只見町「笠倉山」登山 2021年 紅葉

観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今日は、会津塩沢駅から登山口となる林道終点まで4.5㎞と比較的近い「笠倉山」(993.7m)に登るため、JR只見線の列車に乗って只見町に向かった。

 

「笠倉山」は只見町の北部にある、福島県-新潟県境や町村境上にはない孤立峰だ。“笠倉山”という名は全国各地にあるようで、「笠倉山」から北東に約13km、「本名御神楽」の東側の新潟県内にも「笠倉山」(1,139.7m)がある。

山名に入っている“倉”とは岩場を指し、“倉”が付く山は岩山であることが多いと言われている。このこともあってか、「笠倉山」は、「蒲生岳」「唐倉山」「土埋山」と並び“会津マッターホルン四座”と言われる事があるという。*「蒲生岳」は単独で“会津のマッターホルン”と言われる事が圧倒的に多い 参考:只見町「蒲生岳」URL:https://www.town.tadami.lg.jp/tourism/gamou.html

 

今回の登山計画段階で参考にしたネット上の山行記で、「笠倉山」は『登山道は整備されておらず、急斜面に逆木が密集し、行く手を阻む。晩秋の落葉期か初冬の残雪期が登山に適している』とほとんどの方が感想を残されていた。そこで、11月中旬以降に、雨予報が無い日を選んで「笠倉山」に登ろうと思った。


「笠倉山」は「会津百名山」の第66座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。

笠倉山 <かさくらやま> 994メートル
笠倉山の標高は1000メートルにも満たないが、独立峰で岩場が多くヤブこぎは避けられない。しかし、登るのに十分手応えのある山であり、山頂からの展望も素晴らしい。[登山難易度:上級(登山道無)]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p96


また、会津藩の地誌「會津風土記」(初代会津(松平家)藩主・保科正之が寛文年間(1661~72) に編修を指示)を,第7代藩主・松平容衆治世の1809(文化6)年に編纂が完了した「新編會津風土記」(全120巻)に、「笠倉山」の記述がある。

●鹽澤村
○笠倉山 村北二十五町にあり、麓より頂まで三町餘
*出処:新編會津風土記 巻之四十七「陸奥國會津郡之十九 大鹽組 鹽澤村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p276-277 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

   

今日の天気予報は、朝方雨が残るが、その後は“曇り時々晴れ”。三等三角点峰ながら、孤立峰ということで、山頂からの青空の下に広がる360度の眺望を期待し、現地に向かった。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の秋

 

  


 

 

昨日は仕事を終え、富岡から列車に乗り、いわきから高速バスで移動し宿泊地である会津若松に向かった。途中郡山で乗換する際、駅前の「ビッグツリーページェント・フェスタ」の様子を見た。高校生など若者を中心に、多くの方々が美しいイルミネーションに見入り、写真に収めていた。

 

音楽都市として“楽都 郡山”の愛称を浸透させつつある郡山市には、福島県の中心地として、新型コロナウィルス禍の克服過程の中で賑わいと活気をもって人心と経済を盛り上げていって欲しい、と思った。

 

 

 

今朝、只見線の始発列車に乗るため、会津若松駅に移動。漆黒の闇の中、切り妻屋根に白壁の駅舎が鮮やかに浮かびあがっていた。 

 

輪行バッグを抱え、駅舎に入ると改札脇に“おかげさまで 只見線開通50周年”の幟が置かれていた。50年という節目は大きく、また来年度中に11年ぶりに全線再開通となる只見線を盛り上げたいとするJR職員の気持ちを感じた。

 

切符を購入し、改札を通り只見線のホームに向かうため連絡橋を渡る。途中、いつもの場所から列車を見下ろした。東の空は、藍色にうっすらと白みが差していた。

6:03、会津川口行きのキハE120形2両編成が出発。先頭に10名ほど、私が乗った後部車両には他5名の客が乗車していた。

  

「笠倉山」の最寄りとなる会津塩沢までの運賃は1,520円。今夜は只見町内の民宿に泊まるため、「小さな旅ホリーデーパス」は利用しなかった。

 

 

列車は、七日町西若松を経て大川(阿賀川)を渡り、住宅地から田園地帯に入る。空は、徐々に明るくなってきた。

  

会津本郷を出発し、会津若松市から会津美里町に入り、会津高田を出た直後に“大カーブ”で進路を西から真北に変えた。

  

根岸に近づくと陽が差すようになった。振り返って、車窓から外を見ると、会津百名山「背炙山」(863m)の台地の上から出た太陽が、会津平野を照らし始めていた。

  

 

列車は新鶴を経て、若宮から会津坂下町に入り、左カーブで進路を西に変え、会津坂下に停車。雨上がりの空間に朝陽が差し、延伸された真新しいホームに一人たたずむ高校生を照らし、良い光景が見られた。

 

まもなく、上りの一番列車がやってきて、高校生を中心とする多くの客が乗りこんで、すれ違っていった。

  

 

会津坂下を出ると、“七折登坂”に入る。ディーゼルエンジンを蒸かし、右にカーブしながら峠に向かう列車の先には、虹が掛かっていた。

 

車窓から振り返って、会津平野に別れを告げた。。

   

塔寺手前で、木々の間から会津坂下町を見下ろした。

先日地元紙に、ここから見える田圃の一部にスーパーなどの大型商業施設が建設されるという記事があった。国道49号線沿いということで、町民の他、隣接自治体の住民にとって利便性が高まる事は間違いないが、建物の外壁や看板など、観光地として景観に配慮したものにして欲しいと思った。

 

  

列車は、会津坂本を出ると柳津町に入り、会津柳津を経て郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。会津百名山「飯谷山」(783m)は、全体が厚い雲に覆われていた。

  

滝谷出発直後に、滝谷川橋梁を渡り三島町に入る。車窓から見下ろすと、渓谷は綺麗に色づいていた。福島県側の只見線沿線で、屈指の渓谷美は健在だった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

  


 

会津桧原を出て、桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。東北電力㈱柳津発電所・ダムの貯水池の水面は、水鏡となりくっきりと周囲の木々と空模様を映していた。

 

反対側の席に移り、上流の駒啼瀬渓谷を見ると、薄日で紅葉が少し浮かび上がり、まずまずの景観を創っていた。

 

列車は減速していたため、カメラをズームにして「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上部(Dポイント)を見ると、“撮る人”が5名居た。

 

  

会津西方出発直後には「第二只見川橋梁」を渡る。上流側に聳える会津百名山「三坂山」(831.9m)は全体が雲に隠れていた。

 

ここでも反対側の席に移り、下流側を眺めた。スゥーと延びる只見川(ダム湖)の水鏡に空模様が映り込み、美しかった。*ダム湖は東北電力㈱柳津発電所・ダムのもの

  

 

会津宮下が近付くと、列車は減速し、「アーチ3橋(兄)弟」の“次男”宮下橋を見下ろしながら、“長男”大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

会津宮下に到着して、駅舎屋根越しに見える「三坂山」は、色づいた山頂部分が雲の上に出ていて、東北電力㈱の正方形のマイクロ波反射板が陽光を浴び、白く浮かび上がっていた。

 

まもなく、上り列車とのすれ違いを行い、会津川口行きは会津宮下を出発。

   

 

列車は、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの直側を通り、ダム湖の縁を駆け抜けた。両岸の紅葉は、まだ見応えがった。

 

 

第三只見川橋梁」を渡り、下流側を眺めた。今秋もこの彩られた光景が見られて、良かったと思った。

 

反対側の席に移動し、上流側を見る。こちらは水鏡が冴え、水面に周囲の景色が映り込んでいた。


 

早戸を出発し、三島町から金山町に入る。土木遺産に指定された8連コンクリートアーチ橋・細越拱橋の緩やかな左カーブを渡る。*参考:公益社団法人 土木学会「土木学会選奨土木遺産」只見線鉄道施設群 URL:http://jsce.or.jp/contents/isan/blanch/2_34.shtml

 

 

会津水沼を経て「第四只見川橋梁」を渡る直前、岩場の紅葉を見る。この日、最も鮮やかな黄色だった。

 

  

会津中川を過ぎると、前方に林道の上井草橋が見え始める頃に列車は減速し、終点に向かってゆく。

 

振り返って、車窓から大志集落を眺めた。今朝、ダム湖の水面はわずかに波打ち、水鏡の冴えは無かった。しかし、よく見ると、家々の間から虹が立ち上がっていた。*ダム湖は東北電力㈱上田発電所・ダムのもの

 

 

  

8:06、現在の終点である会津川口に到着。ここから先只見までが「平成23年7月新潟・福島豪雨」被害で運休になっていて、来年度中に再開通する事になっている。

 

列車からは、10名ほどの客が降りた。

   

輪行バッグを抱え、ホームから駅舎に入ると、代行バスは駅頭に付けられていた。駅の西側にある「みんなのトイレ」に立ち寄った後、輪行バッグを抱えバスに乗り込んだ。

8:15、私を含め7名の客を乗せ、代行バスは出発。只見線に沿って延びる国道252号線を進んだ。 

  

本名会津越川を経て、会津横田で一人の客を降ろし、会津大塩を出ると只子沢を境に只見町に入った。


  

 

8:50、会津塩沢“駅”となる、国道沿いの塩沢簡易郵便局の斜向かいに停車。輪行バッグを抱えて降り、代行バスを見送った。

 

小雨が降っていたので、塩沢簡易郵便局に向かい、雨宿りしながら登山の準備をした。会津百名山「鷲が倉山」山頂(918.4m)を見上げると、雲が流れていた。天候の回復に期待した。

 

 

雨が上がったので、輪行バッグから自転車を取り出し組み立てて、会津塩沢駅に向かった。

 

ホーム前後の撤去されていたレールは、綺麗にバラスが盛られ敷設されていた。「第八只見川橋梁」復旧工事用の導入路として鉄板が敷かれていた路盤も、鉄路に戻っていた。

 

さらに、待合室も覆板が外され、ガラス戸が表に出て、内部には工事用の部材が置かれていた。いよいよ運休区間が復旧するのだ、とさらに実感がわいた。

  

 

 

9:28、自転車にまたがり、会津塩沢駅から「笠倉山」登山口に向けて出発した。一部に青空は見えていたが、陽射しは長く続かない、という微妙な空模様が続いていた。

  

国道を進み、河井継之助記念館前を通り、塩沢橋上から只見川(ダム湖)を眺める。太陽が差していればもっと良い景色が見られたが、今日は残念だった。*ダム湖は電源開発㈱滝発電所・ダムのもの

  

国道から左に曲がり、宮前踏切を渡り高塩集落に入った。

 

まもなく、“売家”の看板が。何を生業としていた方の家だったのだろうと思った。

 

塩竃神社に立ち寄り参拝。登山の無事を祈った。

この塩竃神社は、ここ塩沢地区の塩生産と深い関わりがある。冒頭に掲載した新編會津風土記の塩沢村の項には次のように書かれている。 

○鹽井
村中鹽澤川の東岸巖穴の間にあり、周六尺餘深一丈傍に鹽焼小屋六軒あり、村民常に農隙を以て井水を汲み煮て鹽となし他村まで鬻ぎ出す、鹽の味ひ輕く色白し、土人は空海の護摩を修せしに因て湧出すと云、其時のものなりとて鹽ほりつくしと稱て長一尺計の黒石五枚今に鹽竈神社に藏む
*出処:新編會津風土記 巻之四十七「陸奥國會津郡之十九 大鹽組 鹽澤村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p276-277 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

只見町塩沢地区には「山塩資料館」(河井継之助記念館隣)があり、当地での製塩の様子が絵や模型などで展示されている。*参考:只見町 会津ただみ振興公社「河井継之助記念館」/福島県 会津地方振興局「只見町

 

  

塩竃神社を越えると、林道塩沢線(3.543km)の起点になった。標杭の近くには“熊出没注意”の看板が置かれていた。

 

林道の傾斜は緩く、自転車を快調に進められた。途中振り返ると、塩沢簡易郵便局前から見えた「鷲が倉山」の山容が良く見えた。

   

林道下に田圃見えなくなると、両脇には雑草が目立つようになった。

  

 

 林道起点から1.5kmほど進むと、林道は未舗装区間になった。

  

踏み固められた砂利道を少し進むと、前方にバリケードが見えた。

 

9:51、バリケード前に到着、国道から約1.7kmの地点だ。通行止看板を見ると、『この先悪路につき転落事故多し』と手書きされていた。

今回の登山に臨む前に見た山行録では、この手前の退避スペースなどに車を停めて、登山口まで歩いたと書かれていた。私は、自転車を押して、ロープ側のゲートをくぐり先に進んだ。 


 

どれだけ道が荒れているのだろう、と思いながら塩沢川沿いの林道を進んだが、凹みに大きな水たまりがある程度で、斜面の崩落や激しい洗堀箇所は林道終点まで見当たらなかった。

  

途中、軽トラックが一台停まっていた。車内に人は居なかった。会津ナンバーであることから、地元の方が山か川で作業をしているのだろう、と思った。

  

二つ目となる栃の木橋を渡った。

 

橋上から塩沢川を見ると、清らかな流れと岩床の綺麗な渓谷だった。

  

  

10:06、林道塩沢線の終点に到着。この先にも、同じ形状の道が続いていた。

  

先に進むと、小高い平場に道は続いているようだった。

小さな沢に架かったコンクリートの橋。下山時、迷いに迷ってここに顔を出してしまうとは、この時は露ほどにも思わなかった...。

  

 

 

坂を上ると、かなり開けた。清水平と呼ばれる広場で、車10台以上停められるような広さだった。ただ、中央部はかなりぬかるんでいるので、車高の低い車は乗り入れない方が良いだろうと思った。

  

10:09、「笠倉山」登山口となる、馬尾滝の入口に到着。文字が消えたプラスチック板が標杭に取り付けてある、と山行記を読んでいたため他案内板が無くても登山口だと確信できた。

  

 

 

10:15、自転車を広場脇に停め、気合を入れて「笠倉山」登山を開始。アオキに挟まれ、枯葉が敷きつけられた登山道を進んだ。 

 

路脇に紫の実を見つけ、立ち止まって写真を撮った。初めて見る色の実で、後で調べていると、ムラサキシキブの実ということだった。 *参考:国立科学博物館 筑波実験植物園「ムラサキシキブ

  

  

歩きやすい!、と思ったのもつかの間、登山道は沢に設けられたトラバース道のように斜めになった。雨のせいで枯葉も濡れ、滑らないように注意しながら、足を進めた。右は塩沢川で切れ落ちていたが、灌木が密集していたため、滑落の恐怖は感じなかった。

 

ただ、倒木が10mほど道を塞いでいた箇所には唖然とし、どのようにして越えるか迷った。

結局、塩沢川寄りの、木嵩が無い場所を選び、慎重に跨ぎながら越えた。

 

  

更に進むと前方に、立ち姿のきれいなブナが見えた。すっかり落葉し、密な枝が露わになっていた。 

   

  

しばらく、塩沢川の水音を聞きながら歩いた。陽も出ていたため、気持ちよかった。

  

沢や涸れ沢も何度か渡った。この沢が、下山時にやっかいになろうとは...。

   

 

前方に杉林が見えてきた。山行記の中には、ここに取付き点があるということだったが、テープや踏み跡などは見当たらなく、そのまま通過した。

  

  

踏み跡を進み、滝のような水音が聞こえ、短い坂を下ると、前方に沢が見えてきた。

 

アオキの間から、見下ろすと小さな滝があった。  

  

そして、少し進むと沢辺になり、踏み跡は途切れ、対岸に続き馬尾滝に向かっているようだった。この沢は笠倉沢で、大半の山行記ではこの沢付近で斜面に取付いていることを思い出し、引き返すことにした。

 

 

 

10:45、短い坂をの上った場所で斜面を見上げる。踏み跡やテープは無かったが、前方に斜面の先が平場のようになっている事が分かり、ここを取付き点とし登り始めた。

 

斜面にはアオキが目立ち、落葉した灌木や幼木が行く手を阻み、直登はできなかった。覚悟はしていたが、登山序盤の藪漕ぎ急坂に先行き不安になった。

 

  

ほぼ垂直な斜面を、灌木につかまりながら登り、平場に乗った。落葉したブナとアオキが目立つ場所だった。

   

周囲を見渡し、すこしウロウロしてみると、踏み跡らしい痕跡が見つけ、ホッとし、「笠倉山」登山ルートに乗ったと思った。

 

 

平場を抜けると急な斜面になり、かなり上まで続いていた。

 

斜面は少し登っただけで、息が切れた。続く「笠倉山」の難関に少し気落ちしたが、これはまだまだ序の口だった。

  

途中、振り返り斜面を見下ろしてみた。登頂後、ここを下りるのかと思うと気が重かった。 *結果、ここを通る事は無く、もっと過酷な場所を下ってしまった。

  

  

斜面には、少し根曲がったブナの巨木があった。

 

ここまでの急斜面に根付き、育ったこのブナの生命力に、恐れ入った。

  

 

急坂が終わり、狭い肩部になった。倒木があり、休憩場所には良いかもしれないと思った。

 

肩部で一休みし、前を見ると、再び斜面となった。「笠倉山」の等高線から分かってはいたものの、急坂直登が続くと息も切れるが、気持ちも切れそうだった。


  

気合を入れなおし、斜面を登り始めるが、右の視界に、落葉した枝に黒い塊を見て、『熊棚かっ⁉』とギョッとした。しかし、よく見ると小枝がかなり密集しているので、鳥の巣ではないかと、思い直した。

  

 

斜面の登り標高が上がってくると、ブナなど太い成木が少なくなり、幼木や灌木が増えてきた。

 

そして、木々の間にピンクのテープがあった。今日、初めて見た“先人の痕跡”だった。ここで「笠倉山」山頂に向かっている事に確信が持てた。

  

 

11:32、ピンクテープのある場所を通過し、さらに進むと「笠倉山」“名物”の逆木群が現れはじめた。

雪深い地で、真っすぐ上に伸びたい木々が、急坂で雪塊に押され根が曲り、そして全体が坂に沿って下方に生育した。「笠倉山」の地形と気候が生み出した、“奇木”だ。 

   

徐々に、四方八方を逆木に囲まれ始めた。落葉期でなければ、逆木の太さや向きなどが分からず、越えるのに苦労するだろうと想像した。

  

 途中、鮮明、不明瞭な踏み跡も所々に見られた。

 

この時には、踏み跡は“あったらラッキー”程度に思い、尾根に向かって直登し、逆木を越えていった。

 

太い逆木は、回り込みながら乗り上がったり、慎重に跨いだりした。

 

 

枝木越しに、うっすらと見える山頂か尾根の稜線を前方に捉えながら進む。

 

すると、たまに、“先人の痕跡”を認め、その度にホッとした。

  

 

逆木は続く。『バケモノ⁉』と思ってしまうほどの、気味の悪いものもあった。

 

  

12:00、前方にピークのような稜線を認めた。

 

小さな崖を、灌木につかまりながら登った。

   

しかし、登ってみると小さな肩部で、開けた場所ではなく灌木の密集地が広がっていた。ただ、傾斜が緩い為か、逆木にはなっておらず、そして、前方には更にピークが見えた。「笠倉山」の西側にある肩のようだったが、目指すものがはっきりすると、気分的に落ち着いた。

  

  

先に進む。基本直登で、あまりにも灌木が密集している箇所は避けながら登った。途中、2箇所で、ピンクテープではない、黄色いビニールヒモが“先人の痕跡”として枝に結び付けられていた。

   

この頃になると、行く手を完全に塞ぎ、邪魔する逆木には『いいかげんにしてくれぇ』と思ってしまった。

 

踏み跡があり、灌木や逆木に邪魔されない場所は短い距離だったが、息抜きになった。

 

 

たまに振り返り、塩沢川源流、馬尾滝の先にある高幽山(1,191.9m)に連なる山々を見ると、短時間に高度が上がっている事が分かった。急坂直登の「笠倉山」の醍醐味だろうが、正直、灌木逆木を乗り越えて登る事に精一杯で、景色を眺め楽しむ余裕は無かった。

 

 

逆木の“バケモノ”は、時折顔を出した。『ここより先に進むべからず』と睥睨する鬼の門番といった風で、疲れで弱った心身には怖さを感じた。

  

 

12:22、ザレ場が現れた。思いのほか靴底は滑らず、周囲が灌木だったため難なく通過した。

   

視線の先には、ピークが見え続けていた。

  

また、灌木と逆木の密集も続いた。周囲も同じように木々が密で色の無い状態なので、テープなどでこまめに目印などを付けて登らなければ、下山時は同じルートをたどることは難しいと感じた。

  

前方のピークに、高木が見えた。

 

 

12:44、ピークに近付くと、高木のそばに低いマツがあり、その根元に標石が倒れていた。表面に文字は確認できなかった。

  

 

 さらに登ってゆくと、笹竹も見られ、藪が濃くなってきた。

  

葉が茂った季節ならばここもやっかいな場所だ、と思いながら足を進めてゆくと、小さくなったピンクリボンが見えた。木々に色が無い中、ピンクのリボンテープは目立っていた。

 

ピンクテープの先は、藪は密集していたが広い肩場になっていて、前方に稜線にマツを生やした稜線が見えた。「笠倉山」山頂の東にある950mほどのピークのようだった。

   

藪を漕いで登ってゆくと、左の開けた場所から塩沢集落と只見川の一部、そして「鷲が倉山」の全容が見えた。

   

ピークに向かう斜面は急で、逆木は少なかったものの、藪が密集していたため、登るのに苦労した。

   

  

12:57、“950mピーク”に到着。マツの大木があったが、事前の情報通り、痩せ尾根をシャクナゲや灌木が覆っていた。踏み跡も短い区間だけ露わになって、あとは藪の中に消えていた。

 

痩せ尾根の藪を突っ切るのに抵抗を感じ、右(北)側の斜面をたどって行こうを思ったが、一面低い藪に覆われ、斜面も急だったため、思うように足は進まなかった。

 

結局、痩せ尾根に戻り、藪の中を山頂に向かって西に進むことにした。

 

マツも何本か見られ、痩せ尾根にしっかりと根付いていた。

 

 

マツの成木を抜けると一転歩き易くなり、前方にピークが見えた。「笠倉山」は双耳峰と聞いていたので、東側のピークと思われた。

  

“山頂東ピーク”に着くと、確かに、先にもう一つのピークがあった。“山頂東ピーク”には特徴的な枯れ木があり、吹き曝しの頂の過酷さに思いを巡らせた。

 

  

“山頂東ピーク”を後にして、山頂に向かった。

 

1分ほどで山頂の全体が見え、全体を低い灌木が覆い、一部に土間を確認した。そして、三角点標石があるという低い灌木の陰に向かった。

 

 

 

 

 

13:12、「笠倉山」山頂に到着。逆木に行く手を阻まれ何度も気落ちしてしまったが、清水平の登山口から3時間、取付き点から2時間30分ほどで登頂する事ができた。

  

三等三角点標石に触れ、登頂を祝った。

 

“三等”の文字が視認できたが、標石は傾いていた。

  

 

山頂の眺望は、360度遮るものが無く、素晴らしかった。晴れていれば申し分なかったが、雲に隠れた山は少なく、多くの山を特定できた。一年前に登った「鷲が倉山」は、山頂に続く尾根道で360度眺望が得られたが、他の山頂で、ここまでの解放感は無かった。

 

北東の眺望。左側が、先日登った会津百名山「貉ヶ森山」(1,315.1m)から「雲河曽根山」(1,290m)付近の“会越界”の山並み。右側は、「高幽山」(1,192m)から南に起伏しながら徐々に標高を下げる稜線が延びていた。

 

遠くには、会津百名山の「志津倉山」(1,234.2m)、「博士山」(1,481.9m)の山塊が見えた。

 

南西の眺望。会津百名山「浅草岳」(1,585.4m)を中心に、左に会津百名山「蒲生岳」(828m)や「鷲が倉山」、右に新潟県内にある「守門岳」(1,537.3m)の山塊や「粟ヶ岳」(1,292.6m)が見えた。

 

雲が晴れ、「浅草岳」を見ると、その南に“鬼面”の一部が覗いていた。

 

「守門岳」の頂は雲に隠れ続け、全体を見る事はできなかった。只見線の大白川駅か入広瀬駅を起点として登る事ができる山なので、来年にもチャレンジしたいと思う。

  

一番、見ごたえがあったのが、塩沢川の谷底の先にある「鷲が倉山」を中心とする風景。雲が動き、山々の輪郭がはっきりすると、全ては山座同定できなかったが、会津百名山の「会津朝日岳」(1,624.3m)や「大博多山」(1,314.5m)など、南会津の山々が見渡せた。南西には只見ダム湖と田子倉ダム湖の水面が、陽光に照らされて浮びあげっていた。

 

約1年前、「鷲が倉山」の東西に延びる“山頂尾根”から「笠倉山」を眺めた時、『こちらはどう見えるのだろう』と思っていた。快晴ではなかったが、良い景色が見られて良かった。 *参考:拙著「只見町「鷲ケ倉山」登山  2020年 晩秋」(2020年11月22日)

  

 

13:34、山頂からの眺望を堪能し、“山頂東ピーク”を見下ろしながら下山を開始。

  

山頂尾根を抜ける時、シャクナゲ群生を右(南東)に曲がるべきところを直進し、ロストしてしまった。崖を降り30mほど進んで、道を間違った事に気付いて引き返し、シャクナゲ群生を南東に曲がり、斜面を降りた。

  

 

登ってきたルートを忠実に戻ろうとしたが、斜面に何度も足を滑らせ、尻餅をつくうちに方向感覚が鈍ってしまった。ピンクテープや踏み跡などの目印を探してみるが、何も見当たらず、探りながら下った。

   

 

下るうちに、“北に行きすぎている”と感じ、右の方、南に向って斜めに下り続けた。

そして、大きな涸れ沢に出てしまった。登る時こんな沢は無かったとは思ったが、引き返した後のルートにも確信が持てなかったので、涸れ沢を慎重に渡り先に進む事にした。 

この沢渡りの後、斜面を真っすぐくだったが、まもなくほぼ垂直に切れ落ちる斜面になり、再び南方面に斜めに下った。

そして、再び涸れ沢に出くわし、渡った。その後、同じことを試みるが、同じように“絶壁”に行く手を阻まれ、みたび南に斜め下りをして、三箇所目となる涸れ沢に出会ってしまった。

 

 

三度目の涸れ沢渡りを無事終えると、その先は比較的まっすぐ下る事ができた。そして、かなり下った場所に窪地があった。踏み跡のような“道”があり、ホッとした。

しかし“道”は長くは続かず、その後、行く手は激藪に塞がれた。  

  

 

 

藪をこぎ、行きつ戻りつ下ってゆき、カヤトを抜けると、小さな沢の向こうが開け、道らしきものが見えた。

  

道に下り立つと、既視感があった。

   

右に目を向けると、ここが、林道塩沢線の先、清水平に続く道だと分かった。

  

 

坂を上り、清水平に到着。

  

 

15:24、「笠倉山」登山口に戻ってきた。往路と同じ道を辿られなかったが、かなりショートカットしたようで、1時間50分で下山することができた。

 

「笠倉山」は急坂ばかりで、熊の存在は気にならなかったが、今回も二つの熊鈴は心強かった。

自転車にまたがり、すぐに登山口を後にした。 

    

林道の途中、振り返って「笠倉山」を見た。あの急坂を進み、密集した逆木と灌木を越え続けた登頂までの道のりを振り返り、『よく登ったなぁ』と独り言ちた。

  

さらに林道を進むと、前方に「鷲が倉山」が見えた。

     

 

林道終点で自転車を降り、塩竈神社に登山の無事を報告。境内の端からは、頂上を西陽に照らされた「笠倉山」が見えた。

  

宮前踏切を渡り国道252号線に合流し、右折して塩沢橋を渡ると、只見線のレール越しからも「笠倉山」が見えた。来年、11年振りに走る列車の車窓から見てみたいと思った。 

  

中丸橋から只見川を眺めた。滝ダム湖の貯水量が少ないようで、「平成23年7月新潟・福島豪雨」で流されてきたと言われる川床の土の塊が見えた。 

  

 

15:59、荷物を置いていた塩沢簡易郵便局に到着。

 

会津百名山「笠倉山」は、想像以上に過酷な山だった。下山時、まさか大幅にルートを外れ、3箇所の沢越えをするとは思わなかった。踏み跡が無い、雪国の孤立峰の怖さを知った。 

 

「笠倉山」を総括すると以下になる。

・晩秋(落葉期)と初春(残雪期)以外、初心者は登らない方が無難な山

・“二度と登りたくない”と、“山頂からの360度遮られる事の無い見事な景色が見たい”、という二つの思いが拮抗してしまう山

今回、「笠倉山」登下山中には“もう二度とくるものか”と思う事度々だったが、山頂からの眺望で登山の苦労を忘れ、山頂からの風景を思い返すと“また登って見てみたい”と思ってしまった。なんとも評価しがたい山だった。

 

「笠倉山」は現状、気軽に登られる山ではない。山頂からの眺望は大きな魅力があるので、“観光鉄道「山の只見線」”の山岳アクティビティに加えるためには、登山道の改良は必須だ。

①取付きの確定:現状、どこから登れば適当なのか不明なので、地形を検証し、取付き点を確定させた方が良い

②急坂にヒモ場の設置:現状、ヒモ場はゼロ。序盤の急坂や、逆木を掴まなければ先に進めないような場所にヒモ場を設置した方が良い

③逆木や灌木の伐採:山の所有者・管理者に許可を取る必要があるが、行く手を阻む逆木や灌木を伐採しなければ、登頂を途中で断念するような方が出てきてしまうと思う。急坂なので、踏み跡がジグザグになるよう逆木や灌木を伐採し、“逆木越え”や“藪漕ぎ直登”という過酷な手段を使わずとも登山ができるようにした方が良い

④案内標杭の設置:現状、登山ルートに案内はゼロ。尾根の見えない直登区間では、不安になるので、雪の影響を受けない、背の低い標杭を適宜設置した方が良い。また、取付き点と山頂尾根には、曲がるポイントに絶対必要だ。現在、三角点標石のみの山頂に山名標杭が立てば、登頂の喜びが増しなお良い。

 

只見線・会津塩沢駅からの二次交通だが、清水平登山口まで4.5kmということから徒歩でも無理は無いと思う。塩沢川沿いに出れば景色も良いので、移動は苦痛ではないだろう。自転車でも、急坂は無いため電動アシスト付きでなくても十分では、と実際に林道を走り思った。

 

会津塩沢駅の北にある「笠倉山」は、南にある「鷲が倉山」とともに登山口まで歩いて行け、体力がある方なら、1日で2座に登る事も可能だと思う。双方とも、登山道に改良が必要だが、低山ながら眺望が素晴らしいので“観光鉄道「山の只見線」”の有力な山岳アクティビティになる、と今回の登山で思った。

 

 

16:20、荷物を一つにまとめ、塩沢簡易郵便局前を出発。只見町市街地にある今日の宿に向かった。 

 

国道252号線を進み、まもなく寄岩橋を渡り、橋上から只見線の「第八只見川橋梁」を眺めた。只見川に「蒲生岳」や橋梁が映り込み、一部茜色に染まった空模様なアクセントになり、綺麗な景色だった。橋梁の復旧工事はほぼ終わったようで、仮設は撤去されていた。 

   

宮原集落を抜けカーブの先で、蒲生原集落越しに「浅草岳」を眺めた。稜線は認められたが、山の上空は鼠色の雲に覆われ、暗くよく見えなかった。 

  

会津蒲生駅入口を過ぎ、登山者駐車場から「蒲生岳」を眺めた。ここからは、どっしりとした山容に見える。

  

 

16:48、国道沿いの宿が見えた。 

 

今夜の宿、「民宿しばくら」に到着。

 

玄関を背にすると、宿の名の由来となっている柴倉山(871.1m)が見えた。

   

自転車を宿の脇に停め、玄関の扉を開けて中に声を掛けた。

出迎えてくれた女将に挨拶をして、汚れた登山口などを表の水道で洗わせてもらった。

 

改めて女将に声を掛けると、部屋に案内された。2階の部屋に案内された。8畳敷の広い部屋だった。

 

荷物を置いて、さっそく風呂に入らさせてもらった。それほど広くはなかったが、明るい浴室だった。

 

夕食は18時からだった。工事関係者などのビジネス利用が多いからか、ボリュームのあるメニューだった。  

  

山菜と油揚げの炒め物や、

 

キノコ汁など、山間の只見町を感じさせてくれる料理は、より旨く癒された。

 

明日は、柳津町に行って「柳津温泉スキー場」跡に行く。登山ではないため、それほどの体力を使う事がないだろうと、少し安心して夜を過ごした。


 

(了)



・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

 ・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

 ・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

 ・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」 

 ・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

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①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

  

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

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以上、宜しくお願い申し上げます。



次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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