乗り初め(全線乗車 小出⇒会津若松) 2018年 年始

2018年、JR只見線の乗り初(そ)めは、小出から会津若松まで全線乗車する事にした。


昨日、夜勤明けの後に仮眠をとり、郡山駅に向かった。

14:53、磐越西線の列車が出発し、その後、会津若松と新津で乗換え、20:17に只見線に所縁のある新潟県長岡市に入る。

2008(平成20)年4月9日以来、約10年ぶり二度目の訪問だ。

 

駅構内の通路には大きな横断幕が掲げられていた。

今年は「戊辰役150年」だが、「長岡開府400年」でもあるようだ。

駅前のアーケードには「長岡開府400年」を知らせる小さなフラッグが掲げられていた。

 

駅西口周辺を散策し、何処で食事をするか店を探す。

新天街のアーケードでいい感じの居酒屋を見つける。その名も「長岡藩」。

暖簾をくぐり、引き戸を開けて、カウンター席に座る。店内には4人の先客。

女将と料理人の男性の二人で切り盛りしている店だった。

 

生ビールから入り、名物「栃尾の厚揚げ」などを肴に地酒「朝日山」と「米百俵」をぬる燗でいただいた。

全ての料理がおいしく、地酒との相性も良く、杯は進み4合も呑んでしまった。

大根おろしの粗さと自家製おしんこの柚子の香りは特に印象に残り、素晴らしい時間を過ごさせてもらった。

旅先で駅前をふらつき、気に行った店に入り、それが当たる。鉄道旅の楽しみの一つ。

今年は幸先が良いと思った。

  

 


今朝は早く起きて、まずは「河井継之助邸趾」を訪れる。

10年前は「河井継之助記念館」に入り資料を見学した。当時、読了した司馬遼太郎の「峠」の背景を知る事となり、河井継之助への愛着が増した事を覚えている。

 

河井継之助は長岡藩家老で、戊辰役北越戦争で新政府軍相手に健闘するが負傷し、会津藩領の塩沢村(現只見町塩沢地区)の村医宅で亡くなった。この村医宅の一部を移築し展示している「河井継之助記念館」が只見線の会津塩沢駅の近くにある。

河井継之助の墓は、ここ長岡市の英凉寺と只見町塩沢地区の医王寺の二箇所、そして鶴ヶ城を眺める会津若松市の建福寺には「一時埋葬地」として碑が建っている。

 

河井継之助の生家から南へ500mほど進むと、彼が守った長岡城趾がある。牧野氏7万4千石の居城だった。

戊辰役北越戦争で焼失し、現在は長岡市庁舎になっている。

河井継之助は新政府軍に奪われた長岡城を有名な「八丁沖渡沼奇襲」で奪還するが、その戦闘中に左膝に銃撃を受け重傷を負う。指揮官が負傷してしまった長岡藩軍は4日後に再び新政府軍の手に落ち、河井継之助は担架で運ばれ「八十里越」経由で会津若松城を目指していった。

只見線は「六十里越」経由だが、河井継之助終焉の地である只見町塩沢地区を通っている。

 


6:33、長岡駅に入り、上越線の上り列車に乗車し出発する。

 

7:09、小出に到着。只見線の終点で、新潟県側の端の駅だ。

 

列車は4番線に停車していた。連絡橋を渡りホームに向かう。

車両は只見線縁結びラッピング車とJR東日本新潟支社色(青)のキハ48系二両編成。

ラッピング車は『小出「 こい(恋)で 」 と会津 「 あい(愛)づ 」』をかけ、沿線の結びつきを強め活性して欲しいとの願いがあるという。

イラストは県境にそびえる浅草岳や長岡の花火、只見の自然と縁結びの「三石神社」などが一筆書きで描かれており、軍事総督・河井継之助の姿のある。

 

7:58、只見行きの列車は定刻に出発。私の乗る先頭車両は他2名の乗客だった。

 

私は『只見線の列車が新幹線駅である浦佐まで直通運転できるうよう上越線接続の改良工事をすべき』だと思っているが、実は長岡方面の上越線とはつながっている。

小出駅でスイッチバックすることになるが、長岡からの臨時の直通列車も運行されている。

長岡までは33.4km、35分程度かかる。

東京圏からの旅行客は引き返して、スイッチバックして只見線に乗車することになる。

浦佐方面の工事をするとなれば巨費が必要になる。まずは、長岡からの直通列車を定期運行にして実績を積んでからが良いのだろうか。

 

 

列車は魚野川を渡り、雪原の中を進む。青空も少し見えた。

藪神を過ぎて、反対側の車窓から前方を眺む。

空は明るく、天気はもつだろうと思う。

 

越後広瀬魚沼田中を過ぎ、大倉沢橋梁を走る。

破間川は藪神ダム湖となり、表面には薄い氷が見られた。

 

列車は越後須原を過ぎ、上条に入って行く。

 

上条を出た後は、列車は右に大きく半円を描くようにカーブし、南南東に進路を取る。

 

入広瀬を過ぎると、積雪は1mを越えていた。

進路が東に変わり、破間川と国道252号線と交差しながら進んでゆく。

柿ノ木スノーシェッドの赤が、雪の中で映えていた。

 

8:44、大白川に到着。新潟県側の最後の駅だ。

次駅・只見までは20.8kmもある。

この駅間は在来線で全国7位、本州に限れば山田線(岩手県)上米内~区界間の25.7kmに次ぐ第2位となる。ちなみに在来線の全国1位は石北本線(北海道)の上川~白滝間の37.3kmとなっている。

 

只見線は大白川の先から破間川と別れ、末沢川沿いを走る事になる。

 

山肌との距離が近づき、沿線の雪は一層深くなる。

 

只見線とほぼ平行して走る国道252号線は茂尻橋には2mほどの積雪があった。


国内屈指の積雪量を記録する「六十里越」の付近、民家の無い魚沼市大白川地区末沢(大白川駅東)~只見町石伏地区(田子倉ダム下)間の国道252号線が冬期閉鎖され除雪されないためだ。

 

雪曇りの空に朧げな陽の光が差し、眼下の渓谷を幻想的に照らしていた。美しい。

大白川から県境にある「六十里越トンネル」に入るまで民家が無く『なぜここに鉄道が敷かれたのか?』と思わずにはいられないが、時代が進んだ現在は観光路線として只見線は大きな価値を持つ事になったと私は思っている。

東京圏から2時間程度でこの景色を見る事ができる。特に雪を見た事の無い方々にとっては、ディーゼル音を聞きながらコトコトと揺られ眺めるこの光景は感動ものだろう。

 

線路脇の雪が迫り、新潟県の景色はいよいよ最後となる。

 

8:54、列車は只見線最大の難所で、最後に工事を終えた(1970(昭和45)年9月)「六十里越トンネル」(6,359m)に入って行く。

 

トンネル内でも登坂が続き、新潟県から福島県に入る。車内から判別できる目印は無い。

後半すこし下り、約9分かけてトンネルを駆け抜けた。

 

   

トンネルを出て、直後に只見沢を渡る。その直後に国道252号線沿いにある、雪に埋もれた無料休憩所を見る。

列車は国道下の短いトンネルを潜り、スノーシェッドに入り田子倉駅跡(2013(平成25)年3月16日廃止)を通過する。 

この駅は国道252号線沿いにあるが、この時期は道路は閉ざされ、2mを越える積雪が駅舎を取り囲んでいる。

この稀有なロケーションを活かさない手はないと思う。

登山シーズンでは浅草岳の入口となり、目の前には田子倉ダム湖が広がり、カヌーやカヤックなどの発着点ともなり得る。

只見線の集客に田子倉駅の復活は欠かせないと私は思っている。

観光地として定着するまで5年程度の時間とお金をかけて、民ーJR-官の三者が協力して田子倉駅をネイチャーアクティビティの拠点として復活させて欲しい。

 

スノーシェッドを出ると余韻沢橋梁を渡り、田子倉ダム湖を見通せる貴重な明かり区間を進み、直後に田子倉トンネル(3,712m)に入る。

その後、赤沢トンネル、3つのスノーシェッド、2つの短いトンネルを潜り抜けると一気に開け、只見の町の中心部が現れる。

9:15、定刻に終着の只見に到着。周囲は1mほどの雪に覆われていた。

ここから先は不通区間。除雪車が折り返した先は手つかずで、県立只見高校に向かって綺麗な雪原となっていた。

 

小出からの乗客は10名にも届かなかったが、駅舎からホームに向かう多くの人の姿があった。

私が乗ってきた列車は、折り返し小出行となる(9:30発)。

観光客と思われる方々が、列車を背景に写真を撮ったり、にこやかに会話を楽しみながら二両編成の車両に乗り込んでいった。

三連休の最終日、積もり始めた只見町が魅力を高める時期にこれほどの観光客の姿を見られた事に嬉しくなった。集客に知恵を絞っている関係者の尽力に頭が下がる思いだった。

 

ホームの喧騒を背に、駅舎に向かう。

まだ少ないとは思うが、見ごたえある雪のゲートと冠だった。

 

石油ストーブで温められた待合所を抜け、駅舎を表から見る。

駅前駐車場は、完璧に除雪され、アスファルト面が見えていた。

 

駅周辺を歩き、駅舎の小出寄りにある宮前踏切に行ってみる。

前方に見える瀧神社まで踏み固められた“通路”ができていた。

初詣は地元の神社で済ませていたが、只見線の活況を願いお参りする事にした。

 

宮道踏切を渡る際に、出発間近の列車を正面から撮る。

9:30、小出行きの列車が出発。JR職員2名の他、駅舎からは只見町観光まちづくり協会のスタッフ4名がはっぴを着て現れた。そして、スタッフ達は列車に向かって手を振り見送っていた。

小出行きの全3便に対して行われている“儀式”。地元の温かさ感じる。観光客の多くがこの光景を忘れず、再び只見の地を踏んでくれるだろう。

 

瀧神社に進む。

二つの鳥居に頭を付けぬよう本殿に進み、お詣りをした。

 

その後、只見スキー場の様子を見るため、来た道を引き返す。

雪が無ければここから農道を通ってゆく事ができるが、除雪されていないため迂回することになる。

 

国道252号線に出で魚沼方面に向けて歩く。市役所側の歩道までも除雪されて、歩き易かった。

 

15分程で只見スキー場に到着。

駐車場は満車で、ゲレンデには多くの人影があった。

只見線を利用し、このスキー場を訪れる人は少ないかもしれないが、只見線にとっては有数のコンテンツだと思う。

次の列車までの2時間程度、雪遊びができる仕掛けをすればコト消費を促せる。

レストランもあるので集客を見込めると、私は思っている。

 

只見スキー場を後にして、只見ダムに向けて再び歩き出す。

 

市街地を過ぎると、国道上から消雪パイプが無くなり、ゆるく圧雪、かるく凍結していた。

私は車道を足元と車に注意しながら緩やかな坂を上ってゆく。

 

只見スキー場を出発してから約20分で只見ダムに到着。

ダム湖は美しい水鏡となり、周囲の山々をくっきりと映し出していた。

遠方には田子倉ダムの巨大な躯体が見え、その上方には“寝観音”こと猿倉山(1,455m)と横山(1,416m)が雪曇りの空に稜線を現わしていた。

この只見ダムから田子倉ダムを見通す景色は、国内唯一のものだと思う。

国内第三位の巨大ダムと、直下に広がる逆調整池としてのダム湖の組み合わせは国内には無いだろう。

この静寂に包まれた冬の景色も素晴らしいが、この場所は新緑や盛夏、そして紅葉の時期と四季折々に壮大な自然美を見せてくれる。

残念ながら近くにあるレストランを併設した売店は冬期休業で、コーヒーなどを飲み景色を愛でながら時間を過ごす事はできない。

この景観を年間を通して楽しめる場所を創る事は、只見線にとって重要だと私は思っていたが、冬のこの景色を見て、その思いをさらに強くした。

 

只見スキー場と只見ダム、二箇所の見学の予定を終え、湯に浸かってから会津若松に向かおうと思い、町営「ひとっぷろ まち湯」を目指して、国道を引き返した。

 

約30分後に到着。しかし、浴室のオープンは12:30。現在は10:45。しばし唖然とした。

9時には開いているだろうと勝手に思い、営業時間を調べていなかった。

 

玄関前で私に開始時間を告げたスタッフが、屋根の雪下ろしをしている姿をしばらく眺め、「まち湯」を後にした。


気を取り直して駅に向かい、不通区間をつなぐ代行バスを待つ。

 

11:25、いつもの女性ドライバーの運転する新しい車両に乗り込み、定刻に出発する。


代行バスは国道252号線を進む。

叶津川橋梁の下を通り、長岡藩家老・河井継之助の一行が会津への逃避行の際に立ち寄ったであろう叶津番所の脇を通り過ぎる。

 

堅盤橋から叶津川を望む。

河井継之助は戸板で作った担架で長岡から栃尾を経て、「八十里越」を通り叶津に到着し、五十嵐清吉宅で傷の手当てを受けたという。

険所「八十里越」で河井継之助は有名な句を詠んでいる。

 『八十里 腰抜け武士の 越す峠』

 

叶津到着が旧暦8月5日(新暦9月19日)だから景色が違うが、山の稜線は同じだろう。

河井継之助は会津藩領に入り、うっすらと色づき始めたであろうこの山々に何を思ったのであろうか。 

 

代行バスは“会津蒲生”で一人を乗せ、国道を進む。

 

蒲生橋で只見川を渡り、寄岩橋で再び渡河し、只見線の「第八只見川橋梁」の全体を見る。

橋上は沿線屈指の撮影ポイントとなっていて、“只見線ー蒲生岳ー只見川”の三点セットが綺麗に見えた。

 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧

 

この「第八橋梁」は不渡河橋で、只見線を部分運休に追い込んだ「平成23年7月新潟・福島豪雨」で分断されることなかったが「橋桁冠水、流木堆積、橋脚洗掘. ・盛土崩壊、路盤沈下、土留壁変状. ・土砂流入、土砂堆積等」(JR東日本 2013年5月22日(PDF))の被害が出ている。

長大橋梁のため復旧費用も"被害4橋"の中で最大となっている。

 

 

次駅・“会津塩沢”は塩沢簡易郵便局前となっている。河井継之助記念館の最寄りだ。

記念館は600m程先の、国道252号線の脇、小高い場所にある。

内部には河井継之助が息を引き取った塩沢村医・矢沢宗益邸の一部が移築され展示されている。

管理の問題からか冬期は休業していて、4月下旬に再オープンだという。

除雪や暖房費などのコストが掛かるだろうが、通年集客の可能性を探り、会津塩沢駅の記念館前への移築と合わせ冬期の営業を検討してもらいたい。

 

国道を更に進み振り返ると旧塩沢村の全体が見える。

只見川は電源開発㈱滝ダム・発電所の建設で滝ダム湖となり、村の一部は沈んだ。矢沢邸もその中にあった。

長岡藩の家老まで勤め、長岡藩(牧野家)の存続を願い奔走した河井継之助はここで没した。武家に生まれ、参勤先の江戸と長岡以外で生涯を終えるなど思いもしなかったであろう。

私はこの景色を見るたび、河井継之助に思いを馳せ、武士・家老・軍総督としての彼の決断と行動に感服している。

 

代行バスは只子沢を渡り金山町に入り、"会津大塩"で一人の乗客を降ろした。

 

私一人を乗せたバスは、国道の二本木橋を渡る。

上流に目を凝らすと、流出した只見線の「第七只見川橋梁」が見えた。

奥は被害を免れた町道の四季彩橋。中路式ローゼ橋のため橋桁に只見川の激流が当たらず橋の機能は保たれた。

只見線の復旧工事では「第七橋梁」も上路式から下路式に変更されるようだ。見晴らしの良さは失われるが、豪雨対策上必要でやむを得ない。

 

代行バスは順調に進む。

“会津横田”“会津越川”、湯倉入口*と過ぎ、本名スノーシェッドを潜り抜け直角にカーブし、東北電力㈱本名発電所・ダムの天端を通る。

  *湯倉入口は駅ではない。代行バスが停まる停留所。

下流には流出した「第六只見川橋梁」と只見川護岸工事の様子が見えた。

天端を過ぎると、国道は再び直角にカーブし、下ってゆく。

途中、国道252号線本名バイパスの本名トンネル(1,429m)工事現場が見えた。

老朽化した本名スノーシェッドとダム天端前後の直角カーブを回避するため作られている。

供用開始は来年度(2018(平成30)年度)中だという。

 

"本名"を過ぎ、川口への登坂途上で只見線の「第五只見川橋梁」が見えた。

会津若松側の一部橋桁が流失している。

下流の東北電力㈱上田発電所・ダムの貯水量で景観が左右されるが、今日は川幅一杯に水が張り、水鏡も現れていた。

 

12:15、代行バスの終着・会津川口に到着。

 

代行バスを降り、駅舎に入る。

 

売店の前には『Youはどこから?』ボードがあった。

前回(昨年12月30日)から増えていたが、北欧ノルウェー(Norway)から1月3日やってきた女性が居る事に驚いた。

北極圏、白夜の下で暮らす彼女は、只見線沿線の雪景色をどのように思った事だろう。

 

引き戸を開け、列車が待つホームに向かう。静かにディーゼル音を響かせていた。

 

ホームから只見方面を見る。除雪車が通った跡があるが野尻川橋梁から先は鉄路が埋まっていた。

 

12:32、ディーゼルエンジンを蒸かした会津若松行きのキハ40系二両編成が動き出す。

 

列車は只見川(上田ダム湖)の直側を走る。前方に大志集落が見える。

只見川に差された赤く小さな旗は浚渫場所を示すもの。

「新潟・福島豪雨」で問題となったダムの浚渫土砂の撤去は只見線にとって重要な事業でもある。

 

会津中川でカメラを抱えた複数の客が乗車する。

 

会津水沼手前で「第四只見川橋梁」を渡る。

下路式(曲弦ワーレントラス橋)のため、鋼材が邪魔をして見晴らしは良くない。

復旧の際、「第六」と「第七」は同じような下路式に変更となる。

 

会津水沼を過ぎ右に緩やかにカーブしている細越拱橋(めがね橋)を渡る。

このコンクリート8連橋からの眺めは解放的で、上り下りとも車窓からの風景は私は良いと思っている。

 

三島町に入り、早戸に到着。

東北電力㈱宮下発電所の調整池である宮下ダムの影響で只見川は大河を思わせるゆったりとした流れとなり、特異な山間の景色を作っている。

早戸を出て、早戸・滝原の両トンネルを抜け「第三只見川橋梁」を渡る。

雪の量が少なく、木々の綿帽子も消え、只見川の水鏡も現れていない為、物足りさを感じたものの、この瞬間一点ものの景観と思うと見入ってしまう。

 

列車はまもなく宮下ダムの直側を通る。

会津宮下を出てしばらくすると「第二只見川橋梁」を渡る。

会津西方を過ぎ、名入トンネルを抜けた直後に「第一只見川橋梁」を渡る。

7kmほど下流にある東北電力㈱柳津発電所・ダムで只見川はダム湖となっている。

三島町の町木となっている桐の花色(薄紫)と同じアーチを持つこの橋は只見線の象徴であり、多くのメディアに取り上げられているが、車中から見る景色も良い。

北(上流)は日向倉山(605m)を向こうに雄大な光景が広がり、南は駒啼瀬の険しい渓谷が見られる。どちらも甲乙付け難い、只見線を代表する車窓の風景と言える。

 *参考:三島町観光協会「名物」

 

只見線と川(破間川、末沢川、只見川)との付き合いはここで終わりとなる。

 

列車は会津桧原滝原郷戸で乗降客が居ないなか停発車を繰り返す。

 

会津柳津で乗客があり、車内は少し賑わった。

 

会津坂本を過ぎると、左の車窓から大日岳(2,128m、新潟県)を最高峰とする飯豊連峰が見えた。

満開の桜越しに冠雪した山々が見える春の景色が、私は好きだ。

 

列車は七折峠に入り、下る。

塔寺からしばらくすると左の車窓から会津盆地を途切れ途切れに見下ろす事になり、杉第二踏切を過ぎたあたりで、七折峠を下りきる。

雪原となった田んぼの先、住宅地の向こうに磐梯山が見え始めた。

 

会津坂下で会津川口以降で最も多い乗降客があり、下り列車とすれ違ってから発車する。

 

列車は、若宮新鶴根岸と真っさらな積雪の中を進む。

前方の峰をよく見ると、風車が回っていた。背炙山(836m)尾根部にある風力発電所「会津若松ウィンドファーム」だ。

 

会津高田を過ぎると、磐梯山がはっきり見えてきた。

 

列車は会津本郷を過ぎ、阿賀川(大川、新潟県に入ると阿賀野川と名前が変わる)を渡河し、西若松で会津鉄道(旧国鉄会津線)に合流し、住宅街を抜け七日町を過ぎ終点に向かってゆく。


14:23、会津若松に到着。只見線の起点となる駅だ。

小出を出発して6時間21分も掛かった。

只見での2時間10分の待ち時間を差し引くと4時間11分となる。鉄路の距離が135.2kmだから、単純計算で列車は時速32.3km/hでのんびり走った事になる(代行バスは考慮しない)。

部分運休前は小出5:30発、会津若松着10:13という始発のダイヤ設定で、4時間43分の所要時間だった(最短は4時間1分)。

 

只見線の全線再開(復旧)に向けてはダイヤの検討が必要になる。

3本だった小出~会津若松間の列車を5本にして、うち増設した2本は観光列車を走らせる事を私は望む。

これは夢だが、沿線の観光資源の豊富さを考えれば実現不可能ではない。

観光路線として、沿線自治体が一体化し、需要創造・喚起し乗客を増やし、直通列車5本を実現させて欲しいと思う。

 

連絡橋上から、乗ってきたキハ40系と磐梯山を望む。

屋根やレール脇の雪は少なく、沿線との気候の差を感じた。

 

改札を抜け、駅舎を出て、赤瓦屋根を見る。

鶴ヶ城の赤瓦に倣った駅舎の屋根と白虎隊の像、そして『ならぬことは ならぬものです』と結ばれた「あいづっこ宣言」の看板を見ると、会津若松の武家文化の厚みを感じる。

只見線がこの文化の力を拝借できるのは心強いと思っている。

 

再び改札を通り、ホームで郡山行きの列車を待つ。

 

向かい側のホームに続く通路の壁には「四季島」のポスターが貼ってあった。

JR東日本のクルーズトレイン「TRAIN SUITE四季島」が冬に会津若松を訪れる事は無いが、春~秋1泊2日コースには市内観光が組み込まれている。

会津若松は県内唯一の滞在地であるため、ポスターが多く張られ更新もされている。

只見線はこの「四季島」の力を利用できる環境にもあると、改めて思った。

 

15:05、会津若松を出発。

三連休の最終日、郡山から新幹線を乗り継ぎ首都圏に帰る方が多い時間帯にもかかわらず、平日と同じ二両編成のワンマンカーだった。

乗車率は100%を越え、磐梯町、猪苗代では多くのスキー客を乗せ、車内は埼京線も思わせる混雑ぶりとなり、磐梯熱海からは全扉の開閉が可能となった。

せっかく喧騒をはなれ観光にやってきたのに、最後はこれでは会津観光のイメージダウンになってしまう。JR東日本には時機に応じた車両編成と指定席の設定を行って欲しいと思った。

 

16:19過ぎ、無事に郡山に到着。

外は小雨が降っていた。

 

今年は何度、只見線に乗れるだろうか。

まだ行きたい場所があり、訪れたい季節もある。

時間を作り、乗車したいと思う。(了)

 

 

 

・ ・ ・ ・ ・ 

*参考:福島県 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「JR只見線 福島県情報ポータルサイト

*参考:政府 インターネットテレビ「見どころたくさん 福島に来てくなんしょ!」(2017年1月26日)


【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

・福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

 

寄付金の使途は以下の通り。

・お寄せいただいた寄附金は、福島県、会津17市町村や新潟県などで 組織する「福島県JR只見線復興推進会議」で協議の上、只見線の復 旧や利活用促進のため使われます。(「只見線復旧復興基金寄附金募集」チラシより)

・ 寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、 只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 日本一と言われるロケーションだけに頼らない観光振興を推進し、 新たな観光収入の増加を図ります。 (「JR只見線企業版ふるさと納税(地方創生応援税制)の御案内」より)

 

 

よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっているJR只見線は、2017年6月19日に福島県とJR間で「復旧基本合意書」が交わされ、2018年6月15日の復旧工事起工式を経て、2021年度中の全線再開通に向けて工事が本格化しました。ブログでは車窓の風景や沿線の見どころを伝える「乗車記」等を掲載します。

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