2017年の乗り納めは会津川口駅までの往復。その後、JR只見線の起点でもあり、国内有数の歴史観光都市である会津若松市の街なかを散策した。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日) /「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬ー
早朝の郡山駅。年末ということもあり、繁華街で一夜を明かしたであろう少なくない方々が、始発列車に乗るために駅に向かっていた。
私も改札で「青春18きっぷ」に検印をいれてもらい、磐越西線の始発列車が待つ1番線に向かった。
5:55、会津若松行きは定刻に出発。
まだ、夜が明けきっておらず、磐梯熱海から中山宿に向かう途上で、積雪が多くなり、その雪明りで外の景色が見られるようになった。
中山峠を越え会津に入るが、猪苗代町の上空は雪曇に覆われ、磐梯山も見る事はできなかった。
7:20過ぎ、定刻を10分程遅れ会津若松に到着。さっそく連絡橋を渡り、只見線のホームに向かう。
4番線に入線していた会津川口行きの列車に乗り込むと、まもなく会津鉄道(旧国鉄会津線)の列車が到着した。
先頭車両に会津若松市の「戊辰150周年記念事業」のロゴマークを使ったヘッドマークが取り付けられていた。
このロゴマークは会津若松と栃木県の東武日光や鬼怒川温泉とを直行で結ぶ「AIZUマウントエクスプレス」号に掲げられ、12月27日から来年12月末まで“県外にも会津地方の歴史的節目をPR”するという。 *出処:2017年12月27日付け 福島民報
7:37、只見線の列車は定刻に出発。
列車は七日町、西若松を過ぎ、住宅地から大川(阿賀川)を渡り、会津の田園に入る。
会津坂下出発後、会津と“奥会津”の境となる七折峠に向かって列車、キハ40形2両編成はディーゼルエンジンを蒸かして登坂した。
登坂の途上、木立の切れ間から会津盆地を見下ろす。葉の無い、冬場だけ見られる車窓からの眺めだ。
七折峠は只見線内屈指の“隠れている”眺望ポイントだ。四季折々で表情を変える美しい会津平野は、伐採・枝打ちによって現れる。地権者に意図を説明し、合意の上で景観創出の作業をして欲しい。
列車は峠の途上にある塔寺、会津坂本を経て柳津町に入り、会津柳津と停発車してゆく。
郷戸の手前、新田街道踏切を過ぎて間もなく現れる“Myビューポイント”を眺め入る。雪雲が見え、これから向かう先は、雪が舞っているだろうかと思った。
淡く雪化粧した渓谷を濃紺の清流が流れていた。この瞬間に見られる自然美。会津若松を発った只見線の旅の露払いをしてくれるこの景観は、大きな意味があると私は思っている。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧」
会津桧野を過ぎ、桧の原トンネルを潜り抜けてまもなく、列車は「第一只見川橋梁」を渡った。
渡河を終えた後に、三坂山を見ると、手前の山の斜面の杉林の模様が見事だった。
この綿帽子の群れは、太陽が昇り気温が上昇するにしたがってその数を減らしてゆくだろう。気温の低く、空気の澄んだ朝だけに魅せる景観ではないだろうか。
会津宮下を出て、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を通り抜け、列車は只見川(宮下ダム湖)の直側を駆け抜ける。
反対側の車窓を見ると、界の沢が只見川に落ちる滝が見え、情緒のある景色になっていた。
滝原トンネルを抜け、早戸トンネルへ向かう間の明かり区間(早戸俯瞰)を走る。木々の綿帽子が美しかった。
しばらく只見川沿いを走るが、車窓から外を眺めていると、国道252号線沿いに架かる電線に載った雪塊が気になった。
この先、東北電力㈱上田発電所と上田ダム湖(只見川)が見られる区間は“景観創出”をして欲しい場所だ。雪崩路(アバランチシュート)を山肌に持ち、低山に沿って只見川が流れ上田ダム湖で表情が変わる一連の景観は素晴らしいと私は思っている。木々の伐採や枝打ちと合わせて、電線の地中化(地上化)を進め、見晴らしを確保して欲しい。
列車は会津中川を過ぎ大志集落の背後を駆け抜けると、終点を告げるアナウンスが車内に流れ、前方に上井草橋が見えてきた。
減速した車内から雪景色を眺めると、いっそう情緒が湧いた。
9:39、列車は定刻に会津川口に到着。ホームは除雪されていたが、地面は見えず、3cmほどの新雪に覆われていた。
ホームから只見川(上田ダム湖)の上流方向を眺めた。この先、只見線は只見までの27.6kmが、「平成23年7月新潟・福島豪雨」の被害で運休していて、車窓からこの風景は見られない。
先頭車両の前には、二本のレールの痕跡が見えた。降り続いた雪で覆われたものだが、復旧されるまでの3年間は、この光景を見る事ができると思った。
駅舎に入り、売店にあったホワイトボードを見る。只見線を利用したインバウンドに出身国を訊ねるものだ。
よく見ると、オーストラリアから男性4名、女性6名分のシールが貼ってあった。
アメリカからは男性2名、女性5名。ドイツも男性1名が確認された。
そして、国旗が無い「インド」「マレーシア」「コスタリカ」「パキスタン」「メキシコ」からの来訪も見られた。
台湾や中国などのアジア圏が中心であるが、インバウンドの多様性と個人旅行が多い実態を理解した。
駅舎を出て国道252号線を見る。融雪用の散水装置が稼働し、道路のいたるところに水たまりができていた。車を利用する方には必須だが、歩く人には注意が必要だ。
“本名駅”となっている本名郵便局前を過ぎ、国道252号線が天端を走る東北電力㈱本名発電所と本名ダム上から、流失してしまった「第六只見川橋梁」を眺めた。本名駅寄りの橋脚一本が撤去され、河岸では東北電力による護岸工事が行われていた。
10:33、湯倉温泉入口のバス停に到着。只見線には無い停車場だ。
舞う雪の量が増えていた。さっそく、只見川に架かる湯倉橋を渡り、左岸に向かった。
橋上から上流を見ると、旅館「鶴亀荘」とこれから向かう湯倉温泉共同浴場が見えた。
雪に足を取られながらも、7分ほどで到着。駐車場に車は無く、営業しているか心配だった。
入口の前に立つ。『休業ではないっ!』と直感し、引き戸に手をかけ、手前に引くと抵抗なく扉が開いた。ホッとした。
玄関で靴を脱ぎ、休憩所に入る。先客は居なかった。ここは三度目になるが、前回より物が増えたように感じた。壁に張られた寄贈者札を見ると、ソファーや座布団が増えたようだ。
壁に掛けられたポストに、協力金(200円)と少しばかりの寄付金を入れ、浴室に向かった。
脱衣所も含め綺麗に清掃されていて、気持ちが良かった。浴室は浴槽を中心に温泉成分で着色が進み、いい雰囲気を出していた。一人、温泉にゆっくりと浸かった。
窓から外を見ると、前面には只見川(本名ダム湖)があり、対岸の橋立地区が一望できた。只見線が復旧すれば、列車も見る事ができる。
1時間ほど滞在し、湯倉温泉共同浴場を後にする。雪は止んで、薄日が差していた。湯倉橋を渡り橋立地区の代行バス停留所に向かった。
改めて、湯倉温泉共同浴場の最寄りとなる橋立地区には、新駅が必要だと思う。理由は3点。
①本名~会津越川間が6.4kmもあり、間に駅があってもよい。また、新駅付近は只見線135.2kmの中間点でもある。
②“会津”の名の由来に関連する御神楽岳(新潟県阿賀町)の登山道の最寄りである。
③湯倉温泉があり、かつては只見川対岸に橋立温泉があったなど“最寄りに温泉を持つ駅”として特異性を発揮できる。
停留所で代行バスを待つと、10分程でやってきた。来た時と同じバス、同じ運転手だった。
12:17、代行バスは定刻をわずかに遅れ、会津川口に到着。さっそく、駅舎を通り抜け列車の待つホームに向かう。
ホームでは中華系の4人家族が雪で遊んでいた。実は、この家族は一本前に只見からやってきた代行バスに乗っていた(会津川口着10:15)。つまり、2時間もこの駅に居た事になる。この家族は2人の男の子が楽しそうに雪に触れていたが、両親も良い時間の過ごし方ができたのだろうかと不安になった。
インバウンドを本気で呼び込み、口コミを期待しリピーターを確保しようと思うならば、1時間を優に超える乗り継ぎ時間を過ごせるホスピタリティの高い空間(場所、施設)を、駅内や駅近に設ける必要があると私は思う。
貴重な時間を割いて、只見線に乗車した外国人をはじめとした観光客を失望させない、楽しい思い出だけを持ち帰ってもらえるような取り組みを、関係者には行って欲しい。
12:32、会津若松行きのキハ40形2両編成は定刻に出発し、順調に進んだ。
14:19、会津若松の手前の七日町に到着。
駅舎は木造で、「七日町浪漫ステーション開発事業」として2001(平成13)年度に県と市の補助金を活用し洋館に改修された。
無人駅で駅員は居ないが、会津地方の特産品も取り扱っている「駅カフェ」が営業している。
七日町駅前は、七日町通り(国道252号線)が東西に貫いていて、自動車の交通量は気にはなるが、歩くのが楽しい街並みになっている。1995(平成7)年度から始められた「景観形成事業」等など「七日町通りまちなみ協議会」を中心とした活動の成果だ。
漆器店や絵ろうそく屋など、暖簾を潜りたくなる店が続いていた。
電柱地中化も行われていて、見晴らしが良く歩き易い。トランスなど地中化で置き場所に困るものは通行の邪魔にならないように地上設置されていた。
会津若松~七日町間は、只見線と会津鉄道の相互乗り入れで1時間に一本以上の列車は走っていて、まちなか周遊バスもあるため、東京圏から新幹線に乗り郡山から乗り継いでやってきた観光客に一定の足はある。
只見線の利用者にとっては、
A.会津若松市内観光を楽しんでから、七日町通りを散策し七日町駅から列車にのり只見方面を目指す
B.只見線の乗車や沿線観光を楽しんでから、締めに七日町通り観光をして、周遊バスで会津若松駅に戻り帰路に就く
というプランが考えられる。
七日町通りは只見線に価値を高める存在だと思う。まち並み創りは途上で、通りはまだ進化するだろう。会津若松への集客のキラーコンテンツとして発展することを期待したい。
ここから、会津若松城(鶴ヶ城)を見学するため南に向け歩く。それまで酒蔵は現れない。
途中、東に進路を変えると、巨大な建物が現れる。会津地方の拠点病院の一つである竹田総合病院。病床数、診療科、手術室数、個人病院で、これだけ規模がある。千葉県鴨川市にある亀田総合病院を訪れた時も驚いたが、ここもなかなかの威容を誇っている。
さらに進み神明通り(国道118号線)を渡る。通りを中心に市役所や各行政機関、中央図書館、銀行支店がある、若松のメインストリートだ。電柱地中化も済んでおり、城下町の風情も感じた。
通りの中心部ではアーケードの建て替え工事が進んでいた。
2015(平成27)年11月に老朽化のため撤去された“先代”より低いが、柱や梁の鋼材を見ると特にこの時期、雪から行き交う人々を守ってくれる安心感を感じた。
神明通りを横断し、さらに東進し、鶴ヶ城の北出丸にたどり着いた。
七日町駅を出て、散策しながらゆっくり歩き、50分で到着した。
日が差さず、赤瓦屋根をはっきりと見る事はできなかったが、県内最大の規模を誇る城だけあって見ごたえがあった。天守閣の南と東の下層階と石垣に足場が組まれ緑のシートが掛けられていたが、これは天守閣と長屋外壁修理工事だという。
鶴ヶ城に20分ほど滞在して、追手門から出て、北出丸交差点を直進し酒蔵巡りを再開。
まもなく宮泉銘醸㈱(東栄町、1955年創業)が現れた。代表銘柄は「寫楽」で、酒蔵見学は行っていない。
次の酒蔵に向かうため東に向かう。途中、鶴ケ丘稲荷神社の門前に柴邸跡があり、「柴 四朗」「柴 五郎」兄弟の紹介文が掲げられていた。「柴 五郎」の名は聞いた事があるが、“福島県初の陸軍大将”と改めて知らされるとその事の重大さが身に染みた。「ある明治人の記録」を読んでみようと思った。
この脇道を通ってゆくと、JR東日本「四季島」の乗客に朝食を提供している「割烹・会津料理 田季野」の前に出る
神明通りに出て、北に進み、三本目の路地を右に入ると「鈴善漆器店」がある。ここも「四季島」の乗客が立ち寄る店となっている。*参考:JR東日本「TRAIN SUITE四季島を支える想い Vol.12」
この先を進むと鍵型道路がある。この形状の十字路はいたるところに見られた。
城下の水源となった、南東に位置する東山地区からの水を、クランクにぶつけることで三方に流れを分散させるためと言われている。これによって城下が潤い、広がったようだ。
鍵型道路を先に進むと、旧街道である「博労町(バクロウマチ)通り」に出る。案内板には『会津五街道のうち白河街道と二本松街道の道筋にあたり、会津の殿様が参勤交代や領内巡検する際に往来した重要な通り』だったと記載されていた。
ここで酒蔵所在地巡りは終了。1時間45分かけて6つの蔵の場所と雰囲気を確認できた。
これだけ狭いエリアに酒蔵があり、それぞれ個性のある日本酒を作っている。地元の産業であり、晩酌を支えてきた食文化ではあるが、魅力的で重厚な観光資源だ。今回の散策で只見線の起点である会津若松の集客力を改めて認識するともに、若松市街地の人の流れを只見線へいかに呼び込むかが重要になってくると思った。
次回は時間をとって、見学可能な酒蔵を巡り、若松の酒造文化の深みを知りたいと思う。
会津若松駅に向かう。散策中に気になっていたが、新築や建設中の高層マンションが多かった。
かといって、市街地に土地が無い訳ではなく、必要戸数を確保するのであれば高層にする必要はあるのか疑問符が湧いた。ここは城下町であり、観光に注力すべき町で景観には厳しい配慮をしなければならないと思う。一度作られたら30年はその景観を取り戻せない。
市は自身の資源力に自信を持ち、他の観光都市に競り勝てる施策を実行し、観光による持続的な効果を得て欲しい。これが、引いては只見線へも波及する、と私は思う。
16:50、会津若松駅に到着。2時間30分、街を歩き楽しい時間を過ごせた。
改札を通り、ホームに行くと、郡山からやってきた列車から多くの客が降り改札に向かっていた。今日は12月30日ということで、Uターンラッシュだ。
この人の波を見て、会津の外で生活をしているこの方々が、彼の地で只見線の良さを伝えれば集客の効果はあるのだろう、と思わずにはいられなかった。
17:10、私は郡山行きの列車に乗り、帰路に就いた。
今年、私は只見線に22回乗車する事ができた。只見線は何度乗っても飽きないばかりか、『そろそろ只見線に乗りたいな』と思ってしまうほどの磁力がある。車窓からの景色+キハ40形の乗り心地+地酒、この三点セットに私が惹かれるのだろうか。
来年は何度乗られるか分からないが、12回乗車すれば、区切りの50回となる。仕事のスケジュールと沿線のイベント、景観美の表出時期を考慮して、できるだけ乗車したいと思う。
2017年、今年もお世話になりました、JR只見線。
(了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:只見線の復旧・復興に関する取組みについて
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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