柳津町「馬立山」雪上トレッキング 2025年 早春

今年最初の私選“只見線百山”の検証登山は、柳津町の二等三角点峰「馬立山」(488m)。今冬の大雪で山中の積雪量に不安はあったが、雪上トレッキングの用意をして、JR只見線・会津坂本駅から「馬立山」山頂を目指した。

 

“只見線百山”は“観光鉄道「山の只見線」”のアクティビティーで、乗客増や沿線振興につながるのではないかと思い、筆者が私的に選んでいる。「只見線沿線2市6町1村(昭和村含む)の「会津百名山」「新潟百名山」に、只見線に縁のある山々を候補として挙げ、検証登山を行い、駅からのアクセスや・登山ルートやその状態・山頂などからの眺望、等を中心に確認し、その候補の中から100座を選びたいと考えている。

沿線自治体の、只見線各駅から近い会津百名山は「八十里越」を除き登頂済みで、今年は「燧ヶ岳」や「尾瀬沼」などの会津百名山や、魚沼市の新潟百名山、そしてその他の二等三角点峰を中心に登山計画を立てている。


今日登る「馬立山」(うまたてやま)は、会津坂下町との町境からわずかに柳津町寄りに位置し、会津盆地と奥会津を隔てる西部山地の北部の低山帯の中にある山だ。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/  *「色別標高図」に筆者にて「馬立山」と「▲」記入

「馬立山」は、標高488mと低いながら二等三角点が置かれている。ただ、台地のような山塊の中あるため山座同定が難しい。ちなみに、ここの三角点の本点(一等三角点)は、「鳥屋山」(580.5m)となっている。*参考:拙著「西会津町「鳥屋山」登山 2021年 秋」(2021年10月24日)

「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p960)によると、“馬立山”と記される山は、当地と山梨県大月市と都留市の境の2箇所のみで、山梨県の山は“まだてやま”と読み、標高は760mとなっている。

うまたてやま 馬立山 (高)488m
福島県河沼郡柳津町と会津坂下町の境。只見線会津坂本駅の南3km。 *出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p119)

 

今日、会津地方の天気は回復予報で、昼頃から晴れる見込みとなっていた。今冬の大雪による積雪と、ここ数日の高温での融雪でどんな山行になるか予測はできなかったが、青空の下で気持ち良く雪上トレッキングができると期待し、「馬立山」に向かった。


 

 

今朝、磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かった。中通りは天気予報通り、これから雲が抜け青空が広がるような空模様だった。

切符を購入し、1番線ホームに待機中の列車に乗り込んだ。

5:55、会津若松行きの下り1番列車が郡山を出発。

 

 

沼上トンネルを抜け会津地方に入るが青空はほとんど見えず、「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)の上部は鼠色の雲に覆われていた。


7:11、列車は終点の会津若松に到着。雪が舞っていた。

 

改札の脇には、JR東日本 会津若松エリアプロジェクト オリジナルキャラクター の「ぽぽべぇ」と、市内の障がい者支援施設で製作されたという親子の赤べこの置物が並んでいた。

構内の売店に立ち寄ると、この「ぽぽべぇ」のグッズが販売されていた。この赤べこが好きな私にとって嬉しい発見で、キハE120の前でポーズを取る彼のキーホルダーを購入した。

 

改札を通り跨線橋を渡り、橋上から向かう「馬立山」方面を眺めるが、何も見えなかった。

只見線に使用される4-5番線ホームに下りると、折返し運転となる会津川口行きが入線し、部活に行くと思われる高校生を中心に多くの客が降りた。

列車はキハE120+キハ110の2両編成で、先頭のキハE120に乗り込んだ。

今日の切符は「小さな旅ホリデー・パス」。只見駅までがフリーエリアになっているため、郡山駅から旅を始める私にとって、只見線の旅には欠かせない切符になっている。

7:41、只見線の下り列車が会津若松を出発。先頭車両は、私を含め3人で、後部は2人という少ない客数だった。

 

列車は市街地の中にある七日町西若松を経て、阿賀川(大川)を渡った。上流側に見えるはずの「大戸岳」(1,415.9m、同36座)の山塊は、雲に覆われていた。

 

会津本郷出発直後には、会津若松市から会津美里町に入った。左車窓からは、西部山地最高峰の「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)とその奥に聳える「博士山」(1,481.9m、同33座)は、薄い雲に覆われていた。

 

会津高田を出てまもなく、列車は“高田 大カーブ”で進路を西から北に変えた。西部山地を左車窓に見ながら列車が駆けて根岸を経て新鶴を出ると、平坦に見える山々の中に、少し突き出た「馬立山」を確認できた。

 

若宮手前から、閑散とした車内に陽が差した。只見線にとって客数が少ないのは喜ばしいことではないが、空いた座席に陽が落ちる雰囲気に、旅情を感じた。

会津坂下町に入り若宮を出ると、防風雪シートがまだ残っていた。これの取り外されると、会津平野に本格的な春が訪れる、と私は思うようになった。

 

8:19、会津坂下に停車。上り会津若松行きと交換をした。

ここでは、部活に行くと思われる県立会津農林高校の生徒など10名ほどが降りた。

 

会津坂下を出発し、空席の左側シート越しに外の景色を眺めた。広がる雪原と鼠色の空は、冬の旅情を感じさせてくれるものだった。そして、車窓の上には、「大人の休日倶楽部」の新しいポスターが掲げられてられていた。

20年もの間メインキャストを務めた吉永小百合さんに代わることになった竹野内豊さんが、東京駅をバッグに写っていた。来週の月曜日(3月24日)からは、氏が登場する第一弾のTVCMが、なんと只見線を含む会津を舞台とする内容で放映されるという。*参考:東日本旅客鉄道㈱「大人の休日倶楽部」CM情報「福島・会津」篇  

 

列車は、ディーゼルエンジンの出力を上げて、右に大きく曲がりながら七折峠に向かった。

登坂途上の塔寺を出てしばらくすると、列車はディーゼルエンジンの出力を抑え、ゆるやかな坂を下り始めた。そして、四連トンネル(第一花笠-第二花笠-元屋敷-大沢)を抜けると、“坂本の眺め”を通過。晴れていれば見えるはじずの飯豊連峰は、厚い雲に隠れ全く見えなかった。

 

 

8:37、会津坂本に停車。高齢のご婦人に続いて、降りた。

列車を見送った後、貨車を転用した待合室に入り、印刷してきたGoogleマップ(3D)を見て、山々の形状や尾根筋を確認した。

そして、これまた印刷してきた、自己流の経路を入力し標高断面図を載せた地理院地図を見て、「馬立山」山頂までのルートを確認した。

今回「馬立山」山頂までは、急坂は少なく、鞍部は浅く登り返しも短いことから、“登山”ではなく“トレッキング”感覚で山頂まで至れるだろう、と事前に見立てていた。


準備を終えて、貨車駅舎全体に描かれている只見線のマスコット「キハちゃん」を眺めた。曇り空の下ということもあってか、目からの錆の筋が涙のように見えた。

9:00、「馬立山」山頂を目指して、会津坂本駅を出発した。鼠色の空からは、小雪が舞い始めた。

  

駅を出てしばらく、朝立地区の住宅地の中を通った。

段々になっている田の間の緩やかな坂を上り、10分ほどで送電鉄塔の下に着いた。

 振り返って、朝立集落を眺めた。晴れていれば「飯豊連峰」が見えるのだろうかと思った。

 

道をさらに進むと舗装区間が終わりとなり、溜池(大蔵沢堤)の堤下に着いた。この先は除雪おされておらず、道は雪に覆われていた。

雪の上に乗って進み、欄干が曲がりさび付いた沢に架かる橋を渡り右に大きく曲がった。この先は、林道として整備されたようだった、近年整備されていない状態だった(このため、以下、作業道と記す)。*参考:農林水産省 林野庁「路網整備の推進

まもなく、水面に雪を載せた大蔵沢堤が見られた。

大蔵沢堤を右に、緩やかな傾斜の作業道を進んだ。

道上の積雪は浅く、一部融雪し地表が見えている場所もあったので、そのまま進んだ。

 

しかし、100mほど進むと雪にすっぽり覆われた作業道が続くようになった。小雪は、いつの間にか止んでいた。

ここで、ワカンとトレッキングポールを取り出した。雪上トレッキングの開始だ。

 

雪上を少し進むと、雪重で折れた木枝が雪面を覆った区間となった。ワカンを傷めぬよう進んだ。

しばらくすると、陽が差してきて、雪面に木々に影を落とすようになった。予報通り、天気は回復するようだった。

 

作業道の最初のヘアピンカーブを左に曲がると、崖から雪塊が落ちている場所になった。今日は気温が上がる予報ということもあり、落雪・雪崩には気を付けようと思った。

また、融雪し地表が露出している箇所が、鋭角に窪み歩きにくかった。均衡に降り積もったであろう雪が、土面で窪んでいる光景は、土の保温能力と融雪のメカニズムを考えさせられた。

この後、作業道のヘアピンカーブは地理院地図通り5箇所続き、計6箇所だった。


スギ木立の間を抜けると、積雪で両側の斜面と作業道が一体化した場所を歩いた。傾斜は緩く、雪面も適度に緩くワカンがしっかり食い込んだので、問題なく歩き進められた。

雪面に落ちた影。雪上トレッキングで見る自影は、風情があると思った。

 

2箇所目のヘアピンカーブを曲がった。

一気に高度が増したようで、歩いてきた作業道を見下せた。

 

作業道は歩き易い場所だけではなかった。雪重により根曲がりした木枝が行く手を塞いだり...、

広い融雪部分があったり、雪重による倒木が見られたりした。

 

また、地面が掘り起こされたような場所は、岩も点在し、ワカンでの歩行は難儀した。

この“掘り起こし場所”は、どう見ても自然の現象ではないような気がした。近くに動物の足跡があり、これがイノシシのものだったら、この“掘り起こし”は地中のミミズなどを食すための彼らの仕業ではないかと思った。

 

再びスギ木立の間に入ると、上方に作業道が見え、

よく目を凝らすと、ガードレールと苔むしたコンクリートの擁壁が確認できた。この作業道はトラックが往来できる規格で整備された林道なのだろう、と改めて思った。

 

3箇所めのへピンカーブを抜けた。作業道は一面雪に覆われた歩き易い状態になり、快調に進んだ。

この先、作業道がわずか上方に見られ、斜面が緩やかで登坂可能と思ったため、4箇所目のヘアピンカーブをバイパスした。

 

作業道に載り進み、さきほど視認したガードレールの場所を通過。

 

5箇所目のヘアピンカーブを抜けて進むと、規模の大きい倒木&根曲がりに出遭った。今年の雪の多さとその被害の大きさを思った。

 

最後、6箇所めとなるへピンカーブにはガードレールが設置されていて、中型のダンプぐらいはすれ違えるほど幅広かった。

カーブを抜けると、これも最後となった“根曲がり”区間となり、細い木枝が行く手を阻み、通過に難儀した。

 

10:11、ここを通り抜けると、右側が大きく開け、「飯谷山」(783m、会津百名山86座)が見えた。

 

 

作業道は傾斜が緩やかになり、スギ木立の間に入った。

木立を抜けると、直線区間となった。少し大きい動物の足跡にそってしばらく進んだ。クマのものではないことは確かだったが、何の動物か不明だった。

 

 

10:19、作業のピークとなり、スギ木立の緩やかな坂を下った。

鞍部は浅く短く、再び傾斜の緩い坂を上り進むと視界が開けた。

左の沢に目を向けると、対岸の斜面には根開きが点在し、そこに木立の影が落ちなかなか良い眺めだった。

 

標高は上がっていたが、雪面が緩い場所が続くようになり、ワカンが10㎝以上沈み込んだ。水分を含んだ雪も重く、体力を使った。

 

10:27、作業道は、綺麗に割り通された切通しとなった。

そして、スギ林に延びた。花粉は気にしないことにして、黙々と進んだ。

 

スギ木立を抜け、ほぼ直角に左折した。

すると、まもなく分岐となった。地理院地図には無い分岐だったが、どちらも目指すべき方向に延びていたため、高度をかせごうと左側を進んだ。

 

スギ林の間を、上り進んだ。

 

分岐から歩き進むこと15分、前方が明るくなった。

10:55、木立を抜け、開けた場所に出た。目の前には綺麗な雪面が広がり、その先のこんもりした山には根開きした落葉林も見られ、良い光景だった。

 

無垢の雪原にワカンを踏み入れ、左にスギ林、右に落葉林を見ながら作業道の空間を進んで行くと、ゲートのように道を塞ぐスギの倒木があった。枝の間を通り抜けるのが難しかったため、右の斜面を上って越えた。

 

 

11:00、作業道のピークが見え、まもなく到達。本来ならば、ここで作業道と分かれ、右側の平尾根に乗るところだったが、しばらく作業道を進んでしまった。

 

作業道が東に延び続けていたため『おかしい!』と思い、地理院地図とGPSを確認し、引き返して平尾根に乗った。ルートロスは5分程度だった。

尾根は、平尾根だったが、無葉で雪が載った尾根筋ははっきりと視認でき、手元の地理院地図の等高線との同位性が確認でき、進むべき方向に迷うことは無かった。

 

雪面が固くなり、ワカンが沈み込むこともなく快調に進むと、木が浮いていた。近づいてよく見ると、折れたアカマツが地表に落ちず、絡まった蔓で宙吊りになっているようだった。奇妙な光景だった。

 

平尾根を進み、小ピークに着く。先は浅い鞍部となり、形状の変わらぬ平尾根が続いていた。尾根筋は直線ではないため、これでは葉が生い茂るとルートロスする可能性があると感じた。

 

平尾根には、融雪した箇所もあった。

 

平尾根は続く。前方に進むべき尾根を確認しながら歩みを進めた。

 

雪面はわずかに緩く、足を取られるほど沈み込むことは無かった。気持ちよく雪上トレッキングができた。

 

進路が変わる尾根も、事前に見え安心できた。積雪期のトレッキングの安心感を再認識した。

 

11:32、ほどよい陽光の下、快調に進んでゆくと、視界に“毛モノ”が横切った。そこそこ大きく、『クマかっ!!』と血の気が引くのを感じながら、カメラをズームにして、その“毛モノ”を追った。

そして、よく見ると、足先に細く、顔も尖っていた。クマではなく、イノシシに違いないと思い、人心地ついた。

先に進み、その“毛もの”が歩いたと思われる場所に行くと、足跡があった。2つの爪が目立っていることもあり、“毛もの”がイノシシであることが確定した。冬眠しないイノシシは、餌を求めて山中探索をしていたのだろうと思った。

山中でクマの存在を意識すると緊張が高まるが、この場はイノシシであることが確定。落ち着きを取り戻し、雪上トレッキングを再開した。

 

しばらく進むと、小ピークを越え、次の小ピークに到着。尾根筋が右(南南西)に折れ、やや深い鞍部く長い鞍部が続いた。

 

鞍部から登り返し、こんもりとした小ピークに到着。その後は、やや右に折れて平尾根を進んだ。

 

途中何度も、イノシシを中心に動物の足跡を認め、時にそれを追うように進むこともあった。

 

雪面は、かなり融けているような場所も多くなり、場所によっては20㎝ほどワカンが沈み込むことがあった。

 

11:55、左側が開け、会津盆地の一部が見えた。

そして、カメラをズームにすると、学校のような建物が確認できた。スマホのGoogleMapで確認すると、会津若松市立北会津中学校だった。

たがこの先は木枝に阻まれ、眺望は無かった。葉が繁れば、麓の風景は全く見えないような植生だった。

 

少し進むと、T字の尾根になった。

今日のような積雪期ならば、尾根筋がはっきりと見え分岐で迷う事はないが、有葉期ならば平尾根だけにルートロスの可能性が高くなる場所だと思った。「馬立山」を“只見線百山”とするならば、道案内板が必要だと思った。

 

山中にも、雪重で折れたと思われる木が見られた。折れた部分の生々しさから、今年の大雪の被害であることは間違いなかった。

 

T字尾根を左に進み、しばらくすると右前方にピークが見えた。位置的に「馬立山」だった。

 

平尾根を、根開きを避けながら進んだ。陽光を受け、雪上を進むのは気持ちが良かった。

前方に鞍部が見え、その先が右に折れる急な登り返しだった。

登り返しの急坂は、滑り落ちないよう慎重に進んだ。

 

12:10、登り終え、ピークに乗った。地理院地図を見ると、ここは「馬立山」東側のピーク’(標高481m)だった。

ピークの東端からは、木々の間に会津平野が見え、

ほぼ正面に「磐梯山」も確認できた。結果、ここが、最良の眺望ポイントだった。

 

481mピークから、西に向かった。

少し進むと、少し尖ったピークが見えた。「馬立山」山頂のようだった。

 

見えないが、地理院地図であたりを付け町境を越えて柳津町に入ると、こんもりとした「馬立山」山頂が迫ってきた。

少し近づき、山頂を凝視すると、ピンクテープが2本の枝に、それぞれ巻かれていた。

 

 

12:17、厚い雪に覆われた「馬立山」山頂に到着。会津坂本駅から約3時間掛かった。

山頂からの眺望は、360度木枝に覆われ、ほとんど無かった。葉が繁れば、眺望は皆無といった植生だった。

 

南側の眺望。

今日は木枝の間から、「明神ヶ岳」を見ることができた。

北側の眺望。

 

眺望を確認後は、三角点標石に触れたいと思い除雪をしてみた。GPSの精度は3mなので三角点の位置を確認しながら雪を除けてみた。


除雪を始めて17分。スコップの先が固いものを突いた。手で雪を除けてみると、西瓜大の石が出てきた。

『これはおそらく、三角点標石を取り囲む丸石だ』と思い、周囲を探ってみた。

 

大石を見つけてから16分、頂方向に向けて雪を除けたり、地表と雪の間にスコップを突っ込んだりとしてみたが、結局標石は表れなかった。

結局、二等三角点に触れることはあきらめ、標石を囲っているであろう大石に指を置いて「馬立山」登頂を祝った。

 

13:10、「馬立山」から下山を開始。会津柳津駅に向かうため、西側の斜面を下った。

 

事前に想定したルートを確認せず、一目散に八坂野川の支流の沢方面に下るが、『沢の先は、急に切れ落ちたりする場合がある』という考えが頭に浮かび、地理院地図を確認。この先の等高線の間隔は徐々に狭くなっていたため、想定ルートとなる斜面の上端に登り返し、尾根手前の斜面を先に進んだ。

振り返って、「馬立山」を眺めた。私が辿ったルート側の方が、山らしい稜線が見て取れると思った。

 

斜面を進みピークの端に立つと、前方にこれから向かう細八地区の田園であろう、雪原の一部が見えた。

このピークの先は、急坂の痩せ尾根になった。融雪した箇所は避け、慎重に下った。

急坂はやがてゆるやかな傾斜と変わり、平尾根になった。

 

そして短い肩部を過ぎると、右側が切れ落ちた場所をとなったが、一部雪庇となっていて、底が空洞の場所もあり、雪を踏み抜かぬよう慎重に進んだ。

  

やがて、尾根は突端となった。ここから右斜面を下り、地理院地図に記された作業道を探した。

すぐに、作業道の空間と思われる場所を見つけ、そこに乗って進んだ。

少し進むと、右下に沢が見えた。

 

13:44、沢に近づき、沢沿いを少し下ると、雪塊が載った橋と思われる場所に到着。

柳津町八反野と大野新田を結ぶ広域農道のようで、大野新田方面に向かい道路の空間が続いていた。

 

橋に乗り、沢の上流側を眺めた。低山の中であっても、これから豊富な雪融け水が八坂野川を経由して、只見川に注ぎ込むのだろうと思った。

 

広域農道を北に進むと、まもなく舗装面が露わになった。除雪されたようだった。ワカンを取り外して進んだ。

また少し進むと、只見川の支流・八坂野川が見え、しばらく水音を聞きながら進んだ。

 

舗装道を進むこと約20分、前方が大きく開けた。

さらに進むと、眼前に細八地区の田園を覆う雪原が見えた。この雪原を右に見ながら直線の舗装道を進んだ。

途中、振り返って案内板を見た。

 

さらに広域農道を進み細越集落を抜け下り坂を進んでいると、前方に只見線の細越街道踏切が見えた。

細越踏切を渡ると、国道252号線にぶつかり左折した。

 

14:34、下山開始から1時間20分ほどで、会津柳津駅に到着。

「馬立山」登山を終えた。

下山ルートは一部急な斜面を進む事になったが、全体的にまずまずの雪上トレッキングを楽しむ事ができた。

「馬立山」は二等三角点峰だが、山頂とルート上での眺望は得られず、この点では魅力は無かった。ただ、低山で、位置的に会津坂本駅~「馬立山」~会津柳津駅のトレッキングが可能という点を考え ると、“只見線百山”としては及第という感想を持った。

 

登山(トレッキング)ルートは、今回は降雪期で藪の状態が不明な点があるが、尾根が平尾根が続くということで、「馬立山」は降雪期の雪上トレッキングが道迷いの可能性も低く良いのではないかという印象を持った。

 

「馬立山」は、会津盆地北端の低山帯にまぎれ、麓からも山座同定が難しい山ではあるが、そんな山でも「鳥屋山」を本点(一等三角点)とする二等三角点を設置するに至った選点者(旧陸軍陸地測量部)の決定に思いを馳せる楽しみがある山だ、とも今回の山行で思った。

  

今日は、雪上トレッキング後の汗を流そうと、温泉に向かった。駅から緩やかな坂を下り、「福満虚空蔵尊 圓蔵寺」を見上げながら

 

会津柳津駅から歩くこと10分ほどで、「つきみが丘町民センター」に到着。

受付で入浴料400円を支払い、浴室に向かう。先客は10名ほどで、賑わてっていた。

柳津町「つきみが丘町民センター」温泉の主な特徴
・源泉名:新柳の湯
・泉質:ナトリウム・カルシウムー塩化物温泉(等張性弱アルカリ性高温泉)
・泉温:56.3℃
・pH:7.8 

 

浴後は休憩所の自販機で缶ビールを購入し、「馬立山」登頂を祝った。無事登頂し、温泉に浸かって陽を受けながら呑むビールは、格別だった。

 

「つきみが丘町民センター」を出て、途中、名物「あわまんじゅう」と「大栗まんじゅう」を求め「いなばや菓子鋪」に立ち寄った。

 

16:10、会津柳津駅に戻ってきた。

さっそく、「あわまんじゅう」を食べた。「いなばや菓子鋪」のつぶあんは風味よく適度な甘さで、やはり旨かった。

そして、「大栗まんじゅう」。私が今まで食べた中ではNo.1の饅頭と思っているが、やっぱり旨かった。

栗の大きさとしっとり感を残した柔らかさ、その栗を包むしっとり皮と適度な甘さの白あん、それぞれの個性が隠れず調和、改めて素晴らしい逸品だと思った。

 

列車の到着時刻が近づき、ホームに行くと、まもなく先頭が旧国鉄色のキハE120の2両編成が入線してきた。

列車が停車すると、多くの客が降りた。ツアー客のようで、駅頭につけられたバスに乗り込んでいった。客層は中華圏のインバウントが大半だったが、欧米人の家族もいた。

16:27、只見線会津若松行きの上り列車が、会津柳津を出発。車内はツアー客が降りても4割ほどの乗車率だった。

 

次駅・会津坂本の手前で、朝立集落越しに「馬立山」方面の山並みが、雲一つ無い青空の下に見えた。

列車は減速し会津坂本に停車。「キハちゃん」は陽光を浴び、笑顔が際立って見えた。

会津坂本を出た後に通過した“坂本の眺め”からは、うっすらと飯豊連峰が見えた。*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山  https://tif.ne.jp/yamafuku/mt30/18.html

 

“七折越え”を終えて会津平野に入り、東側を見ると「磐梯山」方面には雲が掛かていた。

そして右車窓から見える西部山地は陽が傾いている こともあり、「明神ヶ岳」の稜線がくっきりと浮かび、その奥(南)には西陽を受け朧げな「博士山」が見えた。

 

列車は、会津高田手前の“高田・大カーブ”で左に大きく曲がり、進路を南から東に変えた。

 

会津本郷を出て大川(阿賀川)を渡ると、朝は見えなかった「大戸岳」山塊が上流側に良く見えた。

 

七日町では、前方に山頂の突端だけを雲に隠した、「磐梯山」が大きく見えた。

17:24、列車は終点・会津若松に到着。

この後、磐越西線・郡山行きの列車に乗り換える予定だったが、久しぶりに「ラーメン金ちゃん」の餃子が食べたいと思い、改札を抜け駅前のフジグランドホテル1階に向かった。

 

店に入りカウンター席に座り、さっそく餃子を注文。瓶ビールを呑みながら待っていると、見慣れたふっくらした餃子が運ばれてきた。

「ラーメン金ちゃん」の餃子は、やはり旨かった。野菜の存在が際立つ餡ともっちりとした皮は、無二のバランスと味で、私好みだ。

 

〆のラーメンは、味噌タンメンにした。太めの縮れ麵にほどよい風味と濃厚さをもったスープが絡まり、旨かった。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・


*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の春-

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金

・只見線応援団加入申し込みの方法

*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

以上、宜しくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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