只見町「会津朝日岳」登山 2022年 紅葉

JR只見線沿線の「会津百名山」登山。今日は沿線の「会津百名山」で「丸山岳」(1,820m)に次いで標高の高い「会津朝日岳」(1,624.3m)に登ろうと、只見線の列車に乗って只見町を訪れた。

 

「会津朝日岳」は「日本二百名山」にも挙げられる著名な山で、「只見四名山」の最高峰でもあり「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では第27座として、以下の見出し文で紹介されている。*参考:Wikipedia「日本二百名山

会津朝日岳 <あいづあさひだけ> 1624メートル 
会津朝日岳は、只見町に位置しどこから見ても峻険な姿を見せ、人を寄せ付けないような雰囲気を持っており、会津駒ヶ岳から三岩岳、丸山岳と連なる大きな山並みのうねりを断ち切るかのように東西に大きく尾根を延ばし最北端に一際黒い姿を見せている。
[登山難易度:上級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p32


また、会津藩の地誌「會津風土記」(初代会津(松平家)藩主・保科正之が寛文年間(1661~72) に山崎闇斎に命じて編修させた)を,第7代藩主・松平容衆が1803(享和3) 年に増補改訂させ、1809(文化6)年に編纂が完了した「新編會津風土記」(全120巻)には、「会津朝日岳」が“朝日山”と記述がされている。  

黒谷組
此地府城の西南に當り本郡の西端にあり、東は和泉田組に交はり、西は越後國魚沼郡堀内組に界ひ、南は古町組に接し、北は本郡大鹽組に連る、(中略)重嶺四方に繞り村居皆山間に散布し、南の方に朝日大鳥の二山峙ち四時多は雪絶へず、(中略)然れども此邊の諸組に比すれば土地稍潤肥にして五穀乏からず、薪樵の業ゆたかなり、又布を製し筵を織り蠶を飼て餘産を贍はす、習俗鄙朴にして、華飾を務めず、故に居民恒の産ありて生計に困せず、(以下、略)
●黒谷村
府城の西南に當り行程十八里十町、家數二十三軒、東西一町三十間南北四町、西南は山に倚り東北は田圃なり、(以下、略)
○朝日山
村南四里餘にあり、本郡の條下に詳なり
*出処:新編會津風土記 巻之四十六「陸奥國會津郡之十八 」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p262~265 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

 

“朝日山”は江戸期も会津を代表する山のようで、「新編會津風土記」の會津郡の項に詳しく記されている。

會津郡 ○山川 ○朝日山
黒谷組黒谷村の南にあり、頂まで一里二十四町餘、駒嶽の北に續く、半腹より上は山石多く草木生せず、四時雪消へず、伊北郷の諸村は山中に住する故、晏て後始て日を見る、只此山のみ詰朝に日を見る故に名とす、黒谷・石伏・楢戸・田子倉四箇村に屬す
*出処:新編會津風土記 巻之二十五「陸奥國會津郡之一 」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p7 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

 

ちなみに、“あさひだけ”とは、全国各地にあり、「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p20-21)によると、「朝日岳」は14座で「旭岳」は8座あり、「朝日岳」の最高峰は富士山頂の火口東にある峰で3,730m、「旭岳」の最高峰は富山県黒部市にある2,867mの山だという。

 


只見線沿線の「会津百名山」登山を開始した当初、最寄りとなる只見駅から登山口まで約15km、登下山が6~7時間ということで体力的に厳しいだろう、と登山計画からは外していた。だが、「只見四名山」で「会津朝日岳」だけ未踏なのが半端に思え、只見線全線再開通を機に挑戦してみようと考えた。

想定時間は、只見町市街地の宿から登山口までの移動が1時間30分、登下山が7時間、そして登山口から只見駅までの移動が1時間で、14時35分発の只見線の列車に乗って帰路に就く予定を立てた。

 

今回の旅程は、以下の通り。

・前日、会津若松市の「思案岳」を登った後に、只見線の列車に乗って只見町入りし、「山響の家」に宿泊

・宿から自転車に乗って「会津朝日岳」赤倉沢登山口に向かう

・赤倉沢登山口から「会津朝日岳」登山を開始し、登頂後に同じルートで赤倉沢登山口に戻る

・赤倉沢登山口から只見駅に向かう

・只見駅から只見線の列車に乗って、会津若松を経由して郡山に帰る

 

現地の天気予報は晴れで、紅葉は見頃を迎えているという。列車の出発時刻に合わせるために時間的に厳しいが、山行中に見られる景色に期待し「会津朝日岳」に挑んだ。

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ  -只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)-  / -只見線の秋-

 

 


 

 

昨日、只見駅着16時21分の列車を下りて宿に向かった。駅から徒歩10分ほどの場所にある「山響の家」で、“一日一組”ということもあってなかなか予約が取れない宿だ。*参考:只見町「お試し移住体験施設[只見地区]

 

事前に電話で聞いた場所に向かうと、道路を挟んだ向かいの小屋で小粒な種のようなものが敷き詰められたケースを運ぶご婦人が居た。挨拶をすると宿の方のようで、手伝いをしてから後に続いて宿となる母屋に入った。

20畳ほどの広い座敷に通され。緑茶を出された後、ご婦人から挨拶を受け名刺と入湯券を受け取った。このご婦人が、御主人の鈴木サナエさんだった。

 

鈴木サナエさんは、多方面で活躍されている方で、6年前の地元紙には“只見町公認自然ガイド”、“只見町ブナセンター友の会副代表”などを務められていると紹介されていた。頂いた名刺の裏には、その他、“福島県もりの案内人”、“NACS-J(日本自然保護協会) 自然観察指導員”とも記載され、お会いした印象からは想像できない活動的な方だ。*下掲記事:福島民報 2016年11月22日付け紙面

“宿帳”に必要事項を記入し、入浴・食事などの説明を受けた後に、御主人と話をしたが、この「山響の家」は、只見線を11年にもおよぶ部分運休に追いやった「平成23年7月新潟・福島豪雨」で自宅一階部分が浸水してしまったのを機に、『どうせ片付けをするのなら、新しい事を』と始めたということだった。

 

案内された2階の部屋は広かった。一日一組ということだが、グループ利用で人数が多い場合、隣部屋とを隔てる襖を取り外すという。「山響の家」は農家民宿(農林漁業体験民宿)ということで、中学生などの“農村体験”でも利用されるというが、生徒が10名を超えても十分なスペースだと思った。

 

驚いたのは、2階の広い板間と吹き抜け。元々は3階建てで、3階部分は物置に使われていたというが、現在は改修された吹き抜けに縦長の大きな照明が吊るされ、立派な梁が照らされていた。築100年を越えるという豪雪地帯に代々受け継がれてきた堅牢な民家を、宿として利用できる事は素晴らしいと思った。

板間の壁には多くの絵画が掛けられ、御主人と親交のある日本画家・斎 正機氏の大きな作品もあり、宿で過ごす時間も充実できる空間になっていた。

 

部屋に荷物を置き、風呂に向かった。「山響の家」では、500mほど離れた町の入浴施設「ひとっぷろ まち湯」を宿の風呂としていた。

 

「ひとっぷろ まち湯」には鉄道風景画家・松本忠氏の只見線に関する作品が飾られている。浴室の入口前には「そよ風色に染まるとき」、男性の脱衣所には「新緑に誘われて」、そして男性の浴室には「橋上遊覧」が大きく額装され掲げられている。列車は以前走っていたキハ40系だが、只見線での旅情を感じながら湯に浸かることができる。*参考:松本忠「もうひとつの時刻表」Gallery 福島県(只見線)

 

 

浴後宿に戻ると、食堂となる居間に夕食が用意されていた。自家製野菜や山の幸(山菜、きのこ)、そして只見町の魚であるイワナなど、地のモノの料理が並んでいた。

 

また、料理はこれだけではなく、わらびのおひたしや、

 

大きなジャガイモが目を引いた煮しめも出された。この煮しめは、マイタケやホタテも入り、只見町の郷土料理である“お平”を思わせる一皿だった。

食事の終盤には、御主人が採ってきたという天然マイタケの炊き込みご飯が出され、大満足の夕食だった。

全ての料理が美味しかっただけではなく、イワナの焼きものは只見町名産のじゅうねん(エゴマ)が調味料に使われるなど、一手間二手間かけられていて、印象に残る食事だった。

また、この食事の際、私の隣りの部屋に泊まるという御主人の知り合いの方とご一緒した。聞けば、この方は私が定期購読している地元紙の記者で、只見線の特集記事を取材するために只見町に滞在しているということだった。先方も私が書いているこのブログを知っているということで、只見線に関して色々と話をさせていただき、とても有意義で楽しい時間を過ごさせていただいた。

 

 

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今朝は4時40分に起床し、急ぎ準備をして1階に降りた。ここで、前日に頼んでおいたおにぎり(朝食)を受け取って出発しようと思ったが、何と朝食が用意されていた。私の伝え方が悪かったようで“朝食とは別におにぎりを作ってください”と伝わっていたようだった。早朝、御主人に余計な手間を取らせてしまい恐縮だったが、ありがたく朝食をいただいた。

 

ゴハンは、もちろん只見町の新米で、ピカピカに輝いていて、旨かった。

 

 

5:07、急ぎ朝食を済ませ、おにぎり弁当をありがたく受取り、ご主人にお礼を言って「山響の家」を出発した。

自転車のライトを点け街灯だけが灯る道を直進したのち、交差点を左折し国道289号線を南東に向かった。湿気を含み、少し生暖かい空気を全身に受けながらペダルをこいだ。

 

楢戸地区を過ぎると街灯が途切れ、行き交う車もなく、しばらく周囲は真っ暗だった。そして福井地区からは少しずつ明るくなり、黒谷地区に入る頃には自転車のライトが要らなくなった。

 


 

5:40、朝日駐在所の少し先で斜め右に入り、町道黒谷倉谷線を進むと民宿「やすらぎ」の前に着いた。今回の「会津朝日岳」登山で、登山口に近いことから泊まろうと考えた宿だった。だが、現在は休業中で、再開は未定とのことだった。

 

黒谷川沿いの、平坦に近い道を進んだ。陽は高くなってきているようだったが、濃い霧が周囲を包み、前方に見えるはずの山々は全く見えなかった。

 

 

5:57、白沢集落に入ると、「会津朝日岳」登山口を示す看板が見えた。

 

二股を右に入り、林道白沢線を進んだ。

 

林道は白沢川沿いに延びていた。進むにつれて、濃霧の先には山並みが見えるようになってきた。

林道は思いのほか緩やかで、3分の2を過ぎた頃に少し急な坂になったが、登山前に心配するほどの体力消耗は無かった。


 

6:21、「いわなの里」に到着。赤倉沢に架かる橋を渡ると、道は砂利道に変わった。

 

登山口には敷地の中を通るようで、行き先を示す案内板が立っていた。

 

敷地をクランクするように進むと、町が立てた看板が見えた。

 

 

 

 

6:29、「会津朝日岳」赤倉沢登山口に到着。宿のある市街地から1時間22分で着くことができた。ほぼ、予定通りだった。

自転車を駐車場の隅に置いて、準備を開始。不要な荷物を袋に入れ、スパッツを装着した。熊鈴は他登山者が多いようなので不要か、と思ったが一応身に着けた。

 

準備が終わる頃には、平日にも関わらず駐車場には10台の車が並び、ほぼ“満車”となった。大半が県外ナンバーで、「会津朝日岳」の人気の高さを思った。

 

 

6:40、「会津朝日岳」登山を開始。 

 

すぐ赤倉沢を橋で渡った。

 

登山の序盤は、歩き易い緩やかな上りだった。

 

往路、この写真を撮った時点では気づかなかったが、復路で町が設置した通過人数のカウンター「Pass Counter TRAIL MASTER」が設置されていることに気づいた。赤外線で通過人数を記録し、後日内部メモリを回収しデータ解析する機器という。

 

 

草が茂っている場所は刈り払いされ、快適に歩くことができた。「会津朝日岳」では山開き登山(6月第2日曜日)が開催されるが、その度に登山道の整備が行われている。

 

6:53、荒禿沢に出会い、ここも木橋を渡った。

 

 

7:03、前方の山に陽が当たるようになり、色付いた山肌が見えた。青空も広がり、登山日和になったことを感謝した。

 

先を歩いていた2人の登山者を抜いて、赤倉沢に近づく。だいぶ幅が狭くなっていた。

 

 

7:11、赤倉沢を渡渉。水量は少なく、難なく越えられた。

 

7:15、二度目の渡渉も水量・水勢無く、靴などを濡らすことなくクリア。赤倉沢かその支流かは分からなかった。

 

渡渉後は、登山道の傾斜が増し、しばらく、刈り払いされた空間を直登した。そして、今まで聞こえていた沢音は少しずつ遠のいていった。

 

直登部分が終わると、短い区間だったが、水が浮き出ている場所があった。

 

また、石ころやメロン大の石がころがる箇所もあった。序盤で足を躓くわけにもゆかず、足元を確認しながら、進んだ。

 

 

7:30、前方にピンクテープと白い標杭が見えた。

 

渇水期、最後の水場と言われる「三吉ミチギ」に到着。水はさほど冷たくなく、まろやかでゴクゴクと飲めた。ペットボトルにも、給水した。

“ミチギ”について、私が登山計画で参考にさせてもらっている福島登高会のホームページには、次のよう記述されている。

*出処:福島登高会「No.5144 会津朝日岳」
ミチギとは目印(道標)を付けることで、キリツケとも言う。また獣の足跡をミチギとも言うようだ。尾根に取付いてすぐにある水場は良い目印とも言える。
( URL:http://www.ftk-ac.net/01_hik/2015_hik/5144_aizuasahi/5144_aizuasahi.html )


「三吉ミチギ」を出て少し進むと登山道に陽が差す場所があり、そこに立つと麓の様子が見えた。沢筋の先に雲海が見えることから、白沢集落などはまだ霧に覆われていると思った。

 

 

「三吉ミチギ」から先の登山道は、九十九折れの急坂となり、しばらく続いた。

 

徐々に息が切れ、時に立ち止まりながら進んだ。ただ、登山道が東に向き陽光を受けるようになると、色付いた木々が輝き美しく、元気を取り戻すことができた。

 


7:58、最初のヒモ場を登る。ただ、斜面は階段状に掘られていて、トラロープを頼らなくとも、無難に進めた。

 

登山道のまわりは、豪雪地で育ちきれないためか幼木が多かったが、時折、立派なブナが見られた。この立ち姿にも感心させられ、踏みだす足に力が入った。

 

 

8:15、第2のヒモ場を通過。前方が開け、尾根に向かう急坂だったが、ここも地表は階段状に削られ、ロープ無しでも登ることができた。


尾根に乗ると、登山序盤で見上げていた山並みが、横に見えた。

 

そして、麓に目を向けると、雲海が消えようとしていて、白沢集落が見えた。


 

急坂を登ってゆくと、白い標杭が見えた。

 

8:18、「人見の松」に到着。そばに「人見の松」と思われるマツの木はあったが、眺望は無く『通過点か...』と思い先に進んだ。

 

「人見の松」の先に延びる登山道は岩場になり、まもなく灌木の間を進んだ。

 

だが、途中で背後が開けているような感覚があり、振り返ってみて啞然! 「人見の松」の向こうに広がる奥会津の山々と、山間を埋める雲海が見えた。素晴らしい景色に、足をめて、しばし見入った。

 

北西に目を向けると、「鬼が面山」(1,465.1m、会津百名山34座)から「浅草岳」(1,585.4m、同29座)に続く山塊が見えた。その麓の田子倉ダム湖から先、北東に延びる只見川は雲海に覆われていた。

 

 

足を進め、斜面を登り切り尾根に乗ってしばらくして再び振り返ると、色付いた灌木越しに険しい山々の稜線が見えた。良い絵だと思った。

 

 

8:30、登山道の傾斜が緩やかになり、足元が岩場から土場に変わってまもなく、前方に小高い山が現れた。登山道はそこに向かって延びていた。そして、この山の右手奥には、巨大なスラブの斜面の一部が見えた。

 

小高い山を進むと、急坂の斜面は階段状に削られていて、歩き易かった。

 

急坂を越えると、登山道は灌木の間に延びた。“動植物を大切にしましょう”と書かれた金属板が道脇に倒れていた。


 

8:36、登山道が緩やかになり前方が開けると、正面に「会津朝日岳」が見えた。北の山肌はスラブになっていて、先ほど見えたのが「会津朝日岳」のものだったと分かった。

 

 

緩やかな登山道を進むと、マツの大木の下に白い標杭が見えた。

 

8:39、「叶(かのう)の高手」(1,430m)に到着。登山口から1時間54分かかった。

 

「叶の高手」は登山道上のピークで、少し下ると、巨木が聳え立っていた。

 

胸高直径が1mを超える、「朝日岳の大クロベ」だ。二本のうち一本は倒れ登山道を塞いでいたが、ステップが切り込まれていて、越えるのに支障はなかった。

 

「大クロベ」を過ぎ、しばらくすると急坂を下る事になった。他の方の山行記には“約100m下って、山頂に向けて300m登り返す”とあったが、『せっかく登ってきたのに...』ともったいない気がした。

 

 

8:55、急坂を下りきり、少し歩き見上げると、「会津朝日岳」山頂が綺麗に見えた。

 

カメラをズームにしてみると、山頂に置かれているという青銅製の方位盤が、灌木越しにうっすらと見えた。

 

 

下った後の鞍部はしばらく平坦で、陽を浴びた紅葉を見ながら、気持ち良く歩くことができた。

 

“平場”を過ぎ、少し登ると、ぬかるみが続く場所になった。降雨時や融雪期はやっかいな場所になるようなので、木道が必要だと感じた。

 

 

9:10、「熊の平」に到着。眺望は無く、広場になっているわけでもなく、単なる通過点のようだった。標杭には、“頂上まで0.9km”と記されていた。

 

「熊の平」の後は短い急坂で、丸太階段が設けられ、途中でヒモ場(第3)になった。ここも、地表は階段状に削られ、歩き易くロープの助けは要らなかった。

 

急坂を登った直後に平場となり、右を見ると青いトタンが外壁となっている建物が見えた。避難小屋だ。

 

9:13、「朝日岳避難小屋」に立ち寄り、ぶ厚く重い金属製の扉を開けて中を見た。広い一間に、囲炉裏を囲むように板間が設えられていた。*参考:福島県 自然保護課「会津朝日岳避難小屋のご案内」 URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16035b/hinangoya-06-aizuasahidake.html

 

 

避難小屋から登山道に戻り、先に進んだ。地面が洗堀され、段差の大きい場所があり、第4のヒモ場もあった。

 

急坂を、小さくジグザクに登ると、前方が明るくなる直登部なった。

 

 

9:31、直登を終えると、白い標杭が現れた。「バイウチの高手」(1,501m)で、“バイウチ”とは珍しいが、一説には降雪期の兎の狩猟法だという。

 

「バイウチの高手」の先は緩やかな上りになり、まもなく、「鋸刃」(1,610m)前後の稜線が見えた。「浅草岳」の中崎尾根から見える、「鬼面の眺め」に似た険峻さがあった。

 

 

9:37、「小幽沢カッチ」と呼ばれる斜面下に到着。ここは融雪期に水場になるようで、斜面には幾筋かの溝が見られた。

  

斜面に取付く。山開き登山では、ここに雪が残り、雪壁となることもあるという。

 

今年、山開き式典(6/12)後に登った方の山行記を見ると、前面に雪渓が残り、アイゼンやピッケルなどの装備を持たなかった多くの方が登頂を断念したようだった。今年5月に黒谷地区朝日の伊南川右岸から「会津朝日岳」山頂を見た時は、「小幽沢カッチ」の斜面は分厚い雪塊に覆われていた。

 


まもなく、岩場を登ってゆく。慎重に足を進めたが、何とか滑らずに直登できた。雨天時など、表面が濡れている場合は危険だろうと思った。

 

途中、振り返って景色見た。「バイウチの高手」と「叶の高手」の二つのコブの色付きが綺麗で、少し見入った。

 

岩場を過ぎると、表面が脆そうな岩場にザレが混じる急坂になった。ここはヒモ場(第5)になっていて、時折、ロープを掴みながら慎重に直登した。

 

ザレ場を過ぎると、斜面をトラバースするように、斜め上に進んだ。

 

再び、直登となり、小さく凸凹した岩場だった。第6のヒモ場だったが、岩場は固く靴底は滑らなかったので、ロープの助けは要らなかった。

 

登りきると、やや平坦な場所を少し進んだ。

 

そして、最後のヒモ場(第7)となる岩登りになった。ここも、ロープ無しでも登れた。

 

 

9:53、南側のピークに乗った。山頂は、もう少し先のようで、灌木に覆われているようだった。ここでは、登頂を終えたような一人の若い女性登山者とすれ違った。


このピークは、岩場というだけあって遮るものが無く、眺めが良かった。南西に突き出た岩肌に色付いた灌木越しに見る、新潟県側(魚沼市)の山々が見えた。

 

そして、南には会津百名山17座で“マイナー12座*”に挙げられている「丸山岳」(1,820m)の、丸みを帯びどっしりとした山容が、良く見えた。今回の「会津朝日岳」登山で山並みだけは拝みたいと思っていた。

マイナー12名山
雑誌「岳人」2002年4月号で発表された。①道がなく登頂することが困難な山であること、②山容風格ともに名山と呼ばれてもおかしくないこと、③山群の主峰、またはそれに準ずるものが望ましい、という3要件を満たした山となっている。選定人は大内尚樹氏、宮内幸男氏、高桑信一氏、そして「岳人」編集部。 

 

「会津百名山ガイダンス」の「丸山岳」の項では。「会津朝日岳」登山に絡めて次のような記述がある。

新緑の美しい頃、只見町主催の会津朝日岳山開きに参加した登山者は、会津朝日岳の東側に延びる白沢ノゾキまでの岩稜にシャクナゲの花が咲き乱れるのを見る。その日が晴れて、空気が澄んでいたならば真南に丸山岳のドーム状の山頂を望み、いつかは登頂を果たしたくなる。*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p58

 

なお、当ガイダンスで「丸山岳」は次のように紹介されている。

丸山岳 <まるやまだけ> 1820メートル 
南会津の最奥部に重畳たる山群が連なり、その広大さから敬意を込めて南会津チベットと呼ばれるところがある。その中心に鎮座する丸山岳は、山容の秀麗さ、たおやかさとは逆に、ようとして人を寄せ付けない厳しさを秘めている。
[登山難易度:超上級(登山道無)]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p58

 

 

南側ピークを後にして、山頂に向かった。

 

山頂稜線は歩き易く、1分ほどでピンクテープが見え、前方が大きく開けた。

 

 

 

 

9:57、「会津朝日岳」山頂に到着。登山時間は3時間17分。できれば4時間を切りたいと考えていたが、40分も短縮する驚きのタイムだった。山頂には先客が居て、男女一組の登山者が帰り支度をしていた。

 

「叶の高手」下から見えた青銅製方位盤は、土間台座の上に載っていた。

 

そして、「会津朝日岳」山頂のマスコット、“小地蔵さま”はにこやかに微笑まられていた。この“小地蔵さま”は、他の方の山行記を見ると様々な場所に置かれているようで、今日は方位盤の上におられた。

 

 

方位盤の奥にある三角点石標柱に触れ、「会津朝日岳」登頂を祝った。

 

三角点の等級は、三等。この標高(1,624.3m)で、昨日登った「思案岳」(874.2m)と同じ三等とは、三角点は奥が深いと実感した。

  

  

眺望は、三等三角点であることをを疑うほどの、素晴らしいものだった。

 

“小地蔵さま”が見つめる、北から東にかけての眺望。

 

灌木の丈は低く遮るものは無く、低いが趣味ある奥会津の山々が一望できた。

 

カメラをズームにすると、只見町の市街地が見えた。県立只見高校や、只見川の下流方向には八木沢集落、そして途切れ途切れではあるが只見線の路盤が確認できた。列車の車窓から、気象条件が良ければ「会津朝日岳」山頂付近が見える事が分かり、楽しみが増えたと思った。

「会津百名山ガイドブック」には“会津朝日岳は、只見町に位置しどこから見ても峻険な姿を見せ、人を寄せ付けないような雰囲気を持っており”と書かれているが、山頂から只見駅付近は見られない事から、新町地区より北側が「会津朝日岳」の視認エリアのようだった。

 

 

北側の眺望は、見応えがあった。西に延びる向高倉(1,506-1,566m)の岩場越しに、「浅草岳」(1,585.4m)から、マイナー12座「毛猛岳」(1,517m)に続く新潟との県境を形成する山稜が、荒々しく連なっていた。

 

「浅草岳」山頂の雲は取れていたが、雲陰が山肌に落ち、何とも言えない文様を創り出していた。麓には、電源開発㈱田子倉発電所の田子倉ダム湖と「六十里越」に向かって緩やかに延びる国道252号線が見えた。

 

「会津朝日岳」山頂は、もちろん「浅草岳」山頂から見えるが際立っておらず、田子倉ダム湖の手裏剣のような形をした澄んだ水面の方が印象的な眺望だった。

 

 

北から東に、ゆっくりと目を移すと、「博士山」(1,481.9m、会津百名山33座)の堂々とした山塊があった。ここから見える山容は、会津総鎮守府「伊佐須美神社」の第二遷座地とされていることが納得できる、堂々としたものだった。*参考:伊佐須美神社「御由緒・歴史」 URL:https://www.isasumi.or.jp/outline.html

 

東から南に目を移すと、「御前ヶ岳」(1,233m、会津百名山52座)に続く“テーブルマウンテン”「舟鼻山」(1,234m最高点、同51座)、その右奥に「二股山」(男岳1,544.3m、同31座)が見えた。

まだ午前中ということもあってか空気は澄み、他にも多くの山が見え同定するすることができた。良い日和に、登られた事を幸運に思った。


 

「会津朝日岳」は山頂付近の山容が、特徴的だった。

まず、北から西、再び北へと続く向高倉(1,506-1,566)の稜線は、「木地夜鷹山」(859m、会津百名山75座)の“キツネモドシ”を彷彿させた。

 

本家の“キツネモドシ”は、狐が進むのをためらうような鋭角な尾根筋で、ザレ場であることから縦走には細心の注意が必要だという。この向高倉の“キツネモドシ”は、白い部分が見られずザレ場ではないようだが、尾根筋は本家におとらず細いように見えた。

 

 

また、山頂の北に切れ落ちる巨大なスラブ壁は圧巻で、上から見下ろすと、怖さを感じた。また、「会津朝日岳」山頂付近の稜線に特徴が無い事から、このスラブ存在感は山座同定に大きく寄与するものだとも思った。

 

ちなみに、山頂の西から南にかけての眺望は、灌木に隠れて得られなかった。

 

 

山頂からの眺望を堪能してから、「山響の家」の御主人に用意していただいた弁当を食べる事にした。おかずは色彩豊かで、肉魚野菜とバランスもよく、只見町特産のエゴマ(じゅうねん)とさやえんどうの炒め物まで詰められていた。デザートにミカンまで付く充実ぶりに、御主人に対して恐縮してしまった。

 

握り飯は3つで、うち1つが天然マイタケの炊き込みご飯だった。おかず、ご飯ともに美味しく、山々を見渡しながらの食事は最高だった。

 

 

 

 

10:28、「会津朝日岳」山頂を後にした。この時ちょうど男性登山者がやってきたが、30分の滞在中山頂を独り占めするという贅沢を得た。

 

南側の岩場のピークから、「窓明山」(1,842.5m、会津百名山15座)から、「三岩岳」(2,065.2m、同5座)、「会津駒ヶ岳」(2,133m、同2座)に続く稜線を眺め、山座同定を仕舞いにした。

  

「小幽沢カッチ」の斜面を見下ろし、眼下の景色を見収め、本格的な下りに入った。

 

斜面を下って行くと、3人の登山者が、それぞれ単行でこちらに向かってきていた。

 

すれ違いできない場所では、待って登山者を通したが、3人目の方は、立ち止まりしばらく景色を眺めていた。

 

10分ほどで、「小幽沢カッチ」の斜面をくだり、振り返って見上げた。次の機会は、技術と装備を得て、この一面を覆う雪渓を登ってみたいと思った。

この後は、気持ち早めで下った。只見駅14時35分発の列車には、十分に間に合うと思ったが、駅に着くまでに何があるか分からなかったので、できるだけ時間を稼ぎたかった。

 

 

10:48、「バイウチの高手」標杭前を通過。 

 

10:58、左の薮先に青トタンを見ながら、「会津朝日岳避難小屋」脇を通過。

 

10:59、「熊の平」を通過。

 

 

陽光を浴びた紅葉の回廊を、気持ちよく進む。途中で、1人の登山者とすれ違い、結局山中で出会った登山者は12人だった。

 

11:11、回廊を抜けると、「叶の高手」の小山が現れた。

  

小山に取付く前に、振り返って「会津朝日岳」を見た。

 

 

11:26、小山を登り進めると、前方に「朝日岳の大クロベ」が見え、その後巨幹を越えて進んだ。

 

11:28、「叶の高手」を通過。

 

 

足元が岩場になり、少し進むとビデオカメラなどの撮影機材が見え、10名ほどの集団とすれ違った。下山後に知ったが、来月(12/5)に放送されるNHK-BSの“日本の名山”の特集番組の撮影スタッフとの事だった。数名の方は休憩中のようで、岩場に座り景色を見ながら水分を補給していた。

 

11:43、「人見の松」が見えた。

 

ここで「浅草岳」を見ると、頂上が陽に照らされ、はっきりとしていた。

 

 

12:15、九十九折れの登山道を下り、「三吉のミチギ」に到着。ペットボトルの水を飲み切り、再び給水した。

 

足元の石に気を付けながら、急坂を下りてゆくと、沢音が徐々に近づいてきた。上方には、陽光を浴びた尾根筋が見え、これで「会津朝日岳」山塊の紅葉は見納めになった。

 

12:36、赤倉沢が真横に見えるようになった。

 

 

緩やかな登山道を快調に下って行くと、前方に木橋と車が見えた。

 

12:53、「会津朝日岳」赤倉沢登山口に戻ってきた。下山時間は2時間25分、総登山時間は6時間8分(山頂での休憩31分)となり、想定より約1時間早く山行を終える事ができた。


登山の余韻に浸ることなく、直ぐに自転車にまたがり、登山口を後にした。駐車場には登山時より3台増え13台の車両があり去った車両は無いようで、登下山を急いだため、一番に戻ってきたようだった。

 

途中、「いわなの里」に立ち寄り、登山バッジをいただこうとしたが、今年(2022年)分は“品切れ”ということで、過去分の余りから好きなものを選ぶように、とスタッフから言われ2016年のバッジをいただいた。聞けば、駅前の只見町インフォメーションセンターには2022年分が残っていて交換可能、との事だった。

 

「会津朝日岳」登山を無事に終え、「只見四名山」を6年越しで踏破した。

天候が良く、午前中の澄んだ空気の中で、陽光を浴びた紅葉を見続けながら登ることができ、只見線沿線の「会津百名山」登山の中でも屈指の山行となった。また、奥会津の深山ということでクマの心配をしていたが、登山者が多いことでさほど注意を払わずに済み、精神的負担が無かったことも良かった。

 

 

13:10、荷物を一つにまとめるなどの準備をして、「いわなの里」を後にして只見駅に向かって移動を開始した。

林道白沢線を快調に下り町道黒谷倉谷線に入るが、向かい風になり、下り勾配も緩いためペダルを漕がざるを得なかった。 

 

国道282号線に入り、旅館「住吉屋」の前を過ぎると、前方に「浅草岳」が見えた。

国道上でも向かい風の影響を受け、“復路は下り坂を気楽に”という思惑は達せられなかった。登山後の身には、少々応えた。

 

 

13:48、途中、「げんき村」に立ち寄った。「山響の家」の御主人から『時間があれば、是非寄ってみてください』と言われていた店だ。

 

店頭には、「山響の家」でも見かけたパレットが置かれていた。じゅうねん(エゴマ)の天日干しだった。

店に入ると、作業中の女性スタッフ3名から“いらっしゃいませ”と声を掛けられ、お茶も出していただいた。

 

一通り商品を見て、じゅうねんのドレッシングを購入し、「げんき村」を後にした。

 

 

14:05、只見駅に到着。「会津朝日岳」赤倉沢登山口から、予定通り1時間ほどで戻ってくることができた。さっそく、自転車を畳んで輪行バッグに入れて、駅頭のベンチに座った。余裕をもって駅に到着できたが、列車が混雑し座れない可能性もあるので、両足をほぐし身体を休めた。

 

14:24、リュックを背負い輪行バッグを抱えて駅舎から連絡道を進んでいると、上り列車がやってきた。キハ110形+キハE120形の2両編成だった。

 

この列車に乗り込もうとしている20名ほどの客がいるホームについて列車の中をのぞくと、満員どころか、立ち客が通路を塞ぐほど混雑していた。後部車両に乗り込むが、輪行バッグを置く事さえ気が引けるような状況だった。座れない事は覚悟していたが、まさか平日にここまで混雑するとは思えず、苦笑してしまった。

 

13:35、会津若松行きの上り列車が只見を出発。切符は只見~会津若松間が1,690円で、昨日会津若松駅で買っておいた。

列車は順調に進むが、結局私は終点まで立ちっぱなしだった。窓側には客が居て近づけず、景色を見る事も撮る事もできず、登山の疲れもあって少々辛い時間を過ごした。登山の余韻に浸りながら車窓から景色をのんびと眺め車内で過ごしたい、と思い平日に登山計画したが願いは叶わなかった。これが休日なら、輪行バッグを床に置けるだけのスペースさえなかったかもしれない、と考え直し、平日で良かったとした。

しかし...、立って乗り続けている方にとっては『平日なのに...』という思いは強く、何より只見線の魅力である車窓からの景色を座って見られないというのは酷だと感じた。この方々に『どうかまた只見線の列車に乗車してください』と心の中で語り掛けるとともに、「只見線利活用計画」を進める福島県には秋の紅葉シーズンに指定席を持つ列車を最低2往復は運行するよう予算措置も含めて対応して欲しいと思った。

 

 

 

...会津川口会津宮下会津柳津で少しずつ客を降ろし、会津坂下でようやく乗降扉前のスペースが空き、窓から景色を見られるようになった。会津若松市に入り、大川(阿賀川)を渡ると、上流方面に「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)がうっすらと茜色に染まった空に見えた。

   

 

17:24、終点の会津若松に到着。たくさんの客が狭いホームに降り立ち、更に狭くなった連絡橋の階段を上っていった。

 

階段に人影が見えなくなったので、私も階段を上り連絡橋を渡った。西部山地に目を向けると、夕焼け空にくっきりと稜線が見えた。「会津朝日岳」から堂々とした山容をみせてくれた「博士山」の隣には、、伊佐須美神社の最終遷座地「明神ヶ山」(1,074m、会津百名山61座)の尖った山頂が並んでいた。

この後、私は磐越西線の列車に乗って、自宅のある郡山市に向かった。 

 

 

今日は、登山後に列車の中で3時間も立ちっぱなしは想定していなかったが、他は予定通りとなり充実した一日になった。

「会津朝日岳」登山前、15kmを自転車移動し7時間の登山後に15km先の駅に向かう、という計画に不安はあったが余力を残せた。只見駅周辺から赤倉沢登山口まで、急坂は無く私の小径折り畳み自転車でも負担なく移動ができ、登山中級者であれば無雪期の「会津朝日岳」は6時間程で登下山が可ではないだろうかと思った。

只見線を使った「会津朝日岳」登山を一般化に関して、グループ登山であればタクシー利用が無難だろう。片道15kmということで運賃は5,000円ほどで、下山後の送迎料金などを加算すると4人で一人当たり3,000円程になるだろうか。

また、個人で、お金を掛けない場合、前日に黒谷地区周辺に泊まり、登山口まで宿の方に車で送ってもらい、下山後は駅まで電動アシスト付き自転車で移動する、という内容が考えられる。宿の送迎に頼れない場合、宿から登山口まで緩やかな坂が続く7km弱の道のりなので、電動アシスト付き自転車ならばスイスイと行けるので問題はない。只見駅前にある「只見インフォメーションセンター」では電動アシスト付き自転車を1,000円/日で貸し出している(但し、台数は少ない)。

只見線のダイヤは本数も少なく、列車に乗ってから登山というのは勧められず、前泊が無難だ。下山後は、会津若松方面、小出法方面とも2便あり、さらに郡山方面に連絡するので、前泊して早朝から「会津朝日岳」に挑めば問題ないと思われる。

 

只見線の乗客増と沿線への経済需要の増加には、只見線を使ったアクティビティの魅力を高め、そこにアクセスする乗客を増やすことが必須だと私は考えている。“観光鉄道「山の只見線」”の通り、只見線沿線には、低山ながら、雪食地形や雪崩地形をもつ山容が荒々しく魅力的な山が多く、登山は重要なアクティビティだ。宿泊とセットで帰りの列車の中では地酒を呑みながら登山の思い出を振り返る、などという企画は良いかもしれない。また、新潟県魚沼市の山々もふくめ“只見線100名山”を選定し、登山記をブログなどでWeb上に公表することを条件にコンプリート者を表彰したり特典を授与するなどの企画は、制度設計を良くすれば長らく只見線の乗客増と訴求力に貢献すると思う。

「只見線利活用計画」を中心となってすすめる福島県は、“観光鉄道「山の只見線」”を掲げるのであれば、“見る(観る)”山ではなく、“登る(体験する)”山に対しても関心を向け、施策立案や予算獲得に動いて欲しい。

 

 

(了)

 


*追記 2022年10月30日

地元紙・福島民報の特集記事「つながったレール 只見線全線再開通」の秋編で、今回立ち寄った「げんき村」の店長・斎藤さんが、エゴマ(じゅうねん)の搾油機と共に写真に納まり取り上げられていた。*下掲記事:福島民報 2022年10月30日付け紙面


 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト/「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。


 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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