2025年最初のJR只見線乗車は、上京の予定に合わせて、会津若松から小出まで全線乗車した。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線」
・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の冬- / -只見線全線乗車-
2025年を迎え、正月2日の郡山駅前は人通りが少なかった。
切符を購入し、1番線ホームに停車する磐越西線会津若松行きに乗り込んだ。
切符は、今冬シーズから一新された「青春18きっぷ」を使うことにした。自動改札機が使えるようになったが、“グループでの使用不可”“・”5日もしくは3日間の連続使用”という制限が加わり、自由度が下がった。*参考:JRグループ「青春18きっぷ」「青春18きっぷ北海道新幹線オプション券」 の発売について (2024年10月24日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2024/20241024_ho01.pdf
しかし、発売当初(1990年)、“青春”という名の通り、時間のある若い世代がこの切符を使い鈍行列車の旅で鉄道に慣れ親しんで『その後の人生で新幹線や特急などの優等列車に乗るなどして末永く鉄道(旧国鉄、現JR各社)を使った旅をし続けて欲しい』という思惑はさほど叶わず、私のように“青春”を過ぎても使い続ける客が多くなっている現実を考えると致し方ない改変だった。
新しい「青春18きっぷ」を使い、夏休みや冬休みで3日間や5日間を連続して普通列車に揺られ、高校生や大学生が鉄道旅の魅力を知る契機となって欲しいと思った。
10:15、郡山を出発した列車が沼上トンネルを抜け会津地方に入ると、積雪の量が一気に増え、猪苗代付近では降雪で視界が悪くなった。
しかし、磐梯町を出て、会津盆地が近づくと雪は降らず、積雪量も一気に減っていった。
11:21、会津若松に到着。空は明るく、駅周辺にほとんど雪は見当たらなかった。
駅のコインロッカーに荷物を預け、初詣に向かった。今年は「蚕養国神社」に詣でた。
一の鳥居の扁額には『蠶養宮 子爵牧野忠篤謹書』と記されていた。牧野忠篤氏は、小説「峠」の主人公・河井継之助が従した長岡藩牧野家の15代当主で、初代長岡市長を務め、大日本蚕糸会会頭と日本中央蚕糸会会長に就いている。その縁で揮毫したのだろうと思った。
初詣の後に買いものを済ませ、駅に戻った。
改札を脇には、JR東日本 会津若松エリアプロジェクト オリジナルキャラクターの「ぽぽべぇ」と段ボール製の「赤べこ」親子が並んでいた。
改札を通り跨線橋を渡り、只見線の4‐5番線ホームに行き、2号車後部扉前となる停車位置に並んだ。
私が並び始めた時は5人ほどがそれぞれの停車位置に並んでいたが、列車の発車時刻が近づいてくるにつれてその数は増え、列車の入線間近には4箇所の乗車位置に20名を超える客が並んだ。
「青春18きっぷ」の改変で只見線も乗客の減少が予測されたが、この列の中に見られた中華圏からのインバウンドの増加で、現状大きな影響はないのではないかと思った。
12:53、車庫の方面から列車が入線してきた。先頭1号車がキハ110で、後部2号車がキハE120形だった。
13:05、ほぼ満席になった小出行きの列車が、会津若松を出発した。
七日町、西若松の市街地の駅を経て、列車は大川を渡った。上流(南)側に聳える「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)の山塊山塊の頂上付近は雲にガスに覆われていた。
“高田 大カーブ”で進路を北に変えた列車は、根岸、新鶴を経て若宮手前で会津坂下町に入り、再び進路を西変えて会津坂下に停車した。ここでは会津若松行きの列車と交換を行った。
会津坂下を出ると、右に大きく曲がった後に七折峠を登坂した。塔寺手前の木枝の間からは会津平野を見通せた。
只見線の全線乗車ということで、通常ならば“会越地酒の呑み比べ”をするところだが、今回は東京での用が済んだ後に、再び只見線を利用し郡山市に戻る予定を立てているので、今日の往路は“会津の地酒”だけして、「名倉山」を小出駅までチビチビと呑み続けた。
酒のアテは、会津若松駅近くのスーパーで手に入れた会津名物、サシの入っていない馬刺しを選んだ。辛みそが入っているため、箸さえあれば直ぐに食べられるようになっていた。
馬刺しの濃厚な旨味と、濁り酒でありながらさっぱりし、爽やかな香りと甘さ控えめの程よい酸味を持つ「名倉山 にごり生酒」は、想像以上に合った。正月に相応しい華やかで贅沢な酒宴を、車窓から景色を見ながら楽しむことができた。
列車は、郷戸を経て滝谷を出発直後に、会津若松側からの“只見川八橋”の前座を務める滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索」URL: https://www.kanenohashi.com/
上流側、駒啼瀬の渓谷に目を向け、正面の鉄塔に向けてカメラをズームにすると...、
「第一只見川ビューポイント」のCポイントにはカメラなどを構えた6人の姿が見えた。ただ、最上段Dポイントには誰も見当たらなかった。
名入トンネルを抜け、会津西方を出た直後には「第二只見川橋梁」を渡った。*只見川は柳津ダム湖
右車窓に移動し、上流側に目を向けると、「三坂山」(831.9m、同82座) はすっぽりと雪雲に覆われていた。
会津宮下を出た列車は、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を抜けた後、ダム湖の縁を駆けて「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖
左車窓から上流側を見ると、只見川に注ぎ落ちる境の沢の源頭部に位置する「洞巌山」(1,012.9m)方面にはガスが掛かっていた。
「滝ノ原トンネル」(1,026m)と「早戸トンネル」(980m)を続けて抜けた列車は、早戸に停車。ここから、本を読む事にした。この旅で手に取った本は、「博士の愛した数式」(小川洋子著)。
この小説は交通事故により“80分の記憶しかもたない”数学の元大学教授と、彼の家に派遣された家政婦のシングルマザー、そして彼女の息子の物語だった。素数、乗数、友愛数やフェルマーの最終定理など、数学に関わる語句が出てこないページは無いほどだったが、堅苦しさはさほど感じず、人の想いの交錯が軽やかにあたたかな視線で描かれていた。
早戸を出た列車は三島町から金山町に入り、左に大きく曲がりながら8連コンクリートアーチ「細越拱橋」を渡った。
会津水沼を出ると「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖
車内の光景。
会津坂下駅、会津柳津駅、会津宮下駅で少しずつ客を降ろし、両車両ともロングシートを中心に空席が目立つようになった。
15:25、列車は会津川口に停車。今冬、出番が増えているであろう除雪車が引き込み線に停車していた。
そして、しばらくすると小出発会津若松行き列車(2両編成)と交換を行った。この上り列車にもそれぞれ20名ほどの客の姿が見られた。
会津川口を出た列車は、只見川の右岸縁を駆けた後、旧西谷信号場跡の敷地を抜けると「第五只見川橋梁」を渡った。*只見川は上田ダム湖
集落の中にある次駅・本名を出ると、まもなく東北電力㈱本名発電所・ダム直下に架かる「第六只見川橋梁」を渡った。ダムのゲート2門から、豪快に放流されていた。
15:39 、「本名トンネル」(1,473m)を抜け、橋立地区に入ると只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過した。
列車は会津越川、会津横田を経て「第七只見川橋梁」を渡った。*只見川は本名ダム湖
会津蒲生を出て、八木沢地区の背後を通りすぎると只見線最長(372m)の「叶津川橋梁」を渡った。
渡河後まもなく、右車窓からはガスで霞んだ「蒲生岳」(828m、同83座)が、“会津のマッターホルン”の名に相応しい稜線を見せていた。
福島県立只見高校が見え、只見町只見地区の市街地が近づいてきた。田園の雪原にはかなり厚みがあり、今冬の雪の多さを実感した。
16:21、只見に停車。
只見駅は一昨年(2023年)に構内改修が行われ、12月1日に事実上列車交換ができない駅(棒線化)になったが、除雪車の待機線として利用されているようで、反対側の線路が除雪されレールが見えていた。*下掲出処:只見町「議会だより」No.172(2023年7月) 表紙と4ページ *筆者にてボカシ加工と赤線記入
URL: https://www.town.tadami.lg.jp/parliament/2023/08/01/172.pdf
10分間の停車の後、只見を出ると『列車に向かって手を振る方がいますので、振り返してください』との車内放送が流れた。そして、まもなく、宮道踏切(第四種)前で手を振る方々の前を通り過ぎた。駅前にある「只見荘」の女将の姿も見られた。
「上町トンネル」(225m)、3つのスノーシェッドを抜け、「第二赤沢トンネル」(103m)手前で左車窓から電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐ゲートがあり、その後方に霞んだ電源開発㈱田子倉発電所・ダムの谷間を塞ぐ巨大な堰堤が霞んで見えた。
列車はディーゼルエンジンを力強く蒸かし登坂し、「田子倉トンネル」(3,712m)を抜けると「余韻沢橋梁」(88.5m)を渡った。橋上からは田子倉ダム湖の中央部が見えた。
そして、旧田子倉駅のあるスノーシェッドを抜け、国道252号線を潜り抜けると福島県と新潟県を貫く「六十里越トンネル」(6,359m)に突入した。
ほぼ中間地点にある県境を越え、ディーゼルエンジンの出力を落とし、7分ほどでトンネルを抜け新潟県に入った。“国内有数の豪雪地帯”の名に違わぬ、列車に迫りくるような雪塊が続いた。
「第十四末沢川橋梁」(65m)を渡った。上流側には電源開発㈱の末沢川第二取水ダムが見えた。
只見線は「六十里越トンネル」を抜け新潟県に入った直後に、破間川に合流するまでに末沢川を16回渡るが、陽が暮れ暗闇が増す中で、列車が下り基調のレールを速度を上げて駆けるため、渓谷は雪景色は良く見えず、写真も撮れなかった。
17:00、大白川に停車。反対側の線路には会津若松行きの最終列車(キハE120形の単行)が停車していて、交換を行った。
大白川を出た列車は夕闇の雪原を快調に駆けながら、入広瀬、上条、越後須原で数名の客を乗せ、魚沼田中、越後広瀬、藪神では停発車だけした。
17:47、列車は定刻に36駅目の、終点・小出に到着。多くの客の大半が、乗り換えのために跨線橋を渡り、上越線の下りと上りホームに分かれていった。私は駅から1.3km離れたコンビニに行き夕食を調達してから、上り列車に乗って、東京を目指した。
2025年、只見線乗り初めとなる、全線乗車を無事に終えることができた。
今年は、私選“只見線百山”候補の登山回数を増やしたいと考えている。「守門岳」「“越後三山”」「会津駒ヶ岳」「燧ヶ岳」「飯豊山」など、有名どころで難易度の高い山に登り、“観光鉄道「山の只見線」”を取り囲む山々の魅力を感じたいと思う。もちろん、登山口へは只見線+自転車(輪行)で移動し、只見線からの二次交通についても考えたい。
今年もよろしくお願いします、只見線!!。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法
*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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