*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・東日本旅客鉄道株式会社「只見線について」 (2013年5月22日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の秋ー
今朝、磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かった。駅前はまだ薄暗く、夜明けはすっかり遅くなったと秋の訪れを実感。
1番ホームに入線していた磐越西線、会津若松行きの始発列車(5時55分)に乗車。定刻に出発。
新駅・郡山富田の建設現場を過ぎ、喜久田が近づくと朝日を浴び黄金度を増した稲穂越しに遠く和尚山と並ぶ安達太良山が見えた。
磐梯熱海、中山宿を過ぎ、列車は中山峠を越えた。
会津地方に入り、川桁を過ぎると長瀬川越しに「磐梯山」が見えた。山裾はうっすらと色づき始めていた。
7:09、列車は猪苗代から多くの高校生を乗せ、定刻に会津若松に到着。駅上空には秋の青空が広がっていた。只見町を含む南会津地方の天気予報は曇り時々晴れとなっているが、どうだろうか心配した。
再び改札を通り、只見線の4番ホームに行く。
4両で到着した折り返し列車は1両を切り離し、3両で現在の終点である会津川口に向かう事になった。反対のホームには会津鉄道の快速列車が入線していた。車両はラッピングされ、会津地方の自治体が作成した“ゆるきゃら”達が描かれている。
会津坂下を出発すると、列車は短い田園を抜け、奥会津との境界となる七折峠の登坂を始めた。
よく見ると、紅葉したもみじがあった。季節の移り変わりを実感した。
滝谷を出発した直後に、只見川に注ぎ込む滝谷川を渡る。かすかな色づきは見られたが、紅葉はほとんど見られなかった。
季節、空模様、気温、時間帯によって、そのダイナミックな様相を変化させるこの第一橋梁からの眺めは格別だ。この景観を見るためだけに只見線に乗っても元は取れると、私は思う。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧」
車窓から後ろを振り返ると、紫の橋梁の一部を含めた景色が見えた。このアングルも美しい、と思った。
会津西方を出発し「第二只見川橋梁」を渡り、その後会津宮下を過ぎると、まもなく東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの直近を通り過ぎる。ダム湖(只見川)は満水ではないため、木々の生えていない川肌が見えた。これも風景のアクセントとなってよい、と思った。
ここでも振り返り景色を眺めた。この鉄橋は茶色のトラスで、両岸の木々をよく見ると、色づき始めていることが分かった。
早戸に到着。只見川に面した左側の座席に移動し、景色を眺めた。何度も見た風景だったが、今まで川肌が露出している事は無く、今日は川面の“水鏡”と相まって、美しい眺めになっていた、。
この早戸は、一見の価値ある、国内有数の“景観駅”だと私は思っている。現在でも素晴らしい景色を見せてくれるが、軌道と只見川の間にある木を伐採しもっと開放的にすれば、更に魅力が増すのではないだろうか。これら木々が希少性のないものであれば、伐採することも検討してみてはと思う。
この直後、下大牧集落から越後山脈に連なる700m級の山々を眺めた。雪崩路(アバランチシュート)が確認でき、奥会津を実感した。
中川地区では稲刈りが終わっていた。冬の訪れが早い会津は、稲刈りも早い。
会津中川に到着。会津坂下以降、只見線内では建て替えられコンクリート駅舎が多くみられる中、ここは国鉄当時の木造建築物で、白壁と緑の屋根がかわいらしくも味わい深くもある。映画やドラマのロケでも使えるのではないだろうか。
会津中川駅前には大きな桜があり、春にはこの駅舎は淡いピンクに包まれるという。来春、満開の季節に訪れたいと思う。
会津中川を出発し、しばらくすると只見川に架かる上井草橋が見え、川面鏡に“逆さ上井草橋”が映り込んでいた。
9:39、定刻に会津川口に到着。今日は“川面鏡”の映え具合がよく、ホームからの景色も素晴らしかった。
駅舎に向かう途中に乗ってきた車両、キハ40形3両編成を眺めた。
先頭には只見エコパーク登録を記念して登場したラッピング車両。当初は今年9月末までの運行予定だったが、今日も走っていた。只見線、只見町、奥会津地域のPRや周知のため、せっかくだから、継続して欲しい。
駅構内に入り掲示物などを見渡すと、JRグループが企画した「秋の乗り放題パス」のポスターが貼られていた。なんと、使われている写真は今通った「第一只見川橋梁」!
“全国のJR線普通・快速列車”と書かれている事から、全国の駅にこのポスターが掲げられ、只見線の存在や美しさが知られるだろうと思った。たとえこのデザインがJR東日本管内限定であっても、東京圏で掲示されるとなると、その周知効果は大きいと思う。
金山町観光情報センターが運営してる売店には、町の“ゆるキャラ”である「かぼまる」の姿が。前回(今年9月2日)訪問では浴衣姿だったが、今回はハロウィン装束に身を包んでいた。
スタッフから話を聞くと、時間があれば毎月「かぼまる」の衣装を変えたいとの事。次の訪問が楽しみだ。
駅舎を抜けると、駅前の花壇には黄や白などの花々が咲いていた。特に目を引いたのが、鮮やかな赤がまぶしいサルビア。秋空に映えていた。
会津川口から先は不通区間を走る代行バスに乗る。ドライバーはいつもの女性ドライバーだった。代行バスの“顔”だ。
10:25、代行バスは私の他に2人の乗客を乗せ、定刻通りに会津川口を出発した。
国道252号線を走り、本名“駅”を過ぎ、東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端上を走ると、分断された「第六只見川橋梁」が見えた。只見川の“川面鏡”に映った“逆さ橋梁”とのシンメトリーが、悲壮感を一層際立たせていた。
代行バスは国道252号線を走り続け、会津越川、会津横田、会津大塩の各“駅”に停車し、只見町に入った。
塩沢地区に入るスノーシェッドからは、これから上る「蒲生岳」が見えた。“会津のマッターホルン”と呼ばれるだけあって、尖がっていた。
11:15、その後代行バスは会津塩沢、会津蒲生の各“駅”を経て、只見に到着。
駅構内に入り、只見町観光まちづくり協会が入る売店に声をかけ「蒲生岳」の登山ルートが乗ったガイドを受け取った。そして駅窓口で只見~会津蒲生間の乗車券(¥190)を購入し、折り返しの代行バスに乗り込んだ。
車内でガイドを開くと、詳細な登山道が記載されていた。見やすいく、登る前から安心できた。
11:25、代行バスは只見を出発し、約8分で会津蒲生“駅”となっている地区集会施設「雪の里」前に到着。
この施設の壁には、「平成23年7月新潟福島豪雨」で氾濫した只見川の最高水位線をしめすパネルが掲げられていた(画像左、青色のもの)。また、この「雪の里」は蒲生岳の登山開始口になっていて、入山カードとその投函ポストが設置されていた。
国道252号線を挟んだ向かいにある大きな駐車場からは、「蒲生岳」のほぼ全容を見ることができる。
また、「蒲生岳」は駅の直近にある。会津蒲生駅から見上げると、「蒲生岳」の頂が近くに見える。
この駅は、2011年7月30日から時が止まっている。
11:46、「蒲生岳」登山を開始。
駅を右手に見ながら西側踏切を渡り、「久保」登山口に向かった。
登山口へは「蒲生カタクリ公園」を通ってゆく。カタクリの花の見頃は春、4月25日~5月15日という。蒲生岳の山開きは6月初旬頃なので、花見と登山はできないようだ。
まもなく、久保登山道に入る。『クマ出没注意』の看板に背筋がゾッとなる。他に登山者もなく私一人。音楽をスピーカーから流し、熊鈴を大きく鳴らしながら足を踏み入れた。今日は山を下りるまでSuperflyを聞き続けた。
登山道を進む。
枯れ落ち葉で色合いが違っているため登山道ははっきりと分かり、更に木の幹や枝にピンクのテープが巻かれてあり、安心して登り始められた。
木々の間を抜けてゆく。
『どうかクマに出会いませんように』と念じながら、熊鈴を鳴らす手に力を込めながら急ぎ足で進む。
祠が見えて左にほぼ直角に曲がり、しばらく進むと土面の登山道となり、木々も低くなる。
日差しが届き、汗が噴き出る。
木の根など足をかけるところがない斜面は粗くではあるが階段状に土が彫られていた。さらに、急斜面にはロープも設置されていた。
地元の方々が、毎年山開き前に点検し、整備しているという。感謝!
開けた場所に初めて出る。振り向く眼下に出発点である蒲生集会施設「雪の里」が見えた。この眼下の風景が変わってゆくのも登山の楽しみ。
まもなく登山道の視界が開け、岩肌を登ることになる。岩肌は登りやすいように階段状に削られていた。岩肌が濡れていても、これなら安心だろうと思った。
振り返ると、先ほどより視界が広がり、景色は変わっていた。先に進むのが楽しみになった。
東に目を向けると、常葉樹林が広がる自然の風景が広がっていた。尖った山は「鷲が倉山」(918m)。
さらに岩肌を登る。岩肌には穿かれた“階段”と進むべき方向が赤ペンキの矢印で描かれていた。
岩場を過ぎると再び、木々の間を縫うように歩いた。
すると、ガサガサ、という物音がした。足元を凝視すると、蛇が逃げてゆくところだった。
また、しばらく地面に張り出した根の登山道を進んだ。
ここで東に視線を向けると、「鷲が倉山」の麓を縫うように走る只見川を見ることができた。
南西の方角も見えてきた。色付いた田んぼが山々との境界を際立たせていた。
まもなく、「夫婦松」にたどり着く。一見、夫婦と呼ぶには無相応な感じがした。
しかし、裏を見て納得。太い松(夫)の立派な枝が腕のように隣の松(妻)に張り付き、上部は二つの松が交差していた。長い時を共に歩んできたと思わせる、「夫婦」に違わぬ姿だった。
夫婦松を過ぎると岩場が主となる。赤ペンキの“案内印”はここにもあった。
急な岩場が続く。
ロープも設置されているため恐怖は感じないが、思いのほか急峻な岩場が多く、もっとしっかりした登山靴にすればよかったと後悔した。
根の露出と岩場。この組み合わせに関心しながら、息を切らせながら進んだ。
まもなく、目の前に人工物が見えた。白いプレートのようだ。
分岐を示すプレートだった。「山頂まで三〇〇米」と書かれた杭も隣に打たれていた。
この分岐は登山ガイドに載っていたため驚かなかったが、これから採る登山道が『けわしい道』『キケン岸壁』という文字を見ると、少々怯んでしまった。
案内プレートの上を見上げると、岩に鉄杭が打たれ、鎖が這っていた。気を引き締め、『キケン岸壁』を進んだ。
岩盤の斜面に登山道が伸び、案内の赤ペンキ印が人の通り道であることを示していた。
足場の岩場は階段状に穿かれていて、足元にさほどの恐怖は感じなかった。鎖もあるため、進んでみると意外と快適だった。
この斜面で足を止め、麓の景色を眺める。足元が開放され、宙に浮いているような感覚になった。
正面の奥には、田子倉ダムが見えた。
気を引き締め、斜面を通過。まもなく登山道の趣きが変わり、低木の間を進むと急坂になり、ガイド用の鎖が垂れていた。
この急坂を登り切ると、目の前に「家族松」が現れ、四本の松が寄り添っていた。
“家族一員”には名がつけられていた。太い針金で固定されているのは、ここが強い風雨にさらされるためだろうと思った。
家族松を過ぎ、開けた場所に出る。ナナカマドの赤い実を通してみる景色に秋の入り口を感じた。
再び、急峻な岩場が現れる。
今までにはない、壁のような岩場だったが、鎖が設置され、足を載せられる段差もあった。さほど苦にせず登る事ができた。
この壁面を登り切った後に振り返ると、松越しに麓の風景が見えた。
更に進むと、山肌を覆う岩盤が現れ、案内の赤ペンキは大きく迂回することを求めていた。
大きな矢印が書かれた岩場の先には真新しいロープが見えた。
この先にはほぼ垂直の登山道があり、このロープが垂れ下がっていた。思わず“蜘蛛の糸”とつぶやく。“蜘蛛の糸”ロープを頼りに、登りきった。
岩の上で振り返ると、見ごたえのある麓の景色が広がっていた。
会津蒲生駅から蒲生川を渡る橋を経てトンネルへと続く、只見線の運休区間が見えた。
東を見ると、只見川に架かる蒲生橋を取り囲む常緑樹。色づき始めた低木との対比が素晴らしかった。
良い景色を見て気分をリフレッシュし、頂上を目指した。
この後は、傾斜は思ったほどきつくはなく、一面に広がる低木の間を進むと、前方が大きく開けた。
12:47、登山道を出発してから1時間で山頂に到着。
八二八米と刻まれた山頂を示す杭の奥に、二荒山神社の祠があった。この杭には「会津のマッターホルン」とも刻まれたいた。
山頂から眺望。
西には、奥羽山脈の稜線がくっきり見えた。快晴ならば、一層映えるだろうと思った。
南の只見町中心部に目をやると、起伏に富んだ山々と人里が眺められた。
只見線の「叶津川橋梁」は手前に見え、橋桁と曲線の均斉美にしばし見惚れた。
この「叶津川橋梁」、只見線の車中から見る蒲生岳はこのようになる(撮影:2009年8月)。当時、「会津のマッターホルン」の名にふさわしい尖がり具合が見て取れた。
頂上から周囲の景色を楽しみ、登山ポストに入っていたノートに一筆入れ、20分ほど滞在し下山を開始。「鼻毛通しコース」を下り始めた。
ロープを握り、足元に注意しながら下った。
露出した根に注意しながら下ると、正面に「鼻毛通し」が見えた。
更に進むと“踊り場”が現れ、「風穴」があった。
「風穴」を覗いた。『地元の人が30mの深さ入って調査したが、それから下は分からない』と標杭に書かれていた。その先が気になるところだ。
再び下り始める。目の前に麓の風景を見ながら足を進めた。
まもなく、木々の間から、西側に寄岩橋方面を眺めた。
国道の寄岩橋と只見川沿いに走る只見線が見え、「第八只見川橋梁」のトラスも一部覗けた。
豪雨運休前(2009年8月)の「第八橋梁」上から見える景色を車内から撮っていた。正面に見える山裾が蒲生岳。
紅葉の最盛期には、蒲生岳と只見線の列車が“川面鏡”に映し出される絶景が見られるという。
この「第八橋梁」の向かいには、整備中の滝ダム用の「泊地」が見えた。
先に進むとまもなく、2005(平成17)年の中越地震の影響で廃道をなった「宮原」登山道の規制線と看板があった。
またしばらく進むと、岩盤の斜面が現れた。足元には赤ペンキのマーカーが示され、斜面に沿ってロープが張られていたため、安心して下ることができた。
大きく見え始めた「鼻毛通し」に向かって、慎重に斜面を下りた。
13:26、「鼻毛通し」に到着。
「鼻毛通し」は登山道上にはなく、脇道に逸れる事でその中を見ることができた。松の枝が“鼻毛”のように外に向かって伸びていた。また、中の空間は大きく、祠も置かれていた。
「鼻毛通し」を後にして、こちらへ迫ってくるような岸壁の脇を通った。岩盤は登山道のために削られているように見えた。
岩盤を抜けると、開けた岩場に出た。標高1000m満たない山であることを忘れさせてくれる高度感だった。岩場にはもちろん、赤ペンキで誘導印が示されていた。
13:32、鎖を握り、足元に注意しながら下り分岐点に戻った。頂上を経由して、約1時間10分で一周したことになった。
ここからは一度通った道だが、下山の方が緊張した。
岩場は問題なかったが、土の斜面は、数日前まで雨の日が多かったためか表面が滑るため、より慎重に下った。
一部、土の斜面にはロープなど補助設備が整備されていない場所もあった。より多く方々が安全に楽しめるよう、これからの改善に期待したい、と思った。
13:59、「久保」登山口に戻り、会津蒲生駅を見ながら、滑落せず熊に合わず無事に「蒲生岳」登山を終えた事に、ホッとした。
蒲生集会施設「雪の里」に向かい、「蒲生岳」を眺める。登山前にあった黄金色の稲穂は、刈り取られていた。
「蒲生岳」は岩場が多く、適度なスリルを味わえる山だった。外観から“会津のマッターホルン”と呼ばれるが、足元がすくむような急坂は無く、最低限の注意を払えば、初心者でも登られるのではないだろうか。
また、岩場が多いお陰か、登山道からは良い眺望が得られた。828mという標高からは想像できない高度感や開放感は、素晴らしいと思った。
今回、「蒲生岳」を飽きずに楽しく、気持ちよく登る事ができたのは良かった。只見線が復旧するのであれば、「要害山」同様、駅(会津蒲生)からすぐに登り始められるので楽しみだ。次は、紅葉の最盛期か新緑が芽吹く時期に登りたいと思う。
14:40、会津蒲生“駅”となっている「雪の里」前に代行バスがやってきて、乗り込む。車内は平日にも関わらず7割ほど埋まっていた。
この代行バスは、上越線・小出駅経由で只見線に乗り東京圏の旅行客が日帰りできる便の一部であるためだと思った。事実、多くはカメラや時刻表を片手に乗車していた。
道中、寄岩橋を通過。只見線の「第八只見川橋梁」越しに「蒲生岳」が見えた。
この橋梁を復旧させるための補修費は40億から60億へと増してしまった。ここを只見線の列車が走り抜けられるよう、微力ながら努力したいと思った。
15:22、定刻通りに代行バスの終点・会津川口に到着。ほとんどの乗客が駅舎を通り抜け、会津若松行きの列車に乗り込んだ。二両編成の列車内には、福島県立川口高校の生徒が多く乗っていた。
15:27、会津川口を出発した列車は、奥会津の山間を通り抜け会津若松を目指して進んだ。
塔寺を過ぎ、七折峠を下り、列車は会津平野を駆け抜けた。
17:20、定刻に会津若松に到着。改札に向かう連絡橋から西を空を見ると、夕焼けが見られた。
只見線の乗車も今回で12回を迎えた。
乗るたびに表情を変える只見線からの車窓の風景は、何度乗っても飽きない。
次は、紅葉で山々が色づく頃に乗車したいと思った。
(了)
[追記]
「蒲生岳」は「会津百名山」の第83座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p106
蒲生岳 <がもうだけ> 828メートル
国道252号線を只見町に向かい蒲生地区右手に円錐形でそびえる山が蒲生岳で会津のマッターホルンなどとも呼ばれている。山登りを趣味としている者にとってひと目見れば気になる山で二度見れば登高欲をそそられることは間違いない。[登山難易度:中級]
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室
「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「只見線ポータルサイト」
・東日本旅客鉄道株式会社:只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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