昭和村「三引山」登頂断念 2025年 春

観光鉄道「山の只見線」”にちなむ、私選“只見線百山”の検証登山。今日は昭和村の二等三角点峰「三引山」(1,147.6m)。JR只見線の会津川口駅から路線バスと輪行した自転車を利用して、取付き点とした「原入峠」に向かった。

 

「三引山」(さんびきやま)は、昭和村の中心部(役場)から南東東約13kmに位置し、山頂の北500mほどの場所に昭和村‐会津美里町‐下郷町の2町1村の境界がある。

「三引山」は二等三角点を持つ山だが、1,000m級の低山帯の中にあり、山座同定が難しい山になっている。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *色別標高図、筆者にて文字(黄緑)入れ

2022年に“テーブルマウンテン”である「舟鼻山」(1,230m)に登った際に、大窪林道から「三引山」の方を眺めたが、どこが山頂だか分からなかった。帰宅後に、地理院地図と写真を比べ、なんとか山座同定した次第だった。

 

「日本山名事典」(三省堂)によると、「三引山」と記す山は全国に2座で、昭和村の他に長野県山ノ内町にあるが、この標高1,939mの山は“みつひきやま”と読むという。

さんびきやま 三引山 (高)1148m
福島県南会津郡下郷町と大沼郡会津美里町・昭和村の境。会津鉄道会津田島駅の北北西10km。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p464)

 

「三引山」は登山道が無く、Web上の山行録も少なかった。また、藪山である可能性や山頂尾根が平たく道迷いの可能性も大きいということで、無葉の残雪期に登ろうと考えていた。

今日の昭和村の天候は晴れ時々曇りで、雨はほとんど降らない予報だった。郡山発着で時間的に厳しい旅程だったが、「三引山」の二等三角点標石に触れられることを願い、只見線と自転車を利用し昭和村に向かった。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日) 

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の春-

 

 


 

 

今回は、只見線の始発に乗るため会津若松市内に前泊。

今朝早く宿を出て、会津若松駅に到着。上空には、雲一つない青空が広がっていた。

駅舎に入ると、「ぽぽべぇ」*が迎えてくれた。*JR東日本 会津若松エリアプロジェクト オリジナルキャラクター

改札前にはホワイトボードが置かれ、只見線の区間(会津川口~只見)運休と代行バス運行の案内がなされていた。

今冬の雪は災害級で、日本有数の豪雪地帯である六十里越を走行する只見線にも多大な被害をもたらした。雪崩や雪崩の発生の可能性があるということで、2月4日から会津川口~大白川間が不通になり、今月の17日(木)に只見~大白川間の六十里越区間が運行を再開した。ただ、雪崩に倒木が混じり除雪が困難が箇所がある会津川口~只見間の復旧の見通しは立っていない。*下出処:(左)東日本旅客鉄道㈱「只見線の今後の運転計画について」(2025年3月6日) / (右)福島民報 2025年4月18日付け紙面(1面と社会面)

改札の正面にある列車の案内表示では、通常は6時8分発の小出行きが、会津川口行きとなり、注意を示すため赤字で表示されていた。

会津川口~只見の不通区間は、多くの観光客が見込めるゴールデンウィーク前の復旧は見込めず、新聞報道によると5月中旬以降になるとのことだった。*下記事出処:福島民報 2025年4月19日付け1面

 

輪行バッグを抱え改札を通ると、すぐ脇に真新しい赤べこの置物が2匹並んでいた。“べこ牧場”と名付けられたコーナーで、赤べこの隣りで写真撮影ができる場所になっていた。注意事項の最後、“エサをあげるのは禁止です”という文言は秀逸だった。

 

跨線橋を渡り只見線の4-5番線ホームに向かった。橋上から北北東に目を向けると、「磐梯山」(1,816.0m、会津百名山18座)の稜線が朝焼けの空にくっきりと浮んでいた。

 

ホームに下り、少し歩いて北にある駐機場を眺めると、トロッコ列車「風っこ」が車庫に収まっていた。

「風っこ」号は、この春も只見線の臨時列車として設定され、昨日と今日、そしてGW期間中に運行されることになっている。ただ、運休区間があるため、運行区間は会津若松~会津川口に変更され、会津川口~只見間は代行バスによる代替となっている。*下図出処:東日本旅客鉄道㈱東北本部「春の臨時列車のお知らせ」(2025年1月17日)


5:41、只見線の始発列車が入線してきた。先頭がキハ110、後部がキハE120の2両編成だった。

列車が停車すると、私は後部車両に乗り込んだ。


6:08、会津川口止まりの列車が会津若松を出発。客数は、私が乗るキハE120が5人、キハ110が6人と少数だった。もしこの列車が小出行きの全線乗り通し可能な列車ならばどれほどの席が埋まっただとうかと思った。

 

列車は、市街地の七日町西若松を経て、大川(阿賀川)を渡った。上流には「大戸岳」(1,415.7m、同36座)の山塊が見えた。

 

会津本郷を出発直後に会津美里町に入った列車は、刈田と果樹畑の間を進んだ。左車窓からは、“只見線百山”の候補にしている二等三角点峰「大沢山」(736.8m)が良く見えた。*参考:拙著「会津美里町「大沢山」登山 2023年 晩秋」(2023年11月21日)


そして、列車が少し進むと、境内がすっぽりと枝垂れ桜に覆われた神社があった。若宮八幡神社のようだが、ここまで見事な枝垂れ桜が咲く場所だと初めて知った。

この桜から少し右に目を向けると、水張りを待つ田が広がった向こうには、会津総鎮守「伊佐須美神社」の山岳遷座地である「博士山」(1,481.7m、同33座)と「明神ヶ岳」(1,073.9m、同61座)が綺麗に見えた。*参考:伊佐須美神社「御由緒・歴史」 URL: https://www.isasumi.or.jp/outline.html

  

列車は宮川を渡った。堤防の「宮川の千本桜」は葉桜になっていた。*参考:福島県 会津若松建設事務所「さくら回廊あいづ<宮川の千本桜>

 

会津高田を出た列車は、“高田 大カーブ”で進路を西から北に変えた。

線路が直線部になると、逆光の右車窓からは水が張られた田越しに「磐梯山」の稜線がうっすらと見えた。

そして、順光の左車窓から見える田は水鏡となり、「明神ヶ山」などの西部山地の山間を綺麗に映していた。

 

根岸を経て新鶴を出ると、西部山地の北端にわずかに突き出た二等三角点峰「馬立山」(488m)が確認できた。*参考:拙著「柳津町「馬立山」雪上トレッキング 2025年 早春」(2025年3月20日)

 

会津坂下町に入り、若宮を出ると、霞んでいたが、左前方に全体が雪に覆われたままの「飯豊山」(2,105.2m、同3座)を主峰とする「飯豊連峰」が見えた。*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山  https://tif.ne.jp/yamafuku/mt30/18.html

 

6:42、列車は会津坂下に停車。会津若松行きの1番列車と交換を行った。

駅名標を見ると、町の名物である馬刺しと日本酒のステッカーが貼ってあった。*参考:拙著「会津坂下町「馬肉・地酒」 2018年 冬」(2018年12月26日) 

 

会津坂下を出た列車は、右に大きく曲がりながらディーゼルエンジンを蒸かし七折峠に向かって登坂を始めた。

登坂途中、塔寺手前から会津平野を見下ろした。

 

登坂を終え、第一花笠-第二花笠-元屋敷-大沢と続く四連トンネルを抜けると、“坂本の眺め”から「飯豊連峰」を見た。若宮付近から見えた山塊の大きさの違いに、改めて不思議に思った。

 

会津坂本では、貨車駅舎(待合室)に描かれた「キハちゃん」の見送りを受けた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg

奥会津・柳津町に入ったが、田は荒起こしさえされていない状態で、田植えは先のようだった。

 

会津柳津を出た列車は、“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)の山肌は多様な緑のモザイク模様だった。

 

郷戸に停車、駅前の桜はまだ見ごろだった。

 

滝谷出発直後には、「滝谷川橋梁」を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

そして、会津桧原を出て桧の原トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。

下流側を見ると、河岸の木々には若葉が芽吹き、川面の“水鏡”も、まずまずの冴え具合だった。正面には「日向倉山」(605.4m)が朝陽を浴びて、山容が良く見えた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

 

会津西方出発直後には、「第二只見川橋梁」を渡った。上流側には残雪と新緑の「三坂山」(831.9m、同82座)が見え、川面には鉄橋と列車の影が落ちた。*只見川は柳津ダム湖

 

次駅が近づき、列車は「アーチ三橋(兄)弟」の次男・宮下橋を見下ろしながら、長男・大谷川橋梁を渡った。ビューポイントの後ろには満開の桜があり、両河岸の若葉が間近にあり、心地よい光景だった。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

会津宮下に停車し、上り2番列車との交換を行った。しばらくすると、四等三角点「荒倉沢」を持つ山を背後にキハ120の2両編成がやってきた。*参考:「金山町「荒倉山」登山 2025年 早春」(2025年3月22日)

 

会津宮下を出て、東北電力㈱宮下発電所の背後を駆け、宮下ダムが近づいてくると、桜並木が見えてきた。満開とも言える咲きっぷりで、日陰ながら見ごたえがあった。今年は、“パァッ~”と咲いたようだった。*参考:拙著「三島町「桜、桜、桜」2021年 春」(2021年4月18日)

宮下ダムの脇を通り過ぎると、列車はダム湖(只見川)の右岸縁を駆けた。湖面に波紋は見られず、“水鏡”は冴えて空と木々を映していた。

そして、列車は「第三只見川橋梁」を渡った。下流側、左岸の一本桜が緑の風景を引き締めていた。*只見川は宮下ダム湖

 

滝原・早戸の両トンネルを抜けると早戸に停車。活火山「沼沢」の北東壁を眺めた。

早戸を出ると、まもなく金山町に入り、8連コンクリートアーチの細越拱橋を渡った。

 

会津水沼を出発後、下路式アーチの「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

 

会津中川を出て、終点が近づくと、列車は減速し右に大きく曲がった。前方に架かる林道の上井草橋が、どんどんと近づいてきた。

ここで振り返ると、只見川に突き出た大志集落が見えた。川面は水鏡になっていて、美しいシンメトリーな光景を創り出していた。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

  

 

8:05、列車は終点となる会津川口に到着。

ここの駅名標には、「大塩炭酸水」と「無幻峡の渡し」のステッカーが貼られていた。

 

輪行バッグを抱え駅舎に向かい、ホームの端から対岸の“花畑”を眺めた。

このソメイヨシノとハナモモの“花畑”は、只見線が長期運休に追い込まれた「平成23年新潟・福島豪雨」が発生して前年に、地元の有志によって植栽されたという。*下記事出処:福島民報 2019年4月28日付け紙面

 

 

駅舎を抜けると、只見行きの代行バスが待機していた。列車からは数名が乗り込んでいた。

今回は昭和村に行くため、私は駅前から出る路線バス(川口車庫~大芦 線)を利用した。昭和村に向かう便は上下三本で、全て只見線の会津若松↔小出間を走破する3本の列車に連絡している。

駅頭でしばらく待っていると、バスが国道252号線を通ってやってきた。

8:23、大芦行きの路線バスが、私1人を乗せて会津川口駅前を出発。

  

国道400号線を順調に進んだバスは、途中の乗降もなく、上両原バス停に停車。

このバス路線(川口車庫~大芦 線)は“自由乗降可能”で、運転手に事前に降りたい場所を伝えておけば停車してくれるが、このバスは発車直後に右折し村道を上り大芦方面に向かうため、今回はバス停で降りることにしていた。*参考:会津乗合自動車㈱「バスの乗り方のご案内

 

9:06、運賃1,130円を支払い、輪行バッグを抱え降り、バスを見送った。

この後、バス停周辺の空スペースで輪行バッグから自転車を取り出し、組み立てた。 


9:25、自転車にまたがり、上両原バス停前を出発。今日は復路で会津川口駅まで自転車で移動する可能性があるため、ロードバイクを輪行した。

国道400号線の傾斜は緩く、負担なく自転車を乗り進められた。

 

バス停から10分ほどで日落沢集落への分岐に到着。

分岐を左に入り、木賊平林道を進んだ。

只見川の支流・野尻川を渡ると、上方に日落沢集落が見えた。

坂を上り、集落の間を進んだ。家々の周りは刈払いされていたが、窓枠に戸板が嵌められているなど生活感は無かった。ただ、一つの住宅の周りで数人の男性がチェーンソーで作業をしていたので、人気は有り、クマの存在はしばらく気にしなくてよいだろうと安堵した。

集落を抜けると、平坦な林道が延びていた。

 

しばらく進むと林道が未舗装になり、まもなく前方に林道を覆う雪塊が見えた。ここで、自転車を停め歩くことにした。

印刷してきた、断面図を入れた地理院地図を取り出し、距離3.8㎞で中盤から傾斜が増すという「原入峠」までの道のりを確認した。

10:10、徒歩での移動を開始。 


しばらく、野尻川の沢音を聞きながら進んだ。河岸の斜面には雪が残り、芽吹きだした葉は薄緑で、陽光を浴び鮮やかだった。

野尻川を塞ぐようなコンクリートの塊が見え、銘鈑を見ると日落沢堤と記されていた。堤は巨大で、ダムに見えるほどだった。

 

林道は自動車が安全に走行できる状態だった。

カーブミラーも雪の影響を受けずに、倒れず正常な向きで立っていた。

ただ、未だ今年の整備は行われていないようで、倒木が数か所で見られた。

そして、林道を覆いつくす雪塊が長く続く箇所も出てきた。

 

10:27、野尻川が近づいた。

雪融け水の影響もあってか、水流には勢いあり、清らかで高い透明度だった。


さらに進むと、標杭らしきものが見えた。

近づくと、標杭には「文化遺産 木賊平の木地師集落」、右板には「木地師集落跡」、左板には「菊花紋墓」と記されていた。左脇に立つ石碑が「菊花紋墓」のようで、皇室の紋章である“菊花紋”となっているのは、木地師達が『自分たちの始祖は小野宮惟喬親王』と考えていたことに由来しているという。*参考:東近江氏観光サイト「惟喬親王伝承と山の文化

また少し進むと、人工物が見えた。そばに寄ると、それは水道のタンクのようだった。この周辺は開けていて「木賊平の木地師集落跡」と思われたが、この水道設備がこの集落で使われていたものであるかどうかは不明だった。

 

10:34、野尻川と分かれ、左俣の名称不明の沢沿いを進むことになった。

そして、左俣に架かる橋を渡った。

橋を渡ると、左俣に向かって崩れている場所があったが、細杭とピンクレープが巻きつけられたロープで注意喚起されていた。

 

まもなく、林道の傾斜は一気に増した。左俣はさらに二又に分かれ、その右俣沿いに林道は延びた。

林道の傾斜が増し、高度も一気にあがったものの、林道を覆う雪は思ったほど少なく、一面を長く覆う場所はわずかだった。

林道を囲む木々は、ナラやブナの二次林のようで幼木が目立った。また、一部には間伐の跡も見られた。

 

10:47、黄色いテープが貼られた場所が現れ、横から見ると擁壁と林道の間の土砂が崩れているようだった。

 

倒木も見られたが、人の手でも除けられるような細い木だった。

 

10:49、林道の分岐が現れた。右に少し入り標杭も見ると、木賊平・土羅入(三引山)林道と記されていた。

 この分岐を過ぎると、前方に山の稜線が見えた。「原入峠」は近いと思った。

 

最後のへピンカーブの突端には砂防ダムがあり、水が豪快に落ちていた。地理院地図を見ると、ここから分水嶺となる山の尾根まで500mほどで、その間にこれだけの水が集まることに驚くとともに、山の保水力の高さを、改めて痛感した。

更に林道を進むと、左の崖下に大きなヤマザクラが立っていた。

近づくと、7分咲きといったところで、陽光を受けた桜は綺麗だった。

そして、このヤマザクラの先で、左側(南西)に目を向けると、「御前ヶ岳」(1,233m)が見えた。*参考:拙著「昭和村「御前ヶ岳」登山 2021年 春」(2021年5月1日)

 

ヤマザクラから100mほど進むと、前方に切通しが見えてきた。

11:00、切通しに到着。この先の林道は一面雪に覆われ下り坂が続いていたため、ここが「原入峠」に違い無かった。日落沢集落付近から歩き出し、50分で到達した。

「原入峠」の周囲は木々に囲まれていたが、北東の無葉の木枝の間から「博士山」山塊の一部が見えた。

 

ここで、印刷してきた「原入峠」から「三引山」までの取付きルートを記した地理院地図を取り出し、進路や等高線の幅を確認した。

地理院地図で作成した取付きルートの断面図を見ると、1,100mの山頂尾根までは急坂が続くことになっているため、気を引き締めた。

 

 

11:05、「三引山」山頂を目指して、「原入峠」を出発。切通しの低い斜面を登った。

 

尾根に乗ると、徐々に傾斜が増した。雪融け間もないということで、無葉の藪は弾力がなく、進行を妨げるものではなかった。

また、斜面一面い生い茂ったササも、序盤は疎らで、難なく登り進められた。

更に、“逆木のバケモノ”もあったが、無葉で藪同様弾力が無かったため、少しの負担で越えられた。

 

11:15、尾根の肩に乗ると、木枝の上方に「博士山」が見えた。

この肩の先は、浅い鞍部になった。所々に雪塊も見られたが尾根を覆うものではなく、進行に支障は無かった。

 

序盤の尾根は、緩やかで藪やササなどの障害は無く、快調に登り進めた。

ただ、南西から強い風が吹き始め、しばらく続いた。さほど冷たくはなかったが、風量があるため、立ち止まると体が冷やされた。

そして、斜面が背丈ほどのクマザサに覆われ始めた。

クマザサは弾力があり、除けながら進むのでスピードが一気に落ちた。また、強風に体を冷やされ、“ササパンチ”を何度も受けた。

この背丈を越えるクマザサに、去年「黒岩」登山でクマとのニアミスを思い出し、電子ホイッスルを頻繁に鳴らし、“北大クマ研「ポイポーイ」”を連呼したため、さらに体力と気力を浪費した。*参考:北海道新聞「「ポイポーイ」クマよけのかけ声が響く北大天塩研究林 地図とコンパスで広大な山林を調査して歩く北大クマ研のヒグマ調査に同行」(2022年9月15日) URL: https://www.hokkaido-np.co.jp/article/730946/?pu


11:44、急坂となるが、風・クマザサ・クマへの警戒への対応に気を遣い、登坂の苦労を感じる暇がなかった。


11:58、無葉の木枝越しに、山の稜線が見えた。位置的に「焼山」(1,155m)と思われた。

 

強風は続き、斜面全体がクマザサで覆われた場所では、ササが一斉に右(南)から左(北)になびき続け、壮観な眺めだった。

だが、ササの中に入ると視界が遮られ、やはりクマの存在を気にしないわけにはゆかなかった。電子ホイッスルを鳴らし、“北大ポイポーイ”を叫びながら、ササを掻き分け登り進んだ。


12:14、1,038mピークに乗った。

そして、クマザサの中を少し進むと、標石が現れた。

近付いて側面を見ると、“圖根點”と刻印されていた。1,038m標高点を示すものではないかと思った。


図根点の先には、初めて進路を覆う雪塊が現れた。

そして、雪塊を踏み進むとと、みたびクマザサの密集に突入した。濃いササ群で、視界が効かないため、またまたクマ除けの電子ホイッスルを頻繁に鳴らし、“北大ポイポーイ”を連呼した。

 

登り進む尾根筋では、木々の芽吹きは見られなかったが、“まず咲く”のマンサクや...、

イワウチワの小さな花が見られ、遅い春の訪れを感じた。

 

12:33、雪塊が尾根一面を覆うようになった。表面は適度に固く、わずかに滑る程度で、スイスイと進めた。

雪面には動物の足跡が見られたが、クマのものと思われるものは見られず、細く前爪をもったシカかカモシカ、もしくはイノシシのものだった。


山の栄養となる、ブナの倒木を越えた。

 

雪塊は、クマザサの植生部分では、消えていた。

ササは弾力があり、雪塊が薄くなるといち早く立ち上がるため、その根元の融雪が早くなるのだろうと思った。

 

「焼山」の山塊が、どんどんと近づいてきた。

山頂尾根が近付くと、雪塊がほとんど無くなり、クマザサ群になった。ただ、植生は疎らで、進行に苦労は無かった。

 

12:51、傾斜が緩やかになり、1,132mピークに乗った。ピークの先には、雪を載せた山頂尾根が続いていた。地理院地図の断面図に相違無い形状だった。

この1,132mピークからは、南側が三引沢に向かって切れ落ち、灌木が雪重で倒れている事が重なり、良い眺望を得られた。

南南西には“”テーブルマウンテン「舟鼻山」(1,223.5m、会津百名山51座)。*参考:拙著「南会津町「舟鼻山」登山 2022年 春」(2022年4月30日)

南から南東にかけては、「三引山」の東に連なる稜線が見えた。肝心の「三引山」は無葉の木が密集し見えなかった。

 

1,132mピークから、山頂尾根を進んだ。

山頂尾根の雪塊は固く、登山靴でも沈まなかった。ほとんど平坦に感じられる傾斜で、陽光を浴びながら、気持ち良く“雪上トレッキング”ができた。

 

13:03、左側(北東)に「焼山」の山頂らしき尾根が木々越しに見えた。

手元の地理院地図を見て、「焼山」方面に進路を変え進むと鞍部になり、「焼山」が迫って見えた。

当初の予定では、「焼山」を経由してから「三引山」に向かう予定だったが、時間が無いため取り止め、右(南東)に進路を変えた。

 

雪面に緩い場所が現れたため、ここでワカンを装着した。

「焼山」を左に見ながら鞍部を進み、南東に延びる尾根の斜面をトラバースした。

ワカンは全く沈みこまず、爪も付いているため滑らず快適だった。面倒でも、1,132mピークで続く雪面を確認した時に装着しておけば更に楽だったなぁ、と少し悔いた。

地面が見える根開き箇所では、積雪が1mほどあることが分かった。

 

 

13:27、木枝の間から「三引山」が見えた。山頂ばかりか、山座同定も難しい山容だと実感した。

 

この先尾根の雪が薄くなり、ササが出ている箇所が増えた。極力雪がある場所を選び進んだ。

 

13:33、昭和村‐会津美里町の境でもある、山頂尾根の突端(1,130m)に到着。

そして、鞍部に下ると、断面が削られてまもないような土手が見えた。側面から見ると、切通しされた道のようだった。木材の切り出しのために造られたものだろうかと思った。

鞍部に下りるが、先に登り返しといえる斜面は無く、ほぼ平坦な場所を進んだ。

 

13:40、昭和村‐会津美里町‐南会津町、3町村の境界に到着。手元の地理院地図の等高線やGPSから間違いなかった。「原入峠」の取付き点から2時間35分掛かってしまった。

意図は分からないが、左・会津美里町側に青いテープ、右・南会津町側にオレンジのテープが、それぞれ幼木に巻きつけられていた。ここが自治体境界であることを示す、良い“演出”だと思った。

 

この3町村境界から、「三引山」方面を眺めた。地理院地図を見ると、山頂までの距離は約500mで、なだらかな尾根が続いているようだった。

駆け足気味に行けば、往復1時間ほどと見積もった。山頂に行きここに戻るのが14時40分で、「原入峠」までの下山に2時間、「原入峠」から自転車を置いた場所まで40分と見積り17時10分。会津川口駅まで約27kmということで、自転車で時速20kmで巡行すれば18時30分頃に到着し、只見線の最終列車(19時8分発)には間に合うのでは、と一瞬考えた。

しかし、この先の雪質の具合や、山頂付近に到達し三角点標石の探索に時間を取られる可能性や、下山や自転車走行中の不測の事態などを考えると1時間程度の余裕は必要だ、と考えなおし、今回は「三引山」登頂を断念せざるを得ないと決心した。

 

13:50、後ろ髪引かれる思いで、「三引山」を背に3町村境界から下山を開始した。


往路のルートから少し外れ、「焼山」の南東尾根の斜面上に近づくと、「博士山」山塊が見えた。

「博士山」(1,481.7m)は、1,400m台のピークが複数かたまっている山塊で、見る位置によって見え方が大きく変わるのだなぁ、と思った。

地理院地図の色別標高図で確認すると、その複雑な稜線が浮かび上がり、一等三角点峰ながら山頂の同定が難しい山だという事が分かる。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/  *「色別標高図」

 

14:22、1,132mピークを通過。

ここから、ササ藪を掻き分けながら下り進んだが、二等三角点「黒岩」での教訓から、電子ホイッスルを頻繫に鳴らし、“北大ポイポーイ”を叫び、クマへの警戒を忘れずに進んだ。*参考:拙著「只見町「鳥越山」登山/昭和村 二等三角点「黒岩」 探索 2023年 紅葉」(2023年11月9日)

時折、木々に黒い塊が見え、遠目に“クマかっ⁉”と思い、その度冷や汗をかいた。

 

14:44、1,038m標高点の図根点標石が見え、今回「三引山」に登頂できず三角点標石に触れられなかった事もあり、これ触れて気休めとした。

 

下山を進めた。

登山時は気付かなかった、尾根には見事な育ちっぷりのブナやナラの木が見られた。

 

14:49、急坂の下りになった。登山時はササ藪に視界を奪われ『クマに注意、クマに注意』と考えながら登ったため気に留めなかったが、上から見下ろすと、かなりの傾斜だった。電子ホイッスルを鳴らしながら、慎重に下った。


 

15:13、「原入峠」が見え...、

林道木賊平に下りた。3町村境界点から1時間23分で下ることができた。

今回「三引山」に登頂できなかったが、「原入峠」から「三引山」に向かう取付き(登山)ルートの状態はほぼ把握でき、まずまずの山行になった。 今回の山行から、「三引山」は残雪期の雪上トレッキングが良いのではないか、という考えを持った。

 

取付き(登山)ルートの地形について。

山頂尾根に乗るまでは、地理院地図(Web)で作成したルートの断面図ではかなりの急坂が続いていたが、幅広の等高線通り、実際は過度な疲労や恐怖を感じる傾斜ではなかった。下山時はそれなりの慎重さが必要かもしれないが、滑落の危険性は少ないと思われた。

それよりも、山頂尾根までは平尾根が続き、途中数カ所の肩部では下山時にルートロスしてしまう可能性が大きく、この点が「原入峠」‐「焼山」(南斜面)‐「三引山」ルートの注意点と感じた。

 

取付き(登山)ルートの藪具合について。

今回は、雪融け間もない時期ということで、藪は柔らかく無葉で、進行を妨げるものではなかった。また、藪の密集度から、夏から秋の有葉期でも、藪漕ぎに苦労する登坂を強いられる事は無いように感じられた。

難関は、藪よりも、急坂に背丈を越え密集するクマザサ。山頂尾根に達するまで間断なく続くクマザサ群は、進む度に“ササパンチ”を受け続ける事になり体力・気力を削がれる可能性大だ。更に、このクマザサ群は視界を悪化させ、ガザガザと音が発せられることから、クマへのケアを疎かにさせる危険性があると思った。

「原入峠」を取付き点するルートをもって「三引山」を“只見線百山”に入れる場合は、このクマザサ群の刈払いは必須だと感じた。

 

眺望については、今回は山頂尾根に乗ったポイント(1,132m)で、「舟鼻山」を一望できたのみだったが、「三引山」山頂も鋭角ではなく平場で、周囲が木々に覆われているようなので、ほとんど期待できないと思われた。

「原入峠」‐「焼山」(南斜面)‐「三引山」ルートは、眺望を得ようと登り進むのではなく、残雪期に緩やかに続く山頂尾根の雪上トレッキングを楽しむ場所だ、という印象を今回の山行で持った。

 

只見線を利用した「三引山」登山について。

まず取付き点(登山口)は「原入峠」がベストだと思った。木賊平林道の途中から、野尻川の支流・三引沢を遡上したり、急斜面を登攀し山頂目指してショートカットするルートも考えられるが、これらは上級者向けと思われる。

そして、二次交通だが、今回採った会津川口駅から会津バスを利用し、下両原バス停での下車の一択になる。バス停から先は徒歩か、輪行した自転車になる。「原入峠」までは約4㎞だが、国道400号線から日落沢集落に入れば、野尻川などの沢音を聞きながら緑に囲まれた整備された林道を通るので、“登山・トレッキング”感覚で進められる。


今回、二等三角点を持つ「三引山」の登頂は断念したが、早いうちに再チャレンジしたいと思う。今回は『残雪期の雪上トレッキングがベスト』との印象を持ったが、次回は有葉期、平場の山頂尾根が一面に色づいているであろう紅葉期に再訪し、取付き(登山)ルートの状態や眺望などを確認し、「三引山」の“只見線百山”の適否を考えたいと思った。


15:16、水分を補給し、自転車の停車場所に向かって「原入峠」を下り始めた。

 

ヤマザクラの前を通過すると、往路の時より開いている花びらが多くなっているような気がした。

 

15:33、沢音が聞こえ始め、快調に坂を下り進むと、野尻川の支流が見えた。


15:58、自転車停車点に到着。「原入峠」から45分の所要時間で、下り坂だったが往路と5分しか違わなかったものの、想定よりかなり早く到着し『「三引山」山頂に向かっても良かったかも...』と少し後悔した。

食物を置いていかなかったため心配するまでもなかったが、自転車はクマの攻撃を受けておらず、安心した。

ここで、今回もクマとの遭遇を回避させてくれた電子ホイッスルと熊鈴に感謝し、収納した。

時間に余裕ができたため、温泉につかろうと思い、自転車にまたがり会津川口駅方面に向かった。


16:43、国道400号線沿いにある、昭和温泉「しらかば荘」に到着。

『さあ温泉に入るぞ』と思い、入口に向かうと、非情の立て看板が。村外の方の受付が、16時30分で終了になっていたのだ。スマホを取り出し公式HPを良く見ると、確かにそうなっていた。

この先、国道400号線沿いには「玉梨八町温泉」があるが、そこまで自転車で移動する気力がなくなり、路線バスの到着時刻まで、敷地内のベンチに座り時間を潰すことにした。

 

17:59、国道沿いのバス停(昭和温泉しらかば荘前)で待っていると、定刻を遅れ、会津川口駅方面行きの路線バスが姿を現した。


18:35、乗り込んだ路線バスは、私1人を乗せて快調に進み、途中で他の乗降も無く会津川口駅に到着した。駅頭には、只見行きの代行バスが停車していた。

駅舎内の窓口には、この代行バスの案内と時刻表が貼られていた。


駅前の加藤商店で買い物をした後、輪行バッグを抱えてまだ列車が到着していないホームに向かった。

 

18:50、本来は小出行きの最終となる列車が入線してきた。この列車が、折返し会津若松行きとなる。

10名ほどの客が降りた後、列車に乗り込んだ。出発までに、客は私の他1人だけだった。

19:08、会津若松行きの最終列車が、会津川口を出発。

 

車内では「三引山」登頂断念を反省しつつ、次回の登頂達成を願って缶ビールで乾杯をした。



20:55、暗闇に包まれた奥会津と会津平野を駆けた列車は、定刻に会津若松に到着。この後、1番線ホームに移動し、郡山行きの列車に乗って帰途に就いた。

 


(了)

 

 

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*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

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東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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