昭和村「高館山」登山 2021年 春

観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今日からの連休で昭和村内の山々に登ろうと、JR只見線を利用し会津川口駅から村に移動し、まずは一番西端にある「高館山」(847.7m)に登った。

 

「高館山」は昭和村役場のある下中津川地区にある、三等三角点峰で「会津百名山」の第78座に挙げられている。「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)には、次のような見出し文が記されている。

高館山 <たかたてやま> 848メートル
館とは城、または土塁を意味する。昭和村の資料には高館山に塁館柵跡の印はあるが、由来は記されていない。水があり見晴らしが良いため、戦国時代の攻防の拠点となっていたのだろう。また、中腹には愛宕神社が奉られているため愛宕山とも呼ばれ、地元の信仰対象の山でもある。[登山難易度:中級以上]*出処:「会津百名山 ガイダンス」(歴史春秋社)p164


また、「新編會津風土記」の大沼郡野尻組下中津川村の項に「高館山」の記述は無いが、山川として「猿館山」が載っている。

猿舘山 村より丑の方十一町にあり、頂まで二十町雜木多し

*下図出処:新編會津風土記 巻之八十二「陸奥國大沼郡之十一  野尻組 下中津川村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p115-116(コマ63-64) URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220) 

下中津川村村(現在の下中津川地区)の中心部から、丑(北北東)に11町(≒1,120m)ということで、ほぼ「高館山」の位置と重なる。「高館山」の北北西により高い無名峰(852m)があるが、11町より距離が離れているので、「猿館山」=「高館山」と考えてよいのではないだろうか。後日、機会があれば、調べたいと思う。

 

今回は、GWの長期休暇で「奥会津 昭和の森キャンプ場」に5泊6日の予定で滞在し、ここを起点に昭和村と東隣りの金山町の会津百名山に登る、という計画を立てた。村内には、山頂が町村境にはなっていない五座もの「会津百名山」がある。

第78座「高館山」(847.7mm)/ 第88座「愛宕山」(745.4m)/ 第65座「大仏山」(994.3m)/ 第52座「御前ケ岳」(1,233m)/ 第65座「駒止湿原」(1,100m) *南会津町の「駒止峠」(1,135m)とセット

しかし、計画を見直してみると『毎日、登山や自転車での長駆移動となり、体力的にきついだろう』となり、キャンプ場で一日ゆっくりする時間を取ろうと「駒止湿原」は日を改める事にし、四座に変更し、今日を迎えた。


最近、福島県内は良い天気が続いていたが、GWの前半は西から低気圧が接近し、会津地方は雨予報になってしまった。空模様が気になったが、新緑の気持ちよい空気と、美しい景色を期待し、昭和村に向かった。  

 *参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の春




 

 

昨夕、仕事を終えて富岡町から会津若松市に移動。


23時前に会津若松駅に到着し、駅前の宿に泊まった。

 

 

 

今朝、只見線の始発列車に乗るため、早朝に宿をチェックアウトし会津若松駅に向かう。雨はすでに降っていた。今日も、雨の中の登山となることを覚悟した。


輪行バッグを抱え、切符を購入し改札を通り連絡橋を渡る。始発列車は入線していた。ホームに下り、後部車両に乗り込むが、2両とも他に乗客の姿は見られなかった。

6:03、会津川口行きの列車が会津若松を出発。先頭に2名、後部は私1人の客だけだった。

 

 

列車は、七日町西若松を過ぎると大川(阿賀川)を渡る。

 

会津本郷を過ぎ会津美里町に入り、会津高田を出発すると大カーブを通る。

  

列車は、水が張られた田んぼの間を進みながら、根岸新鶴で停発車を繰り返した。



6:37、若宮から会津坂下町に入り、会津坂下に到着。すれ違いとなる上り列車が入線する頃に、高校生を中心に多くの客が姿を見せた。雨が降り続いているため、ほとんどの方は、駅舎の屋根の下を出なかった。

  

会津坂下を出発し、列車は七折峠に向けてディーゼルエンジンの音を上げて登坂。

塔寺を過ぎ、しばらくすると下り坂となり、会津坂本を経て柳津町に入った。

  

 

7:04、会津柳津に停車。2週間前に駅頭を彩っていた桜は、すっかり葉桜になっていた。

  

郷戸手前で、“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(732m、会津百名山86座)には、帯状の雲が掛かっていた。

  

 

滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入る。渓谷の木々の新緑は、これからといった色付きだった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

  

 

会津桧原を出発し、桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡る。川面は、雪融けの冷水の影響だろうか、明るいエメラルドグリーンだった。

 

列車の速度が低かったので、反対側の座席に行き、上流側の駒啼瀬の渓谷を見る。順光ということで、木々の緑が綺麗に見え、霧や雲が幻想的な景観を創っていた。

 

 

会津西方を出発直後には「第二只見川橋梁」を渡る。只見川の上流方向にある「三坂山」(831.6m、会津百名山82座)には、一部稜線が顔をのぞかせる、まだらな雲が掛かっていた。

  

列車は減速し、“アーチ3兄(橋)弟”の長男・大谷川橋梁を、次男・宮下橋(県道237号線)を見下ろしながら渡る。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) 

  

7:29、会津宮下に到着。上り列車とすれ違いを行う。ホームには駅係員の他、客1人の姿があった。

 

会津宮下を出発後、列車は東北電力㈱宮下発電所・ダムの脇を駆け抜ける。ダムはゲート一門が開き、放水していた。

   

列車は宮下ダム湖(只見川)の脇をしばらく走り、いっとき離れた後に「第三只見川橋梁」を渡った。

 

  

7:47、早戸に到着。新緑の木、これから葉が芽吹く木、只見川の緑、対岸に常緑樹が見え、車窓の“借景”は春の構図だった。

 

木々の間から下流側を見ると、切り立つ活火山「沼沢」の外輪と只見川が、良い景色を創っていた。

  

早戸を出発すると、8連コンクリートアーチ橋「細越拱橋」を渡り、金山町に入る。 

  

列車は会津水沼を出ると、まもなく下路式トラス橋「第四只見川橋梁」を渡った。

再架橋工事をほぼ終えた「第七只見川橋梁」(旧橋) と、工事真っ最中の「第六只見川橋梁」(旧橋) と同形のこの橋は、列車内から見る景色は開放感が減じてしまうが、外から見ると建造物のとしての魅力がある、と最近思うようになった。 

  

会津中川を経て、終点が近づくと、列車は減速し林道の上井草橋を潜り抜ける。

 

ここで振り返り、大志集落を眺めた。只見川に突き出た家々は、川面の色や水鏡の具合や、背後に連なる山々の色合い、雲の出方などで、同じ景色を見ることはないと私は感じている。


 

 

8:06、終点の会津川口に到着。来年度、会津川口~只見間が復旧しダイヤが運休前と同じならば、この列車は小出(新潟県魚沼市)行きとなる。 

 

列車からは、10名を超える県立川口高校生が降りた。

少子化の影響で福島県でも高等学校の再編を進めているが、川口高校は「過疎・中山間地域の県立高等学校の例外的措置」として“地理的条件や公共交通機関の状況等から、統合により近隣の高等学校への通学が極端に困難になり、当該地域の生徒の教育機会が著しく損なわれる場合や、地元からの入学者の割合が著しく高い場合など、特別な事情がある場合には、1学級本校化を例外的に” として2018年度から先行実施されている。*参考:福島県「県立高等学校前期実施計画(2019年度~2023年度)」(2019年2月)p11(PDF)/ 福島県立川口高校 地域みらい留学プロジェクト(日本全国から生徒を受け入れる制度)

  

輪行バッグを抱え駅舎を抜けると、駅頭にはラッピングされた代行バスが付けられていた。

 

私は、駅舎の東側にあるバス停に向かい、大芦行きの路線バスを待った。川口車庫~大芦線は一日上下3本になっている。

  

10分ほど待つと、川口車庫方面から路線バスがやってきた。

8:23、乗り込んだバスが川口駅前を出発し、直後に国道252号線から国道400線に入り坂を上った。乗客は私一人で、このあとも客の乗降は無かった。 

  

 

8:56、定刻をわずかに遅れ「高館山」登山口入口になる、阿久戸バス停に到着。運賃は910円だった。 

    

自転車を空き家の軒下に置かせてもらい、登山の準備をした。リュックに入れておいたはずの手袋が見つからず、バス停のはす向かいにあったショッピングセンター・ハゾメで軍手を購入した。

店番をしていたご主人に『高館山に登るんですけど、熊は出ますか?』と聞くと、『この辺に熊はいるけど、村人が襲われた話は聞かないよ』と言われた。少し安心したが、“熊に自分の存在を知らせながら登らねば”と気を引き締めた。

 

  

 

9:17、熊鈴と笛を身に着け、「高館山」登山を開始。晴れていれば国道から山頂が見えるというが、見えなかった(標高457m)。*以下、標高の出処は地理院地図 

  

舗装道をしばらく歩き、高橋沢を渡ると十字路になり、右に曲がり芝生の道を進んだ。

 

まもなく、前方に施錠された御堂が現れた。

 

この御堂の左脇に上り坂があり、そこを進む。入口には下中津川区長の名で“入山券のお求めについて”という注意書きが立てられていた。山菜採取者に向けてのものだと思ったが、2,000円とは驚いた。

  

上り坂の突き当りには古い砂防ダムがあり、折れて上ると、目の前に“高館山登山道”の看板があった。

  

登山道の序盤は、高橋沢の脇に延びるカヤトだった。全てのカヤは倒れ、歩きやすい空間になっていたが、夏場は刈払いしなければ大変だろうと思った。

  

沢の幅は徐々に狭くなってゆき、膝丈ほどのクマザサも多くなってきた。登山道は高橋沢に近づき、渡渉するようになった。

  

踏み跡ははっきりしていたが、傾斜があり、沢に落ちぬよう、慎重に足を進めた。

  

一部、崩れているところもあったが、沢までは低く、怖さは感じなかった。

 

杉の下は、枯葉が堆積し踏み跡は怪しかった。

  

最後となる4度目の高橋沢渡渉。水量が少なく、靴を水没させることなく、全ての渡渉を終えられた。

  

この先、踏み跡が不明になり“5度目の渡渉か?”と思い、左側にあった小さな斜面を見上げると、登山道を示す壊れた看板があった。これが無かったら迷うところだった。この看板は、新調して欲しいと思った。

  

斜面を3回折れながら進む。クマザサが茂っていて、踏み跡が不明瞭だったが、『この斜面を登り切ればよい』と思い、滑らぬよう慎重に足を進めた。

  

 

9:45、斜面を登りきり、クマザサの平場に到着。


クマザサ群は膝丈ほどで、熊への恐怖心は湧かなかったが、笛を大きく吹き、熊鈴を意図的に鳴らしながら、はっきりとした踏み跡を進んだ。

  

登山道は沢の縁に延び、沢側は杉、山側はナラの木だろうか落葉樹帯になっていた。

  

まもなく、登山道は杉林の中に延び、フカフカの杉の葉を踏みながら進む。

  

杉林の中で踏み跡は不明となり、右手に開けた尾根が見えたので、斜面を登る事にした。

  

尾根に取付くと、倒れた山桜があった。春登山の目印となるだろうが、わずかに地面とつながった幹を通して、来年も花を咲かせるだろうかと思った。

  

この山桜の先、登山道を探すと色褪せた赤テープが巻き付いていた。

  

その先は、踏み跡がはっきりしていて、急な斜面を直登することになった。

  

藪が濃くなり、熊の存在が気になった。周囲を見渡し、見上げると、熊棚らしきものがあった。ドキッとしたが、“熊が居る山こそ登るべき山”と思い直し、笛を吹き上げ、熊鈴を鳴らし、ひたすら歩いた。

   

弱い雨は降り続け、霧も濃くなってきた。踏み跡は視認できたが、傾斜がきつく、足元も滑り、難儀した。

  

 

 

10:11、足元に岩が見られ、前方に目を向けると、傾斜が緩やかになっているような場所があると感じた。

 

左脇に目を向けると、けっこうな斜面を登ってきた事が分かり、「高館山」の特徴を体感できた。

 

足元には紫の点が見られた。しゃがみこんでみると小さな花があった。アケボノスミレだろうか。

    

剥き出しの岩場を登り、傾斜の緩やかな尾根に進む。

 

少し進むと、松の大木があり、その先に建物が見えた。

 

『こんな急斜面の上に、御堂が本当にあるとは...』と、事前に知っていたとは言え、急斜面を登ってきた直後だけに驚いた。

  

 

10:16、愛宕神社に到着。外観に傷んだ箇所は見られず、地元の方々に守られていると思った。

 

参拝し、扉の無い社の中を見ると、色付けされた像が祀られていた。

  

登山道は、社の右側に延びていた。

 

斜面を登ると、大きな倒木が登山道を塞いでいた。

  

上空が開け明るいので、振り返ると麓がうっすらと見えた。昭和小学校の体育館の屋根と思われるものがあり、どこを見ているのかが分かった。

 

  

しばらく、斜面を直登すると前方に尾根筋が見えてきた。融雪から葉が生い茂る前のこの時期、先が視認できると、安心感が増すと再確認した。

  

 

尾根に着くと、大きな石がゴロゴロし、異様な光景が広がっていた。

 

よく見ると規則性があり、大きく円状に巨石が置かれ、中央に石柱があった。正面に回ると、石標らしく切り出された縦長の石に文字が刻まれていた。

 

「愛宕山」と彫られていた。「高館山」に関する山行録などに、地元では今でも「愛宕山」と呼ぶ方が多いという記述があった。

  

石柱を離れ、尾根を少し登り振り返ると、石柱を取り囲む円状の巨石の様子がよく分かった。この巨石はこの場所にあったものなのか、持ち込まれたものなのか、またこのような形状した当時は何を形作ろうとしていたのか、疑問が尽きなかった。

「会津百名山ガイダンス」には「高館山」の“館”は城、または土塁を意味し、戦国時代の攻防の拠点だったのではと書かれていたが、「高館山」こと「愛宕山」が祀る愛宕権現が、軍神信仰に繋がるものなのか、山岳信仰と修験道に関わるものなのか興味がわいた。

急登を経た後に現れるこの石柱は、見る価値があり、古人の信仰や地政学的なこの地の存在などを考えさせてくれると思った。

 

  

石柱を瀬に、北北西を見ると、山頂が近い雰囲気だったが、踏み跡は不明瞭で、藪に覆われていた。藪を避けながら、うっすらと見える稜線の頂を目指して、先に進んだ。

 

 

 

 

 

10:36、石柱から50mほど進み、「高館山」山頂に到着。広くはなかったが、刈払いされていた。

 

ただし、眺望はなく、振り返って見ても、山頂の周囲は、登山道以外は藪に囲まれていた。

 

三等三角点の標石にタッチし、登頂を祝う。小雨降る中、急坂に足を滑らすことなく、何とか登りきることができて良かったと思った。

  

山名標は見当たらず、山名が記されたと思われる板の破片が、枝に針金で巻き付けられていた。会津百名山、やはり山名標は必要だと思った。熊の攻撃を避けるため、樹脂製か石柱の山名標を立てて欲しい。

小雨の中の山行で全身が濡れていたため、山頂では水を一口飲んだだけで、身体が冷え切らないうちと5分ほどで下山を開始した。

  

登ってきた急坂を、慎重に下った。

 

 

  

二度ほど足を滑らせ、山桜の手前で一時道を外れてしまったが、他は順調に下山できた。

と思ったが、“クマザサの平場”を過ぎ、斜面を下りる途中、足を踏み外し転げ落ちてしまった。2mほどだったが、人生初の滑落をしてしまった。この際、右足ふくらはぎに激痛が走り、仰向けのまま呻き声を上げてしまった。

雨は、パラパラ程度になっていたが、気温が低く身体が冷える事は避けたいと思い、ゆっくりと立ち上がり、右足の具合を確かめた。肉離れをしたようだったが、軽傷のようで、体重を乗せ、不規則に足を踏み出さなければ痛みは無かった。少し休んで、下山を再開。少し進んで、“人生初滑落”の場所を振り返って見た。

 

  

その後は、右足に我慢できないほどの痛みを感じることもなく、順調に下山。砂防ダムの脇を通り抜けると、御堂の裏から阿久戸集落を見ることができた。

  

 

11:39、無事に登山口に出る。

 

 

11:41、国道の登山道入口に戻った。登山76分、下山58分で「高館山」を踏破した。

 

「高館山」は、登山シーズンになると刈払いなど登山道の整備が行われるというが、高橋沢沿いと“山桜の尾根”までは、下草が茂っていても辿り着けるような気がした。その後の急坂は、登山道を見失うことは無いが、足元の注意が必要で、体力が要る。「会津百名山ガイダンス」で難易度“中級以上”が妥当である山であることが分かった。

只見線を利用した場合、「高館山」は路線バスの阿久戸バス停の目の前が登山道入口である事から、往復3時間程度の山行を考えれば、無理なく登られる山だ。山頂の眺望は得られないが、途中の愛宕神社の祠と色付けされた像、山頂下の「愛宕山」の石柱と巨石群は、見ごたえと一見の価値があると感じた。

「高館山」は、あまり名の知れた山ではないが、只見線に乗って会津川口駅から昭和村を訪れる場合、入口となる「会津百名山」だ。“観光鉄道「山の只見線」”が周知されれば、登山者が増える可能性がある。

“難易度・中級以上”の「高館山」に登り、整備の必要を感じたのは、①高橋沢から離れる場所の案内板の更新、②急坂箇所のヒモ場の設置。“登山の満足感”という面では、最近登った山に共通するが、山頂の三角点石標杭付近に山名標杭の設置が望まれる。

 

昭和村に只見線は通っていないが、“沿線”と言っても差し支えない歴史的・地政的背景がある。“観光鉄道「山の只見線」”を目指すのであれば、昭和村の持つ山里のコンテンツは必要だ。福島県は、只見線利活用に関わる事業で、昭和村の「会津百名山」登山道整備を挙げて、実現させて欲しい。

  

「高館山」登山を終え、自転車にまたがり、昭和村逗留の起点となる「奥会津 昭和の森キャンプ場」に向かった。

国道400号線を進み、途中、ビールを冷やす氷を買うためにオーハラ堂に立ち寄った。この店の存在は、「奥会津 昭和の森キャンプ場」の予約をする際、役場に電話がつながり、『氷はどこで買えますか?』と聞いたところ、役場の方が店に電話して確認し教えてくれた。“スーパー”と呼べる品揃えで、ロックアイスと板氷、双方が大きな冷凍棚に並んでいた。

 

買い物の後は、国道400号線の緩やかな上り坂を進み、喰丸郵便局の角を右に曲がり国道401号線に入り、徐々に急になる、長い坂を進んだ。

   

 自転車を途中で降り押して進め、20分ほどで分岐に到着。左折し両原方面に少し進んだ。

    

 

 

まもなく、左に「昭和の森キャンプ場入口」と書かれた看板が見え、左に曲がり林の中に続く砂利道を進んだ。 

      

 

12:31、「奥会津 昭和の森キャンプ場」に到着。 

   

高床式になっている赤屋根の管理棟の木階段を上ると、“森の駅”となっていた。管理棟の愛称のようだった。

 

靴を脱ぎ、受付を済ませた。電源サイトの5泊6日の使用料金は9,500円。

  

富岡から宅急便で送っておいたテント一式等の荷物を、14時40分過ぎに管理室で受け取り、見晴らしの良い高台にテントを張った。その後、荷物をテント内に運び入れ、管理棟内にあるシャワーを浴びて、一息ついた。

  

初日の夕食は肉。冷凍にして荷物に同梱しておいた。ビールを一杯呑み、「高館山」登頂と拠点完成(テント設営)を祝った後に、炭を熾し肉を焼いて食べた。オーハラ堂で氷と一緒に買った長ネギも旨かった。

 

明日の天候も微妙で、今日の登山の滑落で肉離れさせてしまった右ふくらはぎも心配だった。明日予定している「愛宕山」「大仏山」の登山は、朝起きてから考えようと、ゆっくりと夜を過ごした。 

  

  

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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