「JR只見線 復旧工事状況」 2019年 初冬

復旧工事が本格化したJR只見線の、今年の“成果”を見ようと運休区間を巡った。

 

只見線は昨年6月に復旧工事起工式が行われ、工事が本格化した今年、私は5月に運休区間を訪れ各地の状況を見ていた。年末が近づき、雪の季節を迎える前にどれだけ復旧工事が進んでいるか気になっていた。

 

そんな中、先月末にJR東日本の「只見線の運転再開に向けた取り組み ならびに車両の置換えについて」という報道発表で、工事進捗状況が写真入りで掲載されていた。

*上図出処:東日本旅客鉄道株式会社「只見線の運転再開に向けた取組みならびに車両の置換えについて」(2019年11月28日)から1~3ページを抜粋

 

 

この資料を見て、「第五只見川橋梁」は架橋工事が進み、「第六」「第七」は橋脚新設工事が終わった事を知り、現場を見たいと思い今日の旅を行う事にした。  

旅程は、只見線と代行バスを乗り継ぎ只見駅に行き、そこから輪行した自転車で運休区間(27.6km)を巡り会津川口駅に向かうというもの。

 

運休区間のある奥会津地域はここ数日雪や雨が降っておらず、積雪や凍結の心配がない事を確認して現地に向かった。

*参考:

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日) /「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線復旧工事関連ー / ー只見線の冬

 

 


 

 

昨夜、富岡から会津若松に移動して宿泊。

今朝は、始発列車に乗るために夜明け前の会津若松駅に向かった。

  

輪行バッグを抱え、改札を通り只見線の4番線に移動。暗闇の中、キハ40形の2両編成がディーゼルエンジンの低い音を鳴らしていた。 

 

残念ながら先頭車はロングシートで、1人を除いて、客は後部車に座っていた。20名ほどの乗客で、中には中華圏の観光客と思われる方々もいた。

6:00、会津川口行きの始発列車が定刻に会津若松を出発。

  

 

七日町西若松で客を乗せ、大川(阿賀川)を渡り会津本郷会津高田を経て、列車は北に進路を変えた。

 

 

根岸を過ぎると、東の空が明るくなり、薄いオレンジの層が現れた。

  

 

新鶴若宮を経て会津坂下に到着。まもなく、会津若松行きの上り始発列車が入線し、ホームで待っていた多くの高校生を乗せて先に出発した。

 

 

会津坂下を出発してしばらくすると、列車はディーゼルエンジンの出力を上げて、七折峠の登坂を始めた。

  

塔寺手前では、幻想的な光景が見られた。会津盆地を雲海が覆い、曙色の層に「磐梯山」が顔を出していた。初めて見る車窓からの美しい風景に、息が詰まった。

 

 

列車が七折登坂を終えて下り坂に入り、会津坂本手前の、自称“坂本の眺め”では雲に包まれるように、冠雪した飯豊連峰が見えた。 *参考:福島県観光交流課 ふくしま30座「飯豊山

 

 

会津柳津を出て、郷戸手前の“Myビューポイント”では、「飯谷山」(783m)の稜線がはっきり見え、これから向かう奥会津の天気は良いだろうと思った。

  

 

滝谷を出ると滝谷川橋梁を渡る。渓谷は色を失い、木々にはうっすらと霜がつき初冬の装いになっていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧


 

 

会津桧原を出て桧の原トンネルを抜けると第一只見川橋梁を渡る。

  

 

 

会津西方出発直後には第二只見川橋梁を渡る。

  

陽が上り明るくなってくると、車窓の汚れが目立ち、窓越しにシャッターを切ると映り込んだ。オートフォーカスのカメラなので、この汚れにピントが合ってしまう事も増えた。

只見線は観光鉄道“山の只見線”を目指して、乗客を増やそうとしているが、この窓の汚れでは観光客に残念な思いをさせてしまう。定期的・適宜、窓ガラスの掃除を行い、観光客が窓越しに沿線の素晴らしい景色を見られるようにして欲しいと思う。只見線の利活用の中心となっている福島県はJR東日本と連携・協力し、常に車窓から良い景色が見られる環境を創り出して欲しい。

  

 

会津宮下では、中華圏の観光客と思われる方々などが降りたが、乗客はおらず車内は一層静かになった。まもなく、先頭がラッピング車両の上り列車がすれ違い、客を一人の乗せて会津若松に向かっていった。

 

 

 

会津宮下を出発し、まもなく東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの直側を駆け抜け、列車は第三只見川橋梁を渡る。正面上部の稜線はうっすらと冠雪していた。

 

  

早戸を出て、細越拱橋(めがね橋)を渡る。見晴らしは相変わらず良かったが、川辺の雑草の鮮やかさが目立つという不思議な光景だった。

  

 

会津水沼を出て、下路式の「第四只見川橋梁」を渡る。鋼材越しに上流の風景を見た。この「第四只見川橋梁」の車窓からの光景は、復旧工事で建替えられる「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」の参考になる。 

 

「第四只見川橋梁」通過後に、眼下に見え始めた国道252号線の拡張工事は順調に進んでいた。この工事と並行して電線の地上(地中)化をして欲しいが、追加工事でできないだろうかと改めて思った。

  

 

 会津中川を出て、大志集落の脇を通り過ぎると、列車は減速し上井草橋を潜った。

  

 

 

8:01、終点の会津川口に到着。10人をわずかに超える客が降り、そのうち何人かはカメラを構え、列車や只見川の風景を撮っていた。

 

この先、只見までが2011年に発生した「平成23年7月新潟・福島豪雨」で大きな被害を受け不通になっている(27.6km)。

 

 

改札を抜け、只見方面からやってきた代行バスに乗車。

8:15、只見行きの代行バスが会津川口を出発。乗客は私を入れて12名だった。 

 

バスは国道252号線を進み、本名駅、会津越川駅、会津横田駅、会津大塩駅、会津塩沢駅、会津蒲生駅の付近にあるバス停で停発車を繰り返した。 *他、川口高校前、湯倉入口、叶津にも停車

  

 

9:05、只見に到着。路面に雪は無く、乾燥していた。駅舎背後の「要害山」などの山々は五合目付近から、うっすらと冠雪していた。

  

9:16、小出から列車が到着。10名ほどの客が降り、代行バスからの乗り継ぎ客を含む数人が乗り込んだ。

 

 

 

この只見駅から運休区間(27.6km)を、自転車で“各駅停車”しながら巡った。 

2011年7月から区間運休が続いている只見線の復旧工事は、約3年の工期と81億円もの巨費を掛けて行われている。*下図出処:東日本旅客鉄道株式会社「只見線の状況について」(2016年11月30日・12月1日)(PDF)

復旧費の81億円は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の他、地元(福島県と会津地方17市町村)、国がそれぞれ1/3ずつ負担することになっている。

また復旧区間は、鉄道設備(用地や駅舎、レールなど)が工事終了後にJR東日本から福島県に無償譲渡され、列車の運行は引き続きJRが行うという「上下分離」方式で運営され、さらに運営費(運休前試算:2億1千万円)は地元(福島県と会津地方17市町村)が担い続ける事になる。

100円の収入を得るために6,700円の経費が必要(2009年)という赤字路線である只見線について、JR東日本は運休区間のバス路線転換を頑なに主張していた。しかし、福島県と会津地方17市町村の『地域に只見線は必要!』という“熱意”と、このような財政支出という“覚悟”がJRを翻意させ、復旧が決まった。只見線は、2021年度に約10年振りに全線が再開通することになる。*参考:拙著「JR只見線 復旧工事起工式」(2018年6月15日)

  

小出側に背を向けて、会津川口方面を見る。路盤は除草され、レールがはっきりと顔を出していた。列車がそのまま進んでも違和感の無い状態に見えた。

9:25、輪行してきた折り畳み自転車を組み立てて只見駅を出発、国道252号線を進んだ。 

   

まず「只見②ヤード」が現れた。重機は動いていなかったが、少し高台を走る只見線の法面の復旧工事は終わりに近いような雰囲気だった。

 

法面が復旧され整地された路盤にレールが敷かれているか確認できなかったが、復旧まで1年以上であることを考えると十分な外観だと思った。

  

 

次に現れた「只見①ヤード」にはガードマンが立ち、見上げる位置にある只見線の路盤ではバックホーがせわしなく動いていた。

  

 

叶津川橋梁の南側、神社の参道が横切る場所は、今年5月の訪問ではレールが外され路盤は凸凹だったが、綺麗に整地されていた。

 

国道側の法面にはフトン篭による土留工が施されていた。

  

 

叶津川橋梁(372m、R250m)は、前回同様、工事は行われていなかった。橋脚など一見外観には被害が無いため、来年度以降に路盤と軌道の整備が行われるのだろうか。

  

 

八木沢地区にある「1工区」のヤードからは仮設ハウスなどが消え、安全掲示板の掲示物も剥がされていた。

付近には6か所の工事個所があったが、法面を中心に綺麗に整備されていた。

  

ここから少し先にある八木沢橋梁の南側には工事関係者の車両が停まり、法面に作業員の姿があった。

 

 

また、少し先にある「八木沢SSヤード」では重機も動き、路盤の整備が行われていた。

 

「平成23年7月新潟・福島豪雨」で八木沢地区は大きな被害を受けた。この付近の只見線は只見川から離れているが、只見川が東に直角に曲がり、そこに叶津川や沢が注ぎ込むためか法面・切土崩壊や路盤への土砂流入などが発生した。復旧工事箇所は、より堅牢なものになるのだろうか。

  

 

国道を進むと前方に“会津のマッターホルン”こと「蒲生岳」が、頂を少し見せていた。

  

9:56、この「蒲生岳」の麓、久保登山口近くにある会津蒲生駅に到着。うっすらと雪に覆われた中で錆付いたレールが目立っていた。

  

 

宮原地区を抜けると、「第八只見川橋梁」復旧工事の南側の拠点となる「蒲生ヤード」があり、500個以上の大型の玉石が入ったネットが積まれていた。

後で調べてみると、護岸工事の袋型根固め工に用いるボトルユニットで、環境や景観に配慮した治水工事資材としてヨーロッパで普及しているという。  

 

 

10:09、国道の寄岩橋上から「第八只見川橋梁」を見る。作業員の姿は無く、目立った工事個所も見られなかった。

工事資料によると、曲弦トラス橋(飯田線から転用)に河床根固め工が施されるようで、上のボトルユニットはここで使われるようだ。どのような工事になるのか興味がわいた。 *下図出処:前掲の「只見線の状況について」から抜粋 

 

会津川口寄りの法面には真新しいブルーシートが掛けれていた。法面工が行われた箇所の保護のようだった。

  

 

「第八只見川橋梁」の北側の拠点となる「寄岩ヤード」にも作業員の姿は見られなかった。

 

ヤードから只見線路盤には導入路が設けられ、レールが外され鉄板が敷かれている状況に変化はなかった。

 

 

10:14、寄岩ヤードの近くにある会津塩沢駅に到着。ホームの前のレールは外されたままになっていた。

  

 

駅から北に約600m離れている只見町「河井継之助記念館」。館前にあった民家が取り壊され駐車場になっていた。

 

記念館前には、只見川が滝ダム湖になっている雄大な景色が広がっている。この付近の湖底には、河井継之助が亡くなった矢沢邸跡地がある。

 

私は、只見線の復旧を機に、会津塩沢駅を「河井継之助記念館」前に移設すべきだと思っている。国道に挟まれたスペースは狭隘だが、一面ホームを設置できるだけのスペースがある。法面・切土の補強工事が必要だと思われるが、そこまでのコストを掛けずに済むのではないだろうか。

   

この付近の只見線は、小塩沢橋梁と塩沢川橋梁の一部の柵が積雪の重みで損傷が見られるが、路盤や法面は豪雨被害の影響がなかったようで、工事箇所は今回も確認できなかった。   

 

 

滝トンネルに入った只見線と離れ、国道の塩沢スノーシェッドを抜けて只子沢を渡り、只見町から金山町に入る。

 

この只子沢の河口付近に広がる滝ダム湖(只見川)の風景はよい。

只見線の列車内からは見られない風景だけに、会津塩沢駅付近にカヌーやカヤックの発着場所を設け、この風景を湖上から眺められるアクティビティを設ける事は、只見線の価値をさらに高めると、改めて思った。

  

 

 

10:46、会津大塩駅に到着。ここには作業員二人の姿があった。

 

枕木の一部はコンクリート製のものに交換されていた。この付近も被害の無い場所ということもあり、これで復旧工事は終わりだろうか。

  

 

線路沿いの町道を会津若松方面に進む。「第七只見川橋梁」が近づくとレールが外され、コンクリート製の枕木が積まれていた。

 

そして、この先の路盤にいは鉄板が敷かれ、「第七只見川橋梁」の工事車両の導入路となっていた。

  

 

10:53、「第七只見川橋梁」を側面から見られる、町道の四季彩橋上に到着。

 

「第七只見川橋梁」は豪雨で上路式のトラス橋が流され、水位の上昇に影響を受けないように下路式曲弦トラス橋に変更になる。*下図出処:東日本旅客鉄道㈱「只見線の運転再開に向けた取組みならびに車両の置換えについて」(PDF)(2019年11月28日)

「第四只見川橋梁」と同じ形状になり、車窓から開放的な景色を見る事ができなくなるため、私は設計が変更にならないものかと思っていた。しかし、今では、水害による被害の可能性を一層低くするためには、やむを得ないと考えている。 

 

この曲弦トラス橋を支える会津川口側の橋脚が完成していた。

河岸の岩を穿ち、地中に10m以上基礎を持つ強固な橋脚だ。只見川の川床に建ち水流の影響を受けるためか、円柱形だった。

 

旧橋梁の上路式トラス橋を支えていた橋脚は低く、形状の変更は明らかだった。

 

 

只見側の橋梁を受ける土台も完成しているようだった。

  

列車が、新しい第七橋梁を走る姿を想像できる空間になってきた。架橋は来年度の予定だという。この景観を活かす形状や色彩の橋梁になる事を望みたい。

 

 

 

11:01、町道を進み、会津横田駅に到着。屋根付きの旧待避所の向こうに軌陸車が見えた。

  

この軌陸車は会津川口方面に向かい走っていたが、点検しながら、しかも後退で進んでいるので進行速度が遅く、良々子沢橋梁を通り過ぎる姿を捉えることができた。

  

 

11:16、会津越川駅に到着。会津川口方面で作業する重機の音が聞こえたが、コンクリート枕木は見られなかった。

 

気温は上昇してきたが、駅の向かい側の山の稜線は、未だうっすらと白くなっていた。

  

 

国道を進むと、只見線の真新しい法面にブルーシートが掛けられていた。運休後に見られなかった大きな陥没(法面崩落)だったので、今年の台風19号による被害ではないかと思った。

 

  

越川道陸神(道祖神)跡側の路盤を見させていただく。ここにはコンクリート枕木が数多く見られた。

 

 

中ノ沢橋を渡るとコンクリート枕木などの資材置場があった。その数を見ると、まだまだ敷設箇所はあるようだった。

  

 

 

湯倉温泉に近付くと、建設中の建物があった。近くで作業をしていた地元の方に聞くと、この建物は民宿「橋立」で、国道252号線本名バイパスの工事の影響で移転されるという。

現在の民宿「橋立」は北に200mほどの場所にある。

私はこの付近に“会津橋立駅”の新設を望んでいる。湯倉温泉が近く、只見線(135.2km)のほぼ中間に位置し、何より、“会津”の名の発祥の地とも言える「御神楽岳」登山の入口というのが新設を望む理由だ。

一面ホームだけの駅で、駅機能(待合室など)を民宿の協力を得れば、復旧工事中ということで低コストで建てられるのではないだろうかと考えていた。民宿「橋立」の赤屋根は取り壊されるようだが、是非、金山町には“会津橋立駅”の新設について、その価値を検討して欲しいと思っている。

  

 

 

11:44、本名バイパスの開通で廃道予定の本名スノーシェッドを潜り抜け、直角に曲がると「第六只見川橋梁」に到着。東北電力㈱本名発電所と一体化した、本名ダムの天端である本名橋の上から工事現場の様子を見下ろした。

 

この「第六只見川橋梁」も流出した上路式トラス橋から、下路式曲弦トラス橋に変更される。*下図出処:東日本旅客鉄道㈱「只見線の運転再開に向けた取組みならびに車両の置換えについて」(PDF)(2019年11月28日)

 

ここも、会津川口側の橋脚が完成していた。「第七只見川橋梁」と違い、護岸の上に建つためか矩形型だった。

 

切断された旧橋梁の二本の橋脚は細く、来年度に架かる橋の大きさや重さが察せられた。

 

 

只見側は大規模な仮設が設けられ、新橋梁を支える土台作りと、本名トンネル上部の法面工が進められていた。

この大規模な工事現場を見て、課題は多いが、乗客を増やして、“観光鉄道「山の只見線」”として生まれ変わらせなければならないと思った。

  

 

国道を進み、坂を下ると風景が一変していた。只見線の本名架道橋が撤去されていたのだ。

 

現道から本名バイパス・本名トンネル(仮称)へのゆるやかなカーブで接続するための措置と思われた。確かに架道橋があった時は、国道がバイパスに向けて鋭角になってしまうと思っていた。

 

 

 

11:50、本名駅に到着。ここの状況は変わっていなかった。

  

 

再び、国道に入ると「本名ヤード」がある。「第六只見川橋梁」の現場に出払っているためか、作業者は見当たらず、ひっそりとしていた。

  

 

11:55、西谷集落を通り過ぎ、国道の緩やかな上り坂の途上で、「第五只見川橋梁」を見る。

 

この橋梁は1間の橋桁が流されたが、復旧は2間で行われ、架橋は終わっているようだった。*下図出処:東日本旅客鉄道㈱「只見線の運転再開に向けた取組みならびに車両の置換えについて」(PDF)(2019年11月28日)

 

よく見ると、現橋と同色の2間の橋桁が掛かっていた。中間にある新設された小さな橋脚は未だ足場で囲まれていた。

 

先に護岸工事が行われた際は、橋脚の設置場所が見当たらず、当時このままでは復旧されないと思ってしまったが、杞憂に終わった。

  

この「第五只見川橋梁」の工事は「第五ヤード」で行われいている。大型クレーンがまだ残っていた。架橋は今週行われたのだろうか。

  

 

さらに国道を進み、途中で只見川の方を見下ろすと第二金洗橋梁が見えた。


4年前に雑草に覆われ、廃墟と見紛う状態だったが、コンクリート枕木が交互に敷かれ、橋はそのまま使われるようだった。

 

  

国道を下り、川口トンネル手前で側道(旧道)に入り、進んで行くと野尻川橋梁越しに会津川口駅が見える。私が乗る列車が停まっていた。

 

 

 

12:09、会津川口駅に到着。27.6kmを2時間50分で駆け抜けた。

  

駅頭に幟が置かれているように、会津川口駅では「姫ます寿司」が構内の売店で販売されている。

 

今年10月に約8年振りに販売が再開され、地元紙・福島民報にはヒメマスが採れる沼沢湖畔で行われた記念式典の写真とともに記事が掲載されていた。*記事出処:福島民報 2019年10月24日付け紙面

ヒメマスは、福島県内では唯一、沼沢湖(金山湖)に生息している。「姫ます寿司」は金山町内の企業組合が2008年から販売を開始していたが、2011年の東日本大震災の原発事故の影響でヒメマスが禁漁となったことで製造が行われていなかったという。

土日・祝日販売で数量限定ではあるが、金山町の名物が只見線で手軽に食べらるようになったことは喜ばしい。

 

私は、往路で列車を降りてから、「姫ます寿司」を脇に積まれたおにぎりと一緒に買っておいた。他の方も次々と手に取っていて、帰りに残っているか心配したからだ。

懸念通り、私が会津川口駅に戻った時には売り切れとなっていた。売店を訪れていたほとんどの方が『姫ます寿司は...?』と店員に聞いていて、残念な表情をしていたのが印象的だった。

販売元としては用意する数量は手探りだと思うが、過去2ヵ月の販売量の分析と冬休みの需要予測を行い、店と客、双方の機会ロスを減らして欲しいと思った。

  

 

駅には客が多く集まり、列車の準備ができず閉ざされた改札前には長い列ができた。 

列車の出発の15分ほど前にようやく扉が開かれ、私は停車中のキハ40形2両編成の先頭車両に乗り込んだ。今回はどちらもクロスシートを持つ車両だった。 

 

普段、会津若松行きの列車は駅舎側に停車しているが、今日は只見川側だったため違和感があったが、まもなくその理由が分かった。「びゅうコースター風っこ」号が入線してきたのだ。忘れていたが、今日は「風っこ 只見線ストーブ列車」の運行日だった。

   

夏季に運行されるトロッコ号とは違い、窓がはめ込まれ、椅子には座布団も敷かれていた。*参考:拙著「「風っこ 夏休み号」乗車 2017年 盛夏」(2017年8月6日)

 

 

 キハ40形の席に着き、落ち着いたところで「姫ます寿司」を頂く事にした。

 

パッケージの題字は、沼沢湖畔で映画のロケを行ったこともある椎名誠氏。デザイン(絵)は切り絵作家の久保修氏が手掛けている。

 

中には6貫の押し寿司が入っていて、半分は鮮やかな色合いの切り身、半分は炙りとなっていた。南会津の酒「花泉」のワンカップを呑みながら頂いた。

切り身の方は、シンプルな酢飯の押し寿司だったが、身の香りとほどよい脂がのった食感で旨かった。そして、炙りは、シャリに山椒と大葉が混ぜ込まれているようで、風味豊かで身の香ばしさとの相性は抜群だった。

陸封型のヒメマスの料理は、その希少性も相まって、“観光鉄道「山の只見線」”の大きなコンテンツとなると思っていたが、この「姫ます寿司」は間違いなく只見線を象徴する名物になると思った。漁をする方が減り、必要数を確保する事が難しくなってきていると言われているが、安定流通するように関係者には期待したい。

   

 

12:32、会津若松行きの列車が会津川口を出発。 

この列車では、早戸駅と第四~第一橋梁の手前で録音による観光案内が車内放送された。「只見線利活用事業」の一環だ。


「第四只見川橋梁」。曲弦トラス部に差し掛かる前にシャッターを切った。


 

細越橋梁(めがね橋)。ここは、景観創出(只見線利活用事業の一環)のために木々が伐採されている。

 

伐採前を比べると、確かに見晴らしは良くなった。

あるよりは無い方が良いと思うが、伐採された木々が「平成23年7月新潟・福島豪雨」で増水した只見川の水流を減勢し、道路などへの被害を軽減したのではなかったか気になった。

 

 

 

「第三只見川橋梁」。ここでは減速運転が行われ、車窓からの景色をゆっくり見る事ができた。

 

 

「第二只見川橋梁」。下流側は橋と並行して電線が架けられている。

只見線の景観創出は、車窓から見える電線の排除から始めるべきだと思うが、現在は列車を“撮る人”の視点で行われていると私は感じている。福島県には乗客を増やすための景観創出事業に注力して欲しいと思う。

  

 

「第一只見川橋梁」。ここでも減速運転が行われ、上流側の駒啼瀬の渓谷をじっくりと見ることができた。

 

 

車内では車内販売が行われていた。女性スタッフが沿線の特産品が入った買い物カゴとクーラーBOXを抱え、呼び止められた席の前で対応していた。

この車内販売も車内放送や減速運転とともに、福島県が主導する「只見線利活用事業」の一環で行われている。来年2月まで、土日祝日に会津川口~会津柳津間、一日上下各2本で行われている。*記事出処:福島民報 2019年10月7日付け紙面

 

前回(11月10日)に見た時はスタッフがカゴ一つだったが、今回は計4つの荷物を抱えていた。女性が大荷物を持って移動している姿は気になった。JRがかつて管内の車内販売で使用していたカートを借りて使えないものか、と思った。 

 

 

 

列車は奥会津地域を抜け、七折峠を越えて、会津盆地に入る。12月とは思えない穏やかな秋の風景だった。

  

 

会津坂下では会津川口行きの下り列車とすれ違いを行った。

只見線の列車は来春にこのキハ40形から、福島県内の水郡線でも走っている列車(キハE130)の兄弟車であるキハE120形に切り替わる。*下図出処:東日本旅客鉄道株式会社「只見線の運転再開に向けた取組みならびに車両の置換えについて」(PDF)(2019年11月28日)

私は、利用者の多い会津若松~会津坂下間や、新潟県側の小出近郊にこのE120系を導入するのは良いと思うが、“観光鉄道「山の只見線」”の核である奥会津地域や“会越境界”の山間部は、キハ40系を走らせ続けるべきだと思う。

JR東日本の車体の塗装をし直すなどの配慮はありがたいが、角ばった線形とステンレス製の外観は、山間部を走る観光路線の列車としては違和感があり、通勤車両のような機能的な内装は旅情を減じさせてしまう可能性があると思うからだ。

只見線の運休区間を保有し、多額の財政支出をし続ける事になる福島県は、“観光鉄道「山の只見線」”に欠かせないキハ40形が今後も走り続けられるよう“投資”も含めて検討し、JR東日本の協力を引き出して欲しい。

 

 

 

14:25、列車は会津若松に到着。

 

20:04、磐越西線、磐越東線、常磐線と乗り継いで富岡に到着。

 

今回の旅で、只見線の復旧工事は順調に進んでいる事を確認し、2021年度の早い段階で全線再開通になるのではないかという印象を持った。

 

私は、2021年8月29日に運転再開になれば良いと思っている。只見線は1971年8月29日に全線開通(会津若松~小出)したため、その日は50年目の区切りの日となる。開業から半世紀を経て、10年間の不通区間を乗り越え全線再開通する事は、大きな注目を浴び、“観光鉄道「山の只見線」”のデビューにはふさわしいのではないだろうか?

  

来年は、「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」の、大掛かりな架橋工事が行われる予定になっている。できればどちらかの工事を見てみたいが、いずれにせよ、また現地に行き、復旧工事現場を見てみたい。


 

(了)

  

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考

・福島県:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「只見線ポータルサイト」 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

  

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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