乗り納め(三島町「早戸温泉 つるの湯」) 2024年 年末

2024年のJR只見線の“乗り初め”は、「玉梨温泉」(金山町)だった。『乗り納めも温泉』と思い、「早戸温泉 つるの湯」を訪れようと三島町に向かった。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

 ・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬ー / ー只見線沿線の温泉/観光スポット

 

 


 

 

今年は只見線沿線の大雪の訪れが早く、JR東日本が今月22日(日)には列車の遅れや運休の可能性を発表した。そして、クリスマスイブ(24日)には“会津越川‐本名間で除雪用車両が故障し”、“大白川‐会津川口間で除雪が進まず”、上下線の列車6本が運休し、乗客約160人に影響したという。*下掲記事:福島民報 (上)2024年12月22日付け紙面、(下)2024年12月25日付け紙面 

さらに、大雪の影響は続き、帰省客の利用が見込まれる28日と29日にも運休や遅れの可能性が発表され、実際28日(土)に上下線7本が運休し、内1本が4時間近く遅れるという事態になった。*下掲記事:福島民報 (上)2024年12月28日付け紙面、(下)2024年12月29日付け紙面 


今回の只見線の乗り納め乗車は、当初29日を予定していたが、この情報を受けて天気が回復する予報だった今日に変更した。

 

しかし、今朝6時頃、只見線の会津若松発小出行きの始発列車(6時8分発)は無事に運行されたのだろうか?、と思い8時過ぎにJR東日本の「運行情報・運休情報」を確認すると、なんと只見線の欄に“×”が表示されていた。除雪作業が進まず会津若松~大白川間で運転を見合わせている、との事だった。この始発列車は運休となったようで、只見線全線乗車の旅を予定していた客は途方にくれただろう、と思った。

ただ、遅れがあるものの、会津若松~会津川口間では運行されているようで、予定通り自宅を出て郡山駅に向かった。


駅舎上空には青空が広がっていた。

切符を購入し、改札を通り1番線に停車中の快速「あいづ」号に乗り込んだ。

座席について、再び只見線の運行情報を確認すると、乗車予定の会津若松13時5分発(小出行き)が時刻表通り運行されるということで、ホッとした。

10:15、会津若松行きの快速「あいづ」号が郡山を出発。

 

 

11:21、途中猪苗代で、観光客と思われる多くの客を降ろし、列車は定刻に会津若松に到着。駅舎上空には青空が広がり、気温も高く、周辺に積雪がわずかに見られるだけだった。

改札脇の“ぽぽべぇコーナー”には、手作りの“段ボール赤べこ”が置かれていた。多くの帰省客や観光客を出迎えるために会津若松駅スタッフが用意したものだろうと思った。

 

駅近くのスーパーで買い物をしてから、只見線の4-5番線ホームに向かった。列車の発車時刻まで40分以上の時間があったが、小出行きの始発列車が運休となったため、“只見線全線乗車の客”がこの列車に集中するだろうと思い、早く並んでおこうと思った。

ホームから北の車庫がある方を見ると、只見線の列車(キハE120形、キハ110系“只見線ラッピング”)が停車していた。列車の運休があったためか3編成もあり、いつもと違う光景だった。

 

しばらくすると、ホームには客の列ができ、時間の経過とともに延びていった。『並んでいて正解』と独り言ちた。

 

ホームに着いて30分を過ぎた頃、列車が4番線に入線してきた。キハE120形の2両編成だった。

列車が停車し、扉が開かれるとBOX席から席が埋まり、発車時刻までにはロングシートの空席もわずかになった。

 

13:05、小出行きの列車が会津若松を出発。両車両ともほとんどの席が埋まり、立ち客の姿も見られた。

 


列車は七日町西若松でも客を増やし、大川を渡った。上流側には「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)の山塊が良く見えた。

 

会津本郷を出発直後に、会津若松市から会津美里町に入った列車は、雪原となった田園の間をしばらく進んだ。そして、会津高田手前で宮川を渡ると、上流方面に伊佐須美神社の“遷座三峰”で、会津盆地の西部山地の最高峰「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)と、左(南)奥に「博士山」(1,481.9m、同33座)が見えた。*参考:岩代国一之宮・会津総鎮守「伊佐須美神社」御由緒・歴史

 

“高田 大カーブ”で西から北に進路を変えた列車は、雪原となった田園の間を駆け、途中根岸新鶴で停発車を繰り返した。田には、西からの吹き降ろしを軽減する木組みの防雪柵が見られた。

この後、列車は若宮手前で会津坂下町に入り、会津坂下に停車し列車(会津川口発)の交換を行った。

 

会津坂下を出た列車は、七折峠に入り塔寺を経て、登坂を終えて会津坂本に停まった。発車直後に見えた貨車駅舎に描かれた「キハちゃん」が、変わらぬ満面の笑みを見せていた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg

 

柳津町に入った列車は、今年、駅舎のリノベーションをして「柳津町会津柳津駅舎情報発信交流施設」(愛称「あいべこ」)に生まれ変わった会津柳津に停車。廃ホームに立つ「只見川ライン観光協会」の立て看板が、リニューアルされていた。

横長の看板は左(北)から、柳津町が春の「福満虚空蔵尊 圓蔵寺」、三島町が夏の只見線「第一只見川ビューポイント」、金山町が秋の「大志集落ビューポイント」、昭和村が落葉期の「喰丸小の大イチョウ」、そして只見町が冬の只見線「第八只見川橋梁」を渡る列車、それぞれの写真が使われていた。

会津柳津駅は、只見線の一部区間に乗車するツアー旅行で、大型バスの発着点として使用されることが多く、この立て看板は大きな効果が期待され、更新されたのだろうと思った。

 

会津柳津では、前後車両で10名を超える客が降り、車内には少し余裕が生まれた。

 

滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

  

 

会津桧原を出て、桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。

上流側、駒啼瀬右岸上方にある「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上段Dポイントとその下のCポイントには多くの“撮る人”が居て、こちら(列車)に向けてカメラやスマートフォンを構えていた。

 

会津西方を出発直後には、「第二只見川橋梁」を渡った。

 

会津宮下を出て、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を駆けた列車は、「第三只見川橋梁」を渡った。

  

 


14:40、列車は定刻からわずかに遅れ、早戸に到着。先頭車両に向かい、運転手に切符を見せてホームに下りた。

駅からは、既に到着していた送迎車に乗り込んだ。日帰り温泉と湯池棟利用客は、2日前までに連絡すれば無料で早戸駅~「早戸温泉 つるの湯」間を送迎してくれる。

 

送迎車に乗り込んで、5分とかからず「早戸温泉 つるの湯」に到着。駐車場は混雑し、自家用車で訪れた多くの客が出入りしていた。

  

早戸温泉の源泉を利用している施設はここ「つるの湯」(日帰り温泉棟、湯池棟)だけで、豊富な湯量をもとに源泉掛け流しの新鮮な温泉が堪能できる。只見川沿いの良好なロケーションということもあり、只見線沿線屈指の人気を誇る立ち寄り湯になっているということで休日を中心に多くの客が利用している。

【早戸温泉 つるの湯】*出処:温泉分析書(環分福第08107号)
・源泉名:早戸温泉源泉
・湧出地:三島町大字早戸字湯ノ平854番地の1
・泉温:52.9℃
・湧出量:192.7Ⅼ/min (動力揚湯)
・水素イオン:pH 7.0
・泉質:ナトリウム-塩化物温泉(低張性中性高温泉)
*弱塩味無臭で褐色沈殿物あり

 

温泉には男女別の内湯と露天風呂があり、露天風呂からは只見川(宮下ダム湖)を見下ろせ、眼前には活火山「沼沢」の北東壁が聳え立つ。そして、只見川右岸の上に立ち並ぶ小さな三更集落が木々の間から姿を見せている。

私は到着後に券売機で一日券を購入し、さっそく浴室へ。ゆっくり露天風呂に浸かり、休憩室で休んだ後、帰り際にもう一度湯に浸かり、一年の疲れを癒した。 

 

 

19時過ぎ、会津若松行きの最終列車(19時26分発)に乗るため、送迎車で早戸駅に送っていただいた。

 

19:24、只見方面から列車の灯りが見えず、国道252号線を行き交う車のヘッドライト以外に、いっこうに暗闇に光は差さなかった。そこで『まさかっ‼』と思い、スマホでJR東日本の運行情報を確認すると、落雪の影響で只見~会津若松間の上り線の一部列車に遅れが出ている、との事だった。

今日は天気が良く、降雪による列車の遅延は無いと思っていたが、気温上昇による落雪は頭に無かった。

19時40分頃からは、駅構内の柱に監視カメラとともに取り付けられたスピーカーから列車の遅れを伝えるアナウンスが流れた。その後数度同じ内容で放送があったが、列車の遅れが〇分になるかは伝えられなかった。

現状、只見線は会津川口~大白川間で列車の交換ができないため、早戸駅を18時30分に出た小出行きの下り列車との兼ね合いで、私は列車の遅れは1時間以上になるだろうと考えた。

 

無人駅・早戸周辺には何も無く、「早戸温泉 つるの湯」も20時で営業終了になるため、待合室で待つことした。暖房は無かったが、今夜は凍えるほどの気温ではなかったため、何とか耐えられた。

待合室の中では、列車や自家用車で訪れた方々の感想が書かれた、備え付けのノートを拝見した。早戸駅は“秘境駅”としても知られているため、この駅を目的に訪れた方の書き込みが多く見られた。

 

20:35、予定発車時刻から1時間を超え『いつになるのだろう⁇』と寒さに震えが出始めた頃、会津若松行きの列車が静かにホームに滑り込んできた。1時間10分ほどの遅れだった。

列車のヘッドライトの強い光にも気付かず、スピーカーからのアナウンスも無かったので、私は突然現れたキハ110に驚いた。同時に、『カメラでここに客がいるのは分かっているのだから、せめて、遅れております上り列車は会津川口駅を出ました』ぐらいは知らせて欲しかったと、JR東日本の対応に不満を募らせた。

 

私は、急ぎ荷物を抱え待合室を出て、単行(1両編成)の列車に飛び乗った。そして、暖房の効いた車内で、やわらかい椅子に座り人心地ついた。車内は暗闇の中を走る最終列車ということもあり、空いていてた。

 

 

 

22:01、早戸を出た列車は、大幅な遅れを取り戻すかのように快調に駆け、奥会津から七折峠を越えて会津平野に入り、会津若松に到着した。列車は、折り返し会津川口行きになるようで、全ての客が降りると、すぐに新たな客が乗り込んた。

予定では、この後に磐越西線の列車に乗り換えて自宅のある郡山市に帰るところだが、それはできなかった。磐越西線の郡山行きは、会津若松21時01分発が最終で、1時間前に出発してしまっていたからだ。

観光地・会津若松と県内一の都市である郡山を結ぶ列車の最終列車が、21時台というのは首をかしげざるを得ないダイヤで、『22時に会津若松にいて、なぜ郡山に帰られないんだ⁉』とまたしても思ってしまった。 

 

この後、私は只見線の列車の中から予約した駅前の宿に泊まり、明日大晦日の朝に郡山に帰ることになり、私の2024年の只見線の乗り納めは、このような顛末で終えた。


 

今年、全線運転再開から2年を迎えた只見線と鉄道を取り巻く社会環境には、様々なことがあった。

まず朗報は、只見線の乗客が“1日100人の目標を達成”したこと。*下掲記事:福島民報 2024年7月20日付け一面 *筆者にて只見線の記事以外、モザイク加工

福島県が保有している運転再開区間(会津川口~只見)の目標で、“1日100人”とは少ないと思われるかもしれないが、運休前(2011年7月より前)に比べれば大幅に増加している。


この目標達成もあってか、全線運転再開から2年を迎える10月1日を控え、地元紙が『地方創生の進路』として前向きな特集を組んでいた。

9月30日には“知名度 今や全国区”として誘客効果が表れているとし、翌10月1日には“本数増へ 訴え切実”として、さらなる集客に向けて、只見線の生活利用と観光需要に対して列車の本数増が必要が必要であると記されていた。*下掲記事:福島民報 (右)2024年9月30日付け、(左)同10月1日付け紙面 *筆者にて一部モザイク加工

 

しかし、明るい話題だけではなく、コロナ禍の利用者激減でJR各社が一斉に問題提起した、経営に大きな影響を与えている赤字路線問題に関連して、10月30日の地元紙では、JR東日本が2023年度の管轄路線の収支を発表し、福島県内の路線の赤字区間は拡大し、只見線も例外ではないことが伝えられていた。*下掲記事:福島民報 2024年10月30日付け紙面 *赤枠、赤傍線は筆者にて記入

また、福島県が保有する只見線の一部区間(会津川口~只見、27.6㎞)については、年間維持費が当該区間の“古さ”から大きく膨らみ6億円を超え、国の制度を利用し県の支出を4割ほど抑えるという報道もなされていた。*下掲記事:双方とも2024年12月18日付け一面(筆者にて只見線の記事以外、モザイク加工) (左)福島民友新聞 *赤傍線は筆者にて記入  (右)福島民報 

この維持費については、朝日新聞の福島版で『誘致効果 のしかかる維持費』と題し、只見線全線再開2年の実情を伝えていた。*下掲記事:朝日新聞 2024年10月2日付け紙面


 

只見線の維持費が当初の年間2.1億から6億円に跳ね上がったのには驚いたが、開業から53年を経て、その間11年もの運休期間があった事を考えれば、致し方無いとも思える。そもそも只見線は、この維持費を“投資”として、沿線や福島県全体に観光面での経済効果や交流人口増大をもたらすことを期待して復旧された。

まだ、この“投資”は種蒔き・水やりの段階で、小さな芽(“1日100人達成”)が出始めたばかりだと私は思っている。“投資”の効果が厳しく問われるのは、まず全線運転再開から区切りの5周年を迎える、2027年が最初だとも思っている。

“投資”の効果を認知してもらい、その先も続く公費投入について県民やマスコミから一定の納得を得るためには、やはり、早急に只見線に専用の観光列車を導入し定期運行させる必要がある。


しかし、県の計画では現状“オリジナル観光列車の導入は2028年秋”、つまり全線運転再開から6年後に設定されている。*下記事出処:上掲の福島民友新聞と福島民報の一面から抜粋

しかも、2028年とは、福島県とJR東日本が只見線復旧を決定し基本合意書に調印(2017年6月19日)してから11年もの年月が経っている。


福島県には、この2028年を最低でも1年前倒しし、“全線開業5周年”を迎える2027年までに観光列車を導入する努力をして欲しい。

例えば、JRからキハ40を格安、もしくは無償で譲渡してもらい、改造し観光列車にするのであれば支出は大幅に抑えられるだろう。20年、30年という耐用年数にこだわらず、『まずは10年持つ観光列車を定期通年運行させ、できるだけ早く“観光鉄道「山の只見線」”との認知を定着させる』と割り切り、観光列車の導入を急いで欲しい。

 

来年2025年は、只見線への維持費支出は観光路線化の投資、という県民の理解がより深まり『観光列車の早期導入!!』という声の広がりと『県に観光列車導入前倒しの兆し』が見られることを期待したい。

私も、“観光鉄道「山の只見線”の周知や、認知定着のために列車に乗って沿線の魅力を発信してゆきたいと思う。


 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html[寄付金の使途] (引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

0コメント

  • 1000 / 1000