西会津町「鳥屋山」登山 2021年 秋

観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今日は、昨日に引き続き一等三角点峰登山。西会津町にある、標高580.1mの低山ながら一等三角点を持つ「鳥屋山」に登った。

  

西会津町の山に登るのは、今回は初めて。

耶麻郡西会津町は、福島県の西端にあり、新潟県(阿賀町)との県境に位置する。只見川が合流する阿賀川沿いに、福島県の中心地である郡山市と会津若松市、新潟市を結ぶJR磐越西線が通り、街並みが点在している。かつては、越後(会津)街道の中心部として、野沢宿や野尻宿などの宿場町が賑わっていた。 町は“昭和の大合併”(1954年)で2郡(河沼、耶麻)の1町9村が合併し誕生。その後一部地区の編入があったが、町域に大きな変化はなく、現在を迎えている歴史ある自治体だ。 

 

「鳥屋山」の登山口は北と南に二箇所あるが、南側の軽沢登山口は、只見線の会津坂本駅から6.4kmと、決して歩けない距離ではない。山は低山ながら孤立峰で、一等三角点峰らしく頂上からの見晴らしが良いという。 

登山口のある軽沢は束松(たばねまつ)地区にあり、かつては越後街道が往来していて、柳津町と会津坂下町に接している。ちなみに、会津坂下町にも束松地区があるが、両地区は元々は一つの村(束松村)で、町村合併の繰り返しの中で分断してしまった経緯がある。

  

「鳥屋山」は「会津百名山」の第95座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。

鳥屋山 <とやさん> 581メートル
会津で一番早く山開きが行われる山として知られる鳥屋山は、標高わずか581メートルと低山である。しかし、一等三角点が置かれていて展望が良く、真正面に横たわる飯豊連峰を好位置で眺められる。[登山難易度:初級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p202

 

また、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の野沢組中十五箇村片門村の項に、“鳥屋峠”という記述がある。

●片門村 ○端村 輕澤 ○山川 ○鳥屋峠
輕澤より亥の方四町にあり、頂まで五町餘 松尾・漆窪兩村と峰を界ふ、雜木多し、昔池原村より此の峠をへて、天屋村へ通りし道形あり、
*出処:新編會津風土記 巻之九十五「陸奥國河沼郡之七 野沢組中十五箇村 片門村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p319~320 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)

  

本日の旅程は次の通り。

・宿泊した金山町の会津川口駅から只見線の列車に乗って移動

・会津坂本駅で下車し、輪行した自転車で「鳥屋山」軽沢登山口に向かう

・軽沢登山口から「鳥屋山」登山を開始

・下山後、軽沢地区から旧越後街道を通り、束松峠を経て会津坂下町に移動

・日帰り温泉「洲走の湯」で汗を流す

・塔寺駅から只見線の列車に乗り、乗り継ぎして富岡に帰る

 

今回の山行は、飯豊連峰に初雪が観測されるのを待って計画した。天気予報は晴れで、山頂から冠雪した飯豊連峰が見られる事を期待し「鳥屋山」に登った。


 


5:40、只見線の始発列車に乗ろうと「民宿 朝日屋」を出た。夜中に降っていた雨は止んでいて、雲が抜け、これから晴れるような空模様だった。

「民宿 朝日屋」は、気さくなご主人がほぼ一人で切り盛りする、アットホームで心地よい宿だった。1階の食堂となる居間では、夜遅い時間まで、ご主人が客の輪に入り、楽しく賑やかに語らっていたようだった。常連客が多いのも、この宿の良さを物語っていた。

「民宿 朝日屋」は会津川口駅からら2㎞ほどに位置し、「かねやまフェアリーランドスキー場」が近く、少し山を越えるが、目の前を通る県道237号(宮下小栗山)線を北東に進めば沼沢湖にたどり着ける好立地にある。さらに「民宿 朝日屋」は野尻川の釣り客にも人気の宿になっているので、次は、只見線を利用した釣りを計画し、また利用したいと思った。

 

 

 

 

自転車にまたがり、国道400号線の下り坂を快調に下り、10分ほどで駅前を見下ろせる高台で停車し、街並みを眺めた。

 

  

5:50、会津川口駅に到着。ここで、違和感があった。まもなく列車が出発するような駅の雰囲気は感じられず、列車のディーゼルエンジン音も聞こえなかった。

自転車を折り畳み、輪行バッグに入れて駅舎に入り、時刻表を見ると、始発列車は5時32分発になっていた。乗り遅れた事に、ここで気づき、呆然とした。昨夜、列車の出発時刻を確認せず、以前、長らく乗っていた郡山からの磐越西線の始発列車が5時55分だったため、“5時台といえば55分”というイメージに従った結果だった。

次の列車は7時6分。待合室で朝食を摂りながら、ホームに待機中の列車に、乗り込み可能となるまで待つことにした。

 

出発の15分前なったところで、駅係員に入場の許可をもらい、輪行バッグを抱えホームに向かい、停車中のキハE120形2両編成の後部車両に乗り込んだ。

7:06、会津若松行きの2番列車が会津川口を出発。

 

切符は昨日会津若松駅で購入していた。会津川口~会津坂本間の料金は590円。

 

  

  

列車が出発すると、まもなく、只見川に突き出た大志集落が見えた。陽は未だ低く差し込んではいなかったが、低山の中腹に長く掛かる雲や、家々と周囲の木々の陰陽が冴えた水鏡に映り込み、美しかった。*ダム湖(只見川):東北電力㈱上田発電所・ダムのもの 

 

この無二の景観は、大志集落の、奥会津を象徴したトタンの急傾斜の大屋根を持つ、白壁の家屋群が創り出している。町は住民の理解を得て景観条例を作り、この集落の外観を維持するようにして欲しいと思う。

 

 

 

 


列車は会津中川を出て、会津水沼の手前で「第四只見川橋梁」を渡った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧」

  

 

後部車両には私の他一人の客が居た。日曜日の朝、山間の静かな空間を進む車内は、陽光に照らされ良い雰囲気だった。

...ただ、ローカル線に不釣り合いの二列多数の吊革を見ると、現実に引き戻された。クロス―シート部分にある吊革は、個人的に、取り外した方が良いと思っている。 

 

 

 

列車は8連コンクリート橋・細越拱橋を渡り、金山町から三島町に入った。

 

振り返って見ると、只見川に朝陽が差し、ここも景色に陰陽があり美しかった。

 

 

 

 

列車は早戸を経て、早戸・滝原の両トンネルを抜け「第三只見川橋梁」を渡った。下流側には陽が当たり、木々の色付き始めが見えた。*ダム湖(只見川):東北電力㈱宮下発電所の宮下ダムのもの

 

上流側は、朝陽が遮られ、左岸の上部だけが明るかった。紅葉の最盛期は、この上流側の景色は素晴らしく、車窓から目が離れなくなる。

  

 

 

  

 

東北電力㈱宮下ダムと発電所の脇を通り抜け、列車は下り列車がすれ違いのため待機中の、会津宮下に入ってゆく。

 

 

 

  

会津宮下を出てしばらくすると「第二只見川橋梁」を渡る。陽が高くなり、青空が只見川の水面に映るようになった。上流側に見えるはずの会津百名山「三坂山」(831.9m)にだけ、雲が掛かっていた。

 

下流側の只見川の水鏡も冴え、まっすぐ延びた水面に両岸の木々を映していた。*ダム湖(只見川):東北電力㈱柳津発電所・ダムのもの

  

  

  

会津西方を出て名入トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡る。ダム湖の水鏡は、ここも冴えていた。朝の陽光は強く、下流側蛇行部正面の「日向倉山」(605.4m)周辺は白く浮かび上がっていた。*ダム湖(只見川):東北電力㈱柳津発電所・ダムのもの

上流側の駒啼瀬渓谷を見ると、陽射しが眩しく、シャッターを押すのを止めた。 

 

 

 

 

 

会津桧原を経て、滝谷直前で滝谷川橋梁を渡り、三島町から柳津町に入った。滝谷川渓谷の木々は、未だ青々としていた。

 

  

郷戸を過ぎ、“Myビューポイント”から刈田越しに会津百名山「飯谷山」(783m)を眺めるが、全体に雲が掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

8:04、列車は会津柳津を経て会津坂下町に入り会津坂本に到着。自転車を組み立て、列車を見送った。

  

駅舎は貨車を利用したもの。ローカル線の無人駅、と一見して分かる外観だ。

8:07、自転車にまたがり、「鳥屋山」軽沢登山口を目指して駅前を出発した。

  

 

 

 

国道252号線に向かい、横切って田圃の間の町道を進み、国道49号線に入る。歩道があり路側帯も広い道で、日曜日の朝で交通量も少ないということで、安心して自転車を進められた。

 

只見川に架かる藤大橋(トラスドランガー橋)を渡り、一旦柳津町に入った。

 

東北電力㈱片門発電所・ダムの上流側にあるため、橋下はダム湖になっている。


  

 

藤集落を過ぎると、坂道になり、道幅も狭くなってくる。自転車走行は車の往来に気を付け、注意して走行しなければならないと思った。

  

 

左が開けた区間、旧道(越後街道)と霧に隠れた藤峠を見ながら進んだ。

 

 

藤トンネルに入る。藤峠の真北に穿かれた隧道だ。

 

  

 

 

8:36、トンネル内は平坦になり、抜けて下り坂を少し進むと、西会津町に入った。

   

長く緩やかな緩やかな坂を下り、“藤峠越え”を終えると、T字路が見えてきた。県道341号(別舟渡)線への分岐点だ。

 

T字路には、国道49号線の156.6㎞ポストがあった。

 

その少し先の右斜面には“鳥屋登山口”という看板があり、一部草に覆われていた。


   

 

国道を横断し、県道341号線に入る。

 

少し進むと、前方左奥に看板が見えてきた。

 

 

 

 

 

   

8:43、「鳥屋山」軽沢登山口に到着。会津坂本駅から約40分掛かった。

 

 

 

  

8:50、熊鈴などを身に着け登山の準備を行い、自転車を道端に置いて、「鳥屋山」登山を開始。県道に接する側道を進んだ。

  

側道にはガードレールがあり、轍を見ると日ごろから車が通っているようだった。

 

 

5分ほどで、側道と登山道との分岐に到着。右の側道を進んだ。

 

登山道の一部には轍が見られたが、久しく車は通っていないようだった。

 

 

 

 

二箇所のヘアピンカーブを抜け、登山道は短いスギ林の中に入ってゆく。

 

スギ林を抜けると、幼木の間を進んだ。下草が張り出してはいたが、踏み跡は鮮明で、足元は堅く踏み固められていた。

「鳥屋山」は西会津町の山であるため、町中心部を流れる阿賀川沿いの北側の漆窪登山道の利用が多いと聞いていたが、軽沢登山道も一定の利用がある事が分かった。 

 

  

 

 

9:13、木々が一部開け、陽射し落ちる場所を通過。 

 

歩き易い登山道が、続いた。

 

倒木は、チェーンソーで道幅に切り抜かれていた。 

 

 

 

 

9:21、「鳥屋清水」との分岐に到着。右に曲がり少し下ると清水があるということだったが、左に進んだ。

 

足元を見ると、細い倒木に“きのこの里”が生えていた。

 

成木のナラやブナも、何本か見られた。 

  

 

 

 

 

前方に尾根筋が見えるようになってくると、登山道の傾斜は増し、尾根直前では急坂直登することになった。短い区間で、登山を終えてみると、ここが唯一の“難所”と言えるような場所だった。

 

 

尾根に到着すると、案内板が立っていた。漆窪登山道との合流点だった。

 

登山道は、尾根に沿って、北東東になった。

  

途中、T字路があり、左に曲がる道が分岐していた。見上げると看板に“便所”と書かれていた。 

  

左に進むと、ブルーシートに囲まれた便所らしきものがあったが、その外観から怖くて中を覗けなかった。

 

  

登山道に戻り、先に進むと、まもなく大きく開けた空間が見えた。

 

 

 

 

 

   

土間の平場になり、多くの看板が標杭が目に飛び込んできた。

 

9:32、「鳥屋山」山頂に到着。軽沢登山口から1時間42分掛かった。

 

標石には、“一等”の文字がはっきり確認できた。500m級の低山に一等三角点がある事を、実感した。

 

「鳥屋山」一等三角点標石に触れ、登頂を祝った。昨日登頂した「貉ヶ森山」に引き続き、二日連続で一回り大きい“一等標石”に触れる事ができ、嬉しかった。

 

 

 

山頂の眺望。 

  

北側に聳える飯豊連峰(大日岳、飯豊山)の上部が冠雪しているしているはずだったが、雲に覆われ、まったくその姿を拝めなかった。残念だった。

 

 

最も開けた東側には、会津百名山「磐梯山」など磐梯朝日国立公園の山々が見えるはずだったが...

 

こちらも雲が掛かり、ほとんど見えなかった。

  

 

西側は木々に覆われていた。

 

木々の間から山々を見ようとしたが、雲が掛かっていて見えなかった。ただ、視界が狭く、晴れていても案内板のように山座の特定は難しいと思った。

  

 

南側には、刈り払いされた空間が広がっていた、東屋やベンチなども含め何も置いておらず、何をするところか不明だった。

 

 

 

 

9:49、列車に乗り遅れた事もあって、この先の予定が詰まっているため、「鳥屋山」山頂を後にして下山を開始した。

   

途中、登っている時は、あまりに気にならなかった斜面だったが、下る時には危ないと思える場所があった。昨夜の雨で表面が滑り、足場が無い為、滑り出すと2mぐらいズルズルと行ってしまう。土間を削り足場を作るか、ヒモ場にするなどの対策が必要だと思った。

   

 

 

 

 

他、登山道は問題なく、快調に進み林道に合流。

 

 

10:11、「鳥屋山」軽沢登山口に戻った。22分で下山してしまった。

  

 今日も、二つの熊鈴のお陰で、クマに遭遇することなく、安心して登下山ができた。

 

初めて西会津町内の山である、一等三角点峰「鳥屋山」に無事に登頂することができた。

冠雪した飯豊連峰を見る事ができなかったのは残念だったが、低山ながら一等三角点峰たる眺望が得られる山である事が分かり、有意義だった。ちなみに現在、「鳥屋山」山開き登山は漆窪登山口のある喜多方市が主催し、軽沢登山口を持つ西会津町は“実施する年としない年”があるという。

 

只見線を利用し「鳥屋山」登山をする場合、自転車(輪行)以外で軽沢登山口に行く事が可能だ。この場合、会津坂下駅を利用することになる。

①会津坂下駅から西会津町町民バス・坂下南小停留所まで歩く(300m)
②「野沢坂下線」のバスに乗る
③軽沢入口停留所で下車
④「鳥屋山」軽沢登山口まで歩く(350m) 

*参考:西会津町「西会津町民バス

 


会津坂本駅から歩いて「鳥屋山」軽沢登山口に向かう場合、国道49号線を主とした6.4kmの道を行く事になるが、藤大橋から軽沢地区入口(県道341号線分岐)まで歩道が無いので、注意が必要になる。国道49号線は交通量が多いので、あまり、お勧めはできいない。

自転車ならば、電動アシスト付きであれば移動距離6.4kmはあっというまで、「鳥屋山」登山の敷居は低くなるだろう。ただ、最寄りの会津坂本駅が無人駅ということも考えあわせれば、現状普通の自転車のレンタルさえ始めるのは難しい。

電動アシスト付き自転車のレンタル制度を導入するには、福島県が進める「只見線利活用」事業で、“観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山のキャンペーンを行うなどして、①自治体横断、②只見線全駅での乗り捨て可能、③会員制・アプリ予約・スマホ施錠、④予約に合わせた自転車の配送+配置などを行う必要があると思う。5年10年単位の制度設計をすれば、必ず定着すると私は思っている。 

 

「鳥屋山」は“手軽に登られる一等三角点峰”なので、“観光鉄道「山の只見線」”の山岳アクティビティの魅力的なコンテンツだと思う。まずは、会津坂下駅から西会津町民バスを使用し、一人でも多くの方に登って欲しい。 

 

 

 

 

「鳥屋山」登山後は、「束松峠」を経由して、日帰り温泉「洲走の湯」で汗を流し、国道49号線沿いの「伊藤食堂」で昼食を摂って、只見線の塔寺駅から列車に乗って帰る計画を立てていた。 

 

 

「鳥屋山」軽沢登山口から自転車にまたがり北進。軽沢集落を経由し、工事中断となった県道341号線バイパスを進み、旧越後街道に入った。

  

 

10:47、「束松峠」峠の茶屋跡に到着。旧会津藩・藩士だった秋月悌次郎がこの峠で詠んだといわれいている「北越潜行の詩」の歌碑が建っていた。

 

 

11:35、「洲走の湯」に到着。時間が押していたため、急いで入浴し、20分で後にした。

 

この後、只見川を渡り、鐘撞堂峠を越え、国道49号線沿いの「伊藤食堂」に向かうが、なんと休みだった。ここでも、事前の確認を怠り、失態を犯してしまった。

 

気を取り直して、次は会津坂下町市街地の国道沿いにある「坂下ドライブイン」で馬肉定食を食べようと向かった。しかし、ここは大繁盛で、私の前に8組も客が待っていた。一人ならば相席などで...、と思い20分ほど待ったがその気配はなくここも断念した。

  

 

 

13:16、会津坂下駅に到着。結局昼食は、弁当を買って駅前の公園で摂る事にした。

 

昼食を終え、輪行バッグを抱えホームに入ると、まもなく上り列車が入線した。 

13:47、会津若松行きが出発。


この後、会津若松到着後、今回は駅前のバスターミナルから高速バスでいわき駅に向かい、乗り換えて富岡に帰った。 

 

 

(了)

 


・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

よしくお願い申し上げます。




次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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