会津(福島県)と越後(新潟県)を隔てていた険峻「六十里越」。1941(昭和46)年に、鉄路「六十里越トンネル」が貫かれた峠を越えてみようと思い、JR只見線の大白川駅から只見駅までを、自転車で走破した。
「六十里越」は、会津(若松)城下と越後・高田城下を結ぶ最短路であった街道上の峠、また街道の名で、会津側の田子倉(集落)と越後側の大白川(集落)間の六里(約24km)が、その10倍の距離に感じるほど越えることが困難であった事に由来している。「越後野志」(1815年)には『人跡絶たる大行路難の地故、一里の行程を十里に比べ、当六里の道を六十里と称す』という記述があり、江戸時代にはこの呼称が使われていたという。
戦国時代末期から江戸時代にかけて、会津と越後の結びつきは深い。
戦国時代に“越後の龍”と呼ばれた上杉謙信から家督を継いだ上杉景勝が会津に移封し、高田藩初代(1614年)藩主である松平忠輝は徳川家康の六男で、会津松平藩祖である保科正之の叔父にあたる。
会津藩と高田藩の交流が生まれるのは自然で、険峻でありながら「六十里越」を経る街道の往来が続いたようだ。*参考:福島県「会津地方09(只見町):六十里越街道(ハマナカアイヅ)」/ 上越市「上越市立歴史博物館」松平忠輝 / 米沢市「米沢観光Navi」上杉景勝
江戸時代、厳密には「六十里越」の福島県側の集落・田子倉は会津藩領ではなく*、幕府直轄領(南山御蔵入領)で、幕末(1863年)に会津藩15代藩主・松平容保が京都守護職に就いた役料として、当地は正式に会津藩領になった。 *預かり地として、実質的に支配はしていた
この「六十里越」は、昭和初期まで会津と越後の交易路として使われ続けたというが、鉄道と道路が敷設され「六十里越」を貫くのは、昭和40年の後半まで待たなければならなかった。
先に「六十里越」を“越えた”のは鉄道(国鉄只見線)。1941(昭和16)年に会津若松~会津宮下間と1942(昭和17)年に小出~大白川間が開業し、太平洋戦争での建設中断や只見川電源開発での建設再開(促進)を経て、1970(昭和45)年に「六十里越トンネル」(6,359m)が貫通し、翌年に只見線が全通した。*参考:拙著「全線乗車(小出⇒会津若松) 2016年 初冬」(2016年12月26日)
【只見線と「六十里越」の歴史】
1942(昭和17)年:只見線 新潟県小出~大白川間(26.6㎞)開業
1962(昭和37)年 3月:第35回鉄道審議会で大白川~只見間(只見中線=「六十里越」)の着工決定
1963(昭和38)年8月:会津線(只見方) 会津川口~只見(27.6㎞)延伸開業
1970(昭和45)年9月:只見中線「六十里越トンネル」(6,359m)貫通
1971(昭和46)年8月29日:只見中線 只見~大白川間(20.8㎞)が開通
→只見線(会津線(只見方)と只見中線を只見線に統合)全線開業となる (会津若松~小出間(135.2㎞))
他方、道路である国道252号線は、只見線開業の2年後に「六十里越」を“越え”た。ただトンネルの長さは約800mで、鉄道の1/8ということもあり、国内屈指の豪雪地帯である同区間は冬期通行止めとなってしまう。
【陸路(道路)「六十里越」の歴史】
昭和初期 道路幅を広げる工事が始まるが、戦争のため中止
1951(昭和26)年~ 穴沢地域から福島県に向けて順次道路工事を開始
1958(昭和33)年~ 新潟福島県境までの区間の道路改良工事を自衛隊が行う
1966(昭和41)年3月 「六十里越隧道」(788.5m)貫通
1973(昭和48)年9月 「六十里越」開通、すなわち国道252号全線開通
2006(平成18)年11月 「雪わり街道」と命名
(出処)新潟県⿂沼地域振興局地域整備部計画調整課「せせらぎ かわら版」(2013.10 No.4)
*一部、筆者追記等
私は今まで「六十里越」を主に只見線で、車では一度越えた事がある。今回は、この険峻を体感したいと、輪行した自転車で走り抜けようと思った。*下掲地図出所:国土地理院「地理院地図」 *筆者文字、線等記載
今回の旅程は以下の通り。
・只見線の列車に乗り、会津若松から小出方面に向かい、新潟県魚沼市に入る。
・大白川駅(魚沼市)構内の「そば処 平石亭」で昼食を摂った後に、国道252号線を会津若松方面に向かって自転車で移動を開始。
・途中、「六十里越」に向かう、只見線の上り列車の写真を撮る。
・国道の「六十里越隧道」を潜り抜け福島県に戻り、旧田子倉駅、田子倉ダムなどに立ち寄り、只見駅に向かう。
・只見町内の「季の郷 湯ら里」に泊まる。
天気予報は晴れで、紅葉の見ごろは過ぎていると聞いていたが、陽射しに最後の輝きを見せる木々の色づきを期待し、30km超の峠越えサイクリングに臨んだ。
*参考:
・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の秋ー / ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー
駅舎の前を貫く国道252号線を右に入り、緩やかな坂を会津若松方面に向かった。
まもなく、国道から、末沢川が破間川に合流する場所に架かる只見線の「第五平石川*橋梁」を眺めた。紅葉の見頃は過ぎていたが、陽射しがあり、思いのほか綺麗な景観だった。 *かつて、破間川は平石川と呼ばれていた。
国道252号線を進む。坂は続いたが、傾斜は緩やかで、小径の折り畳み自転車でも、しばらくは無理なく進めた。
12:12、屋敷尻スノーシェッド(以下、SS)を通ると、暗渠管を伝って排水される沢水が溢れ出て流れ落ちていた。「第2末沢川橋梁」と一緒に見ると、良い構図だった。
末沢川に架かる只見線の橋梁は、大白川駅側から「第1末沢川橋梁」となり、「六十里越トンネル」直前まで16基架かっている。
仲宿橋のたもとには、5mは優に超えるスノーポールが立っていた。豪雪地帯を実感。
仲宿橋から見下ろすと、只見線の「第3末沢川橋梁」と渓谷が並ぶ風景だった。列車の中からは見られない、良い構図の景観だった。紅葉の最盛期、列車が通れば一層素晴らしいだろうと思った。
12:34、補修工事中の茂尻橋を通る。只見線の「第6末沢川橋梁」が並んでいる。
冬期、国道252線が通行止めになると除雪されないため、「第6末沢川橋梁」を渡る列車の中から茂尻橋を見ると、除雪されず冠雪している。私が初めて見たときは2mほどの積雪だったが、それでも厳しい冬を実感できる風景だった。
12:45、「第7末沢川橋梁」を木々の間から眺める。この落葉期以外は、生い茂った葉でほとんど見られないと思った。
大白川駅から「六十里越トンネル」まで、16の橋梁を渡る車内からも渓谷美が見られる。しかし、険峻「六十里越」の途上ということで列車がスピードを出していて。さらに、鋭角に交差し、川幅も狭い事から見られる時間は、一瞬だ。
福島県側のダム湖が連続する只見川の風景とは違った車窓からの景色をじっくり見られるようにするためには、出力(上り列車)とブレーキ性能(下り列車)を合わせ持った列車が必要だ。さらに、全線が再開通し会津若松~小出間の直通運転が復活すると大白川駅ですれ違いを行うため、ダイヤの変更も必要になる。
ただ、この新潟県側の渓谷美は、福島県側の静謐な水鏡の風景との二面性と合わせて、国内無二の山岳観光鉄道のコンテンツとなり、“観光鉄道「山の只見線」”の確立に役立つと思う。
この景観を車内から楽しむことができる列車の導入やダイヤ改正という投資は、回収できると私は思っている。福島・新潟両県が協力し、JR東日本仙台支社と新潟支社に掛け合い、調査・研究し、実現して欲しいと思う。
国道をさらに進むと、退避スペースに工事車両が停車していた。レールの保守作業が行われているようだった。この区間は一日三往復しか列車は走らないが、国道が閉鎖される冬期は会津と中越を結ぶ唯一の交通路となるため、重要度は高い。この時期の保守作業に納得した。
この先には「第11末沢川橋梁」があったが、ここも小豆色の橋桁と渓谷、低いが険しい山肌を持つ前方の山との風景は、良い眺めだと思った。
国道を少し進むと、大雪崩沢2号SSがあった。
このSSは只見線から近く、冬季通行止期間、除雪されない姿を見ることができる。
さらに国道を進むと、鮮やかな赤の鋼材が、風景に大きなアクセントを与えている毛猛平SSが現れた。
このSSも只見線の車内から見られるが、雪の中で真っ赤な筋は、景色と調和し、美しい。
13:12、毛猛平SSを抜け、側道を下り毛猛平踏切に到着。小出発の列車が、「六十里越トンネル」直前の「第四毛猛トンネル」に向かう姿を捉える事ができる撮影好地になっている。ここで列車の通過まで、小一時間待った。
14:06、汽笛が聞こえた。列車がレールを駆る音がし始めてまもなく、只見行きのキハ110形が姿を現した。
そして、目の前を通過していった。前方に見えるのは、951mの無名峰。
列車はディーゼルエンジンの音を高め、“六十里越”に向かっていった。
この後、列車は「第15末沢川橋梁」→「第四毛猛トンネル」→「第16末沢川橋梁」を経て、「六十里越トンネル」(6,359m)へと入って新潟県(旧越後国)を後にする。
「六十里越トンネル」の新潟県側には、田中角栄元首相による扁額があるといわれているが、残念ながら、新潟県側から「六十里越トンネル」を出入りするところを見る(撮る)事ができる、一般人立入可となっている場所はない。また、列車も登坂(上り列車)・下り坂(下り列車)でスピードが増しているため、車内からもこの扁額をよく見ることはできない。
国道から眺める「六十里越トンネル」出入口(新潟県側)付近の様子。国道の下に穿かれた「六十里越トンネル」出入口に繋がる「第16末沢川橋梁」の緑色の橋桁の一部が、右下に見えるだけだ。
只見線との並走を終え、国道252号線を進み、本格的な「六十里越」越えに臨んだ。
「六十里越トンネル」が真下を通っていると思われる場所に立つと、鳥越沢雪覆道(SS)があり、銘板の左には、六十里越 雪わり街道 只見まで 24km”という案内板が張り付けられていた。前方に見えるのは、「六十里越」の南に連なる「前毛猛山」(1,233.4m)。
標高が上がると、山々に遮られていた陽が射し、木々を照らした。前方にはうっすらと冠雪した山々も見られ、晩秋の風景だった。
国道には、次々にヘアピンカーブが現れ、頂点である「六十里越隧道」まで14ヵ所もあった。
末沢川の支流・桑原沢。標高が上がっても、里山の沢らしい状態に驚いた。
14:58、六十里越第1SSを潜る。“六十里越”という文字に、『まもなく、峠の頂だ』と安堵した。
進むにつれて、「六十里越」の稜線が近づいた。
最後のヘアピンカーブの左側に、「浅草岳」六十里越登山口が現れた。
国土地理院の地図を見ると、この登山道は「浅草岳」に向かう分岐点で、只見方面に向かっている。分岐点から只見方面に向かう破線(道)は、“旧街道”ではないかと思われた。*下掲地図出所:国土地理院「地理院地図」
15:11、国道252号線「六十里越隧道」(788.5m)に到着。
出入口はシンプルで、内部の照明の状態からも、古さを感じた。竣工から私と同じ年月を歩んできたということで、親近感を覚えた。
銘板には“施行 ㈱三友組”とあった。旧小出町(現魚沼市)の土建会社だという。
隧道(トンネル)を進む。内部は平坦で、思いのほか明るかった。
3/4ほど進んだところに、県境を示す表示があった。蛍光灯で背後から照らされていて、見過ごす事はなかった。
15:15、“会越の国界”を自転車から降りて、歩いて越えた。
SSの柱の間から、外の風景を眺める。谷筋に豊富な水を湛えた田子倉(ダム)湖は、野趣味ある山々に囲まれていた。
SSをしばらく進み、今度は、柱の間から振り返った。SSの天井を川床の一部としている赤柴沢が、滝となって人工の急斜面を流れ落ちていた。「六十里越」を代表する景観の一つだ。
15:22、703mの赤柴SSを抜けると、西陽が射していた。前方では斜面の擁壁工事が行われていた。
赤柴SSから300mほど進んだところにある、雪わり街道展望台から「六十里越」を眺める。斜面にしがみつくように設けられた国道に、改めて感心した。峠に自動車道を通す事の大変さを実感できる風景だと思った。また、稜線の一番低い場所(鞍部)が旧街道ではないかと思い、在りし日の光景を想像した。
15:29、展望台から900mほど進み、「六十里越峠開通記念碑」に到着。
“会越の窓開く”と刻まれ、道路が開通した昭和48(1973)年9月に建立された。揮毫は当時内閣総理大臣であった田中角栄氏のもの。鉄道も道路も、繋がる事ができたのは氏の政治力に因る、とは異論がないだろう。
記念碑を背に只見町方面を眺めた。広大な山間に国内第三位となる最大約5億トンの水をたたえる田子倉(ダム)湖の偉容を実感できる光景だ。
新潟県(魚沼市)側に目を向けると、山々の険しい稜線が見られた。
15:35、記念碑を後にし、アイヨシの滝展望所に到着。
旧国道の直上にあるアイヨシの滝は、紅葉の最盛期に見ると美しいと言われている。
この後、アイヨシの滝展望所を出て、坂を一気に下った。
15:45、白沢スノーシェッドを潜り抜けると、前方に「浅草岳」、下に目を向けると只見線「六十里越トンネル」の只見口が見えた。
トイレを併設した休憩所(*冬期閉鎖)の駐車場に自転車を停め、その脇を通る只見線のレール越しに、「六十里越トンネル」只見口を眺めた。国内無二の、野趣味、山岳感のあるトンネル口だと、改めて思った。
トンネル上部には、国道と同じく「六十里越隧道」の文字が。揮毫は日本トンネル協会会長も務めた、開業当時の日本鉄道建設公団総裁・篠原武司氏。
自転車に戻り、国道を先に進もうとすると汽笛が山間に響き渡り、レールを駆る音が聞こえてきた。予定より1時間ほど遅れた事で、新潟県側で見送った列車が只見駅で折り返し走る姿を見ることができた。
列車は重低音でディーゼルエンジンを蒸かし、「六十里越トンネル」に入っていった。
列車を見送った後、国道の跨線橋に立ち、2013年3月まで「六十里越トンネル」から200mほど只見寄りにあった田子倉駅跡を眺めた。
スノーシェッドに覆われた駅で、現在も、ほぼ当時のまま残っている。
国道を只見方面に 200mほど進むと田子倉駅の駅舎に向かった。
駅名銘板は取り外されたが、駅舎も当時のままだ。3mを超える雪に覆われることから、太い鉄骨で組み上げられた、小さな出入口だけを持つ、特異な様態の建物だ。この駅は、背後にそびえる「浅草岳」や「鬼が面山」の登山者にも利用されていたという。
出入口はメッシュ状の扉が取り付けられ、固く施錠されていた。
隙間から手を入れ、内部を撮影する。ビル建設で見られるようなH鋼で組まれた駅舎兼スノーシェッドの下に、砂利の通路とホームにつながる階段が見えた。
また、田子倉駅跡の只見寄りには、駅舎から続くスノーシェッドと田子倉トンネル(3,712m)の間に余韻沢橋梁が架かり、列車の通過時に車窓から田子倉(ダム)湖の美しい景色を見ることができる。
この余韻沢橋梁は、背景に「南岳」「鬼が面山」「北岳」「貉沢カッチ」が映り込み、風景写真の撮影対象としても有名だ。
私は田子倉駅跡を復活させられないかと思っている。“観光鉄道「山の只見線」”の確立のために、この素晴らしいロケーションを活かさない手はない。 *参考:拙著「只見町「田子倉駅跡」 2017年 秋」(2017年10月14日)
16:02、田子倉駅跡を出発。国道は上り坂となり、入間木沢トンネル内で下りに転じたあとは、田子倉ダム直下の電源開発㈱田子倉発電所入口前まで下り坂が続いた。
自転車をスピードを上げ進めていると、前方にモコモコの塊が現れ、斜面に向かって一斉に動き出した。崖の上に逃げたそれを見ると、サルだった。
自転車を停め、天端の中ほどまで歩いて、只見川の下流側を向いて田子倉発電所を見下ろした。揚水式を除く一般水力発電所では国内第二位の認可出力を誇る。
天端から振り返って、ダム湖を眺めた。太陽は県境の山に隠れ、カメラの明度を低くすると、うっすらとオレンジ色に染めた空に山々の稜線が映り込んだ。
右に目を向けると、「浅草岳」へと続く、「南岳」「鬼が面山」「北岳」「貉沢カッチ」の稜線もくっきり見え、美しかった。
田子倉ダムの逆調整池の役割をはたしつつ、世界一のバルブ式水車で発電している。
只見ダムの天端から、正面に建つ田子倉ダムに目を向けると、“寝観音”が見えた。「猿倉山」(1,455m)から「横山」(1,416m)にかけての稜線が、うっすらと冠雪していることで、はっきりと観音様の寝姿のように見えた。
16:57、只見ダムを後にして只見駅に到着。完全に日が暮れる前に到着することができた。
32.4kmを、列車の撮影など寄り道をしながら4時間59分かけて走破した。本来の「六十里越」ではないものの、距離と高度感を体感でき、また鉄路と道路を敷設した当時の関係者の苦労を偲ぶことができ、充実した旅になった。
只見線と「六十里越」の事に絞れば、この険峻は“観光鉄道「山の只見線」”の重要なコンテンツとして、また福島県と新潟県、JR東日本の仙台支社と新潟支店、それぞれの協業に役立てる必要を感じた。
会越国界の「六十里越」は、歴史・文化面や自然面で“未踏”の価値があると思う。私は、今後も「六十里越」を訪れ、その可能性を考え、発信したいと思う。まずは、来年「鬼が面山」(1,465m)を登り、その際に旧道「六十里越」を探ってみたい。
「六十里越」の旅を終え、自転車を折り畳み、輪行バッグに入れ、駅舎で待った。今夜の宿である「季の郷 湯ら里」の送迎用ワゴン車がやってくると乗り込み、只見駅を後にした。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 :只見線の復旧・復興に関する取組みについて *生活環境部 只見線再開準備室
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF) (2017年6月19日)/「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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