魚沼市「破間川の橋梁」 2020年 早々春

新潟県内唯一のJR只見線沿線自治体である魚沼市。市内を流れ、只見線に添うように流れている破間川に架かる、同線の橋梁を見るために、輪行した自転車で沿線を走った。

 

只見線は川沿いに豊かな自然が広がっているが、福島県側と新潟県側で車窓から見える風景が変わる。

会津盆地に広がる田園と、信濃川水系が創り出した下段段丘に細く並ぶ田の違いも見どころだが、福島県側の只見川に築かれたダムがもたらす湖面と水鏡を包み込む木々、新潟県側の末沢川と破間(あぶるま)川の渓谷と清流を取り囲む木々、それぞれが包み込む景観の違いは鮮明だ。県境の六十里越を境に、違いを見せる車窓からのそれぞれの風景は、乗るだけで楽しめる。

 

只見線は来年2021年度中の復旧(全線再開通)を予定しており、現運休区間全てを抱える福島県が中心となり、“観光鉄道「山の只見線」”とアピールし、観光需要の創出と獲得に努めている。

この福島県側と新潟県側の自然美の二面性は、多くの国民やインバウンドを惹きつけ、“観光鉄道「山の只見線」”の確立に大いに役立つだろうと、私は思っている。

 

 

私は、今まで福島県側の只見線沿線を巡ってきたが、全線再開通まで1年となった事を機に、新潟県側の沿線を訪ねようと考えた。まずは、大白川駅から小出駅方面に自転車を走らせ、只見線に添うように流れる破間川に架かる、同線の橋梁を見る事にした。

福島県側で只見川に架かる橋梁は「第一只見川橋梁」から「第八只見川橋梁」まであり、他方、新潟県側の破間川にも8つの橋梁が架かっているが、「第四平石川橋梁」と「第一破間川橋梁」を除き名称が分からなかった。今回の旅で、全ての橋梁の名称を明らかにして、今後、新潟県側の沿線巡りに役立てたいと思ったのが理由だ。

  

天気予報は“くもり時々雨”という微妙なものだったが、輪行バッグを抱え魚沼市に向かった。

*参考:

・魚沼市観光協会:JR只見線 

・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook  URL:https://www.facebook.com/dandandomotadamisen

・新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線」 

・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」 

 ・福島県:只見線ポータルサイト

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の春ー / ー魚沼市

  

 


 

 

昨夜、仕事を終えてから富岡から会津若松市に入り、宿泊。

 

今朝、只見線の始発列車に乗るために会津若松駅に向かう。雨は上がっていたが、上空は雲に覆われていた。入口の上には、来年に延期になった東京オリンピックの横断幕が掲げられていた。

 

輪行バッグを抱え、改札を通り、只見線のホームに向かう。連絡橋から、入線してきた始発列車を見下ろした。

ホームに下り、後部車両に乗り込む。観光客と思われる客はほとんど見当たらず、私の他3名、先頭車両には5名ほどの乗客だった。

  

6:03、会津川口行きの列車が会津若松を出発。


 

七日町西若松を経て大川(阿賀川)を渡る。小雨が降り出し、車窓を濡らした。

 

会津本郷を過ぎ会津美里町に入り、会津高田を出て列車の進路が真北に変わる。上空に青空が見えた。

 

  

根岸新鶴を経て、会津坂下町に入り若宮を過ぎて会津坂下に停車。向かい側のホームには高校生を中心に多くの客が居て、すれ違いを行った会津若松行きの列車が吸い込んでいった。

  

会津坂下を出発した後、列車は七折峠に向かって登坂を始めた。キハE120形のエンジン音は、キハ40形のそれより甲高い感じがして、『これから登る!』という列車の気迫が弱まった気がした。

 

登坂途上で木々の間から会津盆地を見渡す。空は北が明るく、南にゆくほど濃くなっていた。

  

 

列車は塔寺会津坂本を経て柳津町に入り、会津柳津を過ぎ郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m)を頂点とする山稜は雲で隠れていた。

  

 

滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。

只見川の支流・滝谷川に架かる滝谷川橋梁上からは、福島県側での貴重な渓谷の風景を見る事ができる。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

 

 

 

会津桧原を出て、桧の原トンネルを出ると「第一只見川橋梁」を渡る。下流側を見ると、ダム湖となっている只見川は青緑だった。*ダム湖は東北電力㈱柳津発電所の調整池。 


 

 

会津西方を出発直後に「第二只見川橋梁」を渡り、上流側を見る。

 

 

会津宮下手前で、“アーチ3橋(兄)弟”の長男である大谷川橋梁を渡り、次男・宮下橋を見下ろした。

只見川の支流・大谷川に架かる大谷川橋梁(1939(昭和14)年)は、開腹式アーチ橋で最大径間は45.0mとなっている。後述する、破間川に架かる「第四平石川橋梁」は、充腹式アーチ橋だ。

  

会津宮下を出た後、宮下ダムの脇を通過。桜のつぼみはうっすらと桃色になっていた。

 

 

ダム湖の脇を通ると、手前、右岸の新緑が際立っていた。*宮下ダム湖は東北電力㈱宮下発電所の調整池

 

 

第三只見川橋梁」を渡り、下流側を見る。

  

 

早戸を経て金山町に入り、会津水沼を出た後に「第四只見川橋梁」を渡る。

  

渡河後に見えた、上田ダム湖(只見川)左岸にそびえる低山の頂はうっすらと冠雪していた。*上田ダム湖は東北電力㈱上田発電所の調整池。

 

会津中川手前で中川地区の上空を見ると、雲の間から青空がのぞかせていた。

 

 

会津中川を出た列車は、しばらく進むとスピードを落とし、上田ダム湖沿いをゆっくりと終点に近付いた。水鏡には青空が映し出されていた。

 

 

 

8:06、会津川口に到着。県立川口高校の生徒を中心に20名ほどが下車した。

 

ここから先が「平成23年7月新潟・福島豪雨」の被害を受けた不通区間。

  

駅舎を抜け、駅頭に付けられた代行バスに乗る。乗客は私を含めて2人。この後、会津横田駅で1人の客を乗せ、終点まで3人を運んだ。

 

各席のバックシートには、新型コロナウィルス対策の“ご案内”という名のお願いが差されていた。

8:15、只見行きの代行バスが会津川口を出発。 

 

  

西谷地区の坂を下り、途上で「第五只見川橋梁」を右に見る。ほぼ復旧を終えた橋桁が水鏡に映っていた。

  

本名を経て、東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端、本名橋を通り、左手に「第六只見川橋梁」を見下ろす。只見川右岸の仮設作業台からクレーン車は消えていて、今後は架橋の準備がどのように進むのだろうかと思った。

  

 

代行バスは会津越川会津横田会津大塩を経て、只見町に入る。

  

会津塩沢を出ると、国道の寄岩橋を渡り、橋上から復旧・災害対策工事が進む「第八只見川橋梁」を見る。約1,100mの長大区間に複数の重機が並び、作業が進められていた。*ダム湖は電源開発㈱滝発電所の調整池。

  

 

 

9:05、只見に到着。パラパラと、気にならない程度の雨に交じり、小雪が降っていた。

  

バスを降り、輪行バッグを抱えホームに向かう。小出行きの列車は、新潟支社色(赤)のキハ40形と新潟支社色(青)のキハ48形の2両編成だった。

 

運休区間となる会津川口方面のレール。枕木の交換はされていないようだが、列車が走っていても違和感を感じない状態だった。

  

9:30、小出行きの列車が定刻に只見を出発。

 

駅員と並んでいた只見観光まちづくり協会のスタッフが手を振って見送ってくれた。

  

 

複数のトンネルとスノーシェッドを経て田子倉トンネル(3,712m)抜けて、余韻沢橋梁上から田子倉ダム湖を見通す。貯水量が少なく、湖底が大きく露出していた。*田子倉ダム湖は電源開発㈱田子倉発電所の調整池。 

   

直後に、スノーシェッド内にある田子倉駅跡を通り過ぎた。

  

さらに、短い架道橋+スノーシェッドを潜り抜け、県境となる六十里越トンネル(6,359m)に向かってゆく。

 

 

 

 

 

約7分ほどでトンネルを抜けると新潟県に入り、まもなく破間川の支流である末沢川と交差を繰り返した。

  

電源開発㈱末沢発電所の脇を通過。

この水路式発電所は、北に2.5kmほど離れた、破間川に設けられた“平石川”取水ダム(堰)から取水している。 *出処・参考:電源開発㈱「水力発電所一覧」/水力ドットコム 水力発電所ギャラリー「電源開発株式会社 末沢発電所」URL: http://www.suiryoku.com/gallery/niigata/suezawa/suezawa.html

 

 

 

 

 

9:54、大白川に到着。下車するのは初めて。列車を見送った。

  

雨はほとんど降っていなかったが、駅舎に入りしばらくすると強くなり、雹が叩きつけるように落ちてきて、路面を白くした。

輪行バッグから自転車を取り出し、組み立てて、雹のあとに強くなったり弱くなったりする雨が止むのを待った。

   

結局、雨が止む気配は無く、小降りになったのを見計らって出発した。


  

 

まずは、只見からやってくる列車が大白川直前で渡る橋梁名を調べようと、国道252号線を只見方面に進んだ。車内から見慣れた、この風景を作り出す橋の名を知らぬまま、今日を迎える事になった。 

 

  

橋梁の周辺から橋桁を見てみるが銘板は無く、何か手掛かりとなるものはないかと見渡している中、顔を上げると、レールの脇に“第5平石川”のタテの標識を見つけた。この橋梁が「第五平石川橋梁」だという事が分かった。

“平石川”とは、破間川の黒又川合流点より上流側の呼称だったという。前述した平石川取水ダムはその名残だと言われているが、今日、只見線の橋梁を辿る事で、平石川ー破間川の境界が裏付けされるされる事になった。

  

「第五平石川橋梁」の名の確認を終え、強くなった雨をしのぐため、一旦、大白川駅で雨宿りをした後、国道252号を小出方面に向けて自転車を進めた。 

 

 

 

10:54、「第四平石川橋梁」に到着。重厚なコンクリートアーチ橋を見上げた。沿線有数の橋梁ということで、この橋の名前は事前に知っていた。

「第四平石川橋梁」(1937(昭和12)年)は充腹式アーチ橋として日本最大の最大径間(40.0m)と言われている。

 

列車が通ると、このような眺めとなる。

  

 

 

柿ノ木スノーシェッドを潜り抜け、只見線と並走し始める手前の待機スペースに自転車を停め次の橋梁を見に行く。目が届く範囲に銘板は見られず周囲を見ると、「第五」同様に路盤の脇に、タテの標識があった。傾いていたため、見過ごしていた。

 

“第3平石川”とあり、この橋梁が「第三平石川橋梁」である事が分かった。

大白川駅近くから「第五」、「第四」、「第三」と続き、これから下流に向けて「第二」、「第一」があるのだろうと予想した。 

 

 

 

「第三」付近から、国道をさらに150m下ると次の橋が見えた。

ここは近づく事ができず銘板や縦標識を確認することはできなかった。予想通りならば、ここは「第二平石川橋梁」となる。次の橋梁が「第一」ならば、ここが「第二」に確定される、と考え先に進んだ。 

  

途中、国道から趣きのある堰が見えた。破間川の水量が少なく越水は無く、取水ゲートと長大な魚道に流れが見られた。

この堰の水は、南を流れる黒又川に注ぎこみ、さらに導水路を通り東北電力㈱上条発電所で発電用の水車を回している。 

  

国道の坂を下ると、次の橋が見えた。

この橋の小出側にある柿ノ木集落に入り、レールに沿って橋の近くまで行ってみるが、タテ標識など名前を示すものは見当たらなかった。「第一平石川橋梁」だと思われたが、次の橋梁の名から“平石川”が消えていれば、間違いないだろうと考え直した。

 

このあたりで雨が強くなってきたため、2011年で廃止になった柿ノ木駅近くの農業関連施設で、雨宿りをさせてもらった。

  

雨が弱まり、国道252号線に戻り移動を再開。

途中、木立に遮られ見えなかったが、かつて“平石川”が破間川と名を変えたという、破間川と黒又川の合流点付近を通り過ぎた。

  

 

次の橋梁は、会津若松側に田んぼから近づく事ができた。

 

橋桁の側面を見る事はできず銘板は確認できなかったが、タテ標識に“第三破間川B”と表示されていた。この橋が「第三破間川橋梁」である事が分かった。

この橋の名称が確定されたことで、黒又川合流点より上にあった名称不明の橋梁が、上流側から「第二平石川橋梁」、「第一平石川橋梁」であると確信した。

  

 

再び国道に戻り、先に進もうとすると、視界の左端に、“毛もの”の気配を感じた。少し引き返し田んぼの間の道を見ると、野生のタヌキがうずくまっていた。

雨に触れて寒いのだろうか、凍えているようにも見えた。声を掛けても、反応は全くなかった。車に引かれるな!、と呼びかけ別れた。

  

 

 

入広瀬地区に入って行く手前、破間川を取り囲む風景を見る。破間川の右岸に新緑も見え、初春の良い景色だった。

 

新潟県側、魚沼市内の只見線の風景には、川床の石の間を流れる清流が入り込む。下の写真は大白川駅を取り囲む風景を撮ったものだが、福島県側のそれとは大きく違う。

只見線は、福島県側と新潟県側で車窓から見える景色も違うが、列車が収まる外からの構図も差がある。“観光鉄道「山の只見線」”の名に違わぬ、多くの観光客を満足させる魅力をもっている。

 

 

 

入広瀬の手前の架道橋から風景を眺める。守門神社の桜が満開になれば、より素晴らしい景観だと思った。

  

国道252号線の上り坂を進み、鏡が池の脇を通り、二つのスノーシェッドを潜り抜け上条が近づくと、只見線の「第二渋川橋梁」が目の前に見えた。

「第二平石川橋梁」と「第一平石川橋梁」間にあった堰の水を利用する東北電力㈱上条発電所の、水圧鉄管を跨ぐ橋になっていた。福島県側にも、唯一、3本の水圧鉄管を跨ぐ伊南川発電所橋梁がある。

 

  

先を進み、国道の新渋川橋から破間川の下流側を見ると、奇妙な形の岩が突き出ていた。

  

この奇岩の先、南側を只見線は走っているが、列車越しにこの岩を収めた写真があった。 

 

 

国道から県道345号線に入り、次の橋梁に向かう。田んぼの間の道に入り、小出方面を眺める。

  

ここには“第2破間川”のタテ標識があった。順当に、ここは「第二破間川橋梁」だった。

 

 

 

次の橋梁に向けて移動している途上で、雨が強くなってきた。雨が弱まるまで、道端の倉庫の軒先を借りた。

10分ほど雨宿りをした後、次の橋梁に向かって自転車を進めた。 

  

 

12:33、越後須原の側を通り、破間川右岸の淵に架かる不渡橋である「大倉沢橋梁」に到着。雨雲が一時去り、青空が広がり、薮神ダム湖となった破間川を美しく見せていた。

藪神ダムは、新潟県内(魚沼市内)で只見線の車内から見られる唯一のダムで、水路式(薮神発電所、1941年運転開始)とダム式(第二薮神発電所、2016年運転開始)の二種の発電所の調整池として機能している。 *参考:東北電力㈱「第二薮神発電所の運転開始について」(平成28年6月23日)

   

反対側、下流(小出)側に背を向け、上流側を眺めた。新潟県側屈指の只見線の撮影スポットだけあって、味のある景観だった。

     

大倉沢休憩所・駐車場の側にあったお堂の前で、満開の小さな桜の木を見る。雨粒を纏った、薄い桃色の花びらは可憐だった。

   

この後、破間川に架かる橋はもう一つ、事前に名前が分かっていた「第一破間川橋梁」を見てから小出駅に向かう予定を立てていたが、雨宿りなどで想定より時間が掛かり断念。2つ手前の駅から列車の乗る事に予定を変更した。

 

 

 

13:04、魚沼田中付近を通過し、越後広瀬に到着。

  

無人の駅舎に入り、昼食を摂る事に。コンビニで調達したカップうどんで体を温め、腹を満たした。

   

 

破間川に架かる橋を巡る旅は、無事に終わった。

天気予報が心配だったが、予想以上に雨量が多く、冷え込んで、しんどい行軍となった。雨宿りで時間を浪費し、予定していた8つの橋梁全てを巡る事ができず残念だったが、初めての道を事故に遭うことなく安全に自転車を進められた事は良かった。

 

「第二平石川橋梁」と「第一平石川橋梁」は名を確認できる標識などを見る事ができず、「第一破間川橋梁」は現地に行く事さえできなかった。しかし、平石川が破間川と名を変えていたという事実を、橋梁名で確認することができたなど、収穫のある旅となった。

 

また、只見川のダム湖に架かる福島県側の橋梁と比較し、新潟県側のものは短く小型だが、「第四平石川橋梁」の歴史的価値のある風貌や、破間川に架からない“不渡河橋”である「大倉沢橋梁」の景観の美しさなどがあり、只見線の付加価値を高めるものであることも実感した。

 

次は、新緑と時に列車に乗り、車内から破間川の清流を眺めたいと思った。また、近いうちに、大白川駅から六十里越トンネルまでに架かる、末沢川の橋梁を巡ってみたい。 

 

13:20、また降り出した雨の中、只見行きの列車がやってきた。

  

13:22、列車が出発。私が乗り込んだ先頭車両の乗客は3名だけだった。

  

「大倉沢橋梁」を渡る。先ほどとは空模様が変わった事も重なり、見える景色の印象が変わっていた。

  

「第二破間川橋梁」を渡る。

  

「第三破間川橋梁」を渡る。

  

「第二平石川橋梁」を渡る。外気温が下がり車窓の曇りが増して、社外の景色が良く見えなくなってきた。

  

 

車内では、昼食と一緒に調達した地酒を呑みたかったが、今日は、これからまた自転車に乗る予定だったので、車内では呑まず、帰宅後の楽しみにした。

今回は玉川酒造の純米吟醸「越乃雪蔵」とにごり「守門の雪」を購入。

 

玉川酒造は、越後須原駅近くに酒蔵がある。今日、立ち寄る予定を立てていたが、前述の通り、雨宿りで時間を浪費してしまい断念した。

しかし、昼食を調達した全国チェーンのコンビニに、何と特設コーナーがあり、豊富な酒種から選ぶことができた。

今では、品ぞろえなどコンビニのオーナーの一定の裁量があると言われているが、ここまで本格的に地酒が用意できるのかと思い、驚いた。と同時に、福島県の只見線沿線で酒蔵を持つ、会津坂下町、会津美里町にある同コンビニにも地酒棚を設置して欲しいと思った。

  

13:56、大白川に到着。

 

 

 

 

 

その後、列車は峠を力強く駆け上り、六十里越トンネル(6,359m)を抜け、福島県に入る。周囲はうっすらと雪で白くなっていた。

  

列車は、田子倉トンネル(3,712m)からは、ディーゼルエンジンの音を抑え下り坂を軽やかに進み、只見町の市街地が見えるととスピードを落とし、駅員が出迎える中、静かにホームに停車した。

  

14:28、只見に到着。10名ほどの客が降りた。

このあと、駅頭に付けられていた代行バスに乗り込み、まもなく只見を後にした。

   

15:22、会津川口に到着。駅舎を抜けホームに向かうと、ステンレスの車体が待機していた。キハ40形の丸みを帯びたスタイルと、やや重いディーゼルエンジンの音に慣れているだけに、キハE120形の近代的なデザインと軽めのエンジン音には違和感があった。

15:29、会津若松行きの列車が会津川口を出発。  

 

まもなく、左手に大志集落を望みながら列車は加速していった。

  

会津中川の手前では、建設中の「東北電力奥会津水力館」が姿を現していた。大屋根と切妻が周囲の景観に合っていると思った。愛称は「みお里(り)」になったというが、正式決定はもう少し先になるという。

*参考:東北電力㈱「「東北電力奥会津水力館」の建設計画について~当社初の本格的な水力発電のPR施設を、ゆかりの深い奥会津に~」/「東北電力奥会津水力館」建設計画の概要(PDF) (2019年3月7日) 

  

 

会津水沼手間で下路式の「第四只見川橋梁」を渡り、下流側を眺める。

 

早戸から只見川下流側を見る。

 

早戸トンネル、滝原トンネルを経て「第三只見川橋梁」を渡り、上流側を眺める。

 

会津宮下を出て「第二只見川橋梁」を渡り、下流側を眺める。

 

会津西方を出て「第一只見川橋梁」を渡り、上流側を眺める。

  

 

 

橋梁区間を過ぎ、七折峠を下り、奥会津から会津盆地に入る。西から南にかけて、上空は厚い雲に覆われていた。

 

 

 

17:18、会津若松に到着。高校生を中心に多くの客が降りた。

 

この後、磐越西線、磐越東線、常磐線と乗換え、終電の終着駅である広野駅から再び自転車に乗って、富岡町の家に帰った。

 

 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

 *参考:

・福島県:只見線の復旧・復興に関する取組みについて *生活環境部 只見線再開準備室

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)(PDF)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)(PDF)     

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

  

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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