新潟経由、全線(小出⇒会津若松)乗車 2024年 初秋

9日前に、全線開業53周年を迎えたJR只見線。今日は郡山駅を発着点に、新潟経由で小出発・会津若松着で只見線を全線乗車した。

只見線は、1971年8月29日に六十里越区間(只見中線、20.6km)が開通し、会津若松~小出間(135.2km)が一本つながり、国鉄只見線として営業運転を開始した。*下掲紙面:福島民報 1971(昭和46)年8月30日付け

 

今日は小出発の最終列車に乗るため、福島県側に入る頃に日暮れで、車窓からの景色を楽しむことはできないが、会津若松~(磐越西線・信越線)~新潟~(信越線・上越線)~小出~(只見線)~只見会津若松の周遊乗車と、全線乗車恒例の“会越の酒 呑み比べ”などを楽しみにして旅に臨んだ。

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

 


 

 

自宅を出て、磐越西線の列車に乗るため、郡山駅に移動。

改札を通り、1番線ホームに停車中の列車に乗り込んだ。

8:29、磐越西線・会津若松行きの列車が、郡山を出発。 


沼上トンネルを抜けて中通りから会津に入り、猪苗代を出ると「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)がよく見えた。


9:41、会津若松に到着。新津行きの列車に乗り換えた。

9:48、磐越西線・新津行きの列車が会津若松を出発。車内は混雑していた。「青春18きっぷ」が使える最後の土曜日だったが、立客が出る程とは想像していなかった。

 

電気式気動車GV-E400は快調に駆けた。しばらくは田園の間を進んだが、稲は実り首を垂れていたものの青さが残り、刈り取りは少し先のような気がした。

 

列車が喜多方を出て左に大きく曲がると、「猫魔ヶ岳」(1,403.6m)、「古城ヶ峰」(1,287.8m)、「雄国山」(1,271.2m)の山稜が「磐梯山」を隠していた。

 

山都を出て、只見川の合流点付近を過ぎて舘原トンネルを抜けると阿賀野川が近付き、荻野手前では福島県営荻野漕艇場が見られた。

東北電力㈱新郷発電所・ダムのダム湖を利用した漕艇場で、この下流の新潟県側には東北電力㈱揚川発電所・ダムのダム湖に新潟県立津川漕艇場がある。

  

11:21、徳沢を出て新潟県阿賀町に入った列車は、津川に停車。観光列車「SLばんえつ物語」号との交換を行った。ホームでは、この列車のキャラクターである「オコジロウ」像と写真を撮る方や、待合室である「オコジロウの家」を見学する方が見られた。*参考:東日本旅客鉄道㈱「のってたのしい列車」SLばんえつ物語 

 

馬下手前で阿賀野川と離れると、列車は田園の間を進むようになった。一部の田では稲刈りが始まっているようで、刈田も見られた。

 

 

12:40、新津で信越線に乗り換え、新潟に到着。

 

駅舎を出て万代口から抜けて、高架化工事中の駅を眺めた。昭和の風情漂う駅ビルは姿を消し、路線バスが高架下に新たに設置された停留所に出入りしていた。

新しい新潟駅は、日本海側最大の都市・新潟市に相応しい外観だと思った。新駅を眺めながら、この駅が街の核として、より充実した賑わいをもたらして欲しいと願った。新潟の賑わいは、隣県・福島にも好影響をもたらし、ひいては鉄路での周遊旅行の一部となる只見線の利活用につながると私は考えているからだ。*参考:新潟市「新潟駅付近連続立体交差事業

新潟駅構内の真新しい店舗なども一通り見て回った後、最後に「ぽんしゅ館 新潟驛店」に立ち寄り、只見線の列車内で呑むワンカップを選んだ。

ワンカップの充実は長岡驛店同様だったが、ツマミも300円前後の多様な乾きものが揃っていた。「さけとも」というシリーズになっているようだった。福島県内でここまでの品ぞろえは見たことがなく、“日本酒王国”新潟の先進性・充実度を痛感させられた。

「ぽんしゅ館」で酒とツマミを購入した後は、信越線の列車に乗って長岡駅で乗り換えて、小出駅に向かった。

 

 

 

15:05、上越線の上り列車が、小出に到着。連絡橋を渡り只見線の4-5番線ホームに向かった。

連絡橋の壁には、“キムワイプ55周年”の横断幕調のポスターが貼ってあった。この壁に描かれている黄緑と深緑のラインは国鉄時代の二次新潟色だが、この2色が産業用紙ワイパーとして有名な「キムワイプ」(日本製紙クレシア社)のパッケージカラーと類似しているため、この広告になったという。

 

連絡橋の端に着き、只見線のホームに下った。

ホームに下りると、5番線に列車が停車していた。会津若松行き最終はキハE120の1両編成だった。

 

16:12、只見線・会津若松行きが小出を出発。客は、10名をわずかに越えるほどだった。

出発直後、列車は「魚野川橋梁」を渡った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

関越自動車を潜り抜けしばらくすると、線路の両脇に田が続いたが、ここの稲は黄金色が目立っていた。

  

藪神を経て、「第一破間川橋梁」を渡った。

 

越後広瀬を出ると、只見線全線乗車恒例の“会越の酒”呑み比べを開始。「ぽんしゅ館」で買った「越乃白雁」(中川酒造㈱、長岡市)の純米ワンカップ。一つめのアテは、新潟県限定「サラダホープ」の海老しお味にした。

「越乃白雁」は初めて呑んだが、さっぱりした軽いコクを感じる、“グイグイ”呑んでしまうタイプの旨い酒だった。


アテの二つめは、「さけとも」のたこかま。300円ながら、高いクオリティーだった。「越乃白雁」との相性もよく、どんどん呑んでしまった。もう一本、ワンカップを買っておけばよかったと悔いた。

 

 

魚沼田中越後須原上条を出た列車は、右にこんもりとした「鷹待山」(339m)を見ながら、大きく右に曲がった。

 

入広瀬を出ると、列車は破間川と交差しながら、山間を進んだ。

「第四平石川橋梁」を渡る際、下流側を眺めた。緑と清流、その中を横切る国道252号線の真っ赤な柿ノ木スノーシェッドは、絵になる光景だった。

(注)破間川は、源流から旧大栃山村と旧穴沢村の境界(黒又川合流点付近)までを平石川と呼んでいたため、橋梁名にその名残がある

 

一橋トンネルを潜り抜けると、破間川の先に二等三角点「大白川」を持つ山が見えた。私選“只見線百山”の候補に入れている山で、車窓から見ると早く登ってみたいと思った。

 

 

16:57、列車は、新潟県側最後の駅・大白川に停車。下り列車(会津若松発・小出行き)の列車と交換を行った。

隣りに停車した下り列車は、満席のようだった。

 

17:01、交換を終えた上り列車が、大白川を出発。「第五平石川橋梁」を渡りながら、右に末沢川を見た。末沢川は、六十里越トンネル入口まで16回も渡河することになる。

車内は、途中駅で数名降りたこともあり、各BOX席に1人ずつという客数に減った。


「第六末沢川橋梁」を渡ると、右に国道252号線の尻茂橋が見え、ここでは緑の渓谷に真っ赤な下部アーチ鋼材が際立っていた。

 

 

17:16、列車は、「第十五末沢川橋梁」「第四毛猛トンネル」「第十六末沢川橋梁」とたて続けに駆け、「六十里越トンネル」(6,359m)に突入し新潟県魚沼市に別れを告げた。

 

  

17:24、トンネルの真ん中ほどで県境を越え、約8分ほどでトンネルを抜けて福島県南会津郡只見町に入った。

そして、田子倉駅跡を覆うスノーシェッドを潜り抜けて、余韻沢橋梁を渡ると、電源開発㈱田子倉発電所の田子倉ダム湖の中心部が見通せた。

 

「田子倉トンネル」(3,712m)から下り坂になり、ディーゼルエンジンの出力を抑えて進み、「第一赤沢トンネル」(662.5m)を抜けると、後方に電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐の一部と、その奥に谷間を塞ぐ田子倉ダムの堰堤が見えた。

 

17:30、只見に停車。

下車し駅舎にむかい、駅頭の“全線運転再開カウントボード”を見ると、707(日)を示していた。

 

少し歩いて国道252号線沿いの松屋に向かい、買い物を済ませ駅に戻った。

 

ホームに行くと、発車間近ということで、客は誰もおらずひっそりとしていた。

18:00、列車が只見を出発。

 

 

入叶津集落に入り、「叶津川橋梁」を渡った。右後方には「蒲生岳」(828m、会津百名山83座)の一部が見えていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

会津蒲生を経て只見川が徐々に近づき、 列車が左岸縁を駆けるようになると「第八只見川橋梁」を渡った。一部の川面には、うっすらと川霧が張っていた。*只見川は、電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

この後、列車は会津塩沢を経て滝トンネルを抜け金山町に入り、会津大塩会津横田会津越川で停発車を繰り返した。客の乗降は無く、夕闇は暗さを増していった。

  

車窓からの景色が見られなくなったところで、“会越の酒”吞み比べをした。会津の酒は、只見町の松屋で、開当男山酒造「開当男山 純米原酒」を選んだ。

吞み口はさっぱりしているな、と思ったが、のど越しに濃厚さを感じ、香りもしっかり立っていた。旨かった。「開当男山」は間違いない酒を造る酒蔵だ、と再認識した。

  

18:52、本名を経て、会津川口に停車。下り小出行きの最終列車と交換を行った。小出行きは2両編成だったが、客は各車両に1人ずつだった。

19:08、会津川口を出発。

 

列車は暗闇の中を快調に駆け、三島町柳津町会津坂下町会津美里町、そして会津若松市と進んでいった。

  

 

20:57、定刻からわずかに遅れ、終点の会津若松に到着。

 

 

22:13、会津若松から磐越西線の上り最終列車に乗り換え、自宅の最寄り・郡山に到着。

只見線の全線開業53周年で計画した、郡山を発着点とした新潟経由+只見線全線乗車の周遊旅を終えた。約14時間の鉄路旅だったが、車窓からの福島県側と新潟県側の多様な景色を眺められ、この周遊旅の良さを改めて感じた。

 

只見線を全線乗車する周遊旅は、2022年10月1日の全線運転再開を機にJR東日本・新潟支社等が観光列車「海里」号と「越乃Shu*Kura」号を用いた旅行商品を企画したことがある。新潟駅を発着点に、新潟→長岡→小出→(只見線)→会津若松→新潟という一筆書きの周遊旅となっていた。

*上図出処:佐渡市・新潟市・新潟市・東日本旅客鉄道㈱新潟支社・(一社)佐渡観光交流機構・(公財)新潟観光コンベンション協会「「佐渡島の金山」「みなとまち新潟」 佐渡市・新潟市 秋の観光キャンペーン開催!」(2022年7月28日)

 

これ以後、私の記憶では同様の周遊旅は企画されてないが、是非春夏秋冬の一定期間に定期運行して欲しいと思った。

そのためには、観光列車が必要だ。ただ只見線での運行を見込む観光列車は、現在只見線の一部区間(会津川口~只見)を上下分離で保有する福島県が中心となり、3セク路線・会津鉄道との共有で導入される計画(只見線利活用計画)が進められている段階だ。只見線“専用”の観光列車の登場には、さらに時間が掛かりそうだ。

となると、現在、会津若松~郡山間を中心に運行されている観光列車「SATONO」号を転用し、会津若松~只見~小出~新潟~会津若松(または、新潟~小出~只見~会津若松~新潟)の周遊運行をして、実績作りをするのが現実的かもしれない。*参考:拙著「観光列車“ただみSATONO”号 乗車記 2024年 夏」(2024年7月26日)

会津若松駅発着ならば東北本部、新潟駅発着ならば新潟支社、とJR東日本内で管轄が分かれているだろうが、社内で調整しこの周遊旅を企画して欲しい。そして、只見線全線乗車の周遊旅を定着させ、只見線“専用”観光列車の早期導入を後押ししてもらいたいと思った。


 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の秋- / -只見線全線乗車-

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

  

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

0コメント

  • 1000 / 1000