区間は、只見町や福島県会津若松建設事務所のライブカメラ映像などで道路状況を確認し、自転車でも走行可能と判断し、輪行した折り畳み自転車で巡った。*参考:「只見町 ライブカメラ」(保健福祉センター、河井継之助記念館、森林の分校ふざわ)

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬

 

 


 

 

昨日、夜勤を終えた後に会津若松市内入りし、夕暮れ時に街を巡った。平日の夕方という事もあってか、鶴ヶ城に観光客の姿はほとんどなかった。

私は静かな城内で、西陽に微かに照らされ白衣をまとった美しい城郭を、ゆったりと眺める事ができた。只見線の起点に、このような歴史と物語、そして景観美を持つ城がある事を改めて頼もしく思った。

  

若松のメインストリートである神明通りのアーケード工事は屋根の取り付け工事が終わり、工期も終盤のようだった。モダンな“三代目”が多くの方々が歩き集う空間になることを願っている。

  

夕食は中町にある居酒屋へ。蔵を改装した店で雰囲気が良く、料理も旨かった。地酒の量も豊富で、私は坂下の廣木酒造(泉川)、猪苗代の稲川酒造、若松の鶴乃江酒造の“三種呑みくらべ”を頂いた。

透明でありながら、香りも味も違う日本酒の奥深さを堪能し、“日本酒王国・福島”を牽引する会津地方の力に唸った。

 

 

今朝は、只見線の始発列車に乗るために、夜が明ける前に移動。会津若松の駅舎が、未明の空に浮かんで見えた。

  

自転車を折り畳み、輪行バッグに入れ駅舎に入り、昨日購入していた「小さな旅ホリデー・パス」を投入し自動改札を通る。4番線に向かうため連絡橋を渡ると、眼下には会津川口行きのキハ40形が、二両編成で静かにディーゼルエンジンを蒸かしていた。

 

列車に乗り込むと、座席は二両ともロングシートだった。初めての事に驚いた。今日は土曜日。高校生が多く利用する日でもないのにロングシートの車両を使うとは。

車両運用上必要な事かもしれないが、JR東日本には観光路線でもある只見線に対して配慮して欲しいと思った。今後、運休区間に公費を投入する福島県や沿線自治体はJR東日本と話合い、このような事態が回避されるようにして欲しい。

  

6:00、会津川口行きの始発列車は定刻に出発。

    

七日町西若松を経て、大川(阿賀川)を渡河し、列車は会津平野を駆け抜けてゆく。会津本郷を過ぎ会津美里町に入り、会津高田を出ると、手つかずの雪原が広がり始めた。

    

列車が北に進路を取ると、東側の空に曙色の層が見えてきた。

    

根岸手前、空は明るくなってくるが、霧雪の影響か、視界は悪かった。

   

新鶴を過ぎ、会津坂下町に入り若宮手前では幻想的な光景が車窓から見えた。

  

 

会津坂下では、会津若松行き列車とすれ違うために7分間停車した後に出発。列車はディーゼルエンジンの重い音をたてながら右に大きくカーブし、七折峠に入ってゆく。

   

登坂の途上、木々が途切れた場所で車窓から後方を見ると、朝日が顔を出していた。

   

塔寺を出て、4つのトンネルを抜け七折峠の登坂を終え、会津坂本を過ぎ柳津町に入る。会津柳津を出発して、新田踏切を越えスノーシェッドを抜けると“Myビューポイント”に差し掛かる。今日は前方の山が雪雲に覆われている。これから訪れる奥会津は雪模様かと思う。

  

郷戸を過ぎ、滝谷を出ると間もなく「滝谷川橋梁」を渡る。“只見川八橋梁”の“前座”を務めるが、開放的な橋上から眺める四季折々の渓谷美は別格の価値がある。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館歴史的鋼橋集覧


 

 

滝谷川を渡河すると三島町に入り、会津桧原を出て桧の原トンネルを抜け「第一只見川橋梁」を渡った。

  

次の会津西方で、停車中に向かいの車窓から外を見る。朝日が柔らかく樹氷を照らし、美しかった。

  

 

会津西方を出発した直後に「第二只見川橋梁」を渡った。

    

渡河後、列車は「三坂山」を見ながら除雪された“雪割り鉄路”を走る。中央右に見える真っ赤な橋は三島大橋(下路式ローゼ式)。

  

 

三島町の中心駅である会津宮下で会津若松行きとすれ違いを行った後、列車は東北電力㈱宮下発電所の宮下ダムを脇を走ってゆく。

  

そして、まもなく「第三只見川橋梁」を渡った。

    

 

只見川を渡河した直後に滝原トンネルに入り、抜けた直後の明かり区間、“撮り鉄”諸氏からは“早戸俯瞰”と呼ばれる場所を通過。早戸トンネルに入る直前に車両後部の窓から様子を見る。

  

早戸に到着。路盤と只見川の間にある木々が無ければ良い景色なのに...、と思わずにはいられなかった。

  

早戸を出て国道252号線に架かる三島大橋を潜ると、まもなく金山町に入る。左に緩やかにカーブする八連コンクリートアーチの細越拱橋(めがね橋)を渡る。開放的な景色が広がる。

 

  

会津水沼を出ると只見川を左手に見ながら進み、「第四只見川橋梁」で渡河した。下路式ワーレントラス橋であるため、鋼材の間から景色を見る事になる。


列車は只見川を右手に見下ろし、東北電力㈱上田発電所と上田ダムを遠くに眺めながらゆっくりと進んだ。

  

次の会津中川を出発して間もなく、また後部の窓から駅の様子を見る。アバランチシュート(雪崩路)を持つ低い山を背景に、ぽっかりと除雪された空間にプラットホームが佇む。風情があった。

  

列車が大志集落の脇を通り抜けると、終点を告げる車内放送が入った。前方に架かる上井草橋を見ながら鉄路は右に緩やかに大きく曲がってゆく。


 

   

8:08、列車は定刻に現在の終点である会津川口に到着。大半が除雪された島式1面のプラットホームに、20名に満たない乗客が降りた。

 

ここから先は、復旧が約束された不通区間(会津川口~只見、27.6km)。除雪はされているが、野尻川橋梁より先の鉄路には雪が積もっていた。

 

 

構内に入ると、売店の前に“Youはどこから?”ボードがあった。左上の「台湾」の欄はシールの数に驚いたが、右下の「オーストラリア」からの訪問者が意外と多く感心した。『雪は観光資源』であることがインバウンドの実態から実感した。

  

駅舎を抜け、駅頭につけられた代行バスに乗車する。運転手はいつもの女性だった。

8:20、私を含め3名の乗客を乗せ代行バスは会津川口を出発。代行バスは只見線とほぼ並んで走る国道252号線を、各“駅”に停車しながら進んだ。

 

  

  

 

  

9:10、只見(只見町)に到着。途中“駅”での乗降者は一人も居なかった。

  

駅の西側、旧只見中学校跡の空地には雪がうずたかく積まれていた。

先日11日に開催された「第46回 只見ふるさとの雪まつり」の名残りで、石垣を模した雪像の一部だ。

  

駅舎に入ると、まもなく小出からやってきた列車が到着した。その様子を見るためにホームに向かう。ホームに続く連絡道の脇には2mを越える雪の壁があった。

 

振り返り、すれ違った男性を見ると、その壁の高さを実感。

   

日本有数の豪雪地帯にある只見駅。鉄路と平行して除雪された雪の回廊は美しく、列車が入線し乗客の姿があると、機能美が強調されて絵になる。

この只見駅が、東京圏からの観光客とインバウンドを呼び込む『雪の観光資源』の核として、力を発揮する事を大いに期待したい。

  

 

ホームの端まで歩き、会津若松方面の不通区間を見る。200mほど先まで除雪はされているが、その先のレールは雪に埋もれていた。これから向かう事になる、この不通区間の積雪量や、沿線の風景が気になった。

 

  

小出側の側線には除雪車が待機していた。私は、この除雪車の動きも観光資源になると思う。

JR東日本の了解を得て車両にカメラを取り付けたり、ドローンで除雪車を追うなどして除雪風景をライブ中継するなどすれば、只見線沿線への興味を抱かせ、現地へ足を運んでもらう契機となるのではないだろうか。

  

  

  

ホームから駅舎を抜け、しばらく駅周辺を歩いた。地面にある氷の張り具合や雪の融け具合を確認する。ここ数日大雪な無く、気温も高いようで自転車でも走行も可能だろうと最終判断。駅頭で自転車を輪行バッグから取り出し、組み立てた。

 

9:36、会津川口駅に向かって出発。

 

 

よく除雪された国道252号線を進んだ。重機で丁寧に除雪されているために轍や凸凹が無く、車輪は滑ることなく快調に地面をつかんでいた。


 

 

9:46、堅盤橋から「叶津川橋梁」を眺める。只見線内最長(372m)で美しい曲線を描くこの鋼材とコンクリートの混成橋は、自然と一体化している。

 

雪が無いと、叶津川の清流が一層の趣きを与えてくれる。

  

 

国道252号線を跨ぐ「叶津川橋梁」。橋上には1m程の積雪があり、道路部分は雪が払われていた。

 

 

 

八木沢集落の雪の回廊を進む。

 

 

 

9:55、国道から脇道に入り会津蒲生に到着。2mを越える積雪に駅舎は埋もれていた。不通区間のこの積雪を見て、除雪や設備の管理など、列車の運行を維持する労力やコストの大きさを考えた。

 

この会津蒲生は、雪がなければ「只見四名山」である「蒲生岳」(828m)の登山拠点として活かせるロケーションである事が分かる。復旧までに手を加えて欲しい駅である。

 

国道252号線に戻り、先を進む。   

 

10:05、寄岩橋から只見線の「第八只見川橋梁」を眺める。今日は雪解け水の流入の影響か、“湖面”が大きく波打っていた。

“乗って、見て、撮って”、三方良しの只見線内第二位長さ(371m)を持つ不渡河橋だ。只見川は下流にある電源開発㈱滝発電所のダム湖となっていて、水鏡が楽しめる。*参考:水力ドットコム「電源開発 滝発電所」 URL: http://www.suiryoku.com/gallery/fukusima/taki/taki.html

  

10:07、「第八橋梁」からほど近い会津塩沢に到着。

 

駅周辺は除雪の雪溜めとなっていて、駅舎が隠れていた。雪が無ければ、田んぼの向こうに小さな駅舎とホームが見える。

 

“雪山”に登り、雪に埋もれた駅舎を見下ろす。なんだか、居たたまれなくなった。

 

駅名標が見え、ここが駅である事が分かるが、初めて訪れる方は驚くことだろうと思った。

   

  

会津塩沢から会津若松方面に直線で600mほどの位置に「河井継之助記念館」があるが、積雪の間は休業している(11月中旬~4月下旬)。河井継之助はこの付近にあった村医・矢沢宗益宅で亡くなり、その場所は滝発電所・ダムの建設で水深が増した只見川に水没している。

  

この記念館前からの眺望がすばらしい。

記念館の西側に旧記念館(現 山塩記念館)があり、その前が河井継之助を主人公とした小説「峠」を執筆した司馬遼太郎が“眺めた場所”となっているが、そこは電柱・電線が視界に入り突き抜けた開放感は得られない。

 

この場所からの眺望の方が私は好きだ。紅葉の時期も美しい。

 

私はここに会津塩沢駅を移転すべきだと思っている。記念館や河井継之助の墓(医王寺)へのアクセスもさることながら、この景観を見続けられるからだ。これならば、長い列車の待ち時間も苦にはならならず、観光客の滞在時間が延びると思う。

  

記念館の近くには只見線の塩沢川橋梁がある。

 

たっぷりと載った雪塊を間近に見る。橋梁の欄干はひしゃげているが、これだけ積もり、除雪されず荷重が掛かり続ければ納得がゆく。降雪地帯の設備の維持を含めたメンテナンスの大変さを痛感した。

    

 

移動を再開。 

長大な塩沢スノーシェッド(1,158m)を潜り抜け、只子沢橋を渡り、只見町から金山町に入る。

 

滝トンネル(751m)を含む滝バイパスを抜けると、雪が舞い始め、滝名子付近の坂を上っている最中に本降りになった。

  

10:34、会津大塩が見える大塩体育館に到着。ここから先の道路は除雪されておらず、かなり離れた場所から駅舎を見る事になった。

 

除雪の雪溜めに登り、駅舎に向けてカメラを構え、最大ズームにして撮る。駅名標が降雪に阻まれ、はっきりとは見えなかった。

この会津大塩から東に1kmほどのところに「第七只見川橋梁」があるが、町道が除雪されておらず橋が見える場所に行く事はできなかった。

  

 

気を取り直して、再び自転車を進める。降雪に辟易しながら、後方からやってくる自動車に注意しぺダルをこいだ。 

   

10:49、会津横田に到着。ここも除雪の雪溜めになっていた。

 

“雪山”に上り、駅舎を見る。他駅舎と同じように雪に埋もれていた。

 

雪が無ければ、引き込み線があるやや広い敷地を持つ駅舎が佇んでいる。

 

国道252号線に戻り、次駅に向かった。

 

 

11:03、国道から路地に入り会津越川にたどり着く。雪溜めまでは除雪されていたが、駅舎周辺は手つかずだった。

 

しかし、この駅は盛土の上に建てられているため、駅舎は半分以上露出していて、駅名標は全体が見えた。

 

再び国道に戻り、雪道を進む。次駅までは、只見線内で二番目に駅間が長い区間(6.4km)になる。

   

後ろからやってくる自動車に注意しながら、滑らぬよう自転車を垂直に保ち、必死に自転車を進めてゆく。橋立地区を過ぎ、本名スノーシェッドに入る。雪から解放され、ホッとした。

  

スノーシェッドを抜けると直角カーブになり、東北電力㈱本名発電所・ダムの天端に出る。ここから「第六只見川橋梁」を見る。「平成23年7月新潟・福島豪雨」(PDF)で流出した鉄橋跡付近では工事が行われていた。橋脚を作っているようにも見えたが、本格的な復旧工事が始まったとは聞いていない。何の工事かは分からなかった。

  

ダム天端を過ぎ、再び直角に曲がり、坂を下る。只見線の本名架道橋下で振り返り、「国道252号線 本名バイパス」工事現場を眺めた。先ほど通った本名スノーシェッドの老朽化と、本名ダム天端前後の直角カーブでの事故頻発等を理由にこのバイパスが計画され、来年度に供用されるという。

総事業費は只見線の復旧費用を上回る約110億円。国が55%、福島県が45%を負担するというが、道路と鉄道の公費負担の差に色々と考えさせられる。高齢化・過疎化が進む地に必要なのは道路か鉄道か、30年後50年後を見据えた施策を我々世代が本気で考えなければならない。*参考:福島県「本名バイパス 平成29年度事業別評価調書」(PDF)

  

 

11:29、国道から側道に入り、不通区間最後の本名に到着。予定より30分早く到着。本名地区の住宅地の中にあるため道路側の積雪量は少ないが、線路側には手つかずの雪が積み上がっていた。


会津川口方面を背に、駅を見る。列車が走る姿を想像すると、なかなか絵になると思った。

 

再び国道に戻り、自転車を進める。会津川口12時17分発の列車には間に合いそうだ。

  

坂の途上で「第五只見川橋梁」を眺めた。

   

 

11:44、会津川口に到着。なんとか無事に、時間内にたどり着く事ができた。

 

駅頭で自転車についた雪を取り除き、折り畳んだ後に輪行バッグに入れる。駅舎に入り、しばらく待合スペースの石油ストーブで暖を取りながら、列車に乗り込める時間まで待った。そして、駅員の合図を待って、改札口を抜けホームで待機していた2両編成のキハ40形に乗り込んだ。

  

12:17、20名ほどの乗客を乗せ、列車は定刻に出発。ゆっくり、ゆっくりと、順調に走っていった。

 

 

会津水沼を出て、しばらくすると不動沢トンネルの上にある社が見えた。

  

続いて、4つの短いトンネルとその前後を覆うスノーシェッドを抜けると、細越拱橋(めがね橋)を右に大きくカーブしながら渡る。眼下の国道252号線を見ると人影があった。二人の“撮り鉄”諸氏だ。

一人は、わずかな側道に三脚を立て、この列車にレンズを向けていた。

この八連コンクリートアーチ橋は只見線有数の撮影ポイントになっている。昨年末に「只見線復興推進会議検討会」が示した“九つの重点プロジェクト”で、奥会津景観整備として“撮り鉄”に配慮した事業が行われる予定になっている。ここでは『撮影場所を新設』するとあるので、この場所も候補に入れ、安全に撮影できるような空間を整備して欲しいと思う。

  

早戸を過ぎ、早戸・滝原の両トンネルを抜け「第三只見川橋梁」を渡った。

   

会津宮下を出発し会津西方手前で「第二只見川橋梁」を渡った。

往路とは逆の下流の景色は、只見川がすーっとのび『電線が無ければ』と思わずにはいられない美しい車窓からの眺めになっている。

  

会津桧原を出て、名入トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。

こちらも往路とは逆で、上流の景色を眺める。右岸が駒啼瀬の難所だが、車窓からの景色はその険しさを感じさせない眺望だった。

  

“八橋梁区間”を終え、列車は三島町から柳津町を過ぎ、会津坂下町に入り七折峠を下った後に会津平野を快調に進み会津美里町を抜けてゆく。車内は徐々に乗客が増え、賑やかになった。

  

 

 

14:25、終点の会津若松に無事に到着。事前の予定では、早戸駅で途中下車して温泉に入ろうとしていたが、自転車の雪中走行は思いのほか体力を使い、少しでも早く帰宅することに変更した。

   

15:05、駅構内の立ち食い蕎麦屋で遅い昼食を摂った後、郡山駅行きの電車に乗車し会津若松を後にした。 

 

16:19、郡山に到着。小雨がぱらついた後で地面が濡れていたが青空が広がっていた。

  

今回の旅では、只見線沿線の雪景色を堪能することができた。

 

運休区間では雪に埋もれた駅舎やレール等を見て、復旧後に必要な除雪などの保全・メンテナンスコストの大きさを実感したと同時に、この雪の観光資源としての価値を改めて思い知った。

田畑や山、木々に降り積もった雪が広い範囲で手つかずの状態で車窓から見る事ができる只見線は、多くの観光客の目を楽しませ癒してくれるだろう。

そして、只見川の各ダム湖に現れた水鏡が創り出す、その時々で様相を変える景観に息をのみ、自然の素晴らしさと奥ゆかしさを感じ、只見線の旅のリピーターとなってくれるのではないだろうか。

 

雪は地元の方々にとって、命を奪う可能性があり、生活の質を下げてしまう害以外の何物でもないかもしれない。しかし、雪の事を深く知っているのも地元の方々だ。

只見線沿線の雪を観光資源とする場合、沿線の方々の協力が欠かせない。雪が美しく見える瞬間や場所の情報、スノートレッキングやクロスカントリー、スノーモービルなど雪を利用するアクティビティのガイドやインストラクトなどが地元の方々からもたらされることで、観光の質は上がり、誘客につながると私は思う。

 

復旧まで約3年。「上下分離」で只見線の復旧区間(会津川口~只見、27.6km)を所有し、運行に公費を搬出する福島県と会津地方17市町村は、沿線の雪の価値を研究し観光資源として活かす施策を練り、まずは東京圏の住人と非雪地帯のインバウンドが只見線に乗車し、沿線で雪に触れながら長く滞在するようにして欲しい。

 

只見線沿線一体を覆う雪には“観光力”がある。今回の旅で、私はその思いを一層強くした。

 

 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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