乗り初め(只見町「美好食堂」) 2023年 冬

2023年、最初のJR只見線乗車は、只見町に行き「美好食堂」を訪れることにした。


 

只見線は年が明けても大雪の影響を受け、列車の遅れや運休、計画運休などが毎日のように発生し、地元紙にその情報が載らない日はなかった。*下掲記事出処:福島民報 2023年1月1日~1月10日付け紙面 *赤線は筆者

 

今日の運行予定は、

①会津若松→只見の列車は通常運転

①只見~大白川間(福島県と新潟県の県境、六十里越)は14時頃まで運行中止

②ただ、降雪が見込まれるため、その他列車に遅れや運休が発生する可能性がある

というものだったが、只見町までは行くことができるということで旅を決行することにした。

 

今回の旅程は以下の通り。

・前日に会津若松市入りし、宿泊

・会津若松駅から只見線の始発列車に乗って、只見駅に向かう

・只見駅に到着後、開店時間まで待ったのち「美好食堂」を訪れる

・食後、「只見線広場」に行き、列車の発車時刻まで待つ

・只見駅から会津若松駅に向かい、今日市内で開かれている「十日市」(会津の初市)の様子を見る

・会津若松駅から磐越西線の列車に乗って、帰宅する

 

只見町の天気予報は、一日雪。昨夜も17時以降、只見線の列車が運休されたこともありどの程度の雪になるのか心配だったが、今回も運を天に任せ、只見町に向かった。

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト/「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ  -只見線沿線の食と酒- / -只見線の冬-

 

 


 

 

2023年の地銀・東邦銀行のカレンダーは日本画家・斎 正機氏の「拝啓、只見線様」を採用していた。只見川(ダム湖)の澄んだ水面と、うっすらと雪積もる周囲の山々に囲まれた会津川口駅のホームに、色鮮やかな衣装を着た子ども達の姿が描かれていて、ワクワク感や期待感を抱かせてくれるものになっている。私も昨年末に銀行で頂戴し、さっそく部屋に貼りだした。

  


今朝、未明の会津若松駅に向かう。この時、雪はぱらつく程度だった。

 

駅舎に入り、改札前に貼り出された「お知らせ」は昨日16時現在の情報のままで、①会津若松~只見間は通常運転を予定、②只見~大白川間は昼過ぎまで運休、というものだった。とりあえず、今日は予定通りになりそうで、ホッとした。


 

改札の内側上部にある表示板の只見線の列車は、“小出”ではなく。“只見”行きとなっていた。この冬は、この表示が増えるのだろうかと思った。

 

音声が聞こえ、改札前の天井に付けられたディスプレイを見ると、「ぽぽべぇ」(JR東日本会津若松地区キャラクター)が出演するVTRが流れていた。VTRでは、磐越西線を走る列車に設けられた指定席の案内をしていた。「ぽぽべぇ」は改札内に等身大のパネルが置かれているが、構内のスタンプ台にも居ることが分かり、会津若松駅の一部になってきているようだと思った。

改札を通り只見線の4-5番線ホームに向かうと、降り始めた雪が、徐々に強くなってきた。

 

5:45、列車が入線してきた。今日はキハE120形の単行(1両編成)だった。

 

席を確保し、連絡橋に上ってホームを見下ろす。雪は小粒だったが横殴りになり、列車の運行に支障がでるのではないかと心配になった。

6:08、只見線下り始発列車は、会津若松を定刻に出発。

 

客は、全てのBOX席に1人以上が座り計12名だったが、この列車が只見止まりと分かり発車前に1組2名が降りていた。

只見線は東北新幹線(郡山駅)と上越新幹線(浦佐駅or長岡駅)に挟まれているため、全線乗り通しそれぞれの新幹線で帰るという首都圏の客は少なくない。今日、午前中の便が運休となった只見~大白川間は福島と新潟の県境の難所「六十里越」で、降雪期は国道252号線が除雪されず通行止めになるため代行バスも運行できない。

只見線沿線に降り積もる雪を観光資源と考え、観光客の導線を尊重するならば、降雪による分断は避けなければならない。現状、上下始発便を通常運行させるには早朝からの除雪が必要という費用対効果の面と、当然ながら安全面への配慮で運休させていると考えられる。只見線が“観光鉄道「山の只見線」”になるためには、午前中、除雪の人件費が抑えられる時間帯以後に、会津若松~小出間の全線運行便を2本新設し、安全面が確保されることを前提に観光客を足止めさせない体制づくりが急務だ。「只見線利活用計画」を進める福島県は、「六十里越」を界に管轄を別にするJR東日本の東北本部と新潟支社双方に働きかけ、“観光鉄道「山の只見線」”のダイヤを実現させて欲しい、と思った。


 

 

列車は、暗闇の中を進んだ。七日町西若松を経て、大川(阿賀川)を渡り会津本郷を出発直後に会津若松市から会津美里町に入った。その後、会津高田根岸新鶴で停発車を繰り返した。

  

6:42、若宮から会津坂下町に入った列車は会津坂下に停車し、上り1番列車(会津川口発)とすれ違った。ホームには強い西風が吹いていた。

 

会津坂下を出た列車は、ディーゼルエンジンの出力を上げて七折峠に入った。登坂中、木々切れ間から見下ろすと、会津平野の地表付近は雪雲で広く覆われていた。

 

列車は塔寺を経て、無事に七折登坂を終えて会津坂本に停車。おはよう、キハちゃん! *参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日)

 

 

柳津町に入った列車は、会津柳津を出て郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。ちらつき始めた雪は列車の進行とともに強くなり、周囲を覆った雪の幕は「飯谷山」の稜線さえも見えなくしていた。

 

 

滝谷を出た列車は、滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。見下ろした渓谷は、周囲の全ての木々が綿帽子を被り、雪も小降りになっていたことから見ごたえのある景観になっていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

 

列車は会津桧原を出た後、只見川に架かる八本の橋梁を渡る区間に入った。

まずは、桧の原トンネルを抜け、「第一只見川橋梁」を渡った。平日の始発列車ということもあってか、“観光徐行”は無かった。

 

会津西方を出発直後には、「第二只見川橋梁」を渡った。上流側、会津百名山82座「三坂山」(831.9m)の上空の一部には、わずかに青空が見えた。刻一刻変化する空模様に、山あい奥会津の天候の特徴を感じた。

  

  

列車は減速し、「みやしたアーチ3橋(兄)弟」の県道に架かる次男・宮下橋を見下ろしながら長兄・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

7:29、列車は会津宮下に到着し、約5分後にやってきた上り列車とすれ違いを行った。ここでは、旅人らしい方が3人降りた。「第一只見川橋梁ビューポイント」に行くのだろうかと思った。

 

上り列車が停車する1番線を見ると、只見寄りのホームが無くなっていた。会津坂下駅同様、バリアフリー化のためのスロープ設置工事をするのだろうと思った。

 

 

列車は、会津宮下を出発すると、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を駆け、「第三只見川橋梁」を渡った。山間が近付くにつれて激しくなった雪が視界を塞ぎ、上流側・下流側とも渓谷の様子はほとんど見えなかった。

 

次駅・早戸でも雪の降り方は変わっていなかった。

 

列車が早戸を出て金山町に入り、会津水沼が近付く頃には雪は小降りになり、「第四只見川橋梁」を渡る時には視界良く、上流側左岸には全体が雪に覆われた木々が見られた。

 

国道252号線の架道橋を潜り、列車は道路改良工事で“無電柱・無電線化”された区間を駆けた。視界が開け、良い眺めだと改めて思った。*参考:国土交通省「無電柱化の推進」 / 福島県 道路整備課「電線共同溝


 

この先には、東北電力㈱上田発電所・ダムと只見川(ダム湖)が見渡せる区間があるが、ここは“無電柱・無電線化”されていない。この区間も道路改良工事が行われているようなので、合わせて“無電柱・無電線化”して、列車内からの美景観が得られるようにして欲しいと思った。

 

 

列車は会津中川に停車。駅頭の桜の木枝には雪がびっしりと付き、今春も絢爛な咲きっぷりを見せてくれるのだろうと期待した。

 

 

 

列車は減速しながら、大きく右にカーブした。振り返って大志集落を見るが、雪ではっきりせず、期待した景観は得られなかった。

 

 

8:05、列車は定刻に会津川口に到着。県立川口高校の生徒を中心に10名程が降りた。本来であれば、小出始発列車とのすれ違いを行うが、今日は運休のため、反対側のホームに列車の姿は無かった。

 

ホームの目の前には上田ダム湖(只見川)が濃紺の水面を見せ、周囲は水墨画のような景色が広がっていた。

 

 

 

10分停車した列車は、私を含め5人の客を乗せて会津川口を出発し、直後に只見川に注ぐ野尻川を渡った。 

 

この後、列車は只見川沿いを走るが、電線・電柱を含む人工物が見えない良い眺めが続いた。降雪期にここを通るのは2度目だが、復旧区間(会津川口~只見間)では隠れた景観区間だと私は思っている。

 

西谷信号場跡となる空き地を通過後、列車は橋桁二間が新たになった「第五只見川橋梁」を渡った。大きく蛇行する、川幅いっぱいに広がった濃紺の水面は迫力があった。

 

夏井川橋梁を渡り、上流側に目を向けると、また良い雪景色が見られた。無雪期はそれほどでもないと思っていた眺めだが、様々な木々が雪を纏うとそれぞれの個性が際立ち、見応えがあった。復旧区間には、まだまだ知られていない車窓から見える良い景色があると感じた。

 

 

8:21、本名に停車。ホームに足跡は見えなかった。

 

本名を出て、国道252号線を跨ぎ、列車は“新”「第六只見川橋梁」を渡った。直下にある東北電力㈱本名発電所・ダムはゲート一門を開放し豪快に放流していた。

 

 

本名トンネルを抜け、橋立地区にある“只見線135.2km中間点”を過ぎると、右手に地蔵岩を持つ山塊が綺麗に見え。上空には青空も見えた。この先列車の運行に影響するまでは悪化しないだろう、と思い始めた。

   

8:32、会津越川に到着。ここでも客の乗降は無かったが、ホームはきれいに除雪されていた。

  

 

 

8:38、定刻通りに、ホームが除雪された会津横田に停車。列車は、順調に進んだ。

 

会津横田を出ると、まもなく“新”「第七只見川橋梁」を渡った。前方に見える只見町方面の空は、雪雲に覆われていた。

 

 

8:42、会津大塩に停車。運休区間(会津川口~只見間)は「上下分離(官有民営)」方式が採られているため、管理者は福島県になっている。除雪を含む維持管理はJR東日本に委託していると思われるが、誰も乗降しないきれいに除雪されたホームを見ると、複雑な気持ちになった。

 

列車は、西に進んだ。前方には青空が見え、『只見町はどんな具合だろう』と思っていると、列車は町界を貫く滝トンネルに入った。

 

 

 

滝トンネル内の中間地点付近で只見町に入り、潜り抜けると雪は降っていないばかりか、澄んだ空気の中、美しい景色が見られた。ここも、国道252号線沿いを“無電柱・無電線化”すれば、さらに景観美が増すのではないかと思った。

  


8:50、会津塩沢に到着。屋根に載った雪の嵩は年末と変わらないようだったが、幾層もの筋が見られた。

 

会津塩沢を出ると、前方に「蒲生岳」(828m、会津百名山83座)と、奥に「柴倉山」(871.1m)を見ながら「第八只見川橋梁」を渡った。川(只見川)・山・橋の三点セットは、見ごたえのある、良い眺めになっていた。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

 

 

8:57、会津蒲生に到着。結局、運転再開区間の客の乗降は無かった。下りの始発列車、しかも只見止まりなので、しょうがないと思った。

 

会津蒲生出発直後、蒲生川渡河中に振り返って「蒲生岳」を眺めた。“会津のマッターホルン”は、見る角度によって山容が変わる、面白い山だ。*参考:只見町 只見四名山「蒲生岳」URL: https://www.town.tadami.lg.jp/tourism/gamou.html

 

列車は、国道252号線の八木沢スノーシェッドの直上を駆けた。只見川は滝ダム湖から清流に変わり、赤い橋桁の町道の五礼橋が際立っていた。

 

今日の雪景色は、うっすらと陽光を受ける区間では、窓枠ごと眺めても良かった。このような時、大型の一枚窓を嵌め込んだ観光列車が只見線には必要だと、いつも思ってしまう。

 

 

列車は、只見線内最長の叶津川橋梁(372m)を渡った。

 

 

雪に囲まれた県立只見高校が近付く頃に列車は減速しはじめ、『まもなく、只見』と車内放送が入り、改めてこの列車が只見止まりである事と、到着後、準備が出来次第この列車が会津若松行きになる旨が告げられた。

 

 

 

9:07、定刻に只見に到着。往路が予定通りとなり、ホッとした。レール脇の積雪は130㎝ほどだった。

 

車内放送通り、急ぎ交代した運転手が反対側の運転台に移動し、行き先表示が会津若松になった。

 

そして、9時14分に列車は出て行った。小出発・会津若松行きの始発列車が、只見を出発するのが7時11分ということで、雪の影響で約2時間遅れということになった。

私の他4人の客は降りずに、そのまま乗り続け会津若松方面に行ってしまった。

 

 

私が乗ってきた列車の運転手は駅の乗務員室に向かい、駅舎からは除雪作業員が出てきて、除雪車の方に向かっていった。これから上下線とも5時間半列車が走らないので、除雪するようだった。

 

駅舎を抜けると、駅頭にも多くの作業員が居た。地元の建設会社の方で、これから駅の除雪をするようだった。

 

駅頭に置かれている“カウントボード”は、昨年10月1日の全線運転再開から101日目を表示していた。

 

 

今日の目的地である「美好食堂」のオープンは11時、ということでまずは駅舎内で時間を潰すことにした。晴れていれば、電源開発㈱只見発電所・ダムまで足を延ばし、ダム湖越しの“寝観音様”を拝もうと思ったが断念した。

 

駅舎内に設けられた「只見線ギャラリー」の入口に、只見町のキャラクター「ブナりん」と「アカショウちゃん」のぬいぐるみが置かれていることは知っていたが、よく見ると透明ケースに入り、その前には説明書きがあった。*参考:只見町「只見町キャラクター」URL: https://www.town.tadami.lg.jp/bunarin/index.html

 

このぬいぐるみが、代行バスのフロントガラスの右前に置かれていたものとは知らず、見入ってしまった。説明書きには、以下の文が記されていた。

只見線をつないだ代行バス 
 2011年7月の新潟福島豪雨で大きな被害を受けた只見線。特に只見駅と会津川口駅の間は11年2カ月の間、列車は走っていませんでした。この区間をつないだのが代行バスでした。主に只見町にある有限会社ジオサイクルさんが運行する代行バスがその役割を担い、雨の日も風の日も、もちろん雪の日も毎日バスを運行しました。このぬいぐるみは、ドライバーさんとともにバスでたくさんのお客様を出迎えた只見町のキャラクターです。
  代行バス運行最終日の2022年9月30日、バスを降りて只見駅の改札窓口に置かれたぬいぐるみは、11年の歳月をつないだドライバーさんの笑顔、すれ違うときに手をあげてくれた日々を思い出させてくれます。代行バスへの感謝の気持ちを込めてこのぬいぐるみを展示します。

 

「只見線ギャラリー」には大藪琢也氏の写真や、鉄道風景画家・松本忠氏の作品集「もうひとつの時刻表」の只見線に関する絵がスライドショーでディスプレイに表示されていた。*参考:松本忠「もうひとつの時刻表」Gallery 福島県(只見線) URL: https://www.senrozoi.com/sakuhin/fukushima_tadami.html

 

 

駅舎内の椅子に座り本を読んでいるとガラス窓越しに陽射しを感じ、まず改札側の扉を開けて「要害山」(705m、会津百名山91座)を見上げると、雲の間に広い青空があった。

 

駅舎を出て周辺を見渡すと、「只見線広場」の屋根に載った雪を落とす作業が見られた。

 

 

再び駅舎に戻って本を読みながら、壁一面に掲げられた奥会津地域の地図を見てみると、違和感を覚えた。水力発電所の位置に印はあったが、東北電力㈱の発電所には文字が入り、電源開発㈱の発電所は緑の丸印だけで、しかも世界一のゴム堰ダムである黒谷ダムから取水している黒谷発電所は印さえなかったのだ。*参考:只見町「ダム

電源開発㈱が只見川流域で発電する電力が首都圏に供給されるものとはいえ、電源開発㈱の発電事業は奥会津のみならず会津地域の経済・文化に大きな影響を与えていて、只見線に至っては電源開発㈱田子倉発電所・ダムの建設により会津若松~小出間135.2kmが一本につながったといっても過言ではない歴史的経緯がある。どのような背景でこの地図が作成されたかは不明だが、今後発電所について取り上げる場合は、東北電力と電源開発を同列に扱って欲しい。それが、奥会津のみならず会津地域のプレゼンスを高めるものと思った。


 

10:55、「美好食堂」に向かうため只見駅舎を出た。何と屋上には10名ほどの作業員が上り、雪下ろしをしていた。

 

 

国道252号線に出て150mほど歩き只見郵便局の手前を右折すると、駐車場の奥に建つ「美好食堂」に到着。

 

駅から約5分の距離で、営業時間は11時~14時、定休日は月曜日となっている。今回、三連休明けの今日火曜日の営業が心配で、事前に電話確認すると『予定通り月曜日(10日、成人の日)が休み。火曜日は通常営業』との事だった。

 

 

風除室の扉を開けて玄関から店内に入ると、先客が1人居た。さっそく女将さんが出迎えてくれ、手の消毒を促した。テーブルにメニューは無く、厨房上の掲げられた札を見て品を選んだ。

結局、予定通り「ソースかつ丼」と「ラーメン」を注文することにした。セット品が無い事を覚悟していたため、朝食は菓子パン1個にして、胃袋を空けておいた。

 

 

7分ほどで料理が運ばれてきた。「ソースかつ丼」には味噌汁とおしんこが付き、「ラーメン」もなかなかのボリュームだった。

 

まずは、「ラーメン」を食べた。

スープからは煮干しと思われる出汁の香りがたちのぼり、味は見た目より濃厚ながらさっぱりとしたのど越しで旨かった。麺は平縮れで、スープが良く絡まり、ラーメン全体の旨味を感じながら食べることができた。また、チャーシューは柔らかく、チャーシュー麺にも期待が持てるものだった。

 

「ラーメン」をたいらげ、次は「ソースかつ丼」に箸をのばした。丼の蓋を開けた時に飛び込んできた照りと、立ち上る香りから、ソースは甘めであることが分かった。

全身にくまなくソースを纏ったカツの下には千切りキャベツが敷かれ、さらにその下には、「柳津ソースかつ丼」を思わせる半熟の卵焼きが見えた。

 

まずはカツを食べてみる。想像通りの甘めのソースだったが、こしょうが効いていて飽きのこない味になっていた。肝心のカツは柔らかく、ご飯と一緒に噛んでも違和感の無いもので、旨かった。キャベツのシャキシャキ感と新鮮さは良く、卵焼きは薄くご飯全面を覆うものではなかった。この卵焼きは、見た目と食感におけるアクセント的なもので、「柳津ソースかつ丼」とは違っていた。

 

味噌汁には小粒の丸麩が載りネギたっぷりで、濃厚な味で旨かった。おしんこは、さっぱりと漬けられていて、白菜の甘みが感じられるもので、やはり旨かった。

 

ソースの香りに胃袋が刺激され、味噌汁やおしんこで箸休めをしなが、「ソースかつ丼」を食べた。コメも旨く、さすがに終わりの方では箸の動きは鈍ったものの、止まることなく完食した。 

「美好食堂」の「ソースかつ丼」は、“会津ソースかつ丼”の条件を満たしながら、甘くコショウのパンチの効いたソースと、薄焼きの卵焼きをアクセントに、無二の逸品だった。 

 

「ソースかつ丼」にはコーヒーも付き、食後にゆっくりと飲んだ。

  

 

「美好食堂」と言えば、昨春の選抜高校野球選手権大会で21世紀枠で初出場を果たした県立只見高校野球部の酒井兄弟。この食堂は、彼らの祖父母が切り盛りしている。料理を給仕してくれた女将さんは、お祖母さんにあたる。店内には、甲子園で躍動する悠来君(兄)と怜斗君(弟)の写真が掲げられていた。

会計後に、女将さんと少し話をさせていただくと、この3月に高校を卒業する悠来君はケガの影響で本格的に野球を続ける事はなく、料理人になるためにホテルに勤務するという。彼は上背は無いが、しっかりとした足腰を持ち投球フォームも良かった事から、大学や野球部を持つ企業に進み鍛えれば活躍するのではないかと思っていたので残念だった。ただ、料理人になって、この「美好食堂」を継いでくれれば、嬉しいとも思った。

二人の孫の話をする女将さんの笑顔は素敵で、生き生きとされていた。厨房に立つご主人とも、未だ70代。体を労りながら、地元の食堂として、そして只見線を利用して訪れた旅行者に、美味しい食事をできるだけ長く提供し続けて欲しいと思い、「美好食堂」を後にした。

 

 

国道252号線に出て、駅に向かった。変わりやすい天候は続き、食事中に舞っていた雪は止み、陽が照っていた。

 

途中、買い物をして「只見線広場」に到着。

 

コンテナハウスに入ると、「只見町インフォメーションセンター」の正面のカウンターには3年振りに開催される「只見ふるさとの雪まつり」のポスターが貼られていた。今年は第50回で、“只見線全線運転再開記念”として開催されるようだ。

 

今日の地元紙には、「只見ふるさとの雪まつり」に合わせ会津若松観光ビューローがツアー(団体臨時列車運)を企画する旨が報じられていた。新潟県(魚沼市)側でも2月11日(土)にツアーを企画するようで、只見線全線再開後初となる「只見ふるさとの雪まつり」は盛り上がりそうだと思った。*下掲記事:福島民報 2022年1月10日付け紙面 / 参考:魚沼市観光協会「JR只見線で行く! 第50回只見ふるさとの雪まつりと2つのミュージアム体感ツ アー について」(2022年12月27日) URL: https://www.iine-uonuma.jp/202212-12642/

  

 「只見町インフォメーションセンター」のスタッフに声がけして、まずは昨年10月に登った「会津朝日岳」の登頂記念バッジの交換をお願いした。スタッフが時間を掛けて探してくれたところ、在庫があり“2022年バッジ”を手にすることができた。登頂後、登山口近くの「いわなの里」で在庫の中から選んでいた“2016年バッジ”を返そうとしたところ『そのままお持ちになってください』ということで、ありがたく頂くことにした。*参考:拙著「只見町「会津朝日岳」登山 2022年 紅葉」(2022年10月20日)

「只見四名山」の登山記念バッジは、『ユネスコエコパークの登録地である事やSDGsを推進する町としてもPRしたい為、バッチを金属製から木製に変更』(只見町インフォメーションセンターHP、2021年6月3日)したという。木製は軽いものの、色彩豊かで細やかなデザインが可能なようで、変更の趣旨と併せて大変素晴らしいと思った。

 

バッチを受け取った後は、コーヒーを注文した。“尾瀬沼源流の只見の美味しい水で淹れる”という「只見ブレンド」ということだった。カップはテイクアウトもできるようにと紙製で、「キハちゃん」が描かれた大きなステッカーが貼ってあった。

 

列車の出発までは、約2時間30分。室内の只見駅寄りに設けられた、ガラス張りのフリースペースで本を読んで気長に待つことにした。


 

...14時過ぎ、駅に移動しようと席を立つと、只見駅では雪が降る中で屋根の雪下ろし作業が行われていた。降ろした雪を、重機(ホイルローダー)で「只見線広場」と只見線の間に運ぶ作業が繰り返されていた。

その場所は「只見ふるさとの雪まつり」の会場とも重なることから、雪像作りに使われるのだろうと思った。今年の雪像は、叶津川橋梁を駆け抜ける只見線の列車、ということだ。都合が合えば、見に来たいと思った。 

  

 

14:20、駅舎内からホームに向かった。雪は止んでいて、ホームに続く連絡道が白い世界にくっきりと延びていた。

 

ホームに上ると、まもなく小出方面に光が見え、列車が入線してきた。キハ110系の2両編成だったが、先頭はキハ40形東北地域本社色にカラーリングされていた。

 

このカラーリングは、JR東日本が只見線全線運転再開を記念して行われたもので、『長年にわたって四季折々の只見線を駆け抜けてきたキハ40系のカラーリング』を復刻したものだ。*出処:東日本旅客鉄道㈱「キハ110系車両におけるキハ40系カラーの復刻について」(2022年11月1日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221101_s02.pdf / 記事出処:福島民報 2022年11月2日付け紙面

 

列車の到着は、定刻から1分遅れだった。運行に支障をきたすような大雪にならず、除雪もはかどったようで作業員の仕事に感謝した。

停車後まもなく運転手と車掌が降りて、新たに運転手一人だけが乗り込み、ワンマン運転への切り替えを行っていた。数名の乗客がホームに降りて写真を撮っていたが、只見駅で降りる方は見当たらなかった。

14:35、私を含め3人が乗車し、会津若松行きの上り列車が只見を出発した。先頭車両が6名、後部が7名という乗客数で、そのほとんどが旅行者と思われた。 

 

 

復路は写真撮影を抑え、車窓に流れる雪景色を見る事にした。

叶津川橋梁の手前では、“会津のマッターホルン”にふさわしい「蒲生岳」の山容が見えた。

 

金山町に入ると、青空の面積が広くなった。

 

景色を眺めながら、地酒も呑んだ。今回は南会津町・会津酒造㈱の「金紋 会津」のワンカップを選んだ。

 

 

15:25、運転再開区間を走り終え、列車は会津川口に到着。下り小出行きの列車とすれ違いを行った。

 

下り列車が出発すると、その姿を追うようにカメラを構えた方々が居た。レールを跨ぎ路盤上で撮影していたため、上り列車の運転手に注意を受けていた。この方々は、話している言語から中華系のようで、チームで取材しているようだった。

 

 

15:35、上り列車が会津川口を出発。まもなく、只見川(上田ダム湖)の縁を沿うように左に大きくカーブした先に、大志集落が見えた。

 

会津中川が近付くと、左前方に東北電力㈱の水力発電所PR館「東北電力奥会津水力館 みお里」が見えた。

 

取り囲む山々や只見川などの風景に溶け込むこの施設の建物は、昨年の福島県建築文化賞で優秀賞を受賞した。この外観もさることながら、内部には絵画や大型ステンドグラスが展示され、木のぬくもりを感じられる広く開放的な休憩スペースがあるなど、電力会社のPR館とは思えない“文化施設”になっている。

「東北電力奥会津水力館 みお里」の敷地は道の駅「奥会津かねやま」に接していることなどから、徒歩5分の会津中川駅で降りて“周遊観光”できる場でもある。この地は、只見線沿線の中でも滞在型観光の代表になる可能性を秘めているので、個人的には「中川温泉」の分湯と宿泊施設(キャンプ場)の設置がなされれば良いと思っている。


 

「第三只見川橋梁」から、上流側の景色を眺めた。両岸の木々の綿帽子は、ほとんど消えていた。 

 

「第二只見川橋梁」では下流側を眺めた。ここは綿帽子が残り、スゥッーと延びる濃紺の只見川との相性は素晴らしかった。

 

「第一只見川橋梁」通過時、列車は減速してくれた。この“観光徐行”のおかけで、上流側の駒啼瀬の渓谷をゆっくりと見る事ができた。

 

カメラをズームにして、「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上部・Dポイントを見てみると、誰も居なかった。

 

 

その後、列車は無事に七折峠を越え、会津平野に向けて坂を下った。 木々の間から会津坂下町の市街地方面を見ると、雪雲に覆われていた。


ただ、会津坂下を出て進路を東から南に変えると、西部山地の上空は雲がほとんどなく、夕暮れの様子が見られた。今日は一日中、雪が降ったりやんだり、雪雲に覆われたり青空が見えたりと、落ち着かない空模様だった。

 

 

17:24、列車は定刻に終点の会津若松に到着。今日も、私が乗る列車はダイヤ通りに運行され、幸運だった。

 

連絡橋に上り改札に向かう途中に、壁に貼ってあるポスターを見ると、先日訪れた五能線の運転再開をPRするポスターが掲示されていた。写っている列車は「リゾートしらかみ」号で、海岸沿いの景色に溶け込む「青池」編成だった。*参考:拙著「」(2023年1月6日)

夏は緑基調の「橅」編成、夕焼け時はオレンジなどの暖色系の「くまげら」編成が用いられ、五能線の専用観光列車「リゾートしらかみ」号は、このようなポスターや映像面でも訴求力が高いと思い知らされた。

 

 

「十日市」に行くため改札を抜けて駅頭に出ると、赤べこは雪のベールを纏っていた。


 

会津若松駅から歩く事20分で、神明通り商店街の到着。「十日市」は大町四ツ角(札ノ辻)を中心に、中央通り(神明通り)のアーケード、大町通り(野口英世青春通り)、市役所通り、七日町通りに屋台などが並び行われるという。*下掲記事:福島民報 2022年1月7日付け第10面の全面広告一部抜粋

 

神明通り商店街の屋台が連なったアーケードには、まっすぐ歩けないほどの人出があった。目を引いたのは、屋台の上部に束ねられた「風車」と、台に広げられた「起き上り小法師」。

 

この「風車」と「起き上り小法師」に、小さな木製の笛「初音」を加えた三つは、「会津三縁起」と呼ばれる伝統民芸品だという。これら縁起物は『神棚に供え1年後の歳の神でお焚き上げをする』と、「十日市」について今日の地元紙の一面コラムに、豊臣秀吉から会津統治を任された蒲生氏郷との関連も含め記されていた。*下掲記事(出処):福島民報 2022年1月10日付け紙面 

 

「会津産縁起」を取り扱う民芸品の屋台には、多くの客が集まり、手を伸ばし「風車」を手に取り、転がした「起き上り小法師」から素早く“起き上った”ものを選ぶなどしていた。

 

 

また、「十日市」では神社の仮宮が見られた。神明神社は入口に置かれていたが、大町四ツ角の北側(大町通り)には住吉大神と記された扁額が掲げられた仮宮があった。

調べると、神々は大町四ツ角の南西にある市神・田中稲荷神社から「十日市」の日に遷され、南側には“春日大神”が置かれ、“北・海の神=住吉大神/南・山の神=春日大神”として、その間に囲まれた通りを仮の境内に見立て自由な商い(楽市)を認めたという。*出処:NHK 新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~会津の十日市」 / 会津若松市デジタルアーカイブ「田中稲荷社」 / 文化庁 広報誌「ぶんかる」2015年1月23日「会津の初市 ~雪国の新春の風物詩~」URL: https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/matsuri/matsuri_004.html

  

大町四ツ角(札ノ辻)の様子。大町四ツ角は、(会津)若松城下から延びる街道の起点にもなっていて、(会津)銀山街道や沼田(伊北)街道、越後街道がここから延びていた。

 

大町四ツ角から、大町通りを会津若松駅方面に向かうとすぐに、“会津と浜をつなぐ作戦”という出店があった。一昨日の地元紙で報じられていて、この屋台ではサンマやメヒカリの干物を中心に販売するということだったが、野菜も多く並べらていた。

「会津と浜をつなぐ作戦」は、県の「令和4年度地域創生総合支援事業に採択され、広域地産地消推進協議会の主催で行われいるようだ。福島県は、山の会津・街の中通り・海の浜通りと東西に広い県土の3地域がそれぞれの魅力を持つ。会津と浜の交流が活性化することは、県全体の盛り上がりにつながると思うので、今後も“食の交流”を中心に継続して欲しいと思った。*下図出処:福島県「令和4年度地域創生総合支援事業(サポート事業)執行計画書」 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/531922.pdf



大町通りの後半には、キッチンカーが並んでいた。そこには、ピンクの縞模様が人目を惹く、只見町の「味付きマトンケバブ」の軽車両もあった。*参考:極上の会津プロジェクト協議会「味付けマトンケバブ」URL: https://gokujo-aizu.com/areainfo/1417

 

 

18:40、「十日市」巡りを終え会津若松駅に戻り、今日の全ての予定を終えた。この後、磐越西線の列車に乗って自宅のある郡山市に向かった。

 

 

2023年、只見線にとっては大切な一年になる。“10.1全線運転再開”から季節が一巡し、県内外の旅行者やメディアが注目する中で、新規の乗客を増やしリピーターを獲得し“観光鉄道「山の只見線」”の基礎を固めるのか、運休前の空席の目立つ“知る人ぞ知る”路線として定着してしまうのか、その節目になると私は思っている。

 

昨年末、地元2紙が行った“読者が選ぶ 県内十大ニュース”で只見線全線運転再開は、福島民友新聞で1位、福島民報で2位となり、県民全体の関心の高さが明らかになった。*下掲記事:(左)福島民友新聞 、(右)福島民報 ともに2022年12月18日付け

 

年が明けて3日、福島民報では2面と3面の見開きで鉄道に関する話題を取り上げ、2面ではJR東日本が公表し不採算路線を持つ自治体に対して議論の場を求めた「線区別収支」に関して識者の意見を掲載し、3面では大きく只見線の路線図を載せるとともに各種グッズを紹介していた。*下掲記事:福島民報 2023年1月3日付け2面3面 / 参考:東日本旅客鉄道㈱「ご利用の少ない線区の経営情報(2021年度分)の開示について」(PDF)(2022年11月24日)

地元2紙(福島民報、福島民友新聞)を含め、メディアはまだまだ只見線に対して好意的で、様々な特集を記事を掲載している。このこともあってか、私の周囲を含め、県民の中には『復旧を機に乗ってみたい』と考えている方も多いようだ。


この只見線に対する県内の熱を元に、2023年は県外国外から乗客を呼び込みリピーターになってもらうとともに、只見線専用観光列車を導入する一年になって欲しい。「只見線利活用計画」を中心となって進める福島県には、只見線の持つ観光力を信じ、JR東日本と沿線自治体と協業しながら“観光鉄道「山の只見線」”の基礎をがっちりと固めることを期待したい。

 

私は、今年もできるだけ只見線の列車に乗って沿線の風景を眺め、下車してアクティビティや酒と食を楽しみたいと思う。

2023年も、お世話になります只見線!

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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