観光列車「えちごトキめきリゾート雪月花」只見線乗り入れ 2023年 初夏

新潟県の鉄道会社「えちごトキめき鉄道」が新造・保有し、2016年4月23日の運行開始以降、山と海の眺望や様々な企画を通して人気の観光列車となった「えちごトキめきリゾート雪月花」が、初めて営業運転でJR只見線に乗り入れた。会津を駆ける姿を見たいと、会津若松市に向かった。

 

 

えちごトキめき鉄道㈱は、2015(平成27)年3月14日に延伸開業した北陸新幹線・長野~金沢間の並行在来線(信越本線と北陸本線)の新潟県区間の運行を引き継ぐために、2010(平成22)年11月に先行して「新潟県並行在来線㈱」(第三セクター鉄道)として設立され、2012年に現在の社名に改称した。出資者の中心は、沿線自治体の新潟県、妙高市、上越市、糸魚川市となっていて、地元では“トキ鉄”の愛称で親しまれているという。*参考:えちごトキめき鉄道㈱ 「会社概要・沿革」 URL: http://www.echigo-tokimeki.co.jp/company/outline/

 

このえちごトキめき鉄道(*以下、トキ鉄)が、“減り続ける利用者=収支悪化”を食い止め、旅客収入の増加と沿線の観光振興を図る目的で新造したのが、「えちごトキめきリゾート雪月花」(*以下、「雪月花」)だ。『第三セクターの鉄道会社が観光列車を新造することは全国的にも例がない』中、新潟県の補助金(約6億円)を活用し、県内の新潟トランシス社で製造。そして、2016(平成28)年4月23日の運行開始以降、数々の賞を受賞したデザインや乗車空間のホスピタリティーと大きな車窓から望む山と海の景色、そして沿線の食材を使用した料理を活かし、乗客を増やし評価を高めて国内屈指の観光列車として地位を得るようになった。*出処・参考:新潟日報 デジタルプラス「未来のチカラ」レールの先へ トキ鉄の挑戦(2019年5月27日~5月31日) URL: https://www.niigata-nippo.co.jp/nf/feature/niigata-areasolution/joetsu/series6-01.html / 参考:㈱IHI 「IHI技報ライブラリー」(第58巻 第2号(平成30年6月発行)) 「新潟トランシス㈱ aii made in NIGATAの観光列車」(PDF) 

 

「雪月花」は、トキ鉄管内の上越妙高駅(妙高はねうまライン、旧信越本線)と糸魚川駅(日本海ひすいライン、旧北陸本線)間を毎週土日祝日を中心に運行されているが、特別運行として新潟県内のJR線や隣接する長野・富山県の三セク路線などに乗り入れている。*下図出処:えちごトキめき鉄道㈱「雪月花」パンフレット URL: https://www.echigo-tokimeki.co.jp/setsugekka/pdf/2023setsugekka_summer.pdf *筆者にてページの順番を変更

   

今回の「雪月花」只見線の乗り入れは、今年3月に会津若松市で開催された“JR只見線の利活用促進や地域振興を考える只見線応援ミーティング”で、トキ鉄の鳥塚亮社長が寄せたビデオメッセージ内で表明された。鳥塚氏は、同月24日と25日に第二期の「只見線利活用計画」の第7回検討会議にも参加されたようだ。*参考:鳥塚亮社長「えちごトキめき鉄道社長(いすみ鉄道前社長) 鳥塚亮の地域を元気にするブログ」只見線に行ってきました。(2023年3月25日) URL: https://www.torizuka.club/2023/03/25/ /下掲記事:福島民報 2023年3月19日(日)付け紙面 *赤線、赤枠は筆者記入

「雪月花」にとって初めてとなる福島県への乗り入れについて、トキ鉄の大株主である新潟県の知事は『「どんどんやったらいい」と鳥塚氏の背中を押した』という。*出処:東洋経済ONLINE「只見線に雪月花、東急は四国「観光列車」新時代へ -他社線での営業運行が全国各地で動き出した-」(2023年3月28日) URL: https://toyokeizai.net/articles/-/661792


 

 

「雪月花」只見線乗り入れの日程は6月17日(土)と18日(日)と確定し、6月6日と7日の両日に只見線内で試運転も行われた。

【「雪月花」只見線乗り入れ】
・6月17日(土) 上越妙高(発)~長岡~小出~[只見線]~会津若松(着)
・6月18日(日) 会津若松(発)~[只見線]~小出~長岡~上越妙高(着)

私は只見線を走る「雪月花」に乗りたいと思い予約しようと、トキ鉄や「雪月花」、今回のツアーを取り扱う㈱日本旅行の公式HPをこまめにチェックした。そして、運行日の1カ月前を過ぎても掲載は無く、『まさか、中止になったのでは...』と思い始めた中で、ようやく5月26日に予約が開始された。さっそく日本旅行HPの専用ページから予約を入れようとしたが、愕然。両日とも完売となってしまったようで、“ご好評につき満席となりました”という文字が予約が面の入口に表示されていた。

完売という事態が呑み込めないまま、調べてみると、前述した鳥塚亮社長の5月25日のブログに『6月17~18日に運転する雪月花の只見線乗り入れ便の発売を明日26日の15:00から以下の日本旅行のサイトにて発売開始いたします』とあった。私が予約操作を始めたのが26日の18時前だったので、わずか3時間で各日36名の席が、旅行代金8万円という破格の金額設定にも関わらず完売してしまったということで、「雪月花」只見線乗り入れへの期待と商品力を高さを思い知った。

 

 

今回の只見線の旅は「雪月花」に“乗る”から、「雪月花」を“撮る”に目的を切り替えて臨んだ。旅程は以下の通り。

・自宅のある郡山から、磐越西線の列車に乗って会津若松に向かう

・会津若松駅から、輪行した自転車に乗って只見線・会津本郷駅に向かう

・会津本郷駅を通過する「雪月花」を、「明神ヶ岳」と「磐梯山」を背景に撮影する

・会津本郷駅から自転車で会津若松駅に戻り、17時発の只見線(小出行き)最終列車に乗る

・只見駅で下車して、「ますや旅館」に向かい宿泊

・(18日)「柴倉山」登頂後に、叶津川橋梁を渡る「雪月花」と、只見駅に到着した「雪月花」を撮る


今日明日の天気は、梅雨の中休みで快晴の予報。「雪月花」の乗客が車窓に流れる陽光を受けた水田や川面、山の木々を眺める事ができ、只見線の旅は良いものになるだろうと思いながら、会津を走る「雪月花」を見て撮って“只見線と観光列車”について考えを深めたいと現地に向かった。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -観光列車- / -只見線の夏-

 

 


 

 

今日は、「雪月花」が16時10分頃に会津若松駅到着ということで、昼過ぎに自宅を出て郡山駅に向かった。駅上空には、真夏を思わせる高い青空が広がっていた。

 

13:15、郡山を出た列車は、磐越西線を快調に走った。沼上トンネルを抜け会津地方に入っても青空は続き、猪苗代を出てから車窓の正面には「磐梯山」は、稜線のみならず山肌もくっきりと見えた。

 

 

 

14:31、会津若松に到着。輪行バッグを抱え改札を抜け、駅頭で自転車を組み立て、会津本郷駅に向かて移動した。ちなみに、只見線の只見方面の(下り)列車は、13時5分発から17時発までの間に設定されていない。

 

 

 

市街地を抜け国道401号線を右折し、高田橋で大川(阿賀川)を渡り北会津町に入った。最初の信号を左に曲がり、圃場整備された水田の間に延びる農道を進むと、南に「向羽黒山」と北会津受水塔が見えた。

 

15:25、誰も居ない会津本郷駅に到着。さっそく、撮影のアングルを確認した。まず、只見方面に目を向け、北会津受水塔の背後に見える「明神ヶ岳」に対して、列車を捉えるためのズーム度合いを決めた。

そして、会津若松方面に体を向け、「磐梯山」が映り込む列車の位置を想像し、立ち位置を決めた。



一旦、駅を離れ200m西にある会津本郷構内踏切を渡り、北会津受水塔周辺に広がる水田越しに「雪月花」を遠景で撮影しようと移動した。背後には「博士山」(1,481.9m、会津百名山33座)山塊と「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)から北に続く西部山地の稜線もくっきりと見え、“観光鉄道「山の只見線」”に入線した「雪月花」が映えるだろうと思った。

「雪月花」は会津若松駅に16時10分頃に到着予定なので、この付近の通過は15時40分から16時の間になるだろうと見立てていた。

 

しばらく、カメラをズームにして只見線の路盤を探す中で、北西西に延びるレールを走る列車は、民家やそれを取り囲む防風林で見えないのかもしれないと思い始めた。

そして、15時55分頃、会津本郷構内踏切の先1kmにある上荒井踏切が警報を鳴らし始めた。杞憂は現実となり、「雪月花」は見えずこのポイントからの撮影を断念した。

会津本郷構内踏切の遮断機が下りたら最悪、と思い急ぎ自転車にまたがり、会津本郷駅に向かった。事前にGoogleMap®で角度的に列車が見えるだろうと考えていたが、間に構造物がある場合、遠くのものを見る時は参考程度にしかならないと学んだ。



警報が鳴る前に会津本郷構内踏切を通過し、2分とかからず会津本郷駅に到着。駅にはJR東日本のロゴが入った車両や黄色のヘルメットを被った方など5・6人が居て、ホームの只見側には1人の“撮る人”がカメラを構えていた。

 

15:58、会津本郷構内踏切の警報が鳴り始めてまもなく、かすかなディーゼルエンジンの音が聞こえ始め「雪月花」が、会津総鎮守・伊佐須神社の最後の山岳遷座地と云われる「明神ヶ岳」を背景に姿を現した。

 

「雪月花」は中速を保ったまま、会津本郷駅を通過。『あの「雪月花」が、本当に只見線を走っている』と感動すると同時に、『乗りたかった...』と悔やんだ。

 

「雪月花」は会津若松市街地に向かっていった。“会津嶺こと「磐梯山」(1,816.2m、同18座)と「雪月花」も絵になり、想定通りの写真が撮れたことに満足した。

 

「雪月花」を“深追い”。カメラをズームにしてみると、車両のフロントガラスの前に“祝 只見線乗入”書かれたボードが置かれているようだった。

   

この後は、会津若松駅に到着した「雪月花」を撮影し、17時発の只見線・小出行き最終列車に乗るため、自転車に乗って会津本郷駅を後にした。 

 


30分ほどで会津若松駅に到着し、自転車を輪行バッグに収納し只見行きの乗車券を購入し改札を通り、「雪月花」が入線した3番ホームに向かった。

乗客は既に降りたようで、「雪月花」は会津若松駅構内では聞き慣れないディーゼルエンジンの低い音を響かせて待機していた。

 

ピカピカに輝いた朱色の車体は美しく、側面に記された文字とロゴの金色と、雪の結晶の銀色が上品なアクセントとして外観を際立たせていた。

2号車の先頭から車体を眺める。大きな窓ガラスとともに曲線に成形された車体は美しかった。

 

連絡橋に上り、「磐梯山」を背景に「雪月花」を眺めた。隣の4番線に停車する只見線の車両・キハE120形と並んでいることで、観光列車の訴求力の高さを実感するとともに、『会津に観光列車は似合う』と思った。


  

今回、「雪月花」の只見線乗り入れに際して、トキ鉄は特別なサインを用意してくれていた。車両の前面に、1号車は“祝 只見線 乗入”、2号車は“雪月花で行く 初夏の只見線の旅”と、“ヘッドマーク”ともいれるパネルが生花のデコルテが施され置かれていた。

 

そして、側面には、「第一只見川橋梁」が描かれた、1号車は水色、2号車は黄緑の特製パネルがはめ込まれていた。

 

内装は、両車両とも大半の窓にカーテンが掛けられていたため、直接確認することはできなかった。「雪月花」のホームページに詳細な車両案内があるが、その外観から、写真から見受けられる内装の質感は間違いないだろうと思った。『乗りたかった...』と、またも悔いた。

「雪月花」車内構成
【1号車】先頭(ハイデッキ):フリースペース/座席:窓側に正対(日本海・妙高山側)/トイレ・洗面台/設計定員:23名
【2号車】先頭(ハイデッキ):コンパートメント席/座席:2×2と1×1のBOX席(テーブル付)/ラウンジ(バーカウンター付)/設計定員:22名

ただ、この内装に関して、只見線乗り入れでは1号車の窓側に面した座席が気になった。「雪月花」はトキ鉄管内走行を念頭に置いているため、走行中に日本海と妙高山が見られる座席になっている。今回特別運行された只見線は、田子倉駅跡付近や第八只見川橋梁上から見えるダム湖が背中に位置している。おそらく、乗客は走行中に振り向いて眺めたと思ったのだろうと想像した。

  

 

只見線の列車の発車時刻が迫ってきたため、「雪月花」の見学を終えて、4-5番ホームに向かった。列車は2両で、キハE120形+キハ110系という編成だった。

 

列車に乗り込むと、10名近くの方がすでに着席していたが、無事にBOX席(1×1)を確保することができた。窓からは停車中の「雪月花」が見え、窓カウンターに“青ベコ”が置かれていた。

  

 

 

17:00、小出行きの最終列車が会津若松を出発。切符は、会津若松~只見間を往復で購入した。ちなみに、郡山~会津若松間はWきっぷを利用した。日を分けて只見線を利用する場合、この切符の買い方が、わずかではあるが、節約になる。

 

 

列車は市街地を走り、七日町西若松を経て大川(阿賀川)を渡った。上流には「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)の堂々とした山塊が見えた。

 

会津平野の田園地帯に入った列車は、会津本郷を出発直後に会津若松市から会津美里町に入り、水田の間を駆けた。南西には、西部山地と「明神ヶ岳」、「博士山」山塊の稜線が、まだくっきりと見えていた。

 

会津高田を出て、“高田 大カーブ”で列車は進路を真北に変えた。東に目を向けると、広大な水田越しに「磐梯山」が見えた。

 

根岸新鶴を経て若宮から会津坂下町に入ると、前方に「飯豊山」(2,105.2m、同3座)が連なる飯豊連峰の稜線が見えた。*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山 https://tif.ne.jp/yamafuku/mt30/18.html

 

 

会津坂下を出ると、只見線の会津平野と奥会津地域を隔てる七折峠の登坂となった。

振り返って、今日「雪月花」の乗客が眺めたであろう景色を眺めた。奥会津の山間の風景から一変し、新潟県魚沼市沿線の田園とも違うこの眺望を楽しんでいただけただろうかと思いを巡らせた。

 


列車は登坂途上の塔寺を経て、“七折越え”を終えて会津坂本に停車。只見線の公式マスコット「キハちゃん」は、変わらぬ笑顔を向けてくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日)

 

 

柳津町に入った列車は、会津柳津に停車。ここには、普段は町内の別の場所で客を出迎えている“二匹”の赤べこが、只見方面を見て置かれていた。駅舎の出入り付近には、息子の「もうくん」。

 

ホームの只見寄りには、常設の赤べこプランターの後方に父親の「福太郎」。Webで確認すると、2分ほど一時停車した「雪月花」の乗客を歓迎するために会津柳津駅に持ち込まれたという。*参考:柳津観光協会:会津やないづ「「えちごトキめきリゾート雪月花」会津柳津駅停車時間のお知らせ」(2023年6月16日) URL: https://aizu-yanaizu.com/infomation/infomation-1927/

 


郷戸手前で、“Myビューポイント”を通過。西陽が「飯谷山」(783m、同86座)の稜線に重なっていた。

 

 


滝谷を出発直後に、滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

 

会津桧原を出て、桧の原トンネルを抜ける直前に列車は減速しながら「第一只見川橋梁」を渡った。“観光徐行”とまではゆかない速度だったが、上流と下流側、それぞれの風景を見る時間は確保できた。

 

下流側には、微かに西陽を浴びる「日向倉山」(605.4m)が見えた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖


 

会津西方を出発すると、列車は小さな水田を脇に見ながら進む。ここから前方に目を向けると、私選“只見線百山”の候補に挙げている「洞厳山」(1,012.9m)の山塊がレールの先に見えた。登頂した山だと愛着がわいて、以前は気に留めなかったこの眺めが、今では見過ごせないものになっている。*参考:拙著「三島町「洞厳山」登山 2023年 早春」(2023年3月20日)

 

列車は、第二野沢踏切を通過した直後、「第二只見川橋梁」を渡った。只見川(柳津ダム湖)の水鏡は冴え、「三坂山」(831.9m、同82座)の稜線も見えた。*只見川は柳津ダム湖


 

 

列車は、三島町の市街地にある会津宮下を出発。その後、国道252号線を潜り抜け、東北電力㈱宮下発電所の背部を抜け、宮下ダムとダム湖の脇を駆けた。

 

一時、只見川(宮下ダム湖)と離れた列車は、「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖


 

滝原・早戸の両トンネルを抜けた列車は、只見川に面する早戸に停車。ここで、1人の旅行者が降りた。*只見川は宮下ダム湖

 

早戸を出ると金山町に入り、細越拱橋(8連コンクリートアーチ橋) を渡った。

 

会津水沼を出てまもなく、列車は「第四只見川橋梁」を渡った。


渡河後、列車は架道橋を潜り、改良工事により電線・電柱が地中化された国道252号線沿いを進んだ。地中化により、東北電力㈱上田発電所・ダム直下の只見川が良く見え、車窓からの眺めは大きく改善された。

 

 

 

会津中川を出た列車は、只見川に近づくと減速した。右に大きく曲がった際に、振り向いて大志集落を眺めた、冴えた水鏡に「岳山」(941.7m)を中心にする山塊の稜線が群青色の空とともに映り込み、なかなか良い景観になっていた。*只見川は上田ダム湖


列車が進む前方の眺めも良かった。次駅に向かって減速しているので、じっくり、ゆったりと眺めることができた。

 

 

 

18:49、会津川口に停車。3名の降車があったが、新たに乗り込む客はいなかった。

 

車内は一層閑散とした。私が乗る先頭車両は私を含め2人になった。

 

そして、後部車両は乗客がいなくなっていた。

この列車が小出行き最終というこで、車両回送という面もあるが、ここまで乗客が少ないと、「平成23年7月新潟・福島豪雨」被害で鉄路復旧にJRが難色を示した事が理解できた。

 

18:53、小出発・会津若松行きの最終列車が入線し、すれ違いを行った。キハE120形旧国鉄色の単行(1両編成)で、車内は混み合っていた。

 

 

 

19:00、会津川口を出た列車は、只見川の右岸上を走り、西谷信号場跡地の広い空き地を抜け“新”「第五只見川橋梁」を渡った。大きく蛇行した只見川(上田ダム湖)の水鏡は、冴えていた。

 

本名を出発して、まもなく列車は“新”「第六只見川橋梁」を渡った。

 

上流側の直下にある東北電力㈱本名発電所・ダムのゲートは閉じられていた。

 

 

本名トンネルを抜け、列車は只見線135.2㎞の中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通り過ぎた。

 

会津越川の手前では、微かに茜色に染まった空に「浅草岳」(1,585.4m、同29座)が見えた。

 

列車は会津横田に停車。ホームに接した待合室のガラス面には、“立入り禁止”の貼り紙が複数あった。

今月8日に会津蒲生駅の天井の壁材が落下したため、福島県が県保有区間(会津川口~只見間)のその他5つの駅(本名、会津越川、会津横田、会津大塩、会津塩沢)の緊急点検を実施した。この貼り紙は、その点検の結果、何らかの危険があると判断されたのだろうと思った。*下掲記事出処:福島民報 2023年6月9日付け紙面

 

列車は、“新”「第七只見川橋梁」に向かって掛けた。空に雲が無いためか水田が光を反射し、なかなか良い眺めだった

  

会津大塩に停車。ここの待合室に、“立入り禁止”の貼り紙は無かった。

 

 

列車は滝トンネルを抜けて只見町に入り、只見川沿いを走った。*只見川は、電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖


会津塩沢に停車。ここにも“立入り禁止”の貼り紙は無かった。

 

第八只見川橋梁」を通過する際は、すっかり陽が落ち、明日登る予定の「柴倉山」(871.1m)と「蒲生岳」(828m、同83座)の南裾の、それぞれの稜線が浮かび上がっていた。

 

 

会津蒲生に停車すると、待合室は戸にテープが貼られ、何枚か貼り紙が窓に貼り出されていた。無灯火ということで立ち入り禁止であることは明らかだった。

福島県は上下分離方式で関連施設を保有しいているが、今回のような駅舎の破損なら費用は抑えられるものの、大雨による橋梁破損や法面崩落など、運行休止にいたる被害には巨費を投じなければならない。その時、県民の大半がその支出に理解を示すような、具体的な“実績”を只見線は示さなければならないと思った。


 

 

19:52、列車は只見に到着。私と同じ先頭車両に乗っていた客も降りたが、1人新たな客が乗り込んだため、乗客ゼロで小出に向かう事はなかった。

 

駅舎を出ると、今夜泊まる「ますや旅館」の御主人が車で迎えに来てくれていた。しかし、トランクに輪行バッグが収まらなかったため、御主人に詫びを入れ、当初の予定通りに自転車を組み立てて宿に向かう事にした。収納の途中、最終列車となる小出行きが出発したためか、駅頭の照明を消されてしまった。

 

 

自転車に乗って、5分とかからず「ますや旅館」に到着。

 

受付で宿帳に記入し、女将に案内され2階の「うめ」(6帖)に通された。

 

テーブルの上には、私の好きな三石屋の「鬼が面山」がお茶請けとして載っていた。

 

 

宿到着が遅かった事もあり、さっそく1階の食堂に向かうと座敷にテーブルが並べられていた。

 

料理は、色彩豊かに山の幸が並べられていた。「ますや旅館」自慢の深山(ミヤマ)料理だ。

 

脂身の無い赤身の「会津馬刺し」。もちろん、辛子醤油が用意されていた。臭みなど全く無く、香りや風味は申し分なく旨かった。

 

山菜に煮物。一つの小鉢で、日本酒二合はいける味付け、歯ごたえの旨さだった。

 

そして、圧巻は天然イワナのあんかけ。田子倉(ダム)湖で釣れた、50㎝の大物だという。揚げ具合ががよく、あんが絶妙な出汁加減と甘みで、頭から一気に平らげた。只見町の“町の魚”にもなっているイワナは、只見駅に列車が停車中の時間で料理として購入でき、気軽に食べられるような環境は必須だと改めて思った。

 

米は、炊き込みご飯が用意されていた。評価の高い只見町のコメに、しっかりと味がしみ込んだマイタケなどの具が混ざり、旨かった。遅い時間に炭水化物は...と思ったが、3杯おかわりした。

 

アルコールには、只見町ゆかりのものが入っていた。米焼酎「ねっか」に日本酒「岩泉」、そしてお銚子は同じ南会津郡内で、かつて只見町に隣接していた旧南郷村地区にある「花泉」がメニューに載っていた。

 

 

食後は部屋に戻り、浴衣を持って風呂に浸かり、一日の疲れを癒した。


 


【追記 翌日(2023年6月18日)】

*「えちごトキめきリゾート雪月花」(復路) 会津若松→只見→小出→長岡→直江津→上越妙高

 

地元紙では、「雪月花」の只見線初運行を1面の見出しと社会面で伝えていた。

 

私選“只見線百山”の候補である「柴倉山」の検証登山を終えて、登山口から自転車にまたがり、撮影場所に移動した。


10分ほどで、今日の「雪月花」撮影ポイントに選んだ「叶津川橋梁」に到着。カメラや三脚を構えた、多くの“撮る人”の姿があった。

 

国道252号線の堅盤橋から「柴倉山」を背景に「叶津川橋梁」を眺めた。

  

「叶津川橋梁」の小出方に目を向けると、「叶津川橋梁ビューポイント」に10名ほどの“撮る人”がいた。

 

 

国道から未舗装の農道に入り、叶津川左岸を進み、川・山(浅草岳)・列車(雪月花)の3点セットが映り込むポイントを探した。

 

河原や河岸にも“撮る人”がいて、「叶津川橋梁」にカメラを向けていた。彼らの構図に映り込まないように、自分の撮影場所を決めた。

 

 

「雪月花」の只見駅到着予定時刻が12時50分とされていたので、「叶津川橋梁」の通過時刻まで15分ほど待つことになったが、まもなく人間ではないものが動いている事に気付いた。

 

“ティラノサウルス”だった。もちろん着ぐるみだが、既視感があった。Web上で只見線の画像検索をした際に、時々見かけていた。“観光列車走行時を中心に、茨城から、只見線を応援するために出没する”という情報もあった。

  

 

12:49、「叶津川橋梁」の会津若松方の木々から、微かにディーゼルエンジンの音を響かせ、真っ赤な車体が顔を出し、滑るように進んだ。“ティラノサウルス”は「雪月花」に短い手を振り出した。

 

私は、「雪月花」が叶津川上を通過する際にシャッターを切った。

 

完全順光ではなかったが、「浅草岳」を背景に、初夏の強い陽射しを浴びた「雪月花」を収めることができた。また、列車内から手を振る乗客や、国道の堅盤橋のたもとから手を振る方の姿も映り込み、想定以上の一枚を撮る事ができた。

 

「叶津川橋梁」は只見線最長(372m)ということもあり、開放的な景観で「雪月花」を長く見る事ができた。

 

カメラをズームにすると、「叶津川橋梁ビューポイント」で撮影を終えたであろう多くの“撮る人”が、列車に向かって手を振る姿も確認できた。

    

「叶津川橋梁」での撮影を終え、自転車にまたがり、只見駅に向かった。

国道には、只見線沿線で「雪月花」を撮影していた“撮る人”の車と思われる列が途切れることなく続き、後方に注意を払いながら進んだ。

 

 

 

10分ほどで、只見駅を会津若松方から俯瞰できる上町踏切に到着。「雪月花」は入線を歓迎する町民や、カメラを構えた“撮る人”の視線を受け、猿倉山(1,455m)から横山(1,416.7m)の稜線に現れる“寝観音”様を背景に停車していた。

 

緑豊かな山間の小さな駅に、真っ赤な車体は映え、全体的に丸みを帯びているため、風景に違和感なく溶け込んでもいた。

  

小出方の宮道踏切に移動し、「雪月花」を眺めた。

 

そして、2時間ほど前に登った「柴倉山」と「雪月花」を写真に収めた。

 

 

「雪月花」の只見駅停車は約30分。下車した乗客やスタッフ、列車の見物客や“撮る人”、そしてJR職員や警察官など、多くの方が只見駅周辺に繰り出していた。そんな中、只見町の公式キャラクター「ブナりん」はひと際目立ち、記念撮影の応じたり、見送りのためにチョコチョコと移動したりしていた。

 

「雪月花」の歓迎セレモニーが終わりとなり、客やスタッフや車内に移動した。ホームには列車に同乗したトキ鉄の鳥塚社長の姿も見られた。

  


 13:20、シャボン玉が浮かび上がり、「雪月花」の出発時刻となった。

 

私服姿の只見町・渡部町長も手を振り見送る中、「雪月花」がゆっくりと走り出した。

 

「雪月花」車内を見ると、ほぼ全ての客も手を振り返しているようだった。

 

ホームと駅をつなぐ連絡通路にも、歓迎セレモニーを行った“大黒様”などの関係者が並び立ち、横断幕を持って「雪月花」を見送っていた。

 

そして、「雪月花」はディーゼルエンジンの重低音を山間に響かせながら、小出方面に去っていった。この先、長岡経由で上越妙高駅まで200㎞ほど、約5時間の長旅になるという。



 


会津を駆ける観光列車「雪月花」を見て、まずは、只見線を走る列車は外観も重要だと思った。

会津若松市街地の他は民家密集地は広くなく、列車は田園や山間の木々の間、そして水鏡を現すダム湖(只見川)など、景観地を駆ける。このため、自然に溶け込みながらも、観光列車として存在感のあるデザインが求められる。

「雪月花」の朱色の外観は、只見線には派手過ぎるのでは...と思っていたが、丸みを帯びた車体と2両とい短い編成が程よいアクセントとなり、“観光鉄道「山の只見線」”の沿線風景に違和感は無く、『乗ってみたい』と思わせるデザインになっていたと感じた。

 

只見線全線には、今後、JR東日本(新潟支社)の「海里」(オレンジ色基調)や「越乃Shu*Kura」(青色基調)が乗り入れる可能性がある。また来春には「SATONO」が緑色と青色基調の列車として運行される見込みだ。*下掲出処:東日本旅客鉄道㈱「東北の文化・自然・人に出会う旅へ「SATONO」がデビューします」(2022年11月24日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221124_s01.pdf

  

只見線の復旧区間(会津川口~只見 27.6km)を上下分離方式の保有する福島県は今年4月末に「第2期只見線利活用計画」を決定し、「10の重点プロジェクト」の最上位に“目指せ海の五能線 山の只見線プロジェクト“を挙げ、そこで『只見線オリジナルの観光列車の定期運行を目指す』とした。*下掲出処:福島県 只見線管理事務所「只見線の利活用」第2期只見線利活用計画の策定「第二期只見線利活用計画【概要】」(PDF)

只見線専用観光列車が改造か新造かは予算次第だが、福島県には既存の観光列車の外観も研究し、“観光鉄道「山の只見線」”に映え、その列車を目にした人すべてが『乗ってみたい』と思える車両を導入して欲しいと思う。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。  

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金 ・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

 [寄付金の使途]

  (引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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