金山町「袖の窪山」登山 2025年 春

観光鉄道「山の只見線」”の利活用について、私的に候補を挙げている“只見線百山”の検証登山。今日は「第六只見川橋梁」の背後に聳える山塊の奥にある二等三角点峰「袖の窪山」に登ろうと、JR只見線・会津川口駅で下車し、輪行した自転車で湯倉地区にある取付き点に向かった。

   

「袖の窪山」は金山町の中心からやや西に位置し、越後山脈上の一等三角点峰「貉ヶ森山」(1,314.9m、会津百名山46座)の枝尾根にある二等三角点峰だ。

*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *色別標高図、筆者にて文字(黄緑)入れ 

只見線との関係では、会津若松側から「第六只見川橋梁」の背後に、「袖の窪山」山頂から延びる稜線の東端、831m標高点と思われるピークが見える。

 

「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂)によると、「袖の窪山」はこの金山町の1座のみとなっている。

そでのくぼやま 袖の窪山 (高)953m
福島県大沼郡金山町。只見線会津越川駅の北北西4km。西北西1kmにかたいた倉山がある。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p575)

 

「袖の窪山」は登山道が無く、ネット上を見ても山行記は見当たらなかった。“藪山”である可能性が高いため『登山は若葉が茂る前の早春』とし、湯倉地区を取付き点としている「点の記」に倣って登山に臨んだ。

 

今日は晴れ時々曇りの予報で、天候に問題は無く、冬眠から覚めているクマに出遭わないことだけを念じて金山町に向かった。

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の春- / -私選“只見線百山”候補の山行記-

 

 


 

 

今回は、自宅のある郡山市から旅を開始。

今朝、磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かった。

切符を購入し改札を通り、1番線ホームに向かった。列車は待機中で、輪行バッグを携えて乗り込んだ。

 

5:55、会津若松行きが郡山を出発。今回の切符は、「小さな旅ホリデー・パス」。郡山市からの只見線の旅には欠かせない切符だ。

 

沼上トンネルを抜けて会津地方に入り、猪苗代を出ると「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)の山頂は雲に覆われていた。

 

7:11、会津若松に到着。上空には雲が広がっていたが、青空も見えた。

改札の脇には、「ぽぽべぇ」のパネルが立ち、市内の障がい者支援施設の方の手により、木枠に和紙を貼って作られた赤べこの親子が置かれていた。

構内の売店で買い物をして、改札に入った。その脇の「べこ牧場」には、前回訪問時と変わらず2匹の赤べこがいたが、“名前募集中!”と記された札と応募箱が設置されていた。

 

跨線橋を渡り、只見線のホームに向かった。北東に見えるはずの「磐梯山」は、全体が雲に覆われていた。

4-5番線ホームの下り、待機中の列車に乗り込んだ。列車はキハE120の2両編成で、先頭が旧国鉄色だった。

席に荷物を置いて、ホームを少し歩き北にある駐機場を見ると、びゅうコースター「風っこ」号が見られた。

この「風っこ」号は、臨時の「只見線満喫」号として先月26日からGWにかけて計6日運行されている。ただ、現在会津川口~只見間が今冬の大雪による雪崩被害により区間運休なため、只見までは行かず、会津川口止まりになっている。*下図出処:東日本旅客鉄道㈱東北本部「春の臨時列車のお知らせ」(2025年1月17日) *「風っこ」号以外の項目は筆者にてモザイク加工

列車に戻り、乗り込む時に足元を見ると、「ぽぽべぇ」が描かれたステッカーが、破れることなく乗車位置を示していた。

 

7:41、会津川口行きに列車が会津若松を出発。客は先頭に15人、私が乗る後部車両は6人だった。

 

列車が七日町西若松を経て市街地を抜けると、大川(阿賀川)を渡った。上流側には「大戸岳」(1,415.9m、同36座)の山塊が見えた。

 

会津本郷を出た直後に会津若松市から会津美里町に履いた列車は、会津高田手前で宮川を渡った。西部山地最高峰の「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)と、その左後方にまだ雪を多く残した「博士山」(1,481.9m、同33座)が見えた。

 

“高田 大カーブ”で進路を西から北に変えた列車は、根岸新鶴を経て、若宮手前で会津坂下町に入った。広大な田には、水が張られていた。

 

8:19、会津坂下に停車。ここで会津若松行きの2番列車と交換を行った。

 

会津坂下を出た列車は、ディーゼルエンジンの出力を上げて、右に大きく曲がりながら、会津平野と奥会津とを隔てる七折峠に向かった。

登坂途上、開けた場所から会津平野を見下ろした。

  

列車が塔寺を経て、登坂を終えて下りに入ると、“坂本の眺め”から「飯豊山」(2,105.2m、同3座)を主峰とする飯豊連峰を見たが、頂上全体に雲が掛かっていた。*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山 

この後、まもなく会津坂本に停車。貨車駅舎(待合室)に描かれた「キハちゃん」が迎え、そして見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg

 

8:41、柳津町に入った列車は、しばらく駆けて会津柳津に停車。客の下車があった。

 

郷戸手前では、“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)の山肌の緑のモザイクは、前回より鮮明になっていた。

 

列車は滝谷を出発直後に、「滝谷川橋梁」を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

そして、会津桧原を出て桧の原トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。上流側の駒啼瀬の渓谷は、新緑に覆われ、活き活きとした景観だった。*只見川は、東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

右岸、上方の鉄塔の下にカメラを向けてズームにすると、「第一只見川橋梁ビューポイント」のCポイントの最上段のDポイントに、それぞれ“撮る人”の姿が見られた。

 

会津西方を出発直後には、「第二只見川橋梁」を渡った。上流側の「三坂山」(831.9m、同82座)の山肌には新緑が見えた。*只見川は柳津ダム湖

 

列車は減速し、「アーチ3橋(兄)弟」の次男・宮下橋を見下ろしながら、長男・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

会津宮下に停車すると、上り3番列車と交換を行った。

 

会津宮下を出ると、東北電力㈱宮下発電所の背後を経て、まもなくゲート1門から放流している宮下ダムの脇を通った。

宮下ダム湖にせり出した木々の緑は多様で、見応えがあった。

しばらく宮下ダム湖の右岸縁を駆けた列車は、「第三只見川橋梁」を渡った。下流側を見ると、「三坂山」の南裾を穿ち通されている国道252号線の高清水スノーシェッドが、鮮やかな葉が繁った木々に囲まれていた。

上流側の両河岸の緑はモザイクを創っていた。右岸中央には、三島町‐金山町の境を流れる界の沢の滝が落ち、早春の良い景色にアクセントをつけていた。

 

9:20、列車は早戸に停車。下流側の活火山「沼沢」の北東裾の方に目をやると、観光和舟が浮かび、船頭と客2人の姿があった。

 

早戸を出た列車は金山町に入り。8連コンクリートアーチの細越拱橋を、左に大きく曲がりながら駆けた。

 

会津水沼を出発してまもなく、列車は「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

 

右車窓から東北電力㈱上田発電所・ダムが見えてまもなく、列車は上田ダム湖沿いを駆けた。木々の間から見えた左岸の山肌には岩肌・常緑樹・新緑・残雪が見られ、奥会津を象徴する雪食地形に早春の彩りを添えていた。*参考:国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所「雪崩によって作られる地形~奥只見」/ 国土地理院「氷河・周氷河作用による地形」アバランチシュート 

 

会津中川に停車すると、駅舎脇の農業用倉庫の壁に金山町の観光案合図が掲げられていた。

 

会津中川を出た列車は、大志集落の背後を駆け、只見川に近づき右岸縁を駆けた。前方には巨大な林道の上井草橋が見え、徐々に近づいてきた。

右に大きくカーブしながら進む車内で、右車窓から振り返って見ると、只見川に突き出た大志集落が見えた。

只見川の“水鏡”の冴えはいまひとつだったが、「岳山」山塊が映り込んだ川面を取り囲む光景は見ごたえがあった。*参考:金山町観光情報サイト「奥会津ビューポイントかねやまふれあい広場」/ 拙著「金山町「岳山」登山 2024年 春」(2024年5月4日)

 

 9:43、列車は、終点の会津川口に到着。

降りたのは、私を含め4人だった。

 

10:08、駅頭で自転車を組み立て、会津川口駅前を出発。今回は移動距離が短いこともあり、DAHON社の折り畳み自転車にした。組立‐収納とも1分以内で済む手軽さは、大きな魅力だ。

 

駅前を東西に延びる国道252号線を西に進み、西谷の坂を越え、下り坂の途中で「第五只見川橋梁」を眺めた。

現在の運休区間である会津川口~只見間は、緑が多く、この時期は多様な緑色の新緑や山桜などが“山が咲いている”と思ってしまうほどの美しい風景が見られる。乗車した観光客の目を楽しませる機会を逸した運休が、恨めしかった。

 

西谷集落を抜け、只見川に架かる西谷橋を渡ると、「第六只見川橋梁」の背後に「袖が窪山」山頂の東に位置する861mピークが見えた。

 

国道を進み、只見線の本名架道橋を潜った後に旧国道に入り、東北電力㈱本名発電所・ダムの天端の中央部に行き「第六只見川橋梁」を眺めた。

そして、真下をのぞき込み、洪水吐ゲート2門から豪快に放流されている激流眺めた。吸い込まれるような、勢いたっだ。

 

国道に戻りバイパスの本名トンネルを潜り抜け霧来沢橋梁を渡ると、河口が本名ダム湖の一部となったような霧来沢が見えた。そして、上流側に移動する泳跡を認め、それを追うと悠然と水面を進む鴨が居た。

 

渡橋するとまもなく分岐になった。左は湯倉集落に下る道になっているが、私は右の側道に入った。

 

側道の先には何も無かった、事前にGoogleMap®で確認していたが、この側道は、地元の方が山作業や山菜・茸採りをする用に、本名バイパス建造時に設けられたものだと思った。

ガードレールの終端に自転車を停めて、熊鈴やクマ除け用の電子ホイッスルを身に付けるなど、登山の準備をした。

 

10:50、「袖の窪山」に向けて登山を開始。

さっそく林の中に入るが、下草などが疎らで、地域の方により手入れされているようだと思った。

 

足元には、春の花が見られた。薄紫のイチゲ。

カタクリの群生。

おもわず『天ぷらも旨いだろうなぁ』と思ってしまった、採り頃のワラビもあった。

 

まもなく前方が開け、尾根の南斜面になった。

斜面一面には幼木や灌木が繁っていたが、雪融け間もないということからか、進路を阻むほぼ強い弾力は持っておらず、また葉は芽吹き始め小さいということで、登り進むに支障は無かった。

 

斜面を登り切り尾根に乗ると、藪が密になった。ただ、幼木・灌木の柔らかさは変わらず、苦なく進めた。

急坂も、灌木をつかみながら、スイスイと進めた。

 

11:25、スギ木立に入った。

藪は無く、スギの落ち葉が足元に堆積しフカフカで、膝の負担が軽減された。

スギ木立の両側は、ブナ林だった。新緑に陽光が降り注ぎ、目が癒された。

スギ木立の中にも、芽吹きがあった。早春の登山は植物を中心とする生命を感じられる、と改めて思った。

 

10分ほどでスギ木立が終わり、尾根はブナに包まれた。

 

傾斜があるため、地面を見ながら進むことになったが、ケモノが通ったようが足跡も見られた。大きさからクマではないと思われたが、春になり多くの動物が活発に動き始めたのだろうと思った。

ここから、クマ除けの電子ホイッスルを鳴らす頻度を増やし、適宜、「北大クマ研」の“ポイポーイ”を叫びながら登り進んだ。*参考:北海道新聞「「ポイポーイ」クマよけのかけ声が響く北大天塩研究林 地図とコンパスで広大な山林を調査して歩く北大クマ研のヒグマ調査に同行」(2022年9月15日) URL: https://www.hokkaido-np.co.jp/article/730946/?pu

 

途中、雪重で折れたと思われる木が見られた。

 

11:51、前方の傾斜が緩くなり、肩になった。

肩の一部には雪が残り、『下山時に役立つように』とわざと残雪を進み、足跡を残した。

 

肩を過ぎ、短い急坂を登ると、再び肩になった。ここには多くの雪が残っていた。

肩を過ぎ、また急坂を直登した。

大きな倒木を横目に登り進んだ。

 

12:09、急坂を登り終えると、またまた肩になった。ここは、東西にかなり長い肩で、美しい立ち姿のブナが林立し、素晴らしく心地よい空間になっていた。

大きく息を吸い込み、目の前の急坂を直登した。

 

12:16、4箇所目の肩になった。ここまで大きな肩が続いた山は初めてで、「袖の窪山」の特徴になると思った。

ここで、小腹が空いたのでココナッツサブレを食べた。

この肩の多さは何だろうと思い、帰宅後に過去の写真を見ていると、降雪期に平たい斜面に“肩の波”が見られた。地図の等高線では表現できない、おもしろい地形だと思った。

 

12:31、再出発。この先は直登せず、手元の地理院地図を見て、ひときわ明るい北東の尾根を目指した。

 

みたび倒木の脇を通り過ぎた。朽ちてはいるが“森の栄養”として役割を果たしているのだろうと思った。

 

雪上を登り進むと、明るさが増し尾根に着いたようだった。

尾根は痩せていて、藪が密集していた。

密だが柔らかい藪を掻き分け登りすすむと、足元にイワウチワの群れが見られた。

 

そして、逆木が生える岩場を越えると...、

右側が大きく開け、会津総鎮守・伊佐須美神社の創建の地で、会津の名の“発祥の地”と言われている「御神楽岳」(1,386.3m、新潟百名山)が見えた。「御神楽岳」はこの後、何度も目にすることになった。*南東には会津百名山49座の「本名御神楽」(1,266m)が近接している。


この先、藪尾根は急坂になり、まもなくピークが近づいた。

12:59、ピークに乗った。地理院地図上では標高は772mだった。

足元を見ると、野焼きの跡が。誰が、どんな目的で火の起こ火の熾したのだろうかと思った。

この772mピークからは、麓が見えた。

本名ダムと「第六只見川橋梁」、その先に本名集落と只見川を挟んで西谷集落。2時間30分前に西谷橋でこの山を眺めたが、『山側から見るとこう見えるのか』と独り言ちた。

そして、周囲に見える山々から「飯谷山」を同定すると、その奥に「磐梯山」がうっすらと見えた。

 

13:05、772ピークを後にした。尾根は整備された登山道のように歩き易い空間が、しばらく続いた。

まもなく、右側の開けた場所から二度目となる「御神楽岳」を拝んだ。伊佐須美神社がこの山で創建されたということで、この山は最初の山岳遷座地となっている。伊佐須美神社は、この後2箇所の山の遷座したということで、私は個人的に遷座三峰”と名付け、「御神楽岳」を第一峰としている。*参考:拙著「金山町「本名御神楽・御神楽岳」山開き登山 2019年 初夏」(2019年6月2日)

 

先をどんどんと進むと、タムシバか白く大きな花のつぼみが見られた。この自然の白は、素晴らしく綺麗だと見入った。

 

歩き易い“登山路”は、更に続いた。ケモノ道で、クマも通っているのだろうと思ったが、体力・気力が消耗せず助かった。

 

13:12、尾根は鞍部に続く、緩やかな下り坂になった。

鞍部の開けた場所で、また「第六只見川橋梁」が見えた。

さきほどの772mピークより標高を下げたこともあり、奥行きが感じられる構図だった。会津川口駅から近い中世の山城「玉縄城」の中腹にあるビューポイントの位置も確認できた。*参考:拙著「金山町「玉縄城跡」トレッキング/三角点「尻吹峠」・「早坂」探索 2023年 紅葉」(2023年11月5日)

  

鞍部に下り、先の尾根を確認した。地理院地図の等高線の通りの凹凸の尾根筋だったが、鞍部は浅く、登り返しが苦にならないだろうと思った。

ここの鞍部は長く、少し進むと、樹皮が剝がされたマツが立っていた。剥がされて間もないようで、冬眠から覚めたクマが、腹ごしらえにやったのだろうと思った。

クマが居る中での山行であることは分かっているが、やらかして間もない痕跡を見ると恐れを感じざるを得なかった。クマ除けの電子ホイッスルを数回鳴らし、“北大ポイポーイ”を大声で叫び、気を引き締めた。

 

鞍部からの登り返しの途中、右側が開けた場所で「第六只見川橋梁」の方を見ると、麓は尾根に隠れていた。

 

“登山路”は続いた。ナイフエッジのような尾根を避け、左側の斜面に延びる場所もあった。

途中、今冬の大雪で折れたと思われる、断面が明るい色をした倒木が“登山路”を塞いでいた。跨げず、潜って抜けた。

 

13:34、尾根が平たくなり、前方が大きく開け、雪上に乗った。

少し登り進み右(東)の突端に立つと、木枝の間に「第六只見川橋梁」が見えた。

結果ここが、「第六只見川橋梁」を確認できる最後の場所で、861mピークの北東縁のようだった。

 

雪の残った平尾根はしばらく続いた。

逆木を作り出す、灌木に載った雪も見られた。


13:43、150mほど進むと雪原に出た。気持ちよい空間だった。前方がピークになっていることから、この付近が861m標高点のようだった。

雪原は雪深があるようで、木々の根元は根開きしておらず、地表は見えなかった。

雪上を進んでゆくと木の生えていない空間があり、よく見ると木の根元部分が残っていた。巨木が倒れ開けた場所のようだった。

 

雪原を越えると、丈の低く、薄いササ藪になった。“登山路”は消え、尾根筋を確認しながら、ササを掻き分け進んだ。

 

13:51、尾根は鞍部への下り坂になった。861mピークを越えて、麓から見えなかった「袖の窪山」山頂に続く尾根に入るようだった。

鞍部は浅く、すぐに登り返しになったが、ほとんど傾斜は無かった。藪も雪融けまもないようで、倒れたものが多く、おかげでスイスイと進めた。

 

13:59、また鞍部に下った。

下る途中、右前方に、「袖の窪山」山頂と思われるピークが見えた。『まだまだ先だなぁ』と思った。

 

鞍部からの登り返し。ここも難なく進めた。

 

14:05、登り返しを終えると、“遷座第二峰”の「博士山」と「志津倉山」(1,234.2m、会津百名山50座)の山塊が見えた。

ここから少し進むと、藪山の大敵・シャクナゲが現れた。『ナゲ場がありませんように』と願っていたが、叶わなかった。

ナゲ場は、しばらく尾根全体を覆い、トラバースしても意味なくすぐに尾根に戻り、唸り声をあげながら進んだ。シャクナゲは藪山最強の障害物、ということを改めて痛感した。

 

14:23、ナゲ場が薄くなり、右が開け、三たび「御神楽岳」山塊が見えた。

  

14:31、登り返しを終え、ピークから藪を掻き分け少し進むと、“雪の馬の背”が現れた。左右に眺望が得られた。

右(北西)には、新潟県境に連なる山々から「御神楽山」山塊に続く稜線。

左(南東)は、山座同定ができなかったが、南会津町の旧伊南村周辺の「大博多山」(1,314.7m)や「尾白山」(1,398m)から西に、只見町の「城郭朝日山」(1,448.3m)と思われる山々が見られた。

そして、左下の方にカメラをズームにしてみると、只見線の会津越川駅が確認できた。

 

眺望を楽しみ、“雪の馬の背”を進むと、先には激藪が待っていた。

 

14:36、激藪を越えると、鞍部への下り坂になった。

この鞍部も短く、すぐに登り返しになった。斜面には雪が残っていたが、固く締まっていて、問題無く登り進めた。

 

14:41、ピークに乗った。手元の地理院地図とGPSを確認すると、890m標高点のようだった。南南東の開けた場所からは、越川地区の家々と、その背後に台形型の「戸板山」(957.6m)が見えた。

この890mピークには、“登山路”が出来ていた。

890mピークから、鞍部に下った。“登山路”は続いていた。

下り進むと、木々の間から「袖の窪山」山頂と覆われるピークがうっすらと見えた。

ただ、この鞍部は、思いのほか深かった。

300mほどで鞍部になったが、V字のようですぐに登り返しになった。帰宅後に調べてみると、この鞍部は820mで、70mも下っていた。

 

登り返しは急坂だったが、“登山路”ができていたため、さほど苦労はしなかった。

 

14:52、右が大きく開け、ようやく「袖の窪山」山頂を見る事ができた。『もうすぐだっ!』と歓喜し、気合が入った。

....がしかし、直後に激藪が現れた。先ほどのナゲ場ほどではなかったものの、進むのに難儀した。

 

登り返しを終えたと思ったら、また下りになり、するととシャクナゲの淡いピンクの花が目の前に現れた。『また、ナゲ場!?』と身構えたが、ここのシャクナゲは疎らで、ナゲ場というほどの場所ではなかった。

ここの鞍部はかなり浅く、底部は長めの平場だった。

両側の木々が疎らで『風通しの良い鞍部だなぁ』と思ったところ、足元を見ると黒いコロコロした、少し乾いた物体があった。クマ尻からの落とし物だった。ここは、クマのトイレになっているようだった。

また、少し進むと図根標石が埋め込まれていた。

 

鞍部からのの登り返しは、長い急坂だった。藪も濃く、少々難儀した。

登り返しの急坂の傾斜が緩み肩になると、藪は疎らなササ群に変わった。そして、足元に人工的な青色が見え、近づくと時間が経過したブルーシートの一部だった。『なぜ、ここに⁇』と思ってしまったが、明治38年10月の三角点標石埋定以後、人がここまでやってきていることが分かり、ホッとした。

肩の先は、激藪の急坂になった。山頂が近いということで、出力を上げ突き進んだ。

この急坂はササは疎らだったが、灌木が逆木になっていた。唸り声を上げながら、越えた。

 

15:13、藪を抜けると、岩場が現れた。

岩場に取付くと、鮮やかな黄色い花が咲いていた。

 

少し登り振り返ると、登ってきた凹凸の尾根が見えた。尾根筋は、地理院地図通りだが、木々や灌木などの植生は、現地でなければ分からないと、しみじみ思った。

この岩場からの眺望は良く、しばし山々を眺めた。

「博士山」は、さらに全体が見えるようになっていた。

「戸板山」(957.8m)、なかなかの風格だった。三等三角点峰のため、“只見線百山”の候補には入れていないが、こうしてみると登ってみたい気になった。

この「戸板山」の手前に見える越川地区に向けてカメラをズームにすると、只見線の「大川入沢橋梁」と、国道252号線との間に建つ赤い屋根の家が確認できた。

この家の住民の方は、在宅していれば只見線の列車が通る度に手を振ってくださる、という有名人だ。2022年10月1日の全線運転再開を機に自宅を改装し、列車に向かって手を触れる場所を設けたという。


登山を再開。

岩場を進むと、“裸岩”になった。“裸岩”は急坂だったが踏み場があり、問題無く進めたが、表面が滑らかだったので、雨の日などは滑落注意箇所だと思った。

この“裸岩”から見えた、「戸板山」方面の眺望は素晴らしかった。雪食地形に残雪と鮮やかなブナの新緑がを尾根筋に現れ、奥会津の早春を象徴する美しい景色が広がっていた。この風景を見るために「袖の窪山」に登りたい、と思えるような絶景だった。

東の「博士山」に向かってカメラをズームにすると、さらに見える山容の範囲が広がった。一等三角点峰に相応しい山容だと思った。

北には「御神楽岳」が、見られた。


“裸岩”を登りきると、再び灌木が突き出た岩場になり、間近にピークが見えた。地理院地図を見ると、山頂尾根のようだった。 

 

15:24、山頂尾根に乗ると、激藪が迎えてくれた。『山頂はすぐそこっ!!』と、意地になって藪を掻き分け乗り越え進んだ。

まもなく藪の切れ間から右前方に、山頂らしき平場が見えた。


少しずつ、山頂が近づいてきた。藪を漕ぐ手により力を入れ、絡め取られた足を力強く引き抜き、登り進んだ。

そして、『山頂への関所か!?』とおもわずつぶやいてしまった、背丈を越えるナゲ場を唸り声をあげながら進み抜けた。

 

 

15:31、前方が開け、その先にピークが見えない平場となった。

『山頂に違いない』と思い少し進むと、根曲がりしたマツの枝下に標石を認めた。 

三角点標石に間違いなかった。

側面を見ると、“二等”の文字が刻印されていた。この標石、この文字を見るために登ってきたが、久しぶりに拝めたので感激した。

*「袖ノ窪山」:二等三角点「袖ノ窪」
基準点コード: TR25639131601
北緯:37°25′43″.9317
東経:139°27′02″.0246
標高(m):952.64
埋定:明治38年10月17日
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」
(URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/) 


15:34、二等三角点峰「袖の窪山」に無事登頂し、標石に触れ登頂を祝った。湯倉地区の取付き点から、4時間44分掛かった。想定より40分ほどオーバーした。

 

山頂からの眺望は、まずまずで、“遷座三峰”の第一峰と第二峰が見られた。

まずは、北には第一峰の「御神楽山」。灌木は疎らで、三角点標石越しに見られた。

西には、第二峰の「博士山」。こちらは一番開けていて、少し遠かったが、三角点標石越しにその山容を確認できた。

 

南は、灌木やマツに塞がれ、眺望は良くなった。

登ってきた東は、南ほどではないがマツや灌木が視界を塞ぎ、三角点標石越しには、良い眺望は得られなかった。


15:38、列車に乗る前に、温泉に浸かりたかったので、水分を補給し、短い滞在を終え「袖の窪山」山頂を後にした。

 

下山も同ルートで、山頂尾根の東突端で立ち止まり、凸凹尾根を見下ろして下山のイメージをした。 

 

尾根筋をズンズンと進んだ。

途中、足元に人工物を認め近づくとポケットティッシュだった。登山中に、リュックのポケットから落ちたようだった。

 

16:22、“雪の馬の背”を通過。

中ほどで、振り返って西の方を見ると、山稜の上が、染まりはじめていた。急がなければ、とクマ除けの電子ホイッスルを鳴らしながら下山スピードを上げた。

 

16:49、861mピークの北東端に行き、木枝越しに、「第六只見川橋梁」を見収めた。

後方に目を向けると、登山時に「飯谷山」越しにうっすらと見えていた「磐梯山」が、その稜線をはっきり見せていた。

 

17:02、平尾根で短めのルートロスをした後、焚き火跡があった772mピークを通過。

ここで、左後方を振り返り、伊佐須美神社創建の地(遷座第一峰)「御神楽岳」の見納めた。

 

快調に下山し、ブナ林の中の残雪部に入った。自分の足跡をたどり勢いよく下ってゆく。

 ...が、途中、足跡が不明瞭になったのを気付かずに真っすぐ進んでしまい、ルートロスしていまった。ブナ林の中は、暗くなりつつあり、クマ除けの電子ホイッスルを頻繁に鳴らしながら、地理院地図とGPSを見て、登山時のルートを探った。

 

17:33、結局、雪上に残した足跡は見つからなかったが、登山時に通過したスギ林に入る事ができた。

スギ林を抜け、灌木の幼木が繁った斜面を下ってゆくと、左前方に国道252号線本名バイパスの霧来沢橋が見え、その後、右前方に湯倉地区の家々の屋根が見えた。

『もうすぐ取付き点!』と電子ホイッスルを鳴らしながら急坂を下りると、取付き点が見えてきた。

 

17:45、自転車を停めた場所に戻った。「袖の窪山」山頂から2時間7分で下山した。道迷いはあったものの滑落無く、何よりクマに遭遇せずに無事に戻る事ができた。

「袖の窪山」登山を無事に終えた。久しぶりに三角点標石に触れられ、山頂からの良い眺望が得られ、さらにクマとも遭遇せず、上々の山行となった。

 

今回登頂し、登山路の整備(特に山頂尾根の藪・灌木の刈払い)が前提になるが、湯倉地区を取付きとする「袖の窪山」は“只見線百山”に入れるべきだと思った。但し、選定当初に「袖の窪山」とセットにしていた、近接の「かたいた倉山」(957m)と四等三角点「湯岳山」(612m)は、距離的・ルート状況的に「袖の窪山」に含めるのは無理があると判断した。

「袖の窪山」を“只見線百山”に入れるべき理由は、次の7点。

①ルート上に、只見線「第六只見川橋梁」のビューポイントがある
②急坂が少なく、鞍部もさほど深くなく、登りやすい
③広いブナ林を歩きながら進むことができる
④雪食地形・アパランチシュートを見られる場所が多い
⑤伊佐須美神社“遷座三山”の「御神楽山」と「博士山」の全体が良く見える
⑥山頂からの眺望が良い
⑦下山後に、湯倉温泉に浸かれる


問題は二次交通。

湯倉取付き点の最寄りは只見線・本名駅となるが、通り道となる国道252号線本名バイパスの本名トンネル(1,429m)は難所だ。一応、歩道は整備されているが、幅狭で車道から高い場所にあるため、快適な歩行は望めなく、自転車は通れず車道走行になる。さらに、気密性が高いせいか、パイパス内に車が入った途端にトンネル内に轟音が響き、穏やかではいられない。

本名駅から“湯倉取付き点”まで、徒歩や自転車での問題の少ない移動を確保するには、現状、旧道の本名スノーシェッドを開放するのが良いと思う。歩行や自転車走行に支障がない範囲で、スノーシェッドの安全が確保されればよいので、開放へのハードルは高くないのではと思う。

 

そして、この案は願望だが、“会津橋立駅”が新設されれば二次交通の問題は無くなる。本名駅と会津越川駅の駅間が長く、湯倉地区の対岸に位置する橋立地区は、“遷座三峰”「御神楽山」や一等三角点峰「貉が森山」の登山口の最寄りといことで、私は“会津橋立駅”の新設を熱望している。ホームと待合室だけの簡素な駅の新設であれば、何億という費用も掛からないだろう。

 

今回の登山で、「袖の窪山」は二等三角点峰に相応しい素晴らしい山だと思った。藪山ではあるので、雪融けまもなく頃がベストな登山時期だ。現状、二次交通の問題はあるが、藪山登りの経験がある方には、只見線を利用し是非登って欲しいと思った。


急ぎ、自転車にまたがり、650m先の「湯倉温泉」共同浴場に向かった。

協力金を集金箱に入れ、男湯に向かった。先客は2人で、急ぎ体を洗い、ゆっくりと熱めの湯に浸かった。

 

18:48、「湯倉温泉」共同浴場から20分ほどかけて、会津川口駅に到着。駅頭には、只見駅行きの代行バスが停車していた。

駅前の押部商店で買い物をし、自転車を輪行バッグに入れ終わると、まもなく列車が入線してきた。そして、下車した数名の客が代行バスに乗るのを見て、輪行バッグを携えて折返し運転となる列車が待機するホームに向かった。

通常この時間は、ホームに会津若松行きと小出行きの最終列車が停車している。区間運休がGWまで解消しなかったことが、恨めしく思えた。

 

19:08、会津若松行きの最終列車が、会津川口を出発。さっそく、「袖の窪山」登頂祝いの乾杯をした。温泉に浸かった後ということもあり、格別に旨かった。

 

今回の登山でも、クマに遭遇することなく終えられたが、熊鈴と電子ホイッスルに改めて感謝した。そして、“北大ポイポーイ”にも。

今回の登山では、万が一、突然クマに襲われた場合、苦し紛れの反撃ができるかも、と思いピッケルを調達し持参したが、“登山杖”としては少々役立った。


ビールを呑み終えた後は、会津酒造㈱(南会津町)のワンカップを呑んだ。アテは、往路に会津川口駅で買っておいた柳津町「赤べこ堂」の杵つき餅だんごのつぶあん。

あんこと日本酒の相性が良いのを、最近実感し、今日も試してみた。やはり、合った。列車の駆ける音を聞きながら、団子を食べながら、チビチビとワンカップを呑んだ。

 

 

20:55、列車は、無事に終点・会津若松に到着。

 

駅舎を抜けると、赤べこのまんまるのお尻が出迎えてくれ...、

駅前のホテルを見ると、窓の灯りの数から、多くの観光客に来ていただいているようだと思った。只見線は区間運休だが、会津若松の観光力は高いようだ、と安心した。

 

今夜は、明日只見線の始発列車に乗って魚沼市に行くため、会津若松市内に宿泊。輪行バッグを抱え、宿に向飼った。

 

 

(了)

 

 

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*参考:

・福島県: 只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日) 

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

  

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以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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