沿線冬景色 2022年 冬

雪の多い今年の沿線の雪景色が見たいと、JR只見線の列車に乗って会津若松~只見間を往復した。

 

今年は、日本海側、北日本を中心に雪が多く、会津地方も風雪をともなう大荒れの日が多かった。只見線は大きな影響を受け、乗降者が少ない会津坂下~大白川間(代行バスも含む)が連日運休となった。*下掲記事:福島民報 2022年1月12日~15日付け、2月19日~25日付け紙面より


雪の日は、会津地方を中心に先週から続いていたが、運よく昨日から天候が回復し、今日は奥会津地方にも晴れ間が出る予報が出ていた。青空の下、只見線沿線のどんな冬景色が見られるか楽しみにして列車に乗った。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬

 

 


  

 

昨日、富岡町から宿泊地となる会津若松市に移動。途中、いわき駅で乗り換える際に工事中の駅ビルを眺めた。

地盤工事の際に文化財が発掘され、その調査のため開業予定が後ろ倒しされたということだったが、ホテル棟(10階建て)の鉄骨が組み上がり、建物の全容が現れていた。すぐそばでは並木通り市街地再開発事業(並木の杜シティ建設工事)が開始されていて、いわき駅前が訪問者の利便性向上と住民の賑わい創出を目指し、大きく変わろうとしている実感が湧いた。

 

 

 

 

 

今朝、宿を出て只見線の始発列車に乗るために会津若松駅に向かった。切符を購入し改札を通ると、目の前に“祝 甲子園 初出場 只見高等学校”と記された横断幕が掲げられていた。

 

福島県立只見高等学校は、昨秋の県大会で初のベスト8入りし、今春の第94回選抜高校野球選手権大会に21世紀枠で選出された。 会津地方からの甲子園出場は、春夏を通じて第31回選抜大会に出場した県立会津高等学校以来で、63年ぶりになる。ちなみに、私が高校時代に指導を受けた監督は、この時の会高のメンバーだった。*下掲載記事:福島民友新聞 2022年1月29日一面、福島民報 2022年1月29日一面

 

只見高校が21世紀枠で選ばれた理由は、県大会ベスト8という成績に加え、“豪雪地帯にあり、工夫を凝らした練習をしている”、“過疎地域にあり入学生が減る中「山村教育留学制度」を導入し地域に好影響を与えている”、“「平成23年7月新潟・福島豪雨」(国指定激甚災害)を経験し地域住民とともに乗り越えた”等があるようだ。*参考:毎日新聞「選抜高校野球 21世紀枠の選考基準とは」(2017年1月27日) /下掲載記事:福島民報「逆境を乗り越えて 只見 センバツ初出場」 2022年1月30日、1月31日付け紙面 URL: https://www.minpo.jp/hsb


 

 

連絡橋を渡り、只見線のホームに向かう。橋上から見下ろすと会津川口行きのキハE120形2両編成が、静かにディーゼルエンジンを鳴らし、待機していた。

6:03、只見線の下り始発列車が会津若松を出発。

私の乗った後部車両に客はおらず、先頭車両は3、4人だった。新型コロナウィルスの影響で止むを得ないとは思ったが、“コロナ後”に紅葉時以外でも、澄んだ空気の下で車窓から美しい景色が見られる始発列車の客が増えて欲しいと思った。

 

切符は、「小さな旅ホリデー・パス」。今日は、いわきまで帰るため、この切符にした。会津若松~只見間を日帰りで往復し浜通りに帰る場合は、断然お得だ(フリーエリア外の小野新町~いわき間は別途切符が必要)。

 

 

 

列車は、市街地の七日町西若松を経て、大川(阿賀川)を渡り、会津平野に入ってゆく。

  

会津本郷を出発後に会津若松市から会津美里町に入り、反対側の座席に移動し、車窓から前方を眺めた。「博士山」「明神が岳」方面の空が、うっすらと曙色になっていた。

 

会津高田を出て、“大カーブ”で進路が真北に変わる。広大な田園が創り出す雪原は、見ごたえがあった。

 

反対側の車窓を通して、西部山麓とその間の雪原を眺めた。客が少ない事は歓迎されないが、車内が静かだと、列車の音を聞きながら“借景”を楽しむ事ができる。

 

 

列車は、根岸新鶴を経て、会津坂下町に入り、若宮を出て会津坂下に停車。上りの会津若松行きの列車が7分遅れで到着し、すれ違いを行ってから出発した。

 

列車は、短い雪原を駆け、一旦静めたディーゼルエンジンを豪快に蒸かし、七折峠に向かった。

 

 

登坂中で、木々の間から会津平野を見下ろしながら列車は進み、塔寺に向かった。

 

七折峠を越え会津坂本に停車。一人の客が降りた。

 

 

列車は進み、柳津町に入った直後から、辺りが雲の中にいるような暗さになった。

 

 

会津柳津付近で再び明るくなったが、郷戸手前の“Myビューポイント”から見えるはずの会津百名山「飯谷山」(783m)は、すっぽりと雲に覆われていた。

 

 

列車は、滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入る。昨日はあまり雪が降らなかったのか、気温が高く融けてしまったのか、木々の綿帽子は少なかった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

 

 

会津桧原の出て、桧の原トンネルを抜けて「第一只見川橋梁」を渡った。霧はほとんどが晴れ、上空には青空が見えた。ダム湖(只見川)の水鏡は濃紺で冴え、青空を映していた。*ダム湖は。東北電力㈱柳津発電所・ダムのもの

 

反対側の席に行き、上流側の駒啼瀬渓谷を眺めた。正面上部、「第一只見川橋梁ビューポイント」のある鉄塔付近は、雲に隠れていた。

 

 

名入トンネルを抜けて、会津西方を出発すると、名入集落越しに、洞厳山(1,012.9m)の山塊が見えた。

 

 

第二只見川橋梁」を渡る。上流側、会津百名山「三坂山」(831.9m)はうっすらと雲に隠れていた。

 

反対側の席に移動し、下流側も眺める。 逆光だったが、陽射しが木々から立ち込める霧を照らし幻想的だった。

 

 

橋梁を渡り終えると、まもなく「三坂山」(831.9m)がよく見えるようになった。

 

列車は減速しながら、“アーチ3橋(兄)弟”を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

 

会津宮下では、上り列車とすれ違い行った。駅舎などの屋根には、もっさりと雪が載っかっていた。

 

 

会津宮下を出ると、列車はまもなく東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を通り抜けた。ダム湖の水鏡は冴え、空を綺麗に映していた。

 

 

ダム湖が一時視界から消え、再び見えると「第三只見川橋梁」を渡った。下流側、河岸の山肌の木々が一面樹氷を纏ったように真っ白で、美しかった。

 

上流側も一面真っ白で、陽は陰っていたが水墨画のような趣きがあり、良い景色だった。

 

 

 

滝原・早戸の二つのトンネルを抜け、早戸に停車。一部、只見川と列車を隔てていた木々が無く、見晴らしが良かった。

 

列車が出発し、振り返って見ると、沼沢の外輪山が只見川(宮下ダム湖)に映り込み、見ごたえのある景観を創っていた。*参考:気象庁「東北の活火山「沼沢」」

 

 

 

金山町に入り、細越拱橋を渡った。

 

会津水沼に停車。急な山の斜面の直下にある駅のためか雪が多く、駅名標に沿って2mほどの壁になっていた。

 

会津水沼を出発し、まもなく「第四只見川橋梁」を渡った。

 

 

しばらく東北電力㈱上田発電所・ダム直下の只見川沿いを走った後、中川地区の田園地帯を進んだ。

 

会津中川に到着。ここにも、駅名標の背後にはたっぷりと雪が積もっていた。会津中川駅のホーム側にある田圃では、例年2月に「なかがわ雪列月火」というキャンドル・イベントが開催されていたが、今年も新型コロナウィルスの影響で中止になった。

 

 

終点が近づき、振り返って大志集落を眺めた。今日は川面付近で霧が立ち込め、家々は隠れていたが、背後にモザイクを創る山塊の山肌と木々がくっきりと見え、その対比がなかなか良かった。


前に目を向けても、川面が霧に覆われていた。気温の上昇で、発生したものだろうかと思った。

 

 

 

9:10、終点の会津川口に到着。ここから先が、「平成23年7月新潟福島豪雨」被害の運休区間で、今秋に約11年振りに再開通する事になっている。

 

先頭車両から降りたのは1人で、後部車両の私を含め、客は2人だけだった。

 

 

駅舎に入ると、出入口の扉には只見~大白川間の運休を知らせるビラが貼られていた。

県境にあるこの区間は、山の斜面に沿って走る事もあり、気温が上がれば雪崩の危険性は増す。今日から気温の高い日が続くとの予報が出ているので、やむを得ないと思った。 ただ、全線再開通後に“観光鉄道「山の只見線」”として乗車を増やすためには、車窓から沿線の雪景色を見られる機会を逸してはならないと思う。只見線の一部区間を保有し、「只見線利活用事業」を進める福島県はJR東日本と協力し、会津坂下~只見間の奥会津地域も含め、雪崩・落雪対策を検証し、運休を極力回避する体制を構築して欲しい。

 

 

駅頭には、代行バスが付けられていた。

8:15、代行バスが私一人を乗せて会津川口を出発。

 

代行バスは、只見線に沿って延びる国道252号線を進んだ。道の両側には除雪作業でできた雪壁があり、普段見えるはずの「第五只見川橋梁」は隠れてしまっていた。


 

西谷橋上から、遠方に袖の窪山(952.8m)を背後にした「第六只見川橋梁」を眺めた。先月20日に国道252号線本名バイパスが共用されたため、国道上から「第六只見川橋梁」の全体が見られるのは、ここだけになる。

 

本名“駅”を出発し、本名バイパスの本名トンネル(1,429m)を潜り抜け新霧来沢橋(161m)を渡った。只見川(本名ダム湖)の対岸には旧道の本名スノーシェッドの筋が見えた。 *本名ダムは、東北電力㈱本名発電所の施設

 

  

代行バスが湯倉バス停、会津越川“駅”、会津横田“駅”を経て、二本木橋で只見川を渡ると、上流に「第七只見川橋梁」の一部が見えた。

 

 

会津大塩“駅”を出ると、滝トンネルを潜り抜け、只見町に入った。電源開発㈱滝発電所・ダムの西に聳える会津百名山「鷲が倉山」(918.4m)の、堂々とした山塊が綺麗に見えた。

 

 

塩沢スノーシェッドを抜けると、国道の雪壁は高くなった。

 

雪壁が一時低くなり、“河井継之助最期の地”塩沢集落が一望できた。この場所は只見線が国道と並行に走っているため、この光景は全線開通後にも見る事ができる。

 

 

会津塩沢“駅”になっている簡易郵便局には、只見高校甲子園出場を祝う横断幕が張られていた。

 

会津塩沢“駅”を出発してまもなく、国道の寄岩橋上から「第八只見川橋梁」と、会津百名山「蒲生岳」(828m)、只見川(滝ダム湖)の“三点セット”を眺めた。

 

会津蒲生“駅”手前の、上蒲生のカーブからは滑らかな曲線を見せる雪原越しに、遠く会津百名山「浅草岳」(1,585.4m)が陽光を受け浮かび上がっていた。

 

堅盤橋上から、叶津川橋梁を眺めた。只見線最長(372m)で、曲線半径250mの美しい鉄とコンクリートの混成橋だ。叶津川の岩々に積もった、雪の丸々としたシルエットに癒された。

 

 

 

 

 

9:08、定刻から少し遅れて只見に到着。

 

駅の南側で、毎年2月の第二日曜日に開催されていた「只見ふるさとの雪まつり」は、今年も新型コロナウィルスの影響で中止となってしまった。会場となるスペースは、雪捨て場になっているようだった。

 


 

駅舎に入り係員の許可をいただき、只見~小出間が運休のため列車が来ないホームに行った。

 

会津若松方面は、一時除雪したようで、凹んだレール部分が只見高校の西側に延びていた。来冬、ここに列車が走る事になる。

 

小出方面を眺めた。2mをゆうに超える雪原に、除雪によって切り拓かれた駅構内を見て、“豪雪地・只見”を実感した。同時に、観光資源としての雪の力を感じた。

 

ホームと駅舎を結ぶ通路の、絶壁のように続いていた除雪面を見ては、自重で下がらなければどれほど雪が積もったのであろうと思った。

 

 

駅舎を抜け、只見駅を後にし、甲子園出場を決めた只見高校に向かった。

 

国道252号線に繋がる町道を歩くと、町役場の駅前庁舎に只見高校の甲子園出場を祝う横断幕が掲げられていた。

 

町道を左折し国道252号線に入ると、只見町商工会館にも、“祝 甲子園出場‼ 只見高校”という地元紙による横断幕が張られていた。

 

 

国道252号線を会津若松方面に進んだ。道路は除雪ばかりか、融雪剤がまかれているため、圧雪箇所も無く歩き易かった。 ただ建物は別で、“雪かたし”や“雪おろし”がされていない家々が散見された。ある家では、国道沿いに高所作業車が停車していた。 

 

作業員が2人乗ったバケットを見ると、スコップとオールで、屋根に積もった1mを越える雪を降ろしていた。作業車には電気設備会社のロゴが入っていたので、降雪期は、屋根の雪降ろしも仕事になっているのだろうと思った。

  

 

国道をまた少し進むと、只見郵便局があり、その前に大きな雪像があった。

 

“只高野球部 バンガレ!”(⁉)というボードを抱えた、犬⁉、ドラえもん⁉、判断がつかぬ雪像だった。

  

 

 

国道を歩くこと1,100m、約15分で只見高校の入口に到着。左折し、緩やかな坂を上った。

 

 

9:32、福島県立只見高等学校に到着。

 

階段の上にある正面玄関には、巨大な垂れ幕が掲げられていた。

 

甲子園出場、となればどうしてもおカネがかかってしまう。只見高校の出場が決まり、今月4日からガバメントクラウドファンディング(GCF)という手法で寄付を募ったところ、10日で目標金額の500万円に達したという。ただ、引き続き、別の窓口で寄付は受け付けているとの事だ。*出処:福島民報 2022年2月16日付け紙面

 

野球部が使用しているグラウンドがある方を見た。

道路に面した除雪面はゆうに2mを越え、グラウンド一面が分厚い雪に覆われ、“使用不可”ということはすぐに分かった。

 

野球部のバックネットの上部が、かろうじて見えた。私の高校時代のように、雪かきしてグラウンドで練習する、という中通りの常識は通用しないと痛感した。

野球部員は体育館で練習か、と思ったが、近所の方に聞くと、甲子園出場が決まったということで、学校が休みの日は、移動距離で東に約230km離れた、浜通りの野球場に行き練習しているのだという。

 

グラウンドを覆う蓋のような、巨大な雪塊は圧迫感があった。

 

只見高校が選抜大会出場を決めた際の紹介文には、『11月~4月まで雪に覆われ、グラウンドでの練習ができない』とあったが、これが4月までに融けるとは思えなかった。野球部員は、冬期は駐輪場を使い、体育館では他部活動をスペースを分け合い、かんじきを履いて雪上を走り足腰を鍛え、“豪雪のハンデ克服”し甲子園出場の権利を得た。*出処:福島民報 2022年1月29日付け社会面

只見高校が出場する、第94回選抜高校野球大会は、3月4日に抽選会が行われ、3月18日の開会式を経て熱戦が始まる。只高ナインが、雪の無い、黒土と芝生のグラウンドでのびのびと楽しくプレーする姿に期待したいと思った。

 

只見高校を後にして、国道252号線を小出(魚沼市)方面に進み、次の目的地である只見ダムに向かった。

  

国道では、10トンダンプがひっきりなしに往来していた。只見小学校や只見高校などに置かれた雪の一時置場から、雪捨て場に運んでいるようだった。

この冬、雪国ではこのような光景が頻発し、行政は除雪費用の捻出に頭を悩ませているだろうと思った。国は財政面での必要な手当てをして欲しいと思った。

    

 

しばらく、雪壁の間に延びる国道252号線を歩いた。冬期期間は新潟県魚沼市方面へは通り抜けできないためか、車の通行量は少なく、歩道が無くても安心して歩くことができた。

 

 

 

只見高校から3.3km、約40分で電源開発㈱只見発電所・ダムに到着。

 

普段は通り抜けできる堤高30m、堤頂長582.5mの天端はチェーンが張られ、通行止めになっていた。


 

チェーンの手前の雪壁を崩し、顔を出すと、只見ダム湖越しに田子倉ダムが見えた。

 

田子倉ダムの背後には、“寝観音”と呼ばれる「猿倉山」(1,455m)から「横山」(1,416m)にかけての稜線が見えた。雪崩路(アバランチシュート)を持つ荒々しい山肌を見せる山塊が、雪で山肌の凹凸が現れ、より険しさを際立たせていた。*参考:国土地理院「日本の典型地形について」6.氷河・周氷河作用による地形 6-24アバランチシュート

 

ダム湖の右岸にある電源開発㈱只見展示館を眺めた。

 

山の間からは、真っ白な「浅草山」の山頂が見えた。

  

 

只見ダムを後にし、冬期休業中の歳時記会館(1F土産処、2F食堂)を雪壁の向こうに見ながら、国道252号線を下り只見駅に向かった。

 

 

途中、国道を左折し只見スキー場に立ち寄った。駐車場には、時世からか、会津ナンバーの車が多かった

 

ゲレンデには、ゆったりとスキーやスノーボードを楽しむ方々の姿があった。

只見スキー場を後にして、代行バスに乗るため只見駅に戻ろうと、国道に向かって歩いていると、車が脇を通り過ぎ、国道を横切った先50mほどの民家に停まった。只見スキー場は、三セクの会津ただみ振興公社が運営しているが、市街地にあるだけに町民の福利厚生という面が大きいのだろうと考えた。



国道252号線に入り、少し歩いて左折し、只見駅に戻った。

 

只見町は、この只見駅と国道252号線を結ぶ町道の南側に、観光客向けの施設を設置するのだという。今秋全線再開通する只見線に関連する「只見駅前賑わい創出事業」として、7月に開所させるという。*出処:福島民友新聞 2022年1月7日付け紙面

11:25、駅頭に付けられた代行バスが、私を含め2人の客を乗せて只見を出発。

 

 

 

11:52、会津大塩“駅”となる、大塩体育館前に到着。ここで下車し、代行バスを見送った。


現在休止中の会津大塩駅は雪原の只中に埋もれていた。国道252号線からアクセスする町道は除雪されておらず、行くことはできない。

 

ただ、今回は“列車の走らない最後の積雪期”ということで、スノーシューを用意し、雪に埋もれた会津大塩駅に向かった。

 

mont-bell社製の「カジタックス スノーシュー46」は軽く取り回しが楽で、装着も簡単だった。

未踏の雪原に踏み出す。気温が高いせいか、表面の雪がだいぶ緩く、踏み込むと10㎝ほど沈み込んだが、足を取られるほどの事はなく、すんなりと歩き進められた。そして、何より2mほどの未踏の雪上を歩いている事が、不思議で楽しかった。

 

 

5分ほどで、会津大塩駅に到着。

 

只見線の路盤の上に移動し、小出方面を背にして景色を眺めた。来冬はホームや駅前を通る道が除雪されるため、この光景は見納めになる。

 

雪の無い駅と比べると、積雪は景色を一変させてしまうことが分かる。雪の観光力を、また感じた。


同じ場所で振り返り、会津若松方面を背にして景色を眺めた。この状況で除雪車を走らせると、“雪の回廊”ができるだろうと思った。車内から外の景色は見られないが、ドローンを飛ばせば良い絵が撮れると思った。

 

  

2m超の雪上とはいえ鉄道敷地内を歩くのは禁止、とは分かっていたが、除雪されない新「第七只見川橋梁」を見たいと会津若松方面に歩き出した。

かんじき(スノーシュー)を履いて歩くのは初めての体験だったが、まっさらな雪原を歩くのは気持ち良かった。しかも、2m下には、11年振りに列車が走るレールがあるということで、感慨深かった。

  

途中で一旦振り返って、足跡を見た。

 

 

雪捨て場へのルートとして除雪された、町道にある第一大塩踏切を越える。しばらく歩いてから振り返った。

 

前方には、新「第七只見川橋梁」が見えた。右側にある町道も除雪されておらず、四季彩橋も雪に埋もれていた。

 

橋梁に近づく途中で、変わった軌跡を描く動物の足跡があった。

一匹、二匹、どちらがたどったのか分からないが、一方は斜面から落ちたようで一部足跡が消え、他方は斜面を巻いて“安全に”歩いたようだった。動物も学習能力があり地形を観察できることが分かる軌跡だった。

 

  

会津大塩駅から、歩くこと約50分で新「第七只見川橋梁」の小出側に到着。竣工した真新しい橋梁が、除雪もされずに一冬を超す姿を見たいと思ったが、不思議な感覚になった。

 

振り返って、景色を眺める。来冬には、会津若松からやってきた列車が、「第七只見川橋梁」を渡った後に駆け抜ける。一人でも多くの観光客が乗車し、車窓から見える雪景色を楽しんで欲しいと思った。


只見線沿線冬景色を、歩いて見る予定を終えた。

この後は、「大塩温泉」に立ち寄るため、「第七只見川橋梁」から離れ国道252号線に向かった。

   

10分ほどで町道から国道に出ると、「大塩温泉」の縦看板があり、すぐに側道に入った。


3分ほどで「大塩温泉 共同浴場」に到着。訪れるのは4度目になる。

  

玄関で靴を脱いで、階段を降りて、正面のカウンター上にあった銀箱に協力金300円を入れた。

 

共用の休憩スペースは、以前の訪問より整理整頓掃除が行き届き、きれいだった。毎朝、組合の方が掃除など管理をされているというが、大切にされていると実感した。


脱衣所も、明るくきれいで、とても無人の公共浴場には見えなかった。


浴室に入る。鉄分を含んだ湯の香りがして、かけ流しの湯が流れる音が心地よかった。ちなみに、ここには、露天風呂があるが、泉温が低いためか冬期(11月~4月)は使用禁止になっている。

湯に浸かる。

泉温が低く、冬期は加温されているというが、湯温はちょうどよかった。しばらく半身浴をしたが、じわじわと全身が温まり、気持ちが良かった。先客2人が上がった後、1人でゆったりと湯に浸かった。

【大塩温泉 共同浴場】
[泉質] ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉
[泉温] 38.3℃(pH値6.46)
[泉質別適応症] 切り傷、やけど、慢性皮膚病、慢性婦人病など 
[一般適応症] 神経痛、筋肉痛、間接痛、くじき、痔疾、冷え性など

代行バスの時刻に合わせて「大塩温泉 共同浴場」を出て、会津横田駅となるバス停に向かった。

   

 

途中、二本木橋から只見川沿いに並ぶ横田地区の住宅を眺めた。

  

「大塩温泉 共同浴場」から約1km、15分ほどで国道252号線沿いのバス停が見えた。

 

バス停の向かいにある店(ヒロセ(滝沢商店))で、昼食となる菓子パンなどを購入し待っていると、まもなく代行バスがやってきた。

15:03、客が一人降りた後に乗り込むと、代行バスは会津横田“駅”を出発。 

 

 

 

15:22、会津川口に到着。

 

駅舎を抜け、待機中のキハE120形2両編成に乗り込んだ。

15:29、会津若松行きの上り列車が会津川口を出発。私が乗った後部車両には他4人の客が居た。

 

出発後、まもなく前方に現れた大志集落を取り囲む風景を眺めた。

 

会津中川を出発後、列車の中では、橋梁を中心に沿線の観光案内の録音音声が流れた。

 

今日は気温が高かったため、木々の綿帽子はほとんど融け、往路とは違った車窓からの風景を眺めた。 

「第四只見川橋梁」を渡る。

 

細越拱橋を渡り、金山町から三島町に入る。

 

早戸に停車。

 

 

「第三只見川橋梁」を渡る。上流側の風景。

 

下流側の風景。

 

 

宮下ダム湖の脇を通る。

 

 

会津宮下を出て「第二只見川橋梁」を渡る。下流側の風景。

 

上流側の風景。

 

 

会津西方を出て「第一只見川橋梁」を渡る。上流側、駒啼瀬渓谷の風景。

 

下流側の風景。

 

 

滝谷川橋梁を渡り柳津町に入り、郷戸を出てから、振り返って“Myビューポイント”から「飯谷山」を眺めた。雲は掛かっておらず、山容が良く見えた。

この後、会津柳津手前で“観光案内放送”は終わった。

 

 

会津坂本から会津坂下町に入り、七折峠を越え、列車は奥会津から会津平野に入ってゆく。前方には会津百名山「磐梯山」(1,816.2m)が見えた。

 

この後、列車は会津坂下に停車し、少し客を増やし、若宮を出て会津美里町に入る。根岸手前で西部山麓を眺めると、山々の稜線がくっきり見え、オレンジ色の陽光が雪原を照らしていた。

 

 

 

17:18、会津若松に到着。

 

連絡橋に上りると、会津百名山「明神が岳」(1,074m)に連なる、西部山地に落ちてゆく夕陽が綺麗に見えた。今日も、只見線の旅を無事に予定通り終えたことを感謝した。

 

 

 

乗換列車の出発まで時間があるため、改札を抜け、駅から400mほど離れた「會津酒楽館 渡辺宗太商店」に向かい、日本酒を買った。

 

買い物の後、会津若松駅に戻り、磐越西線の郡山行きに乗った。

 

 

郡山に到着した後は、磐越東線に乗換え、いわきに向かった。

船引を過ぎると車内は空いたので、渡辺宗太商店で買ったワンカップを呑んだ。今回選んだのはどちらも純米酒で、「會州一」(山口合名会社、会津若松市)と「天明」(曙酒造、会津坂下町)。

「會州一」は純米酒らしくすっきりとし、「天明」は濃厚さと甘みがありながら、さっぱりとした吞み口だった。

 

福島の酒は、全国新酒鑑評会で金賞受賞数が8年連続第1位を継続中だが、“ソフト”の部分が未だ弱いと思っている。この純米酒のワンカップも、お隣の新潟県に比べればまだまだ少ない。

酒蔵間の協業や流通整備などにより、“はまなかあいづ”の豊富な地酒を、地元方々や訪れる観光客がワンカップで手に取れるようにして欲しいと思う。*下掲新聞紙面:福島民報、福島民友新聞(双方とも2021年5月22日付け紙面一面)



 

 

今日も、昨年同様、晴れた日に只見線沿線の冬景色を見る事ができた。今回の旅では、雪は生命を脅かすものではあるが、やはり“観光力”があると再認識した。小動物の足跡しか見られない田圃の上に現れた雪原や、地形によって出現した美しい曲線、除雪面の雪の層、雪崩路(アバランチシュート)など荒々しい山肌のモザイク調の着雪、綿帽子を被った木々...など、奥会津地域には観光客をひきつける雪景色がある。そして、広々とした田園に広がる会津平野の雪原との対比を、一本の鉄路で味わえる“観光鉄道「山の只見線」”に、雪の観光力は欠かせないと再確認した。

 

 

現運休区間(会津川口~只見間)を保有し維持する責任を持つ福島県は、来年度の予算の“魅力発信・交流促進”プロジェクトの中で、“「来て。乗って。」絶景、只見線利活用事業”として約2億円を計上した。*下掲記事:福島民報 2022年2月4日付け紙面

おそらく、この事業の具体的な内容は、沿線自治体等からの要望も踏まえて既に決まっているだろうが、是非、沿線の冬景色を只見線の乗客が楽しめるツアーやイベントも実施して欲しい。また、JR東日本と連携を取って、冒頭に挙げた“雪による只見線運休”で観光客の機会が失われないよう、雪崩・落雪対策に補正予算などを組んで対応して欲しいと思う。

 

この来年度予算について、私個人としては、2億円という巨費をかけるのであれば、只見線の乗客増を期待できる専用観光列車の導入をして欲しかった。たとえば、JRからキハ40形を無償譲渡してもらい改造すれば、数千万円で観光列車の導入可能だ。現在只見線を走るキハE120形は、キハ40形よりは快適だが、車内には吊革が端から端まで二列にぶら下がるなど通勤列車の趣きで、観光客が非日常を味わえる空間にはなっていない。

来年度予算での専用観光列車の導入が無いのは残念だが、2億円というおカネが、地域振興という名を冠した一過性のイベントやツアーに使われることが無いように願いたい。“11年振りに全線再開通”で只見線が国内外から注目される中、一人でも多くの観光客が沿線自治体を訪れ、一人でも多くの方が『(また)只見線に乗りたい』『次は只見線に乗って〇〇に行きたい』とリピーターになるように、有効におカネを使って欲しいと思う。そして、これを布石に、再来年度にはJR東日本の協力を得た上で、只見線に専用観光列車導入のための予算計上をし、“観光鉄道「山の只見線」”の強固な基礎を築いて欲しい。

 

(了)

 

 

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*参考:

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い致します。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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