今日、今年度の営業を終了する「只見スキー場」を見たいと思い、JR只見線を利用し只見町に向かった。
「只見スキー場」は只見線沿線では駅から最も近く徒歩圏。福島県内にはこれほど駅から近いスキー場は無い。だがこの「只見スキー場」、3月に入り県内で唯一、“滑走不可”になっていた時期があった。
只見町が国内有数の豪雪地帯でありながら、スキー場が使えないのはなぜだろうと疑問が湧き、現場を見たいと思ったことも、今回の旅の動機となった。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・東日本旅客鉄道株式会社「只見線について」 (2013年5月22日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬ー
早朝の郡山駅前。夜は明けてはいたが、灰色の雲が広がっていた。
改札を抜け、1番線に向かう。3月4日のダイヤ改正で磐越西線に投入されたE721系が待っていた。
E721系の登場で、磐越西線でもワンマン運転が始まるという。新車とは思えないが、床はピカピカだった。
郡山市が約20億円を搬出して設置した「請願駅」。1面1線の構造で、Suica対応の無人駅。駅に直結するような位置に「ふくしま医療機器開発支援センター」があり、周辺には奥羽大学や郡山北工業高校、スーパーやホームセンターがあり、何より宅地開発で人口増加は著しい場所に新駅は設置されている。郡山に駅をつくるのならばここしかないという場所だ。郡山市は一日1,000人の利用者を見込んでいる。
上り(郡山行き)が18本、下り(会津若松方面)19本で、1時間に1本程度の列車の数が気になるが、多くの市民にこの駅を利用してもらいたい。
列車は喜久田、磐梯熱海、中山宿を過ぎ、沼上トンネルを抜けて郡山市から猪苗代町に入る。
上戸、関都、そして川桁を出発し長瀬川を渡る前後で「磐梯山」が見え始めるが、今朝は雲に隠れていた。見えないのは残念だったが、この田んぼ越しに屹立する容姿を想像して、会津に入った事を実感した。
7:09、会津若松に到着。改札を出て駅舎から空を仰ぐと鉛色の空が広がっていた。
駅舎の屋根は、鶴ヶ城(会津若松城)の赤瓦と同じ色合いのトタン屋根に改修され、先日18日に工事を終えたという。JR東日本が新造した豪華寝台列車「TRAIN SUITE 四季島」の、会津若松駅への乗入れ(5月7日)を歓迎するためだ、と地元紙が伝えていた。
JR東日本が新造した豪華寝台列車(クルーズトレイン)「TRAIN SUITE 四季島」が会津若松に立ち寄るのは1泊2日のプラン。車中泊した乗客は朝に会津若松に到着し、下車後に地元和食店に向かい朝食を摂った後に市内観光(2時間ほど)を行い、昼前に再び乗車し上野に帰ってゆく。
「TRAIN SUITE 四季島 1泊2日コース」の初運行は5月6日。翌7日の朝に、初めての乗客がシャンパンゴールドの車体から会津若松のホームに降り立つ。
会津若松での時間が「TRAIN SUITE 四季島」の乗客に、素敵な思い出になって欲しい。*参考:東日本旅客鉄道㈱「「TRAIN SUITE 四季島」運行開始日、運行日程、運行ルートの詳細、旅行商品の受付開始について」(2016年5月2日) / 割烹・会津料理「田季野」
再び改札を通り、連絡橋を渡り只見線のホームに向かう。これから乗る会津川口行きと、喜多方行きの列車(キハ40形)が並んでいた。
7:37、列車は定刻通り、会津若松を出発。
七日町、西若松を過ぎ、西に進路を取り、阿賀川(大川)を渡る。
列車は、田んぼが広がる会津平野を進んだ。
会津坂下で、部活動に行くと思われる会津農林高と坂下高の生徒を多く降し、車内は閑散となる。私が乗った車両には他一名だけだった。
このあと、列車は七折峠を、今日までという「雪崩・落雪対策 減速運転」で、ゆっくりと駆け上がった。
会津柳津を過ぎ、まもなく郷戸という地点の車窓の風景。会津平野では見られなかった田んぼの雪が、春の訪れが遅いことを感じさせてくれた。
9:03、列車は「第一只見川橋梁」を通過。晩冬の深い緑の川面。これはこれで、別の美しさがあった。ここから、只見線と只見川の付き合いが始まり、車窓の景色を眺める時間が長くなった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館「歴史的鋼橋集覧」
大谷川橋梁を渡り、旧国道の宮下橋(上路式RCアーチ橋)を見下ろした。
9:08、会津宮下に到着。2番ホーム、待合室に掲げられた駅名標。歴史を感じた。
宮下ダム湖の湖面鏡。ゆっくり走っているお陰で、一層、旅愁が深まった。
9:21、「第三只見川橋梁」を通過。界沢の滝が見えた。
会津中川を過ぎ、大志集落の背後を通り抜けると、まもなく、只見川に架かる上井草橋が眼前に迫ってきた。
東北電力㈱上田発電所の上田ダム湖の湖面鏡には、冠雪した山が映りこんでいた。
駅構内に入り、金山町の公式ゆるキャラ「かぼまる」に再会。今回も衣装は着ていなかった。
「かぼまる」下にあるカウンターケースには「只見線活性化対策協議会」のポスターが張られていた。初めて見た。“只見線応援キャラクター”キハちゃんのずんぐり感が愛らしかった。
駅頭に止められていた、代行バスに乗車。ドライバーはいつもの女性。
会津蒲生“駅”となっている蒲生集会施設「雪の里」前を出発。しばらくすると、代行バスは只見線の「叶津川橋梁」を潜り抜けた。全長372mで半径250mの曲線を持つ、美しいプレートガーダーと鉄筋コンクリート桁の混成橋だ。
11:15、只見に定刻着。
駅の北側にある空き地、2月に開催された「第45回 只見ふるさとの雪まつり」会場には、“雪むろ貯蔵実験中”の案内板があった。再利用されているようで、平成26年度福島県地域づくり総合支援事業の文字が入っていた。
“熊本城”がそびえていた場所には、名残りがあった。
当日(2月11日)には多くの来場者で、会場はにぎわっていた。
国道252号線に出て、目的地である「只見スキー場」に向かった。只見駅からスキー場へは山側を通る町道を使った方が早いが、雪に埋もれていた。
“魚沼方面通り抜け不可”とある通り、国道252号線の六十里越えは積雪のため例年5月中旬ごろまで通行不能となっている。JR只見線が魚沼市(新潟県)に抜ける唯一の交通手段となる。
駅を出て約800m、案内板が見えた。
右折し、町道を進む。只見線のガードを潜る。
営業はしているようだが、一見客の姿がなかった。しかし、よく目を凝らすと人影が見えた。デジタルカメラを最大のズームにして撮影。
冒頭に掲載せた3月9日の記事では、「積雪190cm」ながら使用可否欄は「×」となっていたのが何故かなのか、この光景だけでは分からなかった。後でスタッフにでも聞いてみようと思い、早めの昼食を摂るためレストハウスに入った。
2階の食堂の様子。落ち着いた雰囲気。
メニューは、トマトラーメンとどちらにしようかと迷ったが、マトン丼を選び食券を購入。カウンターに出し、テーブルで調理を待つ。5分程度待ち、半券の番号が呼ばれ、カウンターに受け取りいった。
見た目のボリュームは、申し分無い。羊肉特有の臭みは少なく、玉ねぎ・キャベツ・ピーマンとタレがしっかり絡まって旨い。一気に平らげた。
マトン(羊肉)は、当時国内最大の電源開発㈱田子倉発電所・田子倉ダム建設の労働者の胃袋を満たした、只見町のB級グルメ。食に関する“物語”は、別格の重みがあると思う。この“物語”を活かし、地元で羊を育てる、町内どこの飲食店でも食べられる、駅周辺など露出の多い場所に“旗艦店”を作る、などの手を打って、『只見線に乗ったら、只見駅で下車して、マトンを食べる』という文化を創って欲しいと思った。
食後のお茶を飲みながら、窓越しに只見駅の方角を眺めた。
雪の上に、頭を出した駅舎が見えた。駅が近い事を実感。
食事を終え、表に出る。改めてゲレンデを見渡す。小規模のスキー場だが、可能性を感じた。
私はスキーをやらないので、この「只見スキー場」の雪質やゲレンデの形状などが、どれほどスキーヤーに受け入れられるか判別できないが、駅直近であることは、只見線利用促進の魅力的なコンテンツになると私は思う。只見線利用者が乗換時間や日帰り旅行で楽しめる遊び方を提供できれば、集客に結び付くのではないか。雪がなくなればグラススキーやゾーブボールなどでゲレンデを活用できる。
鉄道利用者は、駅から徒歩圏の場所やモノに惹きつけられ、途中下車をすることがある。車で〇分、バス利用などというのは、ふらっと立ち寄りを期待できない。乗るだけで価値のある只見線の利用者を、途中下車させ楽しんでもらえれば、リピーターが確保されるばかりでなく、新たな利用客層の開拓につながるのではないだろうか。「只見スキー場」は必ず、只見線を代表する“ふらり途中下車の立ち寄り先”になるなると思う。
只見線の復旧決定が秒読みの段階ではあるが、利用促進策に具体性は無いようだ。只見線各駅周辺のコンテンツを精選し、徒歩圏(広がっても自転車移動可能圏)の楽しみ方を、利用者に提案して欲しい。そうすれば途中下車を誘発し、滞在時間の増大が見込める。滞在時間が増えれば、沿線ににぎわいが創出されるばかりでなく、地元経済にも好影響をもたらすと思う。
“移動は車”という生活環境、文化が身に着いた中、施策の立案者には発想の転換が必要になってくるが、只見線の利用者増・只見線を核とした沿線交流人口増にはこの発想の転換が必須だ、とも思う。
スキー場を後にし、少し街中を歩いた。国道252号線を一本入った町道にも、雪は見当たらなかった。
しばらく歩き、国道289号線を渡り、まもなく竣工する只見振興センター(旧只見総合開発センター)前にある、静態展示のSLを見に立ち寄った。
「C58 244」号。只見町観光まちづくり協会が中心となり、昨年11月に7年ぶりに塗り直された為、黒光りしている。この堂々とした迫力には、鉄道ファンならずとも見入ってしまう。
意外だったが、このSL展示には案内板が無かった。もったいと思った。
「C58 244」号は1940(昭和15)年11月に兵庫県(川崎重工)で製造され、岡山→北海道→盛岡→青森と各地で疾走し、最後は八戸で引退している(1972(昭和47)年5月)。福島県内では走行していなかったという。*出処:機関車データベース「C58 244」URL:http://d51498.com/db/C58/C58244
只見線を走る「SL新緑号」(5月)と「SL紅葉号」(10月下旬~11月上旬)は、真岡鐡道㈱(栃木県)の「C11 325」号が借用され運行している。ちなみに、磐越西線の「SLばんえつ物語号」は「C57 180」号が充てられている。*出処:東日本旅客鉄道㈱新潟支社 「SLばんえつ物語号」
この只見町に展示されている「C58 244」号は、只見町に所縁のない蒸気機関車となる。これが故に案内板が無いのかもしれないが、やはり176万2478kmも駆け抜けた物語は知りたいものだ。只見線の全線復旧に合わせ、蒸気機関車「C58 244」号も活かしてもらいたいと思った。
このSL展示場から、ほど近い場所に「ふるさと館田子倉」がある。国道289号線線に面しており、「只見ユネスコエコパーク」推進協議会事務局の看板も掲げられていた。
引き戸に貼られていた案内ポスターには“ダムに沈んだ旧田子倉集落の自然と生活・文化を伝える”とあり、電源開発㈱田子倉ダム(発電所)の底にあった田子倉集落と住民の写真が掲載されていた。
正面に回り、入館した。
もともと、この資料館は田子倉集落出身で移転を余儀なくされた皆川弥氏(故人)が私設資料館として開設したものだという。その後、皆川氏の意思を町が引き継ぎ、2015(平成27年)に町がこの施設を取得し、昨年11月3日に「只見ブナセンター ふるさと館田子倉」として開館。*出処:「広報 ただみ」(No.559 2016年12月号)
館内には田子倉集落に関する資料や当時実際に使用されていた生活用品の実物、写真などが多数展示されていた。当時の映像も見る事ができる“上映室”もあった。また、田子倉ダム建設を題材に小説を書いた作家(小山いと子、城山三郎、曽野綾子など)に関する情報や作品に関する資料なども展示され、当時田子倉ダム建設が大きな社会問題であったことを窺い知ることができた。*参考:只見町観光まちづくり協会「駅近!只見の歴史ある集落、田子倉を知ろう」
時間があったので、只見川沿いにある町営の入浴施設に立ち寄る事にした。
只見川方面に向かい、常盤橋の手前を左折。少し歩くと伊南川との合流に地点に着く。
この合流地点のそばに只見町営の保養センター「ひとっぷろ まち湯」がある。
自動券売機で入館券(¥500)を購入し、浴室に向かう。男湯の入り口脇には、只見線の大きな絵が掲げられていた。
鉄道風景画家である松本忠氏の作品だ。線使いや色合いがはっきりしていながら、優しさがある絵風が私は好きだ。この絵を含め、脱衣所(2)、浴室(2)の館内5か所に掲げれているという。*参考:松本忠「もうひとつの時刻表」
脱衣所、浴室ともに人がおらず、撮影させていただいた。
浴室に入ると、2013年9月にリニューアルオープンとは思えない、真新しい清潔感を感じた。
只見川との間に町道があるため、川を見ながらの入浴とならないのが惜しく、せめて半透明な窓の上部を透明にして、外の緑が見えるようになれば良いと感じた。町の保養施設で、町民にとっては見慣れた自然の光景だと思うが、駅裏の「要害山」登山や田子倉方面へのサイクリングなどを楽しんだ観光客にとっては、より気持ちよく疲れを癒せるのではないだろうか。只見駅から徒歩圏の施設だけに、一考して欲しい。
20分ほど浸かって「ひとっぷろ まち湯」を後にし、只見駅に向かう。
10分程で駅に到着。駅舎の小窓には只見町公式キャラクター「ブナりん」がスキーをはき、その隣の小窓には、“相棒”の「イワっぺ」(左)と「アカショウちゃん」が蓑、笠、かんじきという雪国の装いで居た。このような演出は嬉しい。
構内に入り、最近壁画に絵を描いたという、只見町観光まちづくり協会に併設されている売店を見る。するとまもなく、駅員がホームに行く気配がし、私も移動した。小出発の列車が到着したようだった。
JR東日本㈱新潟支社色のキハ48形で、私も昨年乗車した、赤と青の2両編成だった。只見線が復旧した場合、白と緑の東北地域本社(仙台支社)色が会津若松~小出間を往復すると思うが、この“赤青列車”はどうなるのだろうか。
駅舎から出て、駅頭に停車中の会津川口行きの代行バスに乗った。往路と同じマイクロバス。運転手も同じだった。
14:36、代行バスは定刻通り只見を出発。車内は“赤青列車”からの乗り継ぎ客で、ほぼ席が埋まった。次“駅”の会津蒲生で二人を降し、その後は乗客の乗降はなかった。
15:26、定刻に会津川口に到着。急ぎ足で駅舎に入り改札を抜け、ホームに停車中の東北地域本社(仙台支社)色キハ40形に乗る。
15:34、列車は定刻に、会津川口を出発。車内には県立川口高校の生徒と思われる若者や地元方の姿もあった。
車内では、只見駅に近い松屋酒店で手に入れた“幻の酒”「岩泉」をいただくた。大正10年~昭和15年まで只見酒造㈱で醸造され、2012(平成24)年10月に南会津町の会津酒造で約70年振りに復活した日本酒だ。
今日、初めて呑んだが、純米酒でスッキリとした味わいで、甘い香りも立って、旨かった。降りた先で、手に入れた地酒を呑む。福島の鉄道旅の醍醐味だ。
列車は往路と同じようにゆっくりと進んだ。進行方向の右に座り、東側の車窓の風景を楽しんだ。
「第三只見川橋梁」上からの眺め。
「第二只見川橋梁」上からの眺め。
「第一只見川橋梁」上からの眺め。右岸(崖)中腹を横切る線は、旧国号252号線。難所“駒啼瀬峠”を這い付くように走っていた。今は駒啼瀬トンネルを含むバイパスが整備され、安全快適な通行が可能になっている。
中に入り、半地下の売場に直行。冷蔵庫を含め、気になっていた「会津娘」を探す。なかなか見つからず店員に聞くと一升瓶2種と四合瓶1種を教えてくれる。私は冷蔵庫に入っていた期間限定品で、四合瓶のにごり酒「純米吟醸 花さくら」を購入。製造年月日は今月、「29.3.」と印字されていた。当月の酒を手に入れられる喜び。
駅に戻り、磐越西線の列車に乗車。先ほど購入した酒を呑もうと考えていたが、車内は満員。断念した。
18:13、会津若松を定時に出発。
19:29、郡山に到着し、今回の旅を終えた。
酒は帰宅してから梱包を解き、吞むことにした。
選んだ酒は「純米吟醸 花さくら」。薄にごり酒ではあるが、濃厚さは無くすっきりとしたのど越しで、吟醸酒らしく上品な果実のような香りが鼻を抜けた。旨い! 味を表現するならば、他にも言葉があろうが、あとは吞みながら唸るしかなかった。次は「純米酒」を呑みたい、と機会が待ち遠しくなった。
今回は旅は「只見スキー場」の“積雪190cmで滑走不可”という新聞からの情報に違和感を感じた事が発端ではあったが、結局その理由を確認することにはできなかった。しかし、「只見スキー場」の営業風景を見られた事で只見線沿線の集客・交流人口拡大の可能性を、また感じた。
只見線は“乗って良し、見て良し、撮って良し”で鉄道ファンにとって“横綱級”の魅力がある。
課題は、“この駅に降りてみよう”と思わせ、降り立った観光客ができるだけ長く滞在できる仕掛けづくりだ。只見線の駅で、その可能性が一番あるのは只見駅だと私は思う。今回訪れた「只見スキー場」も魅力があり潜在能力があるコンテンツの一つだ。
復旧が決定すれば、工期は3年(福島県試算)となっている。復旧時には『10年ぶりに復旧した鉄道』としてメディアへの露出は増し、多くの“ご祝儀乗客”を呼び込むだろう。その際、どれだけの訪問客に“只見線に乗ってまた来たい”と思わせるかが、大きな勝負所となる。
時間は無い。
私は、これからも只見線内の駅徒歩圏、沿線の自転車走行圏の観光資源を訪れ、発信することで只見線旅の一つのプランを探り、このブログで発信したいと考えている。
(了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室: 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)/「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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