「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で、2011年7月29日から運休が続くJR只見線の不通区間(会津川口~只見間、27.6km)を歩いてみようと思い、金山町に向かった。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線復旧工事関連ー / ー只見線の春ー
今朝、磐越西線の始発列車に乗るため、郡山駅に向かった。駅前の桜は満開。肌寒さが残る中、会津は雪が残っているだろうと思った。
5:55、列車が定刻通りに出発する。
7:10、定刻をわずかに過ぎ、会津若松に到着。先日、工事中だった自動改札が稼働していて、高校生を中心に多くの乗客をさばいていた。福島県第四の都市・会津若松。自動改札機は遅すぎた感がある。
只見線のホームに移動し、停車中の列車に乗り込んだ。
その後、列車は減速しながら大谷川橋梁を渡り、県道の宮下橋を見下ろした。
会津中川の手前、山間に細くのびる集落と田園を眺めた。県内の他の路線では見られない光景だと思う。
終点が近づき、列車は減速を始める。前方には林道の上井草橋が見えてきた。
車窓から後方を振り返ると、大志(オオシ)集落が見えた。
9:43、会津川口に到着。ホームの前を流れる只見川は、川床が見えていた。今日は県立川口高校の入学式。生徒とその母親がと思われる親子が下車し、先日開所した生徒寮・若桐寮に向かっていった。
会津川口から先、只見までの26.7kmが「平成23年7月新潟福島豪雨」被害による運休区間になっている。
駅舎から出て右に行き、只見線と並行して走る国道252号線を西へ歩き出した。只見線の野尻川橋梁の橋脚は、根元まで露出していた。
さらに、近くに行き、破断したレールを見下ろした。
国道252号線に戻り、しばらく歩いてから「第五只見川橋梁」を側面から眺めた。
只見川の水量は、“普通の川”に見える程だった。今まで、この「第五橋梁」の橋脚はダム湖の下になりここまでは見えなかった。「平成23年7月新潟福島豪雨」被害による護岸などの復旧工事のために、下流の東北電力㈱上田発電所・ダム(会津中川-会津川口間)が貯水量を下げているからだろう、と思った。
本名駅を過ぎ、本名ダム(東北電力㈱本名発電所)の直下を通っていた「第六只見川橋梁」の跡を眺めた。
「平成23年7月新潟福島豪雨」で、本名ダムから放流された激流が鉄橋を押し流した。その鋼材(トラス)が、只見川の中心部に放置されていた。*参考:放流時に第六橋梁に襲い掛かる激流の様子が金山町「広報かねやま 560号」(平成23年8月豪)の表紙になっている。参照URL:https://www.town.kaneyama.fukushima.jp/uploaded/life/2546_11756_misc.pdf
本名ダム湖を右手に見ながらスノーシェッド内を通過し、ひたすら国道252号線を歩く。道に雪は無く、フキノトウも顔を出していた。
会津川口駅出発から1時間40分。二つ目の駅、会津越川駅に到着。雪に埋もれ、駅舎などの構造物の様子から、長らく使われていない事は明らかだった。
駅を出てまもなく、東北電力㈱伊南川発電所(昭和13年10月発電開始、最大出力:19,400kw)が姿を現し、排水口から激流が只見川に向かって吐き出されていた。 周囲の山々と相まって、奥会津の水資源の豊かさを実感した。 *参考:水力ドットコム「東北電力株式会社 伊南川発電所」URL: http://www.suiryoku.com/gallery/fukusima/inagawa/inagawa.html
国道をさらに進むと、横田地区の集落の川沿いには堤防が築かれていた。直下の只見川がここまで氾濫するとは想像できなかったが、「平成23年7月新潟福島豪雨」では激流が川岸を削り取り、民家が崩れ落ちる被害があったことを考えると、この堤防の意味が理解できた。
会津越川駅を出発して20分、次の駅である会津横田駅に到着。除雪の雪が積み上げられた風景に、複雑な心境になった。
駅を後にして、豪雨被害で流失した後、2013年11月に付け替えられた二本木橋を渡り、大塩地区に入った。
さらに国道252号線から町道に入り、流失した「第七只見川橋梁」に到着。ここも、「第六只見川橋梁」と同じ上路式トラス橋で、残された橋脚の姿が寂しかった。
「第五」「第六」「第七」、流失したこれら3つの橋梁は全て金山町にあるが、流失前後の画像がこの金山町のホームページに記載されている。*参考:福島県金山町 「JR只見線 第五・六・七鉄橋の現状」(URL:http://www.town.kaneyama.fukushima.jp/site/tadamisen/jr.html)
「第七只見川橋梁」を後にして歩き出す。まもなく、会津大塩駅に到着。動きの感じられない風景だった。
ここで、帰りの時間が気になった。只見駅までは、間違いなく行けないと思った。次の会津塩沢駅までか、只見駅の手前の会津蒲生駅までか、ここで結論は出ず、また歩き出した。
会津川口駅を出発して約3時間。足が重くなってきたが、少し速度を速めた。
国道252号線の滝スノーシェッドを歩く。歩道が途中で切れ、車道を歩く事になり、 車両が通過する度、スノーシェッド内に響き渡る轟音と直側を通り抜ける車体に怖い思いをした。
この滝スノーシェッドは、「平成23年7月新潟福島豪雨」で直下を流れる只見川の激流で、基礎部分が削り取られ傾くなどの、大きな被害を受けている。
スノーシェッドの間から、滝ダム(電源開発㈱滝発電所)が見えた。豪雨当時、緊急放流を行い、只見川の水嵩が増し、被害を拡大したと言われている。 *参考:水力ドットコム「電源開発株式会社 滝発電所」URL: http://www.suiryoku.com/gallery/fukusima/taki/taki.html
滝スノーシェッドを潜り抜け、金山町と只見町の境界となる只子沢に差し掛かると、只見川の河岸で多くの重機が作業をしていた。これも、「平成23年7月新潟福島豪雨」被害からの復旧工事だと思われた。
また、黙々と歩き続け、塩沢スノーシェッドの中から、ようやく「蒲生岳」が見えた。
塩沢地区に入る。只見線のレールの上には、根雪が残っていた。
塩沢地区は、戊申の役で長岡戦争の指揮した長岡藩家老・河井継之助が、亡くなり荼毘に付された場所。*参考:長岡市「河井継之助記念館」継之助とは UR: https://tsuginosuke.net/?page_id=174
只見線の路盤から近い場所に「河井継之助記念館」があるが、冬季は休業している。
「河井継之助記念館」前から、しばらく歩き会津塩沢駅に到着。今まで見た3ヵ所の駅よりも深い雪に埋もれていた。
5年前の風景。列車が通り人が行き交う光景が、一日でも早く見られる事を願った。
次の会津蒲生駅まで約3km。代行バスの出発時刻までに到着するために、走る気力と体力が無く、ここで只見線の運休区間を歩く事を止める事にした。
14:52、塩沢簡易郵便局前から、会津川口行きの代行バスに乗車。
会津川口に到着後、会津若松行きの列車に乗り込み、帰宅の途についた。
今日は、会津川口駅から、本名駅、会津越川駅、会津横田駅、会津大塩駅、会津塩沢駅まで、約20kmを4時間20分で歩いた。疲れたが、達成感があった。
(了)
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*参考:
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室: 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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