私選“只見線百山”の検証登山。今日は先月時間切れで未踏となった魚沼市の「御嶽山」に登り、JR只見線の小出駅を起点した周回登山(トレッキング)の可能性を確かめた。
“只見線百山”は筆者が私的に選んだ、“観光鉄道「山の只見線」”の沿線振興を意図したアクティビティーのコンテンツ。只見線沿線2市6町1村(昭和村含む)の「会津百名山」「新潟百名山」を中心に、只見線に縁のある山々を候補として挙げた(全153座)。
「御嶽山」は、只見線の終点・小出駅から南西に直線距離で2.8kmにあり、魚沼丘陵(八箇山列)の北端に位置する四等三角点峰だ。*「御嶽山」:四等三角点「御嶽」、基準点コード:TR45538676401 *出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)
山頂は300m級のなだらかな尾根筋の途上にあり、麓から「御嶽山」は特定しづらい。この尾根筋には「月岡御岳遊歩道」が整備され、「御嶽山」は気軽に登られる山になっている。*参考:魚沼市観光協会「月岡御岳遊歩道」URL: https://www.iine-uonuma.jp/activity/climbing/climbing01/tukiokaontake/
「御嶽山」は「日本三名事典」に、次のように記されている。
おんたけさん 御嶽山 (高)306m
新潟県魚沼市。上越線小出駅の南西3km。北東2.5kmに藤権現がある。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p226)
“御嶽山”は日本各地にあり、最も標高が高いのが、長野県と岐阜県にまたがり、日本百名山にも名を連ねている「木曽御嶽山」(御嶽、最高峰:剣ヶ峰3,067m)。
“御嶽山”:6座
“御岳山”:8座
“御岳山”(おんたけやま):2座
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p226-227)
*ちなみに、魚沼市には読みが同じ「御岳山」(240m)が小出駅の北東にある。
「御嶽山」は、先月1日に“小出駅⇒「藤権現」⇒「御嶽山」⇒小出駅”の周回登山(トレッキング)を計画したが時間切れで登頂を断念した経緯がある。*参考:拙著「魚沼市「藤権現」トレッキング 2023年 早春」(2023年4月1日)
今回の山行は、前回の経験を活かし、周回ルートを“小出駅⇒越後堀之内駅⇒「御嶽山」⇒「藤権現」⇒小出駅”に変更。そして、「御嶽山」の登山口は栃原峠口・月岡公園口・六花園口の3箇所あるが、今回は“ブナ林”を通る六花園口から登る事にした。
現地の天気予報は薄曇り時々雨というもので、『山行中は雨が降らないで欲しい』と願い、私選“只見線百山”の“御嶽山ー藤権現”検証登山(トレッキング)に臨んだ。
*参考:
・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線
・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線」
・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )
・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」
・福島県:只見線ポータルサイト
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の春- / -只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)-
10:41、会津若松発の始発列車に乗って小出に到着した。私が乗ってきたキハE120形の2両編成は、5番線に停車し只見行きの臨時列車として行き先表示を変えていた。
*下図出処:東日本旅客鉄道㈱「春の臨時列車のお知らせ」(2023年1月20日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20230120_s01.pdf
只見線の4-5番線ホームからは“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m、新潟百名山))と、その右(東)に「唐松山」(1,079.4m )の稜線がはっきりと見えた。
そしてホームの端からは「中ノ岳」(2,085.1m)を中央に、「越後駒ヶ岳」(2,002.7m)、「八海山」(1,778m)の越後三山(*三山とも新潟百名山)が見えた。福島県が「只見線利活用計画」で実現を目指す“観光鉄道「山の只見線」”というネーミングは、新潟県側唯一の自治体である魚沼市内から見える多様な山々の姿からも広く受け入れられるものだと思えた。
連絡橋を渡り、上越線の下りホームに向かう。改札前のホームには、テーブルが置かれて“臨時観光案内所”が設けられていた。魚沼の特産品の物販も行われていて、グリーンの法被やオレンジのジャンパーを着たスタッフが客の対応をしていた。
11:12、上越線長岡行きの列車に乗車。小出駅を起点とした、“小出駅⇒越後堀之内駅⇒「御嶽山」⇒「藤権現」⇒小出駅”周回登山(トレッキング)を開始した。
小出~越後堀之内間の運賃は150円。列車は、信濃川の支流・魚野川沿いを進んだ。
11:15、越後堀之内に到着。
11:33、駅近くのコンビニで菓子パンを購入しエネルギー補給した後、「御嶽山」に向かって歩き出した。
上越線沿いを長岡方面に200mほど進むと、線路の向こう側に出られる地下道(栃原第1架道橋りょう)の出入口があった。
地下道を出て県道128号(町屋越後堀之内停車場)線を進み、緩やかな坂を上って行くと分岐があり、角に月岡公園への案内板が立っていた。
分岐を左折し、広域農道「ふれあい・さんさくの路」(市道堀之内26号線)を進むと、左の斜面に延びる階段とその入口に“月岡公園 十二曲り上り口”という標杭が見えた。月岡公園登山口は直進するが、六花園登山口に向かう私は階段を上る事にした。
この階段の先は、うっそうとした茂みだったため、ここから熊鈴を身に着けることにした。
階段は、“十二曲り”という名の通り九十九折れに続いたが意外と短く、3分ほどで芝生敷きの広場に出た。刈り払いされ、よく整備された芝生面は続き、少し歩くと更に広い広場に出た。
11:51、先に進むと子ども達の歓声が聞こえ始め、駐車場や遊具、そして広大な芝生広場が現れた。月岡公園に到着したようだった。芝生公園の向こうには、越後三山の山頂稜線が突き出ていた。
この月岡公園の駐車場は「御嶽山」の登山者も利用できるが、天気が良い事もあってか今日は家族連れて公園を利用する方の車が多いようだった。
月岡公園を抜けて左折、再び市道堀之内26号線に入り舗装道を歩いて行くと、上り坂の先に車と白い標杭が見えた。
12:03、「御嶽山」六花園登山口に到着。約1か月半ぶりの再訪となった。
自働車の轍のある短い坂を上ると、10台は停められるであろう空間があった。
下山してきた二人組と挨拶を交わし、案内板の先、南に続く「月岡御岳遊歩道」に足を踏み入れた。
遊歩道は踏み固まった土場で、釣鐘や方向指示を伴った案内板があり、多くの人が行き交い続けている場所であることが分かった。このため、明るい日中帯であれば熊に遭遇することはなく“クマ出没注意!”という貼り紙に気に留めなかった...。
歩き出した直後に、“ブナ林”に到着した。魚沼観光協会HPの「月岡御岳遊歩道」のページに使用されている写真の場所だった。陽光が降り注ぎ、新緑のブナの葉が照らされ美しい空間だった。
遊歩道の傾斜が増すと、横木が鉄筋で固定された階段となった。また、根が露出した場所には、丸太で土留めがされていて、整備された遊歩道だと改めて思った。
遊歩道を直登する。根が露出した面が続き、足元に注意しながら進んだ。
傾斜はどんどんと増し、息を切らせながら進むと、前方が明るくなった。
明るくなった場所に出ると、斜面に切り通された平場だった。
平場の先は、再び急坂になった。根が露出し、階段も設けられていたため、足を滑らすことはなかった。
登坂途中、防災無線による放送が聞こえ、ゾッとした。先ほど通過した月岡公園で熊の目撃情報があり、『外出の際は、音の出るものを身に着けてください』というものだった。月岡公園ならば、「御嶽山」を含む魚沼丘陵の北端は熊の生息域に含まれ、自分がそこを歩いていると思うと背中に冷たいものを感じた。
この先、葉が繁り、見通しの悪い場所では熊鈴を強く鳴らし、「北海道大学クマ研」の“ポイポーイ”を連呼しなければならないと思った。*参考:北海道新聞「「ポイポーイ」クマよけのかけ声が響く北大天塩研究林 地図とコンパスで広大な山林を調査して歩く北大クマ研のヒグマ調査に同行」(2022年9月15日) URL: https://www.hokkaido-np.co.jp/article/730946/?pu
12:15、急坂の先は「出会の鐘」だった。堀之内城址を経由する月岡公園口からの登山ルートとの合流点だ。
「出会の鐘」は尾根筋の北端で、見晴らしはよく、北に目を向けると魚沼市堀之内地区の市街地を見えた。
南に目を向けると、「御嶽山」から「大平」に続く稜線が見え、その左(東)には越後三山が見えた。
数分滞在し、「出会の鐘」を後にした。遊歩道は固い土場で、左(東)の切れ落ちた斜面にはトラロープが張られ、快適に安全に歩くことができた。
時折、開けた場所から山々が見えた。「守門岳」(新潟百名山)山塊の「大岳」(1,432.4m)、「青雲岳」(1,490m)、「守門岳(袴岳)」(1,537.3m)にはまだらに雪が残っていた。
また、破間川沿いに目を凝らすと、只見線の路盤と第一破間川橋梁、そして車窓から見えるJA北魚沼カントリーエレベーターが確認できた。
遊歩道は、浅い鞍部が2箇所あり、その先に長めの坂が延びていた。角材を使った階段もあり、歩く快適さは変わらなかった。
12:21、尾根に乗った。
北側の眺望は、更に開け堀之内市街地全体が見渡せた。
この先、遊歩道は尾根筋の開けた場所に延びていた。
左(東)に目を向けると、「藤権現」を含む魚沼丘陵北端のなだらかな尾根筋越しに、“権現堂山”の稜線が綺麗に見えた。*参考:拙著「魚沼市「権現堂山」登山 2020年 盛夏」(2020年8月13日)
少し歩いて振り返ると、尾根筋に綺麗に延びる遊歩道の様子が分かった。周囲に高い山が見えないため、300m級ながら高度感を得られる遊歩道だと思った。
遊歩道は左(東)が切れ落ち、右は低い灌木が続き開けていたため『ここでは熊との遭遇はないだろう』と思い、景色を見ながら気持ちよく歩き進んだ。そして、しばらく行くと、前方に開けた空間が見えた。
遊歩道の先は平場になっていて、正面に太めの山名標杭が見えた。
12:26、「御嶽山」山頂に到着。越後堀之内駅から53分、六花園登山口から23分という所要時間で、遊歩道の整備状況と合わせ「御嶽山」は散歩感覚で登られる山だと思った。
山頂広場には、朱色の釣鐘や大きな石碑などが立ち広かったが、目当てのものはすぐに見つかった。
「御嶽山」の三角点。石標に触れ、登頂を祝った。
“四等”の刻印もはっきりと見えた。
眺望は北東を中心に、大きく開けていた。
堀之内市街地の全体と、只見線が走る破間川沿いの一部も見られた。
12:34、山頂で景観鑑賞と写真撮影を済ませ、栃原峠方面に向かう事にした。“小出駅⇒越後堀之内駅⇒「御嶽山」⇒「藤権現」⇒小出駅”周回登山(トレッキング)は、栃原峠は経由せず手前の分岐で反対方向に進む事になる。
「御嶽山」山頂から先の遊歩道も、変わらず整備されていた。歩き始めると、1人の登山者とすれ違った。
浅い鞍部を越えると、石像と祠があった。
この先は、「大平」に向けて深い鞍部になっていた。
鞍部を越え、急坂を登る。藪が密集し、視界が悪かったため、熊鈴を鳴らし、“ポイポーイ”と叫びながら進んだ。
急坂を登り終えると、再び尾根筋に乗り、大きく開けていた。
12:40、「馬の背」を通過。
“馬の背”の名の通り、直後の遊歩道の両側が土面が剝き出しになっていて、栗毛の馬の背を思わせた。
「馬の背」から振り返ると、「御嶽山」が見え、ここよりも標高が低い事が実感できた。
遊歩道を進むと、前方に青い屋根の一部が近付いてきた。
12:43、「大平」(326m)に到着。青い屋根は東屋に掛けられたブルーシートだったようで、東屋内では1人の登山者が食事をしていた。
「大平」には、コンクリート製の土台の載った山座同定盤が設置されていた。
「大平」からの眺望。堀之内市街地のみならず、破間川沿いに延びる谷底平野、小出市街地が見えた。この眺望は「月岡御岳山遊歩道」で一番のものではないかと思った。
「大平」の先にも、同じような状態の遊歩道が延びていた。
前方には、越後三山が見え続け、この山々への“登山欲”が湧いてきた。
12:49、分岐になった。事前に、国土地理院地図を見ていたため、迷わず直進し、斜面に取付いた。
参考にした国土地理院地図(Web)で、この斜面がショートカットになっていたからだ。*下掲地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」(電子国土Web) URL: http://maps.gsi.go.jp/
斜面は踏み跡がはっきりと付いていたが、かなりの急坂だった。登りつめると平場になり、再び越後三山が見えた。
平場は短く、その先は浅い鞍部で、先ほど分岐した遊歩道との合流点になっていた。
鞍部の先、緩やかな上りを進むと前方が開けて、越後三山の脇に2つの電波塔が見えた。1つはFMのもので、国土地理院地図ではその付近に栃原峠方面に分かれる分岐があるということだった。
また先にを進むと、ベンチが置かれていた。
そのベンチの少し先の左(東)側が開け、目を凝らすと、これから向かう「駒見山」と小出スキー場第三リフトの下り場、その先には北魚沼カントリーエレベーターが見えた。
遊歩道は長い鞍部になった。階段が付けられた下り坂を進んだが、遊歩道の幅は狭くなり、茂みも背丈を超えているため、熊鈴を手にもって鳴らし、“ポイポーイ”と叫びながら進んだ。
鞍部を過ぎると、下りと同じように長々と登り坂が続いた。急坂ではなかったが、両側が茂っていて“ポイポーイ”を連呼したため、息が切れた。
登坂途中、白く小さな花が密集する場所があった。立ち止まって見ると、ナナカマド(七竈)のようだった。
まもなく、前方に白い標杭が見えた。
13:04、栃原峠への分岐に到着。突き当たった道は車が通れる作業道だった。振り返って、歩いてきた遊歩道を見ると、2本の標杭には栃原峠と記されていた。
作業道を右に進み、手前の電波塔を見ることにした。電波塔の下の建屋には“NHK”と記されていた。2つの電波塔は、FMとNHKのもののようだった。
NHK電波塔前から引き返し、分岐を左折した側に進んだ。右に曲がり、一旦、南魚沼市に入った。
作業道は、車両の行き来がそこそこあるのだろうと思えるような轍の状態だった。
八色駅北西700m付近に抜ける分岐を通過。左カーブを進んだ。
再び魚沼市に入り、国土地理院地図に記載されていた291m標高点と、そこを通る“道”がある分岐付近に到着。
右側の茂みを探すと、踏み跡らしい痕跡があり、短い斜面を下りそこを進んでみた。しかし、まもなく踏み跡は茂みに覆われ見えなくなり、激藪や前方を塞いだ。ここで前進は不可能と思い、引き返すことにしたが、頭上には電線が張られていて、“道”はこの電線(電柱)の保守のためのものではないかと考えた。
作業道に戻り、先に進んだ。すると前方に、「月岡御岳遊歩道」からも見えていた、ピンク色の場所が正面に見えた。
コンデジをズームにして見ると芝桜の群生で、さっそくスマホで調べて見ると、関越自動車道・堀之内ICのそばにある「花と緑と雪の里」だった。*参考:新潟県立奥只見レクリエーション都市公園「花と緑と雪の里」
作業道を進む。
傾斜が緩やかになり、沢音が聞こえた。木々の開けた場所から前方の尾根を見ると、電線と電柱が見えた。位置的に、この電線・電柱は進行を断念した291m標高点を通過しているものだと確信した。
作業道には、大規模な斜面の崩落跡が2箇所あった。この道が電波塔保守の重要なルートということで、崩落後の復旧は速やかに行われたのではないかと思った。
13:28、舗装道に突き当たった。振り返って作業道を見ると、舗装面に出入りの痕跡が見えた。
舗装道を右に進むと、目の前に左に曲がる分岐が見えた。分岐に着くと舗装道から鋭角に曲がり、未舗装だが市道(向山福山線)の緩やかな上り坂を進んだ。
市道の両側の木々は茂り、熊への警戒心が高まったため、熊鈴を手にもって鳴らしながら“ポイポーイ”を連呼した。
作業道が切通しとなった場所では、薄暗いこともあり、“ポイポーイ”をより大きな声量で叫んだ。
市道は平坦になり、少し進むと左カーブに標杭が見えた、近づくと石像が立ち、標杭には“中馬頭観音”と記されていた。
青島地区に抜ける市道水上沢線の分岐を通過し、スギ林の中を進んだ。
スギ林を抜けると、右(東)側が大きく開け、小出市街地越しに、「上権現堂山」と「唐松山」が見えた。
この見晴らしの後、作業道は雪重で折れたと思われる木枝に覆われていた。
切通し区間を過ぎて、少し進むと、枯れ藪の下に残雪があり、前方にはスギに巻き付いたフジの花が見えた。
ここは右(東)側が開けていた。
この見晴らしの先は、再び鬱蒼と茂る森の中に作業道が延びた。
13:44、作業道の傾斜が増して舗装面に変わり、左に小さく曲がると、前方に軽自動車とガードレールが見えた。市道青島堀之内線だった。振り返って、歩いてきた方向を見た。
市道を左に進むと、「房ケ沢山」(286m)と「あいの峰山」(275.4m)の間を通る事になり、それぞれ遊歩道の出入口があるという。
今回は時間的、体力的に右に進むことにした。少し下って、入口に車が停められた、左に延びる作業道に入った。
作業道は芝のような草に覆われ、歩き易かった。だが、見通しは悪かったので、熊鈴を手にもって鳴らし、“ポイポーイ”を連呼しながら進んだ。
少し歩くと、前方が開け、沢を巻くように作業道が延びていた。
作業道の右カーブの頂点で立ち止まり、麓を見ると“只見線百山”の候補に挙げている「笠倉山」や、越後三山の「越後駒ヶ岳」が見えた。
「御嶽山」から「藤権現」に向かうルートの大半は作業道だが、山々に囲まれた麓の景色が見られるのでトレッキングコースとしては及第ではないかと感じた。
右カーブの先で再び茂みの中に入ったが、すぐに前方が開け、分岐が見えた。
この分岐を左に曲がった。車での登坂は無理と思われる急坂に、踏み跡が続いていた。
坂は途中で右に鋭角に曲がり、少し進むと前方に開けた場所が見えた。
未舗装の市道大石19号線に突き当たった。今年4月の「藤権現」トレッキングの際に通った道だ。
左に曲がると、すぐに左の斜面に延びる踏み跡があった。「あいの峰山」への登山道だ。
今回は市道を通らず、右端に尾根伝いに延びる「駒見山」への遊歩道を進んだ。入口には“駒見山山頂へ 3分”と書かれた案内板が立っていた。
遊歩道は、まさに“頂に続く道”になっていた。
案内板通り3分で、「駒見山」山頂に到着。
「駒見山」山頂からの眺望。小出市街地から越後三山までが一望でき素晴らしく、「駒見山」は“小出駅⇒越後堀之内駅⇒「御嶽山」⇒「藤権現」⇒小出駅”周回登山(トレッキング)に欠かせない場所だと思った。
「駒見山」から、5mほど下にある小出スキー場の第三リフトの降り場に下りた。平場の北端に行くと、「御嶽山」山頂と思われる場所が見えた。
平場の東端から、「藤権現」に続く尾根筋に延びる遊歩道を見下ろし、トレッキングを再開した。
鞍部となっている小出スキー場のゲレンデを横切り、尾根筋を見上げながら進んだ。
坂を登り、見晴らし広場を通過。
尾根筋の遊歩道の両脇は灌木の葉が茂っていたが、痩せ気味の尾根なので、熊の存在は気にせずスイスイと進んだ。
見晴らし台を通過。雲が多くなってきてたが、越後三山はまだ見えていた。
前回とは違い、遊歩道に緑があるため、違う気持ちよさで歩くことができた。
2箇所の鞍部を越えて、丸太階段を登ってゆくと平場が見えた。
14:15、「藤権現」山頂に到着。「御嶽山」から1時間41分掛かった。
三角点石標に向かい、触れて登頂を祝った。
「藤権現」山頂の眺望。
「御嶽山」と同じく西側ではなく、東側が開けているが、「藤権現」は南東側の見晴らしが良い。魚野川沿いに延びる小出市街地と、その奥に越後三山が構える構図は素晴らしいと改めて思った。
前回の訪問では、東側に切れ落ちた斜面の木々が無葉だったため小出駅の駅舎が見えたが、今日は葉が繁り視界が塞がれていた。少し右(南)に移動すると、小出駅構内の引き込み線が見えた。
「藤権現」山頂に5分ほど滞在し、トレッキングの汗を流すため「見晴らしの湯 こまみ」に向かった。砂利道に合流し、左に延びる市道(見晴新道線)を進んだ。
途中、ほぼ正面に越後三山が良い構図で見えた。この3座は私選“只見線百山”の候補に挙げているが、早く登ってみたいと思える山容だった。
小出スキー場のゲレンデに入ってまもなく、前方に茶色い建物が見えた。
受付で入湯料600円を支払い、長い廊下を渡り脱衣所に向かった。
浴室は混雑していたが、越後三山がほぼ正面に見える露天風呂にゆっくり浸かり、全身をほぐすことができた。登山の後に湯に駅近くの湯に浸かれるのは素晴らしい、と福島県側を含め、只見線沿線の山と温泉は“観光鉄道「山の只見線」”の確立の大きな役割を果たすと思った。
【見晴らしの湯 こまみ】
源泉名:青島源泉
泉温::37.8℃(気温9℃/貯湯槽で測定)
泉質:ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉(低張性中性温泉)
pH:7.3
湧出量::45L/分(動力揚湯/貯湯槽入り口のメーター読み値)
50分ほど滞在し、「見晴らしの湯 こまみ」を後にした。玄関を出ると、天気予報通り雨が降っていたが弱く、傘は不要だった。
途中、路の脇に建つ東屋に、『特定外来生物のぬきとりにご協力ください』という貼り紙があり、ビニール袋がぶら下がっていた。
15:35、「見晴らしの湯 こまみ」から15分で小出駅に到着。“小出駅⇒越後堀之内駅⇒「御嶽山」⇒「藤権現」⇒小出駅”周回登山(トレッキング)は、温泉入浴を含め、4時間3分で終了した。
今回の検証登山で、1駅分JR上越線を利用したものの、“小出駅⇒越後堀之内駅⇒「御嶽山」⇒「藤権現」⇒小出駅”周回登山(トレッキング)を“只見線百山”に入れるべきものだと確認できた。「房ヶ沢山」と「あいの峰山」を経由すれば、距離は延びず適度な起伏や眺望が加わり、このルートの魅力は更に増すだろうとも思った。
「御嶽山」「藤権現」前後のルート上からの眺望は素晴らしく、「御嶽山」から「藤権現」に向かう林道(作業道)は森林の中を気持ちよく歩け、時折開けた場所から見える山々がアクセントとなり飽きのこないトレッキングが楽しめた。全長約10kmと無装備・サンダル履きで歩ける距離ではないが、標高差約250mというなだらかな傾斜を良い景色を眺め美味しい空気を吸い込みながら歩き、最後に温泉に浸かれるというコースは秀逸だと感じた。
ルートは、尾根筋は踏み跡がはっきし刈り払いなど人の手が入っているため、林道(作業道)と合わせ道迷いの可能性も低い。また、各分岐に矢印付きの案内板などが設置されれば、地図無しでも踏破できるような分かり易いものだった。さらに、痩せ尾根など滑落の危険性が高い場所が無いことから雪上トレッキングも可能と思われ、春夏秋冬、オールシーズン楽しめるだろうとも思った。
今回の山行は、“小出駅⇒越後堀之内駅⇒「御嶽山」⇒「藤権現」⇒小出駅”周回登山(トレッキング)は、“観光鉄道「山の只見線」”の魅力を高め、“只見線百山”で人気となるコンテンツになるだろうと感じられたものとなった。
小出駅からは、只見線を経由して郡山に帰る。
駅舎に入る前に、只見線の列車の中で“会越の地酒”を呑むため、“越後の酒”を調達しようと駅前にある「富士屋」に向かった。
「富士屋」で地酒とアテを調達し、駅舎に入り4-5番ホームに向かった。5番線にキハE120形2両編成が停まっていたが、回送と行き先表示され、押ボタン式のドアは開かなかった。
しばらくホーム端のベンチで待った。左(西)に目を向けると、新緑に包まれた「藤権現」がホーム越しに見えた。
時間が経つにつれて、ホームには次から次に客がやってきた。制服を着た高校も多かった。
16:00、車掌が列車に乗り込み、しばらくしてドアボタンが緑色に点灯。ドアを開けて、列車に入ることができた。席を確保し、再びホーム出ると、列車の行き先表示は会津若松に変わっていた。
車内では、遅い昼食を摂った。まず、新潟限定のビールで「御嶽山」登山の終了を祝った。
16:12、会津若松行きの最終列車が、小出を出発し「魚野川橋梁」を渡った。前後車両とも、座席の6割程度が埋まる乗車率だった。福島県側の会津若松~会津坂下間に似た乗客の状態だと思った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧1873-1960」
沿線の上空の雲は鼠色で、小雨が降り続いた。
藪神を通過したところで、“会越の地酒”呑みくらべを開始。
今回、“越後の酒”に選んだのは「緑川」(魚沼市)の純米酒。ラベルの裏には『純米緑川は淡麗な中にもうまみをさらに残した、たいへん飲みやすい酒です。深い味わいにからむ上品な香りをお楽しみください。』と記されていた。*参考:新潟県酒造組合 蔵元紹介「緑川酒造株式会社」
小出駅前の「富士屋」は、「緑川」の特約店で全ての酒種が揃っているようだった。ただ、「緑川」は300mⅬ入りなどの小瓶以外は店頭の冷蔵庫には陳列されておらず、別の冷蔵庫から出されるという“特別扱い”だった。この「緑川」純米酒も、女将がカウンターの奥の別室に入り持ち出してくれたもので、しっかりと冷えていた。
「緑川」純米酒を呑む。口に付けた瞬間は清水のような軽さだったが、直ぐに香りが立ち、のど越しには濃厚さが感じられた。吟醸酒のような香りと濃厚さだが、スッキリとサッパリ感が呑み終わった後に強く残る酒で、旨さと出来栄えに唸りながら呑んだ。
「緑川」は今回初めて呑んだが、只見線沿線の魚沼市にまた旨い日本酒があること知り嬉しくなるとともに、“只見線と日本酒”は訴求力の高い観光のコンテンツになることを、改めて思った。
今回の日本酒のアテは、新潟名産の柿の種。大粒で食べ応えがあり、固さと風味ともに良かった。
列車は越後広瀬、魚沼田中を経て、大倉沢橋梁を渡った。上空には薄曇りの場所もあり、わずかながら陽光が届いているためか、破間川(藪神ダム湖)の川面や河岸の木々の緑は映えて見えた。
越後須原で前方に目を向けると、「守門岳」の山塊が近付いて見えた。
上条を出発し、進行方向が180度変わる“入広瀬 大カーブ”に入り、カーブの頂点付近にさしかかると「鷹待山」(339m)が見えてきた。中世に200年にわたってこの地を治めたという、穴澤氏の鷹待城の城跡が山頂にある。
入広瀬を出ると、大半の客を降ろした車内は閑散とした。車窓からは、国道252号の新入広瀬橋の向こうに「守門岳」の登山ルート(大池登山口)上にある「藤平山」(1,144m)、その左(西)端の後方には「守門岳」山塊の「大岳」が見えた。
入広瀬の後、只見線は破間川に近づき交差しながら進んだ。
柿ノ木駅跡を通り過ぎ、破間川取水堰(東北電力㈱)を上流側に見ながら「第一平石川橋梁」を渡った。黒又川合流点から上流の破間川は、かつて平石川と呼ばれていたため、“破間川”ではなく“平石川”が橋梁名に残っているという。
続いて、「第二平石川橋梁」を渡った。
そして、真っ赤な国道252号線柿ノ木スノーシェッドを左に見ながら「第三平石川橋梁」を渡った。
「第四平石川橋梁」は直角に国道252号線と交差し、渡河後に列車は一ツ橋トンネルに入った。
一ツ橋トンネルを抜けると、破間川の清流は狭隘な渓谷を流れていた。
16:57、魚沼市(新潟県)最後の駅・大白川に到着。破間川が目の前を流れ、清流と新緑を肴に呑む「緑川」はより旨く感じられた。
大白川では、会津若松13時5分発の下り2番列車とすれ違いを行った。キハE120形+キハ110系の2両編成が定刻の17時に停車したのを待って、私が乗る上り列車は発車した。
大白川を出た直後に「第五平石川橋梁」を渡ると、これから列車が16回渡河する末沢川が見えた。
列車はまもなく、国道252号線と並んだ。“会越国界”(福島ー新潟県境)の六十里越区間の交通を担う只見線と国道252号線は、トンネル区間を除き、沿い交わりながら敷設されている。降雪期に通行止めとなる国道252号線は。今年はGW前の先月28日の正午に福島県側と新潟県側が同時に解除された。*参考:新潟県 魚沼地域振興局「令和5年4月28日(金曜日)12時 国道252号六十里越が通行可能となります」URL: https://www.pref.niigata.lg.jp/site/uonuma-seibi/20230428kiseikaijo.html
列車は、「第一末沢川橋梁」を渡った。
以下、只見線の末沢川に架かる16基の橋梁上からの眺め。
「第二末沢川橋梁」。
「第三末沢川橋梁」。
「第四末沢川橋梁」。
「第五末沢川橋梁」。
破間川ダムの下流にある平石川取水ダムから水を引き入れている、水路式の電源開発㈱末沢発電所の目の前を通過。
「第六末沢川橋梁」。茂尻橋の真っ赤な曲弦鋼材が、新緑に映えていた。
「第七末沢川橋梁」。
「第八沢川橋梁」。
「第九末沢川橋梁」。大雪崩沢スノーシェッドのコンクリート柱が、要塞のように見えた。
「第十末沢川橋梁」。
「第十一末沢川橋梁」。
「第十二末沢川橋梁」。左岸には、岸壁崩れ落ちた雪塊が、未だ残っていた。
「第十三末沢川橋梁」。右岸の斜面に毛猛平スノーシェッドの赤い鋼材が見えた。
「第十四末沢川橋梁」。上流側に電源開発㈱末沢第2取水ダムが見えた。
六十里越が近付き、前方には無名峰(約1,000m)が見えた。
「第十五末沢川橋梁」。渡河直後に第四毛猛トンネルに入った。
そして、最後の「第十六末沢川橋梁」。列車は直後に六十里越トンネル(6,359m)に入り、魚沼市を後にした。
只見線の末沢川に架かる橋梁上からは、福島県側のダム湖の連続とは違い渓谷と清流が見られる。この車窓からの眺めを活かすことは、“観光鉄道「山の只見線」”の確立には欠かせない、と改めて思った。
7分ほどで六十里越トンネルを抜け福島県只見町に入り、列車は只見沢橋梁を渡った。只見沢の上流に目を向けると、山肌に雪渓残す「浅草岳」(1,585.4m、只見四名山・会津百名山・新潟百名山)がはっきりと見えた。
反対側の座席に移動し、只見沢が注ぐ田子倉(ダム)湖を眺めた。“只見沢入江”が、スゥーっと湖の中心に向かって延びていた。
列車は国道252号線を潜り、スノーシェッド内にある田子倉駅跡を通過した。
スノーシェッドを抜けると、余韻沢橋梁上からは田子倉(ダム)湖の中心部が見えた。
また、振り返ると、雪食地形の荒々しい山肌に繁る新緑が綺麗に見え、その後方には「浅草岳」の南に連なる「南岳」(1,354m)が見えた。
田子倉トンネル(3,712m)を抜けた列車は、短いトンネルやスノーシェッドを通りながら只見町の市街地に近づく。途中振り返ると、電源開発㈱只見発電所・ダムのゲートと、その奥には谷間を塞ぐ電源開発㈱田子倉発電所・ダムの躯体が雨霧越しに見えた。
17:30、只見に到着。“会越界”の六十里越・大白川~只見間(20.8km)を29分で駆けた。
30分の停車時間があるということで、“会津の酒”を買おうとホームから長い連絡道を渡り駅舎を抜けた。
駅頭に立ち、アスファルト面を見ると雨粒は大小交じっていることが分かった。
停車中のキハE120形越しに、「要害山」(705m、只見四名山・会津百名山)を眺めた。
国道252号線沿いの松屋商店で買い物を済ませ、駅に戻り列車に向かった。駅前の「只見線広場」を含め、駅周辺はひっそりとしていた。
ホームに着いて列車の行き先表示を見ると、ワンマンとなっていた。只見線は、昨年10月1日の全線運転再開に合わせて会津若松~只見間をワンマン運転区間とした。*JR東日本の新潟支社管轄となる只見~大白川間は車掌が乗車している。
18:00、只見を出発。先頭車両に1人が乗った他、客の乗降は無かったようだった。
市街地を離れて国道252号線沿いを列車が走ると、右(東)に「蒲生岳」(828m、只見四名山・会津百名山)の“会津のマッターホルン”の名にふさわしい山容が見えた。
列車は、只見線内最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。
八木沢地区の背部を抜けた列車は、国道252号線の八木沢スノーシェッド上部に出て、只見川を見下ろしながら進んだ。ダム直下以外では、只見川の浅瀬を見続けられる貴重な区間だ。
列車が蒲生川橋梁を渡ると、前方の「蒲生岳」はガスに覆われていた。
会津蒲生に停車したのを機に、“会津の酒”を呑む事にした。松屋商店で手にしたのは、“幻の酒”と言われている「岩泉」の特別純米原酒。「岩泉」はかつて只見町内にあった醸造所で作られていた日本酒で、現在は同じ南会津郡内の会津酒造㈱が製造している。
「岩泉」を呑むのは二度目だが、純米原酒は初めてだった。
口に含むと深みがあり、呑むと香りが抜け、のど越しはさっぱりとしていた。キンキンに冷やしても、香りが立つ酒と思え、淡泊なイワナの塩焼きと一緒に呑んだら最高だろうと思った。
現在、只見町では「ねっか 奥会津蒸留所」が輸出用清酒を醸造しているが、他日本酒の蔵は無い。只見町の旨い水と米で「ねっか」が作る高品位の米焼酎の呑むと、「岩泉」が只見町で再び造られて欲しいと考えてしまう。
「岩泉」の醸造元だった関係者が、未だ清酒製造免許を持っているのならば復活して欲しい...と「岩泉」を呑みながら改めて思った。
会津塩沢を出た列車は、国道252号線と只見川と並んで進み、滝トンネル(1,615.2m)に入った。
会津大塩を出発後、列車は復旧工事で下路式トラス橋に架け替えられた「第七只見川橋梁」を渡り会津横田に向かった。
会津越川を出発後、橋立トンネルを抜けて民宿「橋立」の駐車場の北端にある“只見線(135.2km)中間点標”となっている、『ここが、只見線の真ん中だ!』と記された看板前を通過。私のコンデジのシャッタースピードでは、文字を鮮明に撮る事は出来なかった。
本名トンネルを抜けた列車は、「第六只見川橋梁」(復旧工事で下路式トラス橋に架け替え)を通過した。上流側直下には東北電力㈱本名発電所・ダムが見えた。
本名を出発した列車は、「第五只見川橋梁」を渡り、只見川右岸沿いを駆けて減速し、下り最終列車が待機している駅に停車した。
18:53、会津川口に到着。小出行きの最終列車は、キハE120形+キハ110系の2両編成だったが、夜間で車窓からの景色が見えないということもあってか、乗客はわずかだった。
19:08、列車は会津川口を出発。私が乗った後部車両は、新潟県側の入広瀬から変わらず乗客は2名のままだった。
この後、私は磐越西線の上り最終列車(郡山行き)に乗り換え、只見線の旅を終えた。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」*2008年放送
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法
*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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