今まで四度訪れながら、乗船したことがなかった田子倉(ダム)湖の遊覧船「ブルーレイク」号。梅雨明け直前の、青空に映える奥会津深部の大自然を湖上から見たいと思い、JR只見線を利用し只見町に向かった。
田子倉ダムは重力式コンクリートダムでは宮ケ瀬ダム(神奈川県)に次ぐ国内2位のダム躯体の体積(1,949,500㎥)を誇る。
只見線と田子倉ダムの関係は深く、ダムを作るために工事現場まで敷設された「田子倉発電所建設用専用鉄道」線(会津川口~宮渕間、32.3km)が後に只見線の一部となり、会津若松~小出間が一本につながった。
この「専用鉄道」が威力を発揮し、建設は順調に進み田子倉ダムは1959(昭和34)年3月に竣工し、田子倉発電所は1961(昭和36)年11月に、当時日本一の水力発電所(揚水式除く)として稼働した。*参考:拙著「只見町「田子倉ダム」2017年 紅葉」(2017年11月2日)
この田子倉ダムによって堰き止められた水は、最大約5億トン(4億9,400万㎥)になる。田子倉湖は総貯水量が国内第3位(1位徳山ダム湖(岐阜県)、2位奥只見ダム湖(福島県ー新潟県))で、湛水面積は9.95k㎡(995ha)で国内8位という大きな湖だ。
湖を囲む1,500m前後の山々には、アバランチシュート(雪崩路)や筋状地形など豪雪地帯特有の山肌が見られる。*参考:日本情報地質学会シンポジウム2015「日本海側山地に特有な筋状地形(雪崩地形)の地形形態と分布について」(PDF)
また、田子倉(ダム)湖自体が4つの“渓谷”に沿って鋭角に水を湛えているため、野趣味ある湖らしからぬ景観を創っている。
この田子倉湖上を走るのが遊覧船「ブルーレイク」号。遊覧コースは、ダム堤体そばの発着場から只見沢の“入江”まで西進し、白戸川の“入江”に少し入り戻ってくるというもの。所要時間は約30分。冬から春の間は運休されていて、今年は6月1日から運行を開始した。
『ブルーレイクに乗るなら、山肌にブナの新緑と残雪が見られる春』と思っていたが、それは叶わず、『ならば夏空のもと』と今日の旅を計画した。
今日の旅程は、会津若松駅から只見線の始発列車に乗り、只見駅からは輪行した自転車で田子倉湖に行き「ブルーレイク」号に乗船。その後「歳時記会館」「奥会津ただみの森キャンプ場」「ひっとぷろ まち湯」と町内を巡り、只見駅から郡山に帰る。
福島県は梅雨明けしていないものの、会津地方も含め、ここ数日、夏空が広がる時間が増えてきていることもあり、青空に期待し旅に臨んだ。
*参考:
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の夏ー
昨日は代休を取り予定を組んでいたが、中止となったため、只見線に乗る事にした。
写真は撮らずに、車窓からの景色を見ながら読書をしようと思っていたが、「第三只見川橋梁」を渡り滝原トンネルを抜けると、シャッターを押さずにはいられなかった。
川霧が大量に発生していたのだ。
細越拱橋(めがね橋)の手前では、夕暮れ時の幻想的な光景を見る事ができた。
終点の会津川口の手前で、車窓から振り返って見た大志集落も、良い景色だった。
只見線は、いつ乗っても、必ず一点モノの風景に出会える。乗るだけ元が取れる、国内でも屈指の景観鉄道だと、改めて思った。
会津川口では降りる事無く、折り返し会津若松行きの最終となった列車に乗り続けた。途中、会津宮下を出てから会津坂下までの40分間、車内は私一人になった。
後部のロングシート車両にも人影は無く、私は二両編成の列車を“占有”したことになった。
ローカル線の上り最終列車が、ある区間で“空気を運ぶ”のは、全国で見られると思い、私はこの光景には悲観しなかった。
一人、ディーゼル列車の音を聞きながら、地酒を呑み、本を読む時間は最高だった。
図らずも、思い出深い誕生日となった。
昨夜はそのまま会津若松市内に泊まり、早朝、会津若松駅に向かう。上空は雲に覆われていた。
駅頭で自転車を折り畳み、輪行バッグに入れて改札に入りる。只見線のホームに向かう連絡橋上から、北東に「磐梯山」(1,816.2m)のシルエットが見えた。
ホームに下り、停車中の二両編成の後部車両に乗り込んだ。
6:00、会津川口行きの始発列車が出発。
切符は、昨日同様「青春18きっぷ」を利用。これが使える季節になった。
1日2,370円でJRグループの普通列車などが、年齢を問わず乗り放題だ。夏期の利用は9月10日まで。この切符を使う事を契機に、多くの方に只見線に乗車して欲しい。
列車は住宅地の中を進み七日町、西若松を経て、阿賀川(大川)を渡り、田園地帯を進んで行く。
根岸、新鶴を経て、若宮から先日訪れた会津坂下町に入り、会津坂下で上りの会津若松行きの列車とすれ違いを行った後、出発。
列車内は、一旦静かになるが、右に大きく曲がり七折峠の登坂を始めると、ディーゼルエンジンの重厚な音が響き渡った。
峠の途上、東側が開け、会津盆地の一部を見渡せた。
この付近の木々が切り倒され、只見線の路盤の脇に置かれていた。長い区間で行われている事から、枝葉による運行障がい防止のためではないかと思った。
列車は峠の中にある塔寺を経て、会津坂本を過ぎると柳津町に入り、会津柳津を出発してまもなく“Myビューポイント”を通過。
陽射しが無かったのが残念だったが、車窓から見える沿線屈指の渓谷美は、これから迎える「第一」から「第八」橋梁間で見られる車窓からの風景とは一線を画し、貴重だ。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧」
会津桧原を出発すると、車掌が車内放送でこれから渡る「第一只見川橋梁」の説明を始めた。若々しく活舌の良いはっきりとした声に好感が持てた。
列車は減速し、「第一只見川橋梁」を渡る。水は濁っていたが、東北電力㈱柳津発電所のダム湖となった只見川には、うっすらと川霧が見られ、良い眺めだった。
この付近の只見川は、上田ダムの直下で、比較的浅瀬で流紋が見える貴重な区間だ。対岸の低山には岩肌が縦にむき出しになった雪食地形も見られる。この工事に合わせて、電線の地中化(地表化)工事と枝木の整備がなされれば、車窓からの景観は各段に向上すると私は思っている。
会津中川を過ぎ、大志集落の背後を進むと列車は減速し、終点を告げる車掌の声が車内に響く。前方の上井草橋上空には青空が見えてきた。
車窓から振り返ると、水鏡に映し出された風景の中、大志集落が気持ちよく収まっていた。
私が乗ってきた列車は、運休前は只見線の終点である小出行きになっていた。現在のところ、全線再開通時も同じダイヤが予定されているため、小出行きとなると思われる。
駅舎を抜け、駅頭に停車していた代行バスを見て、一瞬戸惑った。金山町と只見町、双方のゆるキャラである「かぼまる」と「ブナりん」や特産品などが掲載されたラッピングバスだった。
今月2日から運行を開始したこのラッピングは知ってはいたが、実物を見ると斬新なカラーリングの驚いた。しばらく、眺めて、乗り込んだ。 *参考:金山町 かぼまる日記2019(7月)「只見線代行バス ラッピングバス」
8:01、只見行きの代行バスが出発。乗客は私を含め7名だった。
バスは国道252号線を只見まで進んで行く事になる。西谷地区の坂を下ると「、第五只見川橋梁」が見えた。豪雨被害で右岸の橋脚と橋桁が流されたが、小さく真新しい橋脚が河川復旧工事で作られた擁壁の上に作られていた。架橋工事は今年予定されている。
本名“駅”となっている本名郵便局前を経て、東京電力㈱本名発電所・本名ダムの天端(本名橋)を渡り、「第六只見川橋梁」の復旧工事現場を見下ろした。右岸の導入路工事はほとんど終わっているようで、左岸では足場に囲まれ橋脚工事が進められていた。
「第六」「第七」ともに、上路式から下路式トラス橋に大きく形状変更され、来年に架橋される予定となっている。 *記事出処:福島民報 2018年6月29日付け紙面
代行バスは、会津大塩“駅”を経て、只子沢を渡り只見町に入る。空は青い部分が大きくなり、期待した夏空となってきた。塩沢地区の沢に掛かる只見線の塩沢橋梁と小塩沢橋梁では、釣り足場が組まれ補修工事が進められていた。
これらの橋梁は雪の重みで、柵がひしゃげたりしていた。豪雨被害だけではなく、8年もの間放置された傷跡も補修してゆく。裏を返せば、復旧したのならば、定期的なメンテナンスが必要になるという事。現在の運休区間は、福島県が保有(上下分離)し、JR東日本に保守を委託する。保守費用は県税ということになる。福島県は相当の覚悟をもって、只見線を国内外に知れ渡る観光鉄道にしなければならない、と思った。
会津塩沢“駅”を出て、しばらくして寄岩橋上から「第八只見川橋梁」を眺める。橋桁に仮設が長々と設置され、復旧工事が本格化していた。盛土復旧、河床根固め、土留壁補強、桁流出防止、桁修繕などを施す工事区間は1,100mにもおよび、費用は約25億円と突出している。
9:05、会津蒲生“駅”、叶津を経て、只見に到着。今朝の会津若松駅上空の曇り空が嘘のように、綺麗な青空が広がっていた。
さっそく、駅頭で輪行バッグから自転車を取り出して組み立て、出発した。
まずは、会津若松寄りにある上野原踏切に行き、小出からやってきた上り列車を撮影した。
“寝観音”こと、「(大川)猿倉山」(1,455m)から「横山」(1,417m)にいたる稜線を背景に、中低山の緑が織りなす奥行あるこの構図は、“観光鉄道「山の只見線」”を象徴する絵の一つだと思う。 *参考:只見町観光まちづくり協会「只見から観る観音様。」(2015年4月28日)
ホームには多くの乗客が降り立ち、駅舎に向かっていった。夏休みの土曜日で、観光客が増えているのだろうか、賑わいを見せる駅に嬉しくなった。
この列車は9時30分に折り返し小出行きとなる。その走る姿を撮るために移動した。
国道252線に出て、駅前通りとの交差点に着くと、只見町役場旧庁舎(1960(昭和35)年築)が解体され、新庁舎を除き更地になっていた。
旧庁舎は耐震診断でCランクとなり、駅前(新庁舎)と町下地区(旧只見中学校)に分散して暫定移転している。役場建替えは震災前(2011年以前)から話が出ているが、どうなるのだろうか。
国道から町道に入り、田の口踏切で、小出行きの列車を見送った。青と赤、二両ともJR東日本㈱新潟支社の“新潟色”に塗られたキハ40形だった。
こう見ると、只見線には二色のグリーラインが入った“仙台色”がふさわしい。2021年度の全線再開通時、会津若松~小出間に“仙台色”が再び走る事を願っている。
国道252号線に戻り、田子倉(ダム)湖を目指す。
緩やかな坂を上ってゆくと、前方遠くに田子倉ダムが見えた。手前には電源開発㈱只見ダム(左)と歳時記会館。
只見ダムの天端に到着しダム湖を眺めた。谷間を塞ぐ田子倉ダムが前方にはっきり見え、湖面は波が立たず滑らかで、綺麗に周囲の景色を映しこんでいた。
只見ダムは、田子倉ダムの逆調整池として作られた。“ダム湖に映し出される巨大ダム”が見られるのはこのような光景は、国内ここだけではないかと私は思っている。一見の価値はあるし、四季折々で、眺め続けていたい景色だ。
国道を進み、振り返って、ダム湖越しに只見ダムを眺めた。芝生や草に覆われた緑のロックフィルダム堤体と突き出た洪水吐は、意外と周囲の風景に調和している、と最近は思うようになった。
ほぼ平坦な国道を自転車を進めると、前方に田子倉ダムが見えてきた。
途中、万代橋の再架橋工事が進めれていた。
只見線も被害を受けた「平成23年7月新潟・福島豪雨」で橋脚が流され、倒壊した。嵩上げされ、たもとの橋台は空洞のコンクリートが組み合わさったものだった。洪水時に減勢するためのものだろうか。
9:57、電源開発㈱田子倉発電所の入口に到着。この先は関係者以外進入禁止になっている。
田子倉発電所では、町内で開催されるイベントに合わせて「構内ツアー」が企画される事があるので、参加したいと思っている。
ここから国道は鋭角に曲がり、ダム堤体まで坂となる。腕時計で標高435mを確認し、登坂を始めた。
この自転車登坂は3度目。上り坂は比較的緩やかで、私の小径自転車でも乗り続けられるが、強い陽射しと高温はきつかった。
最後のヘアピンカーブから田子倉ダムを見ると、小戸沢の奥の山々もはっきり見えた。この道の登坂は、登山と同じで、高度が上がるごとに変わる良い景色が見られるので疲れが癒される。
田子倉第一トンネル手前で振り返る。只見ダム湖が池のように見えた。
10:17、田子倉ダムに到着。只見駅から寄り道をしながら約50分、発電所入口から20分で到着した。
腕時計の標高計は560mを表示していた。125mを上ってきたことになる。ダムの堤高が145mだから、ほぼ合っている。
私は当初、只見町観光まちづくり協会が用意している「タクシープラン 田子倉湖遊覧船ツアー」を利用しようと思っていた。只見駅から田子倉湖までの往復タクシー代と遊覧船の料金が含まれ¥3,500という価格になっている。遊覧船は利用者が一人でも必ず運行してくれるという特典もある。限られた時間での観光となるが、只見駅からの二次交通の心配はないので、只見線を利用して田子倉湖に訪れる方には、このタクシープランの利用を検討してもらいたい。
【TX03_田子倉湖遊覧船ツアー】*只見町観光まちづくり協会HPより引用
①第一便
只見駅発:9:20-田子倉湖遊覧など:約40分-只見駅着:11:15
②第二便
只見駅発:11:30-田子倉湖遊覧など:約40分-只見駅着:13:30
③第三便
只見駅発:13:00-田子倉湖遊覧など:約40分-只見駅着:15:00
田子倉ダムの天端から下流側を眺めた。ダム直下には天井に“J POWER 田子倉発電所”の文字が記された発電建屋と、その前に広大な送電設備がある。壮大で、緑に包まれた美しい発電所だ。
発電建屋の下には巨大な水車が4台置かれ、国内第二の発電能力を持つ一般水力発電所となっている(第一位は上流にある電源開発㈱奥只見ダム・発電所)。
只見ダム湖を見る。ダム建設により、51戸が水没してしまったという。
只見ダムは着工1981(昭和56)年、竣功1989(平成元)年ということで、現在でも住人の多くがご健在だと思う。生まれた土地を離れざるを得なかった無念に思いを馳せるとともに、発電の恩恵もさることながら、このような美しい景色が創られた事に感謝したいと思った。
田子倉(ダム)湖に目を向ける。船着き場には、これから乗る「ブルーレイク」号が停泊していた。
田子倉(ダム)湖は越後三山只見国定公園、「只見ユネスコエコパーク」の中にあり、「ダム湖百選」に選ばれている。*参考:(一財)水源地環境センター「ダム湖百選」田子倉湖 URL:http://wec.or.jp/library/100selection/content/tagokurako.html
ダム建設では田子倉集落が水没し、50戸が立ち退きを強いられ離散したという。半世紀以上前の事ではあるが、田子倉(ダム)湖のこの美しい景色を見る時、同時に故郷を追われた方々に思いを馳せて欲しいと思う。
「ブルーレイク」号の乗船券を販売している田子倉レイクビューに行く。ダム堤体の脇にあり、2階がレストランで、1階に軽食スタンドと売店、そして「ブルーレイク」号の乗船券の発券場になっている。
1階奥、田子倉湖を見下ろせる位置にある発券場に行き、まずは「ブルーレイク」号に乗船したいと告げる。しかし、私の他に利用者はいないという事で、出航は確約されなかった。「ブルーレイク」号は4名以上になったら出航する、という事は事前に調べて分かっていたが、土曜日ということで大丈夫だろうと考えていたが、甘かったようだ。
だが、係の方は、運転手の方に『一人でも大丈夫か?』と相談したり、「ブルーレイク」号の案内放送を流してくれるなど、手を尽くしてくださった。そして、『ブルーレイク号は、まもなく出航になります...』との放送をすると、まもなく2人の方が発券場にやってきてくれた。これで計3名ではあったが、何とか「ブルーレイク」号を出航してくれることになった。
私は安堵し、切符を購入した。大人1名が¥1,200となっている。
そした、田子倉レイクビューの建物を出て、直後にあるコンクリート階段を下りた。
まもなく発着場に到着し、「ブルーレイク」号に乗り込んだ。定員80名の中型船だ。
10:36、「ブルーレイク」号が出航。見上げた田子倉レイクビューが、だんだん小さくなってゆく。
「ブルーレイク」号は2階建てになっていて、私は、まず2階部分の屋根付きのデッキ席に座った。
席は背もたれ付きのベンチ。座りながら両側の景色を楽しむ事ができる。屋根はあるものの、風が吹き抜け、十分に解放感を味わう事ができた。
1階には運転席と客席があり、窓に囲われている。雨が降ったり、気温が低い時も心配はない。
「ブルーレイク」号はゆっくりとダムを離れてゆく。
私は、後部の乗降口のデッキに立ち、景色を眺めた。
右舷側と左舷側で陽の当たり具合で変わる湖面の色合いや、周囲の山々の緑を楽しんだ。
「白戸山」(701m)を過ぎたあたりで、2基のV8エンジンが出力を上げ、スピードが増す。水しぶきと波紋がダイナミックに広がった。
まもなく、右手に「南岳」(1,354m)-「鬼が面山」(1,465.1m)-「北岳」(1,472m)-「貉沢カッチ」(1,452m)の南嶺が見えてきた。
そして、右舷正面に「浅草岳」(1,585.4m)が見えた。頂上からも、この田子倉湖が綺麗に見えているだろう。今日、登山している方が羨ましくなった。*参考:只見町インフォメーションセンター「浅草岳」URL:https://www.tadami-net.com/enjoy/field/20170309/6915
*参考:拙著「只見町「浅草岳 山開き登山」2017年 初夏」(2017年6月25日)
「浅草岳」と同じ方向、只見沢の“入江”の奥の方に目を凝らすと、只見線の余韻沢橋梁と田子倉駅跡(2013年廃止)、ホームをすっぽり覆うスノーシェッドが見えた。
*参考:拙著「只見町「田子倉駅跡」2017年 秋」(2017年10月14日)
直後に「ブルーレイク」号は左に大きく曲がり、Uターンを開始した。
すると、正面、遠くにダム堤体が見えた。
後部に移動し、「六十里越」の南側に連なる新潟県境の山々を眺めた。筋状地形(雪崩地形)がはっきりと見え、「前毛猛山」(1,233m)は頂上の一部だけを出していた。
この後、「ブルーレイク」号は、右に曲がり白戸川の“入江”に向かった。後方には、南岳-鬼が面山-北岳-貉沢カッチ-前岳-浅草岳の稜線と山肌が綺麗に見えた。雪渓も確認でき、奥会津最深部の絶景が見られたことに感謝した。
「ブルーレイク」号の右舷には日が当たり、湖面には美しい夏空が映し出された。
そして、再びUターンし、“白戸入江”を後にした。後方には“寝観音の横顔”と言われている「(大川)猿倉山」がわずかに見えた。
「ブルーレイク」号は、ゆっくりとダムに近づいてゆく。
後方に移動すると、2機の船外機が出力を下げたため、航跡は目立たなくなった。
まもなく発着場というあたりで、「ブルーレイク」号は惰性で滑るように湖面を進み、ダム堤体と並行になり、慎重に桟橋に近付いていった。
11:13、無事に、桟橋に接岸。約40分間の遊覧が終わった。私たちが降りると、次の乗客が乗り込んでいった。
ダム天端に移動し、次の便が動き出す様子を眺めた。
乗ったばかりということもあり、船内から見た景色を思い浮かべながら、しばらく「ブルーレイク」号を眺めた。
今回、初めての田子倉(ダム)湖遊覧船「ブルーレイク」号の“航海”は天候に恵まれた事もあって、最高のものになった。“ブルーレイク”の名に違わず、青空が湖面に映え、綺麗な青を見せてくれた。
また、仮に天候に恵まれなくでも、周囲の山々のアバランチシュートや筋状地形など特異な山肌や沢が湖の“入江”となった入り組んだ湖岸の形状などは、十分見応えがあり、元は充分に取れると、今日の乗船して感じた。
2021年度の只見線全線再開通に向けて、田子倉(ダム)湖遊覧船「ブルーレイク」号が、更に多くの観光客を惹きつけ、只見線の乗客増につなげるために、次の三点を提案したい。
①遊覧コースの増設
②湖上停泊
③「ブルーレイク」号の非炭素化
①遊覧コースの増設
現在の「ブルーレイク」号の遊覧コースは、田子倉(ダム)湖の一番広い部分を走り、湖の特徴である“入江”は、白戸川の沢の一部だけ巡る。
田子倉(ダム)湖の形状は、北欧のフィヨルドを思わせる特異なものだ。各“入江”の奥を湖上から見てみたいという観光客は少なくないはずだ。
例えは“白戸川コース”や“大鳥ダムコース”を設ければ、国内無二の遊覧船になるのではないだろうか。
この実現には、所有・管理者である電源開発㈱の理解・協力や、航路の安全調査や「ブルーレイク」号の改修や増船が必要になり、容易ではないが、田子倉(ダム)湖の“観光資源”を考えればチャレンジする価値はあると思う。
②湖上停泊
今日、「ブルーレイク」号に乗船している時に、『この場所に停止してもらって、しばらく景色を眺め続けたい』と思った。周囲の景色は非日常であり、静寂に包まれている。湖上停泊は一定の需要があると思う。
この際、長く座り続けられる椅子やトイレの設置などホスピタリティの改良や、飲食の提供などが必要になってくるだろう。
③「ブルーレイク」号の非炭素化
大自然の中を走る「ブルーレイク」号がカーボンフリーならば、大きなアクセントになる。水力や太陽光発電で得られた電気を蓄電池にため、「ブルーレイク」号に積んだ電池に充電し走らせる、というのが技術的に実現可能性は高い。また、カーボンフリーの水素を用いた駆動方式は、未来のエネルギーという点で訴求力が高い。
田子倉(ダム)湖は、これらハードルが高い3案を検討する価値があるだけの魅力がある。また、只見線の列車から見える“湖面鏡”を初めてとする景観の源泉の一つである田子倉(ダム)湖の観光能力が発揮されることで、下流域に好影響を与える可能性があると思う。
“観光鉄道「山の只見線」”の確立を目指す福島県は、田子倉(ダム)湖の価値を調査し、その観光の潜在力が発揮されるよう尽力して欲しいと思う。
ダム天端で「ブルーレイク」号をながめていると、大型の鳥が上空を舞い、時折急降下をしていた。トンビだろうか。
11:50、田子倉(ダム)湖を後にし、国道252号線を下った。
ブレーキをこまめに掛けながら、気持ちよい風を全身に浴びて下ってゆく。この感覚を味わえる事も、自転車でダムまで行く原動力になる。
5分ほどで、下り坂が終わり、田子倉発電所の入口を通過し、只見(ダム)湖左岸の開放的な道を進んだ。
12:04、「歳時記会館」に到着。ここで昼食を摂る事にした。
会津ただみ振興公社が指定管理者となっている、1階に売店、2階に食堂を併設する施設だ。
階段を上り2階に行くと、正面に“名物”十割そばの幟と、電動の石臼が置かれていた。
食券機を利用し厨房のスタッフに半券を渡し、一番窓側の席に座る。只見(ダム)湖と田子倉ダムが見えた。
5分ほどで、食券に書かれた番号を呼ばれ、注文した冷たい「山菜そば」をカウンターに取りに行き、自席に戻った。
そばはコシがあって、風味も良く、旨かった。また、食べたいと思う一品だった。
食事を終えると、上空にはすっかり雲が広がっていた。只見ダムの天端から田子倉ダムを見ると、約3時間前に見た景色から一変していた。天候に恵まれた事を感謝した。
只見町と接する新潟県・三条市に本社を置く(株)スノーピークと協定を結び、改修工事が進められていた。
只見川に掛かる町下橋の近くある正面入口には、重厚な鉄製の看板が設置されていた。
このキャンプ場は、是非利用してみたいと思っている。 *参考:広報ただみ 2019年6月号No.589「奥会津ただみの森キャンプ場リニューアルオープン」(PDF)
ここから只見川沿いを下り、伊南川との合流点に向かった。
二つの川が合流し、幅広い只見川となる目の前に町営の「ひとっぷろ まち湯」がある。サイクリングの汗を流そうと立ち寄った。
館内はいつものように清潔感があり、浴室前には松本忠氏の「そよ風色に染まるとき」が掲示されていた。
14:28、小出からやってきた列車から多くの乗客が乗り継ぎ、ほぼ満席となり代行バスは只見を出発。朝、東京圏を出て上越線経由でこの代行バスに乗ると、当日中に東京圏に戻れるため、利用者が多い。
15:25、国道252号線を快調に進んだ代行バスは、会津川口に到着。
駅舎を通り抜けホームに向かうと、キハ40形2両編成車両が入線していた。私も乗り込んだ。
15:27、会津若松行きの列車は出発。快調に進んだ。
会津中川を出て、会津水沼手前で「第四只見川橋梁」を渡る。
早戸と会津宮下の間では、「第三只見川橋梁」を渡る。
会津西方手前で「第二只見川橋梁」を渡る。
名入トンネルを抜け、「第一只見川橋梁」を渡る。
この後列車は、会津高田を経て、会津本郷手前で会津若松市に入り、西若松、七日町、そして会津若松にゆっくりと入線。只見線の旅が終わった。
会津若松で、磐越西線の列車に乗り換えて郡山に戻った。駅前は、多くの人と車が行き交い、賑わっていた。
今日は、天候が心配で、賭けで旅行を強行したが、「ブルーレイク」号乗船の時に最高の夏空が顔をのぞかせ、充実した旅となった。幸運だった。
次、只見町には「奥会津ただみの森キャンプ場」でソロキャンプをするために訪れたいと思っている。もちろん、只見線の列車に乗って。
(了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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