魚沼市 旧二等三角点「大白川」山 登山 2025年 春

観光鉄道「山の只見線」”の利活用策として、私的に取り組んでいる“只見線百山”選定のための検証登山。今日はJR只見線の大白川駅で降り、“亡失”二等三角点「大白川」を持つ山(797m)に登った。

 

二等三角点「大白川」を持つ山(以下、“大白川山”)は、只見線・大白川駅から東へ直線距離で2.4kmにあるが、国土交通省国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」を見ると、“亡失”と表示され三角点としての役割を終えている。*参考:国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」URL: https://service.gsi.go.jp/kijunten/app/map/

“只見線百山”の選定条件の一つに、“二等三角点を持つ山”を挙げていたため、「大白川」は“亡失”とされていたが、その山容からそのまま“只見線百山”の候補に入れた。大白川駅付近から“大白川山”を見ると、二等三角点峰に相応しい山容で、高い山が近接していないことから『良い眺望が得られるのでは』とも思った。

また“大白川山”は、登山路は無いとされているが、大白川駅から近距離に位置する。そして、国道252号線から、取付き点となる山の中腹付近まで林道(作業道)があることもあり、登山(取付き)ルートに急坂や危険箇所が無ければ、“観光鉄道「山の只見線」”の有望なコンテンツになるのではとも考えた。

 

今日の天気予報は曇り時々雨だったが、午前中の降水確率は低く、雨が降らないうちに“大白川山”に登頂できるだろうと思い、会津若松駅から只見線の列車に乗って大白川駅に向かった。

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線

・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線

・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )

・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の春- / -只見線沿線の“山”-

 

 


 

 

只見線の始発列車に乗るために、会津若松市内に前泊。

今朝、曇り空の中、宿から会津若松駅に向かった。

 

自転車を輪行バッグに収め駅舎に入ると、改札正面に見える列車案内には“普通 ワンマン 6:08 小出”と表示されていた。

只見線は、今冬の大雪の影響で2月4日から会津川口~大白川間が不通になり、4月17日に只見~大白川間、そして5月16日に残る会津川口~只見間が運転再開され、102日ぶりに会津若松~小出間の全線を走り抜ける列車が運行されることになった。*下記事出処:福島民報 2024年5月17日付け一面 *只見線関連記事以外、ボカシ加工

 

輪行バッグを抱え改札を通り、跨線橋を渡ると、4-5番線ホームに只見線の列車を待つ客の姿が見えた。

 

5:50、小出行きが入線し、私を含め9人が乗り込んだ。列車がキハ110の単行(1両編成)だった。

 6:08、只見線の始発列車が会津若松を出発。客は16人に増えていた。

 

七日町西若松の市街地の駅で数名の客を乗せ、列車は大川(阿賀川)を渡った。上流側には「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)の山塊が見えた。

 

会津本郷を出発直後に会津若松市から会津美里町に入った列車が、田植えが終わったばかりの田の間を駆けた。左車窓からは「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)と、その左奥には「博士山」(1,481.9m、同33座)の稜線が見えた。

 

会津高田を出ると、“高田 大カーブ”で列車は西から北に進行方向を変えた。

列車は田の間を進んだが、田植えされていない場所では冴えた水鏡が見られた。

  

根岸新鶴を経て、会津坂下町に入り若宮を出ると、右車窓から“米どころ会津”を実感する広大な田園を見渡せた。秋の実りが楽しみになる光景だった。

 

再び進路を西に変えた列車は、会津坂下に停車。会津若松行きの1番列車(会津川口発)と交換を行った。

 

会津坂下を出た列車は、会津平野と奥会津を隔てる七折峠を越えた。

 

“七折越え”を終えた列車が会津坂本に停車。貨車駅舎(待合室)に描かれた「キハちゃん」が出迎え、そして見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日)  / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg

会津坂本を出発直後に柳津町に入った列車は、会津柳津郷戸と進んだ。 

 

列車は滝谷を出発直後に「滝谷川橋梁」を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

会津桧原を出て、桧の原トンネルを抜けた列車が「第一只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

上流側、駒啼瀬の右岸上部にある「第一只見川ビューポイント」に向けてカメラをズームにしたが、“撮る人”の姿は確認できなかった。久しぶりに見る、“撮る人”ゼロだった。

 

会津西方出発直後には「第二只見川橋梁」を渡った。上流側には、「三坂山」(831.9m、同82座)が良く見えた。*只見川は柳津ダム湖

 

次駅が近付くと、「アーチ3橋(兄)弟」の三男・新宮下橋を見上げながら長男・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

会津宮下に停車し、上り列車との交換を行った。会津若松行きのキハE120の単行は、“只見線百山”候補の「荒倉山」(602.4m)を背景にやってきた。*参考:拙著「金山町「荒倉山」登山 2025年 早春」(2025年3月22日)

 

列車は会津宮下を出発後、東北電力㈱宮下発電所の背後、宮下ダムの脇を通り抜けて「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

 

早戸を出ると金山町に入り、8連コンクリートアーチ・細越拱橋を渡った。

そして、会津水沼を出てまもなく、「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

 

列車は、会津中川を経て右に大きく曲がった。右車窓から振り返ると、只見川に突き出た大志集落が只見川に映り、なかなか良い景観を創っていた。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

ここの水鏡はかなり冴え、水面の家々まで鮮明に見えた。

 

8:05、列車は会津川口に停車。小出発・会津若松行きの1番列車と交換を行った。

8:15、会津川口を出発。客は20名を越えたままで、そのほとんどが旅行者と思われた。

 

西谷信号場跡の広い空間を抜けると、「第五只見川橋梁」を渡った。ここの水鏡も冴えていた。*只見川は上田ダム湖

 

本名を出ると、「第六只見川橋梁」を渡った。

上流側眼下にある東北電力㈱本名発電所・ダムはゲート3門を開放し、豪快に放流していた。

 

渡河直後に入った本名トンネルを潜り抜けると、只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過した。

  

会津越川手前で大川入沢を渡ると、右車窓から“只見線百山”の候補としている「袖の窪山」(952.6m)が見えた。登頂すると、山容が似た山の中でも同定が比較的し易くなると思った。*参考:拙著「金山町「袖の窪山」登山 2025年 春」(2025年5月3日)

 

会津横田を出ると、上流側に町道の四季彩橋を眺めながら「第七只見川橋梁」を渡った。*只見川は本名ダム湖

そして、会津大塩を経て滝トンネルを潜り抜けると只見町に入り、只見川に映り込む「鷲ケ倉山」(918.4m、同71座)を左車窓から眺めた。山の窪みには煙が見え、広大なカヤトを焼いているのだろうかと思った。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖 / 参考:拙著「只見町「鷲ケ倉山」登山  2020年 晩秋」(2020年11月22日)

 

会津塩沢を出発してまもなく、列車は「第八只見川橋梁」を渡った。左前方には“只見線百山”候補の「柴倉山」(871.1m)が見えた。*只見川は滝ダム湖 / 参考:拙著「只見町「柴倉山」登山 2023年 初夏」(2023年6月18日)

そして、渡橋を終えると寄岩スノーシェッド(SS)を潜った。

このSS付近で発生した雪崩が、今冬の長期区間運休をもたらした。

SSを抜けると、その雪崩の痕跡が見られた。

この場所は「蒲生岳」の東にある沢の最下部で、地理院地図の等高線を見ても、かなりの急傾斜の沢であることが分かる。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *赤字と三角点名は筆者にて記入

過去にこの場所で大規模な雪崩が発生したかどうかは不明だが、今年1月から2月にかけての大雪が11年にも及ぶ運休を経て運転再開した後の最大規模のものであったことを考えると、今回の被害が予見不能だったと思える。

今回の長期運休に対して、会津川口~只見間を「上下分離方式」で保有する福島県は『次の冬に向けてどのような対策が必要か検討』するとの新聞報道があった。*下記事出処:福島民報 2025年5月17日付け紙面

福島県はJR東日本の協力を得て、当該箇所を含め、特に倒木が混在しうるような雪崩危険箇所を特定し、安全運行と長期運休回避を実現させる対策をして欲しいと思った。

 

  

列車は雪残る「浅草岳」(1,585.4m、同29座、只見四名山)が蒲生原地区越しに見通せるビューポイントを通過し...、

左車窓から前方に、先日登った“只見線百山”候補の「苧巻岳」(909.7m)の山頂から東裾が見えた。列車はこの付近から減速し、会津蒲生に停車した。*参考:拙著「只見町「苧巻岳」登山 2025年 春」(2025年5月5日) 

 

会津蒲生を出ると、八木沢集落の背後を駆けて只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。

渡河後まもなく、左車窓の正面には「蒲生岳」(828m、同83座、只見四名山)の“会津のマッターホルン”に相応しい山容が見えた。


そして、左前方に県立只見高校が現れると、校舎越しに「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座、只見四名山)も確認できた。

 

9:07、列車は只見に停車。

ここで、数名の客が降りたが、約20分の停車時間があるため大半の客がホームで写真を撮ったり、駅舎に向ったりした。

私も下車して駅舎に向かうと、駅頭には会津鉄道の会津田島駅行きの定期路線ワゴン「自然首都・只見」号が停車していた。また、駅舎を覆っていた雪囲いは取り払われていた。*参考:只見町「定期路線ワゴン(只見駅⇔会津田島駅) 自然首都・只見号の運行について」(PDF) 

そして、駅頭に設置された“全線運転再開カウントボード”は966日を表示していた。

駅舎の中に入り駅周辺の案内板を見ると、驚きの事実が。以前食事したことがある「太郎鮨」と、キャンプの食材を調達した「駅前ストアー」が閉店していた。田子倉湖上で恐怖する表情をする「ブナりん」が、私の代わりに驚きを表現しているように思えた。

 

委託業務に切り替わった窓口で切符を購入し、列車に戻った。只見までは「小さなホリデー・パス」の適用区間だったが、只見~大白川間は420円が必要だった。

 

9:30、列車が只見を出発。駅舎前では窓口業務をしていた酒井さん、宮前踏切前では「駅前旅館 只見荘」の女将さんなどが手を振って見送ってくれた。

5月16日の運転再開を報じる地元紙では、列車や降車客に向かって手を振る方々の姿が掲載されていたが、沿線自治体で制定されている“只見線に手を振ろう条例”の効果も重なってか、今では見慣れた光景になっている。*下記事出処:福島民報 2025年5月17日付け紙面 *一部、ボカシ加工 / 参考:只見町「「只見町只見線にみんなで手をふろう条例」制定

 

只見を出発し短いトンネルとスノーシェッドを潜り抜けると、左車窓から電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐ゲートと、その奥に同田子倉発電所・ダムの谷間を塞ぐ堰堤が見えた。

そして、ディーゼルエンジンの出力を上げ登坂しながら「田子倉トンネル」を抜け出ると、「余韻沢橋梁」を渡った。田子倉ダム湖の“只見沢入江”は、なみなみと水を湛えていた。

20日前は、この雪解け水の貯水に備えて湖岸がかなり露出していた。 

 

旧田子倉駅を通過し、国道252号線を潜り抜けると、右車窓の正面に「浅草岳」が見えた。

そして只見沢を渡った列車は、“会越界”、福島県と新潟県を貫く只見線最長の「六十里越トンネル」(6,359m)に突入した。


 

トンネルの中程で新潟県との県境を越えた列車は、7分ほど掛けて抜け魚沼市に入った。空模様は変わらなかったが、渡河する川(末沢川)は渓谷となり景色が一変した。

 

「第十二末沢川橋梁」上からは、末沢川を覆う雪崩の巨大な雪塊が見えた。今冬の大雪が災害級であったことを思い知らされた。

「第六末沢川橋梁」を渡ると、左車窓の正面に国道252号線の茂尻橋の真っ赤な下部鋼材が、新緑の中で映え美しく見えた。

 

16回渡河した末沢川は破間川に合流し、列車は減速しながら「第五平石川*橋梁」を渡った。*破間川は、源流から旧大栃山村と旧穴沢村の境界(黒又川合流点付近)までを平石川と呼んでいたため、橋梁名にその名残がある

  

9:58、大白川に停車。下車し、小出に向かう列車を見送った。

列車が姿を消した後、振り返ると、これから登る“大白川山”が見えた。駅のホームから目指す山頂が見えると、“観光鉄道「山の只見線」”の観光コンテンツに相応しい山と思えた。

大白川駅舎は大きく、現在「そば処 平石亭」として使われている2階では照明が点いていて、開店準備が行われいるようだった。

輪行バッグを抱え駅頭に出て、自転車を組み立ててから、熊鈴を身に付け、クマ除けの電子ホイッスルを取り出すなどの準備をした。そして、印刷してきた地理院地図を広げ“大白川山”までの順路を確認した。

 

 

10:08、「平石亭」の客の車が停まる大白川駅前を出発。今回は移動距離が短い事もあり折り畳み自転車にした。収納・組立の手軽さを改めて痛感し、もう少し軽量化されれば輪行文化は広まるのではと思った。

  

国道252号線を福島県方面に向けて800mほど進むと分岐となり、左側に延びる林道に入った。道の両側に茂みがあるため、クマ除けの電子ホイッスルを鳴らしながら上り進んだ。

しばらくすると、まだ雪を多く残した「袴岳」(1,537.2m)を主峰とする「守門岳」山塊が見えた。「守門岳」は“只見線百山”の候補に入れているが、“東洋一の大雪庇”を見たいので、2~3月の厳冬期に登りたいと思っている。*参考:長岡市栃尾地域 (一社)栃尾観光協会「守門岳登山

 

国道からの分岐から5分ほどでまた分岐になり、左側の荒れた舗装道に入り鎖を跨いだ。この道は、送電線の保守用と思われる作業道のようだった。

作業道は凸凹ながら舗装面が続いたが、まもなく締まった砂利道になった。傾斜も急になったこともあり、ここから自転車を押して進んだ。

 

そして、国道の分岐から約15分進んだ場所で、自転車を作業道の脇に置くことにした。急坂に荒れた路面のため、帰りに自転車で進んだ場合にパンクの可能性が高まると思ったからだ。

 

作業道を歩き進むと、車の轍痕が残った残雪があり、鮮やかなピンクテープが巻きつけられた木枝が見られた。この作業道は、定期的に作業員の出入りがあり管理されている事が察せられた。

ただ、作業道の脇が葉が繁る木やササが密集している場所では、電子ホイッスルに加え、「北大クマ研」の“ポイポーイ” を定期的に叫びながら進んだ。*参考:北海道新聞「「ポイポーイ」クマよけのかけ声が響く北大天塩研究林 地図とコンパスで広大な山林を調査して歩く北大クマ研のヒグマ調査に同行」(2022年9月15日) URL: https://www.hokkaido-np.co.jp/article/730946/?pu

  


10:37、取付き点と考えていた、尾根端が作業道に接する場所に到着した。

この取付き点から“大白川山”山頂までのルートを拡大した地理院地図を取り出し、等高線から傾斜や尾根筋の状態をイメージし、作業道から藪に突入した。

 

藪は密集していたが、序盤は無葉のものが多く、細く柔らかく弾力も弱めで、苦労無く進めた。

ササと根曲りした灌木も現れたが、問題無かった。

 

しかし、徐々に若葉を繫らせた藪が目立ち始め、視界も悪くなった。

尾根筋は地理院地図の等高線通り、まずまずの鋭角で、葉の繁りで道迷いの危険は感じなかったが、クマの存在を意識するようになり、電子ホイッスルを頻繁に鳴らし、“ポイポーイ”と定期的に叫んだ。

 

登り進み、ふと足元を見ると動物の毛が落ちていた。少し茶色がかっていたので、シカの冬毛ではないかと思った。

 

取付き点から15分ほどで、左側の開けた場所から、「守門岳」山塊が見えた。

 

10:58、尾根筋が平たくなり、前方にスギ木立が現れた。

このスギ木立は短く、3分ほどで途切れ、前方には急坂が現れた。

 

 11:08、急坂を登り終えると、鮮やかなツツジが出迎えてくれた。

そして、背中に明るさを感じたため振り返ると、大きく開けていて、眺望が得られた。最初の“只見線ビューポイント”だった。

中央には一ツ橋トンネル手前の只見線のレールと、破間川の清流も確認できた。

  

11:14、“第1只見線ビューポイント”から少し登り進むと、比較的大きなマツの根元の片側が切れ落ちていた。

斜面には灌木が繁っていたこともあって、さほど恐怖は感じなかったが、残雪期にここを通過するのは危険だろうなと思った。

この切れ落ち点は、山々のビューポイントだった。北には「守門岳」山塊が見え...、

南南東には「毛猛山」の山塊が見えた。

この福島県と新潟県の境に位置する「毛猛山」は二等三角点峰だが、「マイナー12名山」に名を連ねる難所という事で、“只見線百山”候補から外している。

*「マイナー12名山」:雑誌「岳人」2002年4月号で発表された『四季を問わず創造的登山をしなければ登頂できない名山』
①道がなく登頂することが困難な山であること
②山容風格ともに名山と呼ばれてもおかしくないこと
③山群の主峰、またはそれに準ずるものが望ましい
という3要件を満たした山。選定人は大内尚樹氏、宮内幸男氏、高桑信一氏、そして「岳人」編集部。  

 

“第1ビューポイント”の先は、葉が旺盛に繁る激藪になった。

激藪を喘ぎながら抜けると、根曲りマツがあり、藪の無い空間になった。藪山ではマツやスギ付近ではこのような空間ができているので、気が休まることを再確認した。

 

再び激藪に突入すると、まもなく前方にピークが見えた。

  

11:21、藪を掻き分け進むと、前方が開け、“馬の背”とも言えるナイフエッジのようなザレ場になった。

“馬の背”は、南北が切れ落ち、高木も灌木もなく、素晴らしい眺望を得た。

北側は、守門川の狭隘部に点在する大白川集落越しに、「守門岳」山塊。

南側には、「毛猛山」山塊から東に点在する山々。

ここから先、山頂までのどんなビューポイントがあるか不明だったが、この“馬の背”の眺望の存在は大きいと思った。

 

この“馬の背”では、アカマツの花とカズラのような白い花が見られた。

  

“馬の背”を後にして、再び激藪の中に突入した。

尾根は比較的痩せていて、ほぼ真っすぐだったので迷いなく進めた。藪のお陰で両側への滑落の危険も感じなかったが、やはり、藪漕ぎは難儀した。

まもなく、ピークの短い急坂になり、左前方を見上げると、雪重で折れたと思われる成木の断面が見られた。

 

11:30、急坂を登り、この倒木箇所に立ち寄った。明るく、かなり開けていた。

斜面のギリギリまで進むと、素晴らしい眺望が飛び込んできた。2箇所目となるビューポイントだった。山間を破間川に沿って延びる只見線が、先ほどの“第1只見線ビューポイント”より長い距離で見られた。

  

“第2只見線ビューポイント”の先は、尾根が平たくなり、傾斜も緩やかになった。幼木、灌木が多く疎らで、ホッとしたのもつかの間...、

再び激藪となり、掻き分けながら進んだ。しばらくすると、ツツジなどの低木が密になり、なかなか足を前に運べず、登坂スピードは各段に落ちた。また雪重で落ちたと思われるマツの枝が行く手を阻む箇所もあり、越えるのに一苦労した。

 

11:43、前方が開け、ピークが見えた。679m標高点のようだった。

密と疎らを繰り返す藪を漕ぎながら登り進むと、前方が明るくなり、15分ほどで679mピークに着いた。

679mピークでは只見線は見えなかったが、南側が開け「毛猛山」が良く見えた。雪食地形の斜面にモザイク様の雪を残した美しい山容で、「新潟百名山」に名を連ねるだけのことをある山だと思った。*(注)福島‐新潟県境に位置するが、「福島百名山」には入っていない / 参考:国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所「雪崩によって作られる地形~奥只見

 

11:58、クマ除けの電子ホイッスルを鳴らし、“ポイポーイ”を数度叫び、679mピークを後にした。前方に、初めて“大白川山”山頂が見え、気合いを入れ直した。

 

12:08、薮の中を進むと、前方に密すぎる植物の塊が現れ、行く手を阻んだ。

植物の塊はツツジやアオキの類と思われ、ハイマツより少し大きなマツも進路を塞いでいた。

 

12:13、何とか激密の藪を抜けると、開けた空間に出た。

北に目を向けると、「守門岳」山塊の麓に広がる大白川集落全体が見えた。この山間に住む方々は今冬の大雪で、だいぶ苦労をされたのだろうと思った。

  

“大白川集落ビューポイント”から先は、再び激密藪に突入した。尾根もかなり痩せた区間があり、両側が鋭く切れ落ちる場所も見られたが、ここでも斜面には幼木・灌木が繁り、滑落の恐れ感じなかった。但し、この場所は、残雪期の登山では注意が必要だと感じた。

  

12:28、痩せ尾根の激密藪漕ぎをしばらく続けると、突然、行く手が灌木とササの疎らな空間となり、平尾根の緩やかな傾斜になった。

地理院地図を見ると、等高線の幅が広い場所で、その通りの形状だった。

 

ただ、平尾根の藪が薄い場所、ということでクマの存在が気になり、電子ホイッスルを鳴らす頻度を増やし、定期的に“ポイポーイ”を大声で叫びながら登り進んだ。

尾根の肩部には、残雪も見られるようになった。

 

12:36、ブナの木立が目立つようになった尾根を進んでいると、右前方に黒い影が見えた。一瞬、『クマっ!!』と思ったが...、

よく見ると、動いておらず、カメラをズームにしてみると、ブナの根元が黒く変色しているだけだった。

ただ、この黒い変色、“クマ”に見えなくもなかった。只見線沿線はクマが居て当たり前の山ばかりで、『遭遇したくない』と思い電子ホイッスルを鳴らし“ポイポーイ”と叫んでいるが、『遠目には見てみたい』を思ってしまう複雑な心境が、この黒い文様をクマに似せてしまったようだった。

 

10分ほどで、疎らで薄い籔は終わり、行く手は幼木や灌木に覆われた。

大きな岩も越えた。

 

12:44、疎らな灌木の間から、“大白川山”山頂の稜線がが見えた。

『まもなく、山頂!』と思い、“逆木のバケモノ”を越えた。

 

尾根は平だったが、左(北側)が切れ落ちているため、繁った藪でも、この“切れ落ち”から離れないようにと登り進んだ。

 

平尾根を進んでゆくと、真っ赤なツバキと弱弱しく見える黄色いマンサクが咲いていた。

 

13:04、今回の登山で唯一となる、巨岩を越えた。

行く手は、葉の繁りが旺盛だったが、藪は薄く弾力も無く葉も若く柔らかいため、思いのほか苦なく登り進めた。

 

藪を抜け、マツの巨木で一息ついて先に進んだ。

そして、痩せ尾根の右(南)側に雪が残り、“歩道”となっているような場所に出た。雪塊は固かったので、雪上を進んだ。

“歩道”の終端で急坂を登った。

すると、雪渓が現れた。ここも薮が濃い左側の痩せ尾根は進まず、雪渓の上をスイスイと進んだ。

雪渓が終わると、斜面に取付く以外選択はなく、濃い籔の急坂を登った。

  

  

13:20、尾根に戻り少し進むと、前方に空が広がった。『山頂は近いっ!!』と思い、力強く薮を漕いで進んだ。

まもなく、藪は濃いままだったが、平たくなった。

そして、岩が突き出ている平場となった。

“大白川山”山頂に到着したと確信し、『二等三角点標石はあるはず』と思い、探そうとまず振り返って灌木と地表の間に目を向けると...、あっけなく、標石は見つけられた。

 

13:22、“亡失”とされている二等三角点「大白川」を持つ、“大白川山”に登頂。大白川駅から3時間14分、作業道の取付き点から2時間45分で到達した。

*二等三角点「大白川」
基準点コード:TR25639010101
標高(m):797
ー 亡失 ー
 *出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL: https://service.gsi.go.jp/kijunten/app/


灌木を体で押しのけ標石の正面に行き、触れて登頂を祝った。この瞬間、激藪に阻まれながらも登り進んできて良かった、と心から思った。

 

二等三角点標石に触れた後は、山頂から眺望を確認。

山頂広場の東端に行くと、「浅草岳」を主峰とする山塊が見えた。*参考:拙著「只見町「鬼が面山 」周回登山 2021年 初夏」(2021年6月26日)

 

北には、「守門岳」山塊が見えた

 

そして、「浅草岳」と「守門岳」の間、北東に目を向けると、破間川ダムとダム湖が見えた。

破間川ダムは新潟県と電源開発㈱が共有する「洪水調節」、「流水の正常な機能の維持」、そして「発電」を目的とする多目的ダムという。*参考:新潟県「管理中の各ダムの概要」/ 電源開発㈱「水力発電所一覧

 

登ってきた西側。背高の幼木や灌木に覆われ、眺望はまったく得られなかった。

 

南は、手前に灌木、奥に木々が繁り、眺望ゼロだった。

 

 

13:40、写真を撮り水分補給した頃になって、雨粒が落ち始めたため、急ぎ“大白川山”山頂を後にした。

 

下山は、斜面の幼木・灌木群は、大半が雪重で斜面に沿って倒れているので、登山時よりは楽に越えられた。 

クマが出そうだと感じた藪が疎らなブナ林は、電子ホイッスルを頻繁に鳴らし、ポイポーイを叫びながら駆け足で下った。

 

低木帯に出ると、少し勢いを付けた雨粒が全身を濡らした。

  

14:19、679mピークから下る際、木枝の間から麓がわずかに見え、よく目を凝らすと...、

「平石亭」の客のものと思われる多くの車が、駅頭に停まっている大白川駅の全体が見えた。列車から降りた際にホームから“大白川山”全体が見えたが、ここで双方からの見え方を確認できた。ピストン登山は、下山時に新たな眺望が得られる事も再確認した。

 

14:32、“第2只見線ビューポイント”を通過。 


結局、この“第2ビューポイント”が、今回の登山で確認できた只見線のベストな眺望場所だった。

 

14:39、“馬の背”を通過。

北の「守門岳」山塊...、

南の「毛猛山」山塊を、それぞれ見収めた。

 

14:48、わずかにルートロスした後、スギ林に入り往路(登山)ルートに戻った。

スギ林を抜けた後は、往路(登山)ルートを気にすることなく細く軟らかい籔を掻き分け、作業道目指してズンズンと進んだ。

スギ林を抜けて、約5分ほどで作業道が見え、切通しの斜面を下った。作業道に戻った場所から100mほど後方に、取付き点が見えた。

14:59、作業道の取付き点に移動。山頂から1時間19分で戻ってきた。

 

取付き点を後にして、作業道を下った。途中「守門岳」山塊を見収めた。

 

5分ほど歩くと、前方に自転車が見えた。

自転車の場所まで行き、振り返ると、スギ林の上に突き出た“大白川山”の679mピークと追われる稜線が見えた。

自転車を押して移動を開始。砂利道の凸凹が目立たなくなってから、自転車にまたがり進むと林道に合流した。

林道は2分ほどで快調に下り終え、国道252号線に入った。

国道を進み、破間川に架かる末沢橋から只見線の「第五平石川橋梁」を眺めた。

 

15:17、大白川駅に戻った。登山3時間14分、休憩18分、下山1時間37分、合計5時間9分の山行だった。

駅舎に入りホームに行き、“大白川山”を眺めた。登頂後に駅から山頂を見るのは良いものだ、と改めて思った。

“大白川山”の登頂を、無事に終えた。

亡失とされた二等三角点峰だったが、『二等三角点が設置された山ならば、眺望が良いはず』と考えていたが、その通りの結果が得られ満足のゆく山行になった。

今回の山行で、“大白川山”は私選“只見線百山”に入れるべきだと思った。その理由は次の通り、

①山間に敷かれた只見線の見られる
②大白川駅から徒歩で林道の取付き点に向える
③急坂が少ない
④山頂からの眺望が得られる
⑤“馬の背”などから、「守門岳」や「毛猛山」山塊を一望できる

 

但し、山頂尾根までの斜面や、山頂尾根の激藪・灌木密集帯の伐採や刈払いは必須になる。特に山頂尾根は南側が切れ落ちている部分が多く、藪や灌木に覆われた場所では滑落の危険があるからだ。

残雪期の登山を推奨するのであれば、伐採や刈払いは不要かもしれないが、“馬の背”前後の山頂尾根などがナイフエッジのようになり、登山初心者には勧められない。

 

“大白川山”は只見線の駅から登山口(取付き点)まで徒歩移動が可能で、沿線を代表する「守門岳」「毛猛山」、そして「浅草岳」の山容が一望できるで、貴重な山だった。“観光鉄道「山の只見線」”が実感できる“大白川山”が、只見線を利用した登山者を老若男女問わず広く受け入れられるよう登山ルートが整備されることを望みたい。

 

15:21、大白川駅を後にして、国道252号線を小出方面に向けて自転車を走らせた。途中、只見線を跨ぐ一ツ橋の手前で振り返り、“大白川山”を振り返った。

ここからは山頂が突き出た“鋭角峰”のように見え、大白川駅ホームから見えた凹型の山頂尾根とは違っていた。

 

七曲りスノーシェッドを潜り抜け坂を下ると、只見線「第四平石川橋梁」(1937(昭和12)年)が見えた。このコンクリートアート橋は、充腹式アーチ橋として日本最大の最大径間(40.0m)と言われている。

この「第四平石川橋梁」の下流側には、国道252号線の柿ノ木SSが破間川左岸縁に設けられている。このあと入広瀬駅から只見線の列車に乗り込んで、橋梁通過時に眺めるのが楽しみになった。


柿ノ木SSを抜けて、柿ノ木地区に入ると破間川の堰を見下ろせた。この堰で分流された水は、破間川の支流・黒又川を経て、北西に直線距離で4km離れた東北電力㈱上条発電所で利用されている。


さらに国道を進むと、「ほとら峯」(630m)が見えた。二等三角点を持つ山で、今回“大白川山”登山や早く終われば合わせて登ろうと思っていたが、無理だった。

「ほとら峰」は、途中まで送電線・鉄塔の保守路があるが、山頂まで800mほどは藪に覆われているため、今秋の落葉期か、来春の残雪期に登りたいと思っている。

  

15:51、大白川駅から7.4km、30分ほどで日帰り温泉施設である「寿和温泉」に到着。3度目の訪問となった。

先客は2人で少なく、露天風呂に至っては独り占めし、ゆっくりと浸かることができた。登山後に温泉に入られる素晴らしを実感するとともに、駅チカに温泉あることの観光面での訴求力の高さを思った。

「寿和温泉」
・源泉名:寿和温泉第2号源泉
・泉質:ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉(低張性中性温泉)
・源泉温度:41.8℃
・Ph: 6.9
・湧出量:144L/分 *動力揚湯

 

16:38、入浴を終え、休憩所で一休みしてから移動。5分ほどで「雪国観光会館」と合築され大きな入広瀬駅に到着。

中に入ると、山間に棲む動物のはく製などが陳列し、国鉄時代の駅名標も飾られていた。

自転車を輪行バッグに収納し、携えてホームに向かった。車庫には、今冬の大雪で大活躍したであろう除雪車が停車していた。

 

ホームに立ち待っていると、会津若松行きに列車(キハ110単行)が鷹待山を捲く大きなカーブを曲がりやってきた。

16:46、会津若松行きが入広瀬を出発。車内には6人の客が居た。

 

列車が動き出してまもなく、“大白川山”登頂祝いをした。Aコープ入広瀬店で購入したスパードライは、旨かった。

 

列車は「第四平石川橋梁」を渡った。国道252号線の柿ノ木SSの真っ赤な鋼材は、エメラルドグリーンの清流と新緑の中で際立ち、良い光景だった。

渡河後に一ツ橋トンネルとを抜けると、右車窓から前方に“大白川山”が見えた。

 

16:57、大白川に停車。下り列車との交換を行った。小出行きの車内は6割ほどの乗車率だった。

17:01、列車が大白川を出発。

 

列車は破間川と分かれ、ディーゼルエンジンを蒸かし登坂し末沢川を16回渡河して、“会越界”(福島‐新潟県境)となる「六十里越トンネル」(6,359m)に突入した。

 

17:30、「六十里越トンネル」を抜け只見町入った列車は、下り坂を静かに進み只見に停車。ここから、日本酒を呑んだ。今回は全線乗車ではなかったので“会越の酒呑み比べ”はしなかった。

 


選んだ日本酒は、今年の全国新酒鑑評会で金賞を受賞した「会津中将」(鶴乃江酒造、会津若松市)のにごり酒と、「弥右衛門」(大和川酒造、喜多方市)の大吟醸辛口。*下記事出処:双方とも2025年5月21日付け号外 (左)福島民報  (右)福島民友新聞 

18:00、新たに2人の客を乗せて、会津若松行きの列車は只見を出発。 

 

18:52、途中、会津塩沢で2人の客を乗せて、徐々に日が暮れる中を駆けた列車は会津川口に停車。ここでは小出行きの最終列車と交換を行った。

小出行きの乗客は、2両編成で3人だった。夕闇を走る最終列車は客が極端に少なく、“回送列車”の感があるが、只見線利活用では何らかの対策が必要だ、と空席を見て改めて思った。

19:08、列車が会津川口を出発。陽が完全に落ちて、景色が見えなくなると、日本酒をチビチビ呑みながら、読書をして過ごした。 

  

 

20:55、列車は定刻に、終点・会津若松に到着。

 

会津若松からは、磐越西線の上り最終列車に乗り継ぎ、無事に自宅のある郡山に戻った。今日も、登頂+無事故+クマとの遭遇無しに終わり、充実した“只見線百山”の検証登山だった。

 

  

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

 ・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

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以上、宜しくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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