「四季島」会津若松 初入線 2017年 春

2017年5月7日7:30、会津若松駅にJR東日本のクルーズトレイン「トランスイート四季島」が初入線。

JR只見線を含む“観光地域・会津”にとって歴史的瞬間となるこの様子を見ようと会津若松駅に向かった。


磐越西線の始発列車に乗車するために郡山駅に向かう。

思いのほか雲が多い。会津若松の上空が気になる。

今日は中通り・会津ともに晴れの予報だが、黄砂の飛来も予想されている。こちらも心配だ。

 

5:55、列車は1番線から定刻に出発。

郡山富田、喜久田、安子ケ島、磐梯熱海、中山宿の各駅で停発車を繰り返し、沼上トンネルを抜け会津地方に入る。

 

猪苗代駅を過ぎ正面に見えてきた磐梯山は、全体が見えたがやや霞んでいた。黄砂の影響か。

 

7:09、定刻に会津若松駅に到着。

駅のホームにはスーツや保守用ユニフォームを着たJR職員やカメラを持った方々が行き来し、いつもとは違う雰囲気だった。

 

一旦改札を抜け、表に出る。

心配は杞憂に終わり、「四季島」を歓迎するかのように綺麗な青空が広がっていた。

白虎隊の銅像の前には「あいづっこ宣言」なる看板が新たなに作られていた。

NHK大河ドラマ「八重の桜」でも有名になった“ならぬものは ならぬものです”と締めくくられている。

 

駅前のロータリーには新調された「四季島」専用バス2台がやってくるところだった。

駅舎周辺にもJRの関係者と思われる多くの方が行き来し、「四季島」初入線の事の大きさを実感させられた。

  

再び改札に向かい、構内に入る。

 

まずは、「四季島」の撮影場所を決めておいた連絡橋に行く。

10両編成車両を迎えるためにホーム改修をしたと思われる2番線に「四季島」は入線する、と確信し2番線を見下ろす位置に立ち、撮影のイメージをする。

この時、背後を通過しようとした親子連れが『四季島、ここだよ』と言うのを耳にする。

振り向き、天井に設置された電光掲示板を見ると、「四季島」入線時刻を知らせる表示があった。

意外だった。乗客が朝食と観光のため一時降車するが、新たに乗車する客が居ない列車の案内を表示するとは...。

だが、この表示で入線場所と時間が確定され安心した。

 

改めて連絡橋上から2番ホームを見下ろす。

ホームの先端にはメディアを始め多くのカメラマンの姿があった。

ホーム上では、JRや報道関係者の動きが慌ただしくなる。

ホームの先頭が真新しいコンクリートで改良されているのが分かる。

10両編成、約209mの車両に対応するために施されたのだろう。

 

ホーム上に人が増え、声も飛び交うようになって間もなく、『まもなく、2番線に列車が入ります』とのアナウンスが入る。

7:27、連絡橋上から2番線の鉄路の先を見ると、「四季島」特有のLEDヘッドライトが見えてきた。

胸が高鳴る。

 

そして、「四季島」が姿を現す。シャンパンゴールドの車体が会津若松駅にやってきた。

ホーム端のカメラが一斉にシャッターを切られる。

 

いつもは見られる磐梯山と四季島を一枚に収めようとしたが、薄い雲に覆われ、微かに輪郭にが見える程度だった。


ここで撮影場所を変える。

急ぎ、2番ホームに向かう。

 

7:30、「四季島」は定刻に停車した。

ここでも多くの方々がカメラを構えていた。

薄日ながらも陽の光を受け黄金色に輝く10両編成の車両。圧倒的存在感と気品。

“時代を拓く、創る列車”であることは間違い無い、と改めて思う。

 

「四季島」の乗客は改札を抜け、先ほど駅前につけられた専用バスで朝食会場である割烹「田季野」に向かい、その後「鈴善漆器店」に行き会津塗などに触れるという。

 

約4時間の会津若松滞在となり、列車の出発は11:22となっていた。

「四季島」はこの間、この2番ホームに停車し続ける。

 

先頭車両の側面に大きく描かれたシンボルマーク。

縦の駅名標を正対する。長い付き合いになって欲しい。

ちなみにこのシンボルマークの由来がJR東日本の資料に記述されている。

「ひと」「もの」「こと」の象徴である三本の線が 四季を意味する「4つの節目」を巡り戻ってくるデ ザインとし、美しい四季と伝統を感じるクルーズ の旅を表現いたしました。

*出処:東日本旅客鉄道株「クルーズトレインの列車名について」(2014年10月7日)http://www.jreast.co.jp/press/2014/20141005.pdf

 

会津若松駅の構内には、この「四季島」のポスターが多く見られた。おそらく福島県内では一番の量だと思う。

日ごろ会津若松駅を利用していた市民や周辺住民にとって、「四季島」の初入線は感慨深いのかもしれない。

 

「トランスイート四季島」は、会津若松駅を出発すると、磐越西線を走り郡山駅から東北本線に入り終点・上野駅に約5時間後に到着する。

「四季島」の会津若松経由の旅は1泊2日コースで、『里山、棚田、ぶどう畑などのぬくもりのある風景や、その地に息づく工芸品の粋を味わう旅』と銘打たれている。JR東日本の報道発表(2016年5月2日)に詳しく掲載されている。

私は、この会津若松以後の行程が只見線経由になればと願っている。

車窓からの景観が素晴らしく、春夏秋冬の表情がそれぞれ深みのある只見線は、“四季”島の名にふさわしい運行経路であり、超赤字路線ではあるが多様な潜在性を秘めた只見線に、「四季島」は必要なコトを運んでくれると考えるからだ。

 

乗客は富裕層を中心とした余裕がある方々と言われている。「四季島」での旅を終え『また訪れたい』とリピーターを作り、増やす可能性を秘めている。

また訪日外国人が利用した場合、母国での“口コミ効果”も期待できる。

さらに「四季島」は話題と関心をもたらしてくれる。メディアを中心に「四季島」の立ち寄り先が取り上げられ、人々の関心が集まる。「四季島」に乗車せずとも、その観光地に訪れてみたいとの意欲の喚起を促すのではないだろうか。

そして何より「四季島」の停車駅・地は選ばれた場所になる。高額な旅費に見合うだけのコンテンツを探したJR東日本の旅程立案者が推すほどの魅力・訴求力があるとの認められたことになる。この認証は小さくない。「四季島 1泊2日プラン」で選ばれた会津若松は、東京を起点とした旅で外すことができない場所と認知されたと私は理解している。

 

この「四季島」が運ぶコトの威力は大きく、その効果は大きい。

只見線に沿線自治体が費やす復旧費や施設維持費(上下分離のため)は高額だ。

だが只見線の持つ能力(車窓風景や東京起点に周遊可能な立地など)が活かされれば、沿線への経済波及効果は大きく、費やす行政費用に住民の理解が得られるばかりでなく、観光業をはじめとした雇用を生み出すだろう。

さらには、シャンパンゴールドの車両は子ども達の夢を育て、地域の活力の底上げにも寄与するだろうと私は思う。

 

「四季島」にとっては所要時間が8時間程度に伸びる点、10両の長大編成運行に耐えられる路盤や橋梁かどうか等クリアすべき課題はあるが、「四季島」が只見線に乗り入れれば、乗客の満足度が増し、奥会津を中心とした地域への貢献は図りしれない。

 

 

  


「四季島」の入線風景を見た後、『仮に只見線に乗り入れた場合、この5月上旬にどのような景色を見る事ができるのか』をこの目で見るため、只見線の列車に乗り只見まで行く事にした。

 

まだ賑やかな2番線を後にして、私は連絡橋を使い只見線の4番線に急ぎ足で向かった。

会津川口行きのキハ40系は入線し、静かにディーゼルを蒸かしていた。

只見線のホームから「四季島」の様子を見る。

5号車のラウンジカーにある乗降扉は未だ開かず。

乗客は下車の準備をしているのだろうか。ホームの喧騒が落ち着いてから下車アナウンスがされるのだろうか。

 

 

7:37、只見線の列車は定刻に出発。

残念だが10名にも届かない乗客数だった。七日町西若松で何人かの高校生を乗せるが、車内は閑散としたままだった。

 

列車は会津本郷会津高田根岸新鶴若宮で停発車を繰り返しながら、田植えに備えた準備が進む会津平野の中を駆け抜けてゆく。

5月20日前後の小満の頃には田植えの最盛期を迎えるという。

 

会津坂下を過ぎ、車内が一層閑散とし、列車は七折峠を目指して登坂する。

木々には薄緑の小さな葉が付き始めている。春を感じる。

 

列車は、塔寺会津坂本会津柳津の各駅で停発車する。

郷戸の手前、山の入り組んだ稜線に、斜面の多様な色づきがあるのを見る。

只見線の春。

沿線に桜が少なく、他の季節にくらべ春のインパクトが薄いと感じていたが、この景色を見てそれは間違いであることに気づいた。春にも乗客を満足させる車窓の景観がある。

 

この先、只見線沿線の山々は多様な緑の競演をしていた。「四季島」の乗客の期待に応えられるものだと思った。

 

滝谷を過ぎ、間もなく滝谷川橋梁を渡る。

*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧

 

 

次駅・会津桧原を過ぎると“橋梁区間”となる。

 

まずは「第一只見川橋梁」。鋼製アーチは三島町の町花である桐の花の紫色になっている。

右手(北側)の車窓の風景。

東北電力㈱柳津発電所・ダムが創り出す湖面鏡は見られなかったが、“緑の競演”が見られた。

やや霞みがかっていたのが残念。

 

会津西方を過ぎると「第二只見川橋梁」を渡る。色は薄緑。

こちらは左手(東側)を見る。

橋梁と平行に架線されている電線が邪魔ではあるが、スーッと伸びた只見川とそれを囲む緑は絵になる。

 

三島町の中心駅である会津宮下で会津若松行きのキハ40系とすれ違い、間もなく出発。

列車は東北電力㈱宮下発電所・ダムを直側に見ながら走る。

春の雪解け水で増水しているようで、放水されていた。緑に水しぶきも映える。

ダムの向こう、横に伸びる構造物は国道252号線のスノーシェッド。

 

宮下ダム湖の周りを取り囲む緑。

電力供給地である只見川流域の象徴でもある送電線と鉄塔が見えるだけの空間を列車は進む。

 

列車は間もなく「第三只見川橋梁」を渡る。色は赤茶。

ここでも左手(南側)を見る。

ヤマザクラが点々と咲き、“緑の競演”にアクセントを与えていた。

橋を渡ると列車はすぐに滝原トンネルに入る。

 

トンネルを出ると、いわゆる「早戸俯瞰」として撮り鉄が狙うポイントで、素晴らしい場所を通過するのだが、車窓の風景は木々に遮られている。

七折峠とともに木々が車窓の景観を邪魔し、もったいないと感じる場所だ。

この場所からは、只見川の対岸に国内初の揚水式水力発電所であった「沼沢沼発電所」跡も見る事ができる。

是非、木々を可能な限り伐採・枝打ちし、車窓からの風景を愉しめるようにして欲しい。

 

列車は早戸トンネルに入ったが、ここで2両編成の車内を見渡してみる。

何と、乗客は私一人だった。

初めての体験。

しかし、残念だ。GWの最終の日曜日。只見線復興の道のりは険しいと、強く思う。

 

トンネルと抜けると直後に早戸に到着。

ここも、只見川と鉄路の間に木々が生い茂り、景観を損ねている。

国内屈指の景観駅(と私は思っている)である早戸駅の価値を高めるために、伐採・枝打ちの検討・検証をしてもらいたいと思う。

先に見える跨線橋(早戸大橋)は国道252号線のもの。「第一橋梁」と同じく三島町の町花・桐の花色に染まっている。

 

早戸を出ると、船着場前の二脚のベンチが姿を現す。

誰が座ると絵になるか、考える。

 

列車はコンクリートアーチ8連橋を渡る。

 

次駅・会津水沼を出て、列車は「第四只見川橋梁」を渡る。

下路式トラス橋のため、車窓の風景には鋼材が映る。

橋を渡ると列車は右手(北側)に東北電力㈱上田発電所・ダムとダム湖を見ながら進む。

 

只見川が離れると中川集落が現れる。

山あいの平地に田んぼが広がり、集落が縦に続く奥会津らしい風景だと思う。

 

会津中川を出ると上井草橋の出迎えを受け、列車は終点を前に減速し始める。

 

9:39、列車は現在の終点である会津川口に到着。

ホームの先端には小さな花畑があった。

下車したのは、私一人。

改札を抜け、駅構内に入る。

 

まず目に飛び込んできたのは売店の店頭に置いてあった金山町のゆるきゃら「かぼまる」。

久しぶりのコスプレ姿に感動する。

5月ということで兜を被り、立派な刀を持っていた。

 

売店では「キハ金太郎飴」を購入。

新聞紙上で知ってはいたが、“なめて応援”という飴をも利用する姿勢に関係者の熱意を感じた。

 

表に出る。

駅前の花壇には色とりどりのチューリップが咲き誇っていた。

駅から少し歩き、転車台に向かう。

役目を終えた除雪車二台があった。

今月20日は「SL新緑号」が走るため、この転車台が使われる。

 

駅に戻り、しばらく待つ。

2011年に発生した「平成23年7月新潟福島豪雨」被害の影響で、会津川口駅から只見駅間は現在運休中。

代行バス乗車し只見駅に向かう。

10:25、私一人を乗せて定刻に出発。

 

 

11:15、代行バスは国道252号線を順調に走り、只見駅に到着。

雪囲いは取り払われていたが、駅周辺には残雪も見られた。

駅直近の滝神社境内には満開の桜が咲いていた。

ホームに停車した列車の車窓から見える場所だ。

 

只見駅からは自転車を使い、運休区間を走り、会津川口駅に戻る予定を立てた。

輪行バッグから折り畳まれた自転車を取り出し、組み立てる。

WiFiがつながる駅で所要を済ませ、12:10頃に駅を出発。

会津川口駅まで国道252号線を29.6km(鉄道は27.6km)、自転車で駆ける。

...ここから、各休止駅に立ち寄り、駅名標や周辺の風景を撮影しながら進む。

14:50、無事に会津川口駅に戻った。


今回、自転車で巡った「平成23年7月新潟・福島豪雨」被害で運休が続いている各駅や周辺の様子は、会津川口から只見まで運休区間を乗車すればと仮定し、以下に逆から伝えたいと思う。

 

(1)会津川口~本名 2.8km

運休区間から会津川口駅を見る。手前は只見川に合流する野尻川。

約6年も列車が走らない錆びた鉄路が続いている。

夏は雑草、秋は枯草、冬は雪に覆われ鉄路をよく見る事はできない。

ちなみに、只見川に突き出ている木製のデッキは県立川口高校ボート部の浮桟橋。

 

復旧後、列車は緑の中、只見川の直近を走る事になる。

 

次駅とのほぼ中間点にある、「第五只見川橋梁」。一部が流出している。

復旧後は景観に溶け込んだ色に塗りなおして欲しい。

 

 

本名駅。本名集落の中にある。運休区間で一番近接住宅が多い。

 

(2)本名~会津越川 6.4km

只見線で六十里越トンネルを含む只見~大白川間の次に長い駅間になる。

 

本名駅を出て500mほどの場所に架かる「第六只見川橋梁」。完全流出している。

根元にある重機は河川復旧工事のためのもので、只見線に直接は関係ない。

 

東北電力㈱本名発電所・本名ダム。こちらも雪解け水の増水の影響だろうか、放流していた。

「新潟・福島豪雨」では4門のゲートが全て開き、生み出された濁流が「第六橋梁」を破壊した。

 

「第六橋梁」を渡り終えて潜る本名トンネル。1,473mの長いトンネル。

ツタが絡まり、コンクリートは崩れ落ちている。

復旧にはこのような既存施設の改修・補修も必要になる。

 

トンネル手前の橋脚下にあった銘板越しに「第六橋梁」の流失区間を見る。

この「第六橋梁」の復旧、架橋工事はどのように進められるのか是非見たい。

 

本名トンネルを抜け、湯倉温泉が対岸にある橋立集落越しに見える車窓の風景。

只見線沿線は、標高は低いが意趣に富んだ山々が連なる。

 

橋立トンネル出口にある大深入沢の渓谷。

ここは伊達政宗が会津侵攻した際の古戦場跡になっている。

 

国道252号線と平行して走る只見線は、越川道陸神(どうろくじん)跡地付近に向かって登坂することになる。岩肌も露出する急峻な山を背景に、列車が進むことになる。

「四季島」が登坂するならば、相当な力量を感じられる絵になるはずだ。

車窓(右手、写真では左手)からは只見川も見えて、景色も良い。

 

少し只見寄りの鉄路を見させていただく。枯草に覆われて、運休の6年の時間を感じた。

ここで路盤に目を凝らすと、カタクリの花がポツポツと見られた。

“紫一点”と、新緑に負けぬ彩りがある。

列車が低速で走れば、路盤周辺にカタクリの花を見つける事ができるだろう。

  

ここから約1kmほど進むと、会津越川駅がある。

鉄路の向こう、北東側に582mの無名山が見える。

なだらか稜線だが、岩肌も露出し、登山道があれば面白い山なのではないかと思っている。

 

 

(3)会津越川~会津横田 3.2km

会津越川駅から600mほどの所に、東北電力㈱伊南川発電所がある。水路式で最大出力は19,400kW。只見線は三本の水路管を跨いで超える。

只見川沿いにある伊南川発電所。

最初にこの施設を見た時は違和感があった。施設名は“伊南川”だが、伊南川は近くにはないからだ。

伊南川は只見川と同じく阿賀野川水系の河川で、福島県の南西端に位置する桧枝岐村、尾瀬に連なる帝釈山脈に源流を持ち、南会津町を経由し只見町を東西に流れ、只見駅の南東1km付近で只見川と合流している。

この伊南川発電所の取水口は、南に直線距離で約8km離れている只見町小林地区があり、送水管を通ってここまで来ている。導水路は大半がトンネルで総延長9.67km、勾配は約1/1,000という。

1935(昭和10)年12月着工、1938(昭和13)年10月完成。「只見特定地域総合開発」の先鞭ともなった伊南川発電所が、当時どのように作られたか興味がわく。

 

国道252号線を少し進んだ位置から見ると、放水の様子が見られる。

途切れる事の無い激流。

導水路という人工物があるとはいえ、取水口ー放水口の標高差118mを活かした水の流れが生み出す自然エネルギーに感嘆する。

この奥会津の地理と気候が生み出す水エネルギーの潜在性は地域全体に広がる。これを活かした地域づくりは只見線にも好影響を及ぼすものになると私は思う。

 

次駅とのほぼ中間点、右手(北側)を見ると只見川に“島”が見える。

「伊夜彦神社」。新潟県弥彦村にある「弥彦神社」の分神が建つという。

「新潟・福島豪雨」では増水した只見川の影響で流出は免れたものの、大量の土砂が流れ込んだという。

 

味わいある景観だと私は思っている。只見線も直近を走っていて、車窓からも見る事ができる。

 

会津横田駅

保守用の側線を持ち、只見線(当時は会津線只見方)の会津川口~只見開業当時からある駅。

かつて南に面する位置には横田鉱山があり、鉱物の積み出しが行われてた、特異な駅だ。

 

ホームの先には花びらを残した桜があった。

奥会津の遅い春の名残り。

 

 

(4)会津横田~会津大塩 2.2km

只見線は次駅・会津大塩駅との中間点をやや過ぎた所で只見川を渡河する。

この際に渡る「第七只見川橋梁」も水害で流出している。

この橋は上路式プレートガーター橋で開放的だったが、復旧案では下路トラス橋が計画されていて、車窓からの景観が変わってしまう予定だ。

隣りにある町道の四季彩橋との景観に与える“相乗効果”に期待したい。

 

「第七橋梁」から約1kmほどの所に会津大塩駅がある。

只見線の駅では、一番開放的な駅と私は感じていて、電線などの人工物を排せば、映画のロケなどで利用してもらえるのではないか。

また、駅周辺には天然炭酸水が飲める二箇所の「炭酸場」と、日帰り入浴施設「大塩温泉共同浴場」もある。

 

 

(5)会津大塩~会津塩沢 5.5km

平行する国道252号線の只見寄り、滝名子地区の坂の途上に枝垂れ桜があった。見頃だった。

 

「滝沢炭酸場」の前を通り過ぎると、国道は滝スノーシェッドから滝トンネルを抜け只見町に入り、只子沢を渡り長大な塩沢スノーシェッドを出たところで塩沢地区に入る。

只見線は金山町と只見町と境界を滝トンネルで一気に抜け塩沢地区に出る。

 

そこに現れるのが、只見川が唯一直角に蛇行する雄大な景色だ。

この先は滝ダムがあり、満水時は静寂に包まれた水鏡が現れる。

 

また、列車の進行方向、只見側に目を向けると“会津のマッターホルン”蒲生岳と塩沢集落が見える。

これら車窓からの景観も乗客を満足させることは間違いない。

 

塩沢地区には“幕末好き”、司馬遼太郎ファンならば誰もが知る河井継之助の記念館がある。

越後長岡藩の家老で戊辰役・北越戦争で左足を負傷し、八十里峠を越え会津藩領に逃れるが、傷が悪化しこの塩沢地区(旧塩沢村)で亡くなった。

臨終を迎えた村医宅(矢澤邸)は只見川電源開発(滝ダム建設)で水没するため、この記念館内に移築され一部が保存されている。

また、近所にある医王寺には河井継之助の遺骨の一部が埋葬された墓地もある。

この塩沢は観光面では“河井継之助のムラ”と言っても過言ではない。

 

しかし、駅(会津塩沢)は記念館から600mほど離れた田んぼの真ん中にある。

私はこの駅を記念館前に移築すべきだと考えている。記念館前には国道252号線との間に十分なスペースがあり、土地の権利問題が解決できれば設置可能だと思う。

会津塩沢駅の全景。記念館前に移動する事は只見線復興に欠かせない事業の一つだと私は思っている。

“会津のマッターホルン”蒲生岳が見えなくなることが残念ではあるが...。

 

 

(6)会津塩沢~会津蒲生 3.0km

会津塩沢駅を過ぎると間もなく列車は“不渡河橋”である「第八只見川橋梁」を進むことになる。

蒲生岳が前面にそびえる、只見線内で最も迫力ある景観だ。

国道の寄岩橋上から見ると最良だが、列車に乗っていても十分に味わえる。

この「第八橋梁」の対岸には電源開発㈱滝ダム・発電所浚渫作業の用の泊地があるが、景観に及ぼす影響を気にしていた。

今回、護岸をよく見ると砕かれたものではあるが自然石で覆われているようだった。

とりあえず、“撮り鉄”にとってはさほど邪魔にはならないだろうと感じた。

あとは、復旧時に車窓からコンクリートの構造物が景観を損ねない工夫をしてもらいたい。

 

次駅・会津蒲生の手前、宮原地区にある墓地踏切からは、蒲生岳の突端を背景に満開の一本桜が見えた。

新緑の中に一本モノの桜を探す。奥会津の春を堪能する一つの楽しみ方かもしれない。

 

会津蒲生駅。駅舎前には蒲生集落が広がる。

 

 

(7)会津蒲生~只見 4.5km

会津蒲生駅は“会津のマッターホルン”蒲生岳の麓にあり、登山拠点とて利活用できる可能性がある。

また、この時期には隣接する「蒲生カタクリ公園」では“かたくりまつり”と称してカタクリ群生を楽しむ機会がある。

公園は蒲生岳登山道の入口にあり、畑の間の道を進んで入る。

ちなみに公園は私有地となっている。

 

カタクリ群生は会津蒲生駅のホームからも見える直近の位置にある。

遠方に冠雪した山々が見えるなど三島町「大林ふるさとの山 カタクリ群生地」とは違った見方楽しみ方ができる。

 

会津蒲生を出ると列車は蒲生川橋梁を渡り、蒲生トンネルを抜け、八木沢集落を左手(南側)に見ながら進み、曲線(R=250m)が美しい「叶津川橋梁」を渡る事になる。

只見線では最も開放的な景観が楽しめる橋だ。

振り返ると蒲生岳を鋭角に見る事ができる。

 

「叶津川橋梁」を渡り終えると、列車は3分程で只見駅に到着することになる。

 

 

「平成23年7月新潟・福島豪雨」災害で運休しているJR只見線の会津川口~只見間には個性的な立地の駅や、野趣に富んだ車窓からの景観がある。しかもこれらは四季折々で表情を変える。

さらに、只見駅より先には「ユネスコエコパーク」にも登録された田子倉湖周辺の大自然があり、新潟県に入ると末沢川・破間川沿いの景観を車窓から楽しむことができる。

只見線の終点・小出駅からは上越線に入るが、こちらは電化区間となり高速で山間を駆け抜ける事ができ、只見線とは違った自然の見方ができる。

建設当時国内最長だった清水トンネルや、松川と湯檜曽の両ループトンネルも風景は見られないが違った趣きを感じる事ができるだろう。

 

このように「四季島」が只見線経由で上野駅に帰ってゆく事は、現行ルートに増す楽しみを乗客に提供できると私は思う。

 

只見線の全線復旧についてJR東日本は最終決定はしていないが、ほぼ間違い無いといわれている。

復旧は早くても2020年度中で、時間はある。

復旧工事に「四季島」が通行可能な補強などの工事を盛り込むなど、福島県が中心となってJR東日本や、費用を拠出する会津地方17市町村に働きかけ理解を求め、「四季島」運行を実現して欲しい。

 

 

 


運休区間を自転車で走り終え、会津川口駅周辺で買い物をしていると会津若松から列車が到着した。

列車越しに只見川の対岸を見ると、桜の幼木が午後の陽に照らされて綺麗に見えた。

駅構内に入ると多くの乗客の姿が。この列車から降りたようだ。

耳を澄ますと中国語が飛び交っていた。中華圏からのツアー客のようだ。

インバウンドに只見線乗車が組み込まれ、増えている事を嬉しく思った。 

 

ツアー客は駅前に駐車されていた大型観光バスに乗車して次の目的に向かうようだった。

私は大量の乗客を降し、静かにディーゼル音を響かせる会津若松行きの列車に乗り込んだ。

車内では遅く昼食を摂り、その後に只見町で入手した日本酒を呑みながら車窓からの風景を楽しんだ。

只見町に隣接する南会津町・開当男山酒造の「濾過前生酒 山王丸」。

コクがあり風味豊か。香りも立ち、旨い酒だった。

 

列車は快調に進む。

 

17:19、会津若松着。約10時間ぶりに戻った。

「TRAIN SUITE 四季島」はもう1時間ほど前に終点・上野に到着している予定だ。

かの乗客が会津滞在をどのように感じたのかを気にしつつ、今回の旅を終えた。

 

JR只見線は福島県の復興に欠かせないピースの一つである、と考える私にとって「四季島」の会津若松駅初入線を見て、只見線を走る姿を想像しながら桜が咲き新緑が芽吹く沿線を訪れる事ができたのは大きな経験となった。

 

 

「TRAIN SUITE四季島」とJR只見線。

今は接点が無いが、只見線の復旧が本格化すれば自然と話題に挙がり、乗り入れが検討事項の一つになることは間違いないと思う。復旧工事に着手する前の早い段階で「四季島」のJR只見線の乗り入れを検討して欲しいと思う。

私は「四季島」の只見線乗り入れが実現されるよう願い、自身ができる事を考え、行って行きたい。(了)

 

 


・ ・ ・ ・ ・ 

*参考:福島県 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

・福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

 

寄付金の使途は以下の通り。

・お寄せいただいた寄附金は、福島県、会津17市町村や新潟県などで 組織する「福島県JR只見線復興推進会議」で協議の上、只見線の復 旧や利活用促進のため使われます。(「只見線復旧復興基金寄附金募集」チラシより)

・ 寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、 只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 日本一と言われるロケーションだけに頼らない観光振興を推進し、 新たな観光収入の増加を図ります。 (「JR只見線企業版ふるさと納税(地方創生応援税制)の御案内」より)

 

 

よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっているJR只見線は、2017年6月19日に福島県とJR間で「復旧基本合意書」が交わされ、2018年6月15日の復旧工事起工式を経て、2021年度中の全線再開通に向けて工事が本格化しました。ブログでは車窓の風景や沿線の見どころを伝える「乗車記」等を掲載します。

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