*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・東日本旅客鉄道株式会社「只見線について」 (2013年5月22日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の夏ー
早朝、郡山駅上空には青空が広がっていた。
定時に会津若松に到着。屋根瓦の“正門”と脇にた佇む赤べこ、そしてやや前面にある白虎隊像、この3点セットが会津若松を実感させてくれた。上空には青空。只見町も大丈夫だろうと期待した。
駅構内の連絡橋には、熊本観光をPRポスターがズラリと並んで掲示され、熊本県の公式キャラクター「くまもん」が全てに掲載されていてた。
ポスターの“訴え”を邪魔せず、熊本であることを確実に認識させる「くまもん」。その存在の大きさを改めて感じた。熊本にも行かなければならない、と思った。
只見線のホームには白いシャツ(ブラウス)が目立つ高校生の姿。今日は一学期の終業式。生徒達は徐々に増え、ホームを満たした彼らの活気に夏本番到来を感じた。
私は、会津川口からやってきた折り返し列車に乗り込んだ。
7:37、会津川口行きの下り列車が定刻に会津若松を出発。
七日町、西若松と市街地にある駅を過ぎ、阿賀川を渡ると田園を間を走る。“強藩”会津を支えた力の源泉を実感できる広大な田園風景だ。沿線は季節によって風景が変わり、田園の中を疾走する列車の撮影スポットでもある。
会津本郷を出発直後に会津美里町に入り、県立大沼高校のある会津高田で乗客の1/4程度下りたが、しばらく車内は生徒が“占有”していた。列車はこの大量の通学者を乗せるため、車両は3両編成だったようだ。
会津坂下を出発後は、七折峠を登坂し山間部の緑の木々の中を進んだ。塔寺、会津坂本を経て柳津町に入り会津柳津、郷戸、滝谷と各駅に停車してゆく。
滝谷川橋梁を渡り三島町に入り、会津桧原を出ると間もなく「第一只見川橋梁」を渡り、只見川との付き合いが始まった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧1873-1960」
早戸に停車。青空があると風景が映える、と思った。
トラスドランガー式の上井草橋を下を通過。幅5mの林道橋ながら全長が154mもある。“ダム湖が連なる”只見川ならではの橋梁だ。
現在の終点・会津川口に到着。ここから先は運休区間。代行バスに乗り継がなければならない。
ホームと駅舎を結ぶ通路付近にはシニアの方々が。
各々が一眼レフカメラと三脚が持たれていた。列車内に彼等の姿が無かったことから、会話からも“撮り鉄”諸氏と察せられた。是非、只見線に乗車もして欲しいと思った。
駅構内に入ると、売店内にある金山町観光情報センターには町のゆるキャラ「かぼまる」がいた。
今回は浴衣姿になっていた。前回は“新入生”。どうやら季節ごとに着せ替えしているようだ。
名物「大塩炭酸水」をイメージした水玉の蝶ネクタイもしっかり見えて、良い着こなしだと思った。これで温泉をイメージした「桶」が見えれば完璧だが、難しいか...。
代行バスの出発まで46分。以前に訪れた、この先の不通区間の一部を見ようと駅を出て向かった。天気は問題なさそうだった。
10分ほどで、現場に到着。雑草が生い茂るのり面や地表と一体化した鉄路があった。
地図に記載されている鉄道路線とは思えない光景。レールの錆び具合も痛々しかった。
会津川口駅方面を見る。部分運休の現状、その重さを感じた。
駅に戻り、代行バスに乗車。運転手は以前(今年2月19日)と同じ女性ドライバー。乗客は、私の他一人。平日のJR只見線。利用者を増やさなければならない、とまた思った。
本名駅前に設けられたバス停を過ぎ、本名ダム(東北電力㈱本名発電所)を渡る。眼下に流失した「第六只見川橋梁」がある。橋脚付近では護岸工事が進められていた。
代行バスは会津越川、会津横田、会津大塩の各休止駅の近く、国道252号線沿いに設けられたバス停で停発車を繰り返して進んだ。車内では、椅子の狭さや路面状況による振動を感じた。高齢者は『できれば乗りたくない』だろうと想像した。
滝トンネルを潜りぬけ、只子沢を渡り只見町に入り、会津塩沢、会津蒲生となっているバス停を経て、定刻に只見に到着。上空には変わらぬ青空が。天候に恵まれた。駅後方には、これから登る「要害山」がそびえていた。
小出行きの列車は一日3本。
レール表面が輝いているほどではないが、“走っている”事が理解できる光り具合だった。
反対側、会津若松方面のレールは錆びつき、路盤には列車の車高を超える草が生い茂っていた。
只見線に“乗る”ことの価値、運休区間の自治体である金山町と只見町の魅力を発信し、一日でも早い全線復旧を成し遂げなければならいない、とまたまた思った。
「要害山」登山を開始。
まず、駅構内にある只見町観光まちづくり協会を訪れ「要害山」登山の地図を頂き、熊の情報を得る。『目撃情報が無いが、熊鈴があれば大丈夫』と言われた。
今日事務所にいたスタッフは全員女性で、その対応も含め、町の観光振興への熱意が感じられた。
駅から歩いて「要害山」登山口に向かう。踏切を渡り、宮の沢登山口のある滝神社へ。直近にあり、駅のホームから見える。
神社の右脇を抜け宮の沢登山口に到着。「要害山」山頂を目指した。
歩き出して2分で面をくらう。地図に『沢を渡る』と書いてあったが、沢に踏み石が無かった。靴が防水で無かったので、靴下が少し濡れてしまった。
春先は雪解け水で水量があるだろうから、防水機能を備えた登山靴がよいだろうと思った。
登山が本格化すると、また驚いた。標高705mを馬鹿にしていたわけではないが、あまりの急こう配に、しばし茫然とした。補助用の虎ロープまで垂らしてあった。覚悟を決めて登った。
登山開始から10分。眼下には只見町が広がっていた。10分でこの景色ならば、頂上に行けば更なる絶景があるのでは、と期待が膨らんだ。
登山開始15分で「一服尾根」に到着。
只見駅など町の中心部が欠けてしまったが、右(西)奥には田子倉ダム、その奥に未丈ヶ岳~大鳥岳~毛猛山の稜線が見えた。
“一服”を終え、滴る汗をぬぐいながら、再び急こう配を進んだ。
しばらくすると、前方に巨木があり、根元に「ブナ太郎」と掛かれた標杭が立てかけられていた。雪国の山の斜面にそびえる巨木に、感心した。
登山開始から30分。「要害山」山頂に到着。事前に『夏場は葉が邪魔して見晴らしは良くない』との情報を得ていた為、あまり期待はしていなかったが、山頂という感覚がそうさせるのか、良い眺めだった。
山頂付近には複数のテレビ・ラジオ塔が建っていた。要害山はインフラを支える“要”ともなっているようだ。
5分ほど滞在し、下山を開始。当初は宮の沢登山道を往復する最短ルートと考えていたが、あの急こう配を降りるのは危険と思い直し、地図に掲載された南尾根登山道を利用した。
しかし、ここでも驚く。こちらも結構な急こう配。虎ロープが配置されている場所もあるほどだった。足を挫かぬよう慎重に下った。
大自然の中の巨大な人造物。建設当時の苦労と、只見線の役割を思った。
只見町を見下ろすと、宮の沢登山道とはまた違った趣きだった。伊南川が只見川に合流する地点がはっきりと見られた。
しばらく下ると、白い岩肌があった。見晴らしが良好。
北西には雪食地形が見え、「春の夫婦滝」があるという山の斜面。*参考:奥会津 只見川ライン商工会復興支援員のブログ「奥会津只見川ライン」 雪食地形(2017年5月11日) URL: http://tadamigawarain.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
南東は只見町を一望できた。「要害山」で一番のビューポイントではないかと思った。
後半は、なだらかな登山道が続いた。
下山開始から約40分で南尾根登山口に到着。
しばらく歩くと三石神社があったが、その鳥居のすぐ脇の登山口案内板の側に“クマ出没 注意”標識が建てられていた。宮の沢登山口にはなかったので、思わず『今さら...』と笑ってしまった。
登山に30分、下山に40分、登山口への移動が合計20分。「要害山」登山は、只見駅を起点に約1時間30分かかった。十分、日帰りコースになると思った。
登山を終え、駅の只見町観光まちづくり協会に立ち寄り、登山記念のバッジを頂いた。
登山前にスタッフから『下山したらまたこちらに寄ってください。バッチをお渡しします』と言われていたが、ずっしりと重いつくりで、「2016」とも刻印されていた。
「TADAMI4MEIZANN」(只見4名山)と刻印されていることから、他の「蒲生岳」、「浅草岳」、「会津朝日岳」を登ると、それぞれ頂けるのだろうか。*只見町「只見四名山山開き」
昼食は、駅から5分ほど歩いたコンビニの2階にある「マトン ケバブ Cafe」に行き、味付けマトンケバブを頂くことに。
羊肉特有の香りは残るものの、柔らかくジューシーで美味しかった。また、450円でこの味とボリュームはありがたいと思った。
このマトンケバブは只見町のB級グルメとなっているようだが、もともとは田子倉ダム建設に携わった労働者に羊肉(マトン)を提供するためにこの地に普及したのだという。
昼食後、しばらく町中をぶらつき、14時32分発の代行バスで只見を後にした。
滞在時間は3時間17分。「要害山」に登り、自然と景色を堪能し、名物も頂いた。只見町にまた来たいと思った。次は紅葉の秋に「蒲生岳」に挑戦してみたいと思った。
代行バスの車窓からは「第八只見川橋梁」が一望できた。後方には“只見四名山”の一つ「蒲生岳」。
15:27、会津若松行きの列車が会津川口を出発。
帰路は、只見川沿いを含む山間を駆け抜けたのち、
七折峠を下った後は田園の間を進んでいった。
17:16、会津若松の一つ手前の七日町で下車。ホームの端から「磐梯山」がくっきりと見えた。
駅から七日町通り(国道252号線)を歩き、若松の中心部である神明通りに向かった。
道路は共同溝の工事中で、歩道の拡張・整備と電柱地中化が進められているようだ。同時に無散水消雪装置も埋設するようで、通年を通した“街歩き”が楽しめそうだと思った。*参考:福島県会津若松建設事務所[「工事情報 国道252号線 会津若松市七日町地内 無散水消雪装置を整備しています」(PDF)(平成28年2月1日)
後日、七日町をゆっくり歩いてみたいと思った。
会津若松市のメインストリートである神明通りに到着。*参考:会津若松 神明通り商店街 URL:http://aizu-shinmei.com/jp/index.html
アーケードはなく、夏空が広がっていた。撤去されて初めての夏を迎えるが、灼熱の太陽の下、市民や観光客は何と思うだろうか。*参考:会津若松市「会津若松市の中心市街地活性化について」URL:https://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/docs/2013020400048/
神明通りを駅方面に歩き、左折、野口英世青春通り沿いにある居酒屋で“一杯”、と思って暖簾をくぐったが『予約で満席』とのこと。そこで、駅前のラーメン二郎で夕食を摂り、帰る事にした。*参考:福島県観光情報サイト ふくしまの旅「野口英世青春通り」
19:04、磐越西線の快速列車に乗り会津若松を後にして、自宅のある郡山に向かった。疲れたが、充実した一日となった。
(了)
[追記]
「要害山」は「会津百名山」の第91座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p104
要害山 <ようがいさん> 705メートル
要害山とは天然の砦で地勢が険しく守るに良い所として、戦国時代山頂に砦を築いていた山で、各地に多く見られる。[登山難易度:初級]
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室
「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「只見線ポータルサイト」
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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