三島町「志津倉山」かしゃ猫ロード 2017年 紅葉

JR只見線の列車に乗り三島町を訪れ、「志津倉山 かしゃ猫ロードトレッキング大会」に参加。紅葉の見頃を迎えた木々が霧に包まれる、幻想的な“かしゃ猫ロード”を歩いた。

 

「志津倉山 かしゃ猫ロードトレッキング大会」は今年で6回を迎える。主催は三島町間方地区の組織「美女帰の里まがた活性化事務局」、共催が三島町観光協会。*参考:福島県「福が満開おもてなし隊」登録団体一覧 「美女帰の里まがた」

“美女帰”とは会津若松と只見を結ぶ“幹線”であった「(会津)銀山街道」の三島町と昭和村の境にある「美女峠」の旧称(美女帰峠)だという。間方地区(旧間方村)はこの「銀山街道」沿いにあり、「美女峠」で昭和村野尻地区と接する。

  

「美女帰の里まがた」は福島県が進める“歩く県道(153号線)”の「銀山街道」の整備にも協力していて、活発な地域おこしを行っている。三島町の最深部にありながら、“街道沿いのまち”の底力を感じさせてくれる団体だ。 *下記記事出処:福島県大沼郡三島町「広報みしま 2017.10」(PDF)

*参考:銀山街道を活用して地域を元気にする会 http://www.ginzan-kaidou.com//福島県会津若松建設事務所 「歩く県道・銀山街道」 2011年12月(PDF)2013年11月(PDF)2015年7月(PDF)

  

そして、「かしゃ猫ロード」は志津倉山遊歩道整備事業として福島県の地域づくり総合支援事業(サポート事業)と三島町の地区活性化事業に採択、間方地区住民の方々が中心となり3年計画で整備され、2012年10月21日に第一回のトレッキング大会が開催された。 *参考:三島町観光協会(旧ブログ) 2012年10月23日記事  

“かしゃ猫”とは漢字で火車猫とも化裟猫とも書き、間方地区に伝わる志津倉山にまつわる伝説で、現地にある猫啼岩はそれに由来しているという。 *参考:三島町流センター・やまびこ 「かしゃ猫」「かしゃ猫伝説

 

 

私は三島町観光協会のHPでこの大会を知り、8月末に電話で申し込んでいた。郡山から只見線経由で集合時間(8時30分)に間に合わないということで、前日に三島町入りし、宿泊した。

 

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)(PDF) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の秋

  

 


 

 

7:10、雨が降る中、宿「奥会津 のんびり館」を出発。雨が降らなければ、輪行した折り畳み自転車に乗り「第一只見川橋梁ビューポイント」に行くつもりだったが断念し、徒歩で行ける「アーチ3橋“兄”弟」を見る事にした。


  

5分とかからず、“展望所”に到着。案内板を横目に“長男(大谷川橋梁)”と“三男(新宮下橋)”が見える。中に入り、柵まで行き、只見線の列車を待った。


7:28、会津川口行きの列車が通過。そして、会津宮下駅ですれ違いを行った会津若松行きが10分後に“長男”の大谷川橋梁を通過した。

  

 

撮影後、集合場所の三島町役場に向かう。7時45分頃に到着して、県道に面した入口脇にある「赤城清水」で給水し、受付開始時間まで待った。

 

8:00、受付開始。雨のせいか、参加者の出足は悪かった。

 

私も受付をし、参加費(2,000円)を支払い、班Noが記載された首下げ式のネームケースと温泉無料券、券が利用可能な温泉施設の地図の3点を受け取った。

 

直後に、駐車していたバスに乗車。町営バス(日曜日運休)の車両のようだ。バスは2台用意されていたが、雨で約半数の参加者がキャンセルしたということで、結局1台だけで登山口入口に向かう事になった。

8:33、バスは出発。37の座席の9割ほどが埋まっていた。

 

  

 

9:07、志津倉山の登山道入口駐車場に到着。弱い雨が降り続いていた。

登山道入口に向かい、各々別車両で先乗りしていた間方地区の方をはじめとしたスタッフと合流した。

 

 

9:13、開会式が行われる。班毎に集まったが、雨での不参加が響き、私の所属する4班は私を入れて6名という小所帯となっていた。三島町観光協会会長や間方地区長の挨拶、各班(4班)を率いるスタッフの紹介などが続く。

 

続いて案内図を指さしながらコースの説明。

 

赤線で示された、登山道から分岐したトレッキングコース(かしゃ猫ロード)を歩く事になるが、奇数班(1班、2班)は「細ヒド」登山道から分岐する左周りコース、偶数班(2班、4班)は「大沢」登山道から分岐する右回りコースを歩くという。

残念ながら、今回は雨で危険があるため巨大一枚岩(スラブ)である「雨乞岩」を見に行く事はできないという。期待していただけに残念だった。

  

  

9:25、神式の安全祈願を行った後、お神酒をいただき、1班から順番に登山道に入り、トレッキングが開始。私の班の先頭は間方地区の“おじちゃん”。最後尾にも二人のスタッフが付いた。

  

昨夜からの雨で足元はぬかるみ、そして滑り、最後まで気を遣う事になった。

   

登山道に入りまもなく、前方には見頃を迎えている木々が広がった。

  

出発して10分ほどで「大沢コース」と「細ヒドコース」の分岐に到着。偶数班の私たちは「大沢コース」を進んだ。

  

縦杭の案内板の一部は破壊されていた。クマの仕業か!? “おじちゃん”はよくクマを見かけると言い、食事をしているクマは一番危険だと秋田県の事故を引き合いに色々な話をしてくれた。

  

  

コースを進むと、途中には何カ所か倒木があり、潜ったり跨いだりして超えてゆく事になった。

  

斜面を見上げると、綺麗に色づいた木々が広がっていた。

 

  

“おじちゃん”は、時々立ち止まり、登山道や側を流れる大沢、植物等の説明をされながら慣れた足取りで進んでゆく。

 

登山道とトレッキングコースの分岐点では、キノコの説明を受けた。

 

「ヒラタケ」だが、似たような毒キノコのあるので注意が必要ということだった。

 

 

 

分岐を右に進み、急な斜面を登り、「かしゃ猫ロード」に入った。 

しばらく進むと、“おじちゃん”がブナの前で立ち止まり、木肌に耳を当てるしぐさをして『水を吸い上げる音』について説明をされた。

 

しばらく先に進み、続いては「キハダ」の説明。内皮は薬になるようで、“おじちゃん”も子どもの頃におばあちゃんから飲まされたという。*参考:武田薬品工業㈱  日本薬局方に収載される代表的な薬用植物「キハダ

 

木々にまかれたピンクリボンは“名札”になっていた。

   

先を進み、「かしゃ猫ロード」から斜面を見下ろすと、霧に包まれた幻想的な光景が見られた。

  

 

  

かしゃ猫ロード」の最高点に向かう階段を登る。

   

10:18、最高点の尾根に到着。右回りの奇数班とすれ違った。

   

ここからは、晴れていれば志津倉山の頂上や「雨乞岩」が見えるというが、真っ白でガイドの“おじちゃん”も苦笑いしていた。

 

更にここには、熊の爪跡が残ったブナがあった。最近のものではないという。

    

 

この尾根からは下りとなり、しばらく進むと「チシマザサ(根曲がり竹)」の群生に着いた。これが橇(カンジキ)の材料となるということで、“おじちゃん”はササを丸め実演。ササの弾力は強力で、手には力が入っていた。

終了後、“おじちゃん”が手を放すと、ササは元通りになっていた。笹竹の強靭なコシに感心した。

  

行く手には前半には無かった斜面を進む場所もあった。ぬかるみに足を取られ滑ったが、恐怖は感じなかった。

  

  

 

更に進み、“アトラクション”に到着した。

 

“長樹(寿)の股くぐり”という。

 

名付け親の菅家さんが実演してくださった。

この“股くぐり”は積極的なPRはしていないというが、「かしゃ猫ロード」のアクセントになるのではないだろうか、と思った。

 

 

 

この先、コースは急な下りになる。鎖が垂らされている為、安心だった。

   

小さな沢を渡ると前方に大きな岩が現れた。霧に包まれ、厳かな空気が流れていた。

 

振り返り、斜面を見上げると、霧が濃くなってきていた。

  

岩の一面には苔が生していた。

スタッフの説明によると、山菜やキノコではなく、最近は苔を求めて山に入る人が増えているという。苔は持ち帰っても生きないようで、現地では見て楽しむ事になるのだが、それでも来るという。

   

 

10:53、「志津倉山 巨木3兄弟」の“長男・栃太くん”に到着。樹齢約500年の栃の木だ。

 

“おじちゃん”から、この“栃太くん”について詳しい説明していただいた。

 

“栃太くん”の先で「かしゃ猫ロード」は終わり、登山道「細ヒドコース」に合流。

   

 

50m程、登山道を進んだ場所には、樹齢約400年の“次男・ブナ志津男くん”がそびえていた。

 

別名“夫婦ブナ”。二本のブナがくっついているように見える。

 

  

ここから来た道を戻り、“栃太くん”を右上に見ながら少し下ると“長女・沢クルミちゃん”が現れる。樹齢約250年のサワグルミだ。

 

立ち上がりが美しい。

  

志津倉山 巨木3兄弟」はそれぞれに特徴があり、見ごたえがあった。新緑の時には違った見え方がするかもしれない、と思った。

 

 

 

この後はゴールを目指して、若いブナの森を進み、まもなく、“おじちゃん”が『気に入っている』という空間に出た。霧が漂い、幻想的で良い雰囲気だった。

ここは晴れた日に歩けば最高だろう、と思った。次回の楽しみが増えた。

 

 

このブナの森は沢に挟まれた尾根沿いにあるため、しばらく進むと、眼下に沢の合流点が見えた。ここは、トレッキングコースの最後の難所という事で、急峻な斜面を慎重に下った。

  

  

11:28、「大沢コース」との分岐点に到着。トレッキングコース一周を約2時間かけて歩いた。

 

ゴールは間もなく。

11:33、スタート地点に戻る。私たちが最後だった。

  

雨が降っていたせいか、スタッフ数名の姿しかなく、セレモニーもなかった。これから向かう間方集会所で閉会式は行われるとのことだった。

 

側溝を流れる沢水で靴の泥を洗い流し、バスに乗り込んだ。

私たちが乗車して、まもなくバスは出発した。

 

 

 

 

 

約10分ほどで間方集会所に到着。

 

玄関前ではイワナが焼かれていた。

 

集会所の中に入り、長机がコの字に並べられた座席に座ると、まもなく料理が並べられ昼食会が始まった。天日干し(地元では“ネリ”という)された間方産新米のおにぎり、イワナの串焼き、コゴミの炒めもの、味噌焼き、漬物が皿に盛られ、後からアツアツの豚汁が調理していた地元のご婦人方の手によって運ばれてきた。

地元食材で作られた一品一品が美味しく、生産者や採取者が目の前に居て、その方々のもてなしの前でた食べていると思うと、感動が倍増された。

 

 

食事が終わると、“かしゃ猫”紙芝居が上演された。

 

間方の語り部の聞きやすい声が会場の隅々まで届き、私は久しぶりに紙芝居に見入った。

紙芝居は拍手喝采の中終わる。その後“おじちゃん”が首に下げていた“かしゃ猫笛”が参加者の目に留まり、即席の販売会が行われた。

  

また、今日は雨の中参加してくれたということで、間方産のマコモダケが全員に配られた。

以前、金山町の田んぼ跡に群生していた姿を見ていたが、“実”は初めて見た。“おじちゃん”の説明では、マコモダケに味は無く、炊き込みご飯に入れたり、肉と一緒に炒めたりして食べると良いという。近年、耕作放棄で田んぼが荒れ、その対策としてマコモダケを植えているという話もあった。

  

最後に、設問2つのアンケートの配布と回収、閉会の辞が述べられ、拍手の中で散会となった。トレッキング、地元の料理、「かしゃ猫」紙芝居、全てが内容がありとても充実したイベントだった。また、参加したいと思った。

 

表に出ると、まだ雨は降り続いていた。集会所の玄関前にはモニタリングポストがあり、0.045という数字が表示されていた。

きわめて低い値だが、ここが福島である事を強烈に知らしめてくれる。私たち県民は、この存在が語る事実を理解し、未来への布石を打っていかなければならない、と改めて思った。

 

集会所を出て、再びバスに乗り込み、三島町役場に向かった。

20分程で到着し、バスを降り、朝に配られた班No入りの名札ケースがスタッフの手で回収され自動解散。この後は、各自、町内の温泉を選び。トレッキングの汗を流すこととなった。 

 

私は雨の中を歩き始め、県立宮下病院を右手に見ながら坂を下り、町の保養施設「ひだまり」に向かった。 

役場から5分程で現地に到着。社会福祉法人みしまが運営する特別養護老人ホームなど複数の福祉施設と同じ敷地に並んでいる。

 

入口を入ってすぐの受付で、大会の受付時に受け取った入浴券を渡し浴室に向かう。只見川を眼下に見る事ができる開放的な空間だった。源泉掛け流しのお湯は熱め。半身浴で長めに浸かり、体を温めた。

  

「ひだまり」に一時間ほど滞在し、小雨を浴びながら駅に向かった。再び、役場前の赤城清水を飲んでから、10分ほどで会津宮下駅に到着。列車の到着まで1時間。読書をして過ごした。

  

駅員が窓口に現れたのを機に若松までの切符を購入。会津若松~郡山間は「Wきっぷ」を使う。

  

列車の到着時刻が近づき、ホームに移動。まもなくキハ40形が現れた。3両編成だったが、全車両全てのBOX席には乗客の姿があった。乗り込むと車内はご婦人方を中心に賑やかで、大半が荷物を持たない姿だった。「第一只見川橋梁」まで乗車するツアー客だろうと思った。紅葉の時期の只見線の集客力に嬉しくなった。

 

15:54、列車は会津宮下を定刻に発車し、直後に大谷川橋梁を渡る。右手に目を向け、「アーチ3橋(兄)弟」の“三男・新宮下橋”の巨大な躯体を見上げた。

   

そして、まもなく「第二只見川橋梁」で只見川を渡河。

   

会津西方を過ぎると『トンネル通過直後に第一只見川橋梁を渡ります』との車内アナウンスが流れた。 

名入トンネルを抜けると、列車は薄紫のアーチ橋「第一只見川橋梁」を渡った。車内から歓声が上がると思ったが、期待したほどのものでもなかった。雨模様で紅葉の色付きも七分ということからか、車窓から目をを離すツアー客の姿もあった。

 

 

列車は会津桧原滝谷(以下、柳津町)、郷戸を経て会津柳津に到着。ツアー客はぞろぞろと降りて行き、駅頭に止められた大型観光バスに乗り込んでいった。

今日の車窓の景色にどんな感想を持ったであろうと考える。『また天気の良い日に来たいね』と言い合っている事を期待した。

 

列車は会津坂本(以下、会津坂下町)、塔寺会津坂下若宮新鶴(以下、会津美里町)、根岸会津高田会津本郷(以下、会津若松市)、西若松七日町と各駅で停発車を繰り返しながら順調に進み、定刻に会津若松に到着。私は列車を乗換え、郡山に向かった。

 

定刻をわずかに遅れ、郡山駅に到着。雨が降る中、私は帰宅した。

 


 

[只見線とかしゃ猫ロードに参加してみて]

「第6回 三島町志津倉山 かしゃ猫ロードトレッキング大会」は雨の中参加することになったが、充実した楽しいイベントだった。

 

この大会、第1回から第3回までJR只見線・会津宮下駅が集合・解散場所で、“只見線に乗りイベントに参加する”という趣旨が表立っていた。また、第1回と第2回は出発が9時30分で、中通りの郡山市や若松以西の猪苗代や磐梯町から列車に乗り継ぎ参加できる時間設定だった。

しかし、出発時間が第3回から8時30分となり会津若松駅から始発列車に乗らなければ間に合わなくなり、第4回以降は集合解散場所が三島町役場に変更された。おそらく参加者の大半がマイカー利用者で駐車場の広い役場に変更になり、昼食の都合から1時間早まったのだろう。

今日、会津宮下駅から会津若松行きの列車に乗ったのは私を含め4人。普段着だったためトレッキング大会に参加したかは不明だが、仮に全員参加していたとしても参加者割合は低い。イベントをマイカー利用者に合わせるのは合理的だ。

 

「かしゃ猫ロード」は野趣味がありながら、最低限の注意を払えば楽しく歩ける素晴らしいコースで、只見線の集客に貢献できると思う。と、考えるとトレッキングイベントを只見線乗車と組み合わせてツアー化するのが良いのではないだろうか。ここでは中通りからの集客も図るため、会津川口行き9時10分着に合わせた出発時間とする。間方の“おじちゃん”達に、案内と朝食の提供の協力を仰ぐ。時期は新緑と紅葉。それぞれ2回ずつ企画しても景観美を堪能できるのではないだろうか。

 

見当の余地はあると思う。

このイベントは「志津倉山登山」や「美女峠トレッキング」にも広げ、会津宮下駅をトレッキングを中心としたネイチャーアクティブの起点とすることも可能だと思う。駅周辺には温泉も豊富で、イベント参加後にも楽しみが追加される。 

課題はWifiなどの通信環境の整備と、列車を待つ間の時間を過ごす場所のアメニティーの確保。駅と駅直近にある観光交流館「からんころん」が協業すれば実現できると思うのだが、どうだろうか。

 

 

只見線を走るキハ40形の2両編成はツアー客50名が乗っても余裕がある。駅に人があふれ、イベントに参加し、イベント後は温泉を中心に町に人が行き交う。この風景を定着させるには只見線の活用は必須で、「かしゃ猫ロード」はそれを実現しうる有力なコンテンツであると、私は今回思った。

 

 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室 :「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」  

 

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②福島県:企業版ふるさと納税

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(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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