会津若松市「居酒屋 籠太」「手打ちそば・うどん 徳一」 2023年 夏

JR只見線で運行された「風っこ」号に乗って只見町を訪れた帰り、会津若松市内の居酒屋と蕎麦屋に立ち寄った。

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線沿線の食と酒- / -只見線の夏-

 

 


 

 

会津若松~只見間をトロッコ列車「風っこ」号で乗り通した後、只見駅から歩いて只見ダム周辺を散策した。

買い物を済ませ、只見駅のホームに戻り、小出方面を見ていると、まもなくヘッドライトを点けた列車がやってきた。

 

車両はキハ110系+キハE120形の2両編成だった。

 

平日だったが、車内は混雑していた。私は後部車両のキハE120形に移動し、1×1BOX席を確保することができた。

 

席に座り、小腹が空いたので三石屋で購入したメンチカツサンドを食べた。パンが柔らかくモチモチしていて、旨かった。

14:35、会津若松行きの普通列車が只見を出発した。まずは「平成23年7月新潟福島豪雨」で大きな被害を受け、昨年10月1日に11年2カ月ぶりに運転再開した只見~会津川口間(27.6km)を進んだ。

 

 

 

只見町市街地を離れ叶津集落が見えてくると、北に“会津のマッターホルン”と呼ばれる「蒲生岳」(828m、会津百名山83座)が姿を見せた。

この直後に、列車は只見線内最長(372m)の「叶津川橋梁」を渡った。この橋は、豪雨で大きな被害を受けなかった。

 

 

八木沢集落の背後を駆けると、国道252号線の八木沢スノーシェッドが近付き、開けた空間から只見川を見下ろした。

ここからの見える只見川はダム湖になっておらず、豪雨対策の河岸拡幅や木々の伐採などの工事が行われているため、列車内から“川らしい”只見川を眺められるビューポイントになった。*下掲載写真:「平成23年7月新潟福島豪雨」発生前の様子(撮影:2009年8月17日)



景色を眺めながら、三石屋の「みつやま」を食べた。小豆あんを求肥で包み、パウダースノーのように粉砂糖を纏った菓子で、今回は名物「なめらかはちみつプリン」ではなくこちらを選んだ。

口当たりは求肥のやわらかさとコシが絶妙で、小豆あんが違和感なく包まれ、上質な一体感があった。甘さも程よく、旨い菓子だった。この「みつやま」は、「あわまんじゅう」(柳津町)と共に、只見線の奥会津区間の“二大和菓子”になりうると思った。

 


列車は、電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖となった只見川に近づいた。対岸(右岸)にある浚渫施設(寄岩泊地)には運搬船が接岸し、重機が動いていた。

振り向いて川面を見ると、浚渫船と浚渫土砂運搬船が作業をしていた。

平成23年7月新潟福島豪雨」で只見線を含め流域に大きな被害を受けて、福島県や沿線自治体、電力会社(電源開発㈱、東北電力㈱)は様々な対策を行っている。

その中でもダム湖の貯水量を減らしてしまっている堆積土砂の除去は重要で、電力2社は泊地を設け日々作業を行っていて、只見線の車窓から見える日常の風景になっている。*下掲載記事:福島民報 2014年7月9日付け、同9月8日付け、同9月26日付け 紙面より *参考:国土交通省 水管理・国土保全局 「全国のダムの堆砂状況」/ 「主な堆砂対策」(PDF) URL: https://www.mlit.go.jp/river/dam/taisa/taisa3.pdf


列車は「第八只見川橋梁」を渡った。下路式トラス橋は、電源開発㈱佐久間発電所・ダム建設で国鉄飯田線が付け替えられた際、天竜川橋梁の架け替えにより撤去されたものが当地まで運ばれ転用された。この“第八橋梁”は、只見~会津川口間が電源開発㈱田子倉発電所建設用専用鉄道として建設されたということで、当時の国策である水力発電の歴史を考えさせられる橋になっている。

また“第八橋梁”は、豪雨で橋桁・橋脚などの主要部分の流出は免れたが、路盤流出・洗堀や法面崩落などがあり復旧工事はその対策が中心となり、深沢橋梁部も含め工事範囲は全長1,100mにおよんだ。*下図出処:東日本旅客鉄道㈱「只見線の状況について」(2016年11月30日・12月1日) URL: https://www.jreast.co.jp/railway/pdf/20161130-1201tadami.pdf *一部抜粋、筆者にて橋梁図左右反転

 

 

会津塩沢を出発した列車は、河井継之助記念館付近で滝ダム湖(只見川)に再び近づき、雄大な景色を右(東)に見ながら駆けた。

 

 

 

この後、列車が滝トンネル(1,615.2m)を抜け只見町から金山町に入った。

会津大塩を出て、並行して架かる町道の四季彩橋を上流側に見ながら「第七只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱本名発電所・ダムのダム湖

“第七橋梁”は豪雨で上路式トラス橋が流出し、まったく新しい下路式の橋に生まれ変わった。

*下図出処:東日本旅客鉄道㈱「只見線の状況について」(2016年11月30日・12月1日) URL: https://www.jreast.co.jp/railway/pdf/20161130-1201tadami.pdf *一部抜粋

 

この後、列車は会津横田会津越川を経て 山間の区間を進んだが、私は寝落ちしてしまい「第六只見川橋梁」と本名での景色を見過ごしてしまった。


 

目を覚ましたのは、「第五只見川橋梁」を渡っている最中。急ぎ、トラス鋼材の間からコンデジのシャッターを切った。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

“第五橋梁”は、会津若松方の橋桁1間が流出し、その部分の復旧工事が行われた。下路式トラス橋に被害は無かったため、錆びついたトラスと真新しい2間の橋桁が組み合わされた橋になっている。

  

 


15:25、復旧区間を走り終えた列車は、会津川口に到着。向かいの番線には会津若松(発)・小出(行)の列車が停車し、2両編成の車内は混雑していた。

 

会津川口を出た列車は、只見川(上田ダム湖)の左岸を大きく左に曲がった。林道の上井草橋を潜り抜けると、前方に只見川に突き出た大志集落が見えた。

 

 

列車は会津中川を経て、会津水沼手前で「第四只見川橋梁」を渡った。下流側、国道252号線の水沼橋の向こうには「三坂山」(831.9m、同82座)が見えた。*只見川は、東北電力㈱宮下発電所の宮下ダムのダム湖


 

8連コンクリートアーチ橋・細越拱橋を渡り金山町から三島町に入り早戸に停車。只見川(宮下ダム湖)は、周囲の緑と同化し、濃緑の水を湛えていた。

  


早戸を出て、早戸トンネルと滝原トンネルを抜けた列車は「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

  

 

会津宮下を出て、会津西方手前で「第二只見川橋梁」を渡った。下流側の川面には、上路式トラス橋と列車の影が落ちていた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムの柳津ダム湖

  

名入トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。上流側、駒啼瀬の渓谷の川面は波立っていた。*只見川は柳津ダム湖

ここで、上流側上方の鉄塔下にある「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上部Dポイントにカメラ向けてズームにすると、撮影者や見学者の姿は無かった。

  

 

 

列車は只見川の橋梁区間を終え、会津桧原を出て滝谷手前で柳津町に入り、郷戸会津柳津と進んだ。

会津坂下町に入った直後に停車した会津坂本では、「キハちゃん」で満面の笑顔で出迎えてくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html

 

会津坂本を出た列車は七折峠に入り、登坂を終えてディーゼルエンジンの出力を抑え静かに進んだ。

塔寺を出発してまもなく、木々の間から会津平野と「磐梯山」(1,816.2m、同18座)が見えた。

  

“七折越え”を終えた列車は、会津平野の田園地帯に入り、緑稲の間を快調に駆けた。

 

 

 

会津坂下を出た列車は、右に大きく曲がり、進路を真南に変えた。

若宮を出て会津美里町に入り、新鶴根岸を経ると、「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)に続く西部山地が夏空の下に連なっていた。

 

 

列車は、会津高田手前で左に大きく曲がり東進すると、会津本郷直前で会津若松市に入り、大川(阿賀川)を渡った。上流の先には、会津盆地を塞ぐ“大きな戸”が納得できる、「大戸岳」1,415.9m、同36座)の山塊が見えた。

 

 

 

 

17:19、列車は西若松を経て七日町に停車し、私は下車した。ホームの端に移動し、「磐梯山」を背景に、会津若松駅に向けて去って行く列車を見送った。

 

 

七日町駅から、「居酒屋 籠太」に向かった。

 

電柱・電線地中化と歩道整備がなされた七日町通りだが、平日のまだ暑い盛りということでか、人通りはほとんどなかった。*会津若松七日町通り「七日町通りの歴史」 URL: https://www.nanukamachi.com/shop/nanukamachi_history.html

 

  

 

18:25、途中で時間を潰し、予約時間に合わせて「居酒屋 籠太」に到着。居酒屋とは思えない数寄屋門の入口で、一見さんには敷居が高いと感じてしまう外観だ。

「籠太」とは意味ありげな名だが、店のホームページには、次のように記載されている。

(引用)
籠太(かごた)は江戸時代から昭和初期まで実在した江戸街道沿い、城下のはずれ滝沢峠の降りたあたりに実在した街道茶屋の名前です。(中略) 昔、参勤交代の折や、春には城下の人たちが石部桜で花見の折、夏には滝沢の不動様への夕涼み、秋には飯盛り山への茸狩りと、物見遊山の折に愛された、会津一の街道茶屋の名前です。(中略)私達は開店に当たり会津の多くの記録に登場し、又、人々の多くのドラマがあり、あたたかい人間的な匂いのするこの茶屋の名前に強く惹かれました。*出処:会津居酒屋 城下町料理 籠太 URL: https://www.kagota.co.jp/


“江戸街道”とは、会津若松城下と白河を結び、奥州街道経由で江戸に通ずる「白河・会津街道」で、この古道は文化庁の「歴史の道百選」に選ばれている。*下掲載記事:福島民報 2019年10月30日付け紙面より一部抜粋



数寄屋門を潜り、石畳通路を通り玄関に向かった。

障子戸を開け中に入ると、まもなく仲居さんがやってきて、名前の確認を受け靴を脱いで下駄箱に入れた。 

通された席は、幅広のカウンター席。他にも座席もあるようだったが、玄関やカウンター席からは見えない造りになっていた。


席に座り、日本酒のメニューを見ていると、L字カウンターの内側に立つ御主人から『(日本酒は)メニューに無いものもあるので、冷蔵庫を見てください』と言われ、彼の背後に立つ冷蔵庫に目を向けると色とりどりのラベルがあった。呑みたい酒のラベルも見えたので、御主人に『宮泉の純米はありますか?』と尋ねると、『ありますよ。いい酒選びますね』と言われた。

まもなく、お通しが運ばれ、コップが置かれ御主人が「宮泉」の純米酒をなみなみと注いでくれた。

「宮泉」を呑むのは久しぶりで、純米酒ながら濃厚で、冷えていてもしっかりとした香りが立ち、旨かった。 


料理は、事前の店のホームページなどを見て決めていた。

まずは「塩とうふ」を告げるが、『今品切れで、明日仕入れに行く予定です』ということで、「豆腐の味噌漬」を注文した。独特の食感で、一切れで1合は呑めるような濃厚味噌の風味と塩味だった。


同時に、会津地鶏の「焼き鳥」も頼むが、こちらも品切れということで、「鶏わさ」に変更した。軽く茹でてあるようで、脂が抜けさっぱりとしていたが、ほど良い弾力と旨味は会津地鶏のそれだった。「焼き鳥」を食べられなかったのは残念だったが、十分な“代役”だった。

 

会津地鶏に関しては、もう一品「鶏レバーワイン煮」を頼んだ。濃厚な「宮泉」に合うと思ったが、当たりだった。柔らかく、適度にしっとりしていて旨い一皿だった。

 

3品を食べ進み、少し炭水化物が欲しいと思い、「カンプラ田楽」を追加で注文した。“カンプラ”とはジャガイモのことで、福島の方言となっている。

「宮泉」を呑み干し、次は鶴乃江酒造の「会津中将」の純米酒を頼み、ちびちび呑んでいると「カンプラ田楽」が運ばれてきた。小ぶりのジャガイモの上に、濃厚で光沢のある味噌がかけてあった。

食べて、感動した。イモはホクホクで、味噌はイモの甘みと風味を邪魔しない絶妙な味になっていた。これが4品目の料理だったが、この「カンプラ田楽」を食べるためにだけ「籠太」を訪ねてもいいと思えるほどの逸品だった。

 

この他、メニューには会津らしい料理の名が記されていた。「会津馬刺し」(メニュー名は「蹴飛ばし」)はもちろんのこと、「こづゆ」や金山町の沼沢湖産の「姫マスの山椒煮」があり、鰊にいたっては定番の「にしんの山椒漬け」だけではなく、「かどニシンの糠漬け焼」と「ニシンの麹焼き」があった。“会津地酒”を中心とする日本酒のラインナップと合わせ、これら地の料理をいただける「籠太」は只見線の起点である会津若松を代表する居酒屋だと実感した。

 


私が座るカウンター席には、他2組が居たが、どちらも旅行者だった。漏れ伝わる会話から、仕事をリタイアして長期間の旅行を楽しむ関西から来られたシニア夫妻と、東北の美味しい日本酒を求めやってきたという若いご夫婦だった。「籠太」の御主人は京都で料理の修行をされたということもあり、この2組を含め会話が弾み、それぞれが楽しく会津の酒と料理を楽しんでいるようだった。

「籠太」は、“居酒屋探訪家”として知られる太田和彦氏の“居酒屋百名店”で東北地方の最上位に挙げられているなど、旅行者の中でも“会津若松といえば「籠太」”と言われる有名店。このカウンター席の光景は、それが納得できるもので、酒の肴にもなり楽しい時間と空間を味わわせてもらった。

 

 

「居酒屋 籠太」での終盤、蕎麦屋でそばを食べたいと思い、少し遠かったが「手打ちそば うどん 徳一」に向かった。

20分ほどで、会津平野の東端の“背あぶり山塊”に近い「徳一」に到着。今日、当初は予定していなかったが、訪れてみたいと思いチェックしていた蕎麦屋だ。

 

店内に入ると、閉店間際ということもあってか客は2組だった。

席に案内され、メニューを見て、さっそく「天せいろ」を注文した。

会津の蕎麦屋では“天婦羅そば”に日本酒を合わせ、天ぷらを肴に日本酒を呑みながら〆に蕎麦を食べる、という“型”があったが、今日は蒸し暑い中をあるいてきたこともあり瓶ビールにした。

  

しばらくすると「天せいろ」が運ばれてきた。続いて、蕎麦湯が入った湯筒もテーブルに置かれた。

 

天ぷらは、海老、茄子、ピーマン、そして南瓜の4種。カラッと揚がっていて、旨かった。

 

そばに手を付ける。「徳一」の蕎麦は二八そば、ということで白みがかったオーソドックスな見た目だった。

まずは、汁に通さず一口。コシがあり蕎麦の風味を感じるのど越しで、旨いと思った。

蕎麦そのものが旨いので、七味を付けても、汁に潜らせても、それぞれの旨味が加わり最後まで美味しく頂いた。

  

「徳一」の蕎麦を、今回の最後に食べることができ良い夕餉になった。「徳一」には、「にしんの山椒漬け」や「馬さし」、「そばがき」などの一品料理も多い。会津の地酒も取り揃えているようなので、次に機会があれば、これら一品料理を肴に日本酒を呑み、〆に蕎麦を食べに「徳一」を訪れたいと思った。


 

「手打ちそば うどん 徳一」を出て、歩いて30分ほどで会津若松駅に到着。

改札を通り1番線に行くと、磐越西線の郡山行き最終列車が停車していた。

 

21:01、2両編成の列車は会津若松を出発。車内では、只見町の三石屋で買ったお気に入りの菓子「鬼が面山」を食べて、旅を締めくくった。

 

 

22:13、列車は、無事に郡山に到着。平日の夜遅くということだろか、繁華街に直結する駅西口に人通りは少なく、迎えの車が目立っていた。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書(PDF)(令和2年3月) 「復興事業に係る事務の執行について」 p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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