【参考】観光列車「ひなび」乗車記 2024年 冬

この春、福島を含む南東北3県でデビューする観光列車「SATONO」(さとの)。JR只見線にも運行される可能性のあるこの列車の兄弟車で、一足先に青森・岩手両県を走るために導入された、観光列車「ひなび」の釜石号に乗車した。


観光列車「SATONO」は、2010年12月の東北新幹線延伸(八戸~新青森間の開業)に合わせて、津軽半島や下北半島への観光列車として導入された観光列車「リゾートあすなろ」(HB-E300系)を改造して、福島・宮城・山形の南東北3県で運行されると報じられた。*下掲出処:(左)福島民報 2022年11月25日付け紙面 / (右)東日本旅客鉄道㈱「東北の文化・自然・人に出会う旅へ「SATONO」がデビューします」(2022年11月24日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221124_s01.pdf

どの路線でいつ頃運行されるかなど、詳しい情報は未だ発表されていなが、“観光鉄道化”を意図し福島県が中心となって利活用計画が進められている只見線には、当然のごとく乗り入れられるだろうと私は思っている。*参考:東日本旅客鉄道㈱ のってたのしい列車「SATONO」 URL: https://www.jreast.co.jp/railway/joyful/satono.html

 

この「SATONO」の兄弟車が「ひなび」で、2編成あった「リゾートあすなろ」のもう一方が改造され、昨年6月に引退した「SL銀河」号の後継観光列車として誕生することになった。プレスリリースを見比べると、「SATONO」と「ひなび」は外観のカラーリングが違うだけで、内装はほぼ同じとなっている。*下掲出処:東日本旅客鉄道㈱「北東北に新しい観光列車「ひなび」がデビューします」(2022年11月22日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/morioka/20221122_mr02.pdf

そして「ひなび」号は、先月23日、釜石号(盛岡~釜石)として岩手県内で運行を開始した。地元紙では社会面を大きく割き出発式の様子を報じていた。*下掲記事:岩手日報 2023年12月24日付け 1面と第一社会面 *筆者にてレイアウト変更と、一部ボカシ加工

*参考:東日本旅客鉄道㈱ のってたのしい列車「ひなび(陽旅)」 URL: https://www.jreast.co.jp/railway/joyful/hinabi.html / 

 

私は「リゾートあすなろ」号に一度乗ったことがあるが、当時は只見線乗り入れなど考えることもなく乗っていた。今回は、「SATONO」号が只見線に乗り入れるであろうと想定し、兄弟車である「ひなび」号の乗り心地やホスピタリティーを感じたいと思い、岩手県に向かった。


 


 

 

昨日、観光列車「ひなび 」釜石号の出発地である盛岡市へは、秋田県大館市経由で向かった。秋田犬に会いたいと思ったからだ。

 

大館駅に到着し、まずは駅前にある「秋田犬の里」を訪れた。ガラス越しに秋田犬が見られる施設だ。

館内に入ると、秋田犬グッズが並んだ売店があり、その奥には写真やパネルやぬいぐるみなど、秋田犬、秋田犬、秋田犬であふれていた。

そして、一面ガラス張りの展示室をのぞくと、確かに秋田犬は居た。今日の“当番犬”は「法子(のりこ)」で、室内に居る飼い主とスタッフに近づくが、私が立つガラス面には背を向け、マットの上に寝そべっていた。

 

「秋田犬の里」を出て、大館市内で“唯一”ふれあいができると言われている、「ふるさわ温泉」に向かった。日帰り入浴も可能な宿泊施設だ。

玄関には、秋田犬の「温(はる、母)」と「華(はな、娘)」とのふれあいについての案内が張り出されていた。

建物の中に入り、若女将に予約していた事を告げ、“ふれあいセットメニュー”から日帰り入浴とふれあいセットを選んだ。そして、秋田犬のぬいぐるみを持った若女将から、触れ合うまでの手順を説明を受けた。

ゲージには、「温」が居て、じっと座った私の匂いをクンクンと嗅ぐと、私に寄り掛かるように座った。これを見た若女将は『もう触ってもいいですよ』と言ってくれたのを機に、「温」との触れ合いが始まった。

15分ほど「温」と触れ合ってから、浴室に向かった。広々とした大浴場で、途中まで一人で占有し、ゆっくりと温泉に浸かった。


温泉から上がりロビーに行くと、ゲージの中には「温」の娘の「華」も居た。「華」は飼い主家の子供たちとの遊び疲れで、ずっと伏せていた。「華」の、母親より大きい体は微笑ましかった。

若女将からは、『「華」にも触れ合いますか?』と聞かれたが、時間がない事もありゲージから眺めるだけにした。「華」は、本当に疲れているようで、とろんとした目をしていた。

 

 

「ふるさわ温泉」を後にし、大館駅から花輪線経由で盛岡駅に到着。夕食は、発祥の地とされる「白龍」で盛岡名物「じゃじゃ麺」を食べた。

「じゃじゃ麺」自体が初めてだったが、濃厚肉味噌を全体に絡めて混ぜ食べてみると、モチモチの麺との相性は抜群で、クセになりそうな旨さだった。

最後に、テーブルに置かれ生卵を皿に割入れ「チータンタン」を注文した。この“卵スープ”も旨かった。

 

 

今朝、市内の宿を出て、「福田パン」でコッペパンを買ってから盛岡駅に向かった。晴れのち曇りの天気予報の通り、上空には未だ青空が広がっていた。

駅舎に入り、構内の待合室で、朝食を摂るなどして時間をつぶした。この待合室のコンコース側の窓には、「ひなび」号の外装デザインがラッピングされていた。

 

 

10時になり、改札に向かうと、北口改札の前には「ひなび」号の大きなパネルが掲げられていた。

改札を通り、「ひなび」釜石号が入線する6番線に向かった。

 

 

ホームに下りてしばらく待っていると、列車が待機線の方からやってきた。

そして、ゆっくりと入線に、ホームに停車した。

 

JR東日本・盛岡支社の「盛岡色」(赤と白)でカラーリングされた外観は鮮やかだった(車番HB-E301-3の“HB”はハイブリットの略)。

車両側面には、水引の「梅結び」や、川の紋様と花吹雪など和の凝ったデザインだった。

 

窓は大きく、綺麗に磨かれているようで外光をムラなく反射していた。

 

車内に入り、私が乗る2号車の座席に荷物を置いてから、車内を見て回った。

2号車の座席は、温かみのあるオレンジ系だった。

通路と座席には段差が設けられ、客は一段高い場所から車窓の風景を楽しむ事ができるようになっていた。

  

客席のテーブルは、東北新幹線の車内などでみかける、前の座席の背面に収納されているものだった。

座席が回転し向かい合わせができるということで、サイドテーブルが肘掛に収納されていた。

 

座席番号1は車椅子対応席で、窓側に1席用意されていた。

 

天井には小型ディスプレイがあり、先頭車に設置されたカメラの映像が映されていた。

 

先頭の展望デッキに移動。事前資料の車内レイアウト図には椅子が描かれていたが、実物は何もなかった。おそらくより多くの客が入り、自由に動けるようにしたのだろうと思った。

左右の窓は、座席の2倍以上の大きさだった。


 

1号車のグリーン車に移動。入線したばかりで、客が乗っていなかったので見させてもらった。

こちらの先頭の展望デッキには、座席が設けられていた。

両側の窓の大きさは2号車と変わらず。

ソファは柔らかかった。

 

グリーン車の座席は青色の固定式で、3種あった。1×1BOX席。

2×2BOX席。

そして、個人旅行に対応した1BOX席。窓に正対していて、カウンターには衝立もあり、一人旅を満喫できると思った。

「SATONO」が只見線に乗り入れる場合、同じ座席レイアウトのようなので、この1号車は小出行きの場合は後部、会津若松行きの場合は先頭にして、「第八只見川橋梁」や田子倉駅跡付近の風景に正対できるようにした方が良いと思った。

 

 

デッキには、荷物置き場があった。両車両の出入口脇には、荷を持ち上げて置くタイプが設置。

そして、トイレ付近には上下別れたタイプの荷物棚があった。両方とも、輪行バッグは収まりそうになかったので、自転車を携えての旅では置き場所に困ると感じた。


「ひなび」釜石号ではアテンダントによる車内販売があるようで、1号車に荷の積み込みが行われていた。

 

 

10:40、観光列車「ひなび」釜石号が、定刻に盛岡を出発。この列車は座席指定券完売で、私の座席である2号車2番B(通路側)は、ネット予約の際に唯一残っていた席だった。

 

11:09、ノンストップで花巻に停車。「ひなび」釜石号が東北本線から釜石線に入るには方向転換が必要で、運転手が1号車から2号車に移るなどするため6分間停車した。そこで下車し、駅構内の売店に向かうと、店頭には大谷翔平グッズで埋められた棚が置かれていた。彼の出身高校がある花巻市は、今年も盛り上がるだろうと思った。

花巻を出た「ひなび」釜石号は、釜石線内で快速運転を行った。*停車駅:新花巻~土沢~宮守~遠野~上有住~陸中大橋~(終点)釜石


11:23、東北新幹線の駅である新花巻を出発。2号車には3人が乗り込んだが、埋まった座席は5割ほどだった(1号車グリーン車にも空席が目立った)。

座席指定券完売ということでこの駅で満席になるのだろうと思っていたので、拍子抜けした。指定券が乗車券と別に購入可能で、価格も840円(2号車)ということで『とりあえず押さえておこう』と購入した方が多いのだろうと思った。この「ひなび」釜石号にどうしても乗りたかった方にとっては、残念な光景ではないかと思った。また、沿線自治体にとっても、物販や宿泊、沿線の観光資源に興味を示し再訪したいと考える客の出現などの“機会ロス”が発生して、大きな損失だと感じた。


 

観光列車「ひなび」釜石号は、停車駅間ではディーゼルエンジンを蒸かしスピードを上げた。加速時のエンジン音は、JR東日本の最新のディーゼルハイブリット車である観光列車「海里」号より高い気がした。*参考:拙著「【参考】観光列車「海里」乗車記 2020年 冬」(2020年1月5日)

 

土沢を出てまもなく、列車は北上川の支流・猿ヶ石川に沿うようになり、まもなく電源開発㈱東和電力所の前を通過した。只見線沿線には水力発電所が多くあるが、釜石線では車窓から見えるそれと分かる施設はここだけだった。


車内ではアテンダントによる、アイスクリームや菓子、そして酒などの車内販売が開始された。

 

 

11:45、花巻市から遠野市に入った列車は、宮守を出発すると釜石線を象徴する“めがね橋”(5連コンクリートアーチ橋)である「宮守川橋梁」を渡った。*参考:土木学会 選奨土木遺産「達曽部川橋梁、宮守川橋梁(釜石線)の解説シート

車内からは『何が良いのだろう⁉』と思ってしまうが、右岸にある「道の駅 みやもり」の公園から見上げると、駆け上がっているような列車の構図となり、絵になる。JR東日本の「ひなび」のパンフレットにはこの光景が採用されていた。

橋下の道の駅の公園では、3人の方が、手を振り、見上げ、写真を撮っていた。

車内放送では、地元の方が「ひなび 釜石」号の通過に合わせ歓迎してくれる、との事だったが...。「ひなび」の運行が3回目ということで、未だ浸透していないのだろうか、と思った。

 

 

釜石線の車窓から見える山々は800~1,000mほどの山で、只見線で見られる雪食やアパランチシュートの山肌を除けば、同じ高度感で親近感を持てた。

 

少し落ち着いたところで、岩手の地酒を呑むことにした。今回、選んだのは盛岡市内に蔵のある「桜顔」の本醸造。「楢岡焼」(秋田県大仙市)のお猪口を持参し、呑んだ。甘い香りとキリっとした吞み口で旨かった。

  

 

列車が猿ヶ石川の蛇行部に近づくと、下流にある国土交通省田瀬ダムのの貯水量が多いためか、水面に木々が浮かび、良い光景だった。

 

 

12:07、観光列車「ひなび」釜石号は遠野に到着。24分の停車時間があるということで、多くの方が下車し、跨線橋を渡り駅舎に向かっていった。

列車は、盛岡行きの快速「はまゆり」号とすれ違いを行い、しばらくしてから出発した。

 

 

遠野を出ると徐々に建物が少なくなり、列車は猿ヶ石川の支流・早瀬川の狭い谷底平野を進んだ。

 

足ヶ瀬トンネルを抜け住田町に入ると、右下(北)に釜石自動車道(国道283号線バイパス区間(仙人峠道路))の滝観洞(ろうかんどう)インターチェンジが見えた。古い鉄道(釜石線:1950年全通)に並ぶ進歩した工法で作られた道路(仙人峠道路:2007年開通)を見ると、鉄道の役割を考えせざるを得なかった。

この後、観光列車「ひなび」釜石号は土倉トンネル(2,975m)に入るが、車内放送で「仙人峠」の説明があった。

釜石線の前身である岩手軽便鉄道・花巻~仙人峠間を敷設(1915(大正4年)年)したが、「仙人峠」は険峻で技術的・資金的問題から越えられなかった。そこで釜石方面に向かう場合、人は徒歩か駕籠で、荷物は索道(≒ロープウェイ)で「仙人峠」越えして、釜石鉱山鉄道(大橋~釜石)を利用したという。

この「仙人峠」を越える鉄道が敷設され、国鉄により買収されていた釜石西線(岩手軽便鉄道(花巻~仙人峠))と釜石東線(釜石鉱山鉄道(大橋~釜石))が結ばれ、1950(昭和25)年10月10日に国鉄釜石線が全通したという。国鉄只見線が難所「六十里越」工事を終え、只見線(小出~大白川)と会津線只見方(会津若松~只見)が結ばれ一本になったという歴史と重なり、面白かった。*参考:「岩手軽便鉄道」*「とうほく廃線紀行」(無明舎出版) より URL: http://www.mumyosha.co.jp/guide/haisen/iwate/keiben.html



「土倉トンネル」を抜けた列車は釜石市に入り、第1~第5の「唄貝トンネル」を経て、「第6唄貝トンネル」を抜けると、真っ赤に塗られた上路式ワーレントラスの「鬼ヶ沢橋梁」を渡った。*参考:土木学会:土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索

「仙人峠」の案内から続いていた車内放送で、眼下(右下)にこれから通る釜石線のレールが見えることで高低差が実感できると思います、との旨の説明がされていた。

 

観光列車「ひなび」釜石号は、「第1大橋トンネル」を抜けると、通称“Ω(オメガ)ループ”の大半を覆う「第2大橋トンネル」を抜けて、進路を北北西から南南東に変えて陸中大橋に停車した。この間、前方の展望スペースには複数の乗客がカメラを構えて、“Ωループ”走行の様子を撮影していた。

 

陸中大橋を出ると、右上方(西)に真っ赤な「鬼ヶ沢橋梁」が見えた。国土地理院地図で確認すると約50m上方にあるが、同じ鉄路が“Ωループ”で大きな高低差で並行するこの区間は釜石線最大の見せ場だと思った。

*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: ttps://maps.gsi.go.jp/  *色別標高図



観光列車「ひなび」釜石号は太平洋に面する釜石湾に注ぐ甲子川の谷底平野を進み、進路が西に変わり建物が増えてくると巨大なコンクリート橋を潜った。

この構造物は釜石道の洞泉橋(405m)で、沿岸部と内陸部を結び、災害対策などの重要な役割があるとはいえ、人口減が進む地方の山間に聳えるコンクリートの塊に、“土木国家・日本”の今後を考えざるを得なかった。

 

列車は、甲子川沿いに太平洋に向かって延びる市街地を進んだ。 

 

13:26、観光列車「ひなび」釜石号は終点の釜石に到着。ホームの先では、日本初の官営製鉄所であり国内で初めて製鉄事業の安定化に成功し、さらに国内初のコークスによる銑鉄産出に成功した歴史を持つ日本製鉄㈱北日本製鉄所の、釜石火力発電所の排気塔から白煙が勢いよく上がっていた。

 

列車を降りて改札に向かうと、コンコースには「ひなび」号の大きな旗が掲げられ、改札前では地元の方が小旗を振って出迎えてくれ、“ひなび運行開始記念スタンプラリー”の案内をしていた。

観光列車「ひなび」乗車の旅を終えた。

この旅で、リクライニング座席での旅は良いものだと改めて思った。また、大きな車窓と、先頭部の共有展望スペースにより、列車を取り囲む風景を堪能でき、観光列車の車窓と座席の重要性を再認識した。同型の「SATONO」が只見線を走るのならば、現行のキハE120とキハ110の中から見える車窓からの風景や旅の快適性は大きく違ったものになるだろうと思った。

 

ただ、「ひなび」は運行が始まったばかりということもあり、課題も感じられた。

最も印象に残ったのが、沿線の観光案内だ。著名なめがね橋である宮守川橋梁と遠野の「カッパ淵」、そして仙人峠と陸中大橋駅との物語は、車内放送で案内されたが、「宮沢賢治」と釜石線の関係については情報量が少なく、鉄鋼製の橋材を鉄筋コンクリートで包み込んでいるという達曽部川橋梁、釜石と鉄の物語などには触れられなかった。観光列車乗車を機に当地に興味を示し再訪やリピーターになる観光客は一定程度いる事を考えると、沿線に係る観光資源に関する情報を適当な伝え方で案内する車内放送は重要と感じた。

 

他方、この車内放送について只見線の事を考えると、様々な課題があると感じた。現在、只見線の会津若松~只見間(JR東日本・東北本部管轄)ではワンマン運転をしているため、大半の列車では「第一只見川橋梁」で観光案内が行われる程度になっている。

また、沿線有志による“おもてなし企画”では、会津柳津~只見間で大半が放送ではなく地声での観光案内が行われているが、同区間の橋梁関連の話題に多くの時間を割いている。

現在の只見線の観光案内は、会津若松~小出間の車窓からの景色の変化やその魅力、“観光鉄道「山の只見線」”ならではの沿線の山々の話題、そして山の恵みとして清廉な水から作られる米と日本酒など、多様な嗜好を持つ観光客の琴線に触れる情報を発しきれていないと思った。

今回、「ひなび」釜石号に乗った事で、車内放送などで行われる観光案内の大切さを感じられた事は大きな収穫になった。

 

観光鉄道「山の只見線」”を掲げ観光路線化に向けて、会津川口~只見間を上下分離で保有する福島県が中心となり「只見線利活用計画」が進められているが、只見線に専用の観光列車は無く、定期運行もされていない。「ひなび」の兄弟車「SATONO」が只見線に乗り入れるかどうか、乗り入れるのならばどのくらいの期間かなど現状では不明だが、毎週1回・月4回でもよいので定期運行し、快適な座席に座り大きな窓から景色を眺め只見線を魅力を多くの方に感じて欲しいと思う、そして観光列車の意味と必要性を只見線の利活用に関わる方々が理解し、只見線専用観光列車導入にもつなげて欲しい、と今回の旅で思った。


【追記】2024年2月15日 東日本旅客鉄道㈱ プレスリリース

URL: https://www.jreast.co.jp/press/2023/sendai/20240215_s01.pdf

「SATONO」号のデビューが2024年4月6日(土)に決定。昨年12月24日に車両老朽化のために引退した「フルーティアふくしま」号の後継との位置付けで、「あいづSATONO」号として郡山~喜多方間を走行するという。

「SATONO」の只見線乗り入れは見通せないが、「あいづSATONO」号が2024年6月9日までの土日休日の運行予定となっているので、その間の平日か只見線が最も輝く紅葉期に実現するのか期待していたい。*下掲:東日本旅客鉄道㈱「「あいづSATONO」の運行を開始します」(2024年2月15日)より1ページのみ抜粋


釜石駅前には、“鉄の町・釜石”に先鞭をつけた旧盛岡藩士・大島高任の石像など鉄に関するモニュメントがあり、観光案内板の裏には世界遺産「橋野鉄鉱山」が高炉の写真入りで表示されていた。*参考:岩手県世界文化遺産関連ポータルサイト「橋野鉄鉱山の歴史」/ 日本製鉄㈱北日本製鉄所 釜石地区案内 歴史・沿革「近代製鉄の父・大島高任

*世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」:23の構成資産が8県に点在している。(文化庁「文化遺産オンライン」URL: https://bunka.nii.ac.jp/special_content/hlinkF ) / 「明治日本の産業革命遺産」世界遺産協議会 URL: https://mir-museum.fukuoka.jp/about/

 

また、釜石市は東日本大震災で、鵜住居地区の小中学生約570名が峠に移動し犠牲を免れた“釜石の奇跡”があったものの、死者・行方不明者が1,000人を超える大きな被害を受けた。駅前には、津波避難場所案内と、その裏には、当時救命・救援ルート確保のために行われた「くしの歯作戦」の実施状況が記されていた。*参考:総務省消防庁「東日本大震災 3.釜石の奇跡」 / 読売新聞「[東日本大震災10年 秘話]<5>避難誘導 釜石の奇跡、共助のリレー」(2021年1月14日) / 国土交通省 東北地方整備局「震災伝承館」啓開「くしの歯」作戦

 

 

駅周辺を散策した後、三陸鉄道の釜石駅へ。JR駅舎との間のスペースには「ラグビー ワールドカップ」2019年大会のモニュメントが置かれていた。

駅舎に入り、自動券売機で切符を購入。

入札時間となり、盛土下に設けられた連絡道のトンネルを進んだ。

トンネルの壁には、三陸鉄道リアス線が通る久慈市がロケ地となったNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の主人公を務めた能年玲奈(現 のん)さんのポスターがずらり並んでいた。

 

階段を昇りホームに行くと、単行(1両編成)の列車が停車していた。

列車に乗り込むと、車内には3名の先客が居た。終点の盛駅までの運賃は1,100円

14:13、三陸鉄道リアス線盛行の列車が釜石を出発。

 

海が近付くと、陸と海を隔てる巨大な堤防と空き地が目立った。東日本大震災の津波被害による空き地で、今後の津波被害を防ぐための堤防だ。

湾に川が注ぐ場所には、一目で堅牢と分かる水門が設けられ、大津波に対する地元の強い意志を感じた。

 

車内では遅い昼食を摂った。朝食と同じコッペパンで、今朝盛岡市内で、開店前の「福田パン」に並んで購入していた。

“れんこんしめじ”と、デザートに“ピーナッツバター”を食べが、地元に愛されている素朴で確かな味で、旨かった



15:05、終点のに到着。東日本大震災前には大船渡線の列車が発着していた隣の番線は埋められ、BRTの舗装道に変わっていた。

 

30分ほど駅周辺を散策した後、待合室で待っているとBRTの入札が始まり、改札を通りホームに向かうと、まもなく気仙沼行きのBRTが“入線”してきた。

15:50、大船渡線BRT(盛~気仙沼)のバスがを出発。

 

BRTはかつてレールが敷かれていた舗装された路盤を快調に進み、市街地を抜け海沿いを駆けた。下船渡を出た直後に見えた大船渡湾は穏やかだった。

旧大船渡線を転用した専用道は、両脇にガードレールを設けた単線だった。駅の他に、専用道内に待避所が設けられ、下り車両とのすれ違いも行った。

 

小友を出てまもなく、BRTは専用道を右折し市道に入り、直後に左折し県道38号を進んだ。大船渡線BRTは、津波浸水地で旧大船渡線が流失してしまった箇所や人な住まなくなった地区を迂回し、“新たな街”を経由するルートに変更されている。

東日本大震災後に、津波浸水地域を回避するために開通した県道38号線のバイパスを進むと、眼下に広田湾が見えてきた。


震災後に移転した県立高田病院を経て、バイパスから海側に下りて、震災前に陸前高田市の中心地にあった鉄路とほぼ同じ場所に設置された陸前高田に向かうと、盛土された地に立つ建物が多くなってきた。

 

私は、震災の一年後に陸前高田市を訪れた。津波による浸水地域に人の気配は無く、ガラス戸が無くなった廃墟や瓦礫の山、そして広大な更地が広がっていて、被害を大きさ痛感した。県立高田病院を見た時には、当地を襲った津波の映像を見ていたこともあり、自然の猛威に恐怖したことを今でも覚えている。

*参考:日経メディカル「岩手県立高田病院 2011年3月11日・12日の記録 Vol.1 病院を大津波が襲った日」(2011年7月15日) URL: https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/report/t148/201107/520697.html

 

震災から13年経とうとしている現地の姿を見て、人口減少と財源難という問題を抱える地方が自然災害などで甚大な被害を被った場合、完全復旧は不可能な中、どのように街を造りコニュニティーをどう再構築するか各自治体の理念や姿勢が現れるだろうと思った。*参考:岩手県「いわて震災津波アーカイブ 希望」特選写真展~震災忘れまじ~ 空から見る被災前・後の三陸のまち

 

17:14、大船渡線BRTは、途中三陸自動車道を走るなど、快調に駆け終点の気仙沼に到着。この後は、大船渡線の列車に乗り換え、一ノ関~小牛田~仙台を経て、東北新幹線の最終列車に乗って郡山に戻り、今回の旅を終えた。


 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業




次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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