只見町ー金山町「打越」越え 2023年 紅葉

今日、「鳥越山」と二等三角点「黒岩」を登り終えた後、只見町と金山町の境にある「打越」(770m)を越えてJR只見線の会津横田駅を目指した。

 

「打越」は峠の名称で、只見町と魚沼市を結ぶ「六十里越」、三条市を結ぶ「八十里越」と同じような名付けになっている。その「打越」は、私選“只見線百山”の候補に入れている、二等三角点峰「打越山」(872.2m)の取り付きになるため、今回、「鳥越山」と二等三角点「黒岩」の“只見線百山”検証登山の帰りに越えてみようと思った。

 

会津藩の地誌「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の和泉田組布澤口村の項に、「内越峠」という記述があり、内容から「打越」を指していると思われる。

●和泉田組 ○布澤口村 ○山川 ○内越峠
村北十町にあり、頂まで二十五町此を越て山入村に行く、其村と峯を界とす
*出処:新編會津風土記 巻之四十五「陸奥國會津郡之十七」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p256 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179202/1/135)

 

この“内越峠”という名称について、「新版 会津の峠」という書籍に次のように記されている。

(前略)なお、この峠程、多くの名称を持つ峠も珍しい。打越し・打越え・内越え・打杭・打喰い、そして打越と名付けられている。八十里越、六十里越と同格の名称の打越は、今も国土地理院は昭文社で使われている。(酒井哲也) *出処:「新版 会津の峠(下)」(笹川壽夫編著、歴史春秋社刊) p159

 

「日本山名事典」に「打越」は、次のように記されている。

うちごえ 打越 (高)770m
福島県大沼郡金山町と南会津郡只見町の境。只見線会津横田駅の南6km。西1.5kmに金石が鳥屋山がある。 *出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p113)

ちなみに同事典には、「打越峠」は2箇所、「内越峠」は1箇所、また読み方は問わず「打越山」という表記の山は全国に4座記載されている。

 

 

今回、当初の計画では、「鳥越山」と二等三角点「黒岩」の登山を終えた後に、「打越」から「打越山」登山をしてから会津横田駅に向かう計画立てていた。しかし、「鳥越山」と二等三角点「黒岩」に時間が掛かってしまい、「打越山」登山を諦め「打越」越えだけに予定を変更した。それでも、峠越え終了は夕刻になり、クマの活動時間に入ってしまうため、“クマを寄せ付けないよう音をしっかり出そう”と気を引き締め、「打越」を越えた。

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の秋- / ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)

 

 


 

 

6:08、輪行バッグを抱え乗り込んだ小出行きの只見線の始発列車が会津若松を出た。

 

曇り空が続いたが、沿線の紅葉はまだ見頃だった。

 

9:07、只見に到着。会津鉄道・会津田島駅とを結ぶ定期路線バス「自然首都・只見号」(ワゴン車)に乗り換えた。

「自然首都・只見号」が国道289号線を南東に進むと、徐々に雲が晴れ、青空が広がった。

 

9:39、梁取集会所前停留所で下車。自転車を組み立てて、から国道289号線を駆けた。

10:18、南会津町に入り、国道289号線から側道に入り林道鳥越鳥居線(20,742m)の下山口に到着。この林道沿いにある二等三角点峰「鳥越山」(980.2m)と二等三角点「黒岩」に向かった。

11:42、熊笹を掻き分け、二等三角点「鳥越山」の標石を見つけ、無事登頂。

14:04、約30分間、平場の山頂を探すが二等三角点「黒岩」の標石は見つからず。

林道に戻る際、熊笹を掻き分け、ドンドンドンを登ってくる生命体が私の2mほど先で止まった。熊笹のおかげで双方相手が見えず、私は静かにその場を離れ、20mほど離れて笛を吹きながら林道を目指した。

遭遇しかけた生命体はクマに違いなく、九死に一生を得えた。山はクマの棲み処”との実態を痛感させられた出来事だった。 

 

 

15:01、林道鳥越鳥居線界口から国道401号線を経て国道289号線に入り北西に進み、只見町に戻った。

少し進むと、前方に「打越」の西に連なる「金石が鳥屋山」(969.6m、会津百名山68座)と、テレビ放送の東只見中継局が建つ「俎倉山」(953m)が見えた。*参考:拙著「只見町「金石が鳥屋山」登山 2020年 紅葉」(2020年11月15日)


明和郵便局の前を通り過ぎると、布沢への分岐を示す看板が現れた。

県道153号(小林会津宮下停車場)線に入り、外出橋を渡り布沢川を越えて右折した。

 

800mほど進むと「打越」に向かう丁字路になった。

坂が森の中に延びていた。「打越」布沢口だった。

 

 

15:25、熊鈴を再び取付けるなどの準備をして、「打越」布沢口を出発。

 

道はまもなく急坂になり、自転車を押した。陽が傾き、薄暗くなった場所では、沿道の木々や藪や密集していることもありクマの存在が気になった。熊鈴と自転車のベルを鳴らし、笛を吹きながら登り進んだ。

高度が増し、上方が開けてきた。

 

15:36、峠が見えてきた。

目指す「打越」の目印となる鉄塔も確認できた。

 坂を上ると、圃場整備された田が見えてきた。

田んぼの間に延びる直線道に出ると、前方に「俎倉山」が見え、カメラをズームにすると東只見中継局が確認できた。

 

さらに坂を上り進め、田んぼを見下ろした。集落から離れた山間に綺麗に整備された田は、日本の国力や農政を含めた政治の来し方を考えさせてくれると思った。

 

北に目を向けると、今回登山を諦めた「打越山」のなだらかな山容が見えた。

 

坂をまた少し上ると、丁字路となり、左に曲がって未舗装道を進んだ。

山の斜面手前で左に曲がると、まもなく右に延びる、轍のついた作業道との分岐になった。

この場所は、事前に確認した国土地理院地図の記述通りの道の形状だった。

 

作業道を進んだ。

しばらく進むと、足元にクマのお尻からの落とし物があった。表面が乾き。かなり時間が経っているようだった

両脇の幼木や藪は薄く、見通しが効くためクマの存在はさほど気にならなかったが、一応笛を吹きながら自転車を押して進んだ。

 

15:27、分岐になった、足元の車の轍を見ると左に向かっていたが、右側が稜線が見え、道の形状が見えたため、右折した。

道跡は雑草に覆われていた。

カヤの密集帯もあり、自転車を担ぎ、必死になって進んだ。

 

100mほどで“カヤト”を抜けると、前方に道らしい空間が延びていた。

ここでは、自転車を押しながら進む事ができた。

そして、“道”はスギ林の中に入った。

 

少し進んでスギ木立の間から左を見上げると、稜線が見えた。適当な場所で取付いて、再び自転車を担ぎ登ることにした。

斜面は急だったが、足元の雑草の丈は短く、大きな困難は無かった。右に目を向けると西陽を浴び輝いた「打越山」が見えた。

 

尾根が目の前に近づいた場所で、背後が開けている気配がして振り返ってみた。すると、スギ木立越しに、南会津町と栃木県日光市との境に延びる山々の稜線がはっきりと見え、『良い眺めだなぁ』としばらく見入った。

 

この“ビューポイント”の先には、尾根筋が見えた。

 

16:24、尾根に乗って自転車を置いて、一息ついた。

尾根は幼木に囲まれ、見晴らしは良くなかった。先ほどの“ビューポイント”が「打越」の眺望点だと思った。

右に目を向けると、「打越山」山頂に向かう尾根が続いていた。歩き易そうな場所で、視界に入る尾根筋を見る限り、スノーシューを履いた雪上トレッキングも可能だと思った。

   

 

小休息を終え、鉄塔に向かった。


16:31、鉄塔に到着。布沢口から約1時間で登ることができた。

鉄塔からは作業道が延びていた。


突き当ると、南北に作業道が延びていて、この場所が現在の「打越」のようだった。

北側、鮭立口方面には、遠く山の稜線が見えた。

南側の布沢口方面は、木々に覆われ眺望は良くなかった。作業道を少し南側に歩いて斜面下を見ると、先にも続いていた。あのピンクテープが降ら下がっていた分岐に続く作業道では、と思った。

 

 

「打越」を後にして、山入口目指して下山を開始。

坂を下ると、作業道を横断するようにプラスチック製の階段が設けられていて、送電鉄塔番号を示す東北電力の黄色い標識も立っていた。

作業道を横切り、電力会社が整備している道を進んだ。

 

作業道に合流すると、前方に送電鉄塔が見えた。ここから、自転車に乗った。

作業道を進むと、倒木も見られた。その状態から、この作業道はしばらく車両が走行していないと思われた。

 

作業道の脇に、また送電鉄塔の黄色い標識が見られ、その上方には林の中を突っ切る道が延びているようだった。

 

自転車を進めた。

途中、わずかに舗装面があったが、ほとんど未舗装で、凸凹が酷い場所も多く、自転車は大きく揺れた。

 

16:59、前方に送電鉄塔を見ながら急坂を下った。

 

夕暮れは早く、暗闇の中、笛を吹き自転車のベルを鳴らしながら進むと、前方に町道藤倉線の合流点が見えた。

 

17:08、「打越」山入口に到着。

 

日没になってしまったが、「打越」を無事に越えた。思いのほか登坂が短く、自転車を担ぎながらも急坂もひと踏ん張りで済んだ。

今回、雑草が生い茂る斜面の登坂で“ビューポイント”見つけられ、「打越」から「打越山」に続く尾根の状態も確認できたことから、今後の“只見線百山”検証登山の予習ができたことは大きかった。


「打越」を経ての「打越山」登山は、新緑の頃が良いかもしれない。次は逆方向、金山町山入口から「打越」を目指したいと思った。

   

時間は押していたが、当初の予定通り温泉に入ってから只見線の列車に乗ることにした。

「打越」山入口から県道352号(布沢横田)線に入り、久保集落で左折し四十九院峠を越えて国道252号線に入り、20分ほどで「大塩温泉 共同浴場」に到着。

入湯料(協力金)を集金BOXに入れて、浴室に向かった。そして、登山後に温泉に浸かれる喜びを感じながら、急ぎ入浴を済ませた。

 

「大塩温泉 共同浴場」を出ると、国道沿いにあるスーパーヒロセ(滝沢商店)でビールを調達してから駅に向かった。

会津横田駅に到着。

駅舎(待合室)の補修工事は終わったようで、立入禁止の貼り紙は剥され、灯りが付いていた。


待合室の灯りを頼りに自転車を分解し、輪行バッグに収め終えると、まもなく只見方面のカーブが明るくなり、ヘッドライトがを点けた列車が駅に近づいてきた。

列車は、今朝乗ってきたキハE120形の単行(1両編成)だった。整理券を受け取り乗り込むと、客は居なかった。平日の、暗闇の中を走る最終列車で見慣れた光景だったが、残念に思った。

18:29、定刻をわずかに遅れ、列車が会津横田を出発。会津若松までの運賃は1,520円で、切符は今朝会津若松駅で購入していた。

列車が走り出すと、ヒロセで購入した缶ビールで、祝杯を挙げた。「黒岩」では三角点標石を見つけられず、クマとニアミスしてしまったが、無事に「鳥越山」に登頂し「打越」を越えた事に安堵した。

 

会津川口では、小出行きの最終列車と交換を行った。小出行きはキハ110タラコカラー+キハE120形の2両編成だったが、一見し客は1人だった。

停車時間が16分あるため、駅前の加藤商店に行き、カップラーメンを買って夕食を済ませ、車内に戻り秋刀魚の蒲焼をアテに「榮川」のワンカップを呑み始めた。

会津川口を出た列車は、暗闇の中を進んだ。ワンカップをチビチビ呑みながら読書をし、時折車窓から点々とする集落の灯りを見ながら過ごした。 


 

20:55、列車が終点の会津若松に到着。この後、磐越西線の列車に乗り換え、自宅のある郡山に向かった。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書(PDF)(令和2年3月) 「復興事業に係る事務の執行について」 p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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