只見町「M.O.C. カヤック体験 田子倉湖」 2024年 秋

「M.O.C. カヤック体験 田子倉湖」に参加するため、JR只見線の列車に乗って只見町に向かった。

今回の「M.O.C. カヤック体験 田子倉湖」はアウトドア用品を製造販売するモンベル社(大阪府)と只見町が共催し企画された。私は、只見町インフォメーションセンター(運営:㈱只見町観光公社)のホームページでこの開催情報を知り、さっそく申し込んだ。モニターツアーということからか、募集定員は8名と少数だったが、なんとか受け付けてもらえた。

モンベル社は国内のみならず、アメリカに工場を持つなど、国外展開もしている世界規模のアウトドアブランドだ。私も気に入っているメーカーで、登山服のほとんどはモンベル製だ。

M.O.C. 」とはモンベル・アウトドア・チャレンジの略で、スタッフがトレッキング、カヤック、ラフティングなどの野外アクティビティーを企画・運営するモンベル社の野外活動部門となっている。


「田子倉湖」は国際機関ユネスコが認定する「只見ユネスコエコパーク」内にあるダム湖で、(財)水源地環境センターが選定する「ダム湖百選」に名を連ねている。また、福島県知事が顧問に就いているジャパンエコトラック推進協議会が提唱する「ジャパンエコトラック」のフィールドにも指定されている(只見エリア「37-op 田子倉湖パドリングフィールド」)。ちなみに、モンベル社は社会活動の一環としてこの推進協議会に深く関わっていて、社長が専務理事を務め、事務局もモンベル社内になっている。*参考:モンベル㈱「ジャパンエコトラック

只見線(当時は国鉄会津線)とこの「田子倉(ダム)湖」との関係は深く、会津川口~只見間は国策として進められた田子倉発電所・ダムの建設のために電源開発㈱によって建設された建築資材運搬の専用線で、ダム完成後に当時の国鉄に譲渡された区間だ。これにより只見まで延びた国鉄会津線只見方(当時)は、政治家・田中角栄氏の尽力で、小出から大白川まで建設が住んでいた只見線(当時)と“只見中線”で結ばれ、国鉄只見線として会津若松~小出間135.2㎞が全線開通、という歴史を持つ。*参考:拙著「“只見中線”乗車(只見線全線開業52周年) 2023年 夏」(2023年8月29日)

 

私は田子倉ダム湖には何度か訪れ、観光遊覧船にも乗船したこともある。カヤックは今回が初体験となるが、湖面の揺らぎを感じながら雄大な自然を体感したいと思い、イベントに参加した。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の秋- / -只見線沿線のイベント-

 

 


 

 

只見線の起点・会津若松には前日入りし、今朝未だ薄暗いに会津若松駅に向かった。

改札脇にある“ぽぽべぇコーナー”の壁には、只見線全線運転再開2周年を祝う、小さな横断幕が飾られていた。只見線は、4日前の10月1日に全線運転再開から2年を迎えていた。

 

切符を購入し、跨線橋を渡り只見線の始発列車が入線する4-5番線ホームに向かった。

列車は未だ入線しておらず、ホームにも待ち客は居なかった。これからの紅葉の最盛期を迎えた時、どれほどの客が列を作り列車を待つのだろうか、と思った。

 

ホームに下り車庫の方を眺めると、トロッコ列車「風っこ」号が停車していた。

「風っこ」号は、この秋も臨時列車として只見線内での運行が予定され、今日と明日、来週の土日の計4日間ダイヤに組み込まれている。*下掲図:東日本旅客鉄道㈱「秋の臨時列車のお知らせ」(2024年8月22日) p1-p2 *只見線の以外の列車はボカシ加工

 

通常始発列車は単行(1両編成)だが、紅葉シーズン前で2両編成になる可能性もあると思ったが、念のため、「ぽぽべぇ」1匹が描かれた1号車後部扉のステッカー前に並んだ。

 

ホームについてから10分ほどで、小出行きの列車が入線してきた。

2両編成だったので、2両目の停車位置に移動して乗り込んだ。他並んでいた4人の客は、1両目に乗り込んでいた。

切符は、土曜日ということで今回も、「小さな旅ホリデー・パス」を使った。

 

6:08、只見線の下り始発列車が会津若松を出発。客数は、先頭車両が14人、私が乗る後部が11人だった。

 

七日町西若松を経て、列車が大川(阿賀川)を渡った。上流側に見えるはずの「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)の山塊は雲に覆われていた。

 

会津本郷を出発直後に会津若松市から会津美里町に入ると、線路の両側には刈田が広がった。そして、左前方には会津盆地の西辺に連なる西部山地が見えてきたが、その最高峰である「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)は、山頂付近が雲に隠れていた。

 

会津高田を出た列車は、右に大きく曲がり“高田 大カーブ”を抜けた。

 

6:42、根岸新鶴を経て会津坂下町に入った列車は、若宮を出た後に上り一番列車(会津川口発)が待機する会津坂下に停車した。

 

列車の交換を終え、会津坂下を出発した列車は右に大きく曲がり、ディーゼルエンジンを力強く蒸かし七折峠に向けて登坂を始めた。

 

“七折越え”を終え、会津坂本に停車。貨車駅舎に描かれた「キハちゃん」が満面の笑みで出迎え、そして見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg

 

柳津町に入った列車は、稲刈りの終わっていない細長い稲田の間を駆けた。

 

7:03、会津柳津に停車。

 駅舎の壁には、只見線全線運転再開2周年を祝う横断幕が張られていた。

 

会津柳津を出て、郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)も山頂付近が雲に隠れていた。

 

滝谷を出発直後に、滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。渓谷は微かな色づきが見られた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

会津桧原を出ると、『これから第一只見川橋梁を渡ります...』との車内放送があり、滝谷トンネル内で減速しはじめた列車はゆっくりと三島町の町花である桐の花色の紫色の「第一只見川橋梁」を渡り始めた。

上流側、駒啼瀬の渓谷上方には霧が出ていた。

正面上方の鉄塔下にある「第一只見川橋梁ビィーポイント」に向かってカメラをズームにするが、人の姿は確認できなかった。

下流側「日向倉山」方面を見ると、冴えた水鏡が周囲の景色を映し込み、良い眺めだった。*只見川は、東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

 

会津西方を出発直後には「第二只見川橋梁」を渡った。上流側に見える「三坂山」(831.9m、同82座)の頂上だけが、小さく薄い雲に隠れていた。

下流側は、周囲の木々を映した川面が、スゥーっと延びていた。*只見川は柳津ダム湖

  

次駅に停まるために減速した列車は「アーチ3橋(兄)弟」の“長男”大谷川橋梁を渡った。眼下には“次男”宮下橋が見えた。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

会津宮下に停車すると、上り列車との交換を行った。

 

会津宮下を出ると只見川が近付き、列車は東北電力㈱宮下発電所の調整池である宮下ダム湖の右岸を駆けた。

「第一」や「第二」での渡河の際、乗客はそれぞれの車窓から風景を眺めたり、写真を撮っていたが、ここでも大半の客は同じ行動を取っていた。この区間は、しばらくダム湖の直側を通り、今日は湖面に冴えた水鏡も現れていて見ごたえがあった。


まもなく、列車は「第三只見川橋梁」を渡った。上流側は、蛇行する付近が水面が波立っていた。

下流側も一部が波立ち、水鏡の冴えはいま一つだった。

 

7:46、「滝ノ原トンネル」(1,026m)と「早戸トンネル」(980m)を抜けた列車は早戸に停車。

 

早戸を出るとまもなく、三島町から金山町に入り、列車は8連コンクリートアーチ橋・細越拱橋を、左に緩やかに曲がりながら進んだ。

 

7:54、会津水沼に停車。敷地には古い枕木が積まれていた。ここは路線保守のヤードになっていて、コンクリート製の枕木への交換が行われたようだった。

 

会津水沼を出てまもなく、列車は「第四只見川橋梁」を渡った。この先、「第八橋梁」まで下路式のトラス橋となり、鋼材の間から橋上の景色を見ることになった。

 

会津中川を経てしばらくすると只見川が近付き、列車は只見川右岸縁を駆けた。車窓から後方を見ると、只見川に突き出た大志集落が見えた。只見川の水鏡は冴え、上下対称の景観を創っていた。

 

8:05、会津川口に停車。先に到着していた小出発・会津若松行き(始発列車)と交換を行った。


停車時間を利用して、駅構内の売店を訪れた。入口のホワイトボードには“Youはどこから?”の用紙が貼られていた。台湾からの訪問者が圧倒的だった。

売店では、柳津町の「あかべこ堂」のあんこもちを購入。カヤック体験後、登山前のカロリー補給用にしようと思った。

 

会津川口を出た列車は只見川の右岸縁を駆けた後、「第五只見川橋梁」を渡った。

  

本名を出ると、「第六只見川橋梁」を渡った。上流側にある東北電力㈱本名発電所・ダムではゲート1門を開け、豪快に放流していた。

 

本名トンネルを抜けると、只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過。

 

会津越川手前では、今ではすっかり有名になった民家から、御主人が手を振ってくれた。聞くところによると、2022年10月1日の只見線全線再開通に合わせ看板などを設え、以後列車の通過に合わせてテラスに現れ手を振り続けているという。

 

会津横田を出て田んぼの間を短い区間を駆けると、右に大きく曲がりながら「第七只見川橋梁」を渡った。

 

会津大塩が近付くと、ゲートボールを楽しむ高齢者の方々が手を振って下さり、そのグランドの端には大塩炭酸水保存会と大塩温泉組合の名の入った“会津大塩駅 天然炭酸水と炭酸温泉の里”という横断幕が掲げられていた。*参考:金山町「大塩天然炭酸場」/「大塩温泉

会津大塩駅は、会津横田駅とともに駅愛称を公募し、只見線全線運転再開2周年を記念して愛称と写真入りの駅名標に更新していた。*参考:金山町「会津大塩駅と会津横田駅の愛称決定が決定し駅名標がリニューアルされました

どちらも駅近辺の観光地を連想させる愛称で、会津大塩駅が“天然炭酸水と炭酸温泉の里”、会津横田駅が“山ノ内家と歴史の郷”となっている。駅名標は、現在は町の大志地区出身で町内を拠点に活動されている色鉛筆画家・大竹惠子のデザインで、愛らしいイラストも挿入されていた。*参考:金山町教育委員会「金山町文化財」山ノ内屋敷跡

  

会津大塩を出た列車は、滝トンネルを抜けて只見町に入った。上空の雲は濃く厚く、前方の田子倉ダム湖方面まで延びていたため、青空の下でのカヤックとはならないようだと思った。

 

会津塩沢を出てまもなく、列車は「第八只見川橋梁」を渡った。

右岸の電源開発㈱寄岩泊地では、浚渫された土砂をバックフォーですくい上げる作業が行われていた。*参考:電源開発㈱「只見川流域の水害に関する減災に向けた取組みについて」(PDF)(2017年2月)

 

会津蒲生を出発直後に蒲生川を渡り、振り返り「蒲生岳」(828m、同83座)を眺めた。

 

列車は八木沢集落の背後を駆けた後、左に大きく曲がりながら只見線最長(372m)の叶津川橋梁を渡った。

 

 

 

8:05、列車は只見に停車。バッグパックを背負い、下車した。

上空の厚い雲は、カヤック会場の田子倉ダム湖の方まで広がっていた。

只見駅では23分もの停車時間があるため、多くの客が途中下車し、駅舎や駅前の只見線広場に向かっていた。

私も長い連絡道を進み、駅舎を抜けた。すると、“M.O.C.”と記された小旗を手に持つ方が居たので、近づき名前を告げた。送迎の方で、只見線利用は私だけということで、車に乗り込むと直ぐに集合場所に向かった。 


5分ほどで「M.O.C. カヤック体験 田子倉湖」の集合場所となる「奥会津ただみの森キャンプ場」に到着。既に4人の参加者が来ていて、参加予定者8名を超える数のスタッフの方が居た。

スタッフに名前を告げると、参加者全員が揃ってから今回のイベントの説明をするとの事だった。


しばらく待っていると、参加者が1人、集合時間の9時30分をわずかに遅れやってきた。残り2人だったが、この1組は急用で来られないということで、合計6人でイベントは開始となった。

参加者とスタッフが輪になり、モンベル社のスタッフから今回のイベントの内容説明と、今日の予定が説明された。

そして、全員が簡単な自己紹介を行った後、ストレッチを行い“開会式”を終えた。モンベル社の関係者は2人だけで、他はカヤックのインストラクター講習を受けJRCA認定JCF公認の資格を持った只見町の方々だった。*JRCA:日本レクリエーショナルカヌー協会(URL: https://www.j-rca.org/) / JCF:公益財団法人日本カヌー連盟(URL: https://www.canoe.or.jp/)

“開会式”後は、スタッフの車に乗り込み、田子倉湖に向かって移動した。

 

10分とかからず田子倉湖の北辺にある船着き場に到着。田子倉ダム堰堤から西に800mほどで、国道252号線から側道を下ってすぐの場所にある。桟橋では、複数の釣り人が竿を立てていた。

 

車を降りて、坂を下って行くと、道の先にカラフルなカヤックが置かれていた。

1人用のみならず、3台の2人乗り用も並んでいた。

この船着き場には、“開会式”会場に姿の無かったスタッフの方も居て、全員が揃うとイベントのより具体的な説明がなされた。そして、皆で準備運動を行った後に、ライフジャケットを身に付け、各自がダブルブレードのパドルを持ち漕ぎ方の簡単なレクチャーを受けた。


10:30、30分ほどで乗船前の準備を終え、参加者はスタッフのサポートを得ながらカヤックに乗り込み、湖岸を離れ100mほど進んだ。

 

私はオレンジ色のカヤックを選んだ。足先を付けるフットブレイスを調節し、パドル操作の際に無理なく踏ん張れるようにしたが、最初はこの姿勢が窮屈に感じた。

 

皆が輪になれる沖合に出ると、モンベル社のインストラクターから、パドル操作のより詳しい説明を受けた。

 

説明が終わると、インストラクターを先頭に、西に500mほど先にある「白戸山」(708m)の斜面を目指して前進した。

他のインストラクターは、各参加者を見守り、うまく進めない方などにパドル操作を説明したり、接触した参加者同士のカヤックを引き離したりしていた。

 

5分ほど進むと、「白戸山」(708m)の岩肌が剥き出しの雪食地形の東壁に近づいた。*参考:国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所「雪崩によって作られる地形~奥只見


更に進んで、岩肌を見ると柱状節理のような形状で、独特だった。*参考:地形・地質情報ポータルサイト「柱状節理(Columnar Joint)」URL: https://www.web-gis.jp/GS_Topics/Geology/GS_Geo_Colum_Joint.html

この後、皆が「白戸山」東壁付近に集まると、『広い場所に移動してください』ということで湖の中央部に移動した。


11:18、参加者が輪になって、2回目のレクチャーを受けた。旋回や後退の際のパドル操作法だった。

 

レクチャーが終わると、更に西にある「松渕山」(690.6m)方面に進んだ。

この進行では「松渕山」の斜面までは行かず、田子倉駅跡がある“只見沢入江”の入口で引き返すことになった。湖面に細波はたっておらず、巨大湖の静謐さを感じた。

 

引き返して田子倉ダム堰堤が正面に見える付近で、インストラクターは止まり、参加者は三度輪になった。この時、離岸してから約1時間が経っていた。カヤック体験の終了時間となったようで、皆が集まると参加者に感想を求めるなどし、今回のイベントの締めを行った。

 

湖面の先にある、田子倉ダムの堰堤を眺めた。このコンクリートの塊が約5億トンもの水をせき止めて、この雄大な景色を創っていることを、改めて不思議に思った。

そして、1959(昭和34)年4月6日の田子倉ダム湛水によって故郷を失った、旧田子倉村の方々の無念の上にこの素晴らしい景色があることを思い、感謝した。この湖面の底に眠る旧田子倉村は、山川の恵みを受けて裕福だった50世帯290人が暮らしていた。

 

“締め”が終わると、参加者とインストラクターは北に進路を変え、凹型の山容が特徴的な「苧巻岳」(824.3m)を正面に見ながら発着点に向かった。

  

11:57、発着点に戻り、スタッフにカヤックを“接岸”してもらい、降りた。

この後、ライフジャケットを脱ぎ車に乗り込み、全員が揃うと「奥会津ただみの森キャンプ場」に戻り、即解散となった。

1時間という短い時間だったが、「M.O.C. カヤック体験 田子倉湖」は楽しく充実したイベントだった。パドル操作の基本を覚え、乗船姿勢と乗り降りに注意すれば、湖上のカヤックは難しいものではないことも分かり、また乗ってみたいとも思った。

  

只見線沿線でカヤックに適した湖は、この田子倉(ダム)湖の他カルデラの沼沢湖が挙げられるが、只見(ダム)湖や滝(ダム)湖の只子沢河口付近も良いのではないかと個人的には思う。

これらの湖でカヤックに手軽に乗れるような環境整備が望まれるが、今回のイベントで共催したモンベル社が何らかの形で関われば誘客上効果的だと感じた。国内屈指のアウトドアブランドで認知度が高く、豊富な情報と知見を持つモンベル社が関わる事で、カヤックのみならず同じ水上のカヌーやサップ、登山・トレッキングなどの他のアウトドアアクティビティの、只見線沿線への波及や定着につながると思うからだ。

只見町は今回のイベントを共催したが、これはモンベル社と2021年8月に連携や協力に関する包括協定を結んでいたためと思われる。また沼沢湖のある金山町は、2022年6月に会津地方振興局の他12市町村と共に同社と「人生100年時代 会津・モンベル広域連携共同宣言」をし「包括連携協定」を結んでいる。そのため、両町ともモンベル社と話し合いができる環境にあると思われるので、只見線利活用推進の名目で、末永く続く沿線アクティビティの創出を目指し交渉して欲しいと思った。*参考:只見町「株式会社モンベルとの連携と協力に関する包括協定締結式を行いました」(2024年8月4日) / ㈱モンベル「「人生100年時代 会津・モンベル広域連携共同宣言」および会津地域市町村と「包括連携協定」を締結」(2023年6月3日)

 

 

今回、イベント終わりの挨拶でモンベル社のスタッフが告知していたが、来月にもここ只見町で「M.O.C」が開催される。今回同様に“只見町共催モニターツアー”で、「只見町の自然と食を満喫 奥会津を巡るE-バイクサイクリング」というイベントだ。

私は予定が入っていて参加できないが、只見駅が集合解散場所になっているので、一人でも多くの方が只見線を利用し参加して欲しいと思った。

  

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

 ・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

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(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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