全線乗車(小出⇒会津若松) 2025年 冬

東京から郡山に戻る鉄路をJR只見線経由して、小出~会津若松間(135.2km)を全線乗車した。

*参考: 

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」  

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)


 

 

今朝、宿から大宮駅に向かった。上空には雲一つない青空が広がり、空気は乾き、福島とは違った冷気を感じた。

6:52、高崎線・高崎行きの列車に乗り込んだ。

 

高崎駅で水上行き、水上駅で長岡行きに乗り換え、JR最長の新清水トンネル(13,490km)を抜け新潟県に入ると一面の銀世界に変わった。

 

 

11:12、小出に到着。昼食を摂ろうと改札口を出て、市街地へ向かった。県道371号(堀之内小出)線の小出橋を渡る際、只見線の4番・5番線に待機している列車が見え、ホームにはその列車を撮影する客の姿があった。

4番線の2両編成が私が乗る13時12分発、5番線のキハ110の東北本部色の1両編成が16時12分発、それぞれ会津若松行きだった。

 

小出駅から歩いて20分ほどで、「丸川屋」に到着。

2度目となる今回は、味噌ラーメンの中盛とライスを注文。ライスが丼ぶりで提供され『多いかな...』と一瞬思ったが、魚沼産コシヒカリは、炊き具合、香り、味ともに絶妙で一粒のこらず完食できた。

コーンが載った王道の見た目の味噌ラーメンは、スープはトロトロ濃厚で、中太の縮れ玉子麺にしっかりと絡んだ。チャーシューが刻まれたと思われる野菜炒めも甘く軟らかく、調和した旨さだった。

 

「丸川屋」を後にし、途中、コンビニと駅前の「冨士屋」で買い物をして小出駅に戻った。そして、12時40分過ぎに只見線の4ー5番線ホームに向かった。ホームには、すでに10名ほどの客が並んでいた。

 

列車の出発時刻が近付いてくると、4箇所の扉の前の列は延びた。私は後部車両の前扉に、2人の前客に続いて並んだ。扉が開く頃には、私の後ろに3人続いていた。

12時50分頃乗車可能となり、開扉ボタンを押した前客に続いて列車に乗り込んだ。

 

今回の旅は、この冬から変わった「青春18きっぷ」を使った。

 

 

13:12、会津若松行きの列車が小出を出発。まもなく「魚野川橋梁」を渡った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

魚野川の流れを見た後、まずは新潟限定の生ビール「風味爽快」で“呑み鉄”開始。

 

車窓に目を向けると、雪の上に立ちカメラを構える“撮る人”の姿が、ちらほら見られた。

 

藪神を出て、「第一破間川橋梁」を渡った。

 

越後広瀬を出ると、右車窓には広大な雪原が広がった。

 

魚沼田中を出てまもなく、「大倉沢橋梁」を渡った。*破間川は東北電力㈱薮神発電所・ダムのダム湖

 

越後須原を出発すると、「第二破間川橋梁」を渡った。

ここで小出駅前の「富士屋」で購入した、越後の酒を呑む事にした。今回選んだのは「高千代 しぼりたて生原酒」(高千代酒造㈱)。

“県内限定”に惹かれ、迷わず手にした。

「高千代」、旨かった。香りは若く、ほのかに酸味が感じられた。車窓を流れる真っ白な雪化粧をツマミに、どんどん呑んでしまった。


上条を出た列車は、「鷹待山」を捲くように右に大きく曲がった。

  

入広瀬を出ると「第三破間川橋梁」を渡った。

その後2kmほど駆けた後、列車は同じ破間川に架かる「第一平石川橋梁」を渡った。この間、列車内からは見えないが黒又川との合流点を過ぎ、破間川はこの合流点から上流域が平石川と呼ばれていたため、橋梁名に名残がある。

続いて、「第二平石川橋梁」を渡った。

そして、「第三平石川橋梁」、

「第四平石川橋梁」とたて続けに渡った。上流側両岸の木々が美し新雪を纏い、見ごたえある眺めだった。

 

13:56、大白川に停車。駅に並行して流れる破間川は水量が少なく、雪を載せた川床の石が多く見られた。

  

大白川を出ると、破間川の支流・末沢川を右に見ながら、「第五平石川橋梁」を渡った。

車内の混雑は変わらず、小出駅から乗車した大半の客は「六十里越」を越えて福島県に行くようだった。

 

列車は、国内有数の豪雪地帯である“六十里越”進んだ。新雪が末沢川の狭隘な渓谷を覆い、「第二末沢川橋梁」を渡る際は、右車窓からなかなかよい風景が見られた。

「第六末沢川橋梁」を渡り、右に並行する国道252号線の茂尻橋には欄干越える積雪があった。

国道252号線六十里越区間(福島県南会津郡只見町大字石伏~新潟県魚沼市末沢)は例年降雪期通行止めになり、今年は昨年12月2日(月)午前9時から実施され、以来除雪されていない。


「第八末沢川橋梁」を渡った。

末沢川に架かる16本の鉄道橋からの眺めは、福島県側と明らかに違う点で、“観光鉄道「山の只見線」”の多様性を感じさせてくれ魅力的だ。しかし、“六十里越”は登坂(上り列車)・下り(下り列車)の双方でスピードが出ていて、車窓から景色をゆっくり見られないのが残念で、今回もそう思った。

  

「第十四末沢川橋梁」を渡り、毛猛平踏切を過ぎると保線小屋の平屋根には、2mにせまるほどの雪塊が載っていた。

 

 

列車は「第十六末沢川橋梁」を渡った直後に只見線最長の「六十里越トンネル」(6,359m)に入り、新潟県魚沼市を後にした。

 

「六十里越トンネル」のほぼ中間点で新潟県から福島県に入り、登坂を終えた列車はディーゼルエンジンの出力を落として8分ほどでトンネルを抜け、只見沢を渡り福島県南会津郡只見町に入った。降雪量は新潟県側とほぼ同じで、こちらもまっしろな新雪が川床や山の斜面を覆っていた。

 

田子倉駅跡が残るスノーシェッドを潜り抜け「余韻沢橋梁」を渡った。“只見沢入江”の先、電源開発㈱田子倉発電所・ダムの田子倉(ダム)湖の中心部は、雪で霞んで良く見えなかった。

 

「田子倉トンネル」、「第一赤沢トンネル」、「第二赤沢トンネル」とたて続けに抜けて、右車窓から振り返ると電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐ゲートが見えた。晴れていれば見える、その奥にある谷間を塞ぐ田子倉ダムはほどんど見えなかった。

 

 

只見地区の市街地が見えてくると、列車は減速した。

 

14:25、只見に停車。雪は、はらはらと落ちていた。

駅舎には、柔らかそうな雪がこんもりと載っていた。

 

14:35、只見を出発。まもなく、田んぼを覆った綺麗な雪面が右車窓に見えた。

  

入叶津集落が現れ、民家の大屋根越しに「蒲生岳」(828m、会津百名山83座)が、“会津のマッターホルン”に相応しい山容を見せていた。

そして、列車は只見線最長(372m)の「叶津川橋梁」を渡った。

 

会津蒲生を出ると、会津塩沢手前で「第八只見川橋梁」を渡った。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

 

そして、列車は滝トンネルを抜けて金山町に入った。

会津大塩を出ると、上流側に町道の四季彩橋(中路式ローゼ橋)を見ながら「第七只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱本名発電所・ダムのダム湖

 

会津横田会津越川を経た列車は、本名トンネル手前で、只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過。

 

本名トンネルを抜けた直後に、「第六只見川橋梁」を渡った。上流側に建つ本名ダムはゲート2門を開放し、勢いよく放流していた。


  

本名を出発ししばらくすると、「第五只見川橋梁」を渡った。緩く蛇行し川幅が広い上流側の水面には、周囲の景色が映り込んでいた。*只見川は、東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

この後只見川の右岸縁を進んだ列車は減速し、野尻川を渡ると、交換待機する下り列車とカメラを構える方々が見えた。

15:25、会津川口に停車。向かい側に停車する小出行きの車内も、両車両とも賑わっていた。

 

15:35、会津川口を出ると、左車窓から只見川に突き出た大志集落を眺めた。*只見川は上田ダム湖

 

会津中川を出て、会津水沼の手前で「第四只見川橋梁」を渡った。下流側の水面の水鏡は冴え、空模様も映していた。*只見川は東北電力㈱宮下発電所の調整池・宮下ダムのダム湖

 

細越拱橋を渡った後に三島町に入った列車は、早戸に停車。 ホームの目の前に広がる只見川(宮下ダム湖)の水鏡には、活火山「沼沢」の内輪山の北東斜面が綺麗に映り込んでいた。

 

早戸トンネルと滝原トンネルを立て続けに潜り抜けた列車は、「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

  

宮下ダムの脇、宮下発電所の背後を駆けた列車は会津宮下を経て、会津西方手前で「第二只見川橋梁」を渡った。

そして、会津西方を出て名入トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。

右車窓側に移動し、上流側の駒啼瀬渓谷の右岸上方にある送電鉄塔に向けてカメラをズームにすると...、

「第一只見川橋梁ビューポイント」のCポイントとDポイント(送電鉄塔直下)には、こちらに向けてカメラを構える“撮る人”の姿が見られた。

 

 

“第八”から“第一”の橋梁区間を終えた列車は会津桧原を経て、滝谷手前で「滝谷川橋梁」を渡り、柳津町に入った。

 

郷戸を出ると、“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)は、弱い西陽を受け山容を表していた。


会津柳津を経て会津坂下町に入った直後に列車は、貨車駅舎(待合室)が只見線カラー(JR東日本 東北本部色)と只見川を表す水色に塗られた会津坂本に停車。

 

会津坂本を出て七折峠に突入した列車が登坂を終え塔寺を出ると、木々の間から会津平野が見えた。

 

 

“七折越え”を終え、列車は左に大きく曲がりながら会津平野に滑り込んだ。

 

会津坂下を出て東から南に進路を変えた列車は、若宮を出て会津美里町に入った。そして、新鶴根岸と進んゆくと、どんどんと暮れ始め、西部山地は落ちた西陽で黒く浮かび上がっていた。


この後、列車は“高田 大カーブ”で再び東に進路を変え、会津高田を経て会津本郷直前に会津若松市に入り、西若松七日町と夕闇の中を順調に駆けて行った 。

 

 

17:24、終点・会津若松に到着。只見線全線乗車の旅が終わった。

 

この後私は、磐越西線の列車に乗り換え、無事に郡山に戻った。今回19回目を迎えた「ビッグツリーページェント」は、西口広場を煌びやかにしていた。

  

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

 ・福島県:只見線ポータルサイト

・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線

・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の冬- / -只見線全線乗車-

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

以上、宜しくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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