会津若松市「高嬴山」登山 2022年 春

観光鉄道「山の只見線」”を目指す、JR只見線沿線の「会津百名山」登山。今日は会津若松市黒森地区にある「高嬴山」(933.1m)に、広域基幹林道一ノ渡戸四ツ屋線に接する作業道から登った。

 

「高嬴山」は只見線沿線自治体である会津若松市にあるが、(だいぶ離れてはいるが...)最寄りは会津鉄道の芦ノ牧温泉駅ということで、厳密には只見線沿線の会津百名山とは言えない。しかし、“観光鉄道「山の只見線」”の沿線自治体内の会津百名山にはできる限り登りたい、と考え登山計画を立てた。

 

「高嬴山」は「会津百名山」の第70座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。

高嬴山  <たかつぶりやま> 933メートル
高嬴山は「たかつぶりやま」と読み、特に“嬴”の漢字は読みにくい。つびで螺(にし)類の総称で意は肉の柔らかい「カタツムリ」であることからツブリの読みになったものであろう。[登山難易度:中級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p152

 

また、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の青木組中九箇村の黒森村の項に、「高嬴山」を指すと思われる“高山”の記述がある。

●黒森村
村南に高山ありて雜樹繁陰せり、故に名けりと云、府城の東南に當り行程三里十八町、家數十九軒、東南一町二間、南北一町二十二間、山中にあり、東十六町二幣地村の山界に至る、其村まで一里三十町、西七町四十間、香鹽村の山界に至る、其村まで一里七町四十間、南八町二十間闇川村の山界に至る、其村まで一里、北十九町大巢子村の山界に至る、其村まで三十町四十間、叉丑の方十六町酸漿村の山界に至る、其村まで三十里、戌の方二十三町花坂村の界に至る、その村まで二里
〇山川 〇高(タカ)山
村より辰巳の方十町にあり頂まで二十町計、木立深くして最も高し、東は二幣地村の山に連なり、南は闇川村の山に續く

*出処:新編會津風土記 巻之三十三「陸奥國會津郡之七 青木組中九箇村 黒森村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p127-128 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

 

今回の旅程は以下の通り。

・逗留地の会津美里町「せせらぎ公園オートキャンプ場」から、自転車で登山口のある広域基幹林道一ノ渡戸四ツ屋線に向かう

・広域基幹林道一ノ渡戸四ツ屋線から分岐する作業道から「高嬴山」登山を開始

・下山後、広域基幹林道一ノ渡戸四ツ屋線で闇川地区四ツ屋を経由し、そこから会津本郷駅に向かう

・会津本郷駅から只見線の列車に乗って、会津若松に向かう


天気予報は晴れ。「高嬴山」は籔山で、山頂から眺望は期待できないということで、山間の春の風景を楽しみに、現地に向かった。 

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の春ー 

 

 


 

 

今朝は、会津美里町の「せせらぎ公園オートキャンプ場」で2泊3日を過ごし、チェックアウト。ヤマト運輸に梱包したキャンプ用品の集荷依頼をし、管理棟の玄関脇に160サイズの段ボールを置かせてもらった。

そして、スタッフに、登山で不要な荷物を預かってもらえないか頼み、事務所内の隅に置かせてもらうことができた。


 

10:20、「せせらぎ公園オートキャンプ場」を出発。未明に降った弱い雨は上がり、陽差しが照り付けていたが、太陽は時折鼠色の雲に覆われた。

  

前方に会津百名山36座「大戸岳」の山塊を見ながら、大川(阿賀川)の堤防の上を南に自転車を進めた。

 

 

大門集落で県道23号(会津高田上三寄線)線に入り、車に気を付けて自転車をこぎ続けた。

 

 馬越頭首工の上流に架かる馬越橋を渡り、会津美里町から会津若松市に入った。

 

馬越踏切で会津鉄道線を横切る。

 

 

交差点を右に曲がり、会津中街道(国道118号・121号線)を400mほど進むと、黒森集落方面を示す標識が立っていた。

 

10:48、国道を左に曲がり路地に入ると、住宅地の間に細い市道黒森線が延びていた。

 

緩やかな坂を上ってゆくと、300mほどで住宅が途絶え、人気が無くなった。すると、前方、スギ林の前に“クマ出没注意”の看板があった。

 

ここで、熊鈴を取り出し、笛を首から下げて時折鳴らしながら自転車を進めた。パラパラと小さな雨粒も落ちてきて、周囲が薄暗くなってきたこともあり、熊の存在に気を払った。

 

 

国道から離れて1㎞ほどの場所に、“黒森まで 6km”という看板が立っていた。この後、同じ形状の地名や場所の名前を示す看板がいくつもあった。

 

11:08、市道の脇に大山祇神社と彫られた石塔があった。自転車を停め「高嬴山」登山の無事を願った。

 

 

国道と集落をつなぐ現役の市道ということで、道は整備されていた。岩肌むき出しの崖には鋼鉄製の落石防止ネットが張られていた。

   

変わらず上空の雲は流れ、時々陽が差したが、晴れ間は長続きしなかった。

 

 

11:51、なだらかな斜面に、開け畑を見下ろせる場所を通過。この標高の高い場所に、水を引き、田畑を拓いた先人の苦労を思った。

 

  

まもなく道が下りになり、少し進むと、前方に分岐が見え、看板も数本立っていた。

 

11:54、林道黒森線との分岐に到着。右のほうに道なりに市道を進むと、1㎞で黒森集落に着くというポイントだ。



未舗装の林道黒森線に入る。まもなくスギ木立の間の薄暗い空間になった。熊除けの笛を吹きながら、自転車を進めた。

 

12:01、市道の分岐から600mで、今日の“主役”となる、林道一ノ渡戸四ツ屋線に到着。林道黒森線はここが終点になっている。


 

広域基幹林道・一ノ渡戸四ツ屋線は16.288kmもあるが、今日は途中にある「高嬴山」に登って、闇川(クラカワ)地区四ツ屋集落に至る。

 

右折し、林道一ノ渡戸四ツ屋線に入る。この後未舗装道が続き、自転車のスピードを落としてゆっくりと下った。

 

12:09、しばらく進むと、前方に「高嬴山」山頂と西裾の稜線が見えた。


すると、前方から谷間にこだます軽いエンジン音が聞こえてきた。

沢をトラバースするヘアカーブを抜けると、前方に倒木と土砂崩れ箇所があり、軽自動車と倒木を見上げている人の姿があった。


近づいてみると、土砂崩れと思ったのは雪崩で、表面に土と倒木などが混ざっていた。エンジン音の正体はチェーンソーで、男性が倒木を切り、奥様らしい女性が作業を見守っていた。

 

倒木が少し邪魔だったが、林道には自転車を進められるだけの幅があったので、『ありがとうございます』と声掛けし、通させてもらった。

 

 

この先、林道に通行の支障となる箇所はなく、今冬の大雪を経ても持ちこたえているこの林道の耐性に驚いた。

 

2箇所めの“沢トラバース”となるヘアピンカーブに向かう。右側は、沢に向かってかなり切れ落ちていた。

 

対岸(沢の左岸)に通された林道を見る。敷設工事は大変だったろうと思った。

 

 

途中、小さな雪の塊があったが、崖の無傷さを見ると、雪崩ではなく吹き溜まりのようだった。

   

 

2箇所目の“沢トラバース”を過ぎると、大きく左(南)に曲がり、まもなく退避場を示す標識が見えた。

 

 

 

12:25、“カーブの先にある退避場付近に林道から枝分かれる作業道が延びている”、と事前に情報を得ていたので、『ここだっ!』と思い、自転車を停めた。...まさか、この先にも作業道分岐があり、そちらが正しい登山口とは、この時は露ほどにも思わなかった。

登山口に履き替えるなど準備をしていると、複数の大きなエンジン音がこちらに向かってくるのが聞こえた。まもなく、黒森方面からモトクロス用のバイクが次々と目の前を通過していった。

 

 

12:33、「高嬴山」登山を開始。作業道を進んだ。


 

序盤は、前方の木々越しに「高嬴山」の稜線を見ながら、意気揚々と足を進めた。

 

進む先に、目指す山が見えると心強い、と感じていたのだが...。

 

作業道を南東に進んでゆくと、まもなく真北に大きく曲がることになり、『おやっ?』と思った。事前の情報では、ヘアピンカードで北西に変わるはずだった。

その後、作業道は二股に分かれた。この情報は無かったので、ここでこの作業道が間違った道である事に気づいた。ただ、「高嬴山」山頂が見えている事もあり、そのまま斜面に取り付こうと考え、右側に進んだ。

 

分岐した作業道はまもなく途切れ、伐採地跡になり、その先に「高嬴山」の斜面が続いていた。

 

とりあえず、“人の気配がする”ということで、木に巻き付けられた白いビニールテープをたどりながら、斜面を登った。

 

12:49、まもなくビニールテープが巻かれた木は見えなくなり、急坂を直登することにした。見上げると稜線が見え、その頂を目指せば「高嬴山」と思い、取付いた。

 

 

斜面の傾斜に覚悟はしていたが、すぐに息は切れ、灌木や藪につかまりながら進んだ。下を向くと、見慣れぬ草があった。ホウキのような形で、下山後調べても名は分からなかった。

 

登りながら横を見ると、斜面の傾斜が分かり、『えらいとこを登っているいるなぁ』と自虐してしまった。

 

救いは、見上げると「高嬴山」山頂を示す稜線が見え続け、少しずつであるが近づいてきている事だった。急坂直登の代償と思い、登山靴がしっかりと斜面をつかんでいる事を確認しながら、黙々と登り進めた。

 

 

13:07、前方にピンクの物体が見え、“誰かが登った時のピンクテープか⁉”と思ったが、よく見ると、ヤマツツジの蕾だった。

 

ここで、振り返り枝木の間から麓に目を向けると、青や赤の屋根が見えた。黒森集落のようだった。

  

また少し進むと、地面に靴で踏み込んだような跡が見えた。土面はまだ新しく、雪融け後誰かが通った印だと思った。事前の情報で最短距離となるこの急坂を直登した方もいるとは知っていたが、実際に見ると心強かった。

 

 

13:16、唯一の残雪を、窪地に見つけた。斜面が二次林のようで、陽が届き、雪融けも早いのだろうと思った。

 

横を見ると、真ん中付近で折れたヤマザクラがあった。昭和村の「高館山」登山を思い出し、ヤマザクラは枝に雪が残りやすく、幹も弱いのだろうかと思った。


 

 

13:21、山頂の稜線が近づき、進める足に力を込めた。

   

太めの逆木も現れたが、只見町の「笠倉山」の“バケモノ”に比べれば、かわいく見えた。*参考:拙著「只見町「笠倉山」登山 2021年 紅葉」(2021年11月13日)

 

終盤の急坂。斜面にへばりつくように、登った。

 

 

  

地面の傾斜がだいぶ緩くなり、「高嬴山」山頂の肩に載ったと思い、一息ついてから先に進んだ。

 

 

藪をかき分け進んでゆくと、足元は平たくなってゆき、前方に、幼木に巻き付けられたピンクのリボンが見えた。

 

 

13:36、「高嬴山」山頂に到着。三角点標石周辺の、わずかな部分が刈り払いされていた。林道分岐から1時間3分、急坂に取付いてから47分で着いた。登山時間2時間を想定していただけに、“ショートカット”の威力が発揮された。

 

“三角點”という文字まで見える、かなり突き出た二等三角点石標に触れ、登頂を祝った。文字は“三等”に見えるが、「高嬴山」山頂にある三角点は「高川」という二等三角点となっている。もしかしたら、誤って“三等”三角点の標石を持ち込んでしまって間の横棒を削ったのでは、と考えてしまった。

 

山頂の大半は藪に覆われていた。木々の間からわずかに周囲の山々は見えたが、山座を特定するまではゆかなかった。


周囲の状況。事前の情報の通り、眺望は得られなかった

北側。

 

南側。

360度を木々や灌木に覆われ、周囲の山々や風景は見えなかった。夏場になれば葉が生い茂り、一層閉ざされた場所になるだろうとは、容易に想像がついた。

 

 

 

13:45、下山を開始。『帰りは急坂は避けたい』と思い、“正規ルート”となる作業道に出たかったが、東に進むべきところを、登ってきた西側に歩き出し、少し南に進路をとって下ってしまった。地図を見ずに進み出した、失態だった。枝木の間には、会津盆地が見えた。

東に進めば、双耳峰のなだらかな鞍部を越え、“正規ルート”となる作業道が現れるという。 

 

 

これから下る、斜面を見下ろす。幼木や灌木があり怖さは感じなかったが、『この斜面を下るしかないのか...』と少し弱気になった。


少し進み分かったのだが、往路より急な斜面を下りることになってしまった。

 

転げ落ちないように、体を斜めにし、できるだけ、斜面に対して登山靴を直角に入れ込みながら、慎重に下った。

  


しばらくすると、マツが生える岩場になるが、その先がかなり切れ落ちていることが分かったので、少し引き返した。

 

下る場所を探すが、どこも急だったので、目の前の斜面を斜めに下りた。


急坂は続く。滑落するな、滑落するな...と唱えながらゆっくり下った。


途中から、足元には石が一面に転がっていて、高度が下がるとスイカ大以上の石が目立った。靴底は安定せず、さらに注意した。

 


急坂が終わり、緩やかな傾斜になった場所で下りてきた斜面を振り返ってみた。もう二度と、この斜面は登らず下らないだろうが、忘れられない場所になった。

 

 

緩やかに下ると藪が密集するスギ林に入り、前方が明るく開けた。

  

14:18、スギ林の先の、作業道に載った。往路で通った作業道に間違いなかった。

 

下りてきた場所を眺める。作業道からここを見ても、決して誰も取り付かないだろうと思った。

 

 

 

作業道を進んでゆくと、林道が見えてきた。陽が差し、新緑が美しかった。

 

 

14:22、自転車を置いた場所に戻ってきた。下山は37分だった。想定時間を半分以上下回り、急坂直登直下降登山の恩恵を受けた格好だが、胸を張れない登山になってしまった。

 すぐに自転車にまたがり、“正しい”登山口に向かった。

 

 

 林道一ノ渡戸四ツ屋線を闇川(四ツ屋)方面に進む。


3つ目のカーブを抜けると「高嬴山」の稜線が見え、林道の脇には待機場所を示す標識が立っていた。

 

標識の前には、3-4台駐車できるような退避スペースがあり、その先の分岐に、ピンクテープが見えた。『ここだったのか...』と独り言ちた。

  

間違った作業道分岐から、3分で会津百名山ガイドブック」に紹介されている作業道に到着。

 

林道から分岐を見ると、事前に他の方の山行記で見ていた構図だった。無事「高嬴山」に登頂していたが、スマホが圏外になることを想定し、写真を記録するか印刷しておけば良かったと悔いた。

 

作業道はしばらく林道と並行するように延び、徐々に高度を上げていた。「高嬴山」を訪れる登山者には、間違えることなく、この作業道を進んで欲しいと思った。

 

  

 

 

「高嬴山」登山を終え、帰路に就く。林道を少し進むと、明日登る予定の「大戸岳」の山塊が見えた。

 

3箇所目の“沢トラバース”のヘアピンカーブに向かってゆくと、泥一面の路面になっていた。自転車には悪路で、水はけが悪いようだった。

  

ヘアピンカーブを抜け、振り返ると「高嬴山」の山頂の稜線が見えた。この山は双耳峰だったんだぁ...、と思った。


 

ヘアピンカーブとは言えないが、4箇所目の沢(渡方沢川)にトラバースするカーブに向かってゆく、右側が大きく開け、山桜や早緑がモザイクとなった山肌が見えた。ここは、紅葉期も、かなり美しい眺めだろうと想像した。

 

小さくクランクが続く、緩やかに下る林道を進むと、右側の前方に橋が見えた。

  

この付近には、崖崩れを起こした斜面もあったが、道を塞ぐまでのものではなかった。

  

林道は緩やかに下り、小さなカーブが続いた。橋が大きく見えるようになった。上路式トラス橋のようだった。

 

大きなカーブを右に曲がると、前方に東屋と橋、そしてその先にトンネルが見えた。事前の下調べ見たGoogleMap®では、この東屋と橋が見え、実際の姿を見たいと思っていたが、ようやくたどりついた。

 

 

14:54、渡方沢川に架かる高川橋に到着。橋はトンネルに直結しているようだった。

 

橋のたもとの東屋にはさほど傷んでいないベンチが置かれ、そばには会津若松市三町縦貫林道促進同盟会による竣工記念碑(’平成8年12月)も建てられていた。

 

高川橋に進み、橋上から西側の景色を眺めた。早緑に山桜も見え、美しかった。この木々の具合ならば、秋の色付きも素晴らしいものになるだろう、とここでも思った。

 

 

高川橋に直結する大戸トンネル(94m、平成7年12月竣工)の壁面には、鶴ヶ城と猪苗代湖に飛来するハクチョウが刻まれていた。

 

トンネル内は無灯火だったが、短い(94m)のですぐに出口が見えた。トンネルを出ると舗装道が続き、すこし傾斜の増した坂になった。

  

振り返って大戸トンネルを見ると、その上部に「高嬴山」の頂上付近が見えた。「高嬴山」は林道一ノ渡戸四ツ屋線と“一心同体”とも言えるので、この構図は「高嬴山」を象徴する一枚になったと思った。

 

 

林道はさらに傾斜を増してゆく。自転車から降りて、押して進んだ。

 

 

すると、前方から異音が聞こえた。

『なんだろう⁉』と音がする方に近づいてみると、林道端の水たまりからだった。

 

さらに近づくと、「大博多山」(南会津町)で見たアヅマヒキガエルがいて、産卵中だった。大きな個体のメスに、小さいオスが載り産卵をするというが、オスが2匹だった。*参考:国立環境研究所「侵入生物データベース

 

 

またしばらく進み、開けた場所で西側を眺めた。山肌の早緑は多種多様で、やはり美しかった。この林道を紅葉期に通ってみたい、と思うようになった。

 

 

15:13、路面が未舗装になり少し進むと、上り坂が終わり、下りになった。結果、この付近が林道一ノ渡戸四ツ屋線の四ツ屋側のピークだった。

坂はヘアピンカーブが続き、傾斜あったので、ブレーキを掛けながら自転車をゆっくり進めた。 


林道は、未舗装と舗装区間が繰り返され、淀川の渓谷の上部に延びていた。

 

淀川が林道の真横になるまで下り、しばらく進むと、右側の擁壁にピンクテープが見えた。

 

テープは、擁壁と擁壁の間にある石段付近にあった。ここが会津百名山73座「思案岳」登山口であることは、事前の情報からすぐに分かった。

今回の旅の計画段階では、「高嬴山」と「思案岳」を同じ日に登ろうとしていた。しかし、「高嬴山」登山口までの移動距離と、市道黒森線の長く急な坂を考慮し、「思案岳」登山を止めた。今秋、登りたいと今は思っている。

 

 

林道を少し進むと、分岐になった。林道一ノ渡戸四ツ屋線は左だが、右は闇川住民センター脇で市道闇川線に合流する道になっている。今日は、左側の林道一ノ渡戸四ツ屋線を進んだ。

 

淀川に架かる、淀川橋を渡る。前方には、垂直のような擁壁が築かれていた。

 

 

林道一ノ渡戸四ツ屋線を進むと、畑があり、開けていた。山間の人間の営みに、心が落ち付いた。

 

 

15:40、広域基幹林道一ノ渡戸四ツ屋線の終点に到着。ここで、「高嬴山」登山が、無事に終わったと思った。

 

「高嬴山」登山、事前に想定していた通常ルートとは違ったが、なんとか登頂し、無事に下山することができた。

「高嬴山」は、作業道を利用する通常ルートを使えば、800m超のポイントまで無理なく登られるというが、今回歩けず残念だった。ただ、事前の情報通り山頂の眺望は無く、葉が茂れば“藪山”となることが分かるなど、「高嬴山」の特徴を知れた事は良かった。

また、「高嬴山」は、只見線を利用した登山が現実的ではないということも分かった。会津鉄道・芦ノ牧温泉駅が断然近い事もあるが、会津本郷駅や「せせらぎ公園オートキャンプ場」からの自転車移動+登山は、移動距離と当地までの高低差を考えると健脚向きで、一般的ではない。さらに、前述した通り「高嬴山」は山頂からの眺望も得られない事から、“会津百名山制覇”を目標に掲げた方以外は、登る積極的な理由は見いだせないだろうとも感じた。


今回の登山で、「高嬴山」に感じた魅力は、登山口を接する広域基幹林道一ノ渡戸四ツ屋線(黒森~四ツ屋間)だった。山の斜面に穿かれ、沢の形状に合わせて鋭角に切れ込み、4本目の沢では高川橋が架かり大戸トンネルに直結するという道は、未舗装道区間があったものの、野趣味あり自転車走行が楽しかった。そして、何より林道を取り囲む木々や、開けた場所からみえる山間の緑は美しく、癒され清々しい気持ちになった。必ず、紅葉期に来てみたいと思わせる、訴求力があった。

広域基幹林道一ノ渡戸四ツ屋線が、会津観光の隠れた名所として認知される事を願いたい。その中で、「高嬴山」が、“林道に登山口がある会津百名山”として知名度が上がり、登山客が増え、より登り易い山になれば良いと思った。


  

只見線の会津本郷駅に向かって、自転車を進める。

市道を進み、明日登山予定の「大戸岳」闇川登山口へと続く荒俣林道との分岐を通過。

 

さらに下ると、左側に闇川の清流を見ながら進む事ができた。気持ち良かった。

 

 

闇川と別れ、市道が真北に向きを変えると、田んぼの間の開けた場所を進んだ。

 

市道を左折し、国道118・121号線を渡る。国道の通行量は多かった。

 

県道23号線に入り、大川(阿賀川)に架かる馬越橋で会津美里町に入った。

 

 

 

16:25、「せせらぎ公園オートキャンプ場」に到着。会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)が綺麗に見えた。

 

また、今朝10組ほど退去したキャンプ場は、モンゴルゲルも含め、“満員御礼”のように見えた。 

管理棟に向かい、預けておいた荷物を受け取り、移動を再開した。 

 

 

16:44、途中買い物をして、会津本郷駅に到着。 

 

自転車を輪行バッグに収め、黒ビールで乾杯。「高嬴山」登頂を祝った。

 

駅舎の中には“JR東日本からのお願い”という掲示があり、『破損行為等がなくなることを切望致します』と結ばれていた。まさか会津の駅で...、と意外な思いをしたが、ここまでのモノを作成し掲げるのだから限度を超えた破壊行為だったのだろうと思った。破壊行為は犯罪で、何処だろうとあってはならぬが、特に只見線は“観光鉄道「山の只見線」”を目指しており、訪れた観光客が駅の破壊場所を見て気分を害さぬことの無いようにして欲しいと願った。

 

 

列車の到着時刻が近づいたので、ホームで待った。会津若松方面には、「磐梯山」が見えた。この会津本郷駅は、この田園を囲む山々が見られる素晴らしい眺望が得られるので、“田園レストラン”や“田園カフェ”を隣接すれば、只見線の利活用に役立つのではないかと思っている。



17:00、会津百名山61座「明神ヶ岳」(1,074m)を背景に、上り列車が姿を現した。 

 

17:02、私一人が乗り込んだキハE120形2両編成が、会津本郷を出発。車内は混んでいた。

 

まもなく渡った大川橋梁からは、明日登る「大戸岳」の山塊が西陽を浴びて、稜線の襞が良く見えた。

 

 

 

17:21、列車は西若松七日町を経て、終点の会津若松に到着。短い只見線の乗車だった。 

 

連絡橋を渡り、改札に向かった。北東には「磐梯山」に連なる山々も良く見えた。

 

改札を抜け駅頭に行くと、観光客と思われる方々の姿が多く見られた。3年振りの“コロナ関連の制限無し”のゴールデンウィークということで、会津も観光地らしい雰囲気となっていて嬉しくなった。今後、徐々に客足を取り戻し、本来の姿を取り戻して欲しいと思った。


 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・ 

*参考:

 ・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


よろしくお願いいたします。







次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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