会津若松市「大戸岳」登山 2022年 春

観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今日は会津若松市の最高峰である一等三角点峰「大戸岳」(1,415.9m)に登るため、JR只見線・会津本郷駅から闇川地区にある登山口に向かった。


「大戸岳」は、昨日登った「高嬴山」同様、最寄りは会津鉄道の芦ノ牧温泉駅で、只見線沿線の「会津百名山」とは言い難い。だが、「大戸岳」は西若松~会津本郷間の大川橋梁を渡る際、列車の車窓から大川(阿賀川)上流に、大きく雄大な山塊の山容を見せてくれる。*山頂(1,415.9m)は見えない

このため、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線にとっては縁ある「会津百名山」で、さらに会津若松市内最高峰の一等三角点峰ということで、登らない理由がないという事から今回登山計画を立てた。

 

「大戸岳」は「会津百名山」の第36座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。

大戸岳  <おおとだけ> 1,416メートル
大戸岳は会津若松市の最高峰として知られ、会津平を囲む山並みの南端に位置し、小野岳と向かい合ってその大きななだらかな山容は、大きな戸に例えられ、多くの市民に親しまれている。[登山難易度:中級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p172

 

また、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の青木組中九箇村闇川村の項に、「大戸岳」を指すと思われる“大戸嶽”(オホトガダケ)の記述があり、會津郡の山川の項では、より詳細な説明がされている。

●闇川村 〇山川 〇大戸嶽(オホトガ)
村南にあり高七十丈餘(本郡の條下に詳なり) *出処:新編會津風土記 巻之三十三「陸奥國會津郡之七 青木組中九箇村 闇川村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p128-129 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

 

會津郡 〇山川 〇大戸嶽(オホトガ)
南青木組闇川村の南にあり、高七十丈餘布引山の西に並び、南は小出組彌五島組に屬す、雜樹茂れり、山頂に蟻戸渡(アリノトワタリ)と云處あり、極めて嶮絶なり、ざらめきと云處より雲母土を産す光彩すくなし *出処:新編會津風土記 巻之二十五「陸奥國會津郡之一 會津郡」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p6 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

 

今日の旅程は、以下の通り。

・宿泊地の会津若松市から、只見線の列車に乗って会津本郷駅に向かう

・下車した会津本郷駅から、輪行した自転車に乗って、「大戸岳」闇川登山口に向かう

・闇川登山口から「大戸岳」登山を開始

・下山後、会津鉄道・芦ノ牧温泉駅に向かう

・芦ノ牧温泉駅から会津鉄道線の列車に乗って会津若松駅に向かう


天気予報は、雨の心配が不要の快晴。一等三角点峰「大戸岳」山頂からどんな素晴らしい眺望が得られるか期待し、現地に向かった。


 

 

今朝、起きて会津若松駅前の宿の窓から外を見ると、青空のもと「大戸岳」山頂(1,415.9m、左)と「大戸山」(1,23.6m、右)を含む山塊が良く見えた。 

 

 

支度をして、宿をチェックアウトして会津若松駅に向かった。駅舎上空は雲一つないきれいな青空が広がっていた。最高の日和に、市内最高峰に登る事を嬉しく思った。

 

切符を買い、輪行バッグを抱え改札を通り連絡橋を渡る。橋上から北西に目を向けると、会津百名山3座「飯豊山」(2,105.2m)が連なる、冠雪した飯豊連峰が見えた。

 

北東には、会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)があるが、逆光のため、稜線だけがくっきりと浮かびあがっていた。只見線の列車は、先頭がキハ110形だった。

 

ホームに降り、後部車両(キハE120形)に乗り込む。車内はいつも乗る始発列車ほど閑散とはしていなかったが、GW中にしては少ないような気がして、残念だった。

7:41、会津川口行きの列車が会津若松を出発。



列車は、七日町西若松でそれぞれ数人の客を乗せ、大川(阿賀川)を渡る。雲に覆われるのことのない「大戸岳」山塊の稜線が、きれいに見えた。これから登る山が見えると、力が湧く。

 

 

 

 

7:54、会津本郷に到着。乗降は私1人だったが、ホームでは地元の少年が1人列車の写真を撮っていた。

 

会津百名山61座で、伊佐須美神社“最終山岳遷座地”である「明神ヶ岳」(1,074m)に向かってゆくような列車を見送った。右に見えるのは北会津給水塔だが、この「明神ヶ岳」と列車が収まる構図は、“観光鉄道「山の只見線」”の中でも上位にくる良い風景ではないかと思うようになった。

 

ホームの端から、「磐梯山」も見える。


そして、飯豊連峰も。

この会津本郷駅は、使用されなくなり現在は太陽光発電パネルが設置されている旧ホームを含め、付近の土地を有効活用しレストランやカフェなどを建てれば、景色の良い“田園レストラン(カフェ)”として、“観光鉄道「山の只見線」”内のランドマーク的な集客施設になるのではないか、と私は思っている。 



 

8:08、輪行バックから自転車を取り出して組み立て。会津本郷駅前を出発。

 

駅から延びる県道219号(会津本郷停車場上米塚)線を進み、住宅が途切れ田んぼの間を通ると、右手(西側)に「明神ヶ岳」から山並みが続き、少し雪が残っている会津百名山33座「博士山」(1,481.9m)が見えた。

 

 

まもなく、会津美里町に入る。会津本郷駅は、会津美里町本郷地区(旧会津本郷町)のために設けられた駅だが、所在地は会津若松市になっている。

 

 

大川(阿賀川)方面に進み突き当り、南に進路を変え堤防の上の道を進んだ。「大戸岳」山塊が正面に見え、この先5㎞ほど付き合いが続いた。

 

先日(5月1日~3日)利用した「せせらぎ公園オートキャンプ場」には、多くの車両が見られ、“満員”に近い状態だった。3日からは好天が続き、キャンパーは良い思いをしたであろうと思った。

 

 

「大戸岳」山塊が近づき、この区間の道は歩行者と自転車のみの通行が可能となっているため、しばらく大川(阿賀川)の清流越しこの山塊を眺めながら、自転車を進めた。

 

 

大石地区の集落が途切れるあたりで県道23号(会津高田上三寄)線に合流し、2.5㎞ほど進み馬越橋の上で自転車を停める。馬越頭首工でせき止められた大川(阿賀川)越しに、「大戸岳」山塊を眺めた。良い風景だった。

 

 

 

10:56、馬越橋を渡り、再び会津若松市に入る。

 

県道23号線から右折し、会津若松熱塩温泉自転車道路に入る。

 

上三寄跨道橋で会津鉄道会津線を越える。今日は、この先に見える芦ノ牧温泉駅を利用し、会津若松駅に戻る予定だ。


突き当りを右折し、国道118号・121号線に入る。交通量は多かった。

 

まもなく、闇川別という名のバス停を通りすぎると...、

 

闇川への分岐を示す標識と、大戸岳登山入口と書かれた案内板が立っていた。

 

国道を左折した後、突き当たりを右折し、闇川に向かう市道に入る。前方に「大戸岳」山塊が見えた。

 

まもなく、市道は闇川沿いの渓谷を走る。山肌にはヤマザクラが点々と見え、春の装いだった。

 

市道の傾斜は緩やかで、自転車を押して進む事はなかった。昨日、「高嬴山」登山で利用した黒森集落に続く市道とは違い、気持ちよく自転車を進められる道だった。

 

 

9:22、国道を分岐して15分、闇川地区の入口となる菅沼集落が見えた。

 

山肌を見ると、まだ葉が出始めのような木々もあり、“山が咲いている”ような眺めだった。

 

  

駐車場のような広い空き地が見えてきた。

 

9:29、「大戸岳」登山者用の駐車場に到着。駐車場には4台停まっていて、最低4人(組)がすでに山に入っていると思い、『熊との遭遇の可能性が、少し減ったかな』と安心した。

 

駐車場の看板には“山じまい”という、ラミネートされたA4判の紙が貼られていた。山開きは来月11日だという。


駐車場の目の前にある大宮神社があった。参拝し、登山の無事を願った。

 

 

9:35、闇川を渡り少し進むと、登山口に続く林道荒俣線の分岐に到着。

 

分岐には“大戸岳のご案内”という看板が立てられていた。

大戸岳のご案内 [標高1,415.87m] 
大戸岳は、闇川登山口から約4.2kmあり、会津若松市では、一番高い山です。
この山は背炙り山層に属し、石英安山岩質の凝灰岩が主となっています。
近くには二俣火山群があり、時を同じくして地盤の隆起と断層によって大戸岳近くの山々ができたと言われています。かつては、信仰の山として広くしられて、闇川地内にある本元飯豊山とともに、会津地方の人々は五穀豊穣を願い登拝したと言われています。又、登山口には、老婆様の石仏が祭られており、頂上近くには、風の又三郎と言われる険しい場所があって、土地の人々は、風の神様として崇拝してきました。頂上からは、会津地方の山々や猪苗代湖・羽鳥湖などが一望できます。近くには、芦ノ牧温泉郷があり、登山者の疲れを癒す絶好の温泉地です。

 

登山口に向かって、分岐した坂を上った。

  

まもなく、ゲートがあり、ここにも“山じまい”の案内が貼られていた。自転車を抱えて越え、先に進んだ。

 

熊出没注意と書かれた看板は傾いていた。来月の山開きでは、直されるのだろうと思った。

 

林道荒俣線はしばらく舗装されていて、序盤以外は傾斜も緩やかで、自転車に乗って進むことができた。

 

途中、大山神社があり、鳥居は真っ赤だった。一礼し、通り過ぎた。

 

林道は、荒れてはおらず、落下した大岩も防護網の内側に収まり、道上に行く手を阻む障害物は無かった。

 

 

林道は途中から未舗装になったが、路面に洗堀などの激しい凹凸はなく、自転車を難なく進められた。荒俣沢の流れがは清らかで、沢音が心地よかった。

 

 

分岐から15分、前方に看板が見えた。

 

 

  

9:52、「大戸岳」闇川登山口に到着。只見線・会津本郷駅から1時間44分で着いた。登山口を示す看板に、ここにも“山じまい”が貼られていた。

自転車は、少し先に建っていた退避場の標識のそばに停め、登山靴に履き替えるなど、準備をした。

 

 

10:10、「大戸岳」登山を開始。ここに戻ってくる目標は5時間。あまり暑くならない事を願い、踏み出した。

 

前方には、二段の小荒俣堰堤。落水音は大きく、雪融け水の豊富さを思った。

 

登山道は堰堤脇に続き、踏み跡ははっきりしていた。そして、“オババ様”の石像が木陰にひっそりと佇み、見守ってくれていた。

  

上段の堰堤脇に到着。せき止められた土砂は周囲に一体化し、木も生え、なかなか良い風景だった。

  

足元に目が留まり、顔を近づけると紫の小さな花が密集していた。タチツボスミレだ。久しぶりのロングトレッキングの門出に、元気をもらえた。

 

 

北尾根と呼ばれる場所を進む。終始踏み跡は明瞭で、久しぶりに登山道といえる場所を歩いた。

 

沢のようにV字に洗堀された場所には、落ち葉がたまっていて、少し足元が不安定だった。

 

木に巻き付けられたピンクテープも見られるようになった。

 

登り始めて15分程で、登山道は一時平坦になった。

  

再び、登山道は傾斜を増した。“急坂”とまではゆかないが、長く続いていたため、小休止を取りながら進んだ。


登坂が続きしんどくなるが、見上げると登山道を覆う新緑が陽差しを受け綺麗で、元気が出た。登山はこれがあるから、苦楽は相殺され、登頂の達成感と喜びが加わるから結果楽しいものになる。

 


10:35、前方のナラの木に、黄色い看板が見えた。何かおかしいと思い近づくと、木に“食われて”いた。

 

 

北尾根の東側を進む。二次林で幼木が多く遮る葉木がないため、陽光が降り注ぎ気持ちよかった。

  

初めて、木製の矢印を見た。踏み跡ははっきりしているため、道案内としては不要だが、安心できた。

  

10:42、尾根の西側に登山道が変わると、小荒俣沢に切れ落ちた場所があった。沢はかなり低い場所にあり、崖はほぼ直角に落ちていたが、斜面が木々に覆われて恐怖は感じなかった。ただ、ここは慎重に通過すべき場所、という認識は持った。

 

登山道沿道にブナなどの見惚れるような巨木は少なかったが、巨木でなくとも枝ぶりのブナがあった。幹のように太い枝が天に伸び、陽光を受けた葉とのグラデーションを見ると、身体の奥から力が湧いてくるような気になった。

  

 

足元を中心に、ところどころに花が咲き、気付くと足を止め眺めた。

シャクナゲのような葉に、小さな花。初めて見る花で、調べてみるとミヤマシキミだった。

 

イワウチワの群生が見られるようになり、断続的に足元を彩ってくれた。踏みつけぬよう、慎重に足を進めた。

  

 

休憩を入れながら、どんどんと登ってゆく。

  

 

10:58、五合目を通過。闇川登山口から48分掛かった。

 

五号目を通過してまもなく、初めての残雪が登山道の両脇に見られた。この時、この先にある多くの雪渓に難儀させられるとは、思わなかった。

 


登山道全体を覆う、倒木があった。来月の山開きまでには撤去、もしくは登山道上部分の伐採がなされるだろうが、この冬の大雪の影響か倒木は多く、山開きの準備をする方は大変だろうと思った。

 

直ぐ先には、ブナの巨木が倒れていた。山開きの準備で取り除かれるか分からないが、森にとっては栄養分として貴重だろうと思った。

 

ブナとスギの間に、急坂が延びていた。地表に現れている根に足をかけなら、ゆっくり登った。

 


11:17、木板に『此の先300米清水』という文字が見えた。

  

この先、たっぷりの残雪が登山道に載っていた。真新しい足跡が見えたが、駐車場の4台=4人以上の登山者、が先行している割には少ない数だった。

 

11:21、トラロープが現れた。ヒモ場ではなく、ガイドのような張り方だった。

 

この先、踏み跡が見られず、雪が載った沢のような場所を進んだ。

 

11:37、木々の切れ間から、「大戸岳」山頂が見えた。

 

  

前方に水場のような窪みが見えた。

 

11:39、「中ッ手清水」に到着。水量は豊富で、旨い水だった。ペットボトルに清水を満たし、先に進んだ。

  

 

「中ッ手清水」を後にした直後、前方から澄んだ金属音が聞こえ、まもなく、若い登山者とすれ違った。彼からは『この先、迷いやすいですよ』と注意をいただいた。

そして、先に進むと、前方に雪渓が現れた。

 

斜面にはロープが張られていて、その場所の雪は融けてはいたが、“対岸”のどの場所に向えば良いか、しばらく分からなかった。若者の助言通り、迷いやすい場所だった。

 

登りながら、前方をよく見ると、右手奥の木にピンクテープが巻き付けられていた。

 

その木に向かって進むと、踏み跡が見つかり、登山道に再び載った。斜面を振り返ってみると、「中ッ手清水」からこの雪渓に向かう踏み跡が確認できた。ここは、帰りも気を付けなければ...と思ったのだが。

 

 前方に「大戸岳」山頂を見ながら、登山道を進んだ。

 

11:55、斜面に乗った、大きな残雪が現れ、横断した。

 

まもなく、短いが、残雪があった。3箇所目の横断。

 

斜面に載った残雪は続く。4箇所目の横断は長く、注意が要った。

 

 

12:01、“大雪渓”が現れた。5箇所目の雪上登坂。

ここは尾根が見えていたため、向かう方向を迷う事はなかった。

 

滑らぬように“大雪渓”を登っていると、前方から鈴音が聞こえてきた。すると、まもなく本日二人目の登山者が下りてきた。

この登山者とは挨拶を交わし、すれ違った。 


雪上を進むと、雪の無い斜面にヒモ場があった。急坂だったが、踏み場があったので頼らずに登ることができた。

  

急坂を登り切って、ホッとする間もなく、6箇所目の雪上登坂。

 

続いて、7箇所目の雪上登坂。傾斜が増し、慎重に渡った。

 

8箇所目の雪上登坂。

 

9箇所目の残雪は、長かった。

 

10箇所目の雪上登坂。先行者の足跡が見えたので安心はしたが、ここまで残雪箇所が多いとは思わず、『またか...』と少し呆れながら進んだ。

 

下を見ると、斜面は深く落ちていたが、木々が多くさほど恐怖は感じなかった。

 

 

12:22、さらに大きい“大雪渓”が現れた。11箇所目の雪上登坂だったが、今までとは別物だった。ここまでくれば、尾根に取付けば良いだろう、と尾根を目指して登り始めた。

 

登り始め、振り斜面の下を見てみると、『ここは滑落したら、まずい』とすこし怯んだ。

 

 

12:36、“大雪渓”を登り切り、開けた場所で北を見ると、会津若松市街地と会津盆地、その向こうに会津百名山28座「飯森山」(1,595.4m)と同じく32座「栂峯」(1,541.3m)の山並みが見えた。

  

尾根に取付き、踏み跡を進む。この後、登山道を塞ぐ残雪は無く、“雪上登坂”から解放されて、ホッとした。

 

 

12:45、徐々に高度が上がり、前方にピークが見えた。

 

左側(南)が開け、目を向けると会津百名山31座「二岐山」(1,544.3m)が、山全体の美しい稜線を見せていた。

「二岐山」の背後、栃木県境方面には、会津百名山が集まっている。23座「大白森山(1,642m)・小白森山(1,563.1m)」、16座「旭岳(赤崩山)」(1,835.2m)、そして11座「三本槍岳」(1,916.9m)。

 

 

まもなく、足元に岩場が現れた。「大戸岳」最大の難所と言われる、「風の又三郎」に続く岩場のようだった。

 

先に数進むと、トラロープも張られていた。登下山補助というより、滑落防止の規制線のようだった。

 

岩場を進むと、周囲の視界は更にひらけ、振り返って東には郡山市・布引高原の電源開発㈱郡山布引高原風力発電所の風車が見えた。総数33基で、最大65,980kWを発電する。

 

麓に目を向けると、市道と林道荒俣線の分岐付近の闇川地区が見えた。

 

 

岩場は、思いのほか長く続いた。トラロープが崖側に張られていた。

 

ロープの先は、事前情報通り、かなり深く急に切れ落ちていた。

 

岩場は見晴らしが良く、何度も立ち止まって周囲を見回した。猪苗代湖全体も全体が見え、「大戸岳」の眺望の良さに唸ってしまった。

 

「風の又三郎」に到着。岩場が続く場所で、強風や雨の日は、かなり危険な場所であることが分かった。

 

「風の又三郎」は一層見晴らしが良く、前方に「大戸山」(1,273.6m)に下って行く尾根筋も見えたが、「大戸岳」山頂は見えなかった。


「風の又三郎」の祠は、岩場の頂点付近にあったが、周辺に同化し、気を付けないと見過ごしてしまう状態だった。

 

「風の又三郎」の終盤は、より“滑落=生命の危機”という絶壁だった。今日は快晴、無風で良かったと心から思った。

 

「風の又三郎」の岩場を登坂し、南に目を向け「二岐山」方面を改めて眺めた。山座を特定し、山容を見てしまうと、登りたくなってしまうなぁ、と思ってしまった。

 

 

13:01、岩場を過ぎると、灌木の中を進んだ。登山道が覆われ少し邪魔になる程度で、歩くのに支障はなかった。

 

足元の紫の点に目が留まり、近づいてみるとショウジョウバカマだった。濃い紫に陽光が差し、綺麗だった。

 

 

 

 

灌木の間を進むと、徐々に前方の上空が開けてきた。

  

  

灌木を抜け、傾斜が緩やかになると、平場となり、標識や山名標が目に飛び込んできた。

 

 

13:10、「大戸岳」山頂に到着。闇川登山口出発から、3時間5分掛かった。

 

北側に目を向けると、一等三角点峰にふさわしい、開けた眺望だった。

 

一等三角点標石に触れ、登頂を祝った。

 

“一等”という文字は、やはり神々しかった。


 

山頂は、北側は一等三角点峰にふさわしい、文句なしの開け具合で、素晴らしい眺望が得られた。

 

会津若松市市街地が見えた。今朝、チェックアウトしたホテルも確認できた。市街地からは、この市内最高峰の頂上が見られる事を知った。 



南は、開けたその先に1,414m-1,383m-1340mという高い峰が続いているため、見通しは良くなかった。

  

東には布引高原の風車が見え、その先、中通りの盆地の様子が分かった。

  

真西には、かつて桑原集落に続く登山道があったが、登山道の崩落があり2010年から整備されないまま廃道となったという。「大戸岳」は闇川口を利用するのが唯一の登山ルートになっている。

  

 

 

13:35、あとから頂上にやってきたご夫婦に挨拶をして、下山を開始。

 

見渡す限りの青空は、まだ続いていた。良い日に“会津若松市最高峰”に登られたことを、感謝した。

 

「風の又三郎」を横から見る。風が吹いたら、かなり怖い場所だと再認識。

  

「風の又三郎」の岩場から、これから下る、斜面が尾根を眺めた。尾根筋をしばらく進み、直登(下)するのが良いようにも見えたが、そうはゆかない足場なのだろうと思った。

 

 

尾根から斜面に入り、“大雪渓”を下る。斜面の雪は適度に柔らかく、登山靴の踵を力強く雪に差し込むと全く滑らず、快調に下る事ができた。登りの苦労が一気に吹き飛んだ。

 

木に巻かれたピンクリボンを頼りに、“対岸”の登山道に載った。

 

14:20、次の雪渓は、登山口を雪に差し込みながらの下山が心地よく、“対岸”の踏み跡を見過ごしてしまい、なんと、登山道を見失って(ルートロスト)してしまった。

雪上に足跡は無く、“対岸”に踏み跡やピンテープなどが見られず、一瞬焦ったが、進むべき方向は分かっていたので、登山道に合流できるよう斜面を斜め上に進んだ。

 

斜面は傾斜があり、地面に顔が近づく場所もあった。そこで、アヅマイチゲが目に留まった。陽光を浴びた薄紫の花弁が、綺麗だった。

  


なんとか、10分ほどで登山道に戻った。その後しばらくは、次々現れる残雪の上を慎重に歩き進んだ。

 

そして、往路ですれ違った登山者に『迷いやすいですよ』と言われた斜面に着く。下方の“対岸”に踏み跡が見え、問題ないだろうと、雪の上を快調にくだった。

しかし、また下る感覚が気持ちよく、気が緩んでしまったようで、下り過ぎてしまい本日2度目のルートロストをしてしまった。


ただ、この先に「中ッ手清水」があるので『沢まで歩き、沢をたどって登山道に戻ればいい』と考え、急な斜面を横移動した。5分ほど進むと、沢の音が聞こえ、まもなく沢に到着。

念のため、往路で撮った清水上流の写真を見て、尾根の形状から上に登る事を確認し、斜面にへばりつくように登った。 

 


「中ッ手清水」に着き、登山道に戻った。ここでも時間の無駄は10分ほどで済んだ。

清水の水を飲んで、先に進んだ。この先は、登山道(踏み跡)を見えなくしているような残雪がないということで、安心して下ることができた。 

 

 

14:53、往路、最初に見たヒモ場を通過。ここは、やはりルート外れを防ぐ規制線のようだった。雪がなれば、まっすぐ下ってしまいそうな場所になっている。

 

 

15:07、五合目を通過。振り返って、撮影。

  

下山で余裕があるせいか、足元のイワウチワの群生は、結構長い区間にあることが分かった。

 

 

「中ッ手清水」後の下山は、快適だった。傾いた陽が若々しい葉を照らす緑のトンネルは、気持ちよかった。

 

ヤマツツジが西陽を浴び、鮮やかに見えた。

 

オオカメノキも、陽光で輝く白だった。

 

 

途中、立ち止まり。振り返って「大戸岳」の稜線を眺めた。

 

  

先に進む。沢音がどんどん近づき、小俣沢堰堤が見えた。

 

堰堤脇をくだると、前方に林道が見えた。

 

 

15:36、闇川登山口に戻ってきた。下山は2時間1分だった。往復5時間6分、下山時2度のルートロストがあったが、ほぼ目標時間で「大戸岳」登山を終えた。5時間越えの登山は、昨年6月の「鬼が面山」周回登山以来だったが、やはり山頂の快晴下での眺望を得たためか、疲れより達成感、満足感が勝った。

  

「大戸岳」登山を無事に終える事ができた。

好天に恵まれ、一等三角点峰の眺望を堪能し、木々の新緑に癒され、素晴らしい山行になった。一等三角点峰を晴天の中訪れることができたのは「浅草岳」以来二度目だったが、山頂からの眺望を堪能でき、5時間越えの登下山は充実したものになった。

また、久しぶりに他の登山者(4名)を山中で見かけることができ、熊存在をさほど気にせずに済み、“クマ緊張”から解放されたのは、良かった。

  

只見線と「大戸岳」。

登山口の最寄りは会津鉄道・芦ノ牧温泉駅だが、只見線の最寄りとなると会津本郷駅で、登山口から17㎞も離れている。今回、私は負担無く移動できたが、只見線を利用した「大戸岳」登山は健脚向きだと感じた。

ただ、只見線の列車が大川橋梁を渡る際に、大川(阿賀川)上流に見える「大戸岳」山塊は存在感があり、山登りに興味のある方なら『登ってみたい』と思いたくなる。また。“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の利活用推進にとって、会津若松市最高峰+一等三角点+車窓から雄大な山容に正対できる、という点だでけも有望な山岳コンテンツであると私は考える。

以上の点を考えると、ツアーの企画が最善だと思う。ツアー客は会津若松駅から只見線の列車に乗って、大川橋梁で「大戸岳」の山容を眺め、会津本郷駅で下車し、バスに乗って闇川地区の登山者駐車場に向かい、そこから登山を始める。帰りは、バスで会津若松市内に戻るか、オプションで自転車を闇川登山口に置いて、下山者のペースで会津鉄道・芦ノ牧温泉駅に向かってもらう、というツアーが考えられる。 

また、旅行会社が企画するツアーでなくても、5名前後のグループ旅行(登山)に対して、タクシー会社などが移動をサポートするサービスがあれば、なお弾力性が増し、利用者の選択肢は増える。

 

只見線からから離れ、別線の最寄り駅を持つ「大戸岳」や、昨日登った「高嬴山」、今秋に登りたいと考えている「思案岳」、この会津若松市内の会津百名山三座は、会津鉄道や芦ノ牧温泉などを絡めた会津観光の一部として利用される山々だとは思う。しかし、前述したように、只見線の車窓から、堂々とした山容に正対できる「大戸岳」は別格で、“観光鉄道「山の只見線」”の山岳コンテンツとして魅力があり、只見線とからめた観光(登山)促進が望まれると今回の登山で感じた。

 

今後も、只見線の列車に乗る度、大川橋梁で飛び込んでくる「大戸岳」山塊は、私に『また、登ってみたい』と思わせてくれるだろう。次は、何時の機会になるか分からないが、できれば紅葉時に挑みたいと思う。

 

 

15:41、「大戸岳」闇川登山口を後にして、会津鉄道・芦ノ牧温泉駅に向かった。

 

念のため、熊対策で自転車のベルを鳴らしながら林道荒俣線を下った。

 

 

15:49、林道のゲートを越えると、前方に会津百名山73座「思案岳」(874.2m)が見えた。今秋、この山と、“思案”という名の縁を持つと言われる“本元飯豊山”に参拝した後に登りたいと考えている。

  

駐車場には4台の車が停まっていたが、往路とは車種が違っていた。

この先に大山神社の前で一旦停車し、無事登頂のお礼と思い、鳥居の前で一礼した。  

 

 

 

快調に闇川沿いの市道を下り、国道118号・121号線に入る。交通量は変わらず多かった。

 

遅い昼食を、と思ってい牛乳屋食堂は、15時で一旦終了していた。営業再開は17時ということで、今回はあきらめた。

  

 

16:13、会津鉄道・芦ノ牧温泉駅に到着。闇川登山口から約30分で到着。負担なく下ってくることができ、登山後でも大きな問題は無いと思った。


 

“ねこが働く駅”として有名な駅だ。各役持ち4匹の猫の大きな写真が置かれていた。

 

他、駅頭には猫のパネルが置かれ、賑やかだった。

 

 

自転車を輪行バッグに入れ、窓口で切符を購入すると、まもなく上り列車が到着した。

 

列車が停車してから、駅員の合図で構内踏切を渡り、輪行バッグを抱え列車に乗った。

16:23、会津若松行きの1両編成の列車が芦ノ牧温泉駅を出発。

 

会津若松までの運賃は610円。

 

  

車内に客は多く、車両の端に立つことにした。最初は、最後部に立ち、レールの先に「大戸岳」山塊を眺めながら、時間を過ごした。

 

門田駅では、列車のすれ違いをするということで、先頭部に立ち会津田島行きの列車を眺めた。

 

 西若松駅手前で只見線のレールが並んだ。

 

西若松駅からは只見線(共用区間)に入り、七日町駅を出ると、前方に「磐梯山」が見えた。

 

 

 

16:53、会津若松駅に到着。隣には只見線の列車が待機していた。

 

連絡橋を渡り、改札に向かった。橋上からは北東に「磐梯山」が見えた。

 

改札を抜け駅頭に出ると、多くの観光客が行き交っていた。観光地らしい雰囲気になっていて、嬉しかった。

 

駅舎内の売店で調達したビールを駅前の公園で開け、「大戸岳」登頂の祝いをした。内容の濃い登山となり、充実した一日を過ごす事が出来た事を感謝しながら、ビールを流し込んだ。


 

(了)

 

 


・  ・  ・  ・  ・

*参考:

 ・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

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①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

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東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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