「JR只見線 復旧工事状況」 2020年 初夏

来年度、2021年度の全線復旧に向けて工事が行われているJR只見線。今年は「第六只見川橋梁」「第七只見川橋梁」の大規模な再架橋工事を控えている。現在の復旧工事の現状を知りたいと思い、会津川口~只見間の運休区間を巡った。

 

只見線は、2021年8月29日で全線開通から半世紀が経つ事になる。しかし、予定通り復旧工事を終え、全線開業50周年を迎えられるか予断を許さない状況になっている。 

今年1月にJR東日本の仙台支社長から、運転士の訓練運転機会の懸念から“営業運転が(20)22年春になることもありうる”旨の発言があり、3月には「第六只見川橋梁」工事現場で岩盤崩落事故が発生し犠牲者が出た事などがその理由だ。*下記事出処:朝日新聞 2020年1月21日(火)付け紙面

 

このような状況の中、現場はどのような状況になっているのか、特に山間部に大きなトラス橋を架ける「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」工事が気になっていた。

 

今日は、会津川口まで只見線の列車で行き、そこから輪行した自転車で、「第五只見川橋梁」から「第八只見川橋梁」までの橋梁を順に追いながら、復旧工事現場を見て回り、只見まで行く予定を立てた。


*参考: 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室

只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線復旧工事関連-


 



 

今朝早く、磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かった。


駅頭で自転車を折りたたみ、構内に入り改札を通り1番線に停車中の、磐越西線の始発列車に乗り込む。

5:55、会津若松行きの列車が出発。

  

 

中山峠を沼上トンネルで抜け、会津地方に入っても空一面に雲が広がり、「磐梯山」の稜線は見えなかった。

 

 

  

7:09、会津若松に到着。一旦改札を出て買い物などの用事を済ませた後、連絡橋を渡り、只見線のホームに向かう。しばらくすると、汽笛を鳴らし、2両編成の上り列車が入線してきた。土曜日ということもあり、高校生を中心に、多くの客が降りた。

この列車は折り返しの下り列車、会津川口行きとなる。私は、客の降車が終わった事を確認し、輪行バッグをかかえ、後部車両に乗り込んだ。

  

7:41、会津川口行きの2両編成の列車が会津若松を出発。乗客は、私の乗る後部車両が3人、先頭車両が2人だった。紅葉時以外は、土曜日の朝の乗客は少ない事が多いが、ここまで少ない事は無かった。

以前は、次の列車(13時09分発)に観光客が乗り込んでいたが、コロナ禍で首都圏との往来が自粛されている事を考えると、それも見込めない。只見線は現在、観光利用がほとんど無いという、危機的な状況になっている。

 

この時期、只見線は会津平野の水を張った田園や奥会津の新緑など、紅葉時に劣らない車窓からの景色を楽しむ事ができる。たとえ、自然に慣れ親しんだ福島県民であっても、非日常感を味わえる列車旅となると、私は思っている。 

観光鉄道「山の只見線」”を目指し、中心となって利活用事業に取り組む福島県の担当者は、只見線の車窓からの景色に自信を持ち、県民もさることながら、国内外の客を問わず“乗る人”をもっと増やすような施策を考え、この土曜日朝の閑散を混雑へと変貌させて欲しいと、この閑散とした車内を見て強く思った。

 

 

列車は七日町西若松を経て、大川(阿賀川)を渡った。

 

大川渡河後、市街地から会津平野の田園に入り、会津本郷を経て会津美里町に入り、会津高田を出発後に、列車は大きく進路を変え真北に進んだ。

この景色は、会津平野(盆地)の豊かさを実感できる、只見線の列車内から見られる代表的な景色だ。

  

列車は根岸新鶴を経て会津坂下町に入り、若宮を出発すると湯川村まで見通す田園が綺麗に広がっていた。

  

 

列車は、西に進路を変えて会津坂下に停車。上り列車とすれ違いを行った。


 

会津坂下を出発すると、まもなく七折峠に向かって登坂を開始した。

  

登坂途上、木々の切れ間から水田越しに会津坂下町市街地を見下ろした。

 

 

峠の中にある塔寺を過ぎ、会津坂本を経て柳津町に入り、列車は会津柳津に向かって行く。

  

郷戸手前、“Myビューポイント”から見る「飯谷山」(783m)の上空には、薄雲が掛かる青空も見えた。天気予報は晴れだが、どこまで強い陽射しがあるだろうか心配になった。

  

 

滝谷を出た直後に、滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。こんもりと茂った枝葉が渓谷を覆っていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)歴史的鋼橋集覧

 

 

 

会津桧原を経て桧の原トンネルを潜り抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。この時期、水鏡は期待できないが、東北電力㈱柳津発電所の柳津ダムは満ち、湖面は薄青緑で、豊かな自然を演出していた。

 

 

会津西方を出発した直後に「第二只見川橋梁」を渡った。

  

列車は減速し、“アーチ3橋(兄)弟”の長男となる大谷川橋梁を渡り、次男の宮下橋を見下ろしながら、ゆっくり進んだ。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)

 

会津宮下で、上り列車とのすれ違う。ホームには客が2人居た。

 

 

会津宮下を出発してまもなく、東北電力㈱宮下発電所とその調整池である宮下ダムの直脇を通り抜ける。こちらもダム湖が満ち、せり出していた枝葉が水面に触れていた。

  

 

列車は一旦只見川と離れ、「第三只見川橋梁」で三度目の渡河を行った。

  

反対の車窓から上流側を見る。360度、至近距離で見る事ができるこの橋上からの景観は、“観光鉄道「山の只見線」”の象徴の一つだ。

  

 

列車は早戸を経て金山町に入り、細越拱橋(めがね橋、8連コンクリート橋)を渡った。左側に開放的な空間が広がっていた。

    

 

 

会津水沼を出発すると「第四只見川橋梁」を渡った。この下路式トラス橋上からの眺めは、架け替えられる「第六只見川橋梁」「第七只見川橋梁」を渡る際に車窓から見られる景色を想像する助けになる。

  

列車は国道252号線と交差した後、只見川を眼下に見ながら進む。国道252号線は拡張工事が進んでいて、現道と同じ幅を持つ新道が延びていた。

この付近は、路側帯もほとんどない狭隘な道幅となっていて、大型車は徐行してすれ違うようになっている。只見川のダムの浚渫には欠かせない、ダンプカーの往来をスムーズにするためにも必要な工事となっている。 *参考:国土交通省 阿賀川河川事務所「平成23年7月新潟・福島豪雨での只見川等の災害に関する情報連絡会」資料(地域の安全確保に向けた取り組み 東北電力㈱ 平成26年7月8日(PDF)) / 東北電力㈱:「只見川流域を対象とした浚渫(しゅんせつ)土砂の有効利用に関する研究」(PDF)(2018年4月) / 福島県 会津若松建設事務所「国道252号線【水沼工区】」(PDF)

 

東北電力㈱上田発電所・ダムを遠くに見て、しばらくすると列車はダム湖に並行して進む。

ダム湖の対岸(只見川左岸)には、岩肌が筋のように露出した野趣味ある低山が続き、湖面と良い景色を創っているが、木々の枝葉と、国道沿いに立ち並び続く電柱・電線が邪魔してほとんど見えない。

観光鉄道「山の只見線」”に乗る楽しみを付加するためにも、「只見線利活用プロジェクト(計画)」の中で、車窓からの“景観創出事業”を行って欲しいと私は思っている。

   

列車は、只見川と離れ、中川地区の集落を見ながら進んで行く。

   

会津中川を過ぎ、再び只見川が見えてきた所で振り返ると、仮設が取り払われた「東北電力水力発電館 みお里」が姿を現していた。

完成予想図より、周囲に溶け込んだデザインと色合いで、安心するとともにオープンが楽しみになった。*参考:東北電力㈱「「東北電力奥会津水力館」の建設計画について~当社初の本格的な水力発電のPR施設を、ゆかりの深い奥会津に~」/「東北電力奥会津水力館」建設計画の概要(PDF) (2019年3月7日)  

 

 

大志集落を右手に見ながら列車が進むと、只見川(上田ダム湖)が接近し、前方に林道の上井草橋が見えてきた。

 

ここで振り返り、大志集落の様子を撮る。川面が輝き、良い景観だった。

 

 

 

9:39、終点の会津川口に到着。降り立った乗客は10名あまり。

   

ここから先が運休区間。「平成23年7月新潟・福島豪雨」被害により、約9年間、只見まで運休となっている。

 

駅舎を抜けて、輪行バッグから折り畳み自転車を取り出し、組み立てた。ここからは自転車で移動。運休区間(会津川口~只見、27.6km)は、ほぼ国道252号線に沿っているため、復旧工事現場に立ち寄り易くなっている。

  

  

9:55、駅前を出発。直後に、只見川に注ぐ野尻川に架かる野尻川橋梁を見る。まったく損傷の無い橋で、運休後も、車両の入れ替えで使われ続けている。


 

国道を進み、西谷地区の下り坂の途上、「第五ヤード」の看板が見えてきた。「第五只見川橋梁」と会津川口間の路盤の復旧工事基地となっている。

 

少し下り、「第五只見川橋梁」を眺めた。


右岸から足場等の仮設は取り払われ、本体工事は終わったようだった。今後、付け替えられた橋桁と同じ色に、運休時点から残されたトラスなどの鋼材が塗られるのだろうか。

 

 

集落を抜け、西谷橋を渡り「本名ヤード」に到着。作業員の通勤用と思われる車両が多かった。

  

 

10:13、本名に到着。

 

路盤の枕木が一部コンクリート製に変えられていて、ホームにはコンクリートの部材が載せられていた。

  

 

本名ダムの下流側に行き、「第六只見川橋梁」の工事現場を見上げた。左岸下部には東北電力㈱による減勢工となる巨大なコンクリートの塊が完成済みになっている。

 

左岸上では、昨年には完成していた橋脚前に巨大な架台が築かれていた。新たな下路式トラス橋が、どのような工法で架けられるか興味がわいた。

 

右岸上部、本名トンネルの入口には、コンクリート製の台座が完成していた。トラス橋の橋脚だろうと思った。

 

 

国道に戻り、しばらく進むと「本名バイパス」トンネル(貫通済み)の工事現場の前に巨大な仮設が設けられていた。*参考:福島県 会津若松建設事務所「国道252号線【本名バイパス】」(PDF) 


本名トンネル方面に目を向けると、大きなスペースに鉄板が敷かれ、架橋の本体工事が近いと思われた。どのような工法で架橋されるか分からないが、国道上に設けられた巨大な仮設も、架橋工事で使われるのだろうか。

  

「第六只見川橋梁」は、約16億円をかけて、「第四只見川橋梁」と同じ、車窓から鋼材が見えてしまう下路式トラス橋になる。


 

東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端から引き返し、林道本名室谷線を進もうとする。

 

すると標杭の根元に、“本名御神楽山開き登山”中止の案内が設置されていた。

新型コロナウィルスにより、会津を訪れる観光客がどれほど減っただろうか。只見線の乗客もしかり、コロナ禍による訪会の機会を逸した方々が『次も会津に行きたい』を思い続けるような情報発信と企画を、関係者には望みたい。

  

林道を進むと、霧来沢が只見川(本名ダム湖)に合流する場所に出て、全鋼製のつり橋・霧来沢橋と本名バイパス“霧来沢橋”(仮称)を見下ろした。バイパス側は舗装工事が終わっていた。

   

側道を下り、霧来沢橋のたもとで振り返り、バイパスの本名トンネルを見上げた。休憩していた作業員から、トンネルは貫通しているが排出が必要な土はまだまだあるという話を聞いた。


只見川に沿って進むと、バイパスの“本名橋”(仮称)の巨大な躯体が視界に現れた。下モ坪集落の方々にとって、目の前の景色の変化は隔世の感があるのではないかと思った。

  

 

只見川に架かる湯倉橋を渡り国道252号線に戻り、只見線を左手に見ながら進む。「第六只見川橋梁」から、次の「第七只見川橋梁」まで「平成23年7月新潟福島豪雨」の被害は無い。


大深沢スノーシェッド(540m)を抜けると、只見線の橋立トンネルの出口にある大布蟹・小布蟹古戦場の脇を通過。伊達政宗軍が通過を断念したという(横田)山ノ内家奮闘の場だ。

只見線が通る奥会津地域には、このような古戦場など、会津四家・山ノ内家関連の山城が多い。情報を集め、いずれ、訪ねたいと思っている。

  

中ノ沢橋を渡ると、“枕木置場”があった。前回の訪問では、交換用のコンクリート製枕木が積まれていたが、全て使われたようで、無かった。 

 

交換済みの木製の枕木は、“木クズ”として産業廃棄物になるようで、看板が立てられていた。

 

金山町内の只見線の路盤に被害は無かったが、約9年間列車が走らず老朽化が進み、2018年6月に運輸安全委員会が脱線防止の観点から枕木を木製からコンクリート製に切り替えるよう提言された事もあり、交換作業が行われているのだと思った。*参考:国土交通省 運委参第43号 平成30年6月28日「軌間拡大による列車脱線事故の防止に係る意見について」(PDF)

  

 

国道をさらに進むと、去年8月の大雨で土砂崩れがあった場所が、ブルーシートで覆われていた。予定されていなかった工事であり、工期の後半の作業となるのだろうか。

*記事出処:福島民報 2019年8月23日付け紙面

  

 

11:06、会津越川に到着。

   

只見方面では軌陸車両用のバックフォーが稼働し、路盤の整備工事が行われていた。コンクリート製枕木交換後の整地調整作業だろうか。

  

 

国道に戻り自転車を走らせ、東北電力㈱伊南川発電所の前を通り、三本の水圧鉄管をまたぐ只見線の伊南川発電所橋梁を見上げた。

  

建屋前の歩道から、水圧鉄管から只見川に勢いよく注がれる水流を眺めた。1938(昭和13)年に9.5kmもの水路隧道を埋設し、伊南川の水をバイパスしたと思うと、いつも感心させられる。*参考:拙著「金山町「東北電力㈱ 伊南川発電所」2017年 初夏」(2017年6月24日)

  

 

11:22、会津横田に到着。ホーム前の一部枕木がコンクリート製に交換されていた。

  

鉱山第二踏切を渡り、町道を進み「第七只見川橋梁」が近づくと二つの巨大な“塔”が現れた。

  

更に町道を進み右岸ヤードに着くと、鉄塔を含む、再架橋工事の全体が見えた。

  

町道を進み、只見川に架かる四季彩橋から「第七只見川橋梁」を眺めた。下路式トラス橋は、ケーブルエレクション直吊り工法で行われるようだ。

 

作業員の方に工事の現状を聞くと、これからワイヤー(主索)の設置などを行い、橋本体の組み上げ工事は7月に入ってから行われるという。

 

左岸のグランドアンカーを見ると、この工事のダイナミックさが実感できた。

この自然豊かな奥会津の只中で行われる、大規模な再架橋工事。以前も書いたが、「第六只見川橋梁」も含め、この工事の様子はライブカメラでWeb配信して欲しい。今からでも遅くないので、金山町にはJR東日本の協力を仰ぎ、只見線全線再開通の機運を盛り上げるために、是非実現させて欲しい。

  

 

11:49、「第七只見川橋梁」の最寄となる会津大塩に到着。

 

駅の手前には、鉄板が敷かれ、コンクリート製の枕木が置かれていたが、見た感じでは交換作業はほぼほ終わったような雰囲気だった。

 

 

国道252号線に戻り、自転車を進める。青い屋根が続く滝沢集落を抜け、無傷の滝沢架道橋を潜る。

   

「滝沢炭酸場」の手前の路地を右に入り、滝トンネル手前の路盤を見に行く。

交換されたコンクリート製の枕木が前後に数多く見られ、路盤のバラスも整地され、この辺りの復旧工事は終わっているようだと思った。

  

 

「滝沢炭酸場」で微炭酸の炭酸水をペットボトルに詰め、滝スノーシェッドから滝トンネルを抜け、只子沢橋を渡り只見町に入った。

    

橋上から滝ダム湖となる只見川を眺めた。滝トンネルを通り抜けている只見線の車内からは見えないが、蛇行したダム湖が良い景色を作っている。今日は貯水量が少なく、両岸の湖底(川床)が見えていた。なぜ、貯水量が少ないかは、次の橋梁工事現場で理由が分かった。


 

塩沢スノーシェッドを抜けると、塩沢集落越しに会津百名山「蒲生岳」が見えた。滝トンネルを出た只見線の車内からも、この景色を見ることができる。

   

塩沢地区に入る。戊辰役・北越戦争で長岡藩の家老で軍事総督だった河井継之助の没した地で、生地である長岡より先に建造された「河井継之助記念館」がある。

滝ダム湖(只見川)の貯水量がここまで少ないのは稀で、いつもは記念館の前から只見線越しに良い景色が見られる。

 

私は記念館前に会津塩沢駅を移設するべきだと思っている。場所は狭いが、1面ホームのみを設置す事は可能と思われる。擁壁の上部に細長い待合室を伴った駅舎を作れば、記念館を訪れた後でも列車が来るまでの時間が長くなったとしても、客は景色を見ながら待ち時間を過ごせるだろう。 


 

12:50、記念館から直線距離で只見寄りに約600m離れた、会津塩沢に到着。だいぶ前にレールが外されていた事もあり、周辺の路盤は草に覆われていた。

   

 

国道252号線に戻り、坂を下ると「寄岩ヤード」の前を通り過ぎた。「第八只見川橋梁」の前後約1kmの工事区間の北側を担っていて、ヤードから只見線の路盤に導入路が敷かれている。 

 

坂を下ると前方に「第八只見川橋梁」が見え、国道の寄岩橋(改修工事中)から復旧工事を眺めた。

 

橋桁の流出は無いが、橋脚洗掘・盛土崩壊・路盤沈下・土留壁変状など約1kmにわたり多くの被害を受け、復旧費用は運休区間最大の約25億円となっている。

  

トラス橋部以外の橋脚や路盤の擁壁は露出していて、川床には大型土嚢が積まれm重機が動いていた。滝ダムの貯水量が低かったのは「第八」の復旧工事のためだったと知った。

 

路盤には大量の物資が載せられてあった事もあり、再架橋工事を伴わないながら「第八」は費用に見合った大規模な補修・補強工事であることを改めて思った。

   

「第八只見川橋梁」のトラス橋の正面には、只見川浚渫工事用の泊地が築かれている。浚渫船が大量に陸揚げされていて、変哲の無かったコンクリートの構造物が、それらしく見えるようになったと思った。

 

 

12:48、会津蒲生に到着。周辺の枕木の一部はコンクリート製になっていたが、運休前に交換されたモノのようだった。

 

ホームの前には、白と紫が鮮明なジャーマンアイリス(ドイツアヤメ)が綺麗に咲いていた。

 

駅は「蒲生岳」の登山口が近く、登山者用駐車場には多くの車両が停められていた。明日予定されていた山開き登山は、新型ウィルス感染防止を理由に中止となったが、多くのハイカーが訪れている事に安堵した。


 

国道を進み八木沢スノーシェッドを抜けると「八木沢SSヤード」があり、重機が置かれ、未だ工事が終わっていないようだった。

八木沢地区は「平成23年7月新潟福島豪雨」で被害が大きく、山側の法面補強などで手間と時間が掛かるのだろうと思った。

  

 

国道をさらに進むと叶津地区に入り、只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)が現れた。半径250mで緩やかに大きく曲がっている美しい鉄道橋で、豪雨被害は無く、今も復旧工事も行われていない。

  

 

叶津川橋梁を二度潜り抜け、只見線を右手に見上げながら進み、熊野神社の参道前で自転車を停める。そして石段を登り、只見線の路盤を眺めた。レールが撤去された路盤は整地されてはいたが、新たなレールは叶津川橋梁から只見方面まで未だ敷設されていなかった。山側からの土砂流入を誘発する沢の整備や擁壁工事などを済ませた後に、一気にレールを再敷設するのだろうと思った。

 

 

国道に下りて先に進むと、「只見①ヤード」があった。導入路に敷かれていた鉄板はほとんど撤去されていて、重機を必要とする工事が終わった事が察せられた。 

 

 

国道をさらに進み、只見町の市街地が見えてくると「只見②ヤード」があり、車両があり警備員も立っていた。

 

只見線の法面では重機が動き、大型土嚢を斜面下に置く作業が進められていた。

   

山側の斜面をよく見ると、コンクリート製の枕木が並び置かれていた。

  

 

  

13:11、只見に到着。空きスペースには、レールが並び積まれていた。

  

駅の東側の空き地には大量のコンクリート製枕木も積まれ、その脇では路盤に敷くバラスの積み込み作業が行われていた。この量から、八木沢工区に敷設される物資だと思った。

 

 

駅舎に移動し、中に入った。

 

「只見町観光まちづくり協議会」の事務所の前のベンチに掲げられた“キハちゃん”は、マスク姿だった。

会津地方では、新型コロナウィルスの感染者はゼロでだが、奥会津の只見町でもこのような配慮がなされている事に、このウィルスの怖さと不気味さを改めて感じた。 

 

 

  

代行バスの出発まで約1時間あるということで、「ひとっぷろ まち湯」に向かい、サイクリングの汗を流す事にした。

男風呂の利用者は誰もおらず、鉄道風景画家の松本忠氏の「橋上遊覧」を見ながら、湯船にゆっくりとつかった。 *参考:松本忠「もうひとつの時刻表」福島県(只見線)3

  

「ひとっぷろ まち湯」を後にし、昼食にマトンケバブを食べたいと思ったが、店は休業中で、1Fのコンビニでおにぎりなどを調達。そして、自宅用に限定商品の米焼酎「継ねっか」と「ばがねっか」を購入した。

「継ねっか」のラベルには河井継之助が描かれていて、今年9月の全国上映が延期となってしまったが、映画『峠 最後のサムライ』により地域を盛り上げようとする姿勢が伝わった。 


 

駅頭のベンチに座り待っていると、代行バスが到着。輪行バッグを抱え乗り込んだ。

14:32、私を含め3名の乗客を乗せた代行バスが只見を出発。 

  

 

 

15:22、代行バスは国道を快調に進み会津川口に到着。駅舎を抜けるとキハ120形2両編成が待機していた。私は後部車両に乗り込んだ。

15:29、会津若松行きの列車が会津川口を出発。乗客は2両合わせて10名ほどだった。

  

上井草橋をくぐると、大志集落が見えた。往路とは違った風景だった。


 

 

列車は奥会津を快調に進み、七折峠を下り、会津平野に入る。前方には、朝は見えなかった「磐梯山」の稜線がはっきり見えた。

 

 

左の車窓からは、西部山地の稜線も見えた。

 

明日登る予定の、「明神ヶ岳」(1,084m)の山頂付近も確認できた。


 

 

17:18、列車は会津若松に到着。今夜は、明日の「明神ヶ岳」登山に備え、会津若松市内に宿泊予定。

   

 

復旧工事現場を巡る旅が無事に終わった。

気にしていた「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」の工事進捗は対照的だった。崩落事故があった「第六只見川橋梁」は、「第七只見川橋梁」と同じようにケーブルエレクション工法を用いるにしても、雪が降る前にどこまで架橋が進むか心配になった。

「第七只見川橋梁」は順調のようで、今年中に真新しい下路式トラス橋が只見川の両岸をつなぐ姿が想像できた。

「第八只見川橋梁」は、各種補強工事がどのような形で施されるのか改めて興味がわいたが、これから梅雨本番で、水面下の工事が順調に進むのか気になった。

  

今回、只見線の復旧工事現場を全区間で見たのは3度目だが、「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」の再架橋工事が本格化し、工事機材や部材が大型化してゆく様子を目の前にして、掛かる費用が莫大である事を実感し、焦りにも似た気持ちになった。

只見線の現運休区間は“大赤字区間”で、もともと多いとは言えない沿線人口が減少し生活利用が見込めない事を承知で、福島県を中心に沿線自治体は上下分離方式という“自腹を切って”復旧・運営することを決定した。観光利用を主目的に据え、“観光鉄道「山の只見線」”を掲げ、乗客増と沿線への経済波及効果を目指している。

しかし、この地道な努力の成果が表れ定着するのには時間がかかり、現在はコロナ禍で東南アジアを中心とするインバウント需要もピタリと止み、車内や沿線の撮影ポイントは閑散としている。

現在進められている工事は、約81億円もの復旧費用をかけ、年間2億1千万円の運営費をJR東日本に支払い続け、空気を運ぶ列車を動かすために行われているのではない。もちろん、列車の写真を撮ってもらうためでもなく、観光客が車窓からの景色を楽しみ、目的地で買い物をして宿泊してもらいたいと願い、全線を再びつなぐ工事が行われているのだ。

観光目的の乗客(乗るだけの客でもOK)を増やす取り組みが、喫緊の課題だ。既に動いている「只見線利活用事業」も含め、列車を撮影する“撮る人”に対する施策を一旦止め、“乗る人”を増やす策に資源を集中させ推し進めるべきだ。

そのためには、まず「只見線利活用事業」を中心となって進める福島県、特に担当部署である只見線再開準備室を中心とする生活環境部の関係者が、自らが只見線の列車に乗って『どうすれば乗りたいと思うか』『何をすれば沿線での滞在時間をのばせるか』を考え、多額の費用に見合った効果を出すという強い意思を持つ必要がある。県庁に勤める職員の大半が住む中通りから只見線に乗る事で、需要が見込まれる都市部の住民が望むモノやコトの発見が期待できる。

そして、我々福島県民、特に人口の多い中通りの住民が只見線を“Myレール”の意識を持って、定期的に乗る雰囲気、文化を創り出す必要がある。できれば、成年の県民が年2回、只見線に乗って欲しい。

 

只見線は、乗るために復旧される。私は引き続き只見線に乗り、沿線を巡り発信することで、一人でも多くの方が『只見線に乗ってみたい』『次はいつ乗ろうか?』と思ってもらえるようにしたい。

 

 

(了)

  

 

*追記:福島民報 2020年6月11日付け 紙面(1面)より

地元紙が、1面で『只見線復旧に遅れ』と報じた。「第六只見川橋梁」の現場で発生した崩落事故が原因で『当初予定していなかった作業が生じ、計画よりも時間がかかっている』という。

2021年度中の工事完了目標は、現在のところ維持しているが、『今後の工程を精査し、作業の遅れが計画全体に及ぼす影響や、遅延をどの程度取り戻せるかなどを判断する方針』だという。


 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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