三島町「桜、桜、桜」 2021年 春

開花が1週間から2週間早まっている福島県の桜。鶴ヶ城(会津若松市)の桜が満開を過ぎて時間が経った事から、奥会津地方はそろそろ見頃になっているだろうと思い、只見線の列車を利用して三島町を訪れ、宮下地区と西方地区の桜を見て回った。

*参考:

・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の春ー / ー只見線沿線の宿/キャンプ場ー 

 

  


 

  

昨夜、「黒男山」(980.1m、会津百名山67座)の登った後、会津柳津駅から只見線を利用して会津宮下駅で下車。自転車で5分ほどの場所にある「民宿 かねこ」に泊まった。県道237号(小栗山宮下)線と旧国道252号線の分岐、旧国道側に建っている。

 

もともとは写真店で、あとから民宿を併設。写真店は、ご主人が亡くなられた後は閉めてしまったという。

 

建物は、利用者の増加にともない建て増ししたといい、玄関を入ると、奥に長い廊下が延びていた。 

  

私に充てられた部屋は2階の8畳。まだコタツがあり、石油ファンヒーターで暖を取るようになっていた。

 

部屋からは、外に咲く、枝垂桜と“双子”桜が良く見えた。女将さんは、今年は『ぱぁっ~と』咲いていなくて見ごたえが無い、と嘆いていた。


  

食事は2食付きにした。昨夜は、私が翌日に「黒男山」登山に行くと言っておいたせいか、たくさんゴハンが食べられるように、とカレーが用意されていた。また、天ぷらにはフキノトウがあり、季節を感じることができた。

 

朝食は、焼き鮭や目玉焼きなど定番メニュー。

 

民宿「かねこ」は女将が独りで切り盛りされていた。

昨夜の夕食時に、客が私一人ということもあり、話をさせていただいた。

 

女将は昭和6年に昭和村で生まれ、今年90歳になる。

戦中に家族で上京。東京では、三軒茶屋で車に乗って帰宅する東條英機(陸軍大臣、内閣総理大臣)を何度も見かけ、夕方のほぼ決まった時刻に、彼が付き人を乗せずに、運転手の二人だけだったのが珍しかったという。 

戦況が悪化し、昭和村に疎開。戻った昭和村では、カメラマンのご主人と出会い、当時宮下発電所の増設工事をしていた三島町に移り住み、現在の場所に写真店「かねこ」を開いた。当時、宮下発電所の工事現場には、多くの電灯が灯され、昼夜を問わず工事が行われていて、煌びやかで都会的に映り、『ここならば、生きて行ける』と三島町宮下地区を選んだという。

その後、1977(昭和52)年から開始される国道252号線バイパス工事で付け替えられる高清水橋の調査や測量が始まると、「かねこ」は元請け・下請け作業員の寄合として毎夜多くが集い、酒宴が行われた。当時は「かねこ」にスナックを併設し営業していたという。

そして、ある人から『毎夜、そんなに多く人が集まり、(酔いつぶれて)寝てしまう人も居るんなら、お金を取って泊めればいい』とアドバイスされ、民宿を開いた。民宿「かねこ」は繁盛し、建て増しを重ね、現在の姿になったという。

 

三島町の話も聞き、中でも印象的だったのは、只見線「第一只見川橋梁」から上流側の右岸に見える川井新道(旧国道252号線)のこと。駒啼瀬の難所ということもあり、すれ違いできないほど道幅は狭く、落石の多い斜面と只見川に向かって切れ落ちる崖に挟まれ、怖い思いを何度もしたという。 

女将との話は面白く、興味深かった。只見川電源開発の先頭を切った宮下発電所の話から、その後多くのダムが建設され様変わりする只見川、奥会津の街並みの変化や、そこを駆け抜ける只見線のSLのことなどを聞かせていただいた。

新型コロナウイルスの事を考えると、会話は控えなければならなかったが、座敷は広く、お互いにマスクをして、1.5mほど離れているので大丈夫だろうと、思いのほか長話をすることになった。

民宿「かねこ」に泊まって良かったと思った。


 

 

今朝は早く起きて、まずは、只見線の下りの始発列車(会津川口5時32分発)を撮った。自転車にまたがり、県道237号線を西に進み、“桜の名所”東北電力㈱宮下発電所・ダムへ向かった。

 

5:52、到着すると、雪解け水による増水に対応するためか、ダムはゲートを5門開放し放流していた。

 

「宮下ダムの桜並木」は、9分咲きといった花びらの開き具合だったが、疎らで、女将の言った『ぱぁっ~と』咲いた風ではなかった。例年、この桜並木は『ぱぁっ~と』咲き誇り、列車の内からも外からも、見応えがあった。 

 

2年前、列車の中から見た「宮下ダムの桜並木」。全体の花が一気に開いているようで、まさに『ぱぁっ~と』咲いていた。

今年、桜の開花は早いと言われていたが、「宮下ダムの桜並木」は谷にあり陽光が差す時間が少ないため、見頃は少し遅れるのだろうかと思った。 

  

 

5:57、桜の咲き具合を見て、どこで撮影するか考えていると、ヘッドライドを眩しく点けた会津若松行きの上り列車が、滑るように金山トンネルを抜けやってきた。

 

列車は、目の前を過ぎていった。写真の構図が決まらぬまま列車を迎えてしまったので、期待通りの一枚を撮る事ができなかった。1時間30分後に通過する次の列車では良い写真を、と思い、朝食を摂るため宿に戻る事にした。 

 

県道を進み、国道252号線の交差点付近を遠くからみると、三島中学校周辺の桜が良い雰囲気だった。

 

国道に出て、高清水橋を見る。宿の女将の話を聞いた後では、この工事に携わった方々の体温が感じられるような気がした。

 

この高清水橋は1987(昭和62)年に全建賞(一般社団法人 全日本建設技術協会)を受賞している。*参考:福島県 道路整備課「道路整備のはなし -橋梁のはなし-」

  

橋の中央部に行き、只見川の上流方向を眺める。宮下ダムが正面、宮下発電所建屋が右岸に見えた。

   

宿で朝食を済ませ、自転車にまたがり、再び東北電力㈱宮下発電所・ダムに向かった。 

途中、高清水大橋越しに「三坂山」(831.9m、会津百名山82座)を見ると、陽が差し、頂上の電波反射板もハッキリ見る事ができた。*参考:拙著「三島町「三坂山 登山」2020年 晩秋」(2020年11月23日)

  

7:20、東北電力㈱宮下発電所・ダムに到着。始発列車の撮影時よりは明るくなってきたが、太陽の光はここまで差さず、桜の花の映え具合はいま一つだった。

  

会津川口発の上り列車を撮るために構図を探る。始発列車をした場所から、やや会津若松寄りの位置に立ってカメラを構える事にした。

 

7:32、列車の通過予定時刻になると、金山トンネルの向こうにキハE120形が姿を現した。

  

シャッターを切ると、次のポイントに移動して、目の前を通過する列車を撮影した。

  

続いて、7分後にやってくる下り始発列車(会津若松6時03分発)を撮ろうと、咲く花が多い桜の枝の前に立ち、待った。

 

7:40、予定通り、列車が背後からやってきて、静かにディーゼルエンジンを蒸かしながら私を前を通過した。桜にピントを合わせ、シャッターを切った。ピントは完ぺきではなかったが、想定通りの構図の一枚が撮られて良かったと思った。

 

これで、「宮下ダムの桜並木」を通過する2本の列車を撮る予定を終えた。咲き具合、陽光などを考えれば、自分としては満足できる写真を撮る事ができた。来シーズン以降も、機会を得て訪れたいと思った。

  

宮下ダムを見ると、開放ゲートは3門に減っていた。この時期は、雪融け水の流入量に合わせて、放水量をコントールしなければならない。水力発電が自然エネルギーであることを、改めて考えた。

 

 

宿に戻る。途中、フェンスの間から三島中学校の校庭の桜を見させてもらった。学校と桜の親和性を感じた。

  

また、宿の部屋から見えた、枝垂桜と“双子桜”にも立ち寄った。枝垂桜は曇り空でも、見ごたえがあった。

 

“双子桜”は上が疎らで、下がもっさりと咲いていた。奥会津の、まだ冷たさ残る、風が通り抜けやすい上部の開花が遅れているのだろうかと思った。

 

顔を上げ、桜に見入っていると、花びらを啄む鳥がせわしなく動いていた。ヒヨドリのようだった。

  

 

8:50、宿に戻り、荷物をまとめチェックアウト。女将からは『あんなんでよかったから、また、話を聞きに、(泊まりに)来てください』と言われ、笑顔で送り出された。卒寿を迎えた名物女将に、また会いに来たいと思った。

 

自転車にまたがり、県道237号線を東に向かい、側道に入り「アーチ3兄(橋)弟」展望所に行く。手前から、次男(S32生)・宮下橋(県道237号線)、長男(S14生)・大谷川橋梁(JR只見線)、三男(H1生)・新宮下橋(国道252号線)。兄二人の開腹式アーチ橋に合わせるように、鋼製の三男は設計されたという。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) 

  

次は、三島神社に向かった。参道を横切る列車を撮るためだ。

県道に出る手前で、宮下地区の街並みを眺める。何度も見ている光景だが、これから色付きを迎える春ということもあってか、電線が目についた。積雪に備えた大トタン屋根の家々と、雪崩路を持った低山の山並みの中を奥会津を走る、非電化の只見線沿線では電線が視界に入り惜しい景観が多い。沿線8市町村が協業し、電線地下化・地上化を進めて欲しいと思った。

  

 

9:05、三島神社に到着。自転車を空き地に停めさせてもらい、参道を進んだ。

三島神社は、伊豆国の三島神社に由来を持ち、町名もこの神社から採られている。会津宮下駅の入口脇にある「会津宮下駅の駅名由来」には、次のような記述がある。

(前略)室町時代には、横田(現金山町)の山内氏勝氏の領地となり、氏族・宮下大膳俊久氏の居館が建てられました。また、「会津正統記」には、山内氏は、伊豆国から三島神社を勧進し三島明神の祠を建立したとあります。由緒、勧進時期などは未詳ですが、「宮下」という地名は、宮下大膳の居館があったことと、三島神社の拝殿下に集落が形成されていったことに由来するといわれています。(以下、省略) *出処:会津宮下駅「会津宮下駅の駅名由来」

 

三島神社の参道と境内の間を、只見線が貫いている。鳥居前の桜が満開だったら、良い絵になると思ったが、ここも『ぱぁっ~と』は咲いていなかった。まもなく、スピードを落とし会津宮下駅に向かう上り列車がやってきて目の前を通過した。下り列車の方が構図が良かったようだ、と悔やんだ。

  

9:10、この上り列車は、下り列車の待つ会津宮下駅に並んで停車。ホームには“ぽっぽや”が一人立つだけで、春の長閑な光景だった。

  

3分ほどすると、上り列車の後に、下りが会津宮下駅を出発し、三島神社前を通過した。カメラを構え、三島町役場前にある桜のそばを通過する列車を撮影した。

  

9:23、列車撮影を終え、狛犬越しに桜を見て、三島神社を後にした。

 

次は、三島神社の隣にある、宮昌寺の入口に行く。山門の脇には桜の古木があり、満開だった。

 

陽射しがあり、空を見ると、青空が見えた。


春の柔らかい陽の光に、桜は映える。今回の旅は天候が心配だったが、この光景が見られて良かったと思った。

  

 

9:34、晴れてきた事もあり、再び、保育園前の枝垂桜と“双子桜”を見に向かった。


“双子桜”は、陽を浴び、青空を背景に、玉のような桜の花が美しく見えた。

  

枝垂桜も、陽光に薄いピンクと濃いピンクが浮かび上がり、より綺麗に見えた。


園庭の芝生と枝垂桜、緑とピンクの共演が美しかった。枝垂桜は地面にあるものと、良い構図の絵を創ってくれると思った。

この後、枝垂桜と“双子桜”をあとにして、会津宮下駅に向かった。 

  

会津宮下駅の側面を遠方から眺めた。桜に彩られていた。


桜越しにホームを眺めた。雪深い奥会津に、待ち遠しかった春を告げる桜は尊いと思うが、只見線の奥会津沿線に桜の名所は無い。雪が多く、気温が低く、桜が育たない環境があったのかも知れないが、沿線に桜並木などの植樹がされれば、20年後“観光鉄道「山の只見線」”に新たな名所が加わり、訪れる方も増えるのではないか、と考えた。

 

会津宮下駅の駅舎も味があり、桜との相性が良いと思った。会津柳津駅前通りの桜並木までとは思わないが、スペースがあるので、もう少し桜が植樹され増えれば良いと思った。

   

10:06、会津宮下駅を背に、駅前通りを県道237号線に向かうと、三島町観光協会「からんころん」のある角の向かい側、会津信用金庫宮下支店の横に、二本の桜の木が見えた。

 

満開から散り始めの頃のようで、風が吹くと花びらを散らせ、路面に降り落ちていた。美しい光景だった。

 

この木は、今まで何度も視界に入っていたが、これほど立派な木とは思わなかった。花をつけると、桜の木は貫禄が付くのだろうか、と思った。

  

 

この後、温泉に入ろうと思い「桐の湯」に向かった。県道237号線を東に進み、T字路を左折し、有床診療所に転換し移転新築という計画がある県立宮下病院の前を通り過ぎ、町の高齢者生活福祉センター「福寿草」を見下ろすと、庭に桜が並んでいて、満開だった。


建物のT時に交わる部分には一本桜があり、見事に咲いていた。時が経てば、幹がさらに太くなり、枝ぶりも豊かになり、三島町を代表する桜になるのではないかと思った。

  

「福寿草」の前の坂を下ると、河津桜と思われる並木があった。歩道に濃いピンクの花びらを散らせ、良い雰囲気だった。

 

枝に咲く花びらも多く、見ごたえがあった。この木も、どこまで育つのか今後が楽しみになった。

  

只見川を渡ろうと三島大橋で「福寿草」を振り返ると、河岸に二本の桜があった。奥会津では、森林の中にポツンと立つ桜が多い。この木は、植樹されたものだろうが、奥会津の雰囲気があり良かった。 


橋上から只見川の上流を見ると、国道252号にかかる高清水橋がある。中路式ローゼ橋は、宙に浮いているような錯覚をしてしまう、と改めて思った。

   

只見川を渡り突き当りを右折、対岸に延びている国道400号線を少し進み、振り返って三島大橋を眺めた。真っ赤なアーチ部材の上に、「洞巌山」(手前、1,012.9m)、「高森山」(右奥、1,099.7m、会津百名山58座)が見えた。

 

三島大橋近くの国道400号線沿いに、残念がら休業してしまった「旅館 ふるさと荘」がある。ここの温泉は日帰り温泉でも営業していて、とても良い湯だった。*参考:三島町観光協会「「宮下温泉ふるさと荘」休業のお知らせ」(2020年11月9日)

この近くには「第一只見川橋梁」「第二只見川橋梁」「第三只見川橋梁」のビューポイント(撮影適所)があり、徒歩でも移動できない距離ではない。只見線の乗客をターゲットとしたゲストハウスなどに業態を変更し、営業を再開できないと思う。誰か、営業権を買い取ってはもらえないだろうか。  

  

「旅館 ふるさと荘」の前からは、木々の葉が茂っていなければ只見線の列車が見える。その下には、只見川に注ぐ大谷川の河口があり、左岸には旅館「栄光館」、右岸には桜並木と新緑が競演していた。両岸が刈払いされ整備されていることもあって、良い眺めだった。この桜並木も、10年20年後の姿が楽しみになった。

 

10:37、「旅館 ふるさと荘」のはす向かいにある、町営の桐の里倶楽部「桐の湯」に到着。駐車場に車が無く、『おやっ』と思い、入口に近づいてみる。

  

すると、営業時間の変更という案内があり、開館は午後2時になっていた。富岡に当日中に帰る場合、会津宮下駅13時発の列車に乗る必要があるため、今後しばらくは「桐の湯」は利用できない事が分かり、残念だった。 

  

 

日帰り温泉は「旅館 栄光館」にしようと計画を変更し、さらに桜を見ようと西方地区に向かった。只見川に沿って延びる国道400号線を進むと、すぐに「第二只見川橋梁」が見えた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

 

上路式ワーレントラス+プレートガーター橋。「第三只見川橋梁」と、「平成23年7月新潟・福島豪雨」で破断した「第六只見川橋梁」「第七只見川橋梁」と同じ構造だ。 *「第六」「第七」は現在進められている復旧工事で、「第四」と同じ下路式に変更される。

  

10:44、国道を進み、整備されたばかりの“第二橋梁ビューポイント”に立ち、側面から「第二只見川橋梁」を眺めた。只見川の川面は上流側が一部見えるだけで惜しいが、二本に木の間に見える「洞巌山」と「高森山」が構図を引き締め、全体的に落ち着いていると思える風景だった。

 

「第二只見川橋梁」に近い会津西方駅に向かった。


ホームの向かい、昔駅舎が建っていた場所は桜に包まれていた。小さな階段の先に、旧駅舎はあった。

 

 

10:59、駅から、さらに国道400号線を進み、昨日、列車を撮った場所に到着。昨日より、桜の花が多くなっていたような気がした。*参考:福島県 会津若松建設事務所「さくら回廊あいづ<風坂の桜>

   

昨日は、雨模様の中で列車を撮った。

  

ここから南に目を向けると、道の駅「尾瀬街道みしま宿」と、国道252号線の川井トンネル・駒啼瀬トンネルの上にある「第一只見川橋梁ビューポイント」が見えた。

    

 

撮影ポイントから引き返し、国道400号を進み、第一野沢街道踏切を渡り旧道に入る。空は曇り、陽が陰っていたが、民家前の満開の枝垂桜は綺麗に見えた。

  

昔の会津西方駅前に通じる道にも桜の木があった。只見線開業当時に植えられたのか、立派な幹だった。

 

 

再び国道400号線に入り来た道を戻り、三島大橋を渡った直後に右カーブを曲がると、前方に「旅館 栄光館」入口を示す看板があり、“年中無休”、“日帰り入浴550円”と表示されていた。営業していることにホッとして、左に曲がった。

 

細い道を進み、大谷川沿いにある「旅館 栄光館」を見下ろした。

  

11:15、「旅館 栄光館」に到着。

 

中に入ると、女将の明るい声で迎えられ、靴を脱ぎ非接触型機で検温。36.2度と表示され、入浴料を支払い浴室に向かった。途中、休憩スペースには桜など、季節の花が飾られていた。

  

「旅館 栄光館」の温泉は4度目。先客が居たが、途中から私一人になった。ゆっくりと景色を眺めながら、湯に浸かった。

 

湯舟からは、大谷川が只見川に注ぐ河口と、その向こうに「旅館 ふるさと荘」が見える。脱衣所の窓からも、ほぼ同じ景色が見られる。

 「旅館 栄光館」温泉概要
・源 泉:宮下温泉 第二源泉
・泉 温:60.9℃ 
・湧出量:126.9L/min 
・泉 質:ナトリウムー塩化物・硫酸塩・炭酸水素塩温泉 

   

40分ほど「旅館 栄光館」に滞在し、遅い昼食を摂ろうと、会津宮下駅方面に向かう。途中、宮下病院の駐車場に、満開の桜が見えた。 

  

 

12:10、昼食はここでと思っていた、カフェ「SampSon」に到着。店内は木製の家財が配置された落ち着いた雰囲気で、先客が二人居た。今日のメニューは2種のラーメンとカレーということだったが、ここに来る前から決めていた。

  

店員は一人のようで、10分ほどして「地鶏の塩白湯ラーメン」が運ばれてきた。『お好みで』と辛子ミソが付けられていた。

   

盛り付けも良く、濃厚な香りが漂い、食べる前から期待が持てた。

まず、スープからいただく。濃厚かと思ったが、深みのあるサッパリとした味だった。
麺は、中太縮れ。スープがしっかりと絡まり、箸が止まらなかった。大盛とまでゆかなくとも、もう少し麺が欲しかったと思った。

具材の半熟卵、炒められたモヤシと挽肉も調和し、旨い旨いとつぶやきながら、一気に食べ、スープも完飲した。とても完成度の高いラーメンで、満足な昼食となった。

  

カフェ「SampSon」は、土日も営業(15時まで)している、宮下地区では貴重な飲食店だ。運営する企業は、地域の生活サービス事業などを展開しているという。只見線の利用者にも数多く利用してもらい、沿線の代表的なカフェになって欲しいと思った。

 

カフェ「SampSon」をあとにして、小雨降る中、会津宮下駅に向かった。

到着後、駅頭で自転車を折り畳み、輪行バッグに入れて駅舎に入る。そして、窓口から駅員に声がけし、会津若松までに切符を購入。運賃は860円。会津若松から先は、W切符と通常の切符を併用し、富岡に帰る。

  

 

列車の到着時刻が近づき、ホームに入って、駅名標と桜越しに「三坂山」を眺めた。頂上付近には雲が掛かっていた。

 

まもなく、只見方面から列車が入ってきた。来春、『ぱぁっ~と』咲いた三島神社付近の桜を背景に列車が見られる事を期待した。

13:00、会津若松行きが、会津宮下を出発。 

    

 

まもなく、列車は「第二只見川橋梁」を渡る。下流側を眺めた。

   

会津西方に到着し、車内から桜を眺めた。

  

会津桧原の手前、桧の原トンネルに入る前に「第一只見川橋梁」を渡る。「かねこ」の女将が言っていた、難所・川井街道が通っていた駒啼瀬の右岸を眺めた。

  

 

滝谷の直前では滝谷川橋梁を渡り三島町から柳津町に入る。渓谷は、未だ冬の色あいだった。

 

 

郷戸に到着。駅舎を覆っている桜は満開だった。

  

会津柳津手前で、“月光寺の桜のトンネル”を通過しようとすると、前方に“撮る人”が10人ほど居た。

   

 

列車は、会津坂本から会津坂下町に入り、塔寺を経て七折峠を越え奥会津から会津盆地(平野)に入る。上空にはねずみ色の雲が広がっていたが、雨は止んでいた。

   

 

 

14:28、列車は定刻を遅れ、会津若松に到着し只見線の乗車を終えた。この後、磐越西線の郡山行きの列車に乗り換えた。

  

 

郡山では磐越東線に乗り換えて、いわきへ。車内が空いていたので、昨夜「かねこ」で女将の了解を得て持ち込み、飲み残した日本酒をいただいて、二日間の只見線沿線の旅を振り返った。

 

  

20:03、いわきで常磐線に乗り換え、富岡に到着。無事、只見線の旅が終わった。

  

2017年4月から只見線沿線の桜を見る旅を始め、昨年は新型コロナウイルスに関わる緊急事態宣言で福島県内も移動の自粛が求められ断念した。今年はどうなることかと思ったが、県内移動に制限が無いということで、三島町の桜を見に来ることができた。名の知れ渡った著名な木は無かったが、山間に点在する桜は、それぞれに味があり、見入ってしまう事が多かった。

三島町には、南の山間部に大谷・浅岐・間方という集落がある。次の機会にこの地を訪ね、桜を探したいと思う。 

  

  

(了) 

 

 

・  ・  ・  ・  ・ 

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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