三島町「洞厳山」登山 2023年 早春

“只見線百山”の候補の検証登山。最初の山は「第二只見川橋梁」上から見える「洞厳山」(1,012.9m)を選び、JR只見線の列車に乗って三島町に向かった。


“只見線百山”は筆者が私的に選んだ、“観光鉄道「山の只見線」”の沿線振興を意図したアクティビティーのコンテンツ。只見線沿線2市6町1村(昭和村含む)の「会津百名山」「新潟百名山」を中心に、只見線に縁のある山々を候補として挙げて一覧(全153山)にした。*①只見線の列車の中から見える、②只見線の列車を撮影すると映り込む、という条件の孤立峰や山頂が容易に識別できるなど沿線の山々は優先的に選んでいる

 

「日本百名山」をはじめ「会津百名山」などの“名山”は各選定者が実際に登った山々から選んでいるようだが、“只見線百山”は筆者が机上で選定している。そのため、「会津百名山」と「新潟百名山」以外は只見線の駅から登山口までのアクセスをはじめ、登山ルートや山頂での眺望などを確認する“検証登山”が必要だと思い、今日から始めることにした。

“只見線百山”検証登山の第一号に選んだのは、三島町にある「洞厳山」で「どうがんざん」と読む。「日本山名事典」に、「洞厳山」は次のように記されている。

どうがんざん 洞厳山 (高)1013m
福島県大沼郡金山町と三島町の境。只見線早戸駅の南南東4km。北西3kmに沼沢湖がある。
(地図)「沼沢湖」新潟8-3[37°26'13",139°36'51"]
*出処「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p715)

 

「洞厳山」は只見線の「第二只見川橋梁」手前(下り列車)や「細越拱橋」を通過(上り列車)する際に、車中から前方に目を向けると見える山塊にある山で、「第二只見川橋梁ビューポイント」では列車を撮影するとこの山塊が写り込む。

 

さらに、気象条件が良ければ、会津柳津駅のホームから小出方面からやってくる列車越しに「洞厳山」を見る事ができる。


また、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)には「洞厳山」の記述は無いが、の大沼郡大石組沼澤村の項に次のような記述がある。

○山川 ○境澤
村東三十四町にあり、大毛無(オオケナシ)と云山より源を發し、北に流るゝこと一里餘、只見川に注ぐ
*出処:新編會津風土記 巻之八十三「陸奥國大沼郡之十二 大石組 沼澤村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p132-133 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179220/1/72)

 

この「境澤」の源頭が「洞厳山」山塊ということで、ここに記された「大毛無」が「洞厳山」を指す可能性はあるが、「洞厳山」山塊は双耳峰で、山頂の西400mに標高1,011mの頂があるため定かではない。*下掲地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: http://maps.gsi.go.jp/

 

「洞厳山」は籔山で、登山道は整備されておらず、Web上の山行記もほとんど見当たらなかった。今回は、三島町観光協会が2013年4月8日に公開している山行記「雪山登山@洞厳山」を参考にして、三島町営スキー場を登下山の起点にした。*参考:三島町観光協会「からんころん」旧ホームページ 「雪山登山@洞厳山」(2013年4月8日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/c375ec33cc626f90218f853106da79e4

 

地理院地図の等高線を見ると、「洞厳山」は三島町営スキー場から登れば尾根筋が分かり易いが、尾根筋がはっきり見えルートロスの可能性を減らせる残雪期に登ることにした。*下掲地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: http://maps.gsi.go.jp/

 

今日は、仕事が休みで天気予報で晴れとなっていたため「洞厳山」登山を計画。快晴の青空の下で気持ちよく雪上トレッキングができる事を期待し、只見線の会津宮下駅から歩き出して山頂を目指した。

*参考:

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)- / -只見線の春-


 


 

 

早朝、自宅を出て郡山駅に向かった。

 

切符を購入し、改札を通り停車中の磐越西線の始発列車に乗り込んだ。

 

沼上トンネルを抜けて会津地方に入っても快晴の空は続き、猪苗代を出発すると車窓の正面に「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)の山容が綺麗に見えた。

磐梯町を過ぎ会津盆地に入ると、前方に「博士山」(1,481.9m、同33座)から「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)へと続く山稜が良く見えた。両山とも1,000m級の低山だが、ここから眺めると迫力があった。

  

 

7:11、定刻に会津若松に到着。一旦改札を抜けて切符を購入し、再入場。連絡橋を渡り只見線のホームに向かった。橋上から列車を見ると会津川口行きはキハE120形の2両編成だった。右奥(北東)には「磐梯山」も見えた。

7:41、会津川口行きの列車が発車。私は後部車両に乗り込んだが、平日ということもあり前後の列車内は多くの高校生(会津西陵、会津農林)が乗り込み混雑した。

 

切符は、郡山~会津若松間をWきっぷにして、会津若松~会津宮下間を860円で購入した。

 

 

列車は七日町西若松で高校生の乗客を増やし、大川(阿賀川)を渡った。上流の正面には「大戸岳」(1,415.9m、同36座)の堂々とした山塊が見えた。

 

会津本郷出発直後に会津若松市から会津美里町に入り、しばらく進むと「博士山」と「明神ヶ岳」の山塊がより迫り、山肌のモザイクの残雪が良く見えた。

 

会津高田では、北に「飯豊山」(2,105.2m、同3座)を盟主とする真っ白な飯豊連峰が、くっきりと美しく、そして堂々と横たわっていた。会津盆地を取り囲む山々で際立つこの山塊は、“観光鉄道「山の只見線」”の景観にも好影響を与えていると考え、只見線から遠く離れているが私は“只見線百山”の候補に挙げている。*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山  https://tif.ne.jp/yamafuku/mt30/18.html


会津高田で県立会津西陵高の生徒を降ろした後、列車は“高田の大カーブ”で進路を西から真北に変えた。右側(東)の車窓からは、田起し・代掻きを経て田植え向かうであろう広大な刈田越しに「磐梯山」が見えた。

 

列車は根岸新鶴を経て若宮手前で会津坂下町に入り、会津坂下に停車。ここでは上り列車とすれ違いを行い、新設された構内踏切を渡って駅舎に向かう県立会津農林高の生徒の姿が見られた。

会津坂下を出た列車は、七折峠を登坂した。雪や落ち葉の影響が無いためか、登坂前に豪快に蒸かすディーゼルエンジンの音は低めだった。

 

登坂途上、木々の切れ間から会津盆地を見渡した。初夏を思わせる強い陽光が広大な会津平野を照らしていた。

 

全ての高校生が下車した車内は、一気に閑散とした。後部車両は私を含め4人で、先頭は2人の乗客で残念な光景だった。

休日を中心に、全線(会津若松~小出)乗り通し客や、現在では運転再開区間(会津川口~只見)乗車の客で混雑する只見線だが、沿線の駅近くに見所やアクティビティーに興じられる場所があれば、平日の会津川口駅止まりの列車でも、ある程度の乗客は見込めるのではないかと、個人的には思っている。

 

塔寺を出た後に、七折登坂を終え四連トンネル(第一花笠-第二花笠-元屋敷-大沢)を潜り抜けてまもなく“坂本の眺め”では飯豊連峰が見えた。

 

会津坂本では、貨車の駅舎に描かれた「キハちゃん」に挨拶。おはよう! *参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg  

 

会津坂本を出た後に柳津町に入り、会津柳津で3人の客を乗せて出発後に柳津町スキー場跡を見ると、ゲレンデ跡地の斜面の雪はほとんど融けていた。ゲレンデの上部に見える小高い山は無名峰だが、“小椿山(565m)”と個人的に名付け、“只見線百山”の候補に挙げている。

 

郷戸手前で“Myビューポイント”を通過すると、「飯谷山」(783m、同86座)の山容もよく見えた。

 

 

滝谷を出発直後に「滝谷川橋梁」を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

会津桧原を出ると、『この先、列車は只見川に架かる橋を渡ります。トンネルを抜けると第一只見川橋梁を渡ります』という車内放送が流れた。そして、列車は桧の原トンネルを抜ける直前にスピードを緩め“観光徐行”し、「第一只見川橋梁」を渡った。下流側には、“只見線百山”の候補に挙げている「日向倉山」(605.4m)が良く見えた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

“観光徐行”のため、反対側の座席に移動し、上流側の駒啼瀬も眺める事ができた。

渓谷の右岸上部にある「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上部・Dポイントにコンデジのズームをすると、家族連れを含む大人5人と子供2人の姿が確認できた。

 

 

会津西方出発後に、今日の目的地である「洞厳山」山塊の上空に雲一つない青空が広がっている事から、登山道や山頂から得られる眺望に期待した。

直後に渡った「第二只見川橋梁」でも、“観光徐行”が行われた。上流側には「三坂山」(831.9m、同82座)が見えた。*只見川は柳津ダム湖

眼下の只見川には、橋梁を渡る列車の影が鮮明に落ちていた。

  

列車は速度を緩め「アーチ3橋(兄)弟」の長男・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

  


9:07、列車は会津宮下に到着し、私は下車した。

ここでも上り列車とのすれ違いを行った。やってきた列車は、本来小出駅からの一番列車だが、現在県境(只見~大白川間)が気温上昇による落雪・雪崩の恐れがあるため区間運休になっていて、只見駅始発に変更されている。その影響もあってか、ほとんど客は乗っていなかった。

ただ、JR東日本が一昨日(18日)に、明後日(22日)から同区間(只見~大白川間)の運転再開をすると報道発表していることから、「青春18きっぷ」を利用した客などで車内賑わうだろうと思った。*下掲記事:福島民報 2023年3月19日付け紙面 / 参考:東日本旅客鉄道㈱「只見線の運転計画について」(2023年3月18日更新) URL: https://www.jreast.co.jp/ass/2022/niigata/20230318_ni01.pdf

 

駅では、会津坂下駅同様に構内踏切のバリアフリー化工事が行われていて、長いスロープが姿を現していた。完成間近のようだった。

現在の構内踏切は、両ホーム上に階段が設けられている形状で、車椅子に乗ったままの利用は不可能で、高齢の方などが降り昇りに苦労されている姿を何度も見かけた。新しい構内踏切が供用されれば、歩く距離は長くなるが、車椅子の方も含め、介助を要せず自分のペースで移動できるのではないかと思った。

  

駅舎に入ると、昨日まで行われていた「第22回 全国編み組工芸品展」のポスターと、駅からのシャトルバス運行案内が貼られていた。*参考:経済産業省 東北経済産業局「伝統工芸品の紹介」福島県(三島町) 奥会津編み組細工

新型コロナウィルスの影響で、4年振りに開催された作品展では、展示品の販売も行われていて、昨日の地元紙でもその様子が報じられていた。*下掲記事:福島民報 2023年3月19日付け紙面 / 三島町「生活工芸館」奥会津編み組細工について

  

 

9:15、会津宮下駅前を出発し、三島町営スキー場に向かった。

まもなく、宮下活性化センターが見え、その手前にある「びおたん清水」で給水した。

300mほど歩き、三島小学校の前を通過。

2階のバルコニーには、只見線全線運転再開日(2023年10月1日)に沿線で数多くはためいていた幟が一本立っていた。

  

大谷踏切を渡り只見線を横切り、国道252号線の高架を潜り右に曲がり坂を上って行くと、右手に「三坂山」の山頂に設置されている東北電力㈱のマイクロ波反射板がはっきりと見えた。

坂を上りきり桑原集落を抜け、スキー場に続く一本道を進んだ。

まもなく、前方にゲレンデが見えてきた。

  

9:35、三島町営スキー場に到着。このスキー場は、今でも小学校の授業などで使われているという。

管理棟・レストハウスの前で登山の準備を開始。ストックを伸ばし、雪も多く未だ熊は冬眠中だと思ったが、念のため熊鈴を身に着けた。

  

 

9:45、ゲレンデに入り、「洞厳山」登山を開始。「洞厳山」の方まで上空は雲一つ無く、陽射しは強く、気温も上がってきていた。

ゲレンデの序盤は快調に足を進められたが、傾斜が増し、積雪量が多い場所に足を踏み入れた時、『まずいっ‼』と思った。雪面から30㎝以上沈んでしまい足を取られる事が多くなり、ワカン(スノーシュー)を持ってこなかった事を悔いた。

三島町ということで雪量が少なく、最近の降雪情報も無かったことから、雪は自重で押し固まっていると考え、ワカンを用意してこなかった。想像以上に、三島町の気温は高い日が続いたようで、表面からかなりの深さまで雪の層は融け始めていた。この先、山頂まで足を取られ難儀するだろうと覚悟して登り進んだ。

  

ゲレンデから右(西側)の林に入るポイントで、振り返ってレストハウスを眺めた。

ゲレンデから林の中に入って行く。

林の中の根開きしている木の根元を見ると、積雪は1mほどだった。木が密集している場所は雪面は固かったが、陽が射すような場所では既に表面が融け出していた。

 

まもなく杉林が現れ、斜面を削った杣道が前方に見えた。杣道に乗って、薄暗くなった杉林の中を進んだ。

杉林を抜けると、ナラやブナの二次林の急坂になった。

根元は根開きし、早春の山の風景が広がっていた。

陽光に照らされ小動物の脚跡と思われる凹みを、新雪が覆った雪面が綺麗に見える瞬間もあった。残雪期、初めて足を踏み入れる登山者へのご褒美だ。

 

10:24、482m標高点に到着。

ここから東に目を向けると、開けた場所があり、そこに移動すると「磐梯山」が綺麗に見えた。

 

482m標高点から、再び、スギ林に入った。傾斜があり、薄く積もった雪は柔らかく足を取られる事が多かった。

スギ林を抜けると、「洞厳山」山頂に続く急坂の尾根に取付いた。

登坂途中、北西の木々の切れ間から「三坂山」が見えた。

 

途中から傾斜が緩やかになり、筋がはっきり見える尾根を進んだ。

しばらくは尾根の東側の斜面上部の雪上を歩いたが、膝上まで雪を踏み抜く事が多くなり、尾根筋に移動に藪漕ぎをしながら登る区間もあった。「洞厳山」が藪山であることが実感できた。

 

高度が上がり、東側の木々の切れ間から、山間と只見川沿いに延びる宮下地区の街並みを見る事ができた。

そしてカメラをズームにすると、只見線の「第二只見川橋梁」が見えた。

宮下地区の奥、北東には「飯谷山」の山塊が見えた。見る場所によって山容は変わるが、「会津百名山」は容易に同定できる山が多い。

  

先に進む。

尾根の傾斜は緩やかになり、柔らかい残雪に沈み込まぬよう、雪面を探りながら足を進めた。

 

黙々と進んでゆくと、傾斜が増し、前方にピークらしい開けた空間が見えた。

登坂途中で、木々の切れ間から左(東側)に目を向けると、見慣れた鋭角の山容が見えた。

只見線の車内から見た稜線は違っていたが、「明神ヶ岳」だった。

  

11:12、登坂を続け、丘のようなピークに到着した。雪に覆われ石標は見えなかったが、三等三角点「高陣場」(650.32m)のようだった。国土地理院地図を見ると「高陣場」山は標高813mで、南に尾根伝いに1kmほど登った場所にある。「高陣場」山が、この三角点「高陣場」から見えた。

三角点「高陣場」から先の尾根には、雪庇が残っていた。尾根の藪は薄かったが、雪庇の上の歩くことにした。

雪庇はしばらく続いたが、細く脆くなったため、途中から尾根を進んだ。アカマツが目立つ尾根の藪は薄く、しばらくは歩き易かった。

 

尾根を進んでゆくと、藪が濃くなり、漕ぎながら進んだ。

そんな中、茶色い籔の中に、黄色く鮮やかな花があった。“まず咲く”のマンサクだった。去年の昭和村「大仏山」登山で、この花に出会ったことを思い出した。*参考:拙著「昭和村「大仏山」登山 2022年 春」(2022年4月16日)

 また尾根には、ところどころで踏み跡らしい空間も見られた。Web上に山行記をUPしなくとも、「洞厳山」に登っている方は少なくないのだろうと思った。

  

さらに先に進むと、痩せ尾根になった。途中には痩せ尾根の急斜面から、雪重で根ごと崩落した木も見られた。

 

11:33、尾根が急坂になった。

登坂すると、雪はかなり柔らかく雪の中に足が埋もれてしまい、なかなか先に進まなかった。

シカかウサギか、動物の足跡も見られたが、彼らも足を取られながらこのあたりを駆けたようだった。

 

登坂の途中で、振り返ってみると、木枝越しに三島町宮下地区の街並みが見えた。

  

急坂は続いた。

登り進むと、徐々に傾斜が緩くなり、前方にこんもりとしたピークが見えた。

 

11:56、「高陣場」山の北にある802m(国土地理院地図の中心点データより)ピークに到着。平たいピークで、心地よい空間だった。

  

小休止したのち、前方に「高陣場」山を目指し、登坂を再開した。雪の表面は変わらず緩く、何度も膝丈まで雪に埋もれながら足を進めた。

  

12:07、「高陣場」山(813m)に到着。外観通り、なだらかなピークだった。

この「高陣場」山から、「洞厳山」が見えた。


休憩することなく、先に進んだ。 まもなく、次のピーク(851m)との間にある鞍部(コル)になった。藪は薄く、問題無く通過した。

鞍部を抜けると、緩やかな傾斜の尾根になった。雪庇もあったため、ここも難無く登り進められた。

だが、851mピーク手前に急坂が待ち構えていた。ここも斜面の覆う雪は緩く、足を取られながら進んだ。

  

12:24、851mピークに到着。

851mピークの先には、無葉のブナやナラの木越しに「洞厳山」の稜線が見えた。

 

先に進むと、緩やかな尾根には、長く“残雪路”が続いていた。

途中、急な斜面上部には雪庇となった雪塊もあった。

  

徐々に、「洞厳山」山頂が近付いてきた。

 

“残雪路”を歩ききり、振り返って眺めた。今日は雪面は緩かったが、まだ気温の低い時期ならば気持ちよく雪上トレッキングできる場所だと思った。

 

“残雪路”の先にはピークのような肩が見えた。国土地理院地図を見ると、山頂尾根の東端のようだった。

山頂尾根に乗ると、稜線は、山頂に向かって真西に向かっていた。

気温上昇でかなり柔らかくなった雪に、深く足を取られながら登坂した。ウサギの足跡を見て、雪面を軽やかに駆ける姿を想像し羨ましいと思った。

  

12:49、900m付近を通過。木枝越しに「洞厳山」山頂が正面に見えた。

ほぼ平坦な尾根を少し歩いて、木々の切れ間から右(北側)に目を向けると、雲一つ無い快晴の下に飯豊連峰の圧巻の姿が見えた。低い山並みの背後に聳える山容は、迫力があった。

  

足を進めると、「洞厳山」山頂がどんどんと近づいてきた。

右に切れ落ちた、阿寺沢源頭部に立つと、東北電力㈱宮下発電所の電波塔と、只見川に架かる国道252号線の高清水橋の一部が見えた。

  

尾根は、山頂に向かって、徐々に傾斜を増した。

斜面上の雪は深く、柔らかかった。スノーバケットを忘れてきたため、ストックは雪面を突く度に1mほど埋もれてしまい、役に立たなかった、


しばらくすると、傾斜がさらに増した。時折、腰のあたりまで埋まってしまうため、雪面から山頂を見上げるようだった。

無雪期ならば、この急斜面は籔に覆われ、登坂はより厳しいだろうと思った。この急坂は、「洞厳山」登山、最後の難関だった。

 

登坂途中、右(北側)が大きく開けた。阿寺沢の渓谷のが三島町宮下地区の方に向かい、その奥に、西の飯豊連峰から東の「磐梯山」に連なる福島ー山形県境の山並みが見えた。

また、振り返ると、南東にテーブルマウンテンのような二つの山塊が見えた。

一等三角点峰が頷ける、ひときわ目に付く「博士山」の山塊。

もう一つは、より平たく見える「志津倉山」(1,234.2m。同50座)の山塊。

  

山頂に向かって、急坂は続いた。雪が融け、藪が露わになった区間もあったが、概ね尾根は雪に覆われていた。

 

山頂手前の肩の乗ると、その先の傾斜は緩やかになり、尾根に雪庇ができていた。踏み抜きを恐れたが、1,000m付近ということだろうか、雪面は固く登山靴が埋まることなく進むことができた。

ただ、右側斜面を見ると雪崩の痕跡があり、油断せずに、足元にクラックが無いか確認しながら、慎重に雪庇の上を進んだ。

 

 

雪庇上の進むと、前方に雪が載ったピークが見えてきた。 


13:22、「洞厳山」山頂(1,012.9m)に到着。三島町営スキー場から、3時間37分で登頂することができた。

『三角点に触れて、登頂祝いを!』と思ったが、石標があるであろう場所には30~40㎝の固い雪が載っていた。5分ほど雪を掘って三角点石標を探したが見つからず、登頂祝いは断念した。

  

山頂からの眺望。

北東が開け、宮下地区の市街地、蛇行する只見川、「飯谷山」山塊と「飯森山」(1,595.4m、同28座)、「栂峰」(1,541.3m、同32座)を中心に福島ー山形県境の山々が見えた。また、会津盆地の北端も確認できた。

只見線は、宮下地区の北側に、会津西方駅~「第二只見川橋梁」区間が見えた。この眺望から、只見線の車内から「洞厳山」の山頂が見える事が確定した。

   

反対側、南西の眺望は、山頂から南に延びる尾根を中心にマツや灌木が茂り、良くなかった。

山頂の西には1,011mのピークがあるが、そこに続く尾根は痩せて、マツと藪に覆われていた。

その西側の少し開けた場所からは、「高森山」(1,099.7m、同58座)のこんもりとした山容が見えた。

「高森山」の右(北側)には「浅草岳」(1,585.4m、同29座)も見え、「浅草岳」から南(写真では左)に連なる「鬼が面山」(1,465.1m、同34座)を含む“鬼面の眺め”の荒々しい岩肌が確認できた。

13:43、20分ほど滞在し、「洞厳山」山頂から下山を開始した。

 

雪を踏み抜かぬように、慎重に急坂を下った。

斜面を下りる途中、景色の見納めをした。この開けた眺望は、夏や秋にも得られるので、「洞厳山」は登る価値の高い山だと実感した。

  

13:56、“残雪路”を下った。

  

14:23、「高陣場」山を通過し、800m台の最後のピークを通過。

 

ここで西に目を向けると、木枝越しに沼沢湖が見えた。「洞厳山」山頂に向かう尾根からは、位置的に沼沢湖が見えるが、往路では見るのを忘れてしまっていた。

   

下山は、往路と同じルートで、自分の足跡をたどった。ルートロスは無かったが、気温が高い時間が続いたためか、往路より雪面は緩くなっていて、急坂では体重が掛かることもあり、何度も腰辺りまで雪に埋まってしまった。

雪に覆われた痩せ尾根の急坂は、より慎重に下った。雪に足を取られ、ヒヤッとする事を繰り返しながら、『ワカンがあれば、もう少し楽に下山できたなぁ...』と思った。

  

14:56、宮下地区が見え、三島スキー場は近いと思った。

   

15:02、急坂の下りを終え、目印として往路に立てた枝が見えた。尾根伝いに下らず、右のスギ林に入る分岐になるため、往路で枝を雪面に突き差しておいた。

スギ林に入り、抜けて462mポイントを通過し、斜面を下って再びスギ林にに入り抜けるとと、前方にゲレンデの斜面が見えた。

 

15:23、三島町営スキー場ゲレンデに入った。

 

  

15:27、ゲレンデでも足を取られながら下り、管理棟前に到着した。下山は1時間44分だった。

 

「洞厳山」登山を、合計5時間42分で終える事ができた。雪塊の踏み抜きによる滑落などの事故は無くケガもしなかったが、ワカンを用意しなかったために、雪に足を取られ続け、1時間以上想定時間を上回ってしまった。下山後、できれば宮下温泉に浸かりたいと考えていたが、それは叶わなかった。

 

今回の検証登山で、山頂からの眺望が得られる点で、「洞厳山」は“只見線百山”に入れるべき山だと思った。ただ、夏から秋にかけての有葉期は藪漕ぎの連続となるため、登山は晩秋の落葉期や晩冬から早春にかけての残雪期が推奨される。

また、会津宮下駅から徒歩で“登山口”となる三島町営スキー場まで移動できるので、只見線を利用した登山も無理はない。さらに、宮下地区には温泉宿もあるので、会津百名山の「三坂山」「黒男山」登山と合わせた1泊2日の旅も可能だ。日帰りでも、宮下地区には複数の日帰り温泉があるので楽しめると思う。

 

登山道の整備案。

夏から秋にかけての有葉期も登山客を呼び込むためには、ヒモ場が必要で、今回の登山で設置するべきだと思った区間は2箇所。

①「高陣場」山の北にある802mピークに至る急坂
②851mピーク手前に急坂

また、藪の枝打ち箇所については、今回は残雪や雪庇に乗って藪尾根を回避したケースが多かったので、特定できなかった。雪が融ければ、瘦せ尾根が激藪となっている場所もありそうなので、別途検証が必要だと思った。


さらに、全ての“只見線百山”に共通するが、登山口や尾根の分岐、そして山頂に案内板や山名標の設置が必要。

「洞厳山」は、越後三山只見国定公園のエリア外なので、登山道の整備は地権者の同意が得られれば登山道の整備は進められるのではないかと思う。

 

只見線・会津宮下駅から徒歩移動で登山が可能で、山頂からの眺望もよい「洞厳山」が、まずは三島町の観光案内に掲載されて欲しい。

 

 

三島町営スキー場を出て宮下地区に入り、三島町役場前にある赤城清水で喉をうるおした。

 

15:55、途中、山モ斎藤商店で昼食を購入し、会津宮下駅に戻った。

駅舎に入ると、待合スペースに家族連れを含む6人が居た。私は、列車の到着時間が近いということでホームに向かった。

 

駅員がホームに現れ、待合スペースの客もホームに出てくると、まもなく列車が姿を現した。

16:03、会津若松行きのキハ110形が会津宮下を出発した。

 

列車は、平日ということからか、単行(1両編成)だった。多少の混雑は覚悟したが、乗り込んで唖然。空席は数席の満席状態だった。日曜日と祝日(春分の日)に挟まれた平日で、学生の春休みと「青春18きっぷ」の利用期間が重なったため、旅行者が多いようだった。

車内の混雑は終点・会津若松まで続いたが、途中の会津坂下駅で複数名が降りて空席ができたため、私はここで座る事にした。

 

 

17:20、列車は会津若松に到着。

この後、磐越西線の列車に乗り換えて、自宅のある郡山市に帰った。


私選“只見線百山”候補の、最初の検証登山を無事に終えることができた。

「洞厳山」は、Web上の山行記がほとんどなかったことから、山頂からの眺望など初めて知る事が多く、充実したものになった。

また、“只見線百山”の選定基準の一つとした『只見線の列車内から見える山』を実際に登ることで、只見線とその山との関係性なども実感でき、“観光鉄道「山の只見線」”を包み込む山々の訴求力の潜在性に可能性を感じた。

 

今後も、引き続き“只見線百山”の検証登山をして、只見線を利用した登山の可能性や、車窓からの景観としての山々の魅力を探り、そして発信してゆきたいと思う。そして、5年後を目途に未踏の“只見線百山”候補の登頂を済ませ、私選“只見線百山”を確定したい。もちろん、その間に只見線沿線の魅力ある山を知る事あれば、候補として入れて登り、私選“只見線百山”を充実させたいとも考えている。


次回は、新潟県魚沼市の“只見線百山”候補の山を登る予定だ。

 

 

(了)

  

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html [寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。  

以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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