金山町「細越拱橋(めがね橋)」 2017年 紅葉

JR只見線の早戸駅(三島町)~会津水沼駅(金山町)間にある8連コンクリートアーチ橋の名前を知りたいと思い、只見線の列車に乗り現地に向かった。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト  

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の秋

 

  


 

 

夜勤を終え、一旦帰宅。準備を済ませ郡山駅に向かう。中通りと、これから向かう会津の天気予報は“くもり”。上空には雲が広がっていた。

今日は三島町に泊まるため「小さな旅ホリデーパス」(当日有効)ではなく「Wきっぷ」(1ヵ月有効)を購入。自動改札を通り磐越西線に停車中の列車に乗り込む。

 

11:39、会津若松行きの列車は定刻に出発。朝食を済ませると、すぐに眠気に襲われ終点まで眠り続ける。磐梯山を見る事は無かった。

 

 

 

12:59、会津若松に到着。乗り換えるため、連絡橋を渡り只見線の4番線に移動。ディーゼルエンジンを静かに鳴らしている、キハ40形に乗車。

  

13:07、会津川口行きの列車は定刻に会津若松に出発。

 

私は、またすぐに眠ってしまった。昨日の16時からの寝ずの夜勤を済ませ起き続けている体力は、もうなかった。

  

 

目が覚めたのは会津柳津。ぼんやりと車窓を眺め、郷戸手前の“Myビューポイント”で郡山を出発してから初めてデジタルカメラのシャッターを切った。

  

列車は滝谷に停車。廃ホームの、モミジの色付きを眺めた。

沿線はこれから紅葉シーズンを迎えるが、ここの色付き具合は特徴的で、緑と赤の競演が、わずかな空間ではあるが、見られる。このような小さな“空間美”を楽しめるのも、鉄道旅の醍醐味だ。

   

滝谷川橋梁を渡る。車窓から只見線屈指の渓谷美を見せてくれるポイントだ。緑黄橙赤のモザイクに、これからどのように色づき、紅葉の最盛期を迎えるのが楽しみになってしまった。次回の景色が楽しみになってしまう。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館歴史的鋼橋集覧


 

 

会津桧原を過ぎ、桧の原トンネルを潜り抜けると「第一只見川橋梁」を渡る。三島町の町花である桐の花と同色の薄紫に塗られた、只見線随一の造形美を持つ鉄橋。

 

「日向倉山」(605m)に向かって広がる景観美は、いつ見ても『いい風景だ』と思う。曇り空の午後ということもあり、只見川(柳津ダム湖)の水鏡に冴えはなかった。


  

橋梁通過後まもなく名入トンネルを通り抜け、会津西方で停発車し、直後に「第二只見川橋梁」を渡る。

  

次駅の会津宮下手前で大谷川橋梁を渡り、県道に架かる宮下橋を見下ろす。

  

会津宮下を出発して間もなく東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を通過。

 

ダム湖(只見川)対岸の木々が、微かに湖面に映っていた。紅葉の最盛期、しかも空気の澄んだ晴れの日の水鏡は見ごたえがあるだろう。今秋がそれが見られるだろうか。

  

 

列車はダム湖が視界から消えて間もなく、そのダム湖を「第三只見川橋梁」で渡河する。

 

そして、直後に滝原トンネルに入る。“早戸俯瞰”の明かり区間を走り、再び早戸トンネルに入る。


 

 

 

 

14:37、トンネル内で減速した列車は早戸(三島町)に到着。降りたのは私一人。列車を見送る。

 

只見線随一の景勝駅と私は思っている早戸駅。

 

秋に降り立つのは初めてだが、やはり風情がある素晴らしいロケーションだ。

 

小さな駅舎に入ると「早戸駅ノート」なるものがあった。今月9日に早戸駅のファンが作り置いたものだ。

今回は時間が無いため、コメントの記入は次回にする事にし、駅を後にした。降りた列車が会津川口で折り返してくる。それに乗らなければならない。

 

 

国道に通じる側道を登り、早戸駅を俯瞰。電柱・電線が無ければ一層駅の価値は高まる、と改めて思った。

  

 

国道252号線に入り、歩道の無い道を会津川口方面に進む。まもなく「奥会津シンフォニーロード」の看板が現れた。時速50kmで走るとタイヤが「カントリーロード」を奏でるという。

 

三島町の町花である桐の花の薄紫色に染められた早戸大橋を渡り、橋上から只見線を見下ろした。

 

逆瀬川橋梁を走る列車が収まる、ここからの景観は多くのメディアに取り上げられている。地元紙・福島民報でも2014~2016年までの間、紙面に掲載されていた。

 

振り返り「三坂山」(831m)の方を見上げた。綺麗に色づいていた。この「三坂山」の北には美しい美坂高原が広がり、その北には逆瀬川の源流となる「黒男山」(980m)がそびえている。

 

早戸大橋を渡りきると金山町に入り、「シンフォニーロード」区間となる。しかし、大半の車がスピードを上げている為、「カントリーロード」は音程の外れた別物の曲になってしまっていた。多くのドライバーが減速し、路面から響く音楽を楽しみ、是非安全運転の意識を高めて欲しい。

 

 

「シンフォニーロード」の終点付近で、前方に今日の目的物が見えてきた。

 

 

14:58、“めがね橋”に到着。緩やかにカーブする八連のコンクリートアーチ橋だ。メディアに掲載される写真では“めがね橋”と記載されているケースが多い。

 

列車内から見ると、只見川-国道252号線-只見線が同じように曲線を描き、美しい。

 

先に進み、振り返って“めがね橋”を眺めた。

 

会津川口を背に、列車内から見える景色は、また違ったものになる。

 

 

肝心の銘板を探した。 

この“めがね橋”は正式な名称が不明だった。ネット上に手がかりはなく、図書館で金山町史を改めて見るが掲載されてはいなかった。ならば、現地で銘板を見るしかないと、今日ここに来た。

 

他の橋梁に倣ってたもとを見ると、あっけなくそれは見つかった。

 

早戸駅側に「細越拱橋」と記された銘板があった。

帰宅してから確認したが、拱橋とは“めがね橋”を意味していて、施工者の佐藤勘九郎はゼネコンである佐藤工業㈱の創業者だという。設計者の新橋工事事務所とは旧国鉄の部署。興味深いのは竣工が昭和14年9月8日になっている点。只見線が会津宮下まで延伸(昭和16年)される前に、既に完成していたことになる。

会津宮下~会津川口間が開通し、実際にこの橋を営業車両が走るのは戦後から9年経った昭和31(1956)年9月20日。太平洋戦争で延伸工事が中断を経て、「細越拱橋」の完成から17年後もの時間が過ぎていた事になる。「細越拱橋」の構造は「無筋C充腹アーチ」となっている。

  

今日の目的を果たし、今夜の宿のある三島町の宮下地区に向かう。銘板の解読などに時間を使ってしまった為、時間がなくなってしまった。急ぎ早戸駅に引き返す。

 

帰りは早戸大橋を渡らず、旧道を歩いた。早戸大橋の下をくぐると、まもなく只見川沿いにベンチが見えた。

 

夏場は雑草に囲まれていて、列車内からは『何かある』程度としか認識されない。

 

このベンチの前にはコンクリートの岸壁があり、「船着場」になっている。ここから下流の「早戸温泉つるの湯」の前と対岸の金山町雨沼地区を観光渡し船が運航されている。地元の有志が復活させたものだ。

 

現在は只見川上に町境に架かる早三橋(現橋は1977年12月完成、長さ:113m)があるが、1966(昭和39)年4月16日のブナ坂大崩落で早戸駅対岸にあった三更集落住民が分散移転を余儀なくされ、渡し舟は役目を終えた。その下流にある雨沼地区は移転先の一つで、現在は6世帯が暮らしているという。

霧幻峡プロジェクトでは観光渡し船を約50年ぶりに復活させ、三更集落の古民家を整備(霧幻庵)するなど観光地化を進めている。この早戸駅に近い「船着場」はそれに関連あるものだと思われるが、次の機会、三更地区など霧幻狭プロジェクトが整備進めている場所を巡り、この「船着場」の役割を探ってみたいと思う。*参考:金山町・三更集落霧幻峡プロジェクトチーム URL: http://okuaizu.pupu.jp/mugenkyoupanfure.pdf

  

「船着場」を後にして第三沼田街道架道橋をくぐり、早戸駅に向かう。まもなく駅というところで、会津若松行きの列車がやってきた。

急ぎ、駅に向かうと、待合室に二人、送迎車から降りる方が一人、計三名の乗客の姿があった。今日は土曜日。観光地としては寂しいが、秘境駅には適度な数だと思った。

 

私も3両編成の最後尾に乗り込んだ。

  

列車は出発すると、さっそく早戸トンネルに入り、抜けると“早戸俯瞰”の明かり区間を進み、只見川の“渓谷”を眺めた。

  

滝原トンネルを抜けた直後に「第三只見川橋梁」を渡った。界沢から落ちる、小さな滝が見える、この上流の、車窓からの風景が、私は好きだ。


 

 

 

 

15:53、会津宮下到着。ホームは多くの客であふれ、列をなして車内に乗り込んでいた。「第一只見川橋梁」を渡る、ツアー客と思われた。

 

無人の改札を抜けて待合室に入ると、国旗が張られたボードに目がいった。外国人旅行客に『どこからお越しですか?』と小丸のシール(男性は青、女性は赤)を貼ってもらうというものだ。設置は今月。紅葉シーズンに合わせたものだろう。

 

会津宮下駅は海外メディアにも紹介されている「第一只見川橋梁ビューポイント」に向かう町営バスの発着点となっている。このボードは、ウェルカムボードの役割を果たしているのだろう。設置は今月だから、ベストシーズンである紅葉の時期にどれだけのインバウンドが訪れるのか知るためにも有益だと思った。台湾からの客が突き抜けて多く、彼国での関心の高さを改めて知った。続いて、香港、タイと続くが、国旗の掲示がないフィリッピンからも10月17日に5名が訪れたという。

今後、このボードが青と赤の小丸シールであふれる事を期待したい。

  

駅舎を出て今晩の宿に向かった。

 

 

駅前通りを進み、T字路を左折し、県道237(小栗山宮下)線を進むと間もなく左手に「のんびり館」が現れた。今日の宿だ。

チェックインを済ませ、ひと休みする。その後、夕食を摂るため外出した。

   

駅前の「お好み焼き まつやま」に到着。

 

入口の扉を開け、細く急な階段を上り店内に入る。お好み焼き用の鉄板と一体となったテーブルがある席に座った。

  

さっそく、生ビールを注文。まもなく、お通しのささ身フライとともに運ばれてきた。

  

この店を選んだのは「三島町産 会津地鶏キャンペーン」の対象店だったから。*参考:(有)会津地鶏みしまや  URL: http://www.aizujidori-mishimaya.com/company/

 

生ビールの飲み終え、さっそく熱燗と焼き鳥を注文。

 

肉感と光沢、そして脂が焼けた香りが食欲を駆り立てた。

 

串を取り上げ、口に入れる。ほどよい弾力があり、肉汁が広がる。甘みがあり鼻を抜ける香りもよい。地元産の逸品に納得し、感動し、味わいながら完食した。忘れがたい一皿。また、食べに来たいと思った。*参考: 福島民友新聞「【食物語・会津地鶏】手間暇かけて上質に 唐揚げや焼き鳥など幅広く」(2016年12月11日) URL: https://www.minyu-net.com/gourmet/syoku-story/FM20161211-133921.php / 

  

少し空腹感があり、酒も残っていたのでもう一品注文。氷下魚焼きが運ばれてきた。

魚と酒は相性がいい。酒は若松の「名倉山」。会津地方でよく呑まれている酒だ。

  

...今夜からプロ野球の日本シリーズが始まった。時間のなると店のご主人がチャンネルを変え、画面には開始前のオープンセレモニーが映し出された。

そのテレビの脇には、今年のセ・リーグ代表チームであるベイスターズのタオルが掲げられていた。ご主人に尋ねると『大洋ホエールズ時代からのファン』だという。その球団が19年ぶりに日本シリーズに進出した。元高校球児でプロ野球ファンでもある私は、酒を呑みながらご主人との話をふくらませた。

 

ご主人は昭和村松山地区のご出身。確認できなかったが店名「まつやま」はこれに由来しているのだろう。元自衛官で、郡山駐屯地に在籍していたということで、郡山の話をすると懐かしそうな表情をされていた。

また、最近まで三島町の野球チームの監督をしていて、県市町村対抗野球大会で指揮をふるっていたという。

故郷を店を名とし、野球人でありホエールズ/ベイスターズを愛し続けるご主人の居るこの店に、今度は、お好み焼きを食べにきたいと思った。

  

 

「お好み焼き まつやま」を後にして、宿に戻る。明日の「志津倉山 かしゃ猫ロード トレッキング大会」に備え、ゆっくりと湯に浸かり、早めに床についた。

 

 

(了)

 

 

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*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室: 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」 

 

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②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

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(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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