上京、只見線(会津若松⇒小出)経由 2024年 夏

東京に用事ができたため、JR只見線経由で上京することにした。

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線

・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線

・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )

・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の夏

 

 


 

 

只見線の始発列車に乗るため、会津若松市に前日入り。

今朝、会津若松駅に向かうと、上空には薄い鼠色の雲が広がっていた。

駅舎に入ると、改札の脇には「ぽぽべぇ」が立ち、観光列車「SATONO」号に関する展示がなされていた。「SATONO」号は、今月26日(金)に初めて只見線に乗り入れる。*参考:東日本旅客鉄道㈱「のってたのしい列車」SATONO(さとの) 

改札を通り、跨線橋から只見線のホームを見下ろすと、列車は未だ入線していなかった。

 

4-5番線ホームに下りると、まもなく小出行きのキハE120形が入線してきた。平日ということで、単行(1両編成)だった。これから、夏休みや青春18きっぷの使用期間となれば、平日といえども2両編成になるのだろうと思った。

乗車口に貼られ、一匹の「「ぽぽべぇ」が描かれたステッカーを見て、列車に乗り込んだ。

今回の切符は、会津若松~浦佐間の乗車券と、浦佐~東京間の乗車券+自由席特急券という形で購入した。

 

6:08、小出行きの列車が、会津若松を出発。乗客は、私を含め3人だった。 

 

列車は市街地を進み、七日町で2人、西若松で7人の高校生を中心とする客を乗せ大川(阿賀川)を渡った。上流側の「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)の山塊は、中腹あたりに雲が掛かっていた。

会津本郷を出発直後に会津美里町に入ると、レールの両側には緑稲がなびく田園の間を進んだ。

左車窓から見えるはずの会津総鎮守・伊佐須美神社の“遷座三峰”の、第二峰「博士山」(1,481.9m、同33座)と第三峰「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)は雲に覆われていた。*参考:岩代国一之宮・会津総鎮守・八方除東北総鎮撫「伊佐須美神社」御由緒・由緒 

会津高田で4人の客が降り、列車が“高田 大カーブ”で進路を西から北に変えると、左車窓に西部山地の北に向かって緩やかに下る山容と、その麓に点在する集落、そして綺麗な田園が続いた。

根岸新鶴を経て会津坂下町に入った列車は若宮に停車。ここで、私が初めて見る降車客がいた。平日ということで、只見線の日常利用の一端が見られた。

若宮を出ると、右車窓から広がる田園の先に、雲から突き出た「磐梯山」(1,816.2m、同18座)が見えた。

 

6:42、会津坂下に停車。多くの高校生を乗せた、上り1番列車(会津川口発)と交換を行った。

会津坂下では客の大半が降り、乗客は5人になった。

 

会津坂下を出て市街地を抜けると、短い田園の間を駆けた後、列車はディーゼルエンジンを力強く蒸かし、右に大きく曲がりながら七折峠に向かった。

登坂途中、木々の間から会津平野を見下ろした。

登坂の途中、塔寺に停車。周囲に民家の無い山中にあることから、クマの出没情報がある駅だ。今年も駅舎周辺で、クマの目撃情報があった。

 

登坂を終え下り坂に入り“四連トンネル”を抜けると、“坂本の眺め”を通過。今日は、「飯豊山」(2,105.2m、同3座)を盟主とする「飯豊連峰」は雲に覆われ見えなかった。*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山  https://tif.ne.jp/yamafuku/mt30/18.html

 

“七折越え”を終えた列車は会津坂本に停車。貨車駅舎に絵描かれた「キハちゃん」が、いつもと変わらぬ笑顔で出迎え、そして見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg

会津坂本を出た直後に柳津町に入った列車は、田園の間をしばらく進んだ。広大な会津平野の田園とは違い、細長い田が続いた。 

 

会津柳津を出ると、郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)の山容ははっきりと見えた。

 

ここから“呑み鉄”。

“会越の酒 呑み比べ”はせずに、ビールを呑んだ。氷と一緒に保冷バッグに入れておいたため、冷えて旨かった。

 

 

 

滝谷を出発直後に、下り列車で“只見線八橋”の前座を務める「滝谷川橋梁」を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索」 

  

会津桧原を出て、桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。上流側、駒啼瀬の狭隘な渓谷には、うっすらと川霧が出ていた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

下流側の川面にも、薄く川霧が漂っていた。

 

名入トンネルを抜け、会津西方を出ると「第二只見川橋梁」を渡った。第一では気づかなかったが、列車は渡河前にエンジンブレーキをかけ、減速しているようだった。平日に“観光徐行”とは、ありがたかった。*只見川は柳津ダム湖

ここでも川霧が見られたが、上流側、大谷川が注ぎ込む付近は分厚い綺麗な層だった。

下流側も、水鏡の先に川霧が見られ、駒啼瀬に架かる歳時記橋付近まで続いていた。

  

列車は減速しながら「アーチ3橋(兄)弟」の長男・大谷川橋梁渡った。右車窓からは、県道に架かる次男・宮下橋の一部が見えた。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

7:29、会津宮下に停車し、上り2番列車(会津川口発)と交換を行った。

  

会津宮下を出た列車は、市街地を抜けて、東北電力㈱宮下発電所の背後、続いて宮下ダムの脇を駆けた後、「第三只見川橋梁」を渡った。ここでは、はっきりと分かる川霧は見られなかった。*只見川は宮下ダム湖

滝原トンネルと早戸トンネルを続けて潜り抜けた列車は、早戸に停車。

 

早戸を出てまもなく、左車窓から周囲の景色を映し込む只見川が見えた。只見川は濁っていたが、川面の水鏡は冴えていた。

金山町に入った直後に、8連コンクリートアーチ橋の細越拱橋を渡った。

 

会津水沼を出ると、下路式トラスの「第四只見川橋梁」を渡った。

  

会津中川を出た列車は、大志集落の背後を駆けた後、前方に巨大な上井草橋を見ながら右に大きく曲がった。

ここで右車窓から振り返ると、只見川に突き出た大志集落と、それを取り囲むまずまずの光景が見られた。*只見川は、東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

 

8:05、会津川口に停車。小出発・会津若松行きの1番列車と交換を行った。

ここでは、県立川口高校の生徒を中心に、私以外の客が全員が降りた。

10分間の停車時間を利用し私も降りて、駅舎内にある売店で「赤べこ堂」の杵つき玄米団子を購入した。

 

8:15、列車は新たな客が4人乗り込み、会津川口を出発。 

しばらく、只見川沿いを駆けた列車は「第五只見川橋梁」を渡った。川面の水鏡は、まずまずの冴え具合だった。*只見川は上田ダム湖 

 

本名を出ると、復旧工事で一新された「第六只見川橋梁」を渡った。

上流側直下の東北電力㈱本名発電所のダムは、ゲートを3門開け豪快に放流していた。

 

本名トンネルを抜けてまもなく、民宿「橋立」の駐車場に立つ只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過した。

  

会津越川会津横田を経て、列車は「第六」同様上路式から下路式に変わった「第七只見川橋梁」を渡った。

只見川は本名ダムの放流の影響か、河岸の岩肌がだいぶ露出していた。*只見川は本名ダム湖

  

会津大塩を出た後、滝トンネルを抜けると只見町塩沢地区に入った。只見川は泥色から濃緑に変わり、川面の水鏡は冴え周囲の景色を映し込み見ごたえがあった。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

左車窓の正面に見える「鷲ケ倉山」(918.4m、同71座)も、その山容を川面に映していたが、山頂付近が雲に覆われていた。 

 

会津塩沢を出ると、まもなく「第八只見川橋梁」を渡った。この付近は、川面が波打ち水鏡は見られなかった。

右岸の電源開発㈱寄岩泊地では、滝ダム湖の堆積土砂の除去作業が行われていた。浚渫船に積まれた堆積土砂をアームの長いバックホウが掬い上げていた。

 

会津蒲生を出発し、八木沢集落の背後を駆けた列車は、只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。

渡河後まもなく、左車窓からは、只見四名山「蒲生岳」(828m、同83座)が“会津のマッターホルン”の名に違わぬ山容を見せていた。

  

 

9:07、列車は、只見に停車。上空は雲に覆われていたが、雨は降っていなかった。

停車時間が23分あるため、駅頭に出た。駅舎の壁沿いに立つ“只見線全線運転再開”カウントボードは、650(日)を表示していた。

 

国道252号線沿いの松屋に買い出しに行き、駅に戻る際に只見四名山「要害山」(705m、91座)を仰ぎ見た。

駅舎内のカタログ立てから、表紙が新しくなったような気がして「登山&トレッキングBook」をいただいてから列車に戻った。 

 

9:30、只見を出て、上町トンネルと3つのスノーシェッドを抜け、第二赤沢トンネル手前で左車窓から、電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐ゲートと、その奥に同田子倉発電所・ダムの谷間を塞ぐ巨大な堰堤が見えた。

 

列車が徐々にディーゼルエンジンを蒸かし登坂し始めて、「田子倉トンネル」(3,712m)を抜け余韻沢橋梁を渡ると田子倉ダム湖の中心部を見通せた。

この直後、スノーシェッドに入り、田子倉駅跡を通過。

スノーシェッドを抜けると、左車窓に国道252号線の只見沢橋を取り囲む、岩肌が露出した雪食地形の圧巻の光景が飛び込んできた。*参考:只見町ブナセンター 公式Youtbeチャンネル「雪食地形」 URL: https://www.youtube.com/watch?v=JBzi_I7g7S4

 

9:41、列車は、スピードを上げ、“会越国界”を貫く「六十里越トンネル」(6,359m)に突入した。

  

 

9:48、「六十里越トンネル」を抜けた直後に、「第十六末沢川橋梁」を渡った。

新潟県魚沼市も、福島県側と同じような空模様だった。

時折、細かい雨粒が落ちたが、車窓全体を濡らすほどのものではなかった。

末沢川の流れは清らかで、河岸の緑には勢いがあった。

「第六末沢川橋梁」を渡る際、並行する国道252号線の茂尻橋の真っ赤な下部トラスは、一層は映えて見えた。

   

列車は減速しながら、末沢川が注ぐ破間川に架かる「第五平石川橋梁」を渡った。

9:58、大白川に停車。ホームの目の前を流れる破間川は水量が多く、川床の岩にぶつかる水しぶきにも勢いがあった。

 

 

大白川を出て、柿ノ木駅跡手前で「第一平石川橋梁」を渡った。右車窓から振り返ると、黒又川に水をバイパスする取水堰からの越水の様子が見られた。

破間川は、ここから1.3kmほど下流で黒又川が注ぎ込むが、かつて、源流から旧大栃山村と旧穴沢村の境界となる、黒又川合流点までを平石川と呼んでいたため、橋梁名にその名残がある。

 

列車は、入広瀬を経て上条を出て細野地区に入ると、左車窓に見通しの良い田園が広がった。

 

越後須原を出ると、魚沼田中との中間付近で「大倉沢橋梁」を渡った。破間川は、新潟県側で只見線の車窓から唯一見られるダム湖となり、下流側の一部にはうっすらと川霧が漂っていた。*ダム湖は、東北電力㈱薮神発電所・第二薮神発電所の調整池を作る薮神ダムによるもの

 

越後広瀬を出てしばらくすると、「第一破間川橋梁」を渡った。左岸には薮神発電所(水路式)の放水口が見られた。

   

 

藪神を出て市街地が近付くと、『まもなく、終点...』との車内放送が流れた。ワンマン運転のため運転台背後の天井に設置された液晶ディスプレイには、小出を除く35駅からの運賃が表示されていた。会津若松~小出間が2,640円は、沿線に見られる風景の質からすると破格だ、と改めて思った。

そして列車は、ゆっくりと「魚野川橋梁」を渡った。信濃川水系で破間川が注ぎ込む、魚野川の水量も多いような気がした。

橋上から上流側を見るが、「越後三山」(「越後駒ヶ岳」(2,002.7m)、「中ノ岳」(2,085.1m)、「八海山」(1,778m)も雲に覆われ、全く見えなかった。

   

10:41、終点の小出に到着。地面は濡れていたが、雨は降っていなかった。

他の降車客に続いて跨線橋を渡るが、その半分が明るくなっていた。改修工事中で、外から見ると足場が組まれ、跨線橋はに西側半分が覆われていた。

 

駅頭に出て、駅舎を眺めた。

駅舎に戻り、2-3番線ホームに向かって、上越線の上り列車を待った。

 

しばらくすると、3番線に水上行き列車が入線してきた。

11:10、上越線の上り列車が小出を出発。 

   

11:19、八色を経て浦佐に停車。新幹線のホームに移動した。窓に近づいて見下ろすと、当地が選挙区(旧新潟3区)で、只見線(会津若松~小出)の全線開通(1971年8月29日)を実現させた田中角栄氏の像の後ろ姿が見えた。 

 

ホームのベンチに座り待っていると、E7系新幹線が入線してきた。

11:59、「とき」318号が浦佐を出発。  


13:28、雨が降る、東京に到着。八重洲口側は再開発が進み、高層対応のクレーンが動き、大型トラックも激しく行き来していた。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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