檜枝岐村「尾瀬沼」・「尾瀬ヶ原」トレッキング 2025年 夏

観光鉄道「山の只見線」”の利活用について、私的に候補を挙げ検証登山を行っている“只見線百山”。今日は、JR只見線・奥会津区間で国内屈指の景観を創り出している只見川の源流域で、「会津百名山」にも名を連ねる「尾瀬沼」と「尾瀬ヶ原」をトレッキングし、只見川の大瀑布「三条ノ滝」まで足を延ばした。

 

只見川は、国内第10位の河川長を持つ阿賀野川の最大支流で、「尾瀬沼」(1,665m *1,600mとも)から流れ落ちる沼尻川を源流の一つとし、「尾瀬ヶ原」(1,400m)を経てヨッピ川と合流し只見川となり140km先の喜多方市で阿賀川合流している。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/  *筆者にて一部、赤字や赤線などを記入

その後阿賀川は、新潟県に入り阿賀野川と名を変え日本海に注いでいる。*参考:国土交通省 北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所「阿賀野川の流域紹介

只見川は水量も豊富で、この標高差を活かした多数のダム式水力発電所が稼働している。このうち5箇所のダム湖が、只見線の奥会津地域沿線に景観という副産物をもたらしている。*参考:経済産業省 資源エネルギー庁「日本の水力エネルギー量

(引用)只見川は阿賀野川水系の一支流で、尾瀬沼を源とし豊かな水量のもと、11発電所170万kWを有する国内有数の水力開発河川である。
(中略)
只見川は、群馬県と福島県の県境にある尾瀬沼を源として流域面積2,792㎢を有し、豊富な水量、急流・高落差という水力発電の条件を備えている。昭和の年代に9カ所137万kWの水力開発が計画されたが、険しい山岳で気象条件が厳しく未着工で終戦を迎えた。 

*上記出処:(一社)建設コンサルタンツ協会「インフラ整備70年」~戦後の代表的な100プロジェクト~ 第56回講演会(2024年12月19日)「只見川水力開発と奥只見のダム群 -佐久間ダムに続く奥只見・田子倉ダムの建設と再開発-」(PDF) 

 

江戸期・会津藩の地誌「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の黒谷組只見村の項には、只見川が詳しく記述されている。

〇山川 〇只見川(又あがの川とも云)
村西六里餘にあり、源を小瀬沼より發し北に流るること二里計(これより上を俗に沼尻川と云) 戸倉村の界より猫川來り會し、叉北に流るること一里餘(これより上を俗に猫川と云) 不動瀧に潟ぎ、叉北に流れ木賊澤・長澤・大津岐澤・片貝澤・袖澤・村杉澤等これに注ぎ、七里十八町計を經て黒谷組石伏村の界に入る、水源より此に至るまで十里十八町餘、廣三十間計

*上記・上掲出処:新編會津風土記 巻之四十四「陸奥國會津郡之十六」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p244‐245 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179202/1/129)

 

この只見川の源流の“水瓶”が「尾瀬沼」で、「新編會津風土記」には挿絵入りで“小瀬沼”として記されている。

會津郡 〇山川 〇小瀬沼
檜枝岐村の南にあり、東西一里十二町南北十八町半を限り、上野國利根郡の支配なり、大江澤釜堀澤の諸渓流入る、薫菜多く鮒岩魚を産す、四方に山を擁し水面鏡の如く、大巖其中に屹立し、鸕鷀多く集る、四山皆勢緩く「ツカ」樅柳の外更に他木を交えず、獨燧嶽のみ近く北側に峙ち、上には巖石重疊し下には雜木繁茂す、遠く西南を望めば至佛の峻嶺數峯の奥あらはれ、殘雪奇状をなす幽邃の勝地なり檜枝岐村より戸倉村まで行程八里計、山谷の間人家なし戸倉村より此沼の東岸に小屋二軒をかけ置き、往來に便す土人此邊にて牛と舟とを言ふことを忌む、是を犯せば怪異ありとて漁獵するに筏を用て舟を用ひず

*出処:新編會津風土記 巻之二十五「陸奥國會津郡之一」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p8 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179202/1/11)

 

「尾瀬沼」と、そこから流れ出ている沼尻川が通り抜ける湿原「尾瀬ヶ原」は、只見線が通らない檜枝岐村などにあり、“最寄り”とも言える只見駅と小出駅からはそれぞれ45㎞前後離れている。しかし双方ともに尾瀬国立公園内にあり「会津百名山」にも挙げられ(第22座)、ダム湖が連続する只見川がもたらす見事な景観が只見線に大きな観光力を与えていることから、「尾瀬沼」と「尾瀬ヶ原」は“只見線百山”に外せない山(山岳地)だ。今回の検証登山は、今までのものとは違い、“只見線百山”に入れるべきか否かではなく、只見線からのアクセスや山行(トレッキング)の難易度を確認するものとした。*参考:福島県 生活環境部 自然保護課「ふくしま尾瀬旅」尾瀬、自然保護の歴史(前編)「ダム、道路開発から尾瀬を守る

 

今日は天気が良い予報で、“夏の尾瀬”を楽しみたいと檜枝岐村に向かった。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の夏- / -「会津百名山」山行記-

 

 


 

 

今回は只見線の始発列車に乗るために、会津若松市内に前泊。

今朝、早朝から強い陽射しが照り付ける会津若松駅に向かった。

 

切符を購入し、「ぽぽべぇ」*のパネルを横に見ながら改札を通った。 *JR東日本 会津若松エリアプロジェクト オリジナルキャラクター

跨線橋を渡り、只見線の4-5番線ホームに向かった。橋上から北に目を向けると「磐梯山」(1,816.0m、会津百名山18座) が稜線を見せていた。

  

5:40、ホーム下りて待っていると、列車(キハE120+キハ110)が入線。並んで乗り込んだのは、7名だった。

 

6:08、小出行きの始発列車が会津若松を出発。乗客は先頭に12人、後部に10人まで増え、そのほとんどは旅行者のようだった。

今回切符は、会津若松~只見間(1690円)を購入した。

 

七日町西若松を経て、只見川が注ぎ込む事になる阿賀川(大川)を渡った。橋上からは、上流側に「大戸岳」(1,415.7m、同36座)の山塊が見えた。

 

会津本郷を出発直後に列車が会津若松市から会津美里町に入ると、会津高田手前で、左車窓から会津盆地の西部山地の最高峰・「明神ヶ岳」(1,073.9m、同61座)と、その左後方(南)に「博士山」(1,481.7m、同33座)の稜線がくっきりと見えた。

 

“高田 大カーブ”で右に大きく曲がり進路を西から北に変えた列車は、根岸新鶴、そして会津坂下町に入って若宮で停発車を繰り返しながら、広大な田園の間を駆けた。

  

6:42、会津坂下に停車し、会津川口発の上り1番列車との交換を行った。


会津坂下を出た列車は、、右に大きく曲がりながら七折峠の登坂を始めた。塔寺手前の木々の間からは会津平野の一部が見渡せた。

 

柳津町に入る手前で停車した会津坂本では、貨車駅舎(待合室)に描かれた「キハちゃん」の出迎えと見送りを受けた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg

   

会津柳津を出て、郷戸を経た列車は滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。ここで車内放送が流れ、“これから只見川に架かる八つの橋を渡ります。列車は速度を落として運転しますので、車窓からの景色をお楽しみください”という旨が伝えられた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

  

桧の原トンネルを抜けた列車は放送の通り減速し、“観光徐行”で「第一只見川橋梁」を渡った。「尾瀬沼」・「尾瀬ヶ原」を源流とする、只見川に架かる“八橋”での渡河が始まった。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

上流側(尾瀬沼・尾瀬ヶ原方面)、駒啼瀬の川面は水鏡が冴え、両岸の木々と青空をくっきりと映し込んでいた。

そして、右岸上方にある送電鉄塔にある「第一只見川ビューポイント」に向けてカメラをズームにすると、最上部のDポイントに2人、その下のCポイントに4人の“撮る人”がいるようだった。

 

会津西方を出発直後に「第二只見川橋梁」を渡った。上流側には「三坂山」(831.7m、同82座)が見えた。*只見川は柳津ダム湖

 

7:29、会津宮下に停車。会津川口始発の上り2番列車との交換を行った。

  

会津宮下を出た列車は、東北電力㈱宮下発電所の背後、宮下ダムの脇を駆けた後、只見川(宮下ダム湖)に近づき、右岸縁を進んだ。

そして、まもなく「第三只見川橋梁」を渡った。ここでも、上流側を眺めた。*只見川は宮下ダム湖

  

早戸に停車すると5人の客が下車し、駅から200mほど離れた観光和舟の船着き場に向かっていった。列車が走り出すと、この船着き場に居たスタッフや観光客が列車に向かって手を振ってくれた。

この後金山町に入った列車は、8連コンクリートアーチの細越橋梁を渡りながら左に緩やかに曲がった。

 

列車は、下大牧集落の背後を駆けた。トタンの大屋根越しに見える雪食地形の山肌のこの構図は、晴れていると良い眺めだなぁと思った。

 

会津水沼を出ると、まもなく「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

そして、国道252号線と交差し、しばらく平行して走ると、東北電力㈱上田ダム・発電所を遠くに見たのち只見川(上田ダム湖)に近づいた。左岸の山襞がくっきりと見え、湖面にうっすらと映り込んでいた。

   

会津中川を出発した後、大志集落の背後を駆けた列車は、只見川の右岸縁を減速しながら右に大きく曲がった。右車窓から振り返ると、只見川(上田ダム湖)に突き出た大志集落を包み込む木々や山々が水鏡にくっきりと映り込み、見ごたえのある景観を創っていた。*只見川は上田ダム湖

 

8:05、会津川口に停車。小出からやってきた“全線走行”上り1番列車と交換を行った。

 

10分停車した後、列車は会津川口を出て、しばらく只見川沿いを駆けた後、「第五只見川橋梁」を渡った。只見川の水は濁っていたが、水面が冴え水鏡となり、周囲を映していた。

渡河の度に川面の様子が変化する“八橋”上からの景色は、ダム湖が連続する只見線ならではのものだ、と改めて思った。*只見川は上田ダム湖

  

本名を出ると、「第六只見川橋梁」を渡った。上流側直下の東北電力㈱本名発電所・ダムは、ゲートでの放流はしておらず、落水は発電所側で利用されているようだった。

 

本名トンネルを抜けてまもなく、列車は只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過した。

 

会津越川手前で大川入沢を渡ると、左岸に建つ民家から手を振ってくれる男性の姿があった。在宅していれば、上下3本、全ての列車に手を振って下さっているという方だが、列車の運転手もこれに応えるためか、渡河前に大きく汽笛を鳴らしていた。

  

会津横田を出てしばらくすると、右に大きく曲がりながら「第七只見川橋梁」を渡った。

  

会津大塩を経て、滝トンネルを抜けると列車は只見町に入った。国道沿いの電柱が無くなる区間では景色が素晴らしく、『沿線の電柱地中化が進めば、只見線の車窓から見える風景は各段に良くなるだろう』と改めて思った。*只見川は、電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

 

会津塩沢を出発すると、“八橋”の最後となる、「第八只見川橋梁」を渡った。列車から間近に見られる只見川は、この地点が最後となった。*只見川は滝ダム湖

  

宮原集落に入る手前で車内放送が入り、『まもなく、窓から列車に向かって手を振って下さる方ご自宅の前を通過します』と伝えられた。そして、その前を通過すると、2階の窓を開けて手を振る女性の姿があった。

 

会津蒲生手前では、蒲生原越しに只見四名山「浅草岳」(1,585.3m、同29座)が見えた。*参考: 一般社団法人東北観光推進機構「只見四名山

そして、会津蒲生を出て八木沢集落の背後を駆けている途上では、只見四名山「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座)を中心とする山々の稜線が見えた。

八木沢集落を抜けると、只見川の支流に掛かる只見線最長(372m)の「叶津川橋梁」を渡った。

渡河後、左車窓の正面には只見四名山「蒲生岳」(828m、同83座)が、“会津のマッターホルン”の名に相応しい山容を見せていた。

  

9:07、列車は只見に停車。下車しホームに立つと、真夏の強い陽光が落ちていた。

ホームから、急ぎ連絡道を進み駅舎に向かった。途中右側に目を向け、只見四名山「要害山」(705m、同91座)を見上げた。

駅舎を抜け駅頭に出ると、“2022年10月1日全線運転再開”カウントボードは1043(日)を表示していた。

駅頭には定期ワゴン「自然首都 只見」号が停車していて、運転手に挨拶をして乗り込んだ。

9:10、会津鉄道・会津田島駅行きの「自然首都・只見」号が只見駅前を出発。

 

「自然首都・只見」号は、只見川の最大支流・伊南川が造った谷底平野に延びる国道289号線を快調に進んだ。そして明和橋を渡り、只見町内唯一となる渡河をした。

 

9:55、途中のバス停で5名の客を乗せた「自然首都・只見」号は、梁取地区を過ぎて南会津町に入り、定刻に南郷総合支所前のバス停に停車。降りて「自然首都・只見」号を見送った。

そして国道に出て、乗り継ぐ路線バスのバス停が置かれている、南郷総合支所から南西に200mほど離れた会津バスの山口営業所に向かった。

国道上の道路標識には“尾瀬 42km”と表示され、「尾瀬沼」越しの「燧ヶ岳」のイラストが描かれていた。

 

山口営業所に到着し、念のためバスの時刻を確認。尾瀬沼山峠行きのバスは、間違いなく10時48分発だった。

 

時間があったので、周辺を歩き回った。

まずは近くの南郷橋に行き、伊南川を眺めた。上下流ともに、アユの友釣りをしている方が見られた。

*下図出処:南会津町観光物産協会「伊南川鮎釣り 2025友釣り解禁!

 

散歩を終え、腹ごしらえをしておこうと、会津川口駅で購入しておいた「赤べこ堂」(柳津町)の杵つき玄米団子を食べた。変わらぬ旨さだった。

 

山口営業所に戻り、待合所で待っていると路線バスが到着。高齢のご婦人が1人降りた後、乗り込んだ。客はリュックを抱えた方が大半を占め、私含め15人だった。

10:48、会津バスの尾瀬沼山峠行きが会津バス山口営業所を発車。

 

11:25、路線バスは国道352号線を快調に進み、平沢スノーシェッドを潜り抜け南会津町から檜枝岐村に入り、しばらく進み「道の駅 尾瀬檜枝岐」を通過した。

私が福島県で唯一訪れたことがなかった檜枝岐村は、「新編會津風土記」に“此村深山の奥に住し高山四方に峙ち朝夕日光隠し寒氣烈しく雪早く降れり”と記されている。

●檜枝岐村
此村深山の奥に住し高山四方に峙ち朝夕日光隠し寒氣烈しく雪早く降れり、土地廣けれども瘠薄にして大麥たに熟せず、只蕎麥を植て餘糧の資とす、されども五月猶霜を降すことありて實らざるの年亦少からず、故に専ら小羽板を割り て生産とす。此組西南の村落此に窮り四方三里餘の險隘を經ざれば隣村に出ることを得ず、雙なき幽壁僻の地なり、此邊の山中に黒檜多き故村名とす、府城の西南に當り行程二十四里三十二町、家數七十五軒、東西二町南北山頂檜枝岐川の両岸にあり、村中に官より令せらるる掟條目の制札あり

*出処:新編會津風土記 巻之四十四「陸奥國會津郡之十六」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p244‐245 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179202/1/129)

 

 

11:58、七入から登坂を始めた路線バスは、7箇所のヘアピンカーブを抜け御池に停車。ここから先、沼山峠までは“マイカー規制”でシャトルバス・路線バス以外の乗り入れが禁止ということもあり、駐車場には多くの車が停まっていた。

この御池には「山の駅 御池」が建ち、その中に巨大な尾瀬のジオラマが展示されている。これを見ると、七入(1,070m)と御池(1,500m)の標高差と、そこに敷かれた道路の状況が良く分かった。

 

御池を出発した路線バスは、シャトルバスの後ろに続いて、県道1号(沼田檜枝岐)線を進んだ。

途中、「橅平」を見下ろせる場所で停車。運転手から『紅葉がとても綺麗な場所なので、是非また秋にお越しください』との説明があった。

そして、バスの行き先表示が“尾瀬沼山峠”となり、運賃が確定した。整理券番号18は1,910円だった。

 

12:17、定刻よりわずかに早く終点・尾瀬沼山峠に到着。雲は出ていたが、上空には青空も広がり、気温は只見駅より少し低めに感じられた。

バスプールの先には沼山峠無料休憩所と公衆トイレ棟があり、多くのハイカーで賑わっていた。


休憩所のベンチで荷を整え、印刷してきた尾瀬の地図(尾瀬保護財団HPより)を広げ、「尾瀬沼」、「尾瀬ヶ原」、「三条ノ滝」へのルートと所要時間を再確認した。

 

12:24、準備を終え、まずは「尾瀬沼」に向かって沼山峠休憩所前を出発。

しばらく、スギ木立の間を進んだ。会津沼田街道に沿って延びる木道はしっかりとした設えで、歩き易かった。*参考:尾瀬檜枝岐温泉観光協会「尾瀬ひのえまた山旅」会津沼田・御池古道

 

下り基調の木道を10分ほど歩き進むと、環境省関東地方事務所発注の工事看板が立っていた。“沼山峠休憩テラス工事”となっていたが...、

木道の補修も行っているようだった。

そして、更に進むとフェンスのようなものが現われた。獣害防護柵のようで、この設置工事は農林水産省林野庁の担当のようで、発注者は会津森林管理署南会津支署長になっていた。

ほとんど隣り合わせの工事が環境省と農林水産に分かれていることに、『縦割り行政は尾瀬でもかぁ』と思ってしまった。

  

12:47、「大江湿原」に入った。

*下記出処:(公財)尾瀬保護財団「尾瀬の自然文化データベース」 

(引用)大江湿原と大江山
福島県側から尾瀬沼に至るルートで、沼山峠の右(東)に聳えるのが大江山です。この山を源に尾瀬沼に流れ込む大江川沿いに細長くひろがった湿原で、昔は「沼ノ平」と呼ばれていたそうです。大江とはここが昔大きな入り江であったとのことで、それに関連して名付けられたのではないかと言われます。

 

さらに木道を進むと、まもなく「尾瀬沼」が見えてきた。

 

“花の大江湿原”と言われるだけあってか、木道の両脇には、小さいながらも多くの花が見られた。

コバギボウシ(小葉擬宝珠)。

アブラガヤ(油茅)。

キンコウカ(金光花)。

イワショウブ(岩菖蒲)。

マルバダケブキ(丸葉岳蕗)。

オニユリ(鬼百合)。


12:50、「小淵沢田代」への分岐を通過。

 

12:56、大江川に架かる橋を渡った。橋上から見下ろすと、水は清らかで透明だった。

橋を渡ると、前方に「三本カラマツ」が見えた。

*下記出処:(公財)尾瀬保護財団「尾瀬の自然文化データベース」 

(引用)三本カラマツ
大江湿原を流れてきた大江川が尾瀬沼に注ぐ手前にある盛り上がった場所に三本のカラマツが生えていることからこの名で呼ばれるようになりました。
又の名を尾瀬塚ともいい、尾瀬中納言藤原頼実の墓、または中納言頼実の兄、大納言頼国の的場跡と言われています。(以下、略)


そして、右(北西)に目を向けると、木々の上に明日登る予定の「燧ヶ岳」山塊が、木々の上に突き出ていた。

双耳峰の「燧ヶ岳」を想定していたため、頂上の凸凹した山容は意外だったが、福島県最高峰を初めて間近で見て、感動した。 

  

13:00、尾瀬沼北岸ルートとの分岐を通過。北岸ルートの方が、沼尻を経て「尾瀬ヶ原」に早く着けるが、今回は南岸ルートを採るため直進した。

この分岐から少し歩くと木立になり、二股を右に進んだ。

木立を抜けると長蔵小屋売店では休憩するハイカーが見られ、その隣には巨大な二代目として役目を終えた、先代の尾瀬ビジターセンター(1986年〜2021年)があった。

2021年7月にオープンした三代目のビジターセンターは二代目の隣りにあったが、今回は時間が無いため、訪問は次回の楽しみにした。*参考:福島県 生活環境部 自然保護課「ふくしま尾瀬旅」新尾瀬ビジターセンター オープン 

 

続いて、「長蔵小屋」の前を通過。

平野長蔵氏が建てた初代「長蔵小屋」は、1890(明治23)年に「尾瀬沼」の西端の沼尻に建てられたが、1915(大正4)年に「尾瀬沼」の東岸である現在の地に移築。この建物は1934(昭和9)年築という。


「長蔵小屋」から右に延びる道を進み、「尾瀬沼」のほとりに出た。「燧ヶ岳」が良く見え、『雲一つない青空だったら、最高の景色だなぁ』と独り言ちた。

 

尾瀬沼南岸ルートに戻り、大清水方面に進んだ。

木立を抜けると、会津沼田街道となっている湿原に敷かれた木道に合流し、福島県から群馬県に入った。県境を示す標識は、特に見当たらなかった。

この先、足場が変化した。“一枚もの”の木道に変わったと思ったら、また“二本もの”になったり...、

木道が途切れ、硬い土間かと思ったら、ぬかるんだ土間に飛び石が埋め込まれた区間もあった。

 

遊歩道が木道となり、歩き進んでゆくと、頭上の木枝に“クマに注意”の案内が吊られていた。

『尾瀬にクマがいないわけない』とは思ったが、尾瀬を訪れるハイカーはピークに比べかなり減っているので、クマが出てくる可能性は高いのかもしれないと思い、気を引き締めた。 

 

13:17、早稲ッ沢湿原に入ると、人だかりが見えた。

*下記出処:(公財)尾瀬保護財団「尾瀬の自然文化データベース」 

(引用)早稲ッ沢と奥ッ沢
(前略)一方、尾瀬沼東岸から尾瀬沼に沿って三平下に至るルートの途中にある沢が早稲ッ沢で、晩秋の頃、このあたりで一番早くイワナが産卵に遡上するところから、こう呼ばれるようになりました。

 

どうらや、「尾瀬沼」越しに見える「燧ヶ岳」を眺めたり、写真を撮っているようだった。特徴ある山頂を持ちながら、両裾を大きく広げた安定感のある「燧ヶ岳」を背後にした「尾瀬沼」は魅力的に映った。

「日本百名山」を著した深田久弥は、「燧ヶ岳」の項に次のように記している。この光景を見て、氏の考えが分かるような気がした。

(引用)尾瀬沼から燧岳をなくしたら、山中の平凡な一小湖に化してしまうだろう
*出処:深田久弥 著「日本百名山」<新装版>(新潮社、p130)



13:20、木道を黙々と進んでゆくと、人の声が聞こえ、前方が開け三平下に至った。

木立を抜けると広場があり、左側に尾瀬沼休憩所があった。

広場は「尾瀬沼」に接していて、湖畔に行くと正面に「燧ヶ岳」が見えた。今日、「尾瀬沼」南岸ルートを選択した理由の一つが、この景色を見る事だった。湖面が波打っていなければ、“逆さ燧ヶ岳”となっていたが、それは次回の楽しみとした。

 

ここで道迷いしてしまった。

「尾瀬沼」に沿って直進し沼尻方面に向かうところ、誤って左の大清水方面、会津沼田街道と重なる木道を進んでしまった。“大清水”という文字に、正しいルートを1kmほど進み南岸ルートから分岐する“大清水平”と思い込んでしまった。

どんどんと「沼沢湖」が遠のき、傾斜が増す木道を不思議に思い、200mほど進んで『道、間違えたっ!』と気づき、広場まで引き返した。*参考: (公財)尾瀬保護財団 note 「【登山道開拓史】~会津・沼田街道~」(2024年12月18日) / 下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *筆者にて一部、文字や線形を記入

この沼田街道について、「日本百名山」の「燧ヶ岳」の項に次のように記されている。

(引用)
(前略)昔、関東と奥州をつなぐ道の一つがこの沼のふちを通っていた。沼田街道と呼ばれるもので、上州の戸倉を最後として、会津の桧枝岐に出るまで、全くの深い山の中の道であった。その心細い山道の途中で、山と沼と両々相映発した美しい風景にめぐりあった旅人の心持は、いかばかりであっただろう。
  バスの発達した現代の人々にはこの気持は分からないだろうが、昔は長い道を徒歩で辿って来て、南からする人には三平峠、北からする人には沼山峠を越えて、尾瀬沼のほとりへ出、その傍らにそびえ立つ燧岳を眼にした時には、それこそ本当の仙境であったに違いない。(後略)
*出処:深田久弥 著「日本百名山」<新装版>(新潮社、p130)


13:32、広場から「沼尻湖」南岸ルートに戻り、正しい南岸ルートを沼尻を目指して進んだ。三平下の広場を過ぎると、まもなく木道は劣化が目立ち、両脇の刈り払いもされていなかった。


三平下から200mほど進むと、南岸ルートで見たかった東京電力㈱(現 東京電力リニューアブルパワー㈱)の施設に到着した。「尾瀬沼」を水を、導水トンネルを通し群馬県側に分水している。

冒頭に記したように、東京電力は「尾瀬ヶ原」の水利権は更新せずに放棄したが、「尾瀬沼」のそれは更新し続けていて、現在の許可期間は2016(平成28)年から10年で、平成38年となる来年2026年に期限を迎える。この分水施設の壁には「水利使用標識」が掲げられていた。

ちなみに国土地理院の地理院地図にこの分水が破線として記され、利根川水系・片品川の源流域に注ぎこんでいることが確認できる。*下図出処:国土地理院「地理院地図」*筆者にて一部、赤字と赤丸を記入

木道を少し先に進み、分水施設の「尾瀬沼」側を見た。水の流れは視認できなかったが、施設の土台の中央はトンネルになっていて「尾瀬沼」の水で満たされていた。

 

分水施設を後にして木道を進んだ。木道は、付け替えられた場所もあったが、損傷が目立つ区間が多かった。横たわる倒木は、木道の片側だけ部分的に取り払われていた。

更に進むと、湖岸が崩落し迂回路となっている場所になった。迂回路は踏み固められ、崩落から時間が経っていることが伺い知れた。

更新された木道を進むと、足元に小さな銀プレートを認め、しゃがんで見ると“尾瀬沼南岸線歩道”と記されていた。

 

13:49、大清水平を抜けて皿伏山(1,917m)を経て、富士見峠に向かう分岐を通過。分岐の入口には、倒木多しという“通行注意”の札がぶら下がっていた。

 

“変化に富んだ”木道は続いた。朽ちて不安定な場所を慎重に過ぎ、斜面の比較的新しい階段では快調に足を進めた。

 

14:04、小沼湿原に入り、「燧ヶ岳」を正面に見ながら気持ち良い開けた空間を進んだ。

 

14:10、木立を抜け、只見川の源流・沼尻川を渡り群馬県から福島県に戻り、尾瀬沼北岸ルートに合流した。

合流付近には、“特別天然記念物「尾瀬」”の案内板が立っていた。

また、この合流には真新しいデッキをもった休憩所があった、鉄骨の土台と仮設材の階段はには違和感を感じたが...、

デッキに乗って「尾瀬沼」を眺めると、素晴らしかった。

 

 

14:15、「尾瀬沼」トレッキングを終え、次の目的地「尾瀬ヶ原」に向かった。まもなく木道は森の中に延び、森林浴をしながら進んだ。

歩き進むと沢音が聞こえ始め、徐々に大きくなり、まもなく「尾瀬沼」から「尾瀬ヶ原」に、標高差200mを約7kmかけて注ぐ沼尻川が見えた。

 

14:22、白砂湿原に入り、一直線の木道を進んだ。

清らかな池塘もあり、水面には木々と青空が映り込んでいた。

 

200mほどで白砂湿原が終わり、木道は再び木立に入ったが、直後に急な涸れ沢を登ることになった。『まさか登り坂があるとは...』と思うと同時に、白砂湿原の柔らかな景色から一転、大岩の急坂に拍子抜けしてしまった。


涸れ沢を登りきり、再び木道が現れると、太い木杭の表面に、“白砂峠”と記された案内板があった。

白砂峠から先、木道が途切れる頃に下りになった。涸れ沢でほとんど表面が乾いていたため靴を汚すことはなかったが、大小の石がゴロゴロしていたため、足裏は安定しなかった。

短いも木道区間もあったが、枯れ沢とは言えない土間区間もあった。遊歩道は下り基調になり、段小屋坂に入ったようだった。

 

道を進むと、徐々に沢音が大きくなり、しばらくすると木立の間に沼尻川の流れが見えた。標高差200mを約7kmかけて「尾瀬ヶ原」へと注ぎ着込む只見川源流の勢いを見た。

 

途中、この沼尻川にチョロチョロと注ぎ込む沢や...、

橋が架かる水量豊富なイヨドマリ沢を渡ったりした。

 

しばらくすると、遊歩道の傾斜が無くなり、木道になった。表面が朽ちたり、小さな沢に架かる板橋の間が抜けている場所もあったが、問題は無かった。

 

15:06、分岐が右に折れる逆Y字路になり、右側に標杭が見られtた。

標杭の正面に立つと、“燧ヶ岳 3.5km”と記されていて、この分岐は、明日通る事になる「燧ヶ岳」の見晴新道へのものだった。

 

分岐を後にして、緩やかな下り基調の木道を進んだ。

 

15:14、前方が開け、建物が密集する見晴地区に到着した。沼山峠休憩所から尾瀬沼南岸ルートを経て、2時間50分でたどり着いた。

見晴地区は、山小屋が集中していることもあり、多くの方が行き交い、賑わっていた。短パン+サンダル姿も目立ち、避暑地のような光景だった。

 

ここで一旦、今日泊まる「檜枝岐小屋」に、「三条ノ滝」まで行くので17時のチェックインに間に合わない可能性がある旨を伝えるため立ち寄った。

玄関には“ひげくま”と呼ばれるご主人(萩原英雄さん)が居たので、『これから三条ノ滝に入って来るので...』と伝えると、尾瀬沼からここまで掛かった時間を聞かれた。答えると『ならば(三条ノ滝の)往復は2時間かな』と言われ、『気を付けて』と見送られた。

 

時間は無かったが、すぐには「三条ノ滝」に向かわず「尾瀬ヶ原」に出た。真新しい木道の脇には、ブルーシートにくるまった山小屋の資材などが並んでいた。そして正面には、陽光を受ける日本百名山の「至仏山」(2,227.9m)が見えた。

「日本百名山」で深田は「至仏山」の項を次のように書きだしている。

(引用)
 尾瀬沼を引立てるものが燧岳とすれば、尾瀬ヶ原のそれは至仏山であろう。(中略)広漠とした湿原の彼方に遠く白樺の混った立木が並んで、その上に、悠揚迫らずといった感じで至仏山が立っていた。(後略)
*出処:深田久弥 著「日本百名山」<新装版>(新潮社、p134)

 

真新しい木道を山ノ鼻方面にしばらく進んで行くと、朽ちた木道になり、その脇に木道の部材が置かれていた。どうやら、木道の交換作業が行われているようだった。*参考:(公財)尾瀬保護財団 note 「【尾瀬の歴史】”木道“のはじまり」(2024年12月9日)


木道の脇には、湿原には欠かせないと個人的に思っているワタスゲ(綿菅)を見ることできた。真っ白のモフモフではなかったが、やはり癒される植物だと思った。


500mほど木道を進み、振り返って「燧ヶ岳」を眺めた。夏空の下、「尾瀬ヶ原」の向こうに聳える「燧ヶ岳」。登山を予定している明日が雨予報ということもあり、この光景は今日見ておきたいと思っていた。

「燧ヶ岳」の山容だが、「俎嵓」が「柴安嵓」に隠れ見えなかったことが想定外だった。

「燧ヶ岳」山頂(柴安嵓)からは、「尾瀬ヶ原」と「至仏山」の眺望が素晴らしいと言われている。予報は悪いが、明日は微かな期待を持って「燧ヶ岳」登山に臨みたいと思った。


木道を引き返し、見晴地区に戻った。「尾瀬ヶ原」を見渡しながら、好天に恵まれたことを感謝した。


見晴地区に着くと、「三条ノ滝」までのルートと所要時間を案内板で確認。片道1時間50分となっていたが、山小屋のチェックイン時間もあることから『往復2時間以内で戻ろう』と思い、気合いを入れた。

15:30、見晴地区から「三条ノ滝」を目指して出発。

 

木道を進むと、まもなくフェンスが行く手を塞ぎ、『まさか、行き止まりかっ‼』と思いながら近づくと、“開閉時は 引いて PULL ください”と記された扉だった。

掲げられたパネルを見ると、ニホンジカによる希少な植物の食害を防ぐための“植生保護柵”として、このフェンスで湿原の一部を囲っているようだった。

 

扉を引いて、木道を進んだ。

途中、木道の一部が朽ちて穴が空いている場所があった。

ここまでの損傷は補修が必要だと思ったが、「尾瀬沼」からここまで歩いてきた木道を見ると、尾瀬全体では相当数の“要補修木道”があるののだろうと考え、国は尾瀬国立公園内の施設の維持管理にもっと予算を投入すべきだと思った。

 

700mほど歩くと植生保護柵の出口になり、押して通り抜けた。シカが入られないよう外側からは“PULL”で、内側からは“PUSH”となっていた。

植生保護柵を過ぎてまもなく、東電小屋やヨッピ吊橋方面にからの合流点を示す標杭が立っていた。“三条ノ滝 2.8km”と記されていた。

 

15:44、合流点から600mほど進むと、赤田代に入った。前方には山小屋「元湯山荘」が見えた。

ここから木道を進んだ先で、トラブル発生。

元湯山荘が近付き写真を撮った際にバランスを崩し、木道から落ち、湿原に両足を突っ込んでしまった。湿原保護の禁を破る行為で、『申し訳ない尾瀬、赤田代』と心の中で謝罪した。

両足は、沢か水溜まりで洗い流すことにして、先に進んだ。

「元湯山荘」の前を通り過ぎると、閉業し雪重で屋根の一部が崩落した「尾瀬ヶ原温泉休憩所」があった。撤去など、今後どのようになるのだろうと思った。

 

15:51、右の方に進むと、御池地区へのショートカット路となる段吉新道の分岐を通過。直進し、ゆるやかな坂を下った。

 

朽ちたの木道を進み、しばらくすると岩や木の根などで凸凹する場所となり、それを越えると下りの金属製の階段になった。

階段を下りると大岩があり...、

大岩を越えると、右折を促す「三条ノ滝」への案内が見えた。そして、正面には“見晴らし場”のような岩場があり、そこに乗った。

15:57、“平滑の滝”と記された木板があり、見下ろすと川床を飛沫を見せながら流れる只見川が見えた。

『今日、尾瀬に入って初めて見る只見川は「三条ノ滝」』と思っていたので、この「平滑(ひらなめ)ノ滝」の存在を事前に調べていなかった事もあって驚いた。

  

「平滑ノ滝」展望場を後にすると、再び下りになった。大岩が階段状に並べられて歩き易かった。

この“大岩階段”を下りきると木橋が架かる橋になり、この沢で泥まみれになった両足を洗うことにした。沢水には勢いがあったため、汚れはすぐに落ちた。

靴もズボンもかなり濡れたが、見晴地区に戻るまではかなり乾くのではないかと思い、先に進んだ。

 

短い区間、狭く凸凹で歩き辛い場所があったが、概ね快調に歩き進めた。

 

16:19、大橇沢に掛かる木橋を渡ると、左側の木々越しに只見川が見えた。

 

16:22、少し下ると道案内の標杭が立っていた。右に曲がると御池地区で、直進し“0.2km”と記された「三条ノ滝」方面に向かった。

まもなく、激流の音が聞こえ、左下に只見川が近く見えるようになった。水面は一面が飛沫で、『三条ノ滝は近い』と思った。

 

少し歩くと木道が現われ、すぐに急な下り階段になった。

階段を下りきりると更に大きな音が聞こえ、左を見ると「三条ノ滝」の一部が見えた。そして、少し木道を進み下の方を覗くと、飛沫が立ち上がる滝壺が見えた。


木道を進むと、素材が木から樹脂製の物に変わり...、

下り階段になった。この樹脂製の階段は真新しく、下の展望デッキまで続いていた。

この樹脂製の設備は、どうやら昨年に改修されたようで、今年の“尾瀬山開き”から共有開始となったようだった。*下図出処:福島県自然保護課

 

16:28、「三条ノ滝」展望デッキに到着。展望デッキは、意外なほど綺麗な空間だった。

柵に近づくと、「三条ノ滝」が徐々に大きく見えてきた。

そして柵の端まで行くと、滝壺まで見下ろすことはできなかったが、幅30m、高さ100mの大瀑布がほぼ一望でき、爽快な眺めだった。この水勢と、只見線の“八橋”から見られる水鏡のギャップに、自然の大きな創造力を感じ、しばらく見入ることになった。

「三条ノ滝」は沼田街道から離れた山深い場所にありながら、「新編會津風土記」に“不動瀧”と記され、昔から知られた滝だったようだ。

●檜枝岐村 〇山川 〇不動瀧(又三条瀧とも云)
村より六里申酉の方只見川の上流にあり、懸崕より直ちに潟ぐこと二十丈餘殘雪の消融する時水勢尤壮なりと云
*出処:新編會津風土記 巻之四十四「陸奥國會津郡之十六」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p244‐245 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179202/1/129)

*下図出処:国土交通省 国土地理院 地理院地図

16:30、「三条ノ滝」展望台を後にして、見晴地区に引き返した。往路が約1時間だったので、「檜枝岐小屋」の夕食開始時刻(17時30分)までには間に合うと思った。

 

 

17:21、「尾瀬ヶ原」の下田代に入った。

 

17:28、何とか時間内に見晴地区に戻った。これで、「尾瀬沼」と「尾瀬ヶ原」、そして「三条ノ滝」を訪れる本日の予定を無事に終えた。

天候に恵まれた「尾瀬沼」と「尾瀬ヶ原」のトレッキングは、それぞれの素晴らしさを感じられるものとなった。「尾瀬沼」と「尾瀬ヶ原」は広大な大自然で目を楽しませ心を癒し、朽ちた木道があり一部“歩行注意”の場所もあったが概ね快適にトレッキングができ、文句無しの“只見線百山”だと思った。

 

「尾瀬沼」と「尾瀬ヶ原」を私選“只見線百山”にする上での課題を挙げるとすれば、只見線を使ったアクセス。

今回のように往路(只見駅→(定期路線ワゴン 自然首都・只見号)→南郷総合支所(徒歩)山口営業所→(会津バス)→尾瀬沼山峠)は、路線バスの乗り換えが1時間以内で許容だが、復路に同じ経路を採る場合は3時間を超えてしまう。

尾瀬沼山峠(発) 10:20
↓ 会津バス
山口営業所(着) 11:53
南郷総合支所前(発) 15:35
↓ 定期路線ワゴン 自然首都・只見号
只見駅(着) 16:19

このため会津若松方面に帰る復路は、現状会津田島に移動した後に会津鉄道を利用するのがよいかと思う。

但し、「定期路線ワゴン 自然首都・只見号」只見駅行きに南郷総合支所前11時40分発があるため、只見線を利用した尾瀬訪問客が増えるのであれば、双方の路線バスの運行会社に接続の良いダイヤへ変更してもらえるよう提案できる材料となるかもしれない。

 

只見川が創り出す車窓の素晴らしい景観を眺められる只見線の乗車と、その源である「尾瀬沼」と「尾瀬ヶ原」のトレッキングが公共交通を利用し可能となれば、“観光鉄道「山の只見線」”の訴求点が増え、その周知・集客に役立つのではないだろうか。今回「尾瀬沼」と「尾瀬ヶ原」を訪れて、そう思った。

 

食事の開始が迫っているということで、急ぎ「檜枝岐小屋」に入りチェックインしようとスタッフを呼ぶと、“ひげくま”オーナーが現われ、対応してくださった。

“ひげくま”オーナーからは『2時間で戻ってこれると思ったけれど、少し遅かったね』と言われてしまった。私は『遅くなってすみません、食事の時間は大丈夫でしたか?』と言うと、オーナーから『大丈夫だよ。荷物を置いて食堂に来てください』と言われ安心した。

 部屋は2階で、階段を昇ると、踊り場に月輪熊の毛皮が飾ってあった。

2階には大小11の部屋があり、廊下は驚くほどの光沢を放っていた。

割り当てられた部屋は8畳で、私を含めた3人の相部屋だった。壁には“おねがします”と題された紙は貼ってあり、“当小屋は旅館ではなく山小屋ですので、総て旅館の待遇ではありませんので...”という文言に、勘違いせぬようにと自戒した。

食堂に行く前に風呂場を拝見した後にトイレに寄った。ウォシュレット付きの水洗で、山小屋とは思えない設備に驚いてしまった。

この檜枝岐小屋には、喫茶室(談話室)があった。メニューとその価格を見なければ、街なかにある感じの良い喫茶店という雰囲気だった。

 

食堂に向かうと、食事は宿泊者一同が集合し摂る形式だった。席は自由で、私が食堂に入った時にはほとんどの席が埋まっていた。

席に着くと、蕎麦入りのすまし汁が運ばれてきてた。私は生ビールを注文し、テーブルにおいてある御櫃からご飯をよそった。おかずが多く、海老と烏賊のフライがあったのは意外だった。

一品一品はどれも美味しく、ご飯をおかわりし、完食した。山深い山小屋ということで、食事には期待していなかったが、とても旨い夕食だった。

  

食後入浴してから、日暮れ時の「尾瀬ヶ原」に出てみた。南西の空はうっすらと茜色に染まり、「至仏山」の山容をくっきりと浮かび上がらせ、良い光景だった。

時刻は19時前。山小屋が密集した見晴地区はかなりの客が滞在していると思われたが、穏やかな歓談の声が微かに聞こえる程度で、ほど良い静けさだった。

 

夜の散歩を終え檜枝岐小屋に戻り、“高級な”缶ビールを購入し、ロビーで呑みながら「尾瀬沼」と「尾瀬ヶ原」のトレッキングを振り返り、明日雨天が予想される「燧ヶ岳」登山をイメージした。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

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以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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