JR只見線沿線の「会津百名山」登山。今日は、(会津)銀山街道の「美女峠」を歩いてみようと、只見線の列車に乗車した後、昭和村の「美女峠」野尻口に向かった。
(会津)銀山街道は、江戸時代に(会津)若松城下と沼田街道(小林)を結んでいた最短路で、会津藩の財政を支えた軽井沢銀山(現 柳津町)産出銀の輸送路にもなり、人や物資の往来が頻繁で賑わったという。また、只見線(当時は国鉄会津線(只見方))が会津宮下駅まで開業(1941(昭16)年)後、会津川口駅まで延伸(1956(昭和31)年)されるまでの15年間は、伊北村(現 只見町の一部)や昭和村の住民が(会津)銀山街道を通り、会津宮下駅を利用したとも言われている。*参考:福島県 会津若松建設事務所「歴史回廊あいづ(建築)」 <軽井沢銀山溶鉱炉の大煙突>
「美女峠」はその(会津)銀山街道にある四峠(銀山-石神-美女-吉尾)の中の一つで、現在の三島町間方地区と昭和村野尻地区を結ぶ街道上にある峠、あるいは峠路を指している。*下図出処:福島県 会津若松建築事務所「会津銀山街道地図」MAP3 *筆者、一部抜粋し加工
「美女峠」は「会津百名山」の第85座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。
美女峠 <びじょとうげ> 800メートル
美女峠。この美しい峠の名を聞いた人は、その名に引かれて一度は越えてみたいと思うに違いない。この峠は、大沼郡昭和村野尻から大沼郡三島町間方へ通じる道である。[登山難易度:初級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p110
また、会津藩の地誌「會津風土記」(初代会津(松平家)藩主・保科正之が寛文年間(1661~72) に山崎闇斎に命じて編修させた)を,第7代藩主・松平容衆が1803(享和3) 年に増補改訂させ、1809(文化6)年に編纂が完了した「新編會津風土記」(全120巻)に、「美女峠」を指す「美女歸峠」の記述がある。
●野尻村 端村 中向
府城の西南に當り行程十三里、家數五十五軒、東西一町南北四町四十間、東は野尻川に臨み北は山に倚り、西南は田圃なり、村中に官より令ぜらるゝ掟條目の制札あり、東一里十七町大谷組間方村の山界に至る、其村は寅に當り二里二町、西一里會津郡和泉田村布澤村の山界に至る、其村まで三里山町、南二十一町下中津川村の界に至る、其村は辰巳に當り二十九町、北九町松山村の界に至る、其村は戌亥に當り十五町十間餘、
○山川 ○美女歸峠
村東にあり、登ること一里十八町 間方村にゆく道なり
*出処:新編會津風土記 巻之七十三「陸奥國大沼郡之三 野尻組 野尻村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p114 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)
但し、他方の間方村の項に、「美女歸峠」の記述は無い。
●間方村 端村 入間方
府城の西に當り行程十二里、家數二十二軒、東西四十二間南北二町三十間、山間に住す 東は大谷川に臨み、南北に菜圃あり、東二十三間十二間淺岐村の界に至る、其村は寅に當り三十五町餘、西二十一町野尻組野尻村山間に至る、其村は申に當り二里二町、南三十四町琵琶首村の山に界ふ、北三十町淺岐村に界ふ、
*出処:新編會津風土記 巻之八十一「陸奥國大沼郡之九 大谷組 間方村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p106 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)
この「美女峠」では、毎年「美女峠ウォーキング」(主催:県道小林会津宮下停車場線「美女峠」改良促進期成同盟会)が行われてきた。だが、2019(令和元)年は台風19号の影響で、2020(令和2)年と2021(令和3)年は新型コロナウィルスの影響で、それぞれ開催されなかった。『「美女峠」踏破はこのイベントで』と思っていたが、機会に恵まれなかった。
ちなみに、「銀山街道を活用して元気にする会」(三島町大谷)では2014(平成26)年から(会津)銀山街道を3日間かけて全区間を踏破する“古道ロングトレイル”を開催していたが、2016(平成28)年を最後に行われていない。*下掲記事出処:福島民報 2014年3月23日付け紙面
これらウォーキングイベントは、“道普請”によって快適に行われている。
(会津)銀山街道の大半が県道だが、車両の走行ができない未成区である“四峠”の一部区間で工事が進められていた。しかし、県は一般県道としての整備を断念し「歩く県道」として整備することにし、会津若松建設事務所(銀山、美女)と南会津建設事務所(吉尾)が地域と協力し“道普請”を定期的に行っている。*下図出処:福島県 会津若松建設事務所「地域づくりニュース H23 Vol.1 歩く県道(銀山街道)」(平成23年12月11日)/「地域づくりニュース H28 Vol.1 歩く県道(銀山街道)」(平成28年8月5日)
「美女峠」では、今年9月に“道普請”が行われ、その際の様子はSNS(Facebook)にUPされている。会津若松建設事務所は、只見線の“景観整備事業”にも関わっているが、インフラ整備情報のみならず職員の地域イベント参加の模様についても情報発信し、素晴らしい広報を行っている。*参考:福島県 会津若松建設事務所 Facebook URL: https://www.facebook.com/AizuwakamatsuKensetsu/
今回の「美女峠」トレッキングの旅程は以下の通り。
・会津若松駅から、只見線の始発列車に乗る
・会津川口駅で下車し、輪行した自転車で、昭和村の「美女峠」野尻口に向かう
・野尻口から、自転車を押して(会津)銀山街道を通り、「美女峠」山頂を目指す
・「美女峠」山頂から、間方口(三島町)に下りる
・「美女峠」間方口から自転車に乗って、会津宮下駅に向かう
・会津宮下駅から列車に乗って、会津柳津駅に向かう
・憩の館ほっとinやないづに行き、「只見線全線運転再開記念 アーカイブパネル展」を見学する
・つきみが丘町民センターで温泉に入ってから、会津柳津駅から列車に乗って会津若松を経て郡山に帰る
自転車を峠路で押し続けられるか不安があったが、天気予報は晴れで、昭和村と三島町周辺は紅葉の見頃ということで、気持ちよくトレッキングができると期待し「美女峠」に向かった。
*参考:
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:只見線ポータルサイト
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)- / -只見線の秋-
地元紙・福島民報では只見線全線運転再開を機に「つながったレール」という特集を組んでいるが、先週の日曜日から“あき編”が始まった(5週連載)。
“あき編”の初回は、一面に福島県と新潟県の県境を貫く「六十里越トンネル」を抜けた列車が、華やかに色付いた只見方出入口の荒々しい岩場を背景に駆け抜ける写真を紙面の半分を割き、社会面には会津高田駅でスケッチをする「会津新富座と歩む会」のメンバーの一人を取り上げていた。*下掲記事:福島民報 2022年10月23日付け一面
そして今日10月30日の「つながったレール」は、只見町の「げんき村」を取り上げ、町の特産品であるエゴマ(じゅうねん)の搾油機を見つめる店長の写真が掲載されていた。また12面は、只見線の上限分離区間の復旧費用や運営経費を負担する会津十七市町村による全面広告になっていた。地元と地元紙が、上下分離(官有民営)方式で一部を保有し経費負担することになった只見線を盛り上げてゆこうとする気概を感じた。*下掲記事:福島民報 2022年10月23日付け12面、13面
今朝、前泊した宿を5時20分に出て、只見線の始発列車に乗るために、未明の会津若松駅に向かった。
輪行バッグを抱え、駅舎に入り只見線のホームに向かった。既に並んでいる方が10名ほど居て。私は後部車両の後方の停車位置に立って、列車を待った。
始発列車は駅構内北側の待避線上に停車し、エンジン音が静かに響いていた。
5:43、待避線から方向転換をした始発列車、キハ110形+キハE120形2両編成が4番線に入線。多くの方がカメラを列車に向け、撮影していた。
列車が入線し、輪行バッグを抱えキハE120形に乗り込んだ後、連絡橋から4番線を見下ろした。右奥(北東)にあるはずの「磐梯山」は、雲に覆われ見えなかった。
6:08、小出行きの始発列車が、会津若松を出発。車内は混雑し、先頭が25人、後部が23人で席はほぼ埋まり、立ち客は連結付近に1人だけだった。全線運転再開から約1か月、まだ土曜日の始発列車が混雑し続ける現実に、プロモーションは今のところ成功していると思った。
七日町、西若松を経て、列車は大川(阿賀川)を渡った。朝日が「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)山塊の上半分を、朝靄越しに照らしていた。
列車は順調に駆け、会津高田、根岸、新鶴を経て、若宮手前で会津坂下町、会津坂下を出て七折峠を登坂し塔寺、そして会津坂本を出て柳津町に入った。
会津柳津を出発した列車は、郷戸から滝谷を経て、橋梁区間の前座を務める滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧1873-1960」
会津桧原を出て、列車は橋梁区間を進む。
桧の原トンネルの中で列車は減速し、「第一只見川橋梁」を渡った。“観光運転”(橋梁上での徐行)で、景色をゆっくりと眺める事ができたが、上流側は逆行で陽光も雲に隠れて弱く、色付いた木々はいま一つの見え方だった。
カメラをズームにして、鉄塔下の「第一只見川橋梁ビューポイント(D)」を見ると、30名ほどの“撮る人”がいて、こちらに向かってレンズやスマホを向けていた。
会津西方を出発し進行方向を見ると、青空が広がってはいたが、列車の周辺にまだ陽は差さなかった。
直後に「第二只見川橋梁」を渡った。
会津宮下では9分停車し、上り列車とすれ違った。
ただ、下流側は陽が届き綺麗に見え、多くの客がカメラを構えて写真を撮り続けていた。
早戸を出ると、只見川に浮んだ和舟に乗った船頭が、手を振って見送ってくれていた。
列車は国道252号線に沿い三島町から金山町に入り、細越拱橋(8連コンクリートアーチ橋)の緩やかな左カーブを駆けた。
8:05、会津川口に到着し、輪行バッグを抱えホームに降りた。隣には、小出発-会津若松行きの始発上り列車が停車していた。
上り列車の後部車両は、キハ52形を模した旧国鉄色だった。下り列車が10分、上り列車が39分停車するため、景色を観たり撮影する下車客でホームや駅舎は混雑した。
私は輪行バッグを抱え駅舎を抜け、駅頭に出た。
ここ会津川口駅前から昭和村へは、会津バスの路線バスが定期運行(川口車庫・大芦線)されている。一日上下3本で、只見線の会津若松方面に対してのダイヤ設定で、今日私が乗った会津若松発の始発列車や、会津若松に向かう一部上り列車に連絡するようになっている。*参考:会津乗合自動車㈱「路線バスー時刻表検索-川口駅前」
8:23、川口車庫方面から昭和村・大芦行きの路線バスがやってきて、駅頭に面する国道252号線沿いに停車した。2人の客が乗り込み、出発した。ちなみにこの路線バスの走行区間は、自由乗降可能になっていて、運転手に事前に伝える事でバス停が無い場所でも降ろしてくれる。「奥会津昭和の森キャンプ場」の前も通るので、荷物を抱えての移動も無理はなく行える。*参考:会津乗合自動車㈱「バスの乗り方」
8:24、輪行バッグから自転車を取り出し組み立て、会津川口駅前を出発。
昭和村方面には行かず、まずは「かねやまふれあい広場」に向かった。只見川に突き出た大志集落を背景に、只見線を走る列車を撮影できるビューポイントだ。
会津川口駅から国道252号線を北東方面に進み、3分ほどで到着。移動距離は800mで、徒歩でも無理ない距離だ。先客は3人居て、列車通過時刻には2人が加わった。
8:42、ディーゼルエンジンの静かな音が徐々に近づき、目の前を会津若松行きの列車が通過した。只見川(上田ダム湖)は波立ち水鏡になってはいなかったが、下流側の山肌に微かに陽が当たり、キハE120形の旧国鉄色と同調しているようで、満足の一枚になった。
列車撮影後、昭和村に向かって移動を開始。上空には鼠色の雲が張り出してきて、先ほどまで見えていた青空は隠れてしまった。天気予報は晴れ時々曇りだったが、雨が降らないか心配になった。
国道252号線から国道400号線の急坂に入り、川口地区を抜け小栗山地区を時折野尻川を右に見ながら駆けた。そして、“坂井の坂”を一旦下り、再び自転車のシフトを一番軽くして坂を上り続けると、野尻川両岸に“玉梨八町温泉郷”が見えた。
“玉梨八町温泉郷”の後は、国道の傾斜は緩やかになり、自転車を楽に進められた。沖田橋で初めて野尻川を初めて越え、両側に色付く低い山々を眺めながらペダルをこいだ
野尻川を右に見ながら、長い玉梨スノーシェッド(746.6m)抜け、小綱木橋上から野尻川右岸の乞食岩を眺めた。切り立った岩場の木々は見事に色付き、良い景色だった。陽が差していないのが、惜しかった。
建築会社の使われなくなった資材置き場の前を通り過ぎ、大綱木橋の上でも渓谷を眺めた。
馬追山スノーシェッドを抜けて綱木橋上から振り返って、野尻川左岸に屹立する岩山を眺めた。ここも、見ごたえのある紅葉だった。
上流側、野尻川右岸に続く山肌も美しかった。
これから色付こうとしている木々もあり、グラデーションが見事だった。
先に進み、綱木スノーシェッドを抜け、野尻2号橋からの眺めも奥行きが加わり良かった。
この付近は「綱木渓谷」と名がついているが、特に紅葉期の眺望は素晴らしい。野尻川の流れも清く、もっと知られても良い場所だと思っている。前後を含めた国道400号線の傾斜も緩いため、自転車で無理なく景色を眺める事もできる。路線バスは川上(金山町)~松山(昭和村)間にあたり4.6kmの距離だが、「綱木渓谷」も含め野尻川沿いの景色は良いのでトレッキングと思えば楽しめる。只見線・会津川口駅を起点とした観光やアクティビティーの一つとして、金山町と昭和村が連携して「綱木渓谷」の素晴らしさを広めて欲しいと思う。
「綱木渓谷」を後にし松山第二スノーシェッドを抜け、松山地区の手前にある無名山(736m)の雪崩路を持つ斜面も、見頃だった。
9:43、「美女峠」の袴沢口前を通過。この後、峠路を進む中でここから延びる道と合流することになった。
岩本橋で野尻川を渡り、右岸の堤防の国道を進んだ。
9:47、国道400号線沿いに立つ、川口車庫・大芦線の野尻小島屋前バス停に到着。ここですぐ先が、県道153号(小林会津宮下停車場)線の分岐になっている。
分岐には、青地に“宮下↑”と記された文字が消えかけている標識と、「旧美女峠遊歩道」略図が立っていた。
福島県がホームページに掲載している「福島県路線図」を見ると、一部国道400号線との重複区間があるものの、只見町・小林から三島町・大谷まで県道153号線(黄色)はつながっているが、「美女峠」付近は“交通不能 L=7,232m”とされている。車両が通行可能になるような道路整備は続けられていたようで、この青地の標識は開通を見越しての設置されたと思われた。現在も、「吉尾峠」付近も含め“貫通”の要望は出されているようだが、現状は冒頭で触れたように“歩く県道”として、県建設事務所が関わり道普請が行われている。
「旧美女峠」遊歩道略図より
旧道美女峠(びんじょうげ)遊歩道
その昔、平家が寿永の乱にやぶれ平維盛の将 目指左エ門尉知親が愛娘 高姫と横深の山林にかくれ生みとき同じ平家の落人で兎窪に住む中野丹下との悲恋の物語から美女峠(ビンジョウゲ)と名づけられたという。
幕藩体制から昭和初期にかけて南会津から本村を経て会津若松地方に至る由緒ある峠路で頂上からの眺望はすばらしいものがある。
国道400号線から県道153号線を進む。田んぼの間の農道に見えるが、れっきとした県道だ。
分岐に到着。左に上って行く未舗装道が、県道153号線だ。
ここから、山に入るので準備をした。整備されているとは言え、誰も居ないであろう峠路を進むので、熊除けに音楽を流し、熊鈴を二つ身に着けた。
分岐から、自転車を押して5分ほど進むと、標杭が見えた。
9:56、「美女峠」野尻口に到着。先に延びているのは県道153号線の“新道”のようで、整地で工事が中断しているようだった。
野尻口には、馬頭観卋音の石碑も置かれていた。
10:00、(会津)銀山街道「美女峠」野尻口を出発。上空の雲の動きは早く、時折、雨粒が落ちてくるなど不安定な天候だった。
峠路(県道153号線)の序盤は、掘割が続いた。また、周囲の視界は悪く、薄暗いため「思案岳」登山から始めた「北大クマ研」の“ポイポーイ”を時折連呼しながら足を進めた。*参考:北海道新聞「「ポイポーイ」クマよけのかけ声が響く北大天塩研究林 地図とコンパスで広大な山林を調査して歩く北大クマ研のヒグマ調査に同行」(2022年9月15日) URL:https://www.hokkaido-np.co.jp/article/730946/?pu
この“ポイポーイ”だが、山を登りながらの発声が苦にならない。私は、今まで犬の鳴き声を発し、熊除けにしていたが、“ワンワン”、“ウォンウォン”は腹に力を入れるためか意外に疲れ、連呼は辛かった。だが、この“ポイポーイ”は、口先だけでも結構大きな声を出せ、歩きながらでも容易に連呼できた。北海道大学ヒグマ研究グループで調査開始(1975年)から、調査時熊襲ゼロの理由の一つとなっている伝統の声出しの素晴らしさを実感している。*参考:北海道大学ヒグマ研究グループ URL:https://hokudaikumaken.blogspot.com/
路上には、苔むした倒木が横たわり、雪の重みで折れ落ちたのか小枝が散在していた。自転車を押して進むと車輪にからんでしまうので、時折、抱えて進んだ。
ぬかるみもあったが、酷いのは、野尻口から200mほど進んだこの場所だけだった。いずれ、道普請され、歩き易く改良されるだろうと思った。
ぬかるみの後は、峠路の傾斜が増し、九十九折れになった。
しばらく登り進むとスギ林を抜け、ちょうど雲間から陽が差し、色付いた木々が美しく輝いた。
太い倒木もあったが、自転車を担いでも進めない場所は、最後まで無かった。
天候は変わりやすく、陽が届かない時も、峠路を包む木々はまずまずの美しさを見せてくれた。
10:34、路上に岩が目立つ区間になった。
小さな九十九折れを繰り返してゆくと、前方に尾根筋見えた。
10:43、峠道は尾根の下に緩やかに延び、「前坂の一里塚」を通過。塚からはブナやナラが生えていた。
「前坂の一里塚」の先で尾根に乗るが、まもなく窪地になり、その先が明るくなっていた。
登りきると峠道は、少し左(北)に方向を変え、より緩やかな上りになった。上方は開け周囲が明るくなり、紅葉が綺麗に見えた。
10:50、峠道は、一時ほぼ平坦になった。車輪に枝が巻き付く事は何度もあったが、ここまで自転車を押して登る事に苦痛は感じず、想像していたよりも楽だった。
“平坦路”を進むと、前方が開け「俎倉山」(1,056.4m)のこんもりとした山容が見えた。ここから、峠路は下りの急坂になった。
数歩足を進めると、木々の上に「志津倉山 本峰」(1,234.2m、会津百名山50座)と「志津倉山」(1,203m)の山頂付近が見えた。
坂を下り、少し進むと前方に土間が見え、開けているようだった。
10:57、平場に到着。文字板と外れた杭があった。
文字板には、「眺望 下中津川集落」と墨書されていたて、木々の間に目を凝らすと、小さく家々が見えた。
カメラをズームにすると、確かに集落が見えた。帰宅後に調べてみると、野尻川と玉川の合流点左岸の下中津川地区新田集落のようだった。
“下中津川集落眺望”の平場の少し先には、分岐があった。車の轍があったので、作業道のようだった。
作業道が合流した峠道を進む。轍が見え、少しは道路っぽくなった。
少し進むと、電柱が現れた。また、周囲の木々を見ていると「保安林(保安施設地区)内立木伐採同意済標識」が幹に取り付けられていた。付近は水源かん養保安林のようで、管理は県会津農林事務所と記されていた。
また少し進むと、正面が開け、青い看板が見えた。
11:03、「袴沢分岐」に到着。国道400号線沿いで見かけた、「美女峠」袴沢口への分岐だ。青い看板は美女峠国有林を示すもので、坂下営林署(現在は改組し名称変更)による注意事項が記されていた。
「袴沢分岐」は右(北西)側に分岐していて、左に下る方が袴沢口に至る道で、右が間方口に向かう峠路だった。迷わず右に入り、緩やかな坂を進んだ。
「袴沢分岐」後、峠路は徐々に傾斜が増し、標高が上がっていった。
しばらく進むと開けた場所になったが、右側は平場で、分岐ではなかった。
峠路が続く左に進むと、はっきりとした轍は無くなり、表面には洗堀されば部分が目立つようになった。先ほどの平場は、作業車両の駐車・転換スペースだと思われた。
峠路が、スギ林とナラなどの混成林の間に延びる区間もあった。
峠路の所々には、“美女峠ウォーキング”と書かれパウチされた紙が角材に取り付けられた案内板が見られたが、全て倒れていた。イベントのために設置されたものと思われたが、せっかく「歩く県道」として整備しているのだから、県は主催者に補助を出し、10年程度の風雪に耐えられる案内板にするべきだと思った。
11:28、「袴沢分岐」後、初めてのヘアピンカーブを通過。
ヘアピンカーブを抜けた先が開け、眺望があると思ったが、木々が視界を塞ぎ、「志津倉山」の裾野の一部だけが見えた。
ヘアピンカーブの後、峠路の傾斜が少し緩くなり、小さくダウン-アップし、右-左-左と小さく曲がると、左側が開けた場所になり、峠路の右わきに倒れた杭と文字板が見えた。
文字板には「眺望 浅草岳と鬼ヶ面山」と記され、これを背に開けた左側の木々の間に目を凝らすと、確かに見えた。「浅草岳」(1,585.4m、会津百名山29座)と、そこから左(南)に連なる「鬼が面山」(1,465.1m、同34座)が。
“浅草岳・鬼ヶ面山眺望”所の先を右に曲がると、平場の直線路になり、何か見えた。
近付くと、樹皮が剥ぎ取られた杭と角材が斜面に置かれ、カーブにはベンチや“橋”が設置されていた。「歩く県道」の道普請の材料と、その成果のようだった。
11:39、カーブの突端の「高姫清水」に到着。清水はあったが、チョロチョロと流れている程度だった。
清水の行き先に設置された“橋”は、丸太を組み合わせ、鎹(かすがい)で固定されたものだった。隣にある“旧橋”が朽ち始めているので、道普請で設けられたようだった。
「高姫清水」の先には、粗朶(そだ)柵もあった。根崩れ防止、土留めの役割をしているように見えた。
峠路は緩やかな下りになり、少し進むと名板が見えた。
11:43、「美女峠」“頂上”に到着。野尻口から1時間33分掛かった。
名板には“頂上 782m”と記されていたが。「高姫清水」の標高の方が高いのは明らかだった。ただ、標高については、「会津百名山ガイドブック」では800m、国土地理院地図上の「美女峠」の最高点は810mとなっていて、はっきりしない。
「美女峠」の名板周辺は広場になっていて、ウォーキングイベントでは、ここで参加者が休憩する。
11:53、「美女峠」“頂上”を後にした。
少し下って、振り返った。三島町間方口から「美女峠」“頂上”に向かった場合、『もうすぐ頂点だぁ!』と誰もが言える眺めだと思った。
下りの傾斜が緩くなると、再び道普請の場所が現れた。まだ終わっていないのか、丸太の多く残されていた。
道普請は、沢に渡された丸太橋と、沢水を引き込む水場だった。だが、沢水は流れておらず、融雪期と梅雨時を中心に活躍しそうな場所に見えた。
道普請箇所の先には、朽ちた木道が渡されていた。ここが、次の道普請の場所のようだった。
また少し進むと、3箇所目となる道普請が現れた。ここにはより多くの丸太が置かれていた。
道普請は、沢の左岸の崩落した峠路の補修だった。斜面に支柱を指し、丸太を組み歩けるようにしていて、難工事だったことが想像できた。
沢の右岸は、路肩に丸太で土留めを施されていた。ここは地盤が弱いか、雪が積もりやすくその重みで路肩が崩れやすいのだろうかと思った。
先に進むと、下りの傾斜が増した。下り始めてまもなく、ブナが複数束になって倒れ、峠路を塞いでいた。自転車を担いで越えられる丈の場所を探し、何とか通過できた。
倒木の先は、落ち葉が敷き詰められた、雰囲気の良い場所になった。自転車に乗れそうだったが、パンクが怖くて引き続き押して進んだ。
12:13、一旦木々が途切れ、開けた場所を通過。『峠路の終わりか⁉』とも一瞬思ったが、距離的にまだ先だと考え、再び林の中に入ると、案の定延々の路は続いた。「美女峠」の北(三島町)側では、県から委託を受けた間方地区の住民が草刈りを行っているという。*参考:三島町「交流センター やまびこ」ゆるいばた「歩く県道美女峠の草刈り行われる」(2021年10月3日)
当初の予定では、会津宮下駅12時57分発の列車に乗る事にしていた。間方口から会津宮下駅までは12.8km。ここで『無理では...』と思い始めたが、やれるだけやってみようと駆け足で峠路を下った。
12:16、林の中を進み、4箇所目の道普請に到着。粗朶作と2つのベンチ、そして丸太などの資材が見えた。
ここは今年7月7日に道普請が行われた場所のようで、斜面側の側溝の丸太は白く、しかも途中のようだった。また、直線の途中には横断側溝があり、これは少し前に施工されたように見えた。
12:21、杭に固定された文字板が見え、「黒文字 群生地」と記されていた。
黒文字(クロモジ)とはクスノキ科の木で、楊枝に原料になるという。名の由来は“皮の斑点を文字に見立てた”等、諸説あるという。*参考:国立筑波実験植物園「クロモジ(ホヨウジ) 」
12:23、「壇の上の一里塚」前を通過。
「壇の上の一里塚」通過後、まもなく轍が見られるようになった。最近、車が通ったような跡だった。
12:32、軽トラが停まっていて、峠路は舗装道に変わった。
そして、右カーブを曲がり舗装道に載ると、前方に交差する道が見えた。
12:35、「美女峠」間方口に到着。“頂上”から40分で下った。野尻口からの踏破時間は、2時間35分だった。
昭和村方面を見ると、舗装道は延びていた。県道153号線の延伸工事のようだが、この先500mほどの場所で、道は途切れている。
12:37、会津宮下駅12時57分発の列車に間に合わないのは、ほぼ確定したが、“間に合わせるつもり”で自転車を走らせようと、「美女峠」間方口を出発し県道153号線の舗装道を駆け下りた。
12:37、間方地区に入った。
12:46、浅岐地区に入った。
12:57、県道59号(会津若松三島)線と合流し重複区間になり、大谷地区に入った。
13:01、会津銀山街道「石神峠」への分岐(春日橋手前)を通過。
一旦、停車して「石神峠」を眺めた。峠路が通る付近の木々は色付いていた。
県道59・153号線が少し狭くなると、前方に橋梁の新設工事現場が現れた。「県道会津若松三島線 大谷工区改良工事」で、狭隘部解消・災害対策のための1.1kmのバイパスを設置するという。
13:08、会津宮下駅に向かう分岐に到着。この地点から駅まで1.3kmで、自転車ならば5分ほどで到着できる。結果、「美女峠」間方口から駅まで40分あれば、急ぎ自転車で到着できる事が分かった。
まずは、「美女峠」トレッキングを無事に終えることができた。会津宮下駅から、只見線の列車に乗る事はできなかったのは残念だったが、なんとか自転車を押し続け峠を越えられた。また、クマについては。自転車を押しながらの山行だったので、私の存在が少し大きく見えて熊は警戒するだろうと、誰も居ない山中ではあったがさほど恐怖を感じることなく歩けた。
(会津)銀山街道「美女峠」は、“歩く県道”整備事業で歩き易くなっていたものの、当時のままの道も多く、歴史を感じられた。今後も“歩く県道”整備事業が進められ、より良いトレッキングコースになる予感がした。
只見線を絡めたトレッキングは、間方口~会津宮下駅間の交通手段が無いため、現状輪行+峠道を押して歩く、というあまり一般的ではない方法しかない。やはり、冒頭に挙げたウォーキングイベントの開催がベストだと思う。現在は秋の紅葉シーズンの開催になっているようだが、新緑の時期や降雪期など複数回開催されれば、“只見線利用+街道トレッキング”の組み合わせの模範となるのではないだろうか。三島町と昭和村が協力しその可能性を探り、補助金の活用や「只見線利活用計画」を進める福島県への働き掛けで、「美女峠ウォーキング」の年複数回開催を実現して欲しい。
13:14、菓子パンを食べ水分補給し、柳津町を目指した。会津宮下駅から出る次の上り列車は16時3分で、柳津町での予定に支障がでるので、約10kmのサイクリングをすることにした。
県道から右折し、国道252号線を進んだ。途中、新宮下橋から「みやしたアーチ3橋(兄)弟」の長男・大谷川橋梁(S14生、只見線)と次男・宮下橋(S32生、旧国道/現県道237号線)を見下ろした。左奥には、会津百名山82座「三坂山」(831.9m)が見え、なかなかの構図だった。
今朝、列車の中から見た、三男・新宮下橋(H1生、国道)。鋼製だが、長男と次男のデザインに合わせて架けられたものだ。*参考:福島県 「ふくしまの橋カード No.15 新宮下橋」(PDF) URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/313528.pdf
「みやしたアーチ3橋(兄)弟」は次男・宮下橋の会津宮下駅側の袂から徒歩3分ほどのビューポイントから、3橋を同時に見る事ができる。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL:https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5
国道252号線を進み、道の駅「尾瀬街道 みしま宿」の前を通過。駐車場の拡張工事が行われていた。
道の駅から、「第一只見川ビューポイント」に向かう方も見られた。
この後、スノーシェッドでつながっている、川井トンネル(74.7m)と駒啼瀬トンネル(534.7m)に入った。下り坂のトンネルとは言え、車の走行音が響き続け、無いに等しい路側帯を後方からやってくる車両に注意しながらの自転車走行は、怖かった。
13:46、桧原スノーシェッド(513.8+368.5m)を抜けて、三島町から柳津町に入る。只見川(柳津ダム湖)は国道252号線と、ほぼ同じ高さになった。
連続する持寄第一スノーシェッド(561.3m)と持寄スノーシェルター(167.7m)を抜けて、しばらく進むと滝谷川橋を渡った。只見川の下流方面には、東北電力㈱柳津発電所・ダムの一部が見えた。
滝谷川橋を渡り松倉トンネルに入るが、途中で車輪から異音がした。トンネルを抜けて、退避スペースで自転車の各部位を見てみると、後輪がパンクしていた。柳津町市街地まで残り2kmだが、この先は下りが続くので、何とか乗って行けるだろうと思った。
14:08、何とか柳津町市街地に着き、スーパー(かねか柳津店)に立ち寄った後に只見川の堤防上に行き、遅い昼食を摂った。国道252号線の真っ赤な瑞光寺橋越しに、「福満虚空蔵菩薩 圓蔵寺」を眺めながら食べるカップラーメンは旨かった。
また、向かいの公園には、ピンクの丸々とした“かいじゅう”がいた。ポケットモンスターのキャラクター・ラッキーで、県内4箇所に整備された「ラッキー公園」の遊具だった。*下掲記事:福島民報 2021年10月15日紙面
地元紙で知ったのだが、ここで「只見線全線運転再開記念 アーカイブパネル展」が今日まで開かれているため、訪れる計画を立てた。*下掲広告:福島民報 2022年10月23日付け紙面
館内に入ると、すぐにパネルが掲示されていた。パネル展は、通路にボードを立て、そこに新聞記事を印刷したパネルを貼り付けてあるものだった。
1928(昭和3)年11月20日に、現在の只見線(当時は国鉄会津線)が、会津坂下駅から会津柳津駅まで延伸開業する様子をはじめ、会津宮下駅まで延伸(194年10月28日)、会津SL最終運行(1974年10月31日)などを取り上げた記事がパネルになっていた。
只見線と只見川電源開発は一心同体で、特に電源開発㈱田子倉発電所・ダムの施工がなければ、只見線が会津若松~小出間を繋いだ可能性は低く、名称も会津線のままだったと思われる。また、只見線の11年にもおよぶ区間運休をもたらした「平成23年7月新潟・福島豪雨」による鉄橋破断などは、電源開発で流域に築かれたダムからの放流が影響し、さらに現在も継続進行中のダム湖(只見川)の堆積土砂の浚渫工事も電源開発に付随するもので、列車からの風景に入り込んでいる。
この只見線と只見川電源開発の関係については、今回のパネル展のように新聞記事や資料などを常設展示すべきものだと私は思っている。鉄路の歴史的背景を乗客が知ることで、車窓から眺めるダム湖の水鏡はより良きものになるのではないか。「只見線の利活用」を中心となって進める福島県は、まずはホームページ上でも良いので、只見線と只見川電源開発の関係について見ごたえのある、重厚な情報を掲載して欲しいと思う。
パネル展の見学を終え館内を出て、「ラッキー公園」の様子を見た。多くの子ども達が駆け回り、親たちが見守っていた。子ども達の歓声が響き渡るのは良いもので、ポケモンの引力はすごいと思った。
受付で入浴料400円を支払い、地階の温泉に入り「美女峠」トレッキングとサイクリングの汗を流した。ここは、浴槽が広く浴室からの眺めが良い、只見線沿線の駅チカ温泉でNo1だと思った。
柳津町「つきみが丘町民センター」温泉の主な特徴
・源泉名:新柳の湯
・泉質:ナトリウム・カルシウムー塩化物温泉(等張性弱アルカリ性高温泉)
・泉温:56.3℃ (pH7.8)
湯上りに少し休憩し、40分ほどで「つきみが丘町民センター」を出た。建物脇の高台から、只見川(片門ダム湖)と会津百名山86座「飯谷山」(783m)を眺めた。浴室から見える風景と、同じ構図だ。
「つきみが丘町民センター」から会津柳津駅に向かった。
階段を下りて県道225号(会津柳津停車場)線に入り、自転車を押して銀山川に架かる中の橋を渡ると、「スーパーあまの」を改修した「甘味処 赤べこ堂」が見えた。オープンしたばかりで、杵つきだんご餅とクラフトアイスがあり、店内でも食べられるという。*下掲記事:福島民報 2022年10月20日付け紙面
門前町の商店街を抜け、巌上に建つ「福満虚空蔵菩薩 圓蔵寺」の本堂(菊光堂)を見上げながら、緩やかな坂を上った。
途中、「いなばや菓子店」に立ち寄り、つぶあんの「あわまんじゅう」と「大栗まんじゅう」を購入した。ガラス張りの作業場では、御主人が粟を敷いたお猪口に餡を入れ、再び粟を載せて包む作業を繰り返していた。先客がいたため、その熟練の技をじっくり見る事ができた。
「いなばや菓子店」の先にある「小池菓子舗」は、新店舗に変わっていて、多くの客が店内を賑わせていた。
16:15、会津柳津駅に到着。自転車を折り畳み、輪行バッグに入れてホームに向かった。
駅舎では8名が列車の到着を待っているようだった。
ホームで「あわまんじゅう」をいただいた。やはり、つぶあんは旨かった。
16:26、上り列車がやってきた。カメラをズームにすると、立ち客が多く見え、混雑しているようだった。
列車が到着すると、ツアー客が30名ほど降りた。
16:27、会津若松行きの列車が、会津柳津を出発。車内は満席状態で、立ち客もいた。
10月1日の全線運転再開以後、只見線の列車には連日多くの客が乗車しているという。只見線が最も魅力を発揮する紅葉期ということもあり、特に、休日は都市部の通勤列車並みの混雑になっている。これを受けて、福島県などの沿線自治体も参加する第2期只見線利活用検討会議で、JR東日本が混雑対策として“車両増含め対策検討”と地元紙が報じていた。*下掲記事:福島民報 2022年10月29日付け紙面
記事では、JR東日本担当者の『紅葉シーズンで乗客増は見込んでいたが、想像以上だ。秋の観光シーズンに間に合うように検討を進める』との言葉を掲載しているが、素晴らしい対応だと思った。上下分離方式で運転再開区間(会津川口~只見)に対して地元(福島県と会津17市町村)が経費負担しているとはいえ、管内屈指の赤字路線の増車・増便要請に対して“間に合うように検討を進める”という対応はなかなかできない。逆に、「只見線利活用」の中心を担う福島県は自治体側の費用負担を前提に、JR東日本に対して増車・増便要請を、強力に要請するべきだったと思っている。
16:44、会津坂本から会津坂下町に入った列車は、塔寺を経て七折峠を下り切り、会津平野を進んだ。「磐梯山」など会津平野を囲む山々は、鼠色の雲に覆われていた。
郡山行きは4両編成だったが、既に立ち客もいて混雑していた。私は、一本後の列車に乗ろうと思い、待合室に向かった。
今回の只見線の旅は、列車の乗り遅れと自転車のパンクがあったものの、無事に終える事ができた。山歩きの後に列車の座席に座れないという現在の只見線の混雑には複雑な心境だが、全線運転再開後に乗車した観光客にはリピーターやインフルエンサーになって欲しいとは思っている。
昨日の地元紙の記事には、只見線の周知度についてのアンケート結果が掲載されていた。20代以上の首都圏居住者に対するWebアンケートで、694人から回答があったという。61.4%が“只見線を知らない”と答えているということだが、Web調査ということで比較的若い世代が回答に協力していると思われ、妥当だと思った。*下掲記事:福島民報 2022年10月29日付け紙面
記事には県の担当者の『認知度を高める余地があるのは確かで、さらなる情報発信につとめる』というコメントを載せているが、是非効果的な只見線の周知を行って欲しいと思う。
ただ、現状は全線運転再開後の多くの乗客に満足してもらい、『また次も乗りに来よう!』と思わせ、『只見線に是非乗ってみて!』と言わせる方が重要だ。県は只見線管理事務所を中心に、現在の混雑を絶好無二の好機ととらえ、増車・増便以外の企画やサービスを考え出し、只見線の乗客に提供して欲しいと思う。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・福島県:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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