柳津町「桜、桜、桜」 2017年 春

奥会津*で桜の開花が一番早いと言われる町の様子を見ようと、JR只見線を利用し柳津町に向かった。

 *奥会津:福島県最西部、会津南西部の5町2村をさす。柳津町・三島町・金山町・只見町・南会津町(旧田島町地域除く)・昭和村・桧枝岐村

 参考:奥会津 歳時記の郷 URL:http://www.okuaizu.net/

 

今回の予定は会津若松から三島町に入り、カタクリ群生地に立ち寄り、柳津町に向かい只見線の列車と桜を一緒に楽しめる場所を探す予定。

三島町から柳津町の移動を自転車にするため、今回は久しぶりに折り畳み自転車を輪行した。


 

 


前日に会津若松入りし、朝を迎える。

郡山市湖南町の布引高原の西側にある会津布引山に源流を持つ「湯川」沿いの桜並木を見る。満開だった。

こんもり、ふわふわの桜。

重みで垂れた花房の先には残雪の越後山脈が見えた。

会津若松城(鶴ヶ城)に向かう。

城内の桜も満開。

堀の水鏡は冴え、桜の美しさも際立っていた。

目の高さの桜房。絢爛という言葉にふさわしい咲きっぷり。

天守閣に向かい、仰ぎ見る。

天守は1965(昭和40)年に再建されたものだが、約400年前の蒲生時代に築かれた「野面積み」の石垣が歴史の重みを感じさせてくれる。

 

朝日に映える赤瓦。

 

桜と城。日本の美。

 

北出丸の堀。

桜の競演、水鏡に鮮明に映る逆さ桜、そして明けきる前の青空。

素晴らしい空間だった。

桜に彩られた鶴ヶ城を後にする。

 

 

只見線の始発列車は会津若松6:00発だったが、鶴ヶ城の桜に見とれてしまい時間が無くなる。

会津若松に行く事をあきらめ、最寄りの西若松の次に近い、七日町から乗車することにした。

ホームに行き、自転車を輪行バッグに収納して間もなく、会津川口行きの始発列車が磐梯山を背にしてやってきた。

先頭は「只見エコパーク」登録を記念して施されたラッピング車だった。

 

6:03、列車はディーゼル音を響かせ出発する。

  

列車は阿賀川を渡り、まもなく会津本郷を経て一面に田んぼが広がった会津平野を進むが、水が張られたものもあった。

 

会津高田を過ぎ、進路を北に変えしばらくすると、水田に“逆さ磐梯山”が見えた。

会津の“豊かさ”に感動した。

 

根岸新鶴若宮の各駅を過ぎ、会津坂下に到着。

通常、私が郡山からの乗り継ぎで利用する、会津若松駅7:37発の列車では乗客の9割を占めると思われるほどの高校生はこの会津坂下駅降り車内は閑散とする。しかし、この列車は違った。

二両編成の大半の座席に座った高校生が残るばかりか、新たに乗車してきた。

現在の終点・会津川口が最寄りの県立川口高校の生徒だった。

私は車内に響く高校生の歓声を聞きながら考えた。

只見線の車窓の景観美は会津坂下駅以後から本格的に始まる。

静かに車窓の風景を楽しみたい乗客にとって生徒達の賑やかな声や騒がしい姿は、あまり喜ばしくない事だろう。

一生に一度の旅に来て、自然美を静寂の中で楽しみたい方はこの環境に失望すると思う。

私は生徒達には申し訳ないが、この只見線は観光路線であることを認識し、観光客の邪魔をしない乗車を心掛けてもらいたいと願う。

 

只見線はこれから全線復旧するが、大半の復旧費とその後の施設の維持管理費を拠出する福島県や沿線自治体は只見線を観光路線として位置づけて様々な行動を起こす。

このような観点から、生徒に留まらず、只見線を利用する地元の方々は、観光客目線・思考で乗車態度を変える必要があると私は考える。このような“観光地リテラシー”を地域住民が持つことで、乗客が増え、仕掛けによって交流人口も増え、只見線の恒久的な維持だけではなく地域社会・経済に多大な恩恵をもたらすはずだ。

 

 

列車は塔寺会津坂本会津柳津郷戸滝谷会津桧原を経て「第一只見川橋梁」を渡る。

朝日がアーチ橋の陰を只見川に落としていた。

車窓から北側の風景を見ると、柳津ダムが創り出す湖面鏡が日向倉山(605m)を映し出していた。

 

7:25、間もなく次駅の会津西方に到着。

ここは三島町。

柳津町を通り越し、まずは西方地区にある「大林ふるさとの山」のカタクリ群生地に向かう予定を立てた。

 

ここから自転車を使う。

輪行バッグから折りたたまれた自転車を取り出し、元の状態に戻す。

その容易さに、改めて関心する。

この手軽さを多くの方々が実感すれば、輪行はもっと普及するだろうと思う。

 

会津西方駅周辺の桜は三分咲きといったところか。陽の当たる上部は八分咲きとなっていたが。


「大林ふるさとの山」に向かい、約30分で到着する。

当初は『柳津の桜のついでに...』と予定を組んだが、あまりの美しさに感動、見惚れてしまった。

時間の許す限りカタクリの花に見入り、現場を後にする。

「大林ふるさとの山」の様子は別稿で取り上げたいと思う。


 

 

 

8:40、自転車に跨り山を下りカタクリ群生地を後にする。

町道を経て国道252号線に入る。

スピードを上げて通り過ぎる車に少し怯え、トンネルやスノーシェッド内に漂う砂埃に辟易しながら柳津町に入り先を急ぐ。

松倉トンネルの手前で停車し、左奥に柳津ダムを見る。

柳津ダムには、以前に訪れた事があるため目的地までの距離感がつかめる。

『間に合わない!』と確信し、予定を変更し手前の郷戸駅から列車に乗り車窓から枝垂れ桜の絵を撮ることにした。

 

9:25、郷戸駅に到着。ぎりぎりだった。

ホームの端にある桜の下端は、今にも花開かんという状態。

9:29、郷戸を出発。先頭部に乗車する。

 

二つ目、月光寺境内に架かる橋梁を渡る際、列車は桜のトンネルを抜けようとするが、よく見ると斜面には“撮り鉄”二人の姿があった。

帰宅後、この場所をよく調べると撮影ポイントになっているようだった。

プロが撮るとこのような写真が撮れるようだ。

 

“月光寺橋梁”を過ぎると間もなく車窓から「枝垂れ桜」が見えた。

9:35、会津柳津に到着。

往路は山影で冴えなかった桜も、陽の光を浴び美しく咲いていた。

 

駅舎を出て、左手(南)を見ると七分咲きの桜並木があった。

再び輪行バッグから折り畳んだ自転車を取り出し、組み立てる。

この坂を下り、さきほど車窓から見た「枝垂れ桜」に向う。

 

5分とかからず到着。距離は750mほどで、徒歩でも10分はかからない。

「枝垂れ桜」は美しく咲いていた。

列車を撮るならば...と撮影場所を探す。

この先の坂を少し下った場所からのアングルが気に入った。

左に見える桜が満開となり、僅かな勾配を駆け上がる列車と一緒に収めれば素晴らしい一枚になるのではないだろうか、とひとりごちる。

 

この「枝垂れ桜」の撮影スポットは、向かいに私有地である畑がある。

ロープで囲われ、所有者による“注意下記”が掲げられていた。

ここで一考。

この場所は「枝垂れ桜」と列車を撮影するには絶好の場所。間近で見るだけでも良い。

ならば、有料で開放してはどうだろうか。

土を踏み固めないよう足の付いた舞台を設け、有料で立ち入りを許可する。

立ち入りは列車の通過時間帯だけにすれば管理も可能だ。

春の限られた時間、多くの観光客に貴重な鑑賞・撮影場所を提供する事は柳津町にとっても地域にとっても良い事だと思う。

行政などが仲立ちし、是非実現して欲しい。

 

「枝垂れ桜」を背にし坂を下る。国指定重要文化財の「奥之院弁天堂」の脇を通り抜ける。

周辺の桜は、陽が当たるせいか満開だった。

道すがら、桜を見上げながら月光寺に向かう。


寺は曹洞宗豊山派で、先ほど列車で通った橋梁が境内の後方にある。

 

月光寺に到着。自転車を押し10分ほどかかった。

両側に石柱が建つ立派な入口。

只見線を見るため“御用の無い方”に該当するが、前方に「糸瀧不動尊」の案内板が見えたため境内に入らさせていただく。

 

元和元(1615)年の建立で、『毎年五月頃より瀧の流れが細い白糸のようになる処から糸瀧と呼ばれ』と看板には書かれていた。

さっそく坂を登る。

 

橋梁の近くまで来ると桜の木があった。

車内からは八分咲きの桜が見えたが、根元の方は蕾が多く見られまだ咲き始めだった。

満開になれば、このように列車を見上げて撮った写真も良い一枚なると感じた。

 

橋梁下に行く。

SLの走行時に見上げれば、相当な迫力だと思う。

 

橋梁は緩やかな曲線を描いているため、この角度からも三両編成ぐらいだったら一枚の写真に収まるのではないだろうか。

 

間もなく、糸瀧不動尊に到着。

不動尊越しに橋梁が見える。

壊れたベンチが難だが、撤去するか木製のものに替えれば味わいのある景観になるだろう。

 

不動尊の奥には「糸瀧」が見えた。

その名の通り、わずかな流れが岩肌をつたい落ちていた。

 

 

しばらく景色を眺め、雰囲気を楽しみ糸瀧不動尊を後にする。

次は、道中のトンネルやスノーシェッド内で浴びた体をすっきりさせたいと温泉に入る事にする。

 

一旦、国道252号線に出て瑞光寺橋と桜を見る。

右手の丘の上にはこれから向かう温泉施設「柳津温泉 つきみが丘町民センター」がある。

 

国道を渡り坂を登り「町民センター」に到着。

町営の保養・宿泊施設で日帰り温泉の営業もしている。

 

敷地の右手に目を向けると恰幅のよい銅像があった。

大竹作摩翁之像。

民選二代目の福島県知事だが、出身は北塩原村。柳津町になぜ銅像がと思い台座の文を読む。

(前略)・・・民選知事として公約した只見川筋に十四のダム式発電所を建設する本流案を揚げて中央政界 東北各県に呼びかけて政治運動を展開 文字通り苦闘の末 吉田茂内閣を動かして昭和二十六年七月只見川早期開発が具体化された・・・(中略)・・・翁の政治信念は・・・(中略)・・・当時不可能とまでいわれた只見川開発を成功に導いたのでありその功績は永遠に不滅の光を放つものである。・・・(後略) 

「只見特定地域総合開発計画」の核ともいうべき只見川電源開発で新潟県の推す“分流案”を退け、“本流案”の核ともいうべき田子倉ダム建設では水没住民に対する補償交渉で前面に立ち収束させた大竹作摩元知事。彼の政治力が無かったから、流域のダムが建設されなかったばかりか、只見線は全通せず、ダム湖が創り出す水鏡による屈指の景観も見る事ができなかったかもしれない。

このように考えると、この銅像が只見川電源開発との関係の深い奥会津地域の入口にあたる柳津町に建立されたのは納得だ。

 *参考:Wikipedia「只見特定地域総合開発計画

 

 

大竹作摩翁之像の奥に行き、景色を見る。つきみが“丘”というだけあって町を見下ろせる。

東側からは先ほど訪れた月光寺と只見線の橋梁も見えた。

ここの桜越しに列車を撮影するのも良いと思った。

桜咲くこの時期の、穴場の撮影スポットではないだろうか。

 

 

周囲の景色を楽しんだ後、館内に入る事に。

入口では「赤べこ 満子」がお出迎え。

全身が丸っこい、愛らしい姿に癒される。

 

受付で入浴料(¥300)を支払い地階に降りて、温泉に浸かる。

 

浴場はガラス張りで、目の前には七分咲きの桜を越しに瑞光寺橋と只見川が見えた。

圧巻の光景に感動した。

肝心の温泉はやや熱めで、湯質は柔らかく気持ちよかった。

 

浴後にロビーに行き、窓から外を眺める。

写真右手に見えるのが浴場の屋根で、その前に桜が咲き、瑞光寺橋と只見川があるのが分かる。

 

少しロビーで休み、11:30になったのを確認し食堂に向かう。

どうしても食べたかった“柳津ソースカツ丼”を注文する。

“会津名物ソースカツ丼”と何が違うかは一目瞭然。

半熟卵焼の上にカツが載っている。

ソースカツ丼とは違うが、かつ丼でもない。

半熟卵焼の下には千切りキャベツも敷き詰められ、歯ごたえと味に変化がつけられている。

とにかく、旨い!

忘れられない一品で、また食べに来たいと思った。

“柳津ソースカツ丼”は町内の他の食堂でも供されているというので、次回は別の場所で食べてみたい。

 

 

食後、しばしくつろぎ、館内を出る。

左手にあった銅像を見る。江戸末期の禅僧、良寛のものだ。 

1817年、良寛がここ柳津の福満虚空蔵菩薩圓蔵寺を詣でたといい、その際に読んだ漢詩の碑が脇にあった。

柳津町はこの銅像が縁で、良寛の生地・新潟県出雲崎町と姉妹都市になり、毎年4月29日には良寛和尚供養祭を行っている。

 

自転車を抱え、西側の階段を降り、町民センターを後にする。

 

銀山川に架かる朱色に塗られた中の橋から町民センターを仰ぎ見ると、階段が通じていた。

駅から来た場合、この道を進めば時間を掛けずに町民センターに着くことができる。

次回はそうしようと思った。

 

ここから県道151号線を北に少し進み、観月橋のたもとから福満虚空藏菩薩圓藏寺の全景を見る。

桜が満開ならば、いっそう素晴らしい景観だろうと思う。

 

引き返し、中の橋を渡り、圓藏寺の門前に行き仁王門と本堂(菊光堂)を見上げる。

荘厳な佇まい。

表参道から桜越しに仁王門を見上げる。

岩肌に作られた大日堂も、桜と収まると一層と絵になる。

 

福満虚空蔵菩薩園蔵寺を後にし、「あわまんじゅう」を食べたいと思い小池菓子舗に向かう。

 

ゆるやかな坂を登ると、まもなく小さな行列を作った店舗が見えてきた。

お土産と合わせ、8個を購入する。

 

再び坂を登り会津柳津駅に向かう。

駅のホーム端に立つ駅名標越しに桜を見る。

私が駅に降り立った3時間前より、さらに桜の花が盛り上がっているようだ。

 

駅前の桜並木も、気温も上がり、上部の方はほぼ満開になったようで、美しさが増していた。

提示されている蒸気機関車「C11 244号」越しに桜を見てみる。

SLは自然美に調和する造形をしていると感じる。

 

ここで、駅前のベンチに腰を降し、桜を見ながら「あわまんじゅう」をいただく事にした。

出来立てはほのかに暖かく、柔らかく、旨い。

 

しばらく桜を愛で、無人の改札を抜けてホームに向かう。

列車と桜を一枚の写真に収めるため、撮影場所に見当をつける。

 

13:20過ぎ、会津若松行きの列車がカーブの先から現れる。

列車が停車直後にも一枚撮る。

鉄路脇の桜が満開ならば、最高だったのに...と思わずにはいられない構図。

 

急ぎ、輪行バックに入れておいた自転車を担ぎ、乗車する。 

13:23、会津柳津を定刻に出発。

 

会津坂本手前では赤崩山(1070.5m)、大塚山(1322.3m)から飯森山(1595.4m)へと連なる山稜を背景に桜並木が見られた。

会津坂本を出て、しばらくすると未だ真っ白な冠雪の飯豊連峰が北側の車窓の正面に見られた。

雪と桜。会津の春だ。

 

 

列車は次駅・塔寺を過ぎると、七折峠の本格的な下りに入る。

会津平野に対してほぼ北から南に向かう際、左手(東側)の車窓には、その会津平野が見え掛かる。

しかし、残念だが木々が邪魔でその全貌を見る事はできない。

減速もしないため、わずかに開放的な箇所があっても一瞬にして過ぎ去る。

私は“もったいない”、といつものように思った。

ここで参考になるのは三重県を走る名松線(JR東海)沿線の取り組みだ。

地域の団体「名松線を守る会」が車窓から見える川の景色を見てもらいたいと鉄路脇の木を伐採したという。

私は先月乗車してきたが、伐採だけでなく間伐も行っているようで、当該箇所では車窓からの風景を楽しむ事ができた。

所有者との交渉、伐採の根枯れによる法面崩壊の可能性の検討だど、ハードルは低くないが、この七折峠から会津盆地を見られるならば“日本三大車窓(根室線・狩勝峠、篠ノ井線・姥捨、肥薩線・矢岳)”にも劣らない車窓からの景色となるだろう。

 

列車は会津平野に入り、快調に進んで行く。

会津高田では磐梯山が綺麗に見えた。

 

14:23、定刻に会津若松着。

平日にも関わらず、乗客は多かった。

連絡橋から、いつもの一枚を撮影する。

天気が良いため、磐梯山をはっきり見る事ができた。

 

今日の只見線の旅が終わった。

ここから乗り換え、郡山を目指す。今回は日本酒は買わずに帰る。

 

柳津の桜は満開ではなく残念だったが、私は初めて桜咲く季節に只見線に乗ることができた。

夏、秋、冬の姿は体感し五感にしみこんでいるが、春だけは抜け落ちていた。

 

只見線沿線の春の訪れは一様でなく、金山町や只見町の桜はまだ蕾や咲き始めだという。

だから今回一度だけの訪問で只見線の春を語る事はできないが、回数を重ねて、只見線の春夏秋冬を体感、体得し一人でも多くの人たちに只見線の魅力を伝えられるようにしたいと思う。(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:福島県 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

・福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

 

寄付金の使途は以下の通り。

・お寄せいただいた寄附金は、福島県、会津17市町村や新潟県などで 組織する「福島県JR只見線復興推進会議」で協議の上、只見線の復 旧や利活用促進のため使われます。(「只見線復旧復興基金寄附金募集」チラシより)

・ 寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、 只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 日本一と言われるロケーションだけに頼らない観光振興を推進し、 新たな観光収入の増加を図ります。 (「JR只見線企業版ふるさと納税(地方創生応援税制)の御案内」より)

 

 

よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっているJR只見線は、2017年6月19日に福島県とJR間で「復旧基本合意書」が交わされ、2018年6月15日の復旧工事起工式を経て、2021年度中の全線再開通に向けて工事が本格化しました。ブログでは車窓の風景や沿線の見どころを伝える「乗車記」等を掲載します。

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