私選“只見線百山”の検証登山。今日は、町の有志が整備した「名入鉄橋ビューポイント」に立ち寄った後、JR只見線の「第二只見川橋梁」上から見える四等三角点「桧原」を持つ山に登るために三島町に向かった。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の冬-
今朝、磐越西線の始発列車に乗ろうと、未明の郡山駅に向かった。
切符を購入し改札を通り、出発を待つ列車に乗り込んだ。
5:55、会津若松行きの列車が郡山を出発。土曜日ということで、切符は「小さな旅ホリデー・パス」にした。只見線内は、会津若松~只見間がフリーエリアになっていて、休日の只見線日帰り旅には欠かせない一枚だ。
沼上トンネルを抜け、会津地方に入る。猪苗代を過ぎると中腹を雲に隠した「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)が見えてきた。
7:11、会津若松に到着。上空に雲が広がり、雲の切れ間からわずかに陽が差す空模様だった。
駅舎入口脇の、“ぽぽべぇ神社”に張り出された合格祈願の“絵馬”は増えていた。
“ぽぽべぇ”は、現在1番線ホームで行われているエレベーター更新工事の貼り紙にも登場していた。また、今月の9日と10日に鶴ヶ城と御薬園で行われた「第25回会津絵ろうそくまつり」用に使われた行燈が改札前に置かれていたが、そこには可愛らしい赤べこの親子が描かれていた。
会津地方の代表的なキャラクターである赤べこが、様々なデザインであちらこちらで見られるのは素晴らしく、只見線でも“ぽぽべぇ”を中心に取り上げ、双方が国内外に広く認知される観光路線・キャラクターになって欲しいと思った。
駅構内のコンビニで買い物を済ませ、只見線の4-5番線ホームに向かったが、北にある列車の車庫を見ると、試運転を開始した観光列車「SATONO」が停車していた。
南東北3県(福島・宮城・山形)を中心に運行するために、既存の観光列車(「リゾートあすなろ」号)を改造して導入される「SATONO」号だが、今月15日にJR東日本が「あいづSATONO」として4月6日から磐越西線(郡山~喜多方間)で運行を開始すると発表された。
「あいづSATONO」は、昨年末に列車老朽化で引退した「フルーティアふくしま」号の後継車としてスタートするが、平日でも良いので、新緑が美しい時期に“ただみSATONO”として只見線を走らせて欲しいと思った。
ホームでしばらく待っていると、折返し運転となる上り1番列車が入線した。列車は、キハ110の2両編成だった。
7:41、会津川口行きが会津若松を出発。乗客は、先頭車両に3人、私が乗った後部車両に8人だった。私以外は全て女性で、中高年の男性が多い見慣れた車内の光景とは違っていた。
列車は、市街地の七日町、西若松を経て、大川(阿賀川)を渡った。上流側にそびえる「大戸岳」(1,415.9m、同36座)の山塊は、雲に覆われて全く見えなかった。
会津高田を出て、“高田 大カーブ”で進路を西から北に変えた列車は、広大な刈田の間を駆け根岸、新鶴、会津坂下町に入って若宮で停発車を繰り返した。
8:19、会津坂下に停車。先に到着していた、上り2番列車との交換を行った。
会津坂下を出ると、七折峠の登坂に入った。塔寺手前の木々が開けた場所からは、会津平野の様子が見られた。
会津坂本では、貨車駅舎(待合室)に描かれた「キハちゃん」に挨拶。おはよう!*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html
柳津町に入った列車は、会津柳津を経て郷戸手前で、“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)は良く見え、山塊はまだうっすらと雪を残していた。
会津桧原に停車。車窓からは中世の“山ノ内六固城”の一つである「(桧原)丸山城」が置かれていた丸山(465m)の山頂が見えた。この山頂は、これから向かう「名入鉄橋ビューポイント」北90mに位置している。
当時は、この駅から400mほど離れた春日神社から“登城道”があったようだが、現在は荒れて利用できない状態だという。もし、この道が整備されれれば、会津桧原駅~(桧原)丸山城跡~「名入鉄橋ビューポイント」~「第一只見川橋梁ビューポイント」~「道の駅 尾瀬街道みしま」~会津宮下駅or会津西方駅という一筆書きのトレッキングコースになる。
列車は桧の原トンネルを抜け「第一只見川橋梁」を渡った。
カメラをズームして見ると、「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上部「Dポイント」と、その下の「Cポイント」にはこの列車を見る・撮る人たちがいた。
下流側を見ると、これから向かう「名入鉄橋ビューポイント」の鞍部と、四等三角点「桧原」がある山がはっきりと見えた。
列車は減速し、「みやしたアーチ3橋(兄)弟」の“次男”の宮下橋を見下ろしながら、“長男”の大谷川橋梁を渡った。
9:07、会津宮下に到着。荷物を抱え下車し、交換する小出発・会津若松行の始発列車の入線風景を眺めた。
まもなく入線した列車は、キハE120形の2両編成で、車内の客はまばらだった。
構内踏切を渡り駅舎に入ると、石油ストーブが無くなっていて、セラミックファンヒーターに変わっていた。そして、窓口にはカーテンが掛けられていた。
会津宮下駅を利用するのは久しぶりだが、ここも昨年12月1日から駅員が不在になったようだった。JR東日本の合理化は進むが、町の主要駅であることから、三島町がJRと業務委託計画を結びスタッフが常駐できないものかと思った。
駅頭には、「第一只見川ビューポイント」の入口となる道の駅「尾瀬街道みしま宿」に向かう町営バスの停留所があるが、下り始発列車の到着(会津若松6時8分発~会津宮下7時29分着)に連絡する1本だけとなってる。
駅を出て、三島町観光交流館「からんころん」に立ち寄り、蕎麦を食べた。
「宮下そばと豆腐の会」で、昨秋に収穫された蕎麦と、自家製豆腐をいただいた。旨かった。
11:15、「からんころん」を後にして、北東に200mほど離れた「みやしたアーチ3橋(兄)弟」のビューポイントに向かった。大谷川左岸の斜面上に柵が設けられ、ビューポイントは“進化”していた。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5
開腹式のアーチ橋が近距離で一望できる、国内無二のビューポイント。最上部、最後に完成した国道の新宮下橋は、鋼製ながら“2人の兄”と同じ開腹式のデザインを採り、似たもの3橋弟になっている。
「みやしたアーチ3橋(兄)弟」 *上から
三男:国道252号線・新宮下橋 (完成1989(平成元)年、全長140m、鋼製逆ローゼ橋)
長男:JR東日本・大谷川橋梁 (完成1939(昭和14)年、全長80.7m、RC開腹式アーチ橋)
次男:県道237号線・宮下橋 (完成1957(昭和32)年、全長73.7m、RC開腹式アーチ橋)
「みやしたアーチ3橋(兄)弟」を後にして沼田(伊北)街道を通り、道の駅「尾瀬街道みしま宿」を目指した。次男・宮下橋を渡り、長男・大谷川橋梁を潜った直後に街道の入口があった。
街道のこの区間を通るのは3度目で、整備され根雪も無かったことから歩き易かった。
スギ木立の間に延びる街道。往時が偲ばれ、歴史との一体感を味わった。
坂が終わると、国道252号線バイパスが敷設された際にに設けられた地下道の入口があった。
階段を上り地下道から表に出た。反対側の出入口は、国道と同じ高さに設けられている。
右に東北電力㈱只見川ダム管理所を見ながら、国道の歩道を歩いた。
只見川ダム管理所の敷地が終わる頃に、林の中に入る踏み跡があり、そこを進んだ。只見川ダム管理所の建設によって、街道の導線が変わったようだった。
林の中に進むと、再び上り坂になった。スギの枯葉が敷き詰められた街道を進んだ。
坂を上りきると「金烏供養塔」があった。3つの石碑の右端に置かれた「金烏供養塔」の金烏(きんう)とは、伝承に見られる想像上のカラスだという(出処:Wikipedia「金烏」)。
沼田街道を進むと、町道寺沢四ツ田線を横切り低い切土部分を進んだ。
そして、寺沢を渡ると雪に覆われた畑の間を歩いた。前方には、これから向かう「名入鉄橋ビューポイント」の鞍部と、四等三角点「桧原」の山が見えてきた。
浅い雪原をズンズンと進むと、町道大登線の舗装道にぶつかった。町道と沼田街道の分岐には、“ふるさと探訪コース 巡見使の道”と記された標杭と、奉修造己待と刻印された石塔が置かれていた。
町道大登線を150m進むと、国道252号線が見えてきて、坂を下る側道の町道川井西方線に入った。この角にある「ドライブイン雪国茶屋」は営業していて、帰りに立ち寄って名物「もちラーメン」を食べられる、と思ったのだが...。
側道を下り、国道のアンダーパスを通過し更に坂をくだると川井集落が現れ、正面には「名入鉄橋ビューポイント」の鞍部と、四等三角点「桧原」の山が見えた。集落の空地には下草の焦げ跡があり、先月の14日と15日の両日に行われた国の無形民俗文化財「三島のサイノカミ」でサイノカミを燃やした場所のようだった。*参考:三島町観光協会「三島のサイノカミ」(更新日:2022年1月17日)
町道をさらに進むと、大石沢橋の先に町道と沼田街道の分岐が見えた。
町道から右上に延びる坂に入り沼田街道を進むと、道の駅の駐車場拡張・ガソリンスタンド新設工事で盛土と擁壁が設置された舗装道に変わった。この道は、只見線・会津西方駅から「第一只見川橋梁ビューポイント」へ向かう短絡路になるために整備されたのだろうかと思った。
200m程進むと建物が見え、街道は拡幅工事を終えた駐車場に接続していた。
11:48、道の駅「尾瀬街道みしま宿」に到着。会津宮下駅から30分ほどで到着した。車の往来を気にせず歩けるので、沼田街道は会津宮下駅~「第一只見川橋梁ビューポイント」間の推奨されるルートだと思った。
道の駅には立ち寄らず、「名入鉄橋ビューポイント」に向かった。
国道252号線の脇に架かる駒啼瀬歩道橋を渡り、「第一只見川ビューポイント」の遊歩道の階段を上った。
階段を鋭角に右に折れ、急坂を上ると、沼田街道の分岐になった。
遊歩道を上り、遊歩道から分岐する沼田街道を見下ろした。この分岐には、“知る人”が街道に入る事を想定しているためか、何ら案内板(標杭)が立っていない。
沼田街道に入ると、まもなく急坂のヒモ場になった。地面に切土階段が作られていたため、トラロープを握らずとも、安心して進めた。
急坂を上りきると平場になり、街道に垂れ下がった小枝にピンクテープが巻かれていた。斜面に切り通された区間なので、積雪時は重要な目印だと思った。ちなみに、この平場には、直上にある「第一只見川ビューポイント」のCポイントに上る踏み跡があり、帰りに上る事になった。
平場を過ぎると、急坂の下りになり、落ち葉による滑落に気を付けながら切土階段を慎重に下った。眼下には只見川と「第一只見川橋梁」が見えた。
下り進むと、まもなく国道252号線の川井トンネルと駒啼瀬トンネルを結ぶ川井スノーシェッドが見えた。そして、このスノーシェッドの脇に広がる平場に下りると20㎝ほどの積雪があり、先に延びる沼田街道も雪に覆われていた。ここから沼田街道は送電鉄塔の巡視路となっているようで、東北電力㈱会津技術センターの標識が立っていた。
雪に埋もれた街道を進むと、沢に下り渡渉した。
渡渉後にトレッキングイベントでは涸れ沢だった場所を登り進むが、今日はわずかに水が流れていた。
沢を過ぎ右に曲がり、街道らしい空間を進んだ。送電線・会津線のNo.18鉄塔を示す標識が、また立っていた。
沢音が聞こえたので、木々の間から下方を見ると、ナメを糸のように流れる滝があった。トレッキングイベントでは案内されなかったが、ちょっとした見所だと思った。
街道はスギ木立の間に延びていた。ところどころ雪重で折れた枝木が散在していた。
12:09、東北電力会津線の送電鉄塔No.18の脇を通り過ぎた。
その先に、少し進むと上方に木立の間に稜線が見えた。
12:12、沼田街道から「(桧原)丸山城」跡に向かう短絡路の分岐を通過した。
12;14、街道のピークに到着。
この先、沼田街道は下り、密集したスギ木立の間に延びていた。
10分ほど休憩し、街道のピークから北北西に延びる稜線に進んだ。
ナラの木に「丸山城趾」と「名入鉄橋ビューポイント」の案内が括り付けられていた。
広い歩行空間を進み、小高い平場を通ろうとすると、落ち葉の上に黒い物体があった。
間違いなくクマのお尻からの落とし物だった。クマは風通しの良い場所で用をたすので、ここは適所だったが、その量に驚いた。完全に乾いたモノもあったが、最近しただろうというモノも交じり、この当たりにも冬眠から覚めた、もしくは冬眠しなかったクマがいるのだろうかと思った。
稜線の歩行空間には、ところどころに案内板があったが、パウチされた紙が少し心もとなかった。歩き易く良好なトレッキングコースなので、国などの補助金を使って整備した方が良いと思った。
「(桧山)丸山城」跡の切岸を登った。
左に目を向けると木立の間から、下方に只見川と町道の歳時記橋が見えた
12:28、前方に「(桧原)丸山城」跡がある丸山(465m)山頂が見えた。
そして、左に目を向けると、既視感があり、カメラをズームにすると「第一只見川ビューポイント」の最上部Dポイントが確認できた。観光客らしき方が一人、登っていた。
先に進むと、また“落とし物”があった。これは、かなり新しいと見え、やはりクマはすでに活動をしてると感じた。周囲の木々や灌木は無葉で見晴らしも良かったが、クマ除けの笛を吹いて警戒した。
前方に丸山を見ながら進むと、浅い鞍部に下った。
鞍部に到着すると、左側の切れ落ちた崖の20mほどの区間の木々が無く、開けていた。
12:32、「名入鉄橋ビューポイント」に到着。道の駅「尾瀬街道みしま宿」から44分掛かった。そばに立つ幼木に括り付けられた案内の文字は、消えかかっていた。
さっそく、「名入鉄橋ビューポイント」からの「第二只見川橋梁」を包み込む風景を眺めた。
無葉期ということで確実な比較はできなかったが、2022年秋のトレッキングイベントの時と比べると、横に張り出した枝が数本切られているように感じた。
カメラをズームにすると、ここに来る途中で「名入鉄橋ビューポイント」を見上げた町道川井西方線の坂や、
町道大登線と沼田街道の分岐が、それぞれ確認できた。
13:00、会津川口発・会津若松行きの列車が、「第二只見川橋梁」を渡った。小さな列車の通過音が、山間に響き聞こえた。
今朝、私が乗った列車の会津川口駅からの折返し運転で、キハ110の2両編成だった。
上り列車は会津西方駅に停車した後、「名入鉄橋ビューポイント」の真下を通るように真東に進路を取り、姿を消した。
この後列車は名入トンネルに入り東から北東に進路を変え、トンネルを抜けた後に「第一只見川橋梁」を渡ることになる。
「名入鉄橋ビューポイント」の訪問は二度目で、今回は整備状況の確認だった。
「名入鉄橋ビューポイント」は、すっかり有名になった「第一只見川橋梁ビューポイント」とは違い、点在する集落や道路など人の営みが感じられる場所で、背後に三島町を代表する山の一つである「三坂山」が聳えていることもあり、改めて高い訴求力を持つと思った。
「名入鉄橋ビューポイント」までの“アクセス路”は、「沼田街道トレッキング」で使われている道の途上ということで問題なかったが、看板やベンチまでの設置はなされていなかった。せっかくの眺望を活かし誘客に結び付けるためには、しっかりとした看板(案内板)と、列車通過時刻までを待てるベンチが必須だと思った。
また、前述した通り会津桧原駅を降りた客が春日神社から「(桧原)丸山城」跡に登り、「名入鉄橋ビューポイント」を経て、「第一只見川ビューポイント」、会津宮下駅もしくは会津西方駅に歩き通せるトレッキングルートの整備は費用対効果があると感じた。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *赤字は筆者にて記述
中世に長らく現在の只見線沿線の広い部分を治め続け、伊達政宗軍とも戦った山ノ内家の七騎党持城の一つである「(桧原)丸山城」跡を通りながら、素晴らしい風景の中で只見線の列車を眺めたり撮ったりし、金山町や只見町に点在する山ノ内家ゆかりの地へ思いを馳せるならば、只見線を活かした広域観光の資する事にもなる。
この「名入鉄橋ビューポイント」を整備した町の有志を中心に、ビューポイントの質を高め、春日神社~「(桧原)丸山城」跡の登山道の整備について町が検討して欲しいと思った。
「名入鉄橋ビューポイント」を後にして、沼田(伊北)街道のピーク地点に戻った。
13:09、沼田(伊北)街道のピーク地点から、四等三角点「桧原」を目指して登坂を開始した。三角点がある山は「名入鉄橋ビューポイント」のほぼ対角線上、ピーク地点からほぼ同距離にあるので、無葉で稜線がはっきりと見えることから不安は無かった。
序盤は、幼木や灌木が密集する斜面を登った。有葉期は取付く場所に迷い、進むのに難儀しそうな場所だと思った。
まもなく、尾根に乗った。前方に山頂に続く稜線を見ながら、登り進んだ。尾根筋に灌木は少なく、歩き易かった。
まもなく、右(西)の尾根が合流し、尾根筋は消え斜面は平たくなった。『葉が繁ると、ルートロスになる場所だな~』と思いながら登り進むと、灌木の根元に落ちたピンクテープが見えた。灌木に取り付けていたものが落ちたようだったが、三角点を目指して登った“先人”が居たのだろうと思った。
さらに進むと、一直線にめくれた落ち葉の筋があった。シカかクマか、比較的大きな動物が、最近付けた足跡のようだった。
13:16、前方にピークのような稜線が見えた。再び密度を増した幼木と灌木を、かき分けながら登り進んだ。
そこに着くと、ピークではなく肩のようで、その先に山頂らしき稜線が見えた。
幼木と灌木の密度は変わらず、時折、弾力のある灌木の“パンチ”を受けながら山頂を目指した。
13:19、山頂に到着。灌木に覆われた“山頂平”は凸凹だった。
“山頂平”は落ち葉に覆われ、一瞬『三角点標石探しに手間取るなぁ』と思った。しかし周囲を見渡したところ、人工的に配置されたような岩(石)が目につき、『標石はこの付近だろう』と落ち葉を除けてみた。
そして、落ち葉の下に堆積した腐葉土まで除けると、三角点標石が現れた。
標石の側面を見ると、“四等”の刻印が確認できた。四等三角点「桧原」に間違いなかった。沼田街道のピークから10分でたどりつける山頂だった。
四等三角点「桧原」の標石に触れて、登頂を祝った。
*四等三角点「桧原」
基準点コード:TR45639157401
北緯 37°28′39″.1371
東経 139°40′45″.3977
標高(m) 519.13
設置 昭和27年10月11日 *「点の記」より
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)
山頂からの眺望は、幼木や灌木に囲まれ、山自体が鋭角でないことからも良くなかった。
西側の眺望。「第二只見川橋梁」は、木枝の間から橋梁の一部さえも見えなかった。
東側の眺望。木枝越しに、会津盆地の西部山地の稜線が見えたが、山座同定できるほど明瞭ではなかった。
13:37、水を一口飲んでから、山頂を後にした。
往路に見かけた動物の足跡を上から眺めると、意外と長い事が分かった。下る時に付いた跡だと思ったが、どんな様子でこの斜面を下ったのか興味がわいた。
13:44、沼田(伊北)街道のピークに戻った。ここで、一時、陽が差した。
沼田(伊北)街道ピークから、次の目的地「第一只見川橋梁ビューポイント」に向かった。
落ち葉の層がクッション材になった坂を、快調に下った。
車の走行音が微かに聞こえ始め、国道252号線の川井スノーシェッドを見ながら沢を渡った。
今回の山行では、スノーシューを用意したが、結局使うことはなかった。この冬、三島町の雪量も少ない事は把握していたが『山の中はある程度の積雪があるだろう』と考え持参したが、荷物になっただけだった。
川井スノーシェッドを脇に見ながら、急坂を登った。ここでは、トラロープを使わせてもらった。
14:04、急坂を登り終え、平場を少し歩き、再び急坂を登って「第一只見川ビューポイント」のCポイントに到着。沼田(伊北)街道ピークから20分掛かった。
そして、上方に続く階段を上り、最上部のDポイントに向かった。
Dポイントには、既に5人の“撮る人”や観光客が居たが、その方たちを横目に、今回列車を撮影しようと考えていた、さらに上方にある“最上部”に進んだ。送電線鉄塔を取り囲むフェンスの先には踏み跡があり、思ったより広い平場が2段あった。
最上部・上段からの眺め。なかなかの高度感、見晴らしで、気持ちが良かった。
この最上部のビューポイント(撮影スポット)には、B~Dポイントのようにベンチやそこに至るまでの階段が整備されていない。
14:23、鉄橋を渡る音が山間に響き、列車が「第一只見川橋梁」を渡った。
会津若松発・小出行きはキハE120形の2両編成だった。
「第一」と「第二」の違いもあるが、ここからの眺めは“山間の自然と列車”、「名入鉄橋ビューポイント」は“人の営みと列車”、とそれぞれ違った魅力が感じられた。
列車の撮影を終えて急坂を下りDポイントに行くと、“撮る人”達が「第一只見川橋梁」を渡った列車が会津西方駅を経て「第二只見川橋梁」を駆ける姿を撮影していた。
「名入鉄橋ビューポイント」での列車撮影、四等三角点「桧原」登頂、そして「第一只見川橋梁ビューポイント」での列車撮影、と今日の予定を無事に終えた。
四等三角点「桧原」は、山頂は木々に覆われ眺望は無く、また仮に木々が無くても正面に只見川は見えず「名入鉄橋ビューポイント」ほどの眺望は得られないだろうと感じた。ただ、沼田(伊北)街道のピークからは300mほどの距離で勾配も緩いことから、「(桧原)丸山城」跡と「名入鉄橋ビューポイント」に最も近い三角点として訪れる価値はあり、四等三角点「桧原」は“只見線百山”に入れるべき山だと思った。
また、沼田(伊北)街道を利用した「名入鉄橋ビューポイント」⇋「第一只見川橋梁ビューポイント」の移動は、国道252号線の川井スノーシェッド付近の急坂をより安全に歩行できるようにすれば、広く受け入れられるものになるのではないかと感じた。
「第一只見川橋梁ビューポイント」を後にして道の駅「尾瀬街道みしま宿」の前を通過した。
国道252号線を進むと、来月プレオープンする町内唯一となるガソリンスタンドが、広大な駐車場の先に見えた。
ガソリンスタンドの先、歩道が途切れた国道を車に気を付けながら進み、町道大登線に入り、まもなく標杭を目印に沼田(伊北)街道に入った。
振り返って「名入鉄橋ビューポイント」を眺めた。
自分が付けた足跡をたどり、沼田(伊北)街道を進んだ。
町道寺沢四ツ田線横切るが、気になる事があり右に繁るスギと竹の混成林に入った。
林の中を少し進むと、なつかしい切株があった。
2年前に、大登地区の「三島のサイノカミ」全体を見学させてもらった時、伐採された御神木の切り株だった。*参考:拙著「三島町「サイノカミ」(大登地区) 2022年 冬」(2022年1月15日)
沼田(伊北)街道に戻り「金烏供養塔」の前で一礼して坂を下り、国道252号線に出て200mほど直進し“アーチ3橋(兄)弟”の三男・新宮下橋を渡った。
橋上から下流側を見下ろし、“長男”の只見線・大谷川橋梁、“次男”の県道237号線・宮下橋を眺めた。
国道を更に進むと、会津宮下駅を見下ろせる場所でガードレールが途切れ、道のような空間が崖下に続いていた。国道からこの“道”に下ると、枯草に覆われた踏み跡はあったが足元は凸凹で、スギ木立に入ると踏み跡は不明瞭になった。
スギ木立を抜け、少し進むと愛宕神社と刻まれた標石があり、国道252号線に階段が延びていた。この階段を使えば、楽に下りられたようだった。
さらに進むと三島神社があり、参拝してから、石鳥居を潜り抜けた。そして、只見線の線路を渡ってから振り返って神社に向かって一礼した。ここは、レールが表参道を横切る“勝手踏切”で、渡る場合は注意が必要だ。
三島神社を背に100mほど進み、県道237号(小栗山宮下)線に出て右折。“桧原”登頂祝いのビールなどを調達するため、「山モ 斎藤商店」に立ち寄った。
15:22、買い物を済ませ、会津宮下駅に到着。
待合室に入り、さっそく四等三角点「桧原」登頂と、「名入鉄橋ビューポイント」と「第一只見川ビューポイント」で列車撮影が無事終わったことの祝杯をあげた。
冷えたビールを呑みながら、パンフレットスタンドに目を向けると、先月岩手で乗車した観光列車「ひなび」号のパンフレットが置かれていた。
「ひなび」号は、今朝会津若松駅のホームから見えた「SATONO」号の兄弟車で、昨年末に「ひなび 釜石」号として一足先にデビューしている。「ひなび」号、「SATONO」号ともに東北地方の観光需要を喚起し、各地に賑わいをもたらして欲しいと思った。*下掲出処:東日本旅客鉄道㈱「北東北に新しい観光列車「ひなび」がデビューします」(2022年11月22日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/morioka/20221122_mr02.pdf / 参考:拙著「【参考】観光列車「ひなび」乗車記 2024年 冬」(2024年1月6日)
会津若松行きの列車の到着時刻が近付き、ホームに出て待っていると、ヘッドライトが眩しいキハE120形が入線してきた。車両はキハE120形+キハ110の2両編成で、車内は小出発の2番列車ということもあり混雑していた。
16:04、定刻をわずかに遅れて、会津若松行きの列車が会津宮下を出発。私は、立客の一人として、後部車両の出入口扉周辺に立ち、車窓から見える景色を見ながら時間を過ごした。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書(PDF)(令和2年3月) 「復興事業に係る事務の執行について」 p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法
*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税 URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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