私選“只見線百名山”候補の検証登山。今日はJR只見線で魚沼市に向かい、“魚沼アルプス”を周回登山し、最高峰「笠倉山」(907m)に登頂した。
“只見線百山”は“観光鉄道「山の只見線」”のアクティビティーで、乗客増や沿線振興につながるのではないかと思い、筆者が私的に選んでいる。新潟県側は、新潟百名山と二等三角点峰を中心に、27座を候補としている。
「笠倉山」は「日本山名事典」(三省堂)に次のように記載されている。
かさくらやま 笠倉山 (高)907m
新潟県魚沼市と南魚沼市の境。越後山脈の駒ヶ岳から北西にのびる支稜にある。古生層からなる。*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p240)
同事典には他二座(新潟県阿賀町(1,139.7m)、福島県只見町(993.7m、会津百名山))の“笠倉山”の記述がある。*参考:拙著「只見町「笠倉山」登山 2021年 紅葉」(2021年11月13日)
この「笠倉山」を最高峰とする“魚沼アルプス”は、只見線・小出駅の南東に連なる七座の里山の総称となっている。
“魚沼アルプス”
「大力山」(504m)/「黒禿の頭」(770m)/「笠倉山」(907m)/「駒の頭」(608m)/「トヤの頭」(671m)/「涸沢山」(619.3m)/「鳴倉山」(578.4m) *「桑原山」(558m)を加え八座とも,さらに「城山」(357m)を加え九座とも
“魚沼アルプス”には地元有志により縦走路が整備され、多様な周回登山が可能で、2021年からは日本スカイランニング協会(JSA)認定の「魚沼スカイラン」が開催されている。今年の「第3回 魚沼スカイライン」は11月5日(日)に予定されている。*下掲出処:魚沼スカイラン実行委員会 facebook 2023年7月20日
今回の旅程は以下の通り。
・会津若松駅から只見線の始発列車に乗って小出駅に向かう。
・小出駅から輪行した自転車で登山口近くの魚沼市響の森公園に向かう。
・自転車を置いて、宝泉寺近くにある「大力山」登山口から登山を開始。
・「大力山」ー「黒禿の頭」ー「笠倉山」ー「黒禿の頭」ー「駒の頭」ー「トヤの頭」ー「鳴倉山」の周回登山を行う。
・下山後、小出駅に戻り、只見線会津若松行きの最終列車に乗って帰途に就く。
今日の天気予報は、曇りのち雨。低気圧の接近で大荒れになる可能性があるということだったが、下山するまでに荒天にはならぬだろうと淡い期待を持ち、「笠倉山」周回登山に臨んだ。
*参考:
・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線
・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )
・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送
・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線」
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の秋ー / ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線全線乗車ー
輪行バッグを抱え駅舎に入ると、正面の展示スペースに「ぽぽべぇ」が立ち、脇には“只見線紅葉状況”と記されたボードが置かれていた。色づきは、会津若松~会津川口間が7割で、只見(町)や小出(魚沼市)は9割ということだった。
切符を購入し、改札を通り4-5番線ホームに向かった。連絡橋から4番線を見下ろすと、只見線の列車はすでに入線していた。
小出行きの列車は、キハ110+キハE120形の2両編成だった。後部車両となるキハE120形に乗り込んで席を確保した。
6:01、只見線下りの1番列車が会津若松を出発。発車時刻までに乗客はどんどん増え、両車両とも8割ほど席が埋まっていた。
列車は、七日町、西若松を経て大川(阿賀川)を渡った。外は濃い霧に覆われていた。
しかし、会津本郷を出て会津美里町に入り、高田地区の市街地が近づくと霧がはれ、「明神ヶ岳」やその奥の「博士山」の稜線までが見えた。
ただ、会津高田を出て“高田 大カーブ”を過ぎると、列車は霧の中に突入する形になり、再び視界が塞がれた。
根岸、新鶴を経て若宮手前で会津坂下町に入った列車は、左に大きく曲がった後に会津坂下に停車。上り列車とすれ違いを行った。
まもなく出発した会津若松行きを見ると、後部車両は“タラコカラー”のキハ110だった。
会津坂下を出た列車は、七折峠に入り登坂を開始。塔寺手前で右側(東)の木々の間から見下ろすと、会津平野は濃霧に包まれていた。
七折峠を越えて会津坂本に停車。貨車駅舎に描かれた「キハちゃん」は、いつもと変わらぬ笑顔を見せていた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html
柳津町入った列車は、会津柳津、郷戸、滝谷を経て、滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索」
会津桧原を出発してまもなく、車内放送が『列車はこれから只見川に架かる橋を渡ります。橋から見える景色をお楽しみください』という旨を告げ、列車は桧の原トンネル抜ける前に減速し始めた。
そして、トンネルを抜けてまもなく、ゆっくりと「第一只見川橋梁」を渡った。只見川の水鏡は冴え、まずまずの見ごたえだった。*只見川は、東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖
車内放送と“観光徐行”の効果もあってか、ほとんどの客が車窓に顔を向け見入り、スマホやカメラのシャッターを切っていた。
会津西方を出発直後には、「第二只見川橋梁」を渡った。車内放送は無かったが、ここでも渡河手前でスピードを落とす“観光徐行”が行われた。“観光徐行”は、結果「第八只見川橋梁」までの只見川に架かる全8つの橋梁で行われた。*只見川は柳津ダム湖
ここでも只見川の水鏡は冴え、上空の雲をはっきりと映していた。ダム湖が連なる只見川の水鏡は、川の流速や気温、湿度、光量、光射角、風量などで見る時々で映り込む風景が違い、無二の光景を創り出す。“観光鉄道「山の只見線」”が国内外有数のコンテンツとして定着するために、只見川の水鏡は重要な役割を果たす、と改めて思った。
列車は会津宮下に停車し、上り列車とすれ違いをした。会津若松行きの2番列車(会津川口発)はキハE120形の単行(1両編成)で、数名の客がカメラを構える中、入線してきた。
会津宮下をた列車は、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を駆けて「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖
早戸を出ると金山町に入り、8連コンクリートアーチ橋の細越拱橋を渡った。
会津水沼を経て「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖
会津中川を出発し大志集落の背後を駆けた後、列車は減速しながら右に大きくカーブした。振り返ると、只見川に突き出た大志集落が見えた。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖
8:05、会津川口に停車し、小出発会津若松行きの1番列車とすれ違いを行った。
只見川には、浚渫船が浮かんでいた。只見線を11年2カ月も区間(会津川口~只見)運休に追い込んだ「平成23年7月新潟・福島豪雨」は、ダム湖の浚渫土砂が被害を拡大させたとも言われている。
只見線が、東京圏からの周遊観光が可能な会津若松と小出を結ぶ一本の鉄道として走り続けるためにも、必要なこの浚渫作業は只見線の“いつもの光景”になるだろうと考えた。
会津川口に10分停車した後、列車は出発し復旧区間に入った。野尻川橋梁を渡った後、しばらく只見川右岸を駆けた列車は、西谷信号場跡の広場を過ぎると「第五只見川橋梁」を渡った。*只見川は上田ダム湖
本名を出ると東北電力㈱本名発電所・ダムの直下に架かる「第六只見川橋梁」を渡った。
本名トンネルを抜け、只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過。
会津越川を経て会津横田を出発してまもなく、「第七只見川橋梁」を渡った。*只見川は本名ダム湖
会津大塩を出た列車は、滝トンネル(1,615.2m)を抜けて只見町に入った。
会津塩沢に停車。駅名標は1カ月前に更新されたもので、明治維新の戊辰役・北越戦争で長岡藩を指揮した家老・河井継之助“終えんの地”と記されていた。
この駅名標の更新は、上下分離で会津川口~只見間の鉄道施設を保有することになった福島県により行われたもので、次の会津蒲生駅には会津のマッターホルン・蒲生岳“登山口”と表示されている。*下掲記事:福島民報 2023年9月30日付け紙面
会津蒲生の更新された駅名標の背後には、全線運転再開を祝福する“幸せの黄色いハンカチ”がなびいていた。
蒲生川(真名川)橋梁を渡り、振り返って「蒲生岳」(828m、同83座)を見るが、山頂付近は霧で覆われていた。
八木沢地区の背後を駆けた列車は、只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。
この「叶津川橋梁」の只見方には町の有志が整備した「叶津川ビューポイント」では2人の“撮る人”がカメラを構えていたが、山の斜面に丸太が置かれ新たな整備されているようだった。
9:07、只見に停車。
グループ客を中心に10名ほどが下車し、他列車の待ち時間(23分)を利用し駅周辺を散策しに行く客も多くいた。
9:30、列車が只見を出発。雲の間に青空が見え、陽も届き始めた。見頃を迎えているという、福島と新潟の県境(六十里越)の紅葉に期待した。
ここから先は「小さな旅ホリデー・パス」のエリア外になるので、只見~小出間の切符を別に購入しておいた。
列車が走り始めると、宮道踏切には手を振り見送る方がいた。おなじみの「駅前旅館 只見荘」の女将の姿もあり、小旗を持ち両手を大きく振ってくれていた。
第二赤沢トンネル手前の明り区間からは、電源開発㈱只見発電所の只見ダムと、奥にはうっすらと田子倉発電所の田子倉ダムが見えた。
“六十里越”に向かって登坂するため、ディーゼルエンジンの出力を上げた列車は田子倉トンネル(3,712m)を抜けた。すると、陽光を浴びた六十里越の紅葉が目に飛び込んできた。
余韻沢橋梁上見える、田子倉ダム湖の中心に向かう“只見沢入江”湖岸の紅葉も綺麗だった。
そして、田子倉駅跡のあるスノーシェッドを抜けると、圧巻の光景が目に飛び込んできた。雪食地形のゴツゴツとした岩肌に、這う褐色の灌木と点在するマツの緑。山裾に色付いた木々があり、只見沢の水量はわずかだったが、それが枯山水的な雰囲気を与え、全体として美しい風景になっていた。
国道252号線の跨線橋を潜り、右(北)に目を向けると、「浅草岳」(1,585.4m、同29座)の全体が見えた。田子倉登山口の広場には数台の車が停まっていて、ここは登山日和だなぁ、と思った。
列車は只見沢橋梁を渡り、“会越国界”を横断する六十里越トンネル(6,359m)に突入した。
沿線の紅葉は、まだ見頃だった。
破間川に合流するまで末沢川に架かる16基の橋などを渡ったが、下り坂のため速度が速く、渓谷の紅葉はさっと過ぎ去ってしまった。ここでも“観光徐行”をして欲しいと思った。
「第六末沢川橋梁」を渡り、国道252号線に架かる茂尻橋を中心とする景色を眺めた。真っ赤なアーチ鋼材は渓谷の紅葉が創り出す景観を引き締めていて、美しい眺めだった。
“六十里越え”区間を走行した列車は末沢川に別れを告げ、減速し左に大きく曲がりながら破間川に架かる「第五平石川橋梁」を渡った。
9:58、大白川に停車。只見行きの臨時列車が停車していることもあってホームには人があふれ、駅舎には「そば処 平石亭」の開店を待つ客がカメラを構えるなどして、列車を見つめていた。
ここでは、30名ほどのツアー客が乗り込んできたため、車内は一気に混雑した。
大白川出発直後は破間川に沿って列車は進んだが、「第四平石川橋梁」を渡ってからは交差を繰り返した。
入広瀬を出ると、綺麗に色付く「鷹待山」(339m)を巻くように左に大きく曲がった。
上条を出ると、水が張られた田を見ながら、左に大きく曲がった。
越後須原に停車。大白川駅で乗り込んできたツアー客はここで降り、駅頭に付けられた大型バスに乗り込んだ。
魚沼田中手前では、大倉沢橋梁を渡った。薮神ダムのダム湖になっている破間川は、深緑で表面は波打っていた。*薮神ダムは東京電力㈱薮神発電所(水路式)の取水ダムであり、薮神第二発電所(ダム式)の調整池となっている
越後広瀬を経て「第一破間川橋梁」を渡り、破間川との付き合いが終わった。
藪神を出てまもなく、左(南)に山並みが見えた。越後三山は雲に隠れていたが、「トヤの頭」と「鳴倉山」の間に、「笠倉山」の一部が見えた。
10:41、終点・小出に到着。輪行バッグを抱え、降りた。
ホームの南端に移動し、“魚沼アルプス”の山々(「大力山」「笠倉山」「トヤの頭」「駒の頭」「鳴倉山」)を眺めた。
連絡橋を渡り改札口に向かうと、ホームで魚沼市観光協会による物販や観光案内が行われていた。
10:58、駅頭で自転車を組み立て、小出駅を出発。
県道に架かる小出橋を渡り、「笠倉山」を中心とする“魚沼アルプス”の山々を眺めた。
佐梨川手前で県道522号(虫野小出停車場)線に入り、側道から国道291号線に進むと、関越自動車の小出ICの先に響きの森公園を指す奥只見リクリエーション都市公園・小出地域の案内板があった。
これから天気が下り坂ということで、自転車は雨が当たらない場所に置かせてもらうことにした。
登山の準備。
余計な荷物を自転車に掛け、GPSの電源を入れ、2つの熊鈴を取り付けた。
印刷してきた断面図入りの国土地理院地図を見て、ルートと傾斜を確認した。
11:28、“魚沼アルプス”周回登山を開始。「大力山」と左奥に「笠倉山」を眺めながら国道291号線を歩いた。青空は見えていたが、南から雲が張り出してきているようだった。
途中、干溝集落の民家の前を通り過ぎる際に、作業をしていた御主人から尋ねられ『山に登ってきます』と応えると、熟した柿をいただいた。甘く旨かった。
「大力山遊歩道入口」となる宝泉寺が見え、参道を進んだ。
11:36、「大力山」登山口に到着し、「笠倉山」山頂を目指し登り始めた。
登山道は傾斜はあったものの、踏み跡明瞭で登り易かった。
登山道の脇には、石塔があり、中には小さな観音様像が置かれていた。番号が振られ、三十三観音のようだった。
石塔に黙礼をしながら登山道を進んだ。
しばらく登り進むと、前方に平場が見えてきた。
11:44、秋葉神社に到着し、広場を直進した。
登山道は御堂の左側から奥に延び、ほぼ平坦だった。まもなく、鉄塔が現れた。東北電力㈱の八色線28番鉄塔のようだった。
鉄塔の先も、しばらく平坦だった。
まもなく、登山道の斜面に設けられた、プラスチックで段差が現れた。送電鉄塔の巡視路になっているようで、“八色線”と記された標杭が立っていた。
11:52、プラスチックの段差を登り、少し進むと分岐が現れた。ここにも、送電鉄塔の標杭が立っていた。
分岐を右に進むと両脇の灌木が低くなり、振り返ると麓の景色が見えた。森林限界にしては標高が低いと思ったが、僅かに登っただけで、これだけの眺望が得られることに驚いた。
さらに登り進むと「大力山」の山頂が見えてきて、登山道は傾斜を増した。
11:57、七合目を通過。
丸太組の階段を登った。
12:05、九号目を通過。
傾斜は増し、急坂を黙々と登って行くと、前方に屋根らしき人工物が見えてきた。
12:08、「大力山」山頂の北250mほどの場所にある東屋に到着。
東屋を背に、麓の景色を眺めた。良い眺めだった。「藤権現」や「御嶽山」など、小出駅周辺に眺望の良い低山が多い事が羨ましくもあったが、“観光鉄道「山の只見線」”にとっては素晴らしい事だと思った。*参考:拙著「魚沼市「藤権現」トレッキング 2023年 早春」(2023年4月1日) / 「魚沼市「御嶽山」トレッキング 2023年 春」(2023年5月13日)
東屋からは「笠倉山」山頂や、その手前の通過点「黒禿の頭」も見えた。しかし、空には濃い鼠色の雲も出ていて、『雨降りは確実だろうな』と思った。
写真と撮った後、「大力山」山頂を目指し登山を再開。東屋の柱には、『大力山の山頂は ここから約200m先』と記されていた。
東屋から先は、平坦な道が続いた。
まもなく、広い土間が現れ、横に長い石碑が見えた。
12:14、「大力山」山頂に到着。宝仙寺登山口から38分掛かった。
「大力山」山頂からの眺望は、灌木に囲まれた平場ということもあり、いま一つだった。
次の経由ポイントである「黒禿の頭」に向けて出発。“板木城跡コース”との合流点に向かった。
緩やかに下った後、微かな上り返しを進むと、前方に標杭が見えてきた。
12:18、“板木城跡コース”と合流。左に曲がり、進路は南から東に変わった。*参考:魚沼市観光オフィシャルサイト 登山・トレッキング「板木城跡(いたぎじょうせき)」
合流点の直後は鞍部への、急な下り坂になった。
そして、鞍部に着いて登り返す時に、ジャケットを小さく叩きつける音が聞こえ始めた。とうとう、雨が降り始めた。フードを被り、リュックにカバーを被せで登り進んだ。
登り返しを終えると、登山道の先に、雨雲を背景に「笠倉山」山頂の稜線が見えた。
12:30、緩やかなアップダウンを繰り返し進み、三等三角点「栃窪」の標石を通過。
*三等三角点「栃窪」
基準点コード:TR35538673901
北緯 37°11′30″.2792
東経 138°59′49″.0825
標高(m) 505.16
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)
この先、少し深い鞍部に下った。山肌の色付きは鮮明かつ多様になり、美しいと思った。
登り返しの途中、左(北)が開けた場所で周囲の景色を眺めた。小雨は降り出していたが、まだ麓の景色を含め、周囲の山並みを見る事ができた。
登り返しが一旦終了し、ブナの巨木の前を通過。今での登山道の両脇が灌木だったので、大きな木は新鮮だった。
ブナの先は急坂になり、ヒモ場になった。ただ、足元には木の根が貼り出していたためグリップが効いてトラロープに頼ることは無かった。
急坂を登り切り振り替えると、魚野川と破間川の谷底平野はガスに遮られ霞んでいた。
この先、登山道は尾根筋に延び、両側の見晴らしも良くなった。
ピークの手前には、登山道に横たわる巨石があった。
ピークに乗ると、前方は森林限界の尾根になった。周囲は濃い霧に包まれ見通しは悪かったが、色付いた灌木とやや痩せた尾根の組み合わせが幻想的だった。
今日が快晴だったならば、この先に冠雪した“越後三山”が見えたとは思ったが、ガスに包まれた紅葉の登山道も悪くなかった。
右(南)の三用川へ注ぐ沢の源頭部周辺も、綺麗に色付いていた。
13:05、四等三角点「仙能沢」を通過。
天面に金属標を点けた三角点標石で、初めて見た。
*四等三角点「仙能沢」
基準点コード:TR45539602001
北緯 37°11′16″.1318
東経 139°00′41″.9262
標高(m) 672.78
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)
前方の霧は一層濃くなった。雨は降ったり止んだりで、降っても微小な雨粒だった。
少し下った鞍部から、急坂で長い登り返しになった。
黙々と歩いて行くと、前方が大きく開けた。
13:22、「黒禿の頭」に到着。“クロハゲ”とは妙な名で、どんな場所かと思ったが、大人数でも休憩ができる広い土間をもった頂だった。
“クロハゲ”とは妙な名で、どんな場所かと思ったが、大人数でも休憩ができる広い土間をもった頂だった。
「黒禿の頭」に三角点は無く、“小出 最高点”と刻まれた標杭には「魚沼スカイラン」開催のお知らせが貼られていた。
「笠倉山」に向かって、登山を再開。
少し進むと、急坂の下りになり、下には舗装道が見えた。
丸太階段を下り、林道高石中ノ又線に下りた。
林道の緩やかな坂を250m登ると、広くほ舗装された駐車スペースになった。
その奥に、「笠倉山」登山口があった。「笠倉山」は林道高石中ノ又線を使えば簡単に登られる山となっている。
登山口から短い急坂を登ると、まもなく山頂尾根の北縁に出て、登山道は南東に延びた。
ヒモ場が現れたが、トラロープを掴むまでもない、歩き易い坂だった。
ピークに出ると、山頂方面は濃い霧に覆われていた。
登山道は傾斜があったものの、歩き易く、根も張り出していたため、足を滑らすことはほとんど無かった。
2箇所目のヒモ場を通過。
3箇所目のヒモ場を通過。
4箇所目のヒモ場になると、上方が大きく開けた。
13:46、「笠倉山」山頂に到着。宝泉寺登山口から2時間10分掛かった。予定から30分以上、時間オーバーした。
三角点は山頂標杭の向こう側にあった。
山名と三角点名を違うが、標石に触れて登頂を祝った。
*「笠倉山」:二等三角点「行安山」
基準点コード:TR25539602201
北緯 37°11′01″.4765
東経 139°01′32″.3153
標高(m) 907.03
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)
山頂からの眺望。360度ガスに包まれ、何も見えなかった。
晴れていれば、南東に迫りくるような“越後三山”が見えるというが、次回の楽しみにした。
13:50、水分補給をして、「笠倉山」山頂を後にし「黒禿の頭」に戻った。只見線の会津若松行きの最終となる列車は、小出駅発16時12分。急げば間に合うだろう、とこの時は思っていた...。
14:01、「笠倉山」登山口に下りた。
林道に出て、「黒禿の頭」に向かう急坂を登った。
息が切れた。
14:06、「黒禿の頭」に戻った。
この先、「駒の頭」(680m)ー「トヤの頭」(671m)ー「鳴倉山」(578.4m)と短時間にアップダウンを繰り返し、林泉庵を経由して響きの森公園に戻る事になる。*下掲地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: ttps://maps.gsi.go.jp/ *「ツール」ー「断面図」に、標高図を転記し筆者が作成
気合を入れ、まずは「駒の頭」に向かって、「黒禿の頭」を下った。
地図で確認していたとはいえ、いきなり急坂をかなり下る事になり、登り返しと体力が心配になった。
14:29、四等三角点「駒の頭」を通過。金属標のある三角点だった。
*四等三角点「駒の頭」
基準点コード:TR45539603101
北緯 37°11′49″.8463
東経 139°01′08″.1580
標高(m) 647.93
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)
鞍部を越え登り返しに入ると、急坂もさることながら、昼食未摂取と雨に濡れたため体力が低下し想定以上の辛い登坂となった。上方に標杭が見えた時は、息が切れ始めていた。
14:40、「駒の頭」に到着。
ここにも「魚沼スカイラン」開催の案内があり、標杭の頭に取り付けられていた。
先を急いだ。
鞍部に下り、登り返した。この辺りで、息も絶え絶えとなり、上方にピークが見えても喜ぶ余裕が無くなっていた。
15:05、「トヤの頭」に到着。
標杭の頭には、「魚沼スカイラン」の開催案内。
次のピーク「鳴倉山」まで55分と書かれた案内が地面に落ちていた。只見線の列車発車時刻まで1時間7分ということで、間に合わないことは確実となったが、急ぎ進んで、どこまで行けるか試そうと思った。
「トヤの頭」の先は、長い急坂のアップダウンは無く、体力的に助かった。
途中、霧も薄れ、麓の景色が見えるようになった。
15:41、鏡池(標高470m)を通過。
短かったが、途中の急坂にはロープも垂らされていた。
次の急坂も短く、難なく越えられた。
登りきると、奥行きのある平場になった。
15:48、「鳴倉山」に到着。
ここでは標石に触れた。
*「鳴倉山」:三等三角点「鳴蔵」
基準点コード:TR35539605001
北緯 37°12′46″.5659
東経 139°00′14″.5786
標高(m) 578.42
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)
「鳴倉山」山頂からの眺望。この山は車窓から見えることもあり、晴れていれば只見線のレールが見えただろうにと思った。
「鳴倉山」から下る。前方には、流れる薄い雲(霧)越しに、麓の様子が見えた。
雲が晴れ、右下に「大力山」が見えた。意外に、山らしい山容だった。
途中山の斜面には、飛び板のようなベニヤ板が付き出していた。「鳴倉山」山頂付近はパラグライダーの“基地”になっているということで、発射台のようだった。
少し先に進み、山頂尾根の肩から小出地区を見下ろした。雲が晴れて、見渡すことができた。
小出駅の方にカメラをズームにすると、只見線の列車が見えた。私が乗ってきた列車のようだったが、乗る予定だった会津若松行きの最終列車は単行(1両編成)が通例なので、この列車の陰に隠れているだろうのかと思った。
15:58、下山を再開し、突き分けコースとの分岐を直進した。
16:02、アリゴ沢を通過。
16:05、突き分けコースと大西台の分岐。一本杉まで1.3kmと書かれた標杭が見えたので、大西台方面に向かった。
途中、左(南西)を見下ろし、カメラをズームにすると、
「大力山」の宝泉寺登山口がはっきりと確認できた。
灌木の間に延びる登山道を下った。
16:12、とうとう、列車の発車時刻になった。今回の「笠倉山」周回登山は、距離を重視し希望的観測でタイムスケジュールを組み、現場の高低差と自身の体力の衰えを考慮していなかった事が、乗り遅れにつながってしまった。反省、反省。
下り坂の傾斜が増し、慎重に下りた。ヒモ場になっていたが、ロープの助けを借りることは無かった。
16:21、「一本杉」への分岐を、矢印に従い、右に進んだ。
この後、緩やかな登り返しがあった。負担なく登られた。
再び、「一本杉」への分岐。矢印に従い、ここでは直進した。
緩やかな坂を下ってゆくと、平たい土間が見え、スギの巨木が立っていた。
16:31、「一本杉」に到着。登山届用のポストも置かれていた。
この後、「一本杉」を背に左に曲がり、先に進んだ。登山道はスギ林とナラやブナなどの混成林の間に延びていた。
16:43、林を抜けると、大屋根が見え、開けた。貴福山「林泉庵」(曹洞宗)の裏に出たようだった。
本堂を背に、山門を通り抜けた。立派な山門だった。
「林泉庵」を背に右に曲がり、国道291号線に合流した。振り返って「大力山」を眺めた。
16:48、響きの森公園の管理棟・なるこに到着。5時間20分振りに戻り、山行を終えた。さっそく、軒下から自転車を出して、荷物を再パッキングして、小出駅に向かった。
予定時間をオーバーし、只見線の列車に乗り遅れるという失態があったが、「笠倉山」周回登山はケガ無く、道迷いもなく終える事ができた。
「笠倉山」周回登山は、息切れもしたが、紅葉の見頃ということもあって楽しさが勝る山行になった。また、『晴れていれば越後駒ヶ岳などの越後三山が見える』と考えると、さらに魅力が増す山という認識を持った。
登山口まで小出駅から遠くはなく、周回登山ということで只見線を利用した登山も大きな負担無くできるので、「笠倉山」は“只見線百山”に相応しい山だと思った。
また、「笠倉山」は登山道や案内板は整備されているため、老若男女問わず楽しめ、私見としての課題も見つからなかった。課題よりも、“魚沼アルプス”内の山々を組み合わせた多様な山行も可能なので、“引き出し”が多く、可能性のある素晴らしい山だった。
但し、会津若松方面の方々が只見線を利用し周回トレッキングをする場合、付近で前泊し朝早くから登り始め、余裕をもって小出駅発16時12分の列車に乗った方が良いだろう。私自身が乗り遅れたこともあり、自戒を込めてそう思った。
17:24、途中で昼食や地酒などを調達し、小出駅に到着。駅頭で自転車を分解し、輪行バッグに収納し待合室に向かった。
只見線の列車には乗り遅れたが、新幹線を利用すれば今日中に自宅のある郡山に帰られる。はからずも、只見線が東北新幹線と上越新幹線に挟まれているありがたみを、今日体感することになった。
スマホで乗換案内を立ち上げ検索すると、18時31分に小出を出発し、浦佐で上越新幹線、大宮で東北新幹線に乗り換えて、21時1分に郡山に到着するダイヤが最短だった。なんと、乗り遅れた只見線の列車を乗り継いで郡山に向かうより、1時間12分も早く到着してしまうダイヤだった。
帰宅できる目途が立ち、「笠倉山」周回登山の達成を祝い缶ビールを開けた。新潟限定の「風味爽快ニシテ」は、今日も旨かった。
列車の到着時間が近付き、連絡橋を渡り2-3番線ホームに向かった。ホームに到着し向かい側のホーム(4-5番線)を見ると、明日の会津若松行き始発列車(5時36分発)と思われる、キハE120形+キハ1102両編成の列車が5番線に停車していた。
「鳴倉山」から下っている途中で見えた車両のようで、私が乗る予定だった列車は4番線に停車していて、その時はこの列車の陰に隠れて見えなかった事が分かった。
上越線の上り電車が入線してきた。
18:41、水上行きのが小出を出た。
18:40、2駅先の浦佐に到着。輪行バッグを抱え、切符を購入してから3階の新幹線ホームに行くと、まもなく東京行きのとき号が入線してきた。
18:53、とき号が浦佐を出発。車内は空いていて、輪行バッグも車両の最後部座席裏のスペースに置く事ができた。
小出~大宮~郡山間の乗車券は6,930円で、特急券は浦佐~大宮と大宮~郡山が同額の2,640円だった。計12,210円が余計な出費となってしまったが、只見線が二つの新幹線に挟まれ、導線に恵まれた環境にあることを実感する良い“投資”になったと思った。
車内では、“会越地酒の呑み比べ”を始めた。只見線全線乗車での恒例イベントだが、今回は上越新幹線と東北新幹線の中になった。
まず、上越新幹線では「高千代」(高千代酒造)を呑んだ。小出駅前の「富士屋」で、南魚沼市の酒蔵の純米酒を選んだ。
「高千代」純米酒(美山錦)を呑む。
辛い、とすぐに分かる辛さだったが、雑の無い風味やのど越しの爽やかさは、確かな純米酒で旨かった。
19:47、とき号が大宮に到着し、17-18番線ホームに移動すると東北新幹線下りのやまびこ号が入線してきた。
19:53、仙台行きのやまびこ号が大宮を出発。こちらも車内は空いていて、とき号内と同じように輪行バッグを後部座席後ろのスペースに置くことができた。
座席に着くと、さっそく“会越地酒の呑み比べ”と再開。東北新幹線内では、会津の定番「名倉山」の酒蔵「名倉山酒造」の「会津士魂」の呑んだ。昨日、会津坂下町の五ノ井酒店で選んでいたものだ。「会津士魂」とは、聞いたことある名だと思い調べたところ、直木賞作家・早乙女貢の幕末の会津藩を描いた小説のタイトルだっと事を思い出した。
「会津士魂」を呑む。
こちらは、お猪口を口に近づけると、芳醇な香りが印象的な酒だった。同じ純米酒でも、ここまでの色を出せるのか、と思いながら、香りを楽しみながら軽やかな吞み口を楽しんだ。
21:01、郡山に定刻に到着。小出~郡山の迂回ルート(404.3km)だったが、2時間31分で着いてしまった。
高速鉄道に乗ると、只見線を利用した小出~郡山(199.8km)の6時間かける旅の贅沢さを、しみじみと感じた。
只見線は座席の快適性やホスピタリティを高め、そして車窓からの風景の質と飲食(酒を含む)を充実させることで、“観光鉄道「山の只見線」”として多くの方々に良い旅を提供できると改めて思った。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 :只見線ポータルサイト / 只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書(PDF)(令和2年3月) 「復興事業に係る事務の執行について」 p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
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福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金
・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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