「(同)ねっか 奥会津蒸留所」は2016年7月に只見町梁取地区に設立された。米焼酎「ねっか」の初出荷は昨年の4月。当時、地元紙でも紹介されていた。 *記事出処:福島民報 2017年4月18日付け
私は、昨年9月にこの「ねっか」を初めて飲んだ。会津川口駅構内の売店で店頭に並んでいた「限定 只見線ボトル(200ml)」だったが、香りが濃いがスッキリとした後味に、『失礼ながら、ここまでのものが山間の蒸留所でできるのか...』と感心感動した。
今日は、この「ねっか」の製造元を訪れ、先月オープンした「テイスティングルーム」を見学し併設の売店でのみ販売されている米焼酎を手に入れるのが第一の目的。
第二の目的は、只見町のお隣、南会津町まで足を伸ばし会津田島駅を訪れ、福島県内初設置の「地酒試飲自販機」を利用する事。この「地酒試飲自販機」については別稿で取り上げる。
旅程は以下の通り。
・只見線に乗車し会津塩沢“駅”で降り、只見町の沿線を自転車で巡る
・伊南川沿いを上流方向に進み、梁取地区にある「ねっか 奥会津蒸留所」を訪れる
・ツアーバスを利用し南会津町に向かい、そこから会津田島駅周辺の観光施設を自転車で巡る
・会津鉄道に乗車して、会津若松経由で郡山に戻る
「浅草岳」の残雪を遠くに眺め新緑との対比に春を感じながらも、夏を思わせるような強い日差しの下、初めて訪れる5月の只見町の風景を堪能できた旅となった。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・東日本旅客鉄道株式会社:・「只見線について」(PDF)((2013年5月22日)
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の食と酒ー / ー只見線の夏ー
22:48、定刻に会津若松に到着。駅頭に佇む「赤べこ」越しに駅頭を見渡すが人通りはほとんどなかった。若松の夜は早いのか、繁華街が駅から離れている事からか、ひっそりしていた。
今朝、宿を出て鶴ヶ城(会津若松城)公園に向かう。朝日に照らされた赤瓦が青空に映えて美しかった。
城内には散歩する市民の姿が少なくなかったが、静けさに包まれていた。福島県随一の城郭とその風格は見応えがあった。
城を後にして、会津若松駅に向かう。駅の屋根も鶴ヶ城の赤瓦を模した屋根になっていて、“まち”としての一体感を感じた。
自転車を畳み輪行バッグに入れ、構内に入る。自動改札を通り、連絡橋から見下ろすと、只見線の4番線には始発列車が停車していた。
ホーム越しには、複雑な稜線が残雪により露わになった飯豊連峰が見えた。
切符は前日に郡山駅で購入。今日は会津塩沢駅で降りる予定だが、天候と体調を考慮して只見駅までにしておいた。その差額は170円。
6:00、会津川口行きの始発列車は定刻に会津若松を発車。思いのほか県立川口高校の生徒が少なく、乗車率は2割程度だった。
列車は、七日町、西若松と市街地を通り、大川(阿賀川)を渡って会津盆地の田園の中を駆け抜けた。
会津本郷を過ぎて会津美里町に入ると、田植えの終わった田越しに、裾野を広げた飯豊連峰を見る事ができた。
会津高田を過ぎて、右に大きくカーブをして、会津盆地を北上する。根岸手前では右手に「磐梯山」の輪郭が見えた。
左の車窓から眺めると順光で、植えられたばかりの緑稲と田の水鏡が綺麗だった。
新鶴手前では、住宅越しに、迫力ある飯豊連峰が見えた。
列車は、会津坂下で7分停車して、ほとんど乗客を増やさず出発。
住宅が途切れた直後、前方の(会津)西部山麓の低山越しに、飯豊連峰を眺めた。見る角度によって山の表情が違うために、何度も見てしまった。
静かだった車内に、重いディーゼル音が響き、列車は七折峠の登坂を始めた。
塔寺を過ぎ、四つのトンネルを抜けて登坂を終えると、木々の間に開けた眺望が現れた。大沢地区を眼下に飯豊連峰が正対する“坂本の眺め”(自称)だ。
郷戸手前で“Myビューポイント”を眺める。雲一つなく、これから向かう奥会津地域も快晴だと確信する。
列車は滝谷を出た直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入る。*各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧」
東北電力㈱柳津発電所の調整池である柳津ダムが創り出す水鏡が、綺麗に岸辺の緑を映し出していた。
三島町の中心部・宮下地区が近づくと大谷川橋梁を渡り、県道にかかる宮下橋を見下ろした。
会津宮下では会津若松行きとすれ違いを行う。ホームには二人の乗客の姿があった。
この会津若松行きの2両目(後尾)は、今年3月から運行を始めた“新”ラッピング車だった。
暫し只見川(宮下ダム湖)と離れた後、「第三只見川橋梁」を渡った。両側とも木々が生い茂り、民家などの建築物は見えない場所だ。
会津水沼を出発して、しばらくすると「第四只見川橋梁」を渡る。下路式トラス橋のため、鋼材の間から車窓の風景を見る事になる。東北電力㈱上田発電所・上田ダムが近いという事で、只見川の水深は浅く、水面に波が立ち水鏡はあまり期待できない場所だ。
会津中川を出て、大志集落の中を進み只見川(上田ダム湖)の際を走るようになると列車は減速し、終点を告げる車内放送が流れた。前方には林道に架かる上井草橋が見え、川面にも投影されていた。
今朝の水鏡は、微かに波立っていたが、まずまずの冴え具合だった。
8:01、列車は定刻に会津川口に到着。県立川口高校の生徒を中心に20名程の乗客が降り立った。
この先は、「平成23年7月新潟・福島豪雨」の被害による運休区間。会津川口駅から先、一本に収束し野尻川を渡り敷設されているレールを、2021年度には列車が再び走る予定だ。
ホームを下り構内踏切を渡った直後に、振り向いて乗ってきた車両を眺めた。
白地に2種の緑のラインが入ったキハ40形東北地域本社(仙台支社)色は、只見線沿線の自然に溶け込み、青空の下では一層映える。新車両に更新することなく、できるだけ長く只見線を走り続けられるよう、全国のキハ40形から部品を得てストックし、保守が可能となる体制を取って欲しいと個人的には思っている。
駅構内に入り、売店の前に掲示された“Youはどこから?”ボードを見る。台湾が圧倒的だが、今回はイスラエルから女性2名とアルゼンチンから男女1組の訪問があったようだ。中東と南米から日本を訪れ、数ある観光地の中で只見線乗車を選んでくれてありがたい。
駅舎を抜け、駅頭につけられた代行バスに乗車。ドライバーは、馴染みの女性。笑顔で迎えてくれた。
本名“駅”となっているバス停で停発車し、再び国道252号線に入り、先を進む。坂を上り直角に左折し、東北電力(株)本名発電所と一体化した本名ダムの天端の中ほどで、左に流出した「第六只見川橋梁」の橋脚を見下ろした。
ここでは只見川の護岸工事が進められているが、只見線の橋脚にも手が加えられているようだった。「第六橋梁」は、上路式トラス橋から下路式曲弦トラス橋に大幅に変更される。
代行バスは会津越川“駅”で一人を下ろし、会津横田“駅”を経て、二本木橋を渡る。橋上から上流に目を向けると、一部橋桁が流出した「第七只見川橋梁」を見ることができた。
「第七橋梁」の向こうに見える水色の橋は町道に掛かる四季彩橋で、中路式ローゼ橋であることが幸いし、「平成23年7月新潟福島豪雨」の被害を免れた。この「第七橋梁」は流出した上路式トラス橋から下路式平行弦トラス橋に変更され、「第六橋梁」同様に景観が一変する。
代行バスは会津大塩“駅”となっている体育館を出た後、滝スノーシェッドと滝トンネルを抜け、只子沢を渡り只見町に入る。
塩沢スノーシェッド(1158m)を潜り抜けると、左に残雪の浅草岳を中心に据えた只見川(滝ダム湖)を取り囲む景色が現れた。代行バスの運転手は、女性の乗客に『この景色は今だけ見られます。鉄道(只見線)が復旧すると見られなくなります』と説明していた。
私はこの事実を知らなかった。確かに列車と代行バスのルートが違えば、見える景色も変わり、それぞれに良い車窓からの景色がある。今後只見線が復旧するまで、代行バスで見られる風景を注意して見てみたいと思った。
8:50、代行バスは会津塩沢“駅”となっている塩沢簡易郵便局前停車。私はここで降りて、バスを見送った。
早速、輪行バッグから自転車を取り出し、組み立て。
2分とかからず組み立てを終えた。この簡易さが、小径の折り畳み自転車の最大の強み。
さっそく自転車にまたがり、国道252号線を少し引き返した。国道から「河井継之助記念館」に向かう途中には踏切(第4種)があるが、ここは会津塩沢駅を移すべきだと個人的に思っている場所だ。
「河井継之助記念館」前には、“戊辰150年”を知らせる幟がはためいていた。“150 語り継ぐ”と河井継之助と名にかけ、似顔絵も描かれていた。「奥会津只見戊辰150周年記念事業実行委員会」が作成したオリジナルのようだった。
「記念館」前からの景色は素晴らしい。見晴らしが良く、只見川(滝ダム湖)の水鏡が見られる。
「記念館」前でありこの景色が見られるこの場所は、会津塩沢駅に相応しいと私は思っている。会津塩沢駅をここに移動し、この眺望眺めながら列車を待てるような駅舎に新設すれば、『只見線に乗ってみよう』と思う理由の一つになるのではないだろうか。只見町には駅移設を検討してもらい、復旧工事に合わせて実現して欲しい。
ちなみに、この「記念館」の壁には只見町が設置しているライブカメラがある。
ネットでリアルタイムに下のような風景が見られるので、天候や木々の色づき具合、滝ダムの貯水量などが分かる。*只見町ライブカメラ http://livecamera.town.tadami.lg.jp/
この付近では塩沢川と小塩沢が流れていて、清流がダム湖に流入している様子を見ることができる。水位が低い時に芽吹いたものか、川底には鮮やかな緑草が見られた。美しい、春の風景だった。
国道252号線を只見方面に500mほど進むと、会津塩沢駅がある。
周囲には何も無い。近隣のレール脇に観光資源があり、現駅がこのような立地だと駅移設は妥当性があると思ってしまう。
会津塩沢を後にして、再び国道252号線に入り先を進んだ。緩やかな坂を下り国道に架かる寄岩橋に到着。
ここで、JR東日本の社用車と作業員の姿が見られた。
只見線の復旧工事は来月からだと地元紙が伝えていたが、『今月中にも草木の伐採といった準備作業に入る』とも記されていたいので、この一連の“準備作業”だと思った。*記事出処:福島民報 2018年5月16日付け
5人の作業員は雑草をかき分け、只見線の路盤に向かって法面を登っていった。
そして、さらに一列になって只見方面に向かっていった。
作業員の目的地は、「第八只見川橋梁」だった。只見線屈指の景観美見せてくれる「第八橋梁」は“乗って・見て・撮って”の三方良しのコンテンツだ。
今回、偶然にも復旧作業の緒に就いた瞬間を、作業員が構図に収まることで捉える事ができた。最高の復旧費用(約25億円)がかかる「第八橋梁」は、只見線復旧工事の象徴と考える私にとって、この写真は貴重なものとなった。*出処:東日本旅客鉄道㈱ 「只見線の状況について」(PDF)(2016年11月30日)
「第八橋梁」を見ながら寄岩橋を渡り、蒲生橋で再び只見川を越え、宮原集落に入る。途上、只見線の線路の手前にアザキ大根の薄紫の花々、奥に残雪の浅草岳という、素晴らし風景に出会った。列車が走っていれば、最高の一枚になっただろうにと思った。復旧後の楽しみがまた一つ増えたと思った。
二両編成だと先頭車両しか扉が開かない短いホーム。
会津蒲生を後にして、再び国道を進む。岩が重機で砕かれる大きな音がしてきて、八木沢スノーシェッドを柱の間から覗くと五代橋の下にある岸岩で重機が動いているのが見えた。
どうやら川にせり出した岸岩を削り、川幅を広げる工事をしているようだった。
只見川では、只見線運休の原因となった「平成23年7月新潟福島豪雨」のような大規模水害の被害軽減を意図し対策を行っている。この工事は河岸を掘削し、川幅を広げる事で容量を増やし流量抵抗を下げるのだろう、と思った。 *記事出処:福島民報 2014年9月8日付け
叶津川の扇状地をなぞるように橋脚が立ち並び、緩やかな曲線を描くコンクリートと鋼材の混成橋だ。
国道の堅盤橋からの構図は、只見線内で清流と列車が最も絵になる。
9:44、只見に到着。奥には残雪の「猿倉山」(1455m)、「横山」(1416m)が見えた。駅頭に設置されたボードは「戊辰150年」を知らせる、河井継之助をキャラクター化した「つぐたん」。
只見駅のホーム。新緑と青空に包まれ、簡素ながら長大なホームは味わいがあった。
ただ、不通区間である会津若松方面は、錆びついたレールが伸び始めた雑草に覆われていた。信号が青に変わるのは3年後。日本一長い変わらずの信号ではないだろうか。*参考:福島県 只見線再開準備室「全線復旧に向けた検討」
駅前の空地、雪まつりが行われている会場には銀のシートに覆われた「雪むろ」があった。今年の「雪むろまつり」は来月17日(日)に開催されるという。
9:56、只見ダムに到着。只見川の下流から7つ目で、唯一のロックフィルダムだ。
川底が見えたが、ダム湖には田子倉ダムと猿倉山から横山に続く残雪の稜線と中心に、春の自然美が映し出されていた。
「猿倉山」から「横山」に続く稜線は“寝観音”とも呼ばれ、冠雪した冬の時期ははっきりとその姿が分かるが、今日もなんとか認識することができた。
重力式コンクリートダムでは国内第二位の堤体積を誇る巨大な躯体と、それを包む水面と緑と残雪のモザイク、そして青空。素晴らしい眺めだと思った。よく見ると、残雪とブナの新緑が共存していた。美しかった。
只見ダムの天端を通り抜け、振り向くと電源開発㈱只見発電所越しに、残雪の「浅草岳」が見えた。こちらは、芝生が敷き詰められた只見ダムの斜面がアクセントとなり、また美しかった。
ここで、空から爆音が聞こえてきた。見上げると飛行機が南西から飛んできた。
カメラをズームにして撮ると、自衛隊機だった。航空自衛隊のホームページで確認すると「C-1 中型輸送機」のようだ。
黒沢橋から、只見川に合流する伊南川を眺めた。幅広だが、綺麗な流れだった。
県道360号線は小林舘の川線で小林地区(旧小林村)まで伊南川沿いに伸びている。
小川沢川にかかる待詫橋で後方を振り返ると「浅草岳」に連なる、「貉沢カッチ」、「北岳」、「鬼が面山」がはっきり見えた。
前方に目をやると、伊南川に堤が見えた。
その堤を眼下に見る場所に着くと、道路脇に「滝ノ曽根清水」があった。
空になりかかろうとしていたペットボトルの水を飲み干し、清水を注ぎ入れた。口にすると軟水のようで、飲みやすかった。このような天然の水場はありがたい。景色も良いのでエイドステーションを設置すれば、サイクリストは喜び良い思い出を得るだろうと思った
ゆるやかなアップダウンを繰り返し、ひたすら進むと、ようやく「季の郷」を示す案内標識が現れた。
県道を右折すると、亀岡橋のたもとに「亀岡多目的活性化広場」が広がっていた。
鮮やかな外観を持つ3連のトレーラーハウスが置かれていた。
前面には4面のサンドバレーコート。奥にはサッカー場もあった。今日は人の姿がなかったが、休日には賑わっているのだろうかと気になった。
亀岡橋で伊南川を渡り、国道289号線に入ると、大きな看板があった。
敷地内には深沢温泉「むら湯」がある。温泉に浸かりたかったが、今日の目的は、只見駅から二次交通として自転車を利用できるかの可能性を考えるため、次回の楽しみとした。
「季の郷」の敷地の芝生の上には巨大なカエルが居た。空気で膨らませているようだ。ただ、これが何の目的で設置されたかは分からなかった。
今回、「季の郷 湯ら里」までの所用時間は、只見ダムを経由して17kmを1時間16分だった。伊南川沿いを走る県道360号線は、アップダウンは少ないものの、私が利用した小径の自転車では少々きつかった。
ロードバイクならば快適なサイクリングが可能だと思うが、電動アシスト付きのMTBならば一層負担無く快適だと感じた。只見駅にレンタルサイクルとしてロードバイクや電動アシストMTBを配置すれば、「季の郷 湯ら里」へ只見町の自然を楽しみながら移動でき、二次交通対策と観光コンテンツの充実の二兎を追えるのではないだろうか、と思った。
「季の郷 湯ら里」を後にして、国道に戻り、今回の旅の目的地である「ねっか 奥会津蒸留所」を目指した。
「ねっか」のある梁取地区の入り口に着く。
そこから町道に入り、しばらく進むと成法寺に到着。
厳岩を背後にした観音堂は国指定重要文化財となっていて、日本遺産「御蔵入三十三観音」第一番札所になっている。
寺は弘法大師の開基と伝えられ、観音堂に安置されている木造聖観音菩薩坐像(県重文)の胎内には応長元(1311)年の墨書きがあるという。
また、観音堂の四方に支柱があるが、これは創建当時からあるものではなく、雪の重みに耐えられるように住民が国を説得し設けたものだという。住職不在の中、檀家でつくる護持会が維持管理にあたるなど、地元に守られている国重文だ。 *記事出処:福島民報 2016年7月20日付け「祈りの景色 会津の寺社を巡る(6)」
境内に梁取(ヤナトリ)地区の地名の由来を示す案内板があった。
梁取という地名は、弘法大師が虚空蔵様を祀るため、当地と柳津とを八回往復されたことから「八戻り」(ヤモドリ)と呼れ、その名がついたと伝えれれています。
只見線只見駅から東へ18kmの地で、只見線沿線の柳津・福満虚空蔵菩薩圓蔵寺が出てくるのは意外で、当時の信仰やその強さを思い、首を垂れた。
この成法寺から、600mほど進むと、国道沿いに目的地が見えた。
11:33、「合同会社ねっか 奥会津蒸留所」に到着。
周囲の用水路には綺麗な水が流れていた。
脇には田んぼ。
「ねっか」のホームページを見ると原料となると米はここから東に約2km程の圃場で作られているようだが、ここには看板が掲げられている事から、原料の一部となっているのだろうかと思った。
先月オープンしたテイスティングルーム入った。正面にある絵は、只見出身の中野李央氏の絵だという。
玄関にも中野氏の絵が飾られていた。
テイスティングルームは6脚の椅子を並べたカウンターになっていて、BARのような落ち着いた雰囲気だ。主の思いと心意気を感じる内装であり、調度品だと感じた。
先月開かれた御披露目会の様子が地元紙にこのカウンターでの写真と共に掲載されていた。 *記事出処:福島民報 2018年4月29日付け
メニューを見る。全て30mlで、100円から200円で提供されていた。今回、私はこの後も自転車を利用するため、後ろ髪惹かれる思いで呑み比べを断念した。
入口に正対した陳列棚には全ての米焼酎と同じ只見町にある「さんべ農園」産の青トマトジュースなどが並べられていた。ここ「奥会津蒸留所」でしか手に入らない焼酎がある一方、品薄で小売店に行かなければならない焼酎もあるようだった。
入口を背にして右側の棚にはオリジナルのコースターが並べられていた。刻印されたビンもあり、文字や絵入れは店内に置かれたレーザー彫刻機でできるようだった。
「合同会社ねっか 奥会津蒸留所」は2016年7月11日に地元農家ら5人によって設立された。「ねっか」とは地域の方言で“まったく”や“ぜんぜん”を意味し、あとに続く言葉を強調する言葉だという。
会社設立の【理念】や【3つのコンセプト】、【取り組み】などは会社のホームページの「会社概要」に分かりやすく掲載されているが、そこからは原料を地元・只見町産にこだわり、酒作りだけではなく地域の雇用や賑わいの創出に関わってゆくという強い熱意が感じられる。
「ねっか」の原料となる酒造米は五百万石と福島県産酒造好適米・夢の香で、前述の通り蒸留所から東に約2km程の圃場で作られている。代表社員である脇坂氏は、隣町・南会津町の旧南郷村地域にある花泉酒造に勤め酒造りをしてきた実績を持つ。この職人と只見の水と土を知る農家が「ねっか」を立ち上げ、作り始めた。
製造免許について国税庁のホームページを見ると、一番上に「ねっか」の記載があった。 *出処:国税庁「酒類等製造免許の新規取得者名等一覧(平成29年分)」
この「特産品しょちゅう製造免許」を取得した際の様子が、地元紙に掲載されていた。 *記事出処:福島民報 2017年1月28日付け
この「ねっか」は小売店でも手に入りづらい状況が続くほどの人気で、ファンを増やしているという。そして昨年、製造者のこだわりがイギリスで開かれた「2017年度インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション(IWSC)」の焼酎部門で銀賞を受賞という形で国際的にも認知される事になる。出荷開始から1年も経たない中での快挙だ。 *記事出処:福島民報 2017年7月27日付け
「ねっか 奥会津蒸留所」では事前予約で蒸留所の見学も受け付けている。午前・午後ともに一組ずつで、一日二組。グループ最大10名という。 →(同)ねっかホームページか「蒸溜所見学お申込み-合同会社 ねっか」で検索
次回は、蒸留所を見学しテイスティングルームですべての品種を呑み比べたいと思う。
今回、私は「ねっか44」を購入した。奥会津蒸留所“限定品”だ。
「44」はアルコール分44度を意味するようだ。ロットナンバーは「2017-446」。手作り感、限定感がある。帰宅後の楽しみができた。
「ねっか」は、私の住む郡山市でも手に入る。*出処:(同)ねっか 「ねっか販売店」
(株)安田商店
郡山市熱海町熱海5-180
024-984-2210
(有)影山酒店
郡山市大町2-4-6
024-922-9177
(株)足利屋さいとう酒店
郡山市虎丸町2-17
024-932-1656
産直市場AMEKAZE郡山南店
郡山市安積町荒井字北田1-3
024-947-5707
聞けば、代表社員の脇坂氏は郡山市の出身だという。福島県の中心都市として郡山市民が呑んで応援したいものだ。そして、認知度が上がり、只見町への関心が高まり、ひいては只見線の乗客が増える事を願いたい。 *参考:東北農政局 福島地域からの便り(平成29年度)「「自然首都」只見町で米焼酎「ねっか」誕生 -福島県只見町-(2017年8月21日掲載)」
「(同)ねっか 」テイスティングルーム見学の後は、南会津町まで足を伸ばした。
“バス”といっても人数によってバス・ワゴン車・タクシーを使い分けているという。この便は私だけのようで、タクシー(プリウス)だった。運転手はタクシー乗務員ではなく、私服姿の若い男性だった。只見町観光まちづくり協会のスタッフだろうか。トランクを開けてもらい、輪行バッグを入れ、乗車した。
この「ツアーバス」は以下の4つ条件を満たしている場合に途中乗車・下車が可能になっているので、今回のように「(同)ねっか」前でも乗車ができた。
①只見町内
②国道沿い
③安全に停車できる
④目印となる施設
「ツアーバス」は南会津町内に入ると会津鉄道の会津田島駅まで停車することはない。国道289号線を快調に進んでいった。私は自転車移動の疲れか、うたた寝をしてしまった。
14:13、「ツアーバス」は会津田島駅に無事に到着。予定より20分ほど早かった。
ツアーバスは浅草直通特急「リバティ」の発着時間に運行時間が設定されていて、この便(只見駅13:10発)は、会津田島駅14:57発に連絡するために設定されている。
会津田島駅からツアーバスを利用する場合、駅出入口を背にして正面やや左奥のロータリーに設置された乗場からになる。
福島県南会津郡南会津町について。
江戸時代、只見線・滝谷駅以南の沿線を含む会津地方の南部は天領で「南山(ミナミヤマ)御蔵入領」と呼ばれていた。この「南山」とは南会津町田島地区(旧田島町)の中世以降の呼び名で、鴫山(シギヤマ)城という山城も築れていた。「南山」が天領(幕府領)となったのは江戸期寛永年間(1642年)で、城があった東側に田島陣屋が建てられたという。*参考:旧南会津郡役所公式ホームページ 「中世の南会津町田島地方」
ちなみに、会津藩(23万石)はこの南山御蔵入領(5万5千石)の支配を任されていて、幕末には第9代会津藩主である松平容保が京都守護職に任ぜられ、その役料として御蔵入領の年貢徴収権を得られることになった(御蔵入領から御役知への名称変更)。戊辰戦争の際、この地(南山)は実質会津藩領となっていた。
この「南山御蔵入領」には若松城(鶴ヶ城)下へとつながる沼田・下野・八十里越・六十里越という街道があり、交通の要所でもあった。なかでも、田島地区を通る日光口と呼ばれる下野街道(会津西街道)は日光街道を経て江戸に通じる“幹線”であった。
このような理由から、周囲を山に囲まれ、主要街道や大きな城下町の恩恵を受けない環境にありながら「南山御蔵入領」の中心地・田島地区では産業や文化が興り、今に引き継がれている。
田島地区の滞在予定時間は3時間程で自転車で巡るには限界があるため、三軒の酒蔵と駅周辺の観光施設に立ち寄った。
まずは、駅から500mほどの至近距離にある「国権酒造」。新酒鑑評会金賞受賞の蔵だ。*以下、酒蔵の詳細は、別稿「県内初の地酒試飲自販機」に記す。
この「上」大屋台を含め、「本」「中」「西」の4町の大屋台が子ども達を乗せ「オーンサンヤレカケロ」の掛け声とともに引き回されるという。
七行器(ナナホカイ)行列に見られる花嫁行列の印象が強かったが、この大きな屋台を見て、「田島祇園祭」に祭の奥深さを改めて思い知らされた。機会を見つけて訪れたいと思う。*参考:南会津町観光物産協会「会津田島祇園祭」
上大屋台格納庫から駅の方へ戻り、交差点を右折すると建て替えられた町役場の北西角に「田島陣屋跡碑」があった。
「田島陣屋」は江戸幕府直支配(御蔵入)の元禄年間に建てられ、幕末まで三度場所を変えたという。
再び西に200mほど進むと「鴫山城址」入口に続く坂に到着。
中世(鎌倉~室町)の「南山」(南会津町田島地区)は、下野国(栃木県)の豪族で源頼朝の御家人である小山政光の次男・宗政が長沼八幡宮を領有した際に改姓を行った長沼家が支配していた。その長沼家が愛宕山に築いた砦が鴫山城の始まりだと言われている。土塁や空堀などの防御施設を持ち、城郭は戦国期と桃山時代の技術が使われ、全国でも貴重だとも言われている。
細く緩やかなな坂を100mほど上って行くと鳥居があり、「鴫山城址」の入口に到着。
「鴫山城址」は福島県指定史跡になっている。
大門跡の石垣はここが城であった事を直観できた、唯一の遺構だった。
城跡から城下を見下ろす。鶴ヶ城(会津若松)などの近世の城とは違い、城下町との距離が遠く、ここが戦闘に重きをおいた歴史遺構であることが理解できた。
鴫山城は豊臣秀吉の世で長沼家の支配を離れる事になる。鴫山城の城主は、1590(天正18)年の奥州仕置で蒲生家、1598(慶長3)年の会津移封で上杉家と変わり、そして加藤嘉明となった1627(寛永4)年に一国一城令により城は廃城になった。*参考:旧南会津郡役所公式ホームページ「福島県指定史跡 鴫山城跡」
この鴫山城址の西側にあるのが「旧南会津郡役所」。こちらも愛宕山の裾野にある。町道を左折すると坂の上に福島県南会津合同庁舎があり、その敷地内に「旧南会津郡役場」がある。歴史の教科書でも見たことがある、洋風館だ。
南会津郡は、1879(明治12)年1月に「郡区町村編制法」の施行により会津郡から分割設置され、当初庁舎は藩政時代の陣屋を代用していた。その後「会津三方道路」が建設などもあり、1885(明治18)年8月に郡内町村民の協力を得てこの庁舎が建てられたという。
1926(大正15)年に郡制が廃止された後は、福島県南会津支庁・地方事務所として使用され。1970(昭和45)年に福島県田島合同庁舎(現南会津合同庁舎)が新築される事で庁舎は行政機関としての役割を終え、翌年に県指定重要文化財に指定された。現在は「旧南会津郡役所」として内部は見学可能だが、今日は休館日だった。またの機会に訪れたい。
「旧南会津郡役所」をあとにし、駅近辺の主だった観光施設を巡ろうと思ったが、ちょうど浅草行きの特急リバティが、会津田島駅を出発する時刻(14時57分)に近づいた。阿賀川の堤防まで急ぎ、列車を撮影できる場所を探す。まもなく、レールを滑るような軽い音がして、カーブの先に「リバティ」号が姿を現した。私は自転車を置き、カメラを構えシャッターを切った。
初めて実物を見たが、シャンパンベージュの車体に沿線の緑と川を表現したと思われるグリーンとブルーのラインが風景に溶け込んでいた。是非、乗ってみたいと思った。
阿賀川の堤防を後にして、酒蔵を巡るため国道289号線を西に向かった。
15:05、「会津酒造」に到着。
時間が無かったこともあり、国道121号線を自転車で進み、会津田島駅に戻った。
途中スーパーなどに立ち寄り酒の肴を購入し、無事に駅に到着。
自転車を折り畳んで輪行バッグに入れ、構内に入る。待合所で「地酒試飲自販機」を利用し、5種の地酒を楽しんだ。→詳細は別稿「福島県初の地酒試飲自販機」を参照。
「リバティー」号が私が乗る会津若松行きの気動車「リレー129号」と並ぶ。乗客は先頭車両の前にある構内踏切を渡り乗換える事になる。ホームの下り上りはスロープになっているバリアフリーだ。
「リレー号」は絵本作家あべ弘士さんが下絵を描き、南会津町の小学生がペイントしたという車両を使っていた。
「リレー号」に乗り込むと、車内には新撰組の法被が掛けられていた。これも「戊辰150周年」記念事業の一環だろうか。
17:42、「リレー129号」は定刻に出発。
車窓から見える風景は、只見線のそれとは大いに違っていた。
山の稜線(ふるさと公園(下郷町)手前の車窓から)。各地に伝わるダイダラボッチ伝承のある「二岐山」(女岳1504m、男岳1544m)、「鎌房山」(下岳1313m、上岳1329m)と思われる、凹凸がはっきりとした独特の稜線が見られた。
家並み(会津下郷出発直後の車窓から)。只見線沿線に多い、大い建屋で赤や青の急傾斜のトタン屋根は見られず、近代的な家屋が並んでいた。
川(湯野上温泉手前の車窓から)。会津鉄道会津線と平行し時に交わりながら下ってゆく阿賀川には発電用ダムが二つ*しかなく、しかもダム湖は車窓からほとんど見えない。車窓から見える阿賀川の大半は川床が露わになった清流で、只見線沿線に見られる水鏡は僅かだった。
*二つのダム:旭ダム(昭和電工㈱湯野上発電所の取水先)と大川ダム(電源開発㈱下郷発電所の下部貯水池)。昭和電工㈱湯野上発電所については昭和電工㈱東長原事業所のホームページに「発電所・ダム便り」(PDF)があり詳しい。
列車は、只見線の倍になろうかと思ってしまうスピードで、快調に北上し会津若松に向かっていった。
芦ノ牧温泉南から会津若松市に入り、門田手前では磐梯山が遠くに見え始めた。
反対側、西の空は赤み始め、美しい夕日が山の稜線に沈みゆこうとしていた。BOX席に座った女性がスマホを構え、撮影していた。誰もがシャッターを切りたいと思う景色だった。
南若松を過ぎると、「磐梯山」も大きくなり、住宅の密集度も上がってきた。終点は近い。
18:51、会津鉄道「リレー129号」は定刻に会津若松に到着。私は連絡橋を渡り1番線に移動し乗り換えた。
19:04、磐越西線の郡山行きが出発。
20:14、郡山に到着。無事に今回の旅が終わった。
今日はやや気温が高かったものの、青空の下、只見町の新緑を満喫し、「ねっか 奥会津蒸留所」を訪れ、南会津町まで足を伸ばし、有意義な時間を過ごす事ができた。
今回、改めて只見町の自然の厚みと多様性を実感し、地元の米と水で“只見産米焼酎”を生み出す「ねっか 奥会津蒸留所」の今後に、大きな期待が持てた。是非、「ねっか」米焼酎の国内浸透と海外進出を軌道に乗せ、“只見産ウィスキー”蒸留の夢を叶えて欲しい。
帰宅後、蒸留所で手に入れた「ねっか 44」を呑んだ。
まずはストレート。香りが高い。米ならではの軽く華やかで涼やかな香りが立ち上がる。度数が高いが、すぅーっと喉を通り過ぎる。芋や麦には無い感覚だった。
続いて、ロック。香りがより放たれ、氷がかち合う音を聞きながら呑むと、爽やかさが増した。
「ねっか」のホームページには
(引用)米焼酎らしく和食全般に合いますが、特に酢飯との相性は良く、「お鮨」との相性は最高です。また、日本酒が苦手とする「天ぷら」や、「焼き鳥」などのお肉料理とも抜群に合います
とあるが、まさにその通りだと思った。
只見線を全通させたと言える田子倉ダム、その建設工事に携わった多くの作業員がエネルギー摂取の為に食べ、現在は只見町でもよく食べられるマトン(羊肉)とも、「ねっか」は相性が良いのではないか。次の機会、只見線に乗って、只見町でジンギスカンを食べ「ねっか」を呑む、その“只見づくし”を試したいと思う。
(了)
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*参考:
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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