【参考】復旧一年 三重県津市「名松線」

JR只見線と同じく豪雨がもたらした自然災害で運休したJR名松線。JR・三重県・津市の三者が復旧協定を結び、昨年3月26日に約6年半ぶり全線復旧。今回全線を初めて乗車した。

只見線の復旧が現実味を帯びてきた現在、長い運休期間(2009年10月8日~2016年3月25日)がありながら関係者の努力で全線復旧を成し遂げた“先駆者”である名松線の現状を見てみたいというのが、今回の長旅の目的。

昨年3月5日に当時の終点である家城駅まで乗車したことがあるが、運休区間である家城~伊勢奥津間(津市)は今回が初めてとなる。

 

名松線はJR東海(東海旅客鉄道㈱)が所有し、松阪駅(三重県松阪市)と伊勢奥津(同津市美杉町)を結ぶ、43.634km(15駅)の非電化路線。

只見線に当てはめると会津若松~会津西方(43.7Km/16駅)、会津宮下~只見(43km/12駅)という距離感である。

名松線の名が示す通り名張駅(三重県名張市、79,811人)と松阪駅(松阪市、166,334人)の松阪駅を結ぶ予定だったが、現在の私鉄・近畿鉄道が両市をつなぐ路線を先行開業させてしまったために、工事が中断し伊勢奥津駅が終点となった。

この名松線が2009(平成21)年10月8日未明に愛知県知多半島付近に上陸した台風18号の豪雨で全線が運休し、10月15日に部分復旧(松阪~家城間)したものの、家城~伊勢奥津(終点)間17.7kmが運休のまま残された。

JR東海の資料によると、名松線には土砂流入や盛土流失など39箇所の被害が出て、内38箇所が家城~伊勢奥津間に発生したという。

名松線は只見線と同じく当時の国鉄諮問委員会が選定した「赤字83線」(1968(昭和43)年9月)の一つで、代替道路未整備で対象から外れたものの「特定地方交通線」でもあった“赤字ローカル線”。

JR東日本(東日本旅客鉄道㈱)が「第一回 只見線復興推進会議検討会」(2016 年3月24日)で使用した資料の「2010年度路線別平均通過人員」ではワースト7位に名松線(291人/日)、同9位に只見線(370人/日)となっている。

ちなみに、 ワースト1位の岩泉線(岩手県)は2010年(平成22)年7月31日に発生した土砂崩れによる列車脱線事故以降に運休が続き、結局2014(平成26)年4月1日に廃止された。

ワースト2位の三江線(島根県~広島県)は来年度末をもって運行終了(翌日廃止)予定となっている。

 

 

この名松線が復旧できた主な要因は次のものが挙げられる。

〇市民運動

 ・復旧嘆願署名116,268名分

 ・住民・市民団体の活動

   「名松線の全線早期復旧を求める会」(現 名松線を守る会)

   「名松線にSLを走らせる会」(現 名松線を元気にする会)

〇JRと行政(津市、三重県)の協議と協業→三者協定の締結

 ・行政が路線周辺対策を行う(県:治山対策、市:水路整備対策)

 ・周辺対策終了後、JRが鉄道施設復旧工事を行う

 ・復旧総費用17億1000万円(市:7.5億、県:5億、JR東海:4.6億)

 

これに対して、只見線は行政主導の復旧運動を行っている。

〇市民参加

 ・福島県生活交通課による「只見線応援団」の募集(一般市民や企業など)

  *URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005d/tadamiline-fukkyuu.html

〇JRと行政(福島県、会津地方17市町村)の協議→復旧後の上下分離方式と赤字補てん

 ・復旧費用81億円を、県と17市町村が2/3、JR東日本が1/3の負担割合で拠出

 ・復旧後は復旧区間の鉄道施設を地元が所有し、運行をJRに委託する「上下分離方式」を採用

 ・復旧後の復旧区間の赤字2.8億円のうち車両維持費7千万円はJRが負担するが、残り2.1億円は地元が負担する

 

復旧費用が約5倍違うなどの違いがあり、復旧の手法は同じではないが、“JR単独での復旧は不可能、行政の協力が欠かせない”という点では共通している。

名松線を持つJR東海、只見線を持つJR東日本は、JRグループの中で売上・利益ともトップ1位2位の企業で、公共交通を担う社会的使命を重ね合わせると“単独でも復旧できるだろう”と思ってしまうが、利益を追求し株主への説明責任を持つ民間企業なだけにそうはできないようだ。

『行政がそこまでやってくれるのならば、我々も協力しましょう』という両社の姿勢を感じる。

 

今回の名松線の旅は、このような背景を理解した上で臨んだ。



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前日は夜勤明けの重い体と頭のまま、郡山駅から列車を6回乗り継ぎ、0:24に四日市駅に到着した。

 

今朝は下りの一番列車に乗る為、四日市駅に向かう。夜は明けきっていない。

5:59、四日市駅を出発。

 

液晶テレビで一世を風靡した「世界の亀山モデル」の製造工場がある亀山駅を経由。

7:12、名松線の起点である松阪駅に到着。

松坂牛は言うに及ばず、松阪は江戸時代を代表する国学者である本居宣長の出生地。今年の「宣長まつり」が4月2日に開催される看板が掲示されていた。

 

駅構内の連絡橋には“おかえり、大切な名松線。”のポスター

5番が名松線のホーム。

始発列車は終点・伊勢奥津には行かず、この家城行きに乗車し乗り換える事になる。

7:32、二両編成のキハ11系気動車が定刻通りに出発。

 

車内はテニスラケットを持った高校生が混雑していた。

沿線は住宅地と田が混在している。

 

7:59、伊勢大井でラケットを持った多くの高校生が下車し、車内は一気に静かになる。

彼らは一志テニスコートに向かうようだ。

 

間もなく雲出(くもず)川に接する。

この川は、ここから名松線との“付き合い”が始まる。

只見線と只見川の関係と同じだが、景観は全く違い、ダムは無く上流に向かうにつれて川幅や流れなど“一般的”な川の変化が見える。

 

部分運休から“仮の”終着駅になっていた家城駅のホームが見えてくる。

終点・伊勢奥津に向かう列車が入線していた。

8:11、定刻に到着。

階段でホームを降り、鉄路を踏み越え、隣りのホームに移動。

二つの列車が並ぶ。

「家城」は、もともとは一志(いちし)郡家城村。町制移行後の1955(昭和30)年に昭和の大合併で新たにできた白山町になり消滅。そして平成の大合併で2006(平成18)年に津市に編入され現在にいたる。

 

駅名標にはJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色のラインが入っている。

駅の北は田畑、南は市街地となっていて、西にはこの駅を多く使う生徒が通う三重県立白山高校がある。

 

伊勢奥津行きの列車に乗車。

車内は大半が私と同じ乗換客で占められていた。

車両の先頭部に移動。

運転席に通票(スタフ)を入れる輪(キャリア)があった。

家城~伊勢奥津間は単線で、この区間に同時に二つ以上の列車を走行させず、列車同士の衝突事故を回避するため「スタフ閉塞式」を採っている。

家城はJR東海の旅客駅で唯一、スタフが皮ケースに入ったこのキャリア交換が見られる駅という。

 

ちなみに只見線はJR線唯一の「タブレット閉塞式」が残る区間(会津坂下~只見)があった。同じく輪っか(キャリア)の下部のケースに、金属製のタブレットが入っている。

会津川口~只見間の運休中の2012年9月22日にタブレットでの運用を終え「特殊自動閉塞式」に変更されたと地元紙が伝えていた。

 

8:25、定刻に列車は出発。引き続き車両の先頭、運転席の脇に立ち、鉄路の状況を見ながら乗車することにした。

出発してから二度目の雲出川渡河。

低い山が連なる前方に広がる景色から、この先の復旧区間の状況を想像した。

上流には魚道をもった堰が見られた。

沿線には小規模な茶畑が現れるようになる。

三重県は全国3位の緑茶の生産量を誇り、「伊勢茶」がブランドという。

 *参考:伊勢茶.net URL:http://www.isecha.net

この辺り(美杉町)では製茶会社が“美杉茶”として売り出している。

 

列車が切り立った崖の直下を通る。

真新しい法面保護のコンクリート構造物が現れる。

おそらく、三重県の治山工事の一部だろう。

ここから、コンクリートの施工物を中心に、名松線復旧に関する“三者協定”の成果が次々と見る事ができた。

 

復旧区間最長の須渕トンネルの上部にも、まだ白いコンクリートの保護壁があった。

 

名前に重みを感じる伊勢鎌倉駅に到着。

名前から思い描いたような歴史的建造物は見当たらず、駅前に数軒の民家があるだけの長閑な駅だった。

 

伊勢鎌倉駅を発車し、雲出川を渡ると間もなく木が伐採された空間が現れた。

折り返しの車中で、BOX席に座り車窓から見ると、伐採だけではなく枝打ちもされていた事がはっきり確認できた。

ここ津市美杉町には住民がつくる「名松線を守る会」があるが、乗客に車窓の風景を楽しんでもらおうと竹の伐採をしたとの記事があったが、これもその一環だろうか。

 *参考:産経新聞「名松線車窓の景観美化へ竹伐採」(2015年2月1日) URL:http://www.sankei.com/region/news/150201/rgn1502010028-n1.html

 

この“景観のための木の伐採・枝打ち”は只見線でも大いに参考になる。

会津坂下~塔寺間の七折峠につながる部分からは会津盆地が見渡せるが、木々が邪魔でほんの僅かしか見る事ができず、私はいつも惜しいと思っている。

また、只見川第三橋梁~早戸駅も只見川と鉄路の間に木々が生い茂り、景観を損ねている。

特に早戸駅は全面只見川に面しているが、木々があり開放的な美しさを活かしきれていない。

 

木々の根が崖や河岸の崩壊防止を担っている箇所もあり一概には言えないが、実害がなければ是非只見線でも伐採・枝打ちを行って欲しいと思う。

 

 

列車は重いディーゼル音を響かせながら坂路を登ってゆく。

今度は、ブロックが積まれた擁壁が見えてきた。

次駅・伊勢八知を過ぎると、擁壁とワイヤーフェンスが組み合わさった構造物が出てきた。

フェンスは落石止めの役割をするのだろう。

雲出川を渡る。川床に大きな石が見られ、川の上流に向かっている事が実感できる。

只見線の車窓から只見川の渓谷美を見る事はなく、ほとんどが川面鏡となっている。

 

ロックシェッドを通り抜けると右手に擁壁の上にワイヤーフェンスが現れた。

フェンス支柱は新たに延長されワイヤーが張られていた。

地滑りによる倒木対策だろうか。

 

川側に真新しい擁壁が設置されていた。

路盤に関わる箇所なのでJRが工事したのだろうか。

 

右手、山(西)側にはワイヤー製の落石防止のネットが張り巡らされていた。

只見線では見られない設備だ。

 

さらに進むと、列車は徐行し停止。

運転手が何度も汽笛を鳴らす。

前方に目を凝らすと、なんと鹿が線路を横断していた。

こちらを振り向く鹿たち。

クマを含め、只見線では野生動物との遭遇があったと、私は聞いたことが無い。

おそらくダム湖の連続で水深がある只見川沿いを走るため、動物たちは横断できないために現れないのだろう。

 

再び山側を向けると、砂防ダムが現れた。

「治山」工事ということで、三重県の仕事だ。

 

落石防止のワイヤーネットは、支柱を用いたものもあった。

様々な工法があるようだ。

 

比津駅に到着すると、ホームの梅の木は9分咲きだった。

 

比津を出発すると間もなく、路盤を保護する新しい擁壁が見られた。

しばらく山あいを進み、2度雲出川を渡河し美杉町奥津の中心部に入っていく。

そして、雲出川に架かる最後の橋梁を渡る。

列車はここだけで並走する国道368号線(伊勢本街道)を横に見ながら終着駅に向かって進む。

伊勢奥津駅が見えてきた。

 

8:59、定刻通りに終点・伊勢奥津駅に到着。

1面1線だが、かつては3線あったという。

 

この奥、レールが途切れた先には蒸気機関車用の給水塔があった。

後刻近づいて見上げる。歴史の重みを感じる佇まい。

この「給水塔」。私はどう使われていたか知らないが、この足元に写真が掲示されていた。

蒸気機関車(SL)が直下に行き、給水口にホース(管)を接続し上部タンクに貯められた水が注入されるようだ。

 

さて、このSL。ヘッドプレートを見ると「C11 345」とある。

調べると、最後は会津若松機関区で迎えたという。

さらに調べてみると只見線も走っていた。

名松線は1965年、只見線は1972年に気動車化された。どうやら、名松線からSLが姿を消してからこの「C11 345」は引退直前に会津にやってきて只見線を走ったようだ。

現場で知る名松線と只見線の奇縁。心が温まる。

 

ホームで周囲を見回した後、駅構内に入ってゆく。

“美杉”町とだけあって、杉の木だろうか木材がふんだんに使われていた。

壁には手書きのポスター等、周囲の観光情報が掲示されていた。

次の日曜日には「全線復旧1周年記念イベント」が企画されているようで、そのパンフレットも貼られていた。発行主は津市。

待合室に入ると色とりどりの座布団が長椅子の上に置かれていた。

温もりを感じる。

壁には過去の伊勢奥津駅構内の写真が並べられ、当時の様子を伝えていた。

 

“おかえりなさい 名松線”の文字が入った暖簾をくぐり表に出る。

渋い色遣いだ。

駅舎には「名松線を守る会」の“みんなで守ろう名松線”の白看板が掲げられていた。

駅前を取り囲むのフェンスには“祝 JR名松線全線復旧・全線開通80周年”の横断幕が見られた。

 

駅舎を背景に一枚撮る。自撮は表情が難しい。

駅周辺を歩く。

駅の間の前にある「コルチカムの里」。

NPO法人の拠点で、前述した“復旧1周年記念イベント”でも使われ、レンタルサイクルの貸出元にもなっている。コルチカムとは花の名で、イヌサフランの別名だという。

 

駅舎隣りにある「津市伊勢奥津駅前観光案内交流施設 ひだまり」に入る。

まず目に着いたの鹿の角。鉄路を横切った鹿の群れを思い出す。

この辺りは野生の鹿が多いのだろうか。

 

しばらく中を見た後、表に出てて名松線のレール止めの方に向かう。

途切れたレール越しに駅舎を見ると終着駅の哀愁を感じた。

 

列車の発車時刻が迫ってきたため、駅舎に戻る。

折り返し運転の列車に乗る。

 

9:35、伊勢奥津を出発。

復路はBOX席に座り、車窓からの風景を眺め続ける。

 

往路と同じ場所で列車が減速し、警笛を鳴らす。

車窓の外を見ると、鹿の群れが列車の前をを横切り、崖を登っていった。

 

伊勢八知手前、県道沿いの広大な敷地に丸太材が山積みされていた。(有)美杉木材市場だ。

杉材や桧材を中心取り扱っているという。

バイオマス発電やCLT(直交集成材)など、各地域で林業が果たす役割が大きくなる。

只見線沿線も豊富な森林資源の持続的活用が求められている。

 

伊勢鎌倉を過ぎしばらくすると左手(西側)の緩やかな斜面に茶畑が広がる。この集落の中心部には製茶会社があるという。

雲出川は上流域の大きな石が見られる川床になっている。

 

伊勢竹原が近づくと、正面に大きなコンクリートの躯体が姿を現す。

君ケ野ダムだ。

1959(昭和34)年、死者・行方不明者5,098名を出した伊勢湾台風の被害を契機に建てられた。

只見川のダムとは違い、発電を行わない多目的ダムだ。

 

雲出川の清流。只見線から見る川面との違いは明らかだ。

私は北海道から鹿児島まで大半のJR路線に乗車したが、山間部で川床が見えず、清流とならない川沿いを走り続ける鉄路は只見線と肥薩線(熊本県八代市~鹿児島県霧島市)の一区間だけだったと記憶している。

しかし、この肥薩線は発電用ダムだった荒瀬ダムが2012(平成24)年9月から撤去工事が始まり清流が戻ったという。 

 *参考:熊本県 荒瀬ダム撤去室 URL:http://www.arasedamtekkyo.hinokuni-net.jp/

 

只見線はダム湖が連続し、湖(川)面鏡が絶える事の無い、国内唯一の沿線を持つ路線だと、改めて実感する。

 

 

復旧区間を走り終え、家城に到着。

この列車は松阪まで直通なので乗換えは無い。

 

家城から約1時間走ると、列車は終点手前で紀勢本線と近鉄山田線線と並行することになる。

ちょうど近鉄の「伊勢志摩ライナー」が軽々と名松線のディーゼルカーを抜いていった。

11:01、定刻通りに松坂に到着。名松線の旅は終わる。

 

ここから津市図書館に向かうため、急ぎ足で乗り換える。

 

11:04、亀山行きの列車が出発。三つ目の阿漕(あこぎ)駅で下車し、歩く。

約20分ほどで市立図書館が入ったリージョンプラザに到着。隣りは津市役所。

さっそく津市図書館に入る。

目的は、名松線運休当時の地元紙(中日新聞、伊勢新聞)の記事を見るため。

しかし8年前、2009年の新聞縮刷版は置いておらず、伊勢新聞と朝日新聞のマイクロフィルムだけ閲覧可能ということだった。

私は伊勢新聞を見る事にしたが、再生機が使いこなせず、よく見る言事ができず、冒頭の記事を得るだけに留まってしまった。

 

図書館には約1時間滞在し、今度は津駅に向かう。

事前に見たGoogle Earthの画像を思い描きながら、駆け足で駅を目指す。

何とか15分で近鉄名古屋線とJR紀勢本線が乗り入れる津駅に到着。

急ぎ改札を抜け、3番ホームに移動。

 

13:04、発車予定時間の乗車する「快速みえ」号が入線。

乗り込むと、間もなく出発。

 

ここから、名古屋ー豊橋ー浜松ー熱海ー上野ー宇都宮ー黒磯と乗換、23:01に郡山に無事到着した。

往復22時間も列車に乗り続けた旅。疲れた。

 

名松線と只見線は違いが多い路線ではあるが、行政と協力してJRが復旧させた名松線のプロセスは大いに参考になり、復旧後の取り組みを注視すれば、只見線復興のカギも見えてくるかもしれない。

 

今後とも、名松線を取り巻く動きを追ってゆきたいと思う。

 

*参考:東洋経済「JR東海が「不通路線」を復旧した本当の理由 ~6年半の歳月経て名松線が運転再開~」( 2016年04月02日) URL:http://toyokeizai.net/articles/-/111716


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっているJR只見線は、2017年6月19日に福島県とJR間で「復旧基本合意書」が交わされ、2018年6月15日の復旧工事起工式を経て、2021年度中の全線再開通に向けて工事が本格化しました。ブログでは車窓の風景や沿線の見どころを伝える「乗車記」等を掲載します。

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