三島町「第一只見川橋梁」 2016年 紅葉

紅葉に彩られた「第一只見川橋梁」を見るためにJR只見線の列車に乗り、三島町に向かった。

  

「第一只見川橋梁」は只見線唯一の鋼製の上路式アーチ橋で、多くの鉄道写真愛好家から撮られ、その写真は只見線の象徴として印刷物やネット上などで世に出ている。 

私は、列車の乗って渡った事は何度もあるが、この美しいアーチ橋を外から見たことはなかった。『第一を見るならば、紅葉時に』と決めていた私は、今日、初めてアーチ橋を通過する列車を見ようと旅を計画した。 

 

今日の予定は、以下の通り。

・会津桧原駅(三島町)から「第一只見川橋梁」を間近で見るために只見川沿いに行く

・国道252号にある道の駅「尾瀬街道みしま宿」を経由して、隣接する「第一只見川橋梁 ビューポイント」に向かう

・紅葉に包まれた「第一橋梁」を通過する只見線の列車の写真を撮る

・会津宮下駅周辺を散策し、会津若松に引き返し宿泊する

 


駅からの行動範囲が広く、また明日、会津川口駅から昭和村に行くため、移動は自転車を用いる事にし、輪行することにした。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の撮影スポットー / ー只見線の秋ー 

 

 


 

 

夜勤業務を11時20分までに終わらせ、郡山駅に直行。11時40分発の磐越西線の列車に乗車した。『紅葉は晴れた日でなければ...』と思い、好天が続く今日と明日を選んだが、予報通り空には気持ち良い青空が広がった。

  

磐梯熱海、中山宿を過ぎ、沼上トンネルを抜け中山峠を超えると会津地方に入り、川桁を出発すると、まもなく「磐梯山」が現れた。

車窓からほぼ全容を見ることができ、頂上付近には昨日(11月4日)記録した初冠雪が見られた。短い秋の後には長い冬がやってくる。

 

 

 

 

 

12:59、会津若松に、ほぼ定刻に到着し、只見線のホームに移動。

  

13:07、会津川口行きの列車は定刻に出発。平日の昼過ぎということもあり、私の乗った2両編成の先頭車両には10名ほどの乗客がいた。空いていたBOX席に座ったが、輪行バッグを席の間に入れたため窮屈な体制を取らざるを得なかった。会津桧原までの運賃は840円

   

列車は七日町西若松を経て大川(阿賀川)を渡り、会津本郷を過ぎると会津美里町に入った。

  

会津高田を出発すると右に大きく曲がり真北に進路を取り、根岸新鶴で停発車を繰り返す。

 

若宮の手前で会津坂下町に入り、会津坂下に停車。ここで上り列車とすれ違いを行い、会津平野から七折峠を向かって登坂を開始し、途上で塔寺を経て登坂を終える。その後会津坂本を過ぎると柳津町に入り、奥会津地域を進んでいった。

 

 

 

会津柳津を出発すると、郷戸を経て滝谷に到着。向かい側の旧ホームのモミジが、綺麗に色づいていた。

 

  

  

  

 

14:26、滝谷川橋梁を渡り三島町に入った列車は、定刻通りに会津桧原に到着。

  

駅は開業当時から無人で、小さな集落にある。降りるのは初めて。キノコをイメージしたような駅舎を抜け、さっそく自転車を組立てて出発した。

 

 

 

「第一只見川橋梁」を見に行く前に寄り道。向かった先は、“木材市場”。会津桧原駅の会津若松寄り、地元の建設会社の敷地と思われる場所に、県森林組合連合会が今年9月に開設、先月11日に創立記念市が開かれた「会津共販三島市場」だ。

 

只見線の列車中からは全体が見渡せる。

 

この存在は地元紙・福島民報の紙面(2016年10月12日付)で知った。

これまで県会津農林事務所管内には、会津共販所(会津若松市)と会津共販所サテライト市場(会津美里町)があったが、会津西部地域には木材市場等がなく森林資源の利活用が進んでいなかったという。

このような理由から、会津地方森林組合林業振興協議会が主体となって三島市場開設。 会津西部地域の木材流通拠点となるようだ。

 

ちなみに10月11日の記念市には柳津町、金山町、西会津町を中心に、杉や桐、カラマツが約2,800本(約510㎥)出荷さ れ、約430万円の取引が行われたと県の資料にあった。*出処:「ふくしまから はじめよう。『食』と『ふるさと』新生運動」 会津地方かわら版 -会津地方推進本部(福島県会津農林事務所)-  (pdf)

 

福島県土の7割を占める森林。福島県はこの資源を有効活用しようと「CLT(直交集成板)」の製造拠点を東日本で初めて浜通りに整備する計画を進めるなど、林業による産業と雇用創出に力を入れている。福島市といわき市に県が整備をする災害公営住宅にはCLTが使われる予定になっている。*記事出処:福島民報 (左)2016年8月29日付、(右)2016年10月25日付

この「会津共販三島市場」が活況し、持続ある産業と雇用を生み出し、福島県全体の林業が活気づくことを願う。

 

   

 

「三島市場」から折り返して、事前に地図(Google Map®)で確認した「第一橋梁」付近の只見川に沿って走る道に向かった。 

まもなく、入り口が見えた。木立の間、直進すると“その道”に入る。この様相に不安になった。

 

緩やかに下る。しばらく自動車が走った轍があった。

 

しかし、途中から轍は消え、落ち葉が堆積した地面が続いた。古く寂れたガードレールがあるので、ここが道路で、一定の役割が“あった”ことは間違いなさそうだと思った。

 

ガードレール越しに、今回の旅の目的物である「第一只見川橋梁」の一部が見えた。場所は間違いないと確信し、先を進んだ。

  

しかし、道はますます険しくなる。このあたりから自転車から降り、押して進んだ。

もはや、ここは“道路”ではないと思いつつが、崖の崩落箇所、地面が落石で盛り上がった場所に着いたところで、しばし『進むか引くか』を考える。先をふさぐ藪と頭上に切り立った崖を見て、恐怖を感じ、先に進むことを断念。自転車を抱え、引き返すことにした。

  

引き返す途上、来るときは気付かなかった「警報鳴らせ」の標識を確認し、“道”の中央に生えた木に、ここが道路として機能しなくなった時の長さを思った。

 

 

“道”が続くと思い自転車を進めたが、このブッシュの中では自転車は役に立たなかった。

  

この道(と呼ぶ)の途中、前後の道幅の割に大きなカーブがあった。幅も広く、急カーブで見渡しを確保したと思われた。このカーブの突端に、明らかに人の手が入った開かれた場所があり、眼下に只見川へと下る階段を発見。川の近くに小屋が見えた。下ってみた。

 

この小屋の正体は東北電力が設置した「桧原地点水位計」。小屋から只見川に向けてケーブルが伸びていた。

  

只見川の河原に降りた。全貌は見えないものの、「第一只見川橋梁」が正面に見えた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

  

「第一只見川橋梁」は、三島町の特産品「桐」の花の色にちなみ薄紫に塗られた鋼トラスのアーチ橋だ。

只見線(当時は国鉄会津線宮下方)の延伸で1941(昭和16)年に供用を開始し、全長は174mになる。正式な構造は「単線上路式ヒンジスパンドレルブレーストバランスストアーチ」。只見線唯一の鋼製上路式アーチ橋で、車窓からは見る事ができない美しさに、しばし見惚れた。

   

河原から只見川の上流に目を向けると、左岸の上部に橋脚と橋桁の一部が見え、護岸も補強された場所が確認できた。さきほど引き返した“道”の先になるだろうと思い、道が険しい場所を通っていたことを理解した。

これから向かう「第一只見川橋梁ビューポイント」のある鉄塔が、只見川右岸のかなり上部に見えた。

 

しばらく只見川沿いを歩き、「第一橋梁」を眺め続けた後、先ほど通った“道”に上り、桧原集落に戻った。 

地図に掲載されながら通られなかったあの“道”はなんだったのだろうと、帰宅後に確認したところ、この“道”は旧国道252号線の「川井新道」で、私の生まれる前年(1971(昭和46)年)まで供用され、その後廃道になったという事を知った。この旧道は、桧原集落を通り只見川を沿って南下し、川井集落に抜けていた。 

 

  

 

桧原集落を通り抜け、「ビューポイント」に向かうため南進した。

  

国道252号線に入り、やや勾配の長い坂を上る。そして、駒啼瀬スノーシェッドの中を進んだ。

    

 

 

駒啼瀬トンネル(535m)、川井トンネル(75m)を抜けると、前方に道の駅「尾瀬街道みしま宿」が見えた。

この“駒啼瀬”は“こまなかせ”と読み、旧国道を通る馬車を引く馬でも“啼(な)く”ほどの難所だという説がある。

  

この施設の看板には「第一只見川橋梁ビューポイント」の文字。

 

自転車を停め、駐車場にある案内版見て、経路を確認。肝心の只見線は、かなり簡素化され、只見川に架かる「第一橋梁」のみが破線で描かれていた。残念だった。

  

 

「第一只見川橋梁ビューポイント」の入口に向かう途中、眼下に只見川を見ながら駒啼瀬歩道橋(2014年4月完成)を渡った。駒啼瀬歩道橋は「ビューポイント」登山道の入り口に国道に出ずにたどり着けるよう、観光イベント「ふくしまディスティネーションキャンペーン」に合わせ福島県が整備したという。

  

駒啼瀬歩道橋は、「第一只見川橋梁ビューポイント」遊歩道に違和感なく接続していた。右は川井トンネル。

 

看板も分かりやすかった。

   

  

  

階段を上り、まずはBポイントへ。すぐに着いた。

 

看板にはここから見える風景の写真が使われていた。CとDのビューポイントも同じだった。

   

柵の前に立ち、「第一橋梁」を見る。初めて生で見る光景。今まで写真などで何度も見てきたが、スケールの大きさに圧倒された。

 

  

  

次はCポイントに移動するため、登ってきた道を引き返した。

途中、カメラを持った男性とすれ違った。今回この「第一只見川橋梁ビューポイント」で出会った唯一の方。今日は金曜日だからだとは思うが、紅葉シーズンということを考えると寂しいと感じた。

  

Cポイントへ足を進める。遊歩道の入り口からすぐに分岐していた道に入り、急な階段を上った。

 

まもなく、只見線のマスコット「キハちゃん」の描かれたのぼりが正面に見えた。この「キハちゃん」、私は気に入っている。 *参考:会津坂下町 「只見線応援キャラクター誕生!!

  

そして、まもなくCポイントに到着。

 

ここはカメラマンが殺到する「第一只見川橋梁ビューポイント」一番人気の場所で、世に出ている「第一橋梁」の写真の多くがここから撮影されているというが、それが納得できる眺めだと思った。

初めて現場に立ったが、写真では味わうことのできない感動を味わった。

  

木々の種類や異なる色づき、山の稜線や只見川の水面、そしてそれらを照らす陽の光具合、目に入るすべての自然は、見る時々によって姿を変える事が、実感できた。

その中に変わらぬ薄紫色の「第一橋梁」が不動の位置にあり、そこを列車キハ40系が通過する事で、風景に無二の動きを与える。JR只見線沿線の最高の「ビューポイント」にふさわしい、至高の景観だと思った。

  

この写真を拡大するとこうなるが、性能の良い望遠レンズで撮ると、薄紫のアーチ橋とそれを包む自然の細部が表現されるだろうと思った。

  

「第一只見川橋梁ビューポイント」(Cポイント)の全景。

ベンチが二列となっているが、傾斜となっているため、多くの観光客が前方を気にせずに景色を楽しめるようになっていた。

 

 

 

このCポイントの上には、Dポイントがある。 

Cポイントを背に、更に上に登り、目印となっている鉄塔を目指した。

  

少し長めの急な階段を登り切ると、Dポイントにたどりついた。

 

「第一只見川橋梁」は、正面から見下ろす位置にあった。

  

ここは「第二只見川橋梁」のビューポイントにもなっているが、「第二」は見えるが距離は遠く、肉眼では小さく見えた。

「第二橋梁」は第一と同じく1941(昭和16年)に供用を開始した、190mの上路式トラス橋。正式な構造は「単線上路式2径間連続ワーレントラス + 単線上路式プレートガーダー3連」。*出処:Wikipedia 「第二只見川橋梁

  

 

  

まもなく、列車の通過時間を迎えるが、「第二橋梁」と「第一橋梁」を通過する列車を撮影するためCポイントに戻る事なく、ここで待つ事にした。 

撮影する列車は会津川口駅発-会津若松駅着の下り列車。会津宮下駅を15時54分に出て、「第二橋梁」を渡り、会津西方駅に15時57分に到着。会津西方駅には1分も停車せずに出発し、「第一橋梁」を渡り、16時01分に会津桧原駅に到着するダイヤになっている。

 

 

しばらくすると、列車の通過音が左手(西側)から聞こえてきた。カメラをズームして、「第二橋梁」に合わせる。列車が橋梁を渡る音に変わり、シャッターに手をかけ、「第二橋梁」の中間点に差し掛かったところでシャッターを切った。

陽が傾きはじめ、逆光が山間に掛かった靄を一層白くしていたためかピントが手前の枝に合ってしまったが、なんとかキハ40形を撮る事ができた。

  

列車はその後会津西方駅に停車し、再び動き出す様子が、この場所からも分かった。そして、レールを走る音は、眼下の山間に響いていた。

  

列車は名入トンネル(325m)に入り、音が消えた。私は、先程と同じようにカメラを構え、シャッターに指を掛けた。今度は、全体の風景が見えるように、ズームにはしなかった。

そして、列車が橋梁を渡り始める音が響き渡り、キハ40系が顔を出す。列車が「第一只見川橋梁」の中央付近が差し掛かった時、私はシャッターを切った。

なんとか、この「ビューポイント」から列車を収めた一枚を撮ることができた。

  

この写真を拡大し、明るさを調整したのが、この写真になる。カメラの性能と西日や靄の影響を考えると、自分としては満足ゆく一枚となった。

  

 

その後、しばらくここで西日の角度で刻々と色合いが変わる紅葉を楽しんだ。

 

20分ほど景色を眺め続け、「第一只見川橋梁ビューポイント」を後にした。

 

今日は天候にも恵まれて、紅葉の中の「第一只見川橋梁」を堪能した。次は、朝方、空気が澄んだ中この景色を見て、橋梁を渡る列車を撮影してみたいと思った。

  

この後は、三島町の中心部である宮下地区に向かうことにした。

道の駅に戻り、自転車にまたがり、国道252号線のなだらかな坂を下った。

“宮下方面”の看板が見え右折し、県道237号線に入って下った。そして、只見線のガードを潜り、まもなく大谷川に架かる「宮下橋」を渡る。ここから仰ぎ見る、只見線と国道252号線の橋梁が圧巻だった。

手前、只見線に架かるのは「大谷川橋梁」(上路式RCアーチ橋)で1939(昭和14)年架設、奥の国道252号線は「新宮下橋」(鋼製逆ローゼ橋)で1989(平成元)年架設。

 

この写真を撮っている旧国道252号(県道237号)線に架かる宮下橋(上路式RCアーチ橋)を含めこの3つの橋は「アーチ3橋(兄)弟」と言われているという。 *参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)『みやしたアーチ3橋(兄)橋』のビューポイント

 

この3つのアーチを写真一面に収められる景観は“国内唯一”といい、「日刊 建設産業新聞」では次のように紹介されていた。

(日刊 建設産業新聞 2016年5月17日付紙面より引用 *一部筆者追記)
新宮下橋を含め、宮下橋と只見線大谷川橋梁の3つのアーチ橋がひとつのファインダーに重なって見ることができる国内唯一の地点で、「アーチ3橋(兄)弟」といわれる観光名所となっている。
長男の大谷川橋梁は1939年に建造され、現存するコンクリート橋として歴史的価値のある貴重な橋梁で、県道(237号)小栗山宮下線の宮下橋が二男。福島県発注の現存するアーチ橋としては最も古いひとつで耐久性に優れ、美しいアーチ曲線が特筆されるコンクリート橋。(中略)三男が新宮下橋で銅製逆ローゼ橋、アーチ支間町抗、アーチライズ24.5M、全長140M、252号線バイパスに架設され、長男、二男のアーチ橋を考慮してアーチ橋が採用された経緯がある。

 

  

  

「アーチ3橋弟」を後にし、県道を進み会津信用金庫の前の交差点を左折、会津宮下駅に到着。この駅を利用するのは初めて。外観はメディア等でよく見かけていた。

 

三島町は「町」ながら、NPO法人「日本で最も美しい村」連合に加盟している。宮下駅前の町内案内図の下に「美しい村」に関する看板が掲示されていた。

 

三島町は2012年10月に認定され、福島県では飯館村北塩原村に続く3番目で、現在では大玉村を加え1町3町が加盟している。読売新聞(2012年10月18日付)は、“会津桐 風景など評価”を報じていた。

会津宮下駅から県道につながる通りにある双葉食堂に向かい早めの夕食と思ったが、“準備中”の暖簾がかけてあった。この「双葉食堂」にはカレー焼きそば、焼きそばラーメンなど独特のメニューがあるという。

 

 

開店するまでと思い、県道との交差点の角にある三島町観光協会が観光案内を行っている「観光交流館 からんころん」に入った。

中には三島町の観光情報が記載されたパンフレットがずらりと並び、特産品「桐」を使った小物、農作物や加工品が販売されていたり、テーブル席や座敷の席があり飲食店という面も持っていた。

私は店員に、まずは「からんころん」の意味を聞いた。「桐」で作った下駄を履くと鳴る音だという。桐は軽く、木製の中では独特の乾いた音がするらしい。

そして、関連して「桐」を取り扱う工場について聞いた。町には1軒しか残っておらず、職人は高齢で、若い職人が一人が居て現在修行中だという。この製材所はテレビ番組にも取り上げられ、町の人も注目しているという。

この工場には次の機会に訪れたいと思い、私はここで2種類の桐製コースターを購入。たしかに、とても軽い! 桐ダンスなどどれほどの重量があるのか興味がわいた。

 

...しばらく待ったが、件の「双葉食堂」だが開かないようなので、この店員に他に駅付近の食堂を聞き、その中に名前が挙げられ、以前にテレビ番組で紹介され気になっていたラム焼肉の店「桐の里 成吉思汗さくら」に行き先を変更した。

 

 

 

県道237号線を少し引き返し左折し、長い坂を下り三島大橋で只見川を渡った。橋上からは澄んだ夕暮れの空と三日月、そして周囲の山々を映し出す“湖面鏡”が見え、幻想的な風景となっていた。一日の疲れが癒された。

 

 

 

三島大橋を渡り右折し国道400号を進むと、まもなく右前方に目的地の「桐の里倶楽部」が見えた。ここに「桐の里 成吉思汗さくら」があった。

 

開店まで30分あるということで、地下1階の日帰り温泉「桐の湯」を利用することにした。

ここは「宮下温泉」の一施設で、源泉は炭酸水素塩泉と硫酸塩の二つで、泉温は55.0度と高めとなっていた。この施設は内湯のみ。日中ならば只見川が見えるが、陽が落ちたため真っ暗な窓の外を眺めながら湯に浸かった。 

 

湯から上がり、1階に移動すると「成吉思汗さくら」は営業しており、さっそくテーブル席について、成吉思汗定食を注文。店員が一人で切り盛りしているようで少々待たされたが、中央が突起したジンギスカン鍋が七輪の上に載って提供され、その後に肉や御飯が運ばれてきた。

肉をテーブルに載せると店員は、ラム肉の焼き方を丁寧に教えながら実演してくれ、食べごろになると『どうぞ』と言って下がっていった。

 

肉は柔らかく、臭みもなく美味しかった。『塩の方が、肉のうまみを感じられます』と言われたが、確かに塩の方がタレよりも肉の味わいが良かった。

今日は自転車に乗ってきたためできなかったが、次はビールを飲みながらこのラム肉を楽しみたいと思った。

 

 

 

食後しばらくしてから「桐の里倶楽部」を後にして、会津宮下駅に向かった。 

駅に到着後、窓口で駅員を呼び出し切符を購入。乗車券は今日の宿の最寄り駅「西若松」までとした。

 

19:36、会津若松行きの最終列車が入線。折り畳み、輪行バッグに入れた自転車を抱えて乗車した。

    

今回は、只見線の車窓から何度も景色を楽しませてくれた「第一只見川橋梁」を外から見られ、しかも紅葉に彩られた景色の中の橋梁を眺め続ける事ができ、有意義な一日となった。

  

次は冬。一面銀世界の中、「第一只見川橋梁」がどのように見えるのか訪れたいと思う。また「双葉食堂」で焼きそばラーメンを食べ、只見川を眺めながら宮下温泉に浸かってみたいと思った。

 

 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

0コメント

  • 1000 / 1000